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2011.02.28

アートに乾杯! ゴヤの描いた戦争画

2422     ゴヤの‘1808年5月3日の銃殺’(1814年)

2423     ゴヤの‘戦争の惨禍・立派なお手柄!死人を相手に’(1810~20年)

2424         マネの‘マクシミリアンの処刑’(1867~68年)

2425     ピカソの‘ゲルニカ’(1937年)

プラドへでかけゴヤ(1746~1826)の描いた戦争画や‘黒い絵’をみると人生観が変わる。人間の闇の部分や残虐性について人一倍考えているわけではないが、絵画の鑑賞をずっと続けているから、地獄絵や戦争画をつうじて人間が行う恐ろしい行為や戦争の悲惨さに向きあう機会は結構ある。

歴史画や神話画には戦いを描いた場面は数多くあるが、心拍数があがるほどのショックは受けない。これにたいして、近代になるとかなりの衝撃度をもった絵が登場してくる。ゴヤの‘1808年5月3日の銃殺’はその筆頭かもしれない。

描かれているのはスペインに侵入してきたナポレオン率いるフランス軍に対抗して立ち上がった市民が捕えられ銃殺される場面。手を上げている男にはキリストの磔刑が重なってくる。体がこわばるのがすでに銃殺された男の顔や地面に流れる血潮。このべっとりした血をゴヤは祈りをこめて指で塗ったという。

対仏独立戦争は6年間続くが、ゴヤは実際に体験したことや見聞をもとにして銅版画‘戦争の惨禍’(82枚)を描いた。でも、これはゴヤの生前には発表されず、没後の
1863年に出版された。人間はこんな残虐なことでもやってしまうのか!の連続、本当にショックを受ける。あまりに悲惨で長くはみれないのが‘立派なお手柄!死人を相手に’。

スペインの歴史をみると悲惨なことがいろいろでてくる。異端審問によるユダヤ教徒の弾圧、フランス軍に対する市民のゲリラ戦、第二次世界大戦の前哨戦となったスペイン内戦、こういう時代の真実の姿を画家は絵に描きとめた。

マネ(1832~1883)がゴヤの銃殺の絵に刺激されて描いたのが‘マクシミリアンの処刑’。ドイツのマンハイム市立美にあるものがよく画集に載っているが、これはロンドンのナショナル・ギャラリーにある別ヴァージョン。マンハイムの作品がみれることを願っているが、縁がなさそう。

ピカソ(1881~1973)もまた‘ゲルニカ’を描くにあたり、徹底的にゴヤの‘1808年5月3日’を研究したといわれる。右端に描かれているひざまずき両手を上にあげて嘆き悲しんでいる女や左下に横たわる男の姿をみると、ゴヤの絵が連想される。

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2011.02.27

アートに乾杯! 絵の中に入っていける‘ラス・メニーナス’

2421_2     ベラスケスの‘ラス・メニーナス’(1656年)

2420_2     レンブラントの‘夜警’(1642年)

2418_2     ニューマンの‘アンナの光’(部分 1968年)

2419_2     ロスコの壁画‘無題’(1958年)

美術館へ出かけて本物の絵を体験したとき、画集や美術の本でイメージしていたことと大きく異なることがよくある。図版と本物では色の濃淡がちがっていたり、目の前にある絵が想像していたものより2倍も3倍も大きかったりする。色については赤が青になったりすることはないから、みているうちにそういうことは忘れる。ところが、絵の大きさはサプライズが後々まで残る。

29年前はじめてプラドを訪問しベラスケス(1599~1660)の‘ラス・メニーナス’の前に立ったときは、絵の大きさにびっくりした。高さは3.18mもあり、横は2.76m、とにかくデカイ。しばらくするとすこし興奮状態がおさまり、画面中央の王女マルガリータや大きなキャンバスの前で絵筆をもってこちらをじっとみている画家に目がいくようになる。そのとき後ろの鏡に映った男女までみたかどうかはかなり怪しい。多分みてないだろう。

そのあと3回みたが、だんだんこの大作がほかの絵とは何かが違っていることがわかってきた。それはこの絵の前では誰もが感じること。そう、マルガリータや画家、女官たちがいる部屋の床の延長線上に自分が立っているような気がするのである。同じ部屋にいるように感じるのは人物が等身大で描かれ、手前の床の部分が展示ホールの床と同じ高さにみえるから。絵のなかに見る者が入り込める絵はこれまであっただろうか。

西洋絵画では遠近法が使われているため、見る者の視線は画面のなかにできた奥行きのある空間に吸い込まれていく。この‘ラス・メニーナス’でも遠近法により後ろの戸口や鏡のある壁まで奥行きができている。でも、視線は部屋の中を行ったり来たりせず画面の手間でとどまる。

それは画家をふくめ6人が横一線で平面的に描かれているためで、画面の手前から見ているわれわれのほうに空間が広がっているように感じるのである。だから、この絵は従来型の視線だけが絵の中にむかっていく絵とはちがい、対象が平面的に描かれている絵のように絵の前方に空間をイメージさせ見る者をつつみこむタイプの絵といえる。

これと同じように絵の中に自分たちも登場しているのではないかと錯覚させるのがレンブラント(1606~1669)の‘夜警’(アムステルダム国立美)。これも縦3.59m、横4.38mの大作。夜警団の手前にわれわれはおり、集まった町の人たちと一緒にこの出発の様子を見ていることになる。人物が横に並ぶ絵なので空間が画面手前からこちらに出っぱってくるのは‘ラス・メニーナス’と同じ。

現代絵画で絵と一体になる感じがするのはニューマン(1905~1970)やロスコ(1903~1970)が描いたカラー・フィールド・ペインティング。フラットな赤や茶色の大きな色面に体全体がつつみこまれるので、色彩美に戯れあるいは神秘的な精神世界に誘われるような気分になる。で、ときどき川村記念美へでかけ、いい気持ちになっている。

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2011.02.26

アートに乾杯! カラヴァッジョ vs ベラスケス

2417_3        カラヴァッジョの‘キリストの笞打ち’(1607年)

2415_2       ベラスケスの‘教皇インノケンティウス10世’(1649~50年)

2416_2     カラヴァッジョの‘エジプト逃避途上の休息’(1595年)

2414_2     ベラスケスの‘鏡を見るヴィーナス’(1649~51年)

ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノとバロック絵画を生み出したルーベンスの作品はプラドへ行くとドドーンとみることできるから、二人が好きな方にとってここは格別の美術館ということになるだろう。じゃあー、ティツィアーノ、ルーベンスはここでしか楽しめないかというとそうでもない。ルーヴル、ロンドンのナショナルギャラリーを訪問すると数々の名画が出迎えてくれる。

これにたいし、グレコ、ベラスケス、ゴヤの絵は代表作の大半がプラドにあるから、ここへ来ないと大きな満足は得られない。幸いにも4回体験したから、所蔵作はほとんどみたといえるくらいになった。でも、作品を多くみればそれですぐ画家に近づけるというものでもない。画家が生み出した芸術的な価値を本当に感じとるにはほかの画家の作品もあわせてみないとダメだということが、ベラスケス(1599~1660)の絵でよくわかった。

1年前、ローマのドーリア・パンフィーリ美で‘教皇インノケンティウス10世’(拙ブログ10/3/4)のすばらしい肖像をみて、ベラスケスに対する見方ががらっと変わった。この教皇の肖像にはフェリペ4世とは違い驚くような現実感がある。ベラスケスはスペイン王室の宮廷画家としてローマにやってきているが、この気難しそうな顔をした教皇を自分がつかえる国王のように理想化して描く必要はなく、道化を描いたときと同じ気分で筆を走らせたのかもしれない。このリアリズムをみたら、ベラスケスのすごさがいっぺんでわかる。教皇は絵をみて‘正直すぎる’と言ったそうだ。

この絵は5月にみたカラヴァッジョ(1571~1610)の‘キリストの笞打ち’(10/5/15、ナポリ・カポディモンテ美)と激しく響きあった。教皇のクセのある顔と画面左でキリストを笞打とうとする男の見るからに暴力的な表情がじつによく似ている。ベラスケスの筆触はカラヴァッジョに較べ少し粗いが、二人は生身の人間の姿と内面をともに比類ないリアルさで描いている。

ベラスケスはカラヴァッジョの生まれ変わりではないかと思わせる絵がもう1点ある。それは昨年11月久しぶりに対面した‘鏡を見るヴィーナス’(ロンドン・ナショナル・ギャラリー、09/2/10)。このまばゆいばかりの肌の輝きをもつヴィーナスの足のふくらはぎあたりを口あんぐりでみていたら、ドーリア・パンフィーリで会ったカラヴァッジョの‘エジプト逃避途上の休息’(10/3/4)が目の前をよぎった。この絵に登場するヴァイオリンを弾く天使のふくらはぎの描写がヴィーナスのそれとそっくりなのである。

2度のイタリア旅行によりベラスケスはヴェネツィア派から光と色彩効果を学ぶとともに、ローマではカラヴァッジョの絵も夢中になってみたにちがいない。そうした先行例を吸収したベラスケスは独自の画風を生み出し‘酔っぱらいたち’などの風俗神話画や肖像画、そして裸婦像を描いた。ベラスケスがカラヴァッジョ同様、特別な画家に思えてきた。

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2011.02.25

アートに乾杯! スペイン絵画における肖像画の系譜

2413_2       グレコの‘胸に手をおく騎士’(1580年 プラド美)

2410_2     ベラスケスの‘ファン・デ・パレーハ’(1649年 メトロポリタン美)

2412_2        ゴヤの‘モラティン’(1799年 サン・フェルナンド美術アカデミー)

2411_2          ダリの‘ルイス・ブニュエル’(1924年 ソフィアセンター)

西洋絵画を鑑賞しているとき一番多く出くわすのが宗教画、そして次に多いのが肖像画。その肖像画にもいろいろある。ルネサンス、バロック時代はローマ教皇や聖職者、国王、王侯貴族、軍人を描いたものが多いが、時代がくだって近代になると実業家などの富裕層や知識人、普通の男女が登場してくる。

生身の人物が一人前に描けるようになるには相当な修練を要する。ましてや見る者の心を打つ肖像画が描けるのは豊かな才能に恵まれたほんの一握りの画家だけ。スペイン三大画家といわれるグレコ、ベラスケス、ゴヤにはいい肖像画が数多くある。今日とりあげるのは男性の肖像で最もグッときているもの。

トレドで活躍したグレコ(1541~1614)の絵というと体が異常に引きのばされた人物がすぐイメージされるが、びっくりするほど写実的な肖像も描いている。絵に会うたび体がしゃんとするのが‘胸に手をおく騎士’。じっと正面を見据えるその高貴な姿はまさ中世騎士道物語。グレコはもうひとつボストン美蔵の‘パラビシーノの肖像’にも大変魅せられている。

ベラスケス(1599~1660)の肖像画で家に飾っておきたいのはウィーン美術史美にある‘バラ色のドレスのマルガリータ王女’だが、絵の見事さにみとれてしまう絵というと‘ファン・デ・パレーハ’と‘教皇インノケンティウス10世’(ローマ ドーリア・パンフィーリ美)。‘ファン・デ・パレーハ’(拙ブログ08/5/6)は08年はじめてお目にかかったが、立ち尽くしてみていた。まるで本人と相対しているよう。その内面を深くとらえた描写をみてベラスケスの偉大さを実感した。

1月マドリードの美術館をまわったとき、ゴヤ(1746~1828)が制作した肖像画を沢山みた。詩人で劇作家のモラティンの肖像が飾ってあったのは王立サン・フェルナンド美術アカデミー。ゴヤはこの詩人とは親しい間柄だった。王侯貴族や政治家、知識人からゴヤはひっきりなしに肖像画を依頼されたが、親しい人は半身像で描いた。これは半身像のほうがより真の姿を出せるから。

シュルレアリスト、ダリ(1904~1989)にも‘ルイス・ブニュエル’のいい肖像があり、スペイン絵画における肖像画の伝統がしっかり受け継がれている。また、ピカソ(1881~1973)は青の時代にすばらしい自画像を描いた。

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2011.02.24

とっておきのスペイン絵画関連美術本!

