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2008.06.30

イタリア現代陶芸の巨匠 カルロ・ザウリ展

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東近美で行われている“カルロ・ザウリ展”(6/17~8/3)を楽しんだ。日本の陶芸作家なら全部とは言えないが、かなり知っているが、海外の陶芸家となると実際に作品を見たのはきわめて少なく、イギリスのバーナード・リーチ、ルーシー・リー、ハンス・コパーくらいしかいない。

だから、イタリアのカルロ・ザウリ(1926~2002)のことはまったく知らず、作品の情報はチラシに載っているものだけ。でも、作品の吸引力がとても強く、展覧会に対する関心は高かった。作品は1951年から1991年までの40年間につくられた128点の陶彫とグラフィック、タイル38点。

初期の作品、マジョルカ陶器は巻貝のようなおもしろい形をした壺や目の醒めるような赤い壺が目を楽しませてくれた。1967年あたりから、色彩は“ザウリの白”と呼ばれる灰白色に変わりはないが、形は器物から離れ、彫刻的なオブジェに変わってくる。

上はぐるぐる回ってみた“球体のふるえ”。つい先だって伊豆で美味しくいただいた鮑と卵をミックスしたような形をしている。球体に裂け目の入ったフォルムはかなり前衛的だが、古代魚とか深海に生息する魚にまでイメージは膨らんでいく。

ザウリの生み出すストーンウェアによる陶彫は球体・アンモナイトのようなものから、古代ギリシャ彫刻のヴィーナスが着ている衣装の襞(ドレーパリー)を連想させるものとか、砂漠にはえている細長いサボテンの棘をとったような塔とかいろいろある。

真ん中は1979年の作品“形態のうねり”。灰白色に薄く赤茶色を彩色している。じっとみていて頭をよぎったのが備前焼作家、金重晃介の“聖衣”。同じフォルムの別ヴァージョン、黒褐色の“黒のうめり”が隣にあった。

1981~1991年につくられたもので強く惹かれるのは下の“塔”(部分、1986)。この塔は大きいので、3階の特別展示室に飾ってある。堂々としたオブジェで、ローマのフォロロマーナにある神殿遺跡の柱を彷彿とさせる。この“塔”を含めて会場には15本の“碑・塔”がある。対面するヴァージョンにあわせて、サボテンとか焼き鳥の皮を連想した。

出口近くのところに置いてある“自然”も心を揺すぶる。火山から吹き出た溶岩が山の斜面で冷めて固まったような感じ。ザウリは1990年ころから記憶が薄れていくアルツハイマーの症状がでて、2002年に亡くなった。この展覧会のことは一生忘れないだろう。

なお、この回顧展は8/26~10/26に山口県立萩美術館・浦上記念館でも行われる。

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2008.06.29

日本民藝館の陶匠・濱田庄司展

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渋谷の日本民藝館へ定期的に出かけるのは民藝派のやきものをみるため。現在、ここで濱田庄司の没後30年を記念した回顧展(6/17~8/31)が行われている。これまでも濱田庄司の作品は数多く見ているので、特別興奮するということはないが、好きな陶芸家だから、心がはずむ。

作品は1階正面階段の両サイドと2階の企画展室に全部で130点あまり飾られている。濱田のやきものがここにどれだけあるのか聞いたことはないが、雑誌“民藝”などに載っている代表的なものはこれでほとんど鑑賞したような気がする。ちょっと感慨深い。

ここはこういう立派な回顧展を開催しても図録は用意してくれないから、作品の名前と簡単な形を全点メモった。シンドイ作業だが、作品を忘れないために必死に手を動かしている。過去拙ブログで紹介したお気に入りの3点はすべてあった。“緑釉黒流描大鉢”(0412/3)、“赤絵盛丸紋角瓶”(06/7/19)、“青釉押文十字掛描角皿”(07/7/5

これらとやきもののタイプや釉薬の色がダブらないように選んだ“掛分指描火鉢”(上の画像)、“鉄釉丸紋大鉢”(真ん中)、“白釉黒流描大鉢”(下)も心を打つ名品。“火鉢”の模様は黒釉を厚く掛け、乾かないうちに指ですばやく掻き取り、茶褐色の模様を浮かび上がらせたもの。簡単なように見えるが、何度も々もトライしないとこのような力強くてリズミカルな線は生まれてこない。濱田の指はもう自在に動いている感じ。

