江戸東博の写楽 幻の肉筆画 その一
ここ数年、海外の美術館が所蔵する浮世絵を展示する里帰り展が目を楽しませてくれる。江戸東博で昨日からはじまった‘写楽 幻の肉筆画’(7/4~9/6)もその例にもれず、大きな満足がえられた。1回では書ききれないので、2日続けることにした。
出品作126点のほとんどは浮世絵だが、狩野派絵師の屏風、図帖が6点ある。展覧会の目玉のひとつはタイトルそのままの東洲斎写楽の肉筆画。といっても、写楽の絵というと、‘三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛’(拙ブログ06/11/17)とか‘市川鰕蔵の竹村定之進’(08/7/14)のような役者大首絵をすぐイメージするから、素人浮世絵ファンなら‘写楽に肉筆画があったっけ?!’というのが率直な反応ではなかろうか。
ところが、写楽の肉筆画があったのである!どこに?日本ではなく、ギリシャ!でもギリシャ本土ではなく、イオニア海に浮かぶコルフ島にあるアジア美術館。この話が1年くらい前、新聞紙上に載ったときはコルフ島がどこにあるか見当がつかなかった。地図で確認すると結構大きな島である。
この美術館にあったギリシャの外交官マノスが1900年代初めに集めた浮世絵のなかから、写楽の肉筆扇面画‘四代目松本幸四郎の加古川本蔵と松本米三郎の小浪’(上の画像)を見つけたのは学習院大教授の小林忠氏。浮世絵研究の大御所で千葉市美の館長でもある。小林氏はこれの発見により日本にあるもう一枚の扇面画、‘老人図’(三重県津市の石水博物館)も写楽の肉筆画に間違いないという。
現在、写楽が誰であるか?については内田千鶴子氏の立派な研究成果などにより、阿波藩の能役者、斎藤十郎兵衛であることがわかっており、これが定説になっている。以前紹介した内田氏の本、‘写楽を追え’(07/2/21)にこのことが詳しく書かれている。で、写楽=斎藤十郎兵衛説にもとづいて、写楽の絵の流れを整理してみた。
・寛政6年5月(1794) 写楽(33歳)役者大首絵28枚でデビュー
・寛政7年1月(1795) 役者絵、相撲絵を発表し、その後浮世絵界から姿を消す
・寛政7年5月(1795) 肉筆扇面画‘加古川本蔵と小浪’を描く
・寛政9年5月(1797) 蔦屋重三郎、47歳で亡くなる
・寛政12年(1800) 写楽(39歳)肉筆扇面画‘老人図’を描く
さて、目の前の扇面画である。描かれているのは寛政7年1月に演じられた仮名手本忠臣蔵の場面。右は眉間のしわが特徴の松本幸四郎が演じる加古川本蔵で、左が父の後をついていく小浪。本蔵の裃の衣紋線には墨と金泥がみえる。そして、刀の鍔、柄の部分にも鮮やかな金泥が使われている。色で魅せられるのが本蔵の黄色の着物の下に見えるうす青。神経質そうな顔をしているのに、身につけているものは洒落た色で彩られている。
わずか10ヶ月で浮世絵界から姿を消した写楽が実は寛政12年まで、いやもっと先まで?(斎藤十郎兵衛は58歳で亡くなる)、写楽愛好家の求めに応じて肉筆画を描いていた!こういう新たな事実がわかると、専門家でなくてもまた別の絵柄の扇面画がでてこないかと期待したくなる。長生きしなくては。
真ん中の屏風は狩野山楽の‘牧馬図’。これは六曲一双の左隻のほうで画面いっぱいに馬は沢山描かれている。これまで馬の絵は‘絵馬’とか‘随身庭騎絵巻’(大倉集古館、06/6/19)とか‘厩図屏風’(東博)は見たことはあるが、このように大勢の裸馬が疾走するところや後ろ足で立ったり、体を思いっきりひねったりしている姿はみたことがない。今年は山楽と妙に相性がいい。妙心寺展や大覚寺で名画と対面したからいい気分でいたら、さらに幸せプラスα。ギリシャからこんな傑作が里帰りしてくれた。ミューズに感謝!