2407_2     神吉敬三著‘巨匠たちのスペイン’(毎日新聞社 1997年)

2409_2     大高保二郎著‘西洋絵画の巨匠 ゴヤ’(小学館 2006年)    

2408_2     中丸明著‘プラド美術館’(新潮社 1995年)

本は日常生活に欠かせないものだから、新聞欄に載る新著には目をひからかせ関心のある本は早めに購入するようにしている。いろいろな分野の本を溜め込んでいるが、今は読書時間の大半を美術関連の本にあてている。

小説や歴史書のたぐいは一度読んだら本棚に積んだままなのに対し、美術の本は読み終わっても頻繁に手にとりながめていることが多い。これは頁の多くが絵や彫刻、やきものなどの図版で占められるという美術本の特徴のため。もうひとつの理由は、本物を美術館で実際にみると、前とは違うイメージが生まれ、本がはじめて読むような新鮮さをとりもどすから。いわゆる一粒で二度美味しいというやつ。

本物体験を重ねその本を読む回数が増えると、以前はすっと頭に入らなかった記述がストンと腹に落ちたり、あらためてその絵を描いた画家へ心が強く向かっていくことだってある。また、逆に‘この解説は違うよ’とか、‘ここのところははじめ美術理論ありきじゃない?画家はそんな思いでこの絵を描いてないよ、もっと素直に絵をみたほうがいいのでは’と思ったりもする。

マドリードで美術館めぐりをしスペイン絵画を心ゆくまで堪能したので、お気に入りの本をまたぱらぱら読んでみた。手元にあるスペイン絵画関連の本は画像に載せた3冊と‘お気に入り本’で紹介しているサラ・シモンズ著‘岩波 世界の美術 ゴヤ’(2001年)、大高保二郎責任編集‘NHKプラド美術館 エル・グレコ’(日本放送出版協会 
1992年)。

美術史家、神吉敬三氏(かんきけいぞう 1932~1996)が書かれたスペイン美術関連の論文を集めた‘巨匠たちのスペイン’は座右の書。この本から多くのことを学んだ。出版されてもう14年になるので、古本屋をまわらないと手に入らない。神田はご無沙汰しているため、今この本があるかどうかわからないが、お奨めの一冊である。

グレコ、ベラスケス、ゴヤのスペイン三大画家の話に加え、ピカソ、ミロ論、そして絵画だけでなくスペイン建築、バルセロナ史、闘牛の起源まで記述されているので、スペインの歴史、美術を幅広く知ることができる。

神吉氏が亡くなられたあと、スペイン美術史を引っ張っておられるのが大高氏。日曜美術館でスペイン絵画がとりあげられるときは必ず登場されるから、ご存知の方も多いのではなかろうか。小学館の‘ゴヤ’は図版が特別によく本物をみているような気分になるので頻繁にみている。この本に載っているゴヤの名画は拙ブログでもかなり紹介した。

昨日とりあげた‘プラド美術館ガイドブック’の副読本としてお奨めしたいのが中丸明著‘プラド美術館’。中丸明は惜しいことに2008年に亡くなったが、下手な美術評論家の話よりはこの作家の美術論のほうがはるかにわかりやすく、絵をみる眼が養われる。愛読書は前に‘お気に入り本’に載せていた通り、この本を含めて4、5冊ある。とにかくおもしろい。3年間、仕事で名古屋に住んでいたから、登場人物が名古屋弁で‘みゃーみゃー’いうところになるといつも笑いころげてしまう。

そのなかでとくにおもしろくてためになったのは‘絵画で読む聖書’(新潮社 1997年、のち文庫)とこの‘プラド美術館’。今のところ、イタリアのことは塩野七生、若桑みどり、陣内秀信さんに、そしてスペインのことは中丸明に教えてもらうことにしている。

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2011.02.23

スペインでゲットしたすぐれもの本!

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海外旅行をしたとき、でかけた先の観光名所や遺跡で販売されている解説本や訪問した美術館の図録は現地語であろうと日本語版であろうと必ず購入することにしている。で、帰りのスーツケースは買い込んだ本のためかなり重たくなる。スペイン旅行でとてもいい本を手に入れたので、今日はその話を。

07年プラド美で買った図録は使われている図版がひどいものだった。色が全体的にうすくて実際の色をひろってないのである。前年にあった‘プラド美展’(東京都美)でつくられた立派な図録に較べると、その出来栄えは月とスッポンという感じ。天下のプラドがよくもこんな質の悪い図録をつくったものだとちょっとあきれた。

この図録の評判が悪いことを認めたのか、ミュージアムショップには09年8月に出版された新図録がどんと積まれていた。新本はロンドンのナショナルギャラリーの‘コンパニオン・ガイド’タイプの縦長本(縦24.5cm、横15.3cm)。これがなかなかいい。レイアウトや解説文の書き方は明らかにナショナル・ギャラリーを手本にしており、図版の色は前のものより格段に改善されている。

08年に手に入れたナショナルギャラリーの図録は愛読書のひとつ。だから、これと似た図録をプラドがつくってくれたのは大変ありがたい。絵の選定も充実している。嬉しいことに前には載ってなかった作品例えば、カラッチの‘ヴィーナス、アドニスとキューピッド’やパルミジャニーノ,ジョルダーノの絵なども入っている。なんだか宝物をゲットしたような気分。今、余韻に浸りながら頻繁にながめている。西洋絵画に夢中な方には是非お奨めしたい。

人気の観光地にもすぐれものの解説本があった。ひとつは07年のときからみかけたアルハンブラ宮殿のガイドブック‘アルハンブラ散策’。これは本当にすばらしい本。ここを旅されてすでにお持ちの人も多いかもしれない。今回お世話になった添乗員さんも買ったとおっしゃっていた。

感心するのは豊富な情報と上手な編集。見やすいレイアウト、綺麗な写真、コンパクトでわかりやすい文章、つい手元にとって見たくなる本とはこのこと。これまで観光地の解説本を数多く買ったが、こんなすぐれものはみたことがない。日本語のほかに5、6各国語に翻訳されている。グラナダへ行かれたら、この本のことをお忘れなく!

今回手に入れたビジュアルガイド‘サグラダ・ファミリア’は10年の刊行。これも‘アルハンブラ散策’同様、巧みな編集と豊富な写真を使って天才建築家ガウデイのつくったサグラダ・ファミリアの美しさをあますところなく楽しくわかりやすく伝えている。

スペインの人気の観光スポット、アルハンブラ宮殿とサグラダ・ファミリアでともにすぐれものガイドブックが用意されている。本好きだからこれほど嬉しいことはない。こういう本をみるとスペイン人の文化力に拍手を送りたくなる。

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2011.02.22

‘シュルレアリスム展’ お好きなシュルレアリストは誰れ?

2401_2     ダリの‘部分的幻覚:レーニンの6つの幻影’(1931年)

2400_2     マグリットの‘秘密の分身’(1929年)

2403_2          マグリットの‘赤いモデル’(1935年)

2402_2     デルヴォーの‘アクロポリス’(1966年)

国立新美では今、パリのポンピドゥーセンター蔵の作品で構成された‘シュルレアリスム展’(2/9~5/9)が開催されている。出品数は絵画、素描、写真、彫刻、オブジェ、映画などてんこ盛りの173点。ヴァラエティ豊かなシュールマインドがこれだけ注入されると、館を出たとき目に映るものをダブルイメージで無理やりみたり、へんてこな形に変換したりするかもしれない。

シュルレアリスムとのつきあいはライフワーク。だから、これまでいろいろな作品を体験してきた。でも、すべての作品に熱く反応しているわけではない。ゆがんだ形のモチーフであふれる絵やオブジェでもおもしろものはすごくおもしろいし、端からどうでもいいのもある。シュルレアリストはクセがあり尖った個性の持ち主が多いから、作家との相性度はかなりバラつく。

最接近したいと思っているのはミロ、ダリ、マグリット、デルヴォー、そしてクレー。まずダリ(1904~1989)の絵から。今回、2点でている。‘部分的幻覚:ピアノに出現したレーニンの6つの幻影’は1997年、東現美であった‘ポンピドーコレクション展’でも展示された。昨年11月現地でみた‘ウイリアム・テル’は図録‘ポンピドゥーの100選’に載っているが、好みはこのピアノの鍵盤に描かれたレーニンの肖像のほう。

この絵はダリの絵としては珍しく対象のデフォルメがなく、くにゃっとしたやわらかい曲線にかわって直線をベースにして画面が構成されている。目が寄っていく精緻な細部描写(拙ブログ2/6)もないが、この絵にはなぜか惹きこまれる。定番の蟻がピアノにおかれている楽譜をはえずりまわるのもおもしろいし、黄金の光に囲まれたレーニンの顔が少しずつ大きくなっていくアイデアがとても新鮮。

5点あるマグリット(1898~1967)はどれもいい。ほかにまだあるのかもしれないが、これまで体験した限りでは今回全部みせてくれた感じ。とりあげた2点はじつはダリの絵同様97年にもやってきた。ともに大変気に入っている。‘秘密の分身’をはじめてみたときはドキッとした。右のえぐりとられた顔の内側にみえる鈴がすごく不気味で違和感があった。これは骨のイメージなのだが、この小さな鈴は一体なんなの?という感じ。

‘赤いモデル’をみるたびにマグリットはすごいなと思う。目の前でこの足&靴を見せられると‘ううーん、これもあるよな!’と納得するが、じゃあ、これを思いつくかというとまったく無理。何百回頭をふってもこんな発想はでてこない。マグリットは人の顔の表面とその内側とか、靴と足とか、そのつながっている関係をさらっと取り払って異物を挿入したり、つなげてみせる。意表をつくアイデアはまさにシュールの神様。

今回の収穫ははじめてお目にかかるデルヴォー(1897~1994)の‘アクロポリス’。大勢いる女性は中央とベッドのところにいる裸婦2人を除くと、ふたつのグループに分けられる。左にいるのは皆後ろむきで遠近法の消失点のほうへ向かって進んでいる。一方、右の柱の奥をみると、ひとまわり小さく描かれた女性たちがシルエット姿で左へ移動している。画面に奥行きと段差があるので、空間が非常に広くみえる。アクセントになっているのが白い月と電燈の明かり。いい絵に出会った。

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2011.02.21

大人気の‘運慶展’(金沢文庫)!