濱田作品のなかでいつも圧倒されるのが大鉢。今回、7点でている。いずれもすばらしく、所蔵する名品は全部見せてくれてるのではなかろうか。こういう機会は滅多にないから、釘付けになってみた。真ん中の大鉢は黒と茶色の見込みにしっかり描かれている丸紋がなかなかよく、どっしりとしている。同じような丸紋のヴァージョンがもう2点ある。

アクション・ペインティングを思わせる抽象的な文様が見られる“流し描き”は傑作3点が揃い踏み。知恵の輪のような曲線の“緑釉黒流描”、黒の太い線が縦に並行的に流れる“白釉黒流描”、そして下の井桁文の“白釉黒流描”。濱田庄司が得意とするこの流し描きは15秒の瞬間芸。抽象的な文様だが線に勢いがあり、生き生きとした表情なのですごく惹きつけられる。名品の数々に気分が高揚した。

なお、この展覧会は大阪日本民藝館(9/13~12/21)にも巡回する。また、濱田庄司の回顧展は秋にも川崎市市民ミュージアムで開催される(10/4~11/30)。このときは図録が制作されるだろうから、期待して待ちたい。

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2008.06.28

“KAZARI  日本美の情熱”は刺激がいっぱい!

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サントリー美の企画展は開館以来ずっと注目しているが、“KAZARI 日本美の情熱”(5/24~7/13)はパスでもいいかなという気分だった。展示品のやきもの、衣装デザイン、風俗屏風などの多くをこれまでみているのがその理由。

だが、気になってしょうがないのが2点あった。上の国宝“火焔型土器”(新潟県笹山遺跡出土、縄文時代中期)と先端が腕の形をし、その腕が金剛杵を握るという一度みたら忘れられない兜。行くかどうか決断しかねているとき、新日曜美術館でこの展覧会が紹介され、そこでまた興味深いものが出てきた。下の目が点になるほどお面白い“平田一式飾”。この一式飾りに背中を押される格好で、六本木ミッドタウンへ出かけた。

“火焔型土器”は一番最初に同じく国宝の“王冠型土器”と並べて展示してある。これは手元にある“とんぼの本 国宝”(93年5月、新潮社)でその存在を知り、いつか見たいと願っていた。国宝になったのは9年前。東博でいつもお目にかかる縄文土器と較べると、そのエネルギッシュで力強い造形や渦巻き文様は似ているが、こちらのほうが把手の数が多いし、器体の表面に施された模様はより複雑で装飾性も高い。

まず、お目当ての土器をみたから、次は腕の兜をめざした。ところが、展示替リストをみると6/16までの展示だった。見たかった割には行動はアバウト。これでは作品はすっと逃げていく。目の前に飾られている兜はいずれも奇抜さを競っている!東博でもたまにギョッとする形のものを見ることがあるが、これほどバラエティに富んでいない。兎の耳と鯱の形した兜をじっと眺めていた。

作品は期間中全部で335点展示されるから、一生懸命みると日本美術のエッセンス、“かざりの美”をかなり楽しめる。注目してみたのが衣装の模様。肩衣の柄のなかにハットするのを見つけた。真ん中の“福良雀雪輪模様”。雀の飛ぶ姿を真上から捉えているのである。この視点から描かれた鳥の絵はとても珍しいから、同類の絵がすぐ頭に浮かんでくる。それは川端龍子が群雁の飛んでいるのを真上から見下ろすような構図で描いた“南飛図”。

島根県の出雲市平田町に江戸時代から伝わる“平田一式飾り”ははじめてみた。使われている材料がおもしろい。陶器など日用品を組み合わせ、それらを紐や鉄線で結びつけるだけで、材料を変型させたり、穴を開けたりはしない。下の“巨大エビ”は自転車部品でつくられている。生きたエビが動いているよう。自転車の部品を使う発想は並みの感性からはでてこない。

平田の人々が毎年7月に行われる天満宮祭という“ハレ”の日につくる“一式飾り”は遊び心に溢れている。想像がまたあらたな想像を生み、伝統文化と現代性が見事に溶け合った作品が祭りを盛り上げる。なんともうらやましい伝統行事である。

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2008.06.27

東博浮世絵エンターテイメント! 春信

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相変わらず東博の平常展に出品される浮世絵を見続けている。現在でている作品29点の展示期間は6/3~6/29。2月以降、西洋画の紹介に追われ、鑑賞した作品をアップできなかったので、本日は久しぶりの“東博浮世絵エンターテイメント!”