初期版画で夢中になってみたのが奥村政信の‘遊君’シリーズ4点。下は‘鉄拐仙人’。みればわかるようにこれは普通の鉄拐仙人の絵ではない。吉原の遊女が鉄拐になっている。鉄拐仙人は魂を遠くに飛ばす術をもっている。それで遊女の口からでた息の先に禿が!この子は‘今いる男はもうすぐ帰るから、早く来てね、旦那!’と書かれた文を届けにいくのであろう。
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コメント
こんばんは。
鉄拐仙人モチーフのは禿でしたか!
これは読み取れてませんでした。
牧馬図は圧巻でしたね。山楽の他の絵がみてみたくなりました。
投稿: あおひー | 2009.07.06 00:27
土曜日は楽しいお話、ありがとうございました。
松翁軒のカステラ、東京で買い損ねたのが残念です。
さて、写楽の研究は、どんどん進んでいきますね。
まだまだ、どこかに埋もれた写楽作品があるのかと
思うとぞくぞくしますね。
投稿: 一村雨 | 2009.07.06 05:55
to あおひーさん
一般的な鉄拐仙人の絵はみることが多いのですが、
こういう見立てははじめてみました。おもしろい
ですね。山楽の馬の絵には200%参りました。
投稿: いづつや | 2009.07.06 11:19
to 一村雨さん
土曜日はお世話になりました。話がはずんで楽し
かったです。
写楽の肉筆は絵柄のことより、浮世絵の世界から
完全に足を洗ったとみられていた能役者、斎藤
十郎兵衛が贔屓筋のもとめに応じて、一人で仕上げ
られる肉筆を扇面画という媒体で制作していたという
ことにすごく驚かされます。
写楽物語をずっと追ってきましたので、この話は
とても新鮮です。写楽に興味のある方は専門家を
含めて、皆同じ思いでこの絵を見ているのでは
ないでしょうか。
そして、別の絵柄とかまた違ったタイプの肉筆とか
も描いたのか?愛好家とは直につきあったのか、それ
とも蔦重のような人を介して描いたのか?などなど
興味がつきません。
新聞情報によると、津市にある‘老人図’は11年
石水博の新館オープンのとき公開されるとのこと。
これもみてみたいです。
投稿: いづつや | 2009.07.06 11:48
こんばんは。
先日はありがとうございました。
満足度の高い展覧会でしたね~
これとは別に芦雪の件
メール頂戴しありがとうございました。
全くの勘違いでした。。。
投稿: Tak | 2009.07.08 23:30
こんばんは
先日はありがとうございました。
『美術の歩み』の件はよく覚えていらっしゃいましたね。
驚きました。
ご紹介いただいたロスコの本、機会があったら読んでみようと思います。
また、よろしくお願いします。
投稿: lysander | 2009.07.09 00:53
to Takさん
写楽の肉筆画、山楽の馬、歌麿・英山の
とびっきりの美人画、北斎の摺物、本当に
楽しい浮世絵展でした。
これからも江戸東博にますます期待したく
なります。
芦雪は一件落着です。
投稿: いづつや | 2009.07.09 10:55
to lysanderさん
こちらこそお世話になりました。
美術史家ロスコの絵画感、見識の深さ
に脱帽です。ユダヤ人の頭脳というの
はやはり特別ですね。まったくすごい
インテリジェンスです。
投稿: いづつや | 2009.07.09 11:03
こんばんは。遅ればせながら記事にしてみました。
久々にいづつやさんのお話をお聞きして、
自分の中の浮世絵熱がさらに一歩ヒートアップしてきたようです。
またミネアポリスのような極上の作品の揃う展示を拝見出来ればと思いました。
写楽の肉筆の色にはしびれました。浮世絵の魅力は色にありと仰るいづつやさんの言葉に改めて恐れ入るばかりです。
投稿: はろるど | 2009.07.29 22:11
to はろるどさん
摺りの状態のいい浮世絵を里帰り展でみるのが
浮世絵鑑賞の大きな楽しみになりました。今の
ところ、東博の平常展と里帰り展で充分という
感じです。
今回もこれぞ浮世絵!といった美しい色に震え
ました。本当にいい展覧会でしたね。
次の楽しみは日本の高橋コレクション展(三井
記念美)、その次は来年開館30年になる
太田美の記念展(10年1月)。ふたつとも開幕
が待ち遠しいです。
投稿: いづつや | 2009.07.30 10:28