ツタンカーメンの妻、アンケセナーメンの墓にミイラはなかった!
7/26に放送された‘エジプト発掘・ツタンカーメン 王妃の墓の呪い’は06年にルクソール西岸‘王家の谷’で発見されたツタンカーメンの妻、アンケセナーメンの墓の話だった。
これを発見したオットー・シャーデン博士がどこの国の人かはふれられてなかったが、たぶんアメリカ人。すると、この番組を制作したのはアメリカのTV局。1回がフランス、8/2の3回‘クレオパトラ 妹の墓が語る悲劇’がイギリスだから、NHKは海外のTV局とコラボして民放との差別化を図っている。同じ話を何度も繰り返して視聴率を稼ごうとする民放のエジプトシリーズよりは格段に情報が多く、話の展開がよくわかる。
日本では吉村教授が発掘した遺跡の話ばかりが取り上げられるが、ほかに国の考古学者だって吉村教授よりももっと価値のある大きな発見をしていたのである。ツタンカーメンの墓のわずか10数mのところに、アンケセナーメンの墓があったことは全く知らなかった。吉村チームやザヒ博士が成し遂げた発見について報道されることが多いから、それが現在進行中の古代エジプト研究の最新かつ重要な話と思ってしまう。
昨日取り上げたフランス人建築家ウーダン氏の内部トンネル説にしろ、アンケセナーメンの墓にしろ、何か大事な最新情報が抜けていたような気がしてきた。この種の話はやはりNHKの情報を基本にしていたほうが真実に近づけるし、ためになる。TBSをはじめ民放がつくる番組にもいいのがあるが、‘一粒で2度、3度おいしい’的なところがあるから、だんだん新鮮さがなくなってくる。
これに較べるとアンケセナーメンの墓は鮮度200%。棺を開けたところ、なかにミイラがなかったので狐につままれた感じだったが、当時のツタンカーメン一族の置かれた状況を総合的に解説してくれるので、素人でもミイラがなかったことがなんとなく理解できる。
ツタンカーメンが生きたのは今から3300年前の新王国時代。8歳でファラオになり、
19歳で亡くなった。死因はこれまで暗殺説などがとびかっていたが、最近のCTスキャンによる調査で何かの事故で骨を損傷し、それがもとで死んだのではないかということがわかった。
ツタンカーメンの墓にあったのがあの豪華な黄金のマスク(拙ブログ7/3)。カーターが発見した墓からはこのほか、ツタンカーメンとアンケセナーメンが一緒に描かれた玉座(上の画像)などのお宝がザクザク!
アンケセナーメンの墓は壁に絵が描かれてなく、また、棺の表面に書かれた名前が消され、あの世での復活を妨げられていた。何故そんなひどい仕打ちを受けたのか?それはツタンカーメンの父、アクエンアテンが断行した宗教改革、すなわち、それまでのアメン神中心の多神教をやめて太陽神アテン神のみを崇拝する宗教政策に対する民衆の恨みによるものだった。
下の彫像はカルナックのアテン神殿から出土した‘アクエンアテン王の立像の上部’。これを00年松山市の愛媛県美であった‘エジプト文明展’でみたのだが、その馬面の顔貌と分厚い唇が今でも強く目に焼き付いている。‘この王があの宗教改革を行った異端の王か!’とまじまじとみていた。
もともと古代エジプト人は保守的だったから、この一神教には嫌々従ったのであろう。だから、王が亡くなると神官たちはすぐもとのアメン神にもどし、権力を取り戻した。ツタンカーメンはファラオといっても少年だから、なにもできない。
ツタンカーメンが死んだあと、アンケセナーメンがどのような運命をたどったかはわかっておらず、発見された墓はアンケセナーメンのものとみてよさそうだが、肝心のミイラがなかった!宗教革命の反動がこれほどまですさまじかったとは。
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