その九 サーンチーのストゥーパ浮彫彫刻に釘付け!
サーンチーには紀元前3世紀、アショカ王が基礎を築き、その後数百年をかけて完成した仏教遺跡が残っており、初期の仏教彫刻を見ることができる。
★第1ストゥーパ・北門(上の画像)
★西門(上から2番目)
★西門南柱の大猿本生(下から2番目)
★北門南柱の浮彫(下)
3つあるストゥーパ(仏塔)のうち紀元前1世紀に造られた第1ストゥーパが最も大きい(直径36.6m、高さ16.5m)。東洋美術の本に載っている図版やTVの映像をみて、いつかこの仏舎利の前に立とうと思っていたから、その夢が叶って感慨深い。石づくりのドームはなかに入れるものと想像していたが、これはなく周囲につくられている上と下の道を時計回りにぐるっと回るのみ。
目を楽しませてくれるのは東西南北4つの塔門と欄楯(石の囲いのこと)に彫られている浮彫彫刻。門柱や横梁には誕生、成道、初説法、涅槃といったブッダの生涯における重要な出来事(仏伝)やブッダの前生物語(本生譚)が日常的な風景のなかに生き生きと表現されている。
とくに興味深くみたのが本生譚。ブッダが生まれる前、動物や鳥に化身して無数の善行をなしたため、この世で悟りを開くことができ、仏教をこの国に普及させることができたという。その善行のひとつが自己犠牲。西門にはブッダが猿の王であったときの物語が彫られている。この話はアジャンタの17窟にもあったので、釘付けになってみた。
画面の中央から斜め右下にかけて川が流れており、上のほうで大きな猿が川をまたぐように体を水平にしている。この猿が橋になっているのである。どうして?あるとき、国王夫妻が上流から美味しいマンゴが流れてくるのを見つけた。で、川をさかのぼって行ってみると猿の群れがマンゴを貪り食べていた。
これは許せないと軍隊が猿に矢を射り、追いつめる。それをみて猿の王は猿たちを逃がすために自分が楯となり橋になるのである。インドにも弁慶の最後の場面と同じ話があった。これぞ美しき自己犠牲!
ブッダの入滅後、およそ500年間、仏像がつくられることはなかった。ここに彫られた仏伝図にはブッダの姿はなく、聖なる木、菩提樹とか法輪がブッダを暗示している。北門の浮彫には猿が菩提樹に蜂蜜を捧げている。
インドの紙幣に使われている4頭の獅子が南門に彫られていた。これがアショカ王のシンボルであることはここに来て知った。また、これはインドの国旗にも国章として使われている。海外旅行をするといろんな情報が入ってくる。
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