2399_2          国宝‘大日如来坐像’(1176年 奈良・円成寺)

2398_2        重文‘大日如来坐像’(鎌倉時代初期 東京・真如苑)

2397       重文‘大日如来坐像’(鎌倉時代初期 栃木・光得寺)

2396         重文‘不動明王立像’(1189年 神奈川・浄楽寺)

金沢文庫で開催中の‘運慶展’(1/21~3/6)を楽しんだ。金沢文庫は地元だから馴染みの美術館。出かけるのは年に1回くらいだが、企画展は良質なのでいい印象をもっている。

いつもはクルマで行くのだが今回はやめた。この展覧会に大勢の人が注目していることはわかっており、駐車場が満杯なことは容易に予想できる。だから、京急の金沢文庫駅で下車し、歩いた。およそ15分で着く。行きも帰りも明らかに文庫をめざしている人たちを多くみかけた。運慶(?~1223)の作品だから皆、特別な思いなのだろう。

展示室は2つしかないから急いでみればあっという間に終わる。でも、今回は運慶なので7点をじっくりみた。一番のお目当ては奈良の円成寺からやってきた国宝の‘大日如来坐像’。16年前現地でみたが、随分前のことだから、記憶はすっかり消えている。これは運慶の初期の作品。視線が集中するのは頬がふっくらした赤茶色の丸い顔。そして、バランスのとれた体つきと安定感のある坐勢のポーズが心を静めてくれる。

オークション騒ぎで世間の関心を集めた真如苑の‘大日如来坐像’はお08年東博で光得寺のものと一緒にみた。二体とも顔の丸さは似ているが、真如苑のほうはすこし厳しい顔つき。これに対し、獅子が支える蓮華座に乗る大日如来のほうは目元すっきりで微笑んでいるようにみえる。この仏像が以前の仏像に比べて写実的に表現されていることは、散歩をしていると時々こういう顔をした赤ちゃんにでくわすことからもわかる。

2年前鶴岡八幡宮内の国宝館でみた‘不動明王立像’と‘毘沙門天立像’(ともに
2/27までの展示)とまた会った。‘不動明王’は目がおもしろい。なぜか左目が小さいのである。初見は鮮やかな色彩と美しい顔だちに魅了される重文‘帝釈天立像’
(1201年、愛知・滝山寺)と運慶が最晩年につくった小品の重文‘大威徳明王像’
(1216年、神奈川・光明院、金沢文庫保管)。

数の少ない運慶の作品が7点まとめてみれたのだから幸せな気分。小さな美術館が放った大ホームラン。金沢文庫に拍手! 

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2011.02.19

平山郁夫の‘大唐西域壁画’と再会!

2394_2     仏伝図‘カーシャパ兄弟の仏礼拝’(2~3世紀)

2393_2     平山郁夫の‘アンコールワットの月’(1993年)

2395_2     平山郁夫の‘大唐西域壁画・高昌故城’(2000年)

2392_2     ‘大唐西域壁画・西方浄土 須弥山’(2000年)

東博で現在行われている‘平山郁夫と文化財保護’展(1/18~3/6)へ足を運んだのは平山郁夫の未見の作品に出会うのと奈良の薬師寺にある‘大唐西域壁画’と再会するためだった。で、シルクロードなどから出土した仏教関連の彫刻などは途中まではとくに目に力を入れてみてなかった。

ところが、想定外のすごい彫刻が現れた。浮彫の‘カーシャ兄弟の仏礼拝’。2~3世紀のものである。中央の仏陀やまわりをとりかこむ弟子やうしろの天使たちが一体々見事な技で彫り上げられている。これはアフガニスタンのカブール博物館の部屋に飾られているのが本来の姿なのだが、不幸なことにまだ本国へ帰れない。動乱のアフガニスタンにあって博物館から不法に国外に持ち出され、今は‘文化財難民’として日本の地にある。

09年に亡くなった平山郁夫はこうした‘文化財難民’を救う活動を中心となって行ったり、アジアの貴重な文化遺産の蒐集や修復事業にも取り組み大きな功績を残した。今回そうした幅広い活動を知り、あらためて平山郁夫は本当にエライなと思った。

期待の絵画は目玉の‘大唐西域壁画’プラス7点。平山郁夫を絵をみたくなるひとつの理由は画面が大きいこと。そして、もうひとつは描かれているアジアの風景が自分たちがこれまで訪問したところとか、これから旅行を計画しているところだから。

とても心を揺すぶるのが青一色の‘アンコールワットの月’。夜のアンコールワットを是非みてみたい。昨年5月行き損ねた敦煌を描いた‘敦煌鳴砂’(拙ブログ05/6/20)を体験するのは3度目だが、この絵を見るたびに敦煌にあこがれる。ヨーロッパまわりが先行し遅れがちだが、気分の盛り上がりはいつ頃か?

お目当ての‘大唐西域壁画’をじっくりみた。場面は7つ。‘明けゆく長安大雁塔’、‘嘉峪関を行く’、‘高昌故城’、‘西方浄土 須弥山’、‘バーミアン石窟’、‘デカン高原の夕べ’(09/12/2)、‘ナーランダの月’。敦煌旅行のとき一緒にみたいのが‘高昌故城’の画面後方に描かれている火焔山。夕日を浴びると炎につつまれたようにみえるというが、現地では声を失うかもしれない。

薬師寺で三面にわたる‘西方浄土 須弥山’をみたときの感激は半端ではなかった。今回も山々を仰ぎみていると気持ちがだんだんハイになってきた。画像は真ん中のもの。遠くにみえる雪の積もった峻厳な山々の姿が心をとらえて離さない。空の深い青に浮かびあがる白の輝きを時間が経つのも忘れてみていた。

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2011.02.18

プラドのオマケ ‘ルノワール展’で思わぬことが!

2388_2     ルノワール展のバナー(2階入り口)

2389_2          ‘自画像’(1879年)
  
2390_2         ‘劇場の桟敷席’(1880年)

2391_2         ‘水浴する金髪の少女’(1881年)

ツアーに参加された方たちと一緒にプラドへ入場したとき、大変嬉しいことに出くわした。なんとまさかの‘ルノワール展’(2/13で終了)!昨年11月の‘モネ展’(グラン・パレ)、‘ゴーギャン展’(テート・モダン)に続いて印象派3連発。あまりの運のよさにテンションは一気にあがった。気ははやるが、前の橋から渡っていくのが自然の順序というもの。で、その日は追っかけ画の鑑賞に専念し、これは翌日の自由行動で楽しむことにした。

マドリードにあるお目当ての美術館を予定通り回り、最後にプラドへやって来た。時間は5時半ごろ。ここは夜8時まで開館しているから、これからお楽しみのルノワールの絵と対面するぞと意気込んでチケット売り場に並んだ。ところが、ところがである。‘ルノワール展のチケットは売り切れになりました。明日お越し下さい’ときた。‘ええー、今日はもう見れないの!明日はマドリードを発って日本だよ’ ガックリ。

ルノワール(1841~1919)の人気はここスペインでも高く、回顧展が行われている本館2階の部屋には大勢の人が押し寄せていたことは前日わかっていたが、チケットが買えなくなるとは思ってもみなかった。残念無念!でも、どうしようもないので諦めて、所蔵のルーベンス展の会場へむかった。そのあと寄ったミュージアムショップにルノワール展の図録(スペイン語のみ)があったので、どんな作品がでているのかみてみた。

出品されているのはすべてアメリカのウイリアムズタウン(マサチューセッツ州)にあるクラーク美術研究所が所蔵するもの。じつはクラーク美は今年から3年間所蔵作品を公開するワールドツアーを行う。スタートはプラドでのルノワール展(作品数21点)。このあと3月から6月にかけて、‘印象派展’と称して、ルノワール、モネ、ドガ、マネなどの作品73点をミラノで公開することになっている。

クラーク美のルノワールコレクションはつとに有名で、昨年国立新美であった‘ルノワール展’に‘団扇を持つ若い女’と‘テレーズ・ベラール’、‘浴女’(拙ブログ10/2/21)が出品された。この展覧会へ出かけられた方は大いに楽しまれたのではなかろうか。‘団扇’と‘テレーズ’は今回も展示されており、お気に入りの‘団扇’は目玉作品として入り口に飾られているバナーにも使われている。

図録をみてお目にかかりたいのが3、4点あった。いてもたってもいられず、足はおのずと回顧展の部屋にむかう。嬉しいことに入り口と出口のところから中で展示されている作品の一部がみえる。6点だけだが、部屋に目いっぱい近づきそしてあつかましくも単眼鏡も使ってみてしまった。

ミューズに熱い思いが通じたのかこのなかの‘自画像’と‘水浴をする金髪の少女’は追っかけ画だった。この2点はそう離れてなかったのでみたも同然。素直にウレシイ。‘劇場の桟敷席’は手持ちの美術本に載ってないけれども、展覧会の目玉になっているように魅力あふれる絵。少し遠かったので肉眼では細部はとらえられないが、単眼鏡で柔らかい肌と可愛い顔をしっかりみた。そして即My好きな女性画に登録。

スペイン観光、マドリード美術館めぐりの感想記はこれで終わりです。長らくおつきあいいただきありがとうございます。ここでとりあげました名所や美術館に飾られている名画を皆様と共有できたことを嬉しく思っています。

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2011.02.17

ゴヤの代表作‘マハ‘と’カルロス4世の家族’!

2385     ‘裸のマハ(上)’(1800年) ‘着衣のマハ(下)’(1805年)

2387     ‘サンタ・クルース公爵夫人’(1805年)

2384_2     ‘カルロス4世の家族’(1800年)

2386            ‘ホベリャーノスの肖像’(1798年)

ゴヤというと二つのマハ。4年前はパスしたので今回は久しぶりにじっくりみた。心がザワザワするのはやはり‘裸のマハ’。その豊満な肉体にクラっとし挑発されている気分にだんだんなるから、あまり長くはみれない。で、‘着衣のマハ’のほうに視線を移すことにしている。

美術の教科書に載っているような名画の鑑賞は美術がちょっと好きな人にとっても、絵画に没頭している人にとっても、人生におけるひとつの出来事であることは確か。ゴヤの‘裸のマハ’はダ・ヴィンチの‘モナリザ’、ボッティチェッリの‘ヴィーナスの誕生’、レンブラントの‘夜警’、ベラスケスの‘ラス・メニーナス’などと同様、そんな思いのする絵である。

‘着衣のマハ’は裸のイメージをすぐリセットできるわけではないが、じっとみていると白いパンタロン、刺繍入りのジャケットを身にまとい長椅子に横たわるマハがとても愛らしくおもえてくる。そして、頬を赤くし、口紅をつけ目いっぱいの化粧をしているのも心を惑わせる。

ビッグニュースをひとつ。この‘着衣のマハ’は今秋、なんと日本にやってくる!もうすぐ正式発表されるはずだが、マドリードの現地日本人ガイドさんも知っているのだからこの話はだいぶ知れ渡っている。出品される展覧会は西洋美術館で開催される‘プラド美所蔵ゴヤ展’(10/22~1/29)。日本でこの絵が公開されるのは2度目。西洋美では1972年にも‘ゴヤ展’が行われ、このとき‘裸のマハ’と一緒に展示された。およそ40年ぶりの公開である。楽しみ、楽しみ!

