彫刻、工芸意匠にみる鳳凰と獅子!
‘牡丹扇面滝模様絞縫振袖’(江戸時代 18世紀末~19世紀半ば)
獅子は小さい頃から神社にお参りしたとき境内で彫刻をみることがあるから、美術品としては馴染み深い。これに対し、古代中国で生み出された空想の鳥、鳳凰への親和度はかなり弱くなる。普段の生活のなかではほとんど縁がなく、その優雅な姿をみようと思うとハレの気分に駆られて京都を訪れるしかない。
でも京都観光は人生のなかでそう何度も体験できるわけではない。ところが、展覧会というのは有難いもので東京にいながら金閣寺や宇治平等院へ行ったような気分になる。今回一番の収穫は旧金閣にあった鳳凰がみれたこと。これは昭和25年(1950)の火災を免れたのだという。
明治時代の金閣修理のとき、尾羽がかなり折れていたため屋根から降ろされていたのだそうだ。それで火災にあわなかったらしい。これが本物で、現在飾られているのはこれを模倣した四代目。また、宇治平等院にある鳳凰(模造)も目を楽しませてくれる。模造ではあっても間近でみられることは滅多にないから、最も美しくみえる横からの姿を息を呑んでみていた。
鳳凰をモチーフにした古九谷様式の色絵磁器2点は見ごたえがある。飛んでいる鳳凰と片足立ちしている鳳凰。東博所蔵の‘飛鳳文輪花鉢’は平常展でお目にかかっているがこの前は?だったので、あらためて鮮やかな緑、青、紫をしっかりみた。シルエット姿の鳳凰は一瞬石川県美にあるものかと思ったがよくみると別ヴァージョン、目を閉じている分目力が少し弱い感じ。余白を大きくとる見事な構成に見蕩れていた。
木造の獅子はとくに目新しいのものではないが、尾っぽをぴんと立て前方に厳しい視線を向ける雄々しい姿には思わず足がとまった。鳳凰や獅子は吉祥文様として着物に意匠化された。が、着物は女性の着るものだから獅子はそのままの姿では勇ましすぎる。そこで日本人の豊かな感性を表す見立ての手法が使われた。
‘牡丹扇面滝模様絞縫振袖’では獅子頭に見立てた‘扇獅子’(二枚の扇を重ねて牡丹をのせたもの)の模様が元気よくいくつも描かれている。こういう模様ははじめてなのでひとつ々食い入るようにみていた。
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