江戸おもしろ話! もし道端で小判入りの財布を拾ったら?
つい先だってとりあげた‘江戸時代の貨幣展’(拙ブログ4/5)で小判の話をしたので、今回は小判を拾った男たちのショートストーリーを佐藤雅美著‘縮尻鏡三郎 捨てる神より拾う鬼’(文春文庫 2010年10月)から。
8つの話からなるこの本の第3話がタイトルになっている。装画を描いているのは贔屓の村上豊。小判入りの財布を拾う話はこれではなく第7話の‘過ぎたるは猶及ばざるが如し’。縮尻鏡三郎シリーズは以前NHK金曜時代劇でドラマ化(主演は中村雅俊)されたので、ご存知の方もいるかと思われるが、これは第5弾。昨年5月には6弾の‘老いらくの恋’がでた。
7話は読み終えたあとタイトルがなるほどねと、合点がいくほどよくできた事件物。話は小判入り財布を4人の大工が拾ったところからはじまる。どんな顛末が待っているかは読んでのお楽しみ!で、ここでは江戸における拾い物事情について少々。
小判が12枚入った財布を道端で拾った大工4人はすぐに商家の小僧とか手代が集まってきたので猫ばばするわけにもいかない。だから、近くの自身番屋(交番兼区役所)に届ける。番屋ではこれを受けとり、‘金子の落し物あり。心当たりの者は届け出られたし’と書かれた立て札を脇に三日間出しておく。これを三日晒しという。
三日間告知して、落とし主が現れたとする。その場合、拾い主と落とし主とで折半する。今は拾った者は10%の謝礼しか受け取れないが、この頃は落とした者にも不念(不注意)があるということで半分の謝礼をはずまなければならなかった。落とし主が現れなかったら6ヶ月後にそっくり拾った者のものになる。これが‘御定書’で決められたルール。
おもしろいのは立て札には中に入っていた金子の額とか財布の形や柄についてはいっさい書かないこと。これは‘わたしが落とし主です’という、やたらな者の顔出しを防ぐため。でも、‘わたしのものだと思うのだが’と番屋に顔をだすやつが結構でてくる。いつの世にも図々しく恥知らずな者はいる。
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