大観・春草がインド体験のあと描いた絵!
明治神宮文化館で開催された‘菱田春草展’(10/3~11/29)の図録をながめていて感慨深い絵がある。その絵について少し。
★菱田春草の‘乳糜供養’(長野県信濃美):上左の画像
★横山大観の‘釈迦と魔女’(長野県信濃美):上右
★菱田春草の‘弁財天’(シービー化成):真ん中
★横山大観の‘流燈’(茨城県近美):下
これらの作品は大観と春草がインドを体験したあとに描いたもの。‘流燈’を除く3点はインドへ出かける前にみたのだが、実際にインドの大地に足跡を残したあとでは絵との距離がぐんと縮まり、リアリティをより実感する。
二人がインドへ行ったのは1903年、大観35歳、春草29歳のとき。2月から6月にかけて滞在し、コルカタ(カルカッタ)、ダージリン、アジャンタを訪問している。インド観光は10月~3月がベストシーズン。3月から暑くなり4~6月には気温は45℃~48℃になる。
この最も暑いインドを大観と春草は体験したことになる。106年前の交通事情は今とは較べものにならないくらい悪かっただろうから、町から町、村から村へ移動するのに相当な時間がかかったと思われる。
アジャンタ石窟寺院の仏教壁画に描かれた人物表現の特徴(拙ブログ11/22)がこれらの絵にもみられる。‘乳糜供養’は苦行に体力を消耗した釈迦に村娘スジャーターが牛乳がゆを捧げるところ。
このスジャーターや‘釈迦と魔女’の釈迦を誘惑する女たちの濃く長い眉毛の描き方、身につけている装飾品は壁画を思い起こさせるし、魔女たちの体をひねるポーズや指の曲げ方などもよく似ている。
‘乳糜供養’や‘流燈’の背景に描かれているのは菩提樹。デリー観光で最初に行った‘レッド・フォート’の庭にこの菩提樹があり、栗鼠がすばやく走りまわっていた。ただの木なのに、‘釈迦はこの木の下で瞑想をしたり、入滅したのか’という思いが頭をもたげ、しげしげと眺めていた。
‘弁財天’はヒンドゥー教の学問や音楽の神様、サラスヴァティーのこと。弦楽器ヴィーナーをもっている。弁財天ではこれは琵琶になる。春草はこの絵をインド滞在中に描いたようだ。
‘流燈’はお気に入りの絵。火をともした陶器をガンジス川に流して将来の幸運を祈るインドの女性を描いている。これをみると3度目のインドではガンジス川はやはりはずせない。
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