東近美平常展でお馴染みの名画と対面!
ここ数年、東近美の平常展はとんとみなくなった。理由は簡単でここの所蔵する代表的な近代日本画と洋画は全部みたから。上村松園展をみたあと、時間があったので平常展ものぞいてみた。
4階までエレベーターでいって、3階、2階と下ってくるのはいつもの流れ。久しぶりの鑑賞だから、お馴染みの名画がどれも新鮮に映る。洋画に比べると日本画のほうが展示と展示の間隔が長い。出品作の多くはこれまでみた絵だが、なかに初見のものも交じっている。でも、、画集とかここの図録に載っているものを超えるという感じではないから、サプライズの遭遇とはならない。で、よく知っている絵の前に長くいることになった。あらためて目を楽しませてくれた絵をいくつか。
川合玉堂(1873~1957)は‘朝もや’と‘二日月’。‘朝もや’は大きな松の木と家の後ろにある木々の配置がとても上手い。農夫と馬が進んでいる道の両サイドに等間隔で松を並べるのはまあなんとか思いつくが、朝もやにつつまれた中景の幹の細い木を奥にむかって描くのが並みの画家には難しい。また、手前から道までの距離のとりかたも近からず遠からずという感じなので、この風景がゆったりした気持ちでみられる。
山の景色より海の景色のほうが好きなので、山歩きをする習慣がない。黒部とか蓼科とか軽井沢など有名なところは一通り行っているのだか、いずれも一回のみ。これからも出かける予定がないので、山の自然はもっぱら東山魁夷や奥田元宋の絵で楽しんでいる。
東山魁夷(1908~1999)は一生付き合おうと思っている画家だから、数冊ある図録や画集を定期的にながめている。東近美が所蔵する作品では‘残照’は‘白夜光’とともにお気に入りの絵。これだけ透明感にあふれ遠くの山がきれいにみえるということは画家は相当高いところから眺めている。この澄み切った山の風景をみていると、山登りもいいかなと思うがここへ到着するまでが大変そう。
人物画で足がとまったのは小林古径(1883~1957)の‘機織’と20歳で亡くなった関根正二(1899~1919)の‘三星’。浮世絵師の歌麿も‘働く女たち’シリーズで機織りをする女を画面いっぱいに描いているが、古径は機を縦に二台置き右の機で仕事をする2人の女性を繊細な線で描いている。東博で開催された‘永青文庫展’で‘髪’(重文)と再会し、ここではこの絵と‘唐蜀黍’に遭遇した。東近美はやはり近代日本画の殿堂。名画が揃っているから気分がいい。
‘三星’は‘少年’(神奈川県近美、拙ブログ07/2/4)、‘子供’(ブリジストン美)同様、腹の底から魅せられている。3人とも同じような顔つきだが、中央が関根で右の女性が姉、左が恋人。ほっぺや唇、衣服の赤が目に焼きつくが、こちらをじっとみつめる関根のまなざしがとても気になる。
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