前回とても魅了されたのが‘サンタ・クルース公爵夫人’。またメロメロになった。この21歳の若い夫人はフィギュアスケートの浅田真央ちゃんを連想させる。当時その美貌は有名で‘微笑の美女’といわれていた。スペイン絵画における女性画ではこれとベラスケスの‘鏡を見るヴィーナス’に最も惹かれている。

ゴヤが首席宮廷画家に任命されたあと、1年の歳月をかけて描いたのが‘カルロス4世の家族’。見事な家族肖像画である。王室の家族たちを素のままで描いているのがいい。存在感NO.1はなんといっても中央で傲然と胸をはる王妃マリア・ルイーサ。王族の気品などまったく感じられず、強欲で虚栄心の塊のような顔をしている。

そして、隣にいるカルロス4世はまるで暢気な父さんのイメージ。このひとのよさそうな王は腕っ節だけは強かったようで、若いころはマドリードの下町で派手な喧嘩をやったらしい。父に比べると左から2番目のフェルナンド皇太子は性格が悪そう。現に、ナポレオンが失脚したあと王位に再びついたときは酷い圧政をはじめる。

男性の肖像では‘ホベリャーノス’が大変気に入っている。この人物は自由主義を信奉する政治家でこの絵は法務大臣のときに描かれたもの。政務机に寄りかかり、その憂鬱そうな表情をみせる姿はなにか親近感をおぼえる。

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2011.02.16

近・現代絵画の先駆者ゴヤ!

2382_2            ‘キリストの磔刑’(1780年)

2381_2     ‘1808年5月2日 エジプト人親衛隊との戦闘’(1814年)

2380_2             ‘わが子を食らうサトゥルヌス’(1821~23年)

2383_2     ‘魔女の夜宴(上) サン・イシードロへの巡礼(下)’(1821~23年)

今回のマドリード美術館めぐりで最も期待値の高かった画家はゴヤとダリ。で、これまでとりあげた作品のなかでは二人の絵が断トツに多い。プラドでもゴヤの絵を10点紹介しようと思う。

4年前、ここの2階と3階に展示してあるゴヤの絵をそれこそ駈けずりまわってみた(拙ブログ07/3/20)。なにしろこれでもかというくらいゴヤ、ゴヤだから、作品のなかには部屋をスルーして見落としたり、見たつもりでも後から振り返ると印象の薄い絵もでてくる。だから、鑑賞時間の3割をそのリカバリーのためにあてた。

いの一番に捜したのが‘キリストの磔刑’。図録に載っているこの絵に対する見たい度は昨年5月ローマでカラヴァッジョの‘キリストの笞打ち’(10/5/15)と会って一気にあがった。絵の題材は磔刑と笞打ちで異なるが、描かれたキリストの全体の印象がすごく似ているのである。実際にゴヤのこのキリストの姿をみて、カラヴァッジョ作品と同じような感動を味わった。これほど美しいキリストの磔刑図を体験するのははじめて。ゴヤの生身の人物をとらえる描写力は本当にすごい!

マドリードの市民が独立のためフランス軍に蜂起した場面を描いた‘1808年5月2日 エジプト人親衛隊との戦闘’と‘1808年5月3日の銃殺’は同じ部屋で隣同士に並んでいる。ところが、銃殺の絵は強烈なイメージが残っているのに、蜂起の場面はどういうわけかしっかり見たという実感がない。今まさに銃殺されようとしている白い服を着て両手をあげる男に気持ちが入りすぎて、この絵が消されてしまったらしい。だから、初見の感覚でじっくりみた。

絵の舞台となったところはサン・フェルナンド美術アカデミーを訪問するときに通ったプエルタ・デル・ソル。画面で釘づけになるのは白馬の前足の付け根あたりから噴き出している真っ赤な血。馬上のエジプト兵は男たちに倒されナイフでメッタ刺きにされすでに絶命している。民衆の怒りが爆発し、すさまじい闘いのエネルギーがフランス軍は押しつぶしている感じ。

追っかけ画の上位にしていた2点をみたのであとは普通モードの目に切り替え、心のひだに深く刻み込まれている‘黒の絵’シリーズと対面した。足がとまるのはやはり‘わが子を食らうサトゥルヌス’。ギリシャ神話はかなり読み込んだので、サトゥルヌスが5人のわが子を自己防衛のため食い殺す話は知っている。でも、頭の部分が食べられ血だらけになっている体はどうみても大人。ゴヤはギリシャ神話に当時のスペインの圧政的な政治体制を見立て、グロテスクで混沌とした世界を表出したのであろう。

14枚ある黒い絵のなかで不気味でこわい顔をした人物が大勢でてくるのが横長の‘魔女の夜宴’と‘サン・イシードロへの巡礼’。この2枚は1階の食堂の壁に向かい合わせで描かれた。ほかの‘砂に埋もれた犬’(07/3/20)や‘棍棒での決闘’より長くみていたが、夢でうなされるのも嫌だからほどほどのところできりあげた。

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2011.02.15

リベーラ、スルバラン、ムリーリョも見逃せない!

2376_2     リベーラの‘ヤコブの夢’(1639年)

2377_2              スルバランの‘聖女イサベル’(1640年)

2378_2           ムリーリョの‘ロザリオの聖母’(1650年)

2379_2          ムリーリョの‘無原罪のお宿り’(1678年)

グレコの作品がある2階の細長い大きな部屋は25~29の番号がついており、25室にリベーラ、スルバラン、28・29室にムリーリョが割り当てられている。4年前ここはパスしたから今回じっくりみた。

リベーラ(1591~1652)の絵はプラドへ来る前、フェルナンドアカデミーやラサロ・カルディアーノで目慣らしの前菜をいただいたから、メインディッシュへの反応もよい。前回この絵だけはみておこうと思っていたのに時間がなくて実現しなかったのが‘ヤコブの夢’。

これは‘絵でみる聖書・ギリシャ神話’といったコンパクト本には必ず載っている絵で、以前からとても気になっていた。‘ヤコブ’をとると、そこらへんのオッサンが眠っている風俗画。眠っている人物を描いた絵ですぐに思いつくのはゴッホの‘昼寝’(オルセー)、ブリューゲルの‘穀物の収穫’(メトロポリタン)、そしてカラヴァッジョの‘悔悛のマグダラのマリア’(ドーリア・パンフィーリ)。

この3点は‘ああー、気持ちよさそうに寝ているんだ’と傍観者的な見方で終わりなのに、‘ヤコブの夢’は‘この男は一体どんな夢をみているのだろうか?’とつい立ち入って詮索したくなる。不思議な魅力をもった絵である。聖書に書かれている‘天の梯子’は右から射しこむやわらかい光のなかにかすかに描かれている。

06年、東京都美で‘プラド美展’が開催され、スルバラン(1598~1664)の作品が3点展示された。そのなかに‘神の愛の寓意’という目に力のある女性の肖像があった。それ以来、スルバランの女性の絵には関心を寄せている。昨年11月のロンドン訪問では、ナショナル・ギャラリーでカウボーイハットのような帽子を被った‘アンティオキアの聖マルガリア’を楽しんだ。

今回ティッセンでも‘聖女カシルダ’に出会った。そして、プラドの‘聖女イサベル’。またしても目力のある女性が横むきでこちらをみている。強く印象づけられるのは目だけではない。ふんわりした衣服の精緻な描写と白い肌にも惹きつけられる。この絵がやはり最もいい。しばらく息を呑んでみていた。

スペインの画家で心を虜にするのはグレコ、ベラスケス、ゴヤの3強とムリーリョ(1617~1682)。お気に入りのムリーリョの絵は‘ロザリオの聖母’、‘無原罪のお宿り’、そして‘善き羊飼い’(拙ブログ09/9/8)などの幼い聖者を描いた絵。‘ロザリオの聖母’はラファエロの聖母子のように心が癒される。本当にやさしいお母さんという感じ。

‘無原罪のお宿り’は3点あった。どの絵も聖母マリアはスペインの可愛らしい少女そのものだが、天使の数が違う。ここにとりあげたのは沢山の天使が聖母をとり囲んでいるもので、魅力度でいうとこれが一番。あとの2つは天使はぐっと減り下の4人が目立つくらい。ともに日本にやってきた(06/4/2)。

親しみがもてて軽やかな美しさを感じるマリアの前では真に心が洗われる。こういう宗教画ならいつまでもみていたい。

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2011.02.14

プラド自慢のグレコ、ベラスケスの傑作!

2374_2              グレコの‘受胎告知’(1599年)

2375_2             グレコの‘羊飼いの礼拝’(1612年)

2373_3     ベラスケスの‘ウルカヌスの鍛冶場’(1630年)

2372_3     ベラスケスの‘ブレダ開城(槍)’(1634年)

お気に入りのグレコ(1541~1614)の作品は2階のルーム26に飾ってある。2点の追っかけ肖像画‘フェンテ博士’と‘ヘロニモ・デ・セバーリョス’との対面を果たしたあとは、前回時間がなくてパスした‘受胎告知’などの大作をじっくり楽しんだ。そして嬉しいオマケが、どういうわけかトレドのエル・グレコ美にあるはずの‘トレド景観と地図’が展示してある。それともこここが所蔵する別ヴァージョン?

‘受胎告知’で惹かれるのは聖母マリアの卵のような形をした顔と大きな目、そしてマリアの衣の赤と大天使ガブリエルの緑の鮮やかなコントラスト。グレコの内面世界が表現された縦長の宗教画はいずれも神秘的な雰囲気につつまれ劇的な構図で描かれている。

異常に引きのばされたマニエリスム風の人体描写は好みが分かれるところ。マリアはそれほどでもないが、大天使の体の長いこと!中央の聖霊から発せられる光の輝きも目に焼きつく。数多くある受胎告知の絵で黄金色の光がこれほど眩しく描かれたものはほかにない。

‘羊飼いの礼拝’の前にも長くいた。これはグレコが自らの墓所と決めた修道院の礼拝堂に掲げるために描かれたもの。吸い寄せられるのが羊飼いの深紅の衣。生まれたばかりのキリストから放たれる強烈な光にあたり暗闇のなかで輝いている。神の光をあびる年老いた羊飼いはグレコ晩年の肖像といわれている。

プラドにあるグレコ作品(35点)はほぼ鑑賞済みになったので、次の目標はトレドで残っている絵。代表作の‘聖衣剥奪’(拙ブログ05/8/26)や‘オルガス伯の埋葬’(07/3/26)は目に深く刻み込んでいるのだが、サンタ・クルス美にある‘無原罪の御宿り’はまだ縁がない。だから、次回のスペイン旅行ではこれとエル・グレコ美にある聖人の肖像画をなんとしても見ようと思う。

ベラスケス(1599~1660)については昨年4月、日曜美術館が‘ベラスケスの家系はコンベルソだった!’(10/4/5)という興味深い切り口で特集していたので、その分析を思い出しながら‘ラス・メニーナス’などをみていた。‘ラス・メニーナス’は輝いている白い線に惹き付けられて近づきすぎると女の道化のデカイ顔がぼけてみえる。この傑作を楽しむためには、少し離れてみたほうがいい。

作品のなかでは肖像画より風俗画の色合いの強い神話画への関心が高い。画面全体に目が動くのが3点ある。‘ウルカヌスの鍛冶場’、‘織女’(10/4/7)、そして‘酔っぱらいたち(バッカスの勝利’(07/3/19)。大きな絵‘ウルカヌスの鍛冶場’はぱっとみると‘これのどこが神話画なの?’という感じ。でも、このライブな場面がいいのである。

民衆の日常生活のひとこまのなかで神話の題材が描かれているから、見る者はより身近にその神話をイメージできる。左にいるウルカヌスはアポロンから妻のヴィーナスの不貞を聞かされ、ショックを隠しきれない様子。

はじめてここでベラスケスの絵を体験したとき最も感動したのが‘ラス・メニーナス’と垂直に何本も立つ槍が印象的な‘ブレダ開城’。この‘槍’は何度みても魅了される。敗軍の将をこれほどいたわる戦争画がほかにあっただろうか。ベラスケスは本当に心根のやさしい画家である。

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2011.02.13

重点鑑賞画にしていたヴァン・ダイク、プッサン、ラ・トゥール!

