ピカソのやさしい絵と激しい絵!
ピカソがわかりにくいキュビスムの絵だけを描いていたなら、この画家に対する興味はそう大きくはならなかったろうが、この天才画家は表現したいモティーフをいろいろな描き方で制作しており、その中には心をとらえて離さない名画がいくつもある。今日は‘ゲルニカ’と同じく、ぞっこん惚れている絵をピックアップした。
★黄色い髪の女 (1931) : NY,グッゲンハイム美 (上の画像)
★夢 (1932) : NY,ヴィクター・W・ガンツ夫妻蔵 (真ん中)
★泣く女 (1937) : ロンドン、テート・モダン (下)
‘黄色い髪の女’は04年、Bunkamura主催の‘グッゲンハイム美展’で日本にやってきた。この展覧会が開催されているとき、上野ではちょうど‘マティス展’があり、そこに‘黄色い髪の女’とよく似ている‘夢’(1940)が出ていた。もし、‘どちらか好きな方を差し上げる‘と言われたら、即座にピカソの絵と答える。
モデルをつとめたマリ=テレーズはピカソの暴力的ともいえるストレートな欲望をまったく鎮めてしまうほど清らかな女性だったのだろうか。このやさしい寝姿を見ていると、そんな女性をイメージする。
この絵の翌年に描かれた‘夢’はまだお目にかかってない。見たい度のすごく高い絵で、これと会えたら心臓がバクバクしそうな気がする。個人蔵だが、これまで展覧会に出品されたことがあるのだろうか?NYの有名な画廊のようなところで見られるのなら、次回美術館めぐりをするときは、万難を排して出向くのだが。
これと同じくらい好きなのがテート・モダンにある‘赤い肘掛椅子の裸婦’(1932)。昨年、テートで会えるものと期待していたが、ふられてしまった。
‘泣く女’は上の2枚のやさしいい絵とは対照的にとても激しい絵。別ヴァージョン(拙ブログ07/3/25)がマドリッドの国立ソフィア王妃芸術センターにあるが、テートのほうが断然いい。あふれ出る涙が三角形の白い面であらわされている。
ドイツ表現主義の画家たちも人間が発する怒りとか悲しみをピカソほどにはとげとげしい直線は使わないが、体をゆがませたりして描いている。ピカソと表現主義派が同じ悲しさを表現しても、見る者の共振度は随分違う。
ピカソの‘泣く女’を見て、‘ドラ・マールはヒステリックに泣いてるが30分もたつとけろっとして、またパリの街にとびだしていくのだろうな’とすぐ思う。これはいうなれば瞬間的な悲しみ。感情の起伏は大きいが長く続くとも思えない。感情の爆発をピカソはキュビスムの描き方で表現した。まさに天才の芸術!
これに対して、グロスやベックマンが描く悲しみの情景は腹にズシンとこたえ、共感する悲しみは心の奥深くに長くとどまる。ワーグナーの歌劇みたいに粘っこいのである。
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