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2008.10.25

国立新美&サントリー美の巨匠ピカソ展 その二

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ピカソの絵が全部が全部好きというわけではないから、大回顧展とはいえ二つの会場をじっくり時間をかけてみることはしない。関心があるのは若描きの作品、カラリスト・ピカソ、彫刻のような人物画、そしてゲルニカ。

対象が三角錐とか四角柱など鋭角的な線や角々した面でデフォルメされた作品は好みではない。だから、同じキュビスム作品でも丸いフォルムが多い作品の前にいる時間が長い。

上のピカソ、青の時代の傑作、‘自画像’(1901)を久し振りにみた。現地で見た時もこの絵と昨日取り上げた‘ドラ・マールの肖像’に一番感動したが、今回も同様の思いである。ピカソというと晩年の頭の毛がなく、鷲のような鋭い大きな目がすぐ思い浮かぶから、20歳のころのピカソがこんな頬骨がでた筋肉質タイプの人間だったとは思えない。こういう顔でありたいという願望が入った自画像というべきだろう。

背景、衣服、髪の毛が青一色で描かれ、青白い顔を浮き上がらせてる。口ひげ、あごひげに色調を抑えたゴールドが使われているが、当時はそんなところまで見てなかった。バラの時代の‘二人の兄弟’(1906)も好きな絵。ワシントンナショナルギャラリーで見た‘サルタンバンクの一家’(1905、拙ブログ4/16)に描かれた人物を連想した。

ピカソが古典主義の絵画に刺激を受けて描いた彫刻のような絵が今回、4点ある。‘座る女’(1920)、大作の‘手紙を読む’(1921)、真ん中の‘海辺を走る二人の女’
(1922)、そして目を見張らされる大きな絵‘牧神パンの笛’(1923)。どれも魅力的だが、動きのある‘海辺を走る二人の女’が最も印象深い。

03年、上野の森美で再会したときはもっと大きな絵ではなかったかと思ったが、実際は小さな絵。絵というのはおもしろいもので、二人の女性の横や上にあげた太くて長い手やボリューム感のある足が鮮烈にインプットされていて、大きな絵というイメージができあがっていたのである。

今回、じっくりみたのが記憶がだいぶ無くなっており、初見同然の‘牧神パンの笛’。肌に光が当たっているところがくっきり描かれ、陰影もつけられているから、生命力あふれる若い男の体は彫刻のようにみえる。しばらく立ち尽くしてみていた。

下のユーモラスでエロティックな‘海辺の人物たち’もお気に入りの絵。デフォルメされた人体はどこがどうなっているのかわからないが、乳房が見え、舌を出しているから海辺で楽しんでいる男女であることは容易にイメージできる。このフォルムをもう少しそぎ落としてスッキリさせると、いい彫刻作品になる。

キュビスム絵画が楽しいのは対象を分解して、それらをいろんな視点から再構成し絵画空間を立体的にみせてくれるところ。だから、彫刻のように見えれば見えるほど惹きつけられる。こういう丸っこいキュビスム作品なら何点あっても見飽きない。

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サントリー美術館で開催中の 「巨匠ピカソ 魂のポートレート」展に行って来ました。 国立新美術館で開催中の「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」展とサントリー美術館での展示を果たして分ける必要性がどれだけあったのか、はなはだ疑問。 サントリー美術館での展示作品数は僅か58点。これだけなら、あのだだっ広い国立新美術館に余裕で収まったはず。 2007年に六本木の地に新たにオープンして以来、一貫して日本美術を軸に据え展覧会を展開してきたサントリー美術館がその「魂」を売り払ってまでピカソ展... [続きを読む]

受信: 2008.10.28 22:33

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