2371_2        ヴァン・ダイクの‘茨の冠のキリスト’(1620年)

2369_2     プッサンの‘パルナッソス山’(1631年)

2370_2     プッサンの‘廃墟のある風景’(1633年)

2368_2         ラ・トゥールの‘ハーディガーディを弾く盲人’(1610~30年)

プラド用に準備したリカバリーリストのなかで期待値の高い絵には◎がつけてある。今日はその絵のことを。

プラドは西洋絵画の超ブランド美術館だから、ここの所蔵品は美術本や画集によくでてくる。ヴァン・ダイク(1599~1641)の宗教画、‘茨の冠のキリスト’は手元の週間‘グレート・アーティスト’(95年8月)にちゃんと載っているのに、4年前はティツィアーノやボスの絵に関心が集中していたため、不覚にも見逃した作品。だから、リカバリーの上位にあげていた。

これは過去みたヴァン・ダイクの宗教画のなかでは一番いいかもしれない。描かれたのは画家が20歳のころ。キリストと周りにいる人物の逞しい肉体表現はティツィアーノやルーベンスから強く影響をうけたことを伺わせる。そして、画面構成や明暗表現はカラヴァッジョの絵を彷彿とさせる。横に同じころ描かれた‘キリストの逮捕’があったが、これより‘茨の冠’のほうに断然魅せられた。一生の思い出になりそう。

プッサン(1594~1665)はリストに5点載せていた。そのうち、未見が2点、再会を果たしたいのが3点。成果はこれにプラスαが3点加わり、8点。幸運にもプッサンコレクション全部を一挙にみることができた。プッサンもじつはヴァン・ダイク同様、前回は気持ちが向かってなかった。

プッサンの作品にググッと近づいたのは08年のルーヴル訪問から。このあと、メトロポリタンで偶然‘プッサン展’(拙ブログ08/5/9)に遭遇し、完全に嵌ってしまった。この大回顧展でみた油彩44点にプラド蔵が3点あった。で、あのときの感動を再生産したくて‘廃墟のある風景’、‘建物のある風景’、‘聖ヒエロニムスのいる風景’と会うのを楽しみにしていた。

‘廃墟のある風景’をみていると古代ローマの田園にタイムスリップしたような気分になる。手前の左右に丁寧に描かれた木々は開けられた窓のカーテンのようにみえ、二人の人物の向こうに広がる荘重な風景をみせてくれる。青い空にたなびく白い雲の下、小高い丘に隠れるように建つ神殿風の建物は彫像のある石棺と安定と調和のハーモニーを奏でるかのよう。

お目当ての‘パルナッソス山’は期待通りのいい絵だった。文芸の聖地、パルナッソス山に集まってきた9人の詩人のなかで最も印象深いのが右の青い衣を着た人物。右手を前に出し頭を横にむける姿がカッコいい。心に沁みたのがそのやわらかい色彩と宙を舞うキューピッドの後ろにみえる夕焼けを思わせる雲の輝き。この絵をみたので、プッサンは一休みできる。

カラヴァッジョとともに全点鑑賞を夢見ているラ・トゥール(1593~1652)は2点あった。額のしわや楽器の木肌の豊かな質感描写に魅せられる‘ハーディガーディを弾く盲人’と赤の衣が目に焼きつく‘手紙を読む聖ヒエロニムス’。盲人の絵しか想定してなかったので聖ヒエロニムスのオマケはとても嬉しい。

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2011.02.12

‘ルーベンス展’はサービス精神満点の大回顧展だった!

2364_2        ‘龍を退治する聖ゲオルギウス’(1606年)

2366_2     ‘愛の園’(1633年)

2367_2           ‘レルマ公騎馬像’(1603年)

2365_2     ‘農民の踊り’(1636年)

4年前プラドへ来たときはゴヤ門の2階から中に入ったが、今回はここからではなくゴヤの彫像の前を進み右に曲がったところにあるヘロニモ門から入館した。ツアー客や入場券をもっている人はここがエントランスになっている。入ると広いホールになっていて正面奥にミュージアムショップ、左に2つの展示室がある。

ここは増築された(いつオープン?)ヘロニモ館で、1階と2階にある展示室は特別展に使われる。嬉しいことに1階で‘ルーベンス展’(11/5~1/23)が開催されていた。ただし、出品されているのはすべてプラドが所蔵しているもの。作品数は90点。所蔵品のおそらく9割がでているだろう。まさに自慢のルーベンスコレクションを全部お見せしますという感じ。こういうサービス精神にあふれる特別展は館に対する好感度が大いに増す。お陰で9点あった追っかけ画は1点を除いてみることができた。

バロック絵画最大の巨匠といわれるルーベンス(1577~1640)が生涯に制作した歴史画、宗教画、肖像画、風景画は2000点をこえる。ルネサンスがひとまず終わりをつげたころ、人々は新しい表現を求めていた。そこに登場したのが人物を複雑なポーズで描き激しい動きが画面にあふれるルーベンスの歴史画や神話画。バロック絵画の誕生である。

‘龍を退治する聖ゲオルギウス’はこれぞバロックという感じ。ゲオルギウスのまとっている赤のマントや濃い青の軍服にとても惹きつけられるが、それ以上に気分がハイになるのが画面の激しい動き。馬は対角線上に跳ね上がり、下の龍やゲオルギウス、後ろにいる姫はそれぞれ複雑なポーズをとっている。まるでスペクタクル映画の一シーンをみているよう。とにかくルーベンスの絵には静止しているものが何もなく、生き生きとした動きが満ち溢れている。

ルーベンスはレンブラントとともに肖像画の名手。とくにいいのが妻を描いたものと自画像。二度目の妻は37歳も年が離れた若いエレーヌ・フールマン。色白で目が大きいこのチャーミングな女性は‘三美神’(拙ブログ07/3/24)でモデル(左の女神)をつとめているが、‘愛の園’にも登場する。左から2番目の腰をおろしてこちらを見ているのがエレーヌ。

結婚の幸せを象徴的に表したこの絵で最も心を揺すぶるのは人物たちが身につけている衣裳の色彩。そのビロードのような柔らかい質感と光沢のある色彩のなかでとりわけ印象深いのが左端の男性の赤、そのふたつ隣の女性の濃い青、そして中央で座っている女性の黄色。これほど色彩に酔わされる絵はそうない。夢中になってみた。

今回リカバリーを果たした画にもいいのがあったのだが、こういう風にルーベンスの傑作が全部でてくると、すでにみていても感動の大きいものをとりあげたくなる。‘レルマ公騎馬像’はすばらしい肖像画。騎馬像は元々古代ローマの皇帝の肖像彫刻の一形式だったが、ルーベンスは横向きではなく大胆にも正面からとらえた。今にも馬がこちらに突進してくるような迫力が感じられる。

‘農民の踊り’をみているとすぐ昨年11月のロンドン美術館めぐりで楽しんだ‘ステーンの城館のある風景’(ロンドン・ナショナル・ギャラリー、10/12/25)、‘虹のある風景’(ウォレス・コレクション、10/12/17)が思い起こされた。

どれも農民が描かれた心地のいい風景画。でも、この‘農民の踊り’は風景があまり意識されず、視線は渦巻きのような踊りの輪の中にむかう。男女の踊りは躍動感があり表情は生き生きしているが、サテュロスをイメージさせる男が踊りながら女に言い寄る危ない場面にも目がとまる。ブリューゲルの‘農民の踊り’とは一味も二味も違うところがルーベンス流。

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2011.02.11

アンニーバレ・カラッチにのめり込みそう!

2363_2         コレッジョの‘我に触れるな’(1525年)

2360_2       カラヴァッジョの‘ゴリアテを負かしたダヴィデ’(1600年)

2361_2    アンニーバレ・カラッチの‘ヴィーナス、アドニスとキューピッド’(1590年)

2362_2    グイド・レーニの‘アトランテとヒッポメネス’(1612年)

今回のプラド美訪問でリカバリーしたい作品のリストは4年前に購入した館の図録(日本語版あり)と手持ちの美術本をチェックして作成したが、その数はおよそ70点。ここはルーブル、ロンドンのナショナルギャラリーと並ぶ西洋絵画の殿堂だから、お目当てのものが目の前に現れてくれるとすごく幸せな気分になるし、逆に展示されてないと落胆度も大きい。とにかくここには名画がいっぱいある。

大きな感動をもらうのは追っかけ画に出会ったときと、もう一つまったく情報のなかった絵がひょいと姿をみせてくれるとき。今日紹介するのは必見リストに入ってなく再会を楽しんだ絵3点と図録に載ってなかったすばらしい絵1点。

‘我にふれるな’という画題で描かれた絵はこれまでいくつかみてきたが、ここにあるコレッジョ(1489~1534)のものとロンドンのナショナルギャラリーにあるティツィアーノのものに最も惹かれている。コレッジョのこの絵は両手を横に大きく広げるキリストと跪くマグダラのマリアが対角線の構図で描かれているので、バロックの絵のように画面に動きと緊張感が生まれている。

カラヴァッジョ(1571~1610)の強い明暗法で描かれた‘ゴリアテを負かしたダヴィデ’はよく目にするダヴィデの絵とは画面構成がちょっと違う。普通ならダヴィデの姿をもっと印象づけるような描き方をするのだが、カラヴァッジョはあえてダヴィデの顔を暗くし、見る者の視線が地面に横たわるゴリアテの首に向かうように描いている。また、ダヴィデは強そうにはとてもみえず、冷静さを装っている感じ。ダヴィデはほんの小僧っ子なのだから、びっくり仰天の結末にドラマ性をもたせるにはこういう少年の生の姿のほうがかえってゾクゾクッとする感情をいだくかもしれない。

今回絵の前で立ち尽くしていたのは昨日とりあげたティントレットの絵とカラッチ(1560~1609)の描いた‘ヴィーナス、アドニスとキューピッド’。この絵は前回みたという記憶がない。昨年、‘カピディモンテ美展’(西洋美)でみた‘ルナルドとアルミーダ’(拙ブログ10/6/29)に大変魅了されたが、この絵の動きのある人物描写とヴィーナスの肌のやわらかさにも心が揺すぶられる。こうなるともうカラッチへまっしぐら。ナポリのカポディモンテ美で‘分かれ道のヘラクレス’をなんとしても見たくなった。

カラッチの影響を強くうけたボローニャ派のグイド・レーニ(1576~1642)の‘アトランテとヒッポメネス’は前回同様、どうしても足がとまる。なぜかNHKのテレビ体操にでてくる女性たちを連想してしまう。暗い背景には左右に人物たちが小さく描かれているがそこに視線はいかず、リズミカルな動きをみせる二人の均整美に酔いしれていた。この絵の別ヴァージョンが西洋美にもやってきたから、グッとみつめられる方が多いのではなかろうか。

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2011.02.10

200%KOされたティントレットの大作!

2359     ベリーニの‘二人の聖女に囲まれた聖母子’(1490年)

2356     ティツィアーノの‘キリストの埋葬’(1559年)

2357     ティントレットの‘使徒の足を洗うキリスト’(部分 1547年)

2358     ヴェロネーゼの‘ヴィーナスとアドニス’(1580年)

プラドにあるイタリア、ヴェネツィア派の画家の作品のなかで数が多いのがティツィアーノ(1485~1576)。なにしろ36点もあるから作品をローテーションしながら展示している。だから、一度の訪問ではとうてい見きれない。

4年前、必見リストを手に握り締め、興奮状態で1階と2階にある展示室をみてまわった(拙ブログ07/3/23)。‘バッカス祭’や‘ヴィーナスへの奉献’などお目当ての作品をかなりみることができたが、展示されてなかったのも結構あった。で、今回中心にみるのはそのリカバリー作品8点。幸運にも皆みることができた。そしてプラスαが4点。12点も新規の絵に遭遇したのだから言うことなし。

ここは展示場所がよく変わるが、ヴェネツィア派の作品は現在1階の50、52-A,B,Cの4室に展示されている。今回ティツィアーノでとくに魅せられたのは‘キリストの埋葬’の色彩。画面には光があふれ、死せるキリストのだらりとした腕をもつ聖母の青の衣裳と足を持つ男が身につけている深紅の服が輝いている。こういう色彩をみるとテンションはいやがおうでも上がる。

この絵同様、鮮やかな色彩に震えたのがベリーニ(1434~1516)の‘二人の聖女に囲まれた聖母子’。これは事前の情報がなかった絵だが、昨年ヴェネツィアのアカデミア美でみた絵(10/2/3)のデジャ・ヴュを見ている感じだった。二つの絵は右の聖女は変わっているが、聖母と左の聖女はまったく一緒。無地の背景に浮き上がる3人を息を呑んでみていた。

今回の大当たりはティントレット(1519~1594)の大作‘使徒の足を洗うキリスト’。縦は2.1m、横はなんと5.33mある。横長のワイド画面は演劇の舞台を観ているよう。画像は右端でキリストが弟子の一人、ペテロの足を洗おうとしている場面。キリストに横から光を当て首のあたりを暗くしている。その明暗のコントラストがキリストの謙虚な姿勢を見る者に一層印象づけている。

釘づけになるのは明暗表現だけではない。奥行きのある空間に立ち尽くしてしまう。左の奥に消失点をもってくる遠近法がつくりだすこのワイドな空間に弟子たちや犬、そしてキリストを配置し、受難の一場面を描いている。4年前、ちょうど特別展‘ティントレットとヴェロネーゼ展’が行われており、残念ながらこの絵はみれなかった。図版のイメージとは違い本物がこれほどすばらしい絵だったとは。200%KOされた!

4点あったヴェロネーゼ(1528~1588)の絵では大きな絵‘博士たちと議論するキリスト’と‘ヴィーナスとアドニス’の前に長くいた。‘ヴィーナスとアドニス’ではヴィーナスの膝枕で寝ているアドニスの橙色の衣裳が目に焼きつく。おもしろいことに二匹の狩猟犬(イタリアン・グレーハウンド)を含めて皆体をくねらせている。これによってうまれる動感に目が吸い寄せられる。

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2011.02.09

時間があればいつまでもみていたいボスの絵!

2352     ボスの‘7つの大罪’(1480年)

2354         ボスの‘放浪の旅人(行商人)’(1510年)

2353     ブリューゲルの‘死の勝利’(1562年)

2355         ファン・デル・ウェイデンの‘聖母子’(1435年)

プラドへ最初に来たとき関心の的はベラスケスの‘ラス・メニーナス’とゴヤの‘裸のマハ’だったが、2回目からはこれにボス(1450~1516)の絵が加わった。怪奇ワールドの‘快楽の園’に心を奪われたのである。だから、作品が展示してある1階の56A室へ行く順番も早めになる。

前回は‘快楽の園’(拙ブログ07/3/21)の鑑賞に時間をあまりとらず、リカバリーの‘乾草車’や‘阿呆の治療’、‘東方三博士の礼拝’、‘聖アントニウスの誘惑’を夢中になってみた。今回必見リストに載せているのは前回展示されてなかった‘7つの大罪’と‘乾草車’の三連祭檀画の両翼外側に描かれた‘放浪の旅人’の2点。だから、この部屋は余裕の裕ちゃん。

‘7つの大罪’は中央下から時計回りに‘怒り’、‘嫉妬’、‘大食’、‘怠惰’、‘好色’、‘傲慢’の罪が描かれている。これはテーブルの上にあるのでぐるっと回ってみる。風俗画仕立てだから、じつにおもしろい。四隅の円形画‘死’、‘最後の審判’、‘地獄’、‘栄光’のなかではどうしても‘地獄’に目が寄っていく。

‘放浪の旅人’は両翼の横に立ってみた。前回はとても忙しくみたので、これまで気が回らなかった。左右をつなげるとこういう絵になる。中央に大きく描かれた旅人の後ろを振り返る姿が強く印象に残る。まわりには体が硬直する光景が描かれている。左後方では男が拷問され、手前には馬の死骸がある。この旅人は改悛し、こういう危うい世界から逃れようと意を強くしているのかもしれない。

ブリューゲル(1525~1569)の‘死の勝利’は2度目だから、しっかりみた。これはみればみるほど怖い絵。骸骨たちは人間たちを捕まえては容赦なく死の国へ送り込んでいる。道化がおり、貴婦人は骸骨に抱きかかえられて逃げまどっている。また、鎧を着た騎士の傍らには骸骨が寄り添っている。圧倒的な迫力をみせているのが痩せた馬に乗り大鎌をふりまわしている死神。これは人は身分、職業を問わず誰にでも死が訪れるという‘メメント・モリ(死を思え)’の寓意画で、ブリューゲルはヨーロッパ各地で描かれていた‘死の舞踏’を参考にして独自の死の美術をつくりあげた。

前回‘十字架降下’(07/3/22)というすばらしい絵をみて開眼したファン・デル・ウェイデン(1399~1464)にもう一点いいのがあった。‘聖母子’。ヤン・ファン・エイクの絵同様、聖母の目の覚めるようなの赤の衣装を精緻な質感描写で細部までていねいに描く画力にはほとほと感心させられる。

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2011.02.08

ルネサンス絵画の傑作が並ぶプラド美術館!

2349_2           ラファエロの‘魚の聖母’(1514年)

2350_2          ラファエロの‘枢機卿の肖像’(1511年)

 2348_2     フラ・アンジェリコの‘受胎告知’(1426年)

2351_2          デューラーの‘アダムとイヴ’(1507年)

どのツアーでもマドリード観光にはプラド美術館の見学が必ず入っている。人にもよるだろうがスペイン旅行の楽しい思い出というと、マドリードのプラド、バルセロナのガウディ、そしてグラナダのアルハンブラ宮殿をあげる人が多いのではなかろうか。

普段は絵画にあまり縁のない方はプラドに入館したら、とりあえずはベラスケスの‘ラス・メニーナス’とゴヤの‘裸のマハ’だけは話のタネに見ておこうということになるにちがいない。今回の鑑賞時間は1時間半。このくらいあると時間をあまり気にせずガイドブックに必見マークがついている名画を楽しむことができる。

でも、美術好きにとってはあれもこれもみないといけないから館内ではとても忙しい。作戦は二段構え、必見リストに載せている絵が首尾よく全部みれればよし、もし時間が足りなかった場合は翌日に再訪問。結果的には、2回の見学になった。トータル3時間半。‘これぞ、プラドの名画!’を目いっぱい紹介したい(10回)。

07年のときとりあげた作品とはできりだけかぶらないものを選んだ。今回2日にわたって所蔵品をじっくり見みたが、やはりここはすごい美術館。魅了される絵が本当に沢山あるから、西洋絵画を見たぞ!という気になる。数の多いベラスケスとゴヤらのスペイン絵画に目を奪われがちだが、スペイン以外の作品にも思わず足がとまるのが数えきれないほどある。

イタリアルネサンスで目を楽しませてくれるのがラファエロ(1483~1520)。弟子たちの手がはいるのもあるが全部で4点。再会を楽しみしていた‘シシリアの苦難’はなぜか展示されてなかった。お気に入りは祭檀画の‘魚の聖母’。イエスを抱くやさしい聖母の姿をみていると自然と心が落ち着く。

題名は左で魚をもっているトビアスという若者の話に由来している。トビアスは旅路で大天使ラファエロに付き添われて一匹の魚をとらえ、その胆汁を失明している父親に飲ませた。すると、奇蹟がおこり目がみえるようになった。これはユダヤの古い物語。

ラファエロの肖像画のなかで‘枢機卿の肖像’に大変魅せられている。4年前はすでにみているのでさらっと流したが、今回は枢機卿の着るケープの鮮やかな紅色と裾の白の対比を食い入るようにみていた。

前回とりあげたフラ・アンジェリコ(1395~1455)の‘受胎告知’(拙ブログ07/3/22)をまた選んだのはあるものをしっかり目に焼き付けたから。聖霊の鳩が飛んできた道筋を示す金色の光線が左上から斜めにのびているが、そのはじめのところに父なる神の手がみえる。この手をじつはみたかったのである。

昨年、フィレンツェのサン・マルコ美で‘嘲弄されるキリストと聖母と聖ドメニコ’に描かれた平手打ちを加えたり棒で殴りつけたりする手に衝撃をうけた(10/2/19)。そして、マグリットのシュールな絵に登場する手はこれに霊感を受けたことを直感する(10/4/14)。で、以前は見逃していたこの受胎告知にでてくる神の手をしげしげと眺めていた。

ここへ来るたびに強く印象づけられるのがデューラーの美しい‘自画像’(07/3/24)と‘アダムとイヴ’。それにしてもこのアダムとイヴは背が高い。ドイツ人は大きいから、つい身近な人間をイメージして二人を長身にしたのであろう。

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2011.02.07

カイシャフォルムで‘ダリ・ロルカ展’に遭遇!

2343_2        複合文化施設 カイシャフォルム

2346_2           ダリとロルカの写真(1927年)

2345_2         ダリの‘ギターを演奏するピエロ’(1925年 ソフィアセンター)       

2344_2   ダリの‘ネオキュビスト・アカデミー’(1926年 バルセロナ・モンセラー修道院美)

2008年にオープンした複合文化施設 カイシャフォルムはティッセン美の前の歩道をソフィアセンターへ向かっていく途中にある。常設展はなく、特別展のみ。日本でいうと最近ホームランを打ち続けている国立新美のような存在。事前に入手した情報からは現代アートの企画展のイメージ、ガイドブックには載っておらず正確な所在地は確認できてなかった。だから、ここは時間があればでかけるというオプション扱いにしていた。

開館時間は10時~20時。入場無料。無料なのはここが社会福祉事業で名高いスペイン大手銀行ラ・カイシャの文化施設だから。ソフィアセンターをみる前に場所を確認し、幸運にも‘ダリ・ロルカ展’をやっていることがわかったので、プラドをみたあと入館することにした。

建物のなかをぐるぐるまわる余裕はなかったが、インテリアや照明、置かれているオブジェなどをみると頻繁に来たくなるような建築空間であることは確か。特別展は4階の一番広い2フロアにわたる展示スペースで行われていた。若い男女が大勢押し寄せているので、ここはソフィアセンターとともにコンテンポラリーアートを楽しむ人気のアートスポットになっているのだろう。

‘ダリ・ロルカ展’は熱い交友関係で結ばれお互いに影響しあったダリ(1904~
1989)と20世紀のスペインを代表する詩人、ガルシア・ロルカ(1898~1936)の創作活動に光を当てたもの。展示されているのはダリのシュルレアリスム以前の作品やキュビスト、ロルカの素描、そしてロルカの詩、二人が交わした手紙など。スペイン語はわからないので詩や手紙類はさらっと一瞥し、絵だけに集中した。

ソフィアセンターに展示されてなかったダリのキュビスム画‘ギターを演奏するピエロ’が思わぬところで現れてくれた。ダリの画風は昨日とりあげた‘窓辺の少女’のような写実的な人物画、キュビスム風の絵を経て1927年頃からシュルレアリスム作品へと大きく変わっていく。今回ソフィアセンターとここでキュビスムの絵いくつもみた。これは今まで体験しなかったことなので素直に嬉しい。

‘ギターを演奏するピエロ’では中央の子供が描くようなピエロがダリで、横の影がロルカ?それとも逆の関係?ピカソが新古典主義の時代に描いた彫刻のような人物を彷彿とさせるのが‘ネオキュビスト・アカデミー’。画集で知っていたこの絵を収蔵するのはバルセロナにある修道院。とても大きな絵だった。

普通なら一生縁のない絵。‘犬も歩けば棒に当たる’とはいえ、マドリードでこの絵に遭遇するとは頭のどこにもない。ダリの絵で心が占領されているのをミューズが目にとめてくれ、バルセロナから出張させてくれたのかもしれない。感謝のアシストである。

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2011.02.06

刺激的なダリの作品にアドレナリンがドッとでた!

2339_3        ‘窓辺の少女’(1925年)

2340_2     ‘大自慰者’(1929年)

2342_2           ‘見えない男’(1929年)

2341_2     ‘永遠の謎’(1938年)

ゴヤとともに今回のマドリード美術館めぐりで重点鑑賞画家にしていたのがダリ(1904~1989)。念願の柘榴とトラの絵をティッセンで目のなかにおさめた、次はソフィアセンターでダリワールド、パートⅡ。必見リストはダリの絵で埋め尽くされているので気がはやる。

作品はルーム206(日本の3階)で追っかけ画12点が全部みられるものと思っていた。実際は、この部屋で終わりでなく、彫刻やコラージュ風のオブジェを含むダリ作品はこの階の各部屋に分散して展示してあった。その数はおよそ25点。

ダリのシュルレアリスム以前の作品で関心が高かったのが‘ルイス・ブニュエルの肖像’、‘窓辺の少女’、‘背中を見せて座る女性’。‘窓辺の少女’のモデルはダリの妹。画面には静けさが漂っており、少女は窓にもたれかかり穏やかな海をなにげなしにみている様子。窓のカーテンと衣服のしわのリアルな質感描写にじっと見入ってしまう。

206室に展示してあるシュルレアリスムの絵は圧巻だった。その刺激的でシュールな世界につつまれ快感モードは全開!アドレナリンがドドッとでてきた。最もみたかったのが幻覚的な雰囲気の漂う‘大自慰者’。視線がまず向かうのは化粧品会社の宣伝ポスターにでてくるような女性の顔と肩。画面の大半を占めるのはダリ自身の横向きの頭部。髪はきれいに分けられ、瞳のない目には長いまつげが細い線で引かれている。

鼻の下から口にかけて大きなイナゴがいる。もう死んでいるのか体のまわりをこれまたお馴染みの蟻が忙しく動き回っている。この顔オブジェがあるのは広い台地。遠くの地平線にいたるまで視界を遮るものはなにもない。地面に長くのびる3人の人物とダリの大きな鼻の影をみているとデ・キリコの絵がふと目の前をよぎった。

ダリの絵というとダブルイメージ。二つの絵が目を楽しませてくれる。拡大画像でどうぞ。‘見えない男’は長くのびた体が腰のあたりで分断されているので、上半身とか下半身だけじっとみていると全体像のダブルイメージがつかめない。でも、ダリの仕掛けは巧妙だから、どうしても下の青い燭台みたいなものに強く引きずられて、その先端に男の白い手があることに気づかない。また、下のほうにも幽霊みたいだが足の指の先がみえる。これに比べると顔や腕は楽。

‘永遠の謎’はダブルイメージをこえた上級マルチイメージが表現された絵。この絵が展示されたとき、カタログで6通りの読み方が解説された。

1.頬杖をついて横になっている男
2.テーブルの上に乗っているグレーハウンド犬
3.左向きに走るグレーハウンド犬
4.大きな石のような顔をして髭をはやした男の顔
5.果物の盛られた鉢とマンドリンのある静物
6.小さく後ろ姿で描かれた座る女と船のある浜。

おおよそイメージできるのは1、3、4。全部読まれた方には上級者認定状とメダルが
ダブルイメージ愛好会から届くことになっている。

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2011.02.05

ソフィアセンターのお目当てはピカソの‘青衣の女’とダリの絵!

2335_2     国立ソフィア王妃芸術センター

2336_2       ピカソの‘青衣の女’(1901年)

2337_2     ミロの‘椰子の木のある家’(1918年)

2338_2        ミロの‘パイプをくわえる男’(1925年)

国立ソフィア王妃芸術センターを訪問するのは3度目。でも、美術館までの道順がしかと頭に入っているわけではない。07年のときはプラドから近くまでバスで行きそこからガイドさんのあとをついていくだけ。今回は自力、プラドからアトーチャ駅をめざして歩いた。はじめていくようなものだから、到着するまでは小さな不安はどうしてもある。そろそろかなと思っていると右手にガラス張りのエレベーターの塔がみえたのでホッとした。

土曜は2時半から入場すると無料。これはありがたい。中に入って館内マップを手に入れようとしたが、どういうわけかここは作ってない。マップパンフレットがない美術館はほかにあった? で、廊下にある各階展示室の表示をみて、常設展示のある3階へエレベーターで上がった。今回は時間の関係でこの階だけの鑑賞。頭の中がダリ、ダリ、、だからまずルーム206(日本でいう3階)へ行き、そのあとピカソの‘ゲルニカ’を展示するルーム208など各室をまわった。今日の話はピカソ、ミロでダリの絵は明日。

‘ゲルニカ’(拙ブログ07/3/25)のある部屋は相変わらず大勢の人がいる。今回はこの絵をはじめ下絵や‘ハンカチをもって泣く女’はさらっとみて、どんどん他の部屋へ進んだ。ピカソの作品は208以外にも沢山展示してある。そのなかの追っかけ画は‘青衣の女’。

これは20歳のピカソがパリへ2度目にやってきたときに描かれたもの。いわゆる‘青の時代’の作品。4年前もみたかったが、このときはゲルニカだけの見学だったから、縁がなかった。印象深いのが赤い唇と大きくて鋭い眼差し。こんな強烈な目をした女性と実際に会ったら、たじたじになりそう。

シュルレアリストでとくに気に入っているのがミロ、ダリ、マグリット、デルヴォー、クレー。ここはスペインの美術館だから、やはりミロとダリがこれでもか、というくらいある。ミロ(1893~1093)の絵に嬉しいのがあった。それは02年の‘ミロ展’(世田谷美)に出品された‘椰子の木のある家’。ここの所蔵だということをすっかり忘れていたので、突然目の前に宝物が現れたような気分。ミロの初期の作品としては安定感があり完成度の高いものである。

20数点あったモティーフが記号化されたミロの絵のなかで、題名がよくイメージできるのが‘パイプをくわえる男’。漫画風の線描きはとてもユーモラス。ニヤニヤしながらみていた。必見リストに載せていた1点が展示されてなかったのが心残りだが、ルーム208で‘カタツムリ・女・花・星’(07/3/25)とも再会できたからトータルでは大きな満足が得られた。

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2011.02.04

ダリの柘榴とトラの絵に200%吸い込まれた!

2331_2     ダリの‘目覚めの直前、柘榴のまわりを蜜蜂が飛んで生じた夢’(1944年)

2332_2      ピカソの‘鏡を持つアルルカン’(1923年)

2334_2            カンディンシキーの‘明るい卵の中に’(1925年)

2333_2       ロスコの‘無題・紫の上の緑’(1960年)

3階、2階では予想を大きく上回る質の高い作品に強く心を奪われ、気分はかなりハイになった。そのため、お目当てのど真ん中にあるダリの絵をつい忘れそうになる始末。で、われに返り、展示されている部屋を係員に尋ね、1階へ急いだ。

ダリ(1904~1989年)が1944年に描いた絵には長ったらしい名前がついている。‘目覚めの直前、柘榴のまわりを一匹の蜜蜂が飛んで生じた夢’。視線が集中するのが2頭のトラ。ダリの描写力は超一級の腕前だから、その獰猛さに思わず後ずさりしてしまう。度肝を抜かれるのは出現の仕方。左のトラは魚の口から出てきた!その魚はというと、その後ろの柘榴から生まれている。そして、二粒の実がパラッと描かれている。

題名の‘、、、柘榴のまわりを飛んできた一匹の蜜蜂、、、’はどこ?画像では拡大しないと見つけにくいが、裸婦の腰の下のところにおり、小さな柘榴のまわりを飛んでいる。この画面に登場するものはトラにしろ裸体のガラにしろ、後ろにみえる細いクモのような足をした象にしろ、皆中空に浮揚している感じ。

この絵は何年前だったか(40年くらい前?)忘れたが、一度日本にやってきている。二度目の出品はないから、ある時期まで鑑賞をほとんど諦めていた。じつは2年前にこの絵を紹介したとき(拙ブログ09/1/17)はまだスイスのルガノにあると思っていた。なにかの拍子でマドリードに移っていることに気づいたのは半年くらい前のこと。で、俄然マドリードに行きたくなった。カラヴァッジョの絵も所蔵しているのだから、もうティッセンへ一直線。念願の絵がみれて最高の気分。

スペインガイドブックの中で必見マークがついているのがピカソ(1881~1973)の古典主義時代に描かれた‘鏡を持つアルルカン’。とてもいい絵。昨年11月、パリのオランジュリー美で‘タンバリンを持つ女’(1925年)に惹かれたが、このアルルカンのほうが長くみていた。

ここにはキュビスム、シュルレアリスム、ダダイズム、オルフィスム、エコール・ド・パリ、表現主義、未来派、抽象表現主義、カラー・フィールド・ペインティング、、なんでもある。ただ、どういうわけかマティスはみかけなかった。数が多いのがドイツの画家の絵、キルヒナー、ベックマン、グロス、マルク。質の高いのが揃っているので目に力が入った。

ロシア人だが青騎士のカンディンスキー(1866~1944)も4、5点あった。そのなかで追っかけ画‘明るい卵の中に’に大変魅了された。この絵はポンピドーにある‘黄ー赤ー青’(08/2/14)のようなすっきり抽象画なので、ウキウキ気分。そして、具象が残る絵、‘ミュンヘンのルートビッヒ教会’も目を楽しませてくれた。

アメリカ人作家ではポロック、ロスコ、ステラ、デ・クーニング、ルイスなどの作品があったが、一番の収穫はロスコ(1903~1970)の‘紫の上の緑’。ロスコは大好きなアーティスト、ポンピドー蔵の‘赤の上の黒’(10/12/11)に続いて、マドリードでこんないい絵に出会えるとは思ってもみなかった。現代に生きる人々のデリケートに揺らぐ内面を表現しているように感じられる暗い紫の色面を立ち尽くしてみていた。

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2011.02.03

目を楽しませてくれる印象派・アメリカ絵画!

2329_2     ホッパーの‘ホテルの一室’(1931年)

2327_2     ドガの‘帽子店にて’(1883年)

2330_4      ゴーギャンの‘マタ・ムア(むかしむかし)’(1892年)

2328_4      コンスタブルの‘水門を通過する舟’(1824年)

印象派やポスト印象派の作品は2階に展示してある。手元の画集などからピックアップした追っかけ画はマネ、ドガ、ロートレック、ゴーギャンなど5点。幸いなことに皆みることができた。目を楽しませてくれたのはこれだけではない。プラスαがぞくぞくでてきた。まったくすごいコレクションである。

最も驚いたのがアメリカ人画家の絵。ホッパー(3点)、オキーフ(4点)、サージェント(1点)、さらにハドソンリバー派のトマス・コール、エドウィン・チャーチ、アルバート・ビーアスタッドまであった。このなかでとくに魅せられたのがホッパー(1882~1967)の‘ホテルの一室’とサージェントの大きな女性の肖像画。残念でならないのがサージェントの絵、図録に載ってなく、絵葉書も用意されてないのでとりあげようがない。

‘ホテルの一室’は代表作の‘夜更かしをする人々’(拙ブログ08/4/8)同様、大都市における孤独感がひしひしと伝わってくる絵。この絵はどこかで見た覚えがあるなと思っていたが、帰ってチェックしたらシカゴ美であった‘ホッパー展’の図録に載っていた。でも、シカゴ会場では展示されてなかったからいいリカバリーになった。

同じことがいえるのがゴーギャン(1848~1903)の‘マタ・ムア’。この絵はロンドンのテート・モダンで開催された‘ゴーギャン展’(10/12/13)の図録にでているが、出品されるのはワシントン・ナショナル・ギャラリーのみ。リカバリーが二つもあったのだから運がいい。‘マタ・ムア’は鮮やかな赤や紫の色面と大きな木をはさんで手前の笛を吹く女と後ろの横向きの月の女神ヒナを対角線に配置する構図に魅せられる。ゴーギャンの絵はほかに4点あった。

ドガ(1834~1917)は3点、追っかけ画の‘帽子店にて’(10/8/27)と‘緑の踊り子’と‘ある風景の中の競馬’。ドガは昨年横浜美であった‘ドガ展’、ロンドンのコートールド美、そしてここと名画に恵まれている。また、必見リストに入れていたマネの‘乗馬服姿の女’にも足がとまった。

もう1点嬉しい絵があった。それはコンスタブル(1776~1837)が最も充実していた
1820年代の半ばに描かれた‘水門を通過する舟’。昨年11月、ロンドンの3つの美術館でコンスタブルの傑作をみたばかりだから、この絵に熱く反応した。

よくみると森美の開館記念展にやってきたロイヤル・アカデミー蔵のものとそっくり。別ヴァージョンがあったのか!という感じ。じつは森美に展示された絵をみてコンスタブルに開眼した。だから、この絵を感慨深く夢中になってみていた。

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2011.02.02

念願のカラヴァッジョの‘アレクサンドリアの聖カタリナ’と対面!

2326_3        カラヴァッジョの‘アレクサンドリアの聖カタリナ’(1597年)

2325_2       グレコの‘受胎告知’(1576年)

2324_2     クラナハの‘泉のニンフ’(1534年)

2323_2          ゴヤの‘パケーテ親爺’(1820年)

ティッセン・ボルネミッサ美の3階に展示してある14世紀~18世紀の西洋絵画がこれほど充実しているとは思ってもみなかった。イタリア、スペイン、フランドル、オランダ、ドイツで活躍した有名な画家の作品が次々と現れるのだから、サプライズの連続。目にとまった画家をあげてみると。

ギルランダイオ、ベリーニ、カルパッチオ、ティツィアーノ、ティントレット、ピエロ・デラ・フランチェスカ、コスタ、ブロンジーノ、コレッジョ、デューラー、グリーン、クラナハ、ホルバイン、クリストゥス、カラヴァッジョ、グエルチーノ、オラツィオ・ジェンティレスキ、リベラ、バビューレン、ホントホルスト、グレコ、スルバラン、ムリーリョ、ゴヤ。そして、簡易版の美術館図録(日本語版あり)に載っているのに、今回不運にもお目にかかれなかったのがヤン・ファン・エイク、ルーベンス、レンブラント。

この中で最もみたかったのがカラヴァッジョ(1571~1610)が描いた‘アレクサンドリアの聖カタリナ’。処刑具の壊れた車輪、剣があり、赤いクッションのところに殉教者を意味する棕櫚の葉がみえるから、この絵が宗教画であることは理解できるが、じっとみていると風俗画をみている気分になる。カラヴァッジョの絵に強く惹きこまれるのは描かれた人物が男でも女でも生の感じがするから。このモデルだってローマの街を歩けばすぐにでも出くわす。それにしてもすごい目力をしている。念願の絵に会えたのでテンションがぐっとあがった。

マドリードにはまだ見ていないカラヴァッジョの絵がもう1点ある。それは王宮が所蔵する‘サロメ’。この絵も一気に済みにしたかったが、王宮に行けば必ずみれるという確認がとれなかったので、今回はティッセンだけでよしとした。カラヴァッジョ作品全点鑑賞をライフワークにしているが、これはそれを思っていること自体が楽しい夢みたいなもの。

今、見れる可能性の点から次の目標としているのは‘サロメ’とナポリにある‘慈悲の七つの行い’&‘聖ウルスラの殉教’、ロンドンのクイーンズコレクションの‘ペテロとアンデレの召喚’、そしてポツダムのサン・スーシー宮殿にある‘聖トマスの不信’。順番はラフには決まっている。

グレコ(1541~1614)の‘受胎告知’はイタリア時代の作品。色使いや構図はヴェネツィア派のティツィアーノやヴェロネーゼの影響がみられ、人物描写は体がマニエリスム風に不自然にのびてなく、画面構成も調和がとれたものになっている。この絵はじつは1986年、西洋美であった‘グレコ展’でみた。このときは所蔵先が‘ルガノ ティッセンボルネミッサ・コレクション’となっていた。

この大グレコ展を体験してグレコにのめりこむようになった。Myカラーが緑&黄色なのはグレコの輝く緑に魅せられたから。驚かせる絵がまだあった。プラドにある‘受胎告知’とまったく似た絵が目の前に現れた。別ヴァージョンがあったとは!さらにもう1点いいのがあった。ここで3点もグレコに会えるなんて想定外、ミューズに感謝。

ドイツの画家では昨日のデューラーの絵同様、クラハナ(1472~1553)の‘泉のニンフ’の前に長くいた。これは08年、ワシントンのナショナルギャラリーでみたもののヴァージョン。この絵は当時最も人気があり、10点近くのヴァージョンが制作された。横たわるヴィーナスの肌の白さと精緻に描かれたまわりの草木に目が釘付けになった。

必見リストに入れていたゴヤ(1746~1828)は2点。だが、フロリダ礼拝堂の天井画の制作でゴヤに協力した画家の肖像画は残念ながら展示されてなかった。無宿の盲人を描いた‘パケーテ親爺’は‘黒の絵’シリーズをイメージさせる人物描写だが、笑っているせいか親しみを覚える。そして‘鰯の埋葬’(王立サン・フェルナンド美術アカデミー)では男が掲げる幟によく似た目あきの顔が大きく描かれていたことをすぐ思い出した。

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2011.02.01

質量ともにびっくり仰天のティッセン・ボルネミッサ美!

2319_2     ティッセン・ボルネミッサ美

2322_2          ギルランダイオの‘トルナボーニの肖像’(1490年)

2320_2          カルパッチオの‘風景の中の若い騎士’(1510年)         

2321_2     デューラーの‘学者たちの中のキリスト’(1506年)

ティッセン・ボルネミッサ美はプラドの斜め向かいのところにある。開館したのは1992年、4年前マドリードに来たときも関心の高かった美術館だったが、自由時間がなく縁がなかった。

ガイドブックにはプラド、ソフィア王妃芸術センターと合わせて‘マドリード三大美術館’と呼ばれていると書いてあったが、入館してみて美術館の格付けとしてはその通りだと思った。14世紀~20世紀までの西洋絵画がざざーっとみることができ、その数はびっくりするほど多く、心を奪われる絵がここにもあそこにもあるという感じ。大きな感動をもらったので4回にわたって紹介したい。

作品の流れとしては3階からみていき、2階、1階へ降りてくると中世、ルネサンス絵画から20世紀のピカソ、ダリ、抽象絵画、現代アートまで楽しめるようになっている。展示室の横の通路には自然光が差し込み、館内はとてもいい雰囲気。こういう美術館ならまた来たくなる。

少ないながら事前に集めた作品情報の元になっているのは週間‘世界の美術館 プラド美③とティッセン美’(小学館 09.8.6)と手持ちの美術本。美術本では大半が作品の所蔵先として‘ルガノ ティッセン・ボルネミッサ・コレクション’となっているから、まだスイスのルガノにもコレクションの一部があるのかなと思っていた。だが、これは勝手な想像でティッセン・ボルネミッサ男爵、父子2代のコレクションは全部ここに移ってきていた。

‘世界の美術館’で知ったギルランダイオ(1449~1494)の‘トルナボーニの肖像’は期待通りのはっと息を呑むような肖像画だった。じっとみてしまうのがモデルの金髪の巻き毛と精緻に描かれた衣装の装飾図柄。なんともリアルな質感を感じさせる描写である。昨年、フィレンツェにあるサンタ・マリア・ノヴェッラ教会でみた見事なフレスコ画(拙ブログ10/2/22)を思い出しながらいい気分になっていた。

カルパッチオ(1460~1526)はヴェネツィアのアカデミア美(10/2/6)で開眼した画家だから、ここで‘風景の中の若い騎士’に会えたのは大変嬉しい。真ん中に立つ騎士の凛々しい姿に見蕩れたあと、視線はまわりにいる白テンや草花、そして背後の風景にむかう。ボスの絵同様、対象が細かいところまで丁寧に描かれているのでその場所のイメージがよくつかめる。

デューラー(1471~1528)の‘学者たちの中のキリスト’は随分前から図版でみていたが、やっと本物をみることができた。大方の人は中央のキリストをみて‘この人物がキリスト?女性の顔じゃない!’と思われるはず。実際会ってみても、やはり女性。

まわりにいる律法書をもった老人学者たちが硬くて醜い表情をしているので、よけいにふっくらとした女性顔に惹きこまれてしまう。でも、おもしろいことに親指と人差し指を触れ合わせている手だけは男の手。これは一生忘れることのない絵になりそう。  

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