ここへはもうかれこれ4年近く通っているから、鈴木春信のような重点鑑賞絵師は二周り目の絵にちょくちょく遭遇する。今回出ているのは“小野道風”(上の画像)、“見立伊勢物語(八つ橋)”(真ん中)、“舫い舟美人”(もやいふねびじん、重美、下)の3点。

春信の絵は中国や日本の古典文学にでてくる話とか歴史上の人物の逸話を題材にしたものが多いので、絵の楽しみにプラスαがある。“小野道風”はあの逸話“柳に蛙”を絵画化したもの。話を知らない人でも絵の中にすっと入っていける。柳に一生懸命跳びつこうとしている2匹の蛙は真剣そのもの。川岸には傘をさし、口を真一文字にむすんだ貴族がいる。この男が平安の能書家、小野道風。

“俺は今、書の手習いに行き詰まっているが、蛙も柳の葉につかまるのになかなか苦労しているなあー。でも、この蛙たちは俺みたいに気が萎えることもなく黙々と跳んでいる”。数度のチャレンジの末、首尾よく柳に跳び移った蛙をみて、小野道風は“もっと努力しないといけない!”と心を入れ替え、書の修行に再び精進する。春信は“見立小野道風”という絵暦も描いており、ここでは蛙は一匹で、道風は若い娘の姿に置き換えられている。

真ん中の“見立八つ橋”はお気に入りの一枚。目を惹くのが腰をかがめて草藁の紐を締めなおしている若衆と菅笠を被り右足を一歩踏み出すポーズをしている女性。春信は菱川師宣同様、動きのある表現が大変上手い。動感描写の上手い絵師は観察力に長じているだけでなく、運動神経もよかったのではなかろうか。話が横にそれるが、クラシックの指揮者のクライバーはシャープで優雅な指揮ぶりで有名だったが、踊りもものすごくうまかったらしい。

動きのある人物表現とともに感心するのが八つ橋と杜若(かきつばた)の配置の仕方。ジグザグに曲がった八つ橋を全部見せてくれないので、見る者は画面からはみ出した部分を自分でイメージして、絵よりもっと広い空間を想い描く。こういう絵をみると浮世絵の画面構成というのはすごいなと思う。

下はチラリズム描写の効果がさらっとでている絵、“舫い舟美人”。これは画面をしっかり見ないとどこがチラリズムなのかわからない。右の舟から陸に上がろうとしている若い芸者の隣に膝下と腕が少しみえる。茶褐色の直方体は三味線を入れる箱で、これを運ぶ男(箱屋と呼ばれている)がチラッと描かれているのである。柳の下で後ろを振り返っている先輩芸者は“お玉ちゃん、宴席で旦那衆がお待ちだから急ごうか!”と声をかけている様子。

季節柄、山種の花尽くしのように、ここでも北斎の“牡丹に蝶”や勝川春湖の“杜若”などがあった。北斎が70代前半に描いた花鳥画に魅せられているが、この牡丹にもぐぐっと惹きこまれた。

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2008.06.26

ミヤケマイ展 ーココでないドコかー

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日本橋高島屋6階の美術画廊で昨日からはじまった“ミヤケマイ展ーココでないドコかー”(6/25~7/1)を見た。この個展の情報は現代アーティストの榎俊幸さんのブログ“絵ノローグ”で教えてもらった。

美術雑誌はほとんど買わないのだが、アート・トップの昨年の5月号(芸術新聞社)が“ホントの歌麿”を特集していたので例外的に手に入れた。この記事のなかに“線の画家、町田久美”と“絵描き、ミヤケマイ”が語る歌麿の魅力というのがあり、はじめてミヤケマイという作家を知った。

歌麿つながりだから、その作品に興味を覚え、漠然ではあるがいつか本物を見たいと思っていた。どんな作家?榎さんのご案内記事で正確に名前を確認するまで、どういうわけかミ・マ・ヤ・ケ・イでインプットされていた。ミマヤケイか!カタカナ名だから、NYやロンドン、パリを拠点にしている新進気鋭の女流アーティストなのだろうな?クサマ・ヤヨイ的な流れをくんでいるのかな?勝手にイメージが膨らんでいく。

