気になるクノップフの女性画!
先週土曜にあったTV東京の‘美の巨人たち・クノップフ’を興味深くみた。代表作の‘愛撫’(拙ブログ05/4/23)を100%取り上げると思っていたが、この絵ではなく‘メモリー・芝生のテニス’(上の画像)のほうだった。3年前、ベルギー王立美を訪問したとき、どちらもみることができた。
クノップフの絵の印象を言葉で表現するのはなかなかしんどい。見てて不思議な感覚におそわれる絵というのはそう多くあるわけではないから、‘芝生のテニス’は長く心のなかにとどまっている。番組では得意の‘語り’でこの絵の謎解き、すなわちクノップフがこれをどういう風に描いたのか、そして何を表現したかったのかについて、ズバッと切り込んでくる。
この絵に描かれている7人の女性は最初、別の人物と思って誰しも見るが、そのうち皆同じ顔をしていることに気づく。と同時に、皆視線を合わさず違った方向をみていることもわかる。日本の‘伴大納言絵巻’の子供の喧嘩の場面で、ひとりの子供の動きを連続的に描く‘異時同図’がみられるが、これは画面のなかで時間の推移を表している。
これに対し、テニスのラケットを持っている女性は皆違う服装を着ているから、時間が連続しているというイメージではない。これは現代アートでいうと、同じ人物を異なるシチュエーションにおき、その百面相的な姿や表情を切り取って貼り付けたコラージュ作品のようなもの。
クノップフは妹のマルグリットにモデルになってもらい、写真をとり、それをもとに本作を制作したようだ。ただ、左端手前の女性はラケットをもっておらず、スケッチも写真もない。この女性は2年前の妹の肖像画をベースにここでは違うポーズで描かれている。元になったいかにも純潔の女性を思わせる肖像画は当時、どういうわけか展示されてなかったが、いまから思うと惜しいことをした。
クノップフ作品に関心をもつきっかけとなったのは96年、Bunkamuraで開催された‘象徴派展’。ここで真ん中の絵、‘私を解き放してくれる者は誰れ?’と衝撃的な出会いをした。心がざわざわしてくる魔性のまなざしに体が凍りつく感じだった。
もう一枚、同じ感覚にとらわれる絵がある。下の‘私は私自身に扉を閉ざす’(ミュンヘン、ノイエ・ピナコテーク)。まだ、お目にかかってないが、追っかけ西洋画のなかでは上位にリストアップしている作品だから、なんとしても見たい!
Bunkamuraが象徴派展をまた別の視点から企画し、この絵が展示されることを勝手に妄想していたい。
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