見逃せない芸大コレクション展!
東芸大美では春と秋に所蔵コレクションを公開している。これが‘香り展’と同じタイミング(4/7~5/29)で行なわれていたので、ぐるっとみて回った。
仏像彫刻8点のなかに惹かれるのがあった。以前ここでみたかもしれないのだが、快慶の‘大日如来坐像’。その切れ長の目にハッとした。こういう顔つきをした女子高校生に時々会うことがある。不安にとりつかれているほどでもないが、周囲にピリピリしすぎという感じで、うかつに近づけない雰囲気が漂っている。こういう作品をみると、運慶や快慶の彫刻は写実的造形へとむかっていることがよくわかる。
明治以降に制作された彫刻は平櫛田中(1872~1979)の‘転生’と高村光雲の‘聖徳太子’、そして最近亡くなった佐藤忠良の‘あぐら’の3点。長くみていたのは6年ぶりくらいに会った‘転生’。この彫刻を暗いところでみると、相当怖い!。この忿怒の表情をした不動明王が口にくわえている?あるいは吐き出している?のは一体何?これが大正9年(1920)の院展に発表されたときは‘転生(吐きだされたる人’という題名がついていた。
この像は仏の装いをした鬼。田中(岡山県井原市の生まれ)はこういっている。‘私は子供の頃、生温ッ子は鬼も食わないって、よく父親から叱られたもんだァね。熱いなら熱い、冷たいなら冷たい、中途半端じゃいかんいう訳だろうな、それを私がああいう風に制作したのです。鬼が子供を食ったが、なまぬるいので、こんな生温ッ子が食えるか生まれかわって来いって、火焔の中に吐き出しているところです’。
小倉遊亀(1895~2000)の‘径’はとても心が安まる絵。‘散歩で街角ウォッチング!’(拙ブログ09/8/18)でとりあげたように、母親と女の子、犬はカルガモの親子よろしく縦に並んで歩いている。横断歩道をお母さんを先頭にして渡る親子連れをみるとすぐこの絵が頭をよぎる。
この絵同様、大きい絵なのが杉山寧(1909~1993)の子供たちを描いた‘野’。背が低いのでいっぱいあるススキの白い穂に体全体が囲まれている。自然につつまれて遊ぶのはじつに楽しい。ふと小さい頃を思い出した。
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