作品は屏風や掛軸など30点ある。表現方法は伝統的な日本美術のスタイルをとり、モチーフも水墨山水画、やまと絵、琳派からとってきたものが多いが、これを見立絵風に今の時代に目にするものと取り合わせて少女雑誌とかユーモラスな漫画感覚で表現するところがミヤケマイ流。

大半の作品は彩色された下地に紙とか布を貼ったり、重ね合したりして、形をつくっている。浮世絵の立判古(起し絵とも言う)をぎゅっと圧縮した感じで、少し立体感がある。こんな絵ははじめてみた。

上の絵はこのタイプではない“捕月”。3匹の猿は体のどこかが画面からはみ出している。上にいる猿は顔が見えない。普通の画家なら全部ではないにしろ顔の一部を前でも後ろでもちらっと見せるのに、ミヤケマイは手足だけしか描かない。このあたりの視点の取り方がすごくユニーク!

真ん中は思わず“おもしろい!”と唸ってしまった“お出かけ”。右のパスポートを持ったカエルや茶色の葉っぱなどは紙が貼り付けてある。カエルの上には風に揺れる日の丸マークの布があり、左のほうに目をやると旅客機が富士山の上空を飛んでいる。カエルの旅立ちの嬉しい気持ちを前景と遠景の大小対比で表わすところが憎い。

今回、最も魅了されたのが下の“秘密”と“花園”。どちらもハットする絵。“花園”のほうは横になった女性の綺麗な足が見えるだけで、すねのところにハチがとまっている。顔が見える“秘密”のほうがいいが、横向きの体はマジックでみる女性の空中浮揚のイメージ。でも、首がみえないので不思議な感覚が画面全体に漂っている。

初日だったから会場にはミヤケマイさん本人がおられたので、図録にサインをしてもらい、少し話をした。全然イメージとちがうとても明るくてチャーミングな方だった。プロフィールの説明文を読むと、昨年5月にオープンした銀座エルメスのウィンドウギャラリーを担当したとあった。今、注目のアーティストなのである。

歌麿好きが縁でミヤケマイさんの作品に導いてくれたミューズに感謝したい。ミヤケマイさんは町田久美さんと仲がいいらしく、西村画廊というところで7/1から個展がはじまることを教えてもらった。町田久美の作品を見たくてしょうがないから、これは嬉しい情報。収穫の多い展覧会だった。

なお、この個展はこのあと次の会場を巡回する。
★高島屋京都店:7/9~7/15
★高島屋横浜店:8/13~8/19

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2008.06.25

日本画満開~牡丹・菖蒲・紫陽花・芥子~

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現在、山種で開かれている“日本画満開~牡丹・菖蒲・紫陽花・芥子~”(6/14~
7/27)は日本画のなかでとくに花の絵がお好きな方にとって、ご機嫌な展覧会かもしれない。ここは例年春に“さくら”の絵を一挙に公開するが、今回は牡丹、菖蒲などを50点展示している。

風景画の場合、絵のサイズが絵に対する満足度を左右することがあるが、花の絵では画面の大きさがあまり関係なく小品でも心に響くことが多い。一番奥のところに飾ってある奥村土牛の“てっせん”は小さな絵だが、とても魅せられる。

上は杉山寧の“朝顔図”。杉山寧の作品はエジプトのスフィンクスのように強い色調で神秘的な雰囲気を漂わせるいものが多いが、この朝顔はとてもやさしい絵。日本画では花を描くことは基本だから、自分の描きたい画題を自由演技として描くときは個性が思い切りでるのに、規定演技の花の絵では描き方が似てくる。

“蓮”は真ん中の小林古径と土牛(拙ブログ05/7/6)の2点。古径は果物や花の絵を沢山描いており、3年前、東近美が主催した回顧展でみた名作の数々が目に焼きついている。今回出ている“蓮”は“菖蒲”とともにお気に入りの絵。目を楽しませてくれるのはピンクの大きな花びら。美しい線描とすっきりとした構図。古径は本当に大きな画家である。

梅雨の季節になると思い出すのが山口蓬春の“紫陽花”。最近、葉山の記念館にご無沙汰しているので、ここで大好きな紫陽花の絵を楽しませてもらった。牡丹の絵は全部で12点ある。菱田春草、安田靫彦、古径、川端龍子、土牛、福田平八郎(2点)、速水御舟(3点)、杉山寧。それこそ“オールスター牡丹の競演!”といったところ。

牡丹を描くのは大変難しい。だから、皆挑戦するのだろう。加山又造は“村上華岳の牡丹は絶品!こんなに上手くはとても描けない”と語っている。下は御舟の“牡丹花(墨牡丹)”。御舟の花の絵ではこれに魅せられているから、いつも感心しながら眺めている。

久しぶりの花尽くしに上機嫌。真ん中の展示室に田能村直入の“百花”が展示してある。ここに描かれた花を見ているだけで気分は花園モード。見てのお楽しみ!

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2008.06.24

世界遺産 ナスカの地上絵

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先週の日曜夜6時から放映されたTBSの“世界遺産 ナスカの地上絵”を興味深くみた。今年の2月、国立科学博物館で行われた“ナスカ展 地上絵の創造者たち”(2/5~24)を楽しんだので、この番組を心待ちにしていた。

南米はまだ旅行したことがない。“イグアスの滝”、“マチュ・ピチュ”、“ナスカの地上絵”(上の地図を参照方)などは一度見てみたい気持ちは強いのだが、訪問した人から随分長いこと飛行機に乗っているとか、マチュ・ピチュは空気が薄いからやはり大変だという話を聞かされると、ツアーに申し込もうという気になかなかならない。

で、当面は中南米の古代遺跡関連の展覧会に積極的にでかけ、現地に行ったことにしようという作戦。2月の“ナスカ展”では最先端のデジタル技術を使った巨大スクリーンにナスカ平原のCG映像が映し出されたから、あたかもセスナ機に乗り空から地上絵を見たような気分になった。これはとても有難い擬似経験。

ナスカ文化は紀元前100年頃から紀元700年頃にかけて栄えた。場所はペルーの首都リマから南に400kmの海岸地帯で、ナスカの地上絵は内陸の砂漠地帯にある。地上絵のモチーフは動植物とか直線、幾何学図形など。いろいろな生き物が描かれている。

鳥ではコンドル、ペリカン、ハチドリ(真ん中の画像、全長50m)、オウム。海に住む生き物ではクジラ、シャチ、そして海草もある。地上の動物ではサル(下、全長110m)、クモ(全長46m)、そして全長225mもある蛇鵜(へびう)という奇妙なのもいる。

空から形をつくる線に見えるのは石をどけたとき下からあらわれる幅10cmの白い砂地。巨大な絵はどれも一筆書きで描かれている。線は人間が歩くための細い道で、一筆書きにしてあるのは人々が立ち止まらず歩き続けるための工夫なのだそうだ。

では何のために人々はこの道を歩くの?村々にはそれぞれの神があり、それらがサルとかクモだった。祈りが天空に届くために大きなシンボルを描き、そこを歩いた。歩くことが神への祈りだったのである。郷土史家によると、平原は壁のない神殿で、地上絵が描かれた大地は神聖な儀式の場だった。

さらに時代が下ると、無数の直線が描かれるようになる。この直線が集まるところを人々は聖なる儀式の場と定め、村々から直線に沿ってその聖地をめざした。皆がひたすら祈ったのは水の恵み!長い歴史のなかで気候変動があり大干ばつに襲われることがしばしばあったから、聖なる場所でささげたのは水への祈りだった。

昔からナスカの地上絵の謎にはいろいろな説があったが、今回の話はとてもおもしろかった。研究が進み謎がすこしずつ解き明かされてきた古代南米文化について、あれこれと思いをめぐらすのも楽しいかもしれない。

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2008.06.23

イチローはチームの選択を誤った!?

417大リーグのレギュラーシーズンは中間点にさしかっている。

戦前の順位予想で大ハズれなのがイチローが所属するシアトル・マリナーズ。

アリーグ西地区で首位を走るエンゼルスから19.5ゲーム離され、3位のレンジャーズに対しても12ゲーム差という断トツの最下位。

その勝率0.347は全球団のなかでも最低!こんな成績ではGMやマクラーレン監督のクビが飛ぶのは当たり前だろう。

今年のイチローはチームの先発ピッチャーが揃ったので、例年と比べプレーにも張りがでて、200本安打も楽々達成するにちがいないと思っていた。だが、チーム状態がこれほど悪化すると、天才イチローといえどもモチベーションを上げヒットをコンスタントに打ち続けるのは相当きついかもしれない。

現在、75試合を消化し、打率0.288、90安打。イチローのことだから、頭を切り替えてこれからの試合にのぞむだろうが、8年連続200本安打という大リーグ史上の偉業がはたして達成できるかちょっと心配になってきた。ガンバレ、イチロー!

それにしてもイチローはチームに恵まれない。ヤンキース、アストロズの両松井、レッドソックスの松坂、岡島、現在パドレスにいる井口、フィリーズの田口らがワールドシリーズを経験し、なんと松坂、岡島、井口、田口の4人があっさりチャンピオンリングをゲットしてしまった。イチローの羨ましそうな気持ちが手にとるようにわかる。

昨年、イチローがFAの権利をとったとき、レッドソックスへ移籍してくれないかと強く願っていたが、イチローの意志はマリナーズへの残留だった。そのとき、イチローにとってシアトルの住み心地がいいので、寒いボストンとかNYには行きたくないのだろうなと思った。また、チームも嫌な前監督に代わり、波長の合うマクラーレンコーチが指揮をとるようになったから、マリナーズのチーム力がアップし、ワールドシリーズへの道が開けてきたと期待したのであろう。

ところが、このマクラーレンはコーチとしては優秀だろうが、監督の能力ははっきり言って?だった。それは昨年のシーズン終盤に見せた采配でよくわかった。この人にはチームを引っ張っていく強いリーダーシップがないのである。もちろんプレーをするのは選手だから、選手が個々の投げる力や打撃力を期待通りに発揮してくれなければ駒を動かしようがない。

でも、そういうとき能力のある監督ならコーチに指示するなり、直接選手にアドバイスするなりして、チームの建て直しを図る。監督のキャリアが半年しかないといっても、優秀だったらチームがこんな無様なことにはならない。イチローは選手にいろいろ気配りのできるマクラーレンをすごく買っていたようだが、監督としての能力は見誤ったのでは?

よほどの大補強をしない限り、マリナーズの再建は難しいだろう。イチローは今、35歳。ワールドシリーズで活躍する姿を切に望んでいるが、夢に終わるかもしれない。

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2008.06.22

マティスとボナール展 地中海の光の中へ

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現在、葉山の神奈川県近美で行われている“マティスとボナール展”(5/31~7/27)は川村記念美から巡回してきたもの。期待値はそれほど高くない。理由は単純でボナール(1867~1947)に関心がないから。どういうわけかこの画家の絵には昔から心が動かない。だから、観覧料1200円に見合う内容となると、必然的にマティス
(1869~1954)の作品への期待が大きくなる。

実はこちらのほうもチラシに載っている“赤い室内、青いテーブルの上の静物”(真ん中の画像)は04年の“マティス展”(西洋美)で鑑賞済みだから、プラスαが果たしてあるかどうかは少し不安だった。マティスは大変好きな画家だが、対面する作品にいつも感動しているわけではない。鮮やかな色彩に200%感激するものも沢山あるが、同時に、退屈する絵もこれまた多い(これはピカソにも言えるが)。

国内の美術館にあるマティスでこれまで感激した絵は残念ながら一点しかない。今回出品されている油彩画31点のなかに、それがでている。以前東近美であった“琳派展”で思いがけずも遭遇した“琥珀の首飾りの女”(1937年、ベネッセコーポレーション)。衣装と口紅の赤、大きな目が心をとらえて離さない。

1937年にマティスはいい絵をいくつも描いている。上は大収穫の“黄色い服のオダリスク、アネモネ”。フィラデルフィア美が所蔵するマティスの名作は昨年楽しませてもらった“青いドレスの女”(拙ブログ07/10/13)だけではなかった。奥行きがなく、平面的に塗られた黄や青、赤の色面を釘付けになってみた。この2点に較べると京近美蔵の“鏡の前の青いドレス”は構成があっさりとしていて色彩のインパクトも弱い。

“マティス展”に出品されたのが今回5点あったが、最後のコーナーに飾られている“赤い室内”と切り紙絵“ジャズ”が一際輝いている。マティスが“赤い室内”を描いたのは
78歳のとき。老いてますます色彩が燃え上がるという感じ。赤い壁や床に描かれた黒いジグザグ模様を見ていると、最近みたウングワレーの自由でびやかな線が頭をよぎった。丸テーブルