ベラスケスの家系はコンベルソだった!
ベラスケスの‘ラス・メニーナス’
昨日の日曜美術館はベラスケスだった。TV番組情報誌でこれを知ったとき、今なぜベラスケスなの?どこかで大きな回顧展でも行われている?という感じだった。企画の意図はつかめなかったが、ローマのドーリア・パンフィーリ美でベラスケスが描いた肖像画の傑作‘インノケンティウス10世’(3/4)に感動したばかりだから、番組への関心はすごくあった。
話は1999年に明らかになったベラスケス(1599~1660)の出自に関する新事実をもとに、作品に現れた画家の表現行為を読み解こうとするものだった。10年前、プラド美の研究雑誌に載った論考によると、宮廷画家になったベラスケスは自分の出自についてウソをついていた。下級貴族ではなく、平民の出身でコンベルソ(カソリックに改宗したユダヤ教徒)の家系だった。ベラスケスの父方の祖父はポルトガルからやってきたコンベルソだったのである。
コンベルソは日本でいうと隠れキリシタン、厳しい異端審判により公開処刑をされ、公職につけず差別されていた。3年前、スペインを旅行したとき、ガイドさんからユダヤ人が住んでいた所などをよく聞いた。
ゲスト解説していた大高保二郎氏(早稲田大学教授)によると、ベラスケスは自分の描いた作品については何も書き残さなかったようだ。出自を隠すくらいだから、余計なものを残してあれこれ詮索されたくなかったのだろう。
そして、道化師セバスチャン・デ・モーラのような小人や知的障害者をやさしいまなざしで描いた理由もこれで納得。ベラスケスは身分は低いとはいえ貴族の出。だから、小人の肖像画を描くとは、ベラスケスはなんて心根のやさしい人間だなとこれまでずっと思ってきた。でも、画家は差別される人たちへの共感が人一倍あるから、こうした人の肖像を描くことは自然な表現行為だったかもしれない。
興味深い分析だったのが‘ラス・メニーナス’の話。以前撮られたX線写真をみると、左にいるベラスケスは最初は横向きで顔も一回り小さく描かれていた。それを正面向きにして堂々とした姿で描いたのは、ベラスケスは宮廷画家という輝かしい地位にのぼりつめたことを強くアピールしたかったからではないかと読む。これはおもしろい新解釈。
TV画像にでてきた‘バッカスの勝利’をじっとみていて、カラヴァッジョのバッカスとの違いがよくわかった。バッカスのまわりにいる男たちの嬉しそうな顔。お酒を飲んでいるときほど楽しいときはない。この絵をみると、ベラスケスも一緒に浮かれているような気がする。
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