ビバ!イタリア おしゃべり文化の国イタリア!
今日はおしゃべりが好きなイタリア人の話。イタリアの美術館をまわっていると、イタリア人にとって展示室の監視員というのはフラストレーションがたまる仕事だろうなとつくづく思う。とにかくイタリア人はおしゃべりが好き。
人が二人以上いたらすぐおしゃべりがはじまるという感じ。店のレジで商品とお金を受けとり、袋に包んだり、お釣りを渡すときでも自分たちのおしゃべりを優先する。‘あんたらの話はどうでもいいから、早くしてよ!’と思うことがしばしば。でも、イタリア人はみんな同じ調子だから、1,2分待たされても誰も気にしない。まさにここはおしゃべり文化の国なのである。
われわれ日本人は物を買ってくれる人には頭を下げ、ていねいな言葉で精いっぱい感謝の気持ちを表すことが当たり前だと思っているから、こういう扱いをされると‘売ってもらっているの?’という気持ちにさせられる。
そう、PRADAで金額の張るものを買うときも、ミュージアムショップで絵葉書を買いときも売ってもらっているのである。だから、彼らにとってみればおしゃべりの間に商品をわたすのはごく当たり前。‘急ぐなら、ほかで買ってよ!’となる。イタリアで買い物をするときは店員の態度は気にしないほうがいい。どこへ行ってもそうだから、そのうち慣れてくる。
ところで、イタリア人はどんな話をしているのだろう? サッカーの試合のこと、それとも近くにいる綺麗な女性やイケ面男性のうわさ、誰々が浮気をして奥さんにばれて離婚になったとか、、、明るく楽しげに話しているから、間違っても仕事のことではないだろう。人生を楽しむために生きているイタリア人のことだから、食べること、男女関係、遊ぶことを延々としゃべっているにちがいない。
アッシジのサン・フランチェスコ教会で案内をしてくださった谷村神父から興味深い話を伺った。日本人はまわりにいる人の顔や表情をみて、‘この人は風邪をひいて体調が悪そうだとか、あの人は顔色が悪いけど、きっと胃が悪いのね’とわかる。ところが、イタリア人でこういうことが分かるのは医者だけで、普通のひとは他人の体調のことはまったくわからないという。
この話を聞いてなるほどなと思った。イタリア人は人としゃべるのは大好きだが、その人の体調までは気をつけてみてないのである。人のことはどうでもよく、自分はこうなんだ、俺はこうしたいんだ!で終始する。これは自己中心のおしゃべり文化。
これに対し、日本人はしゃべるのは極力控えめにして、自分のまわりにいる人、関わりのある人をよく見よう観察しようとする。そして、その表情や身振りからその人が今何を考えているかをわかろうとつとめる。こういう習性により心も体調もわかる‘以心伝心’や‘あうんの呼吸’がコミュニケーションの基本になった。日本は伝統的に視る文化なのである。
イタリア人は医者以外は人の診断はできないという話を聞いて、昔から言われている日本は視覚文化の国ということが以前にも増して腹にストンと落ちた。これは貴重な体験。谷村神父に感謝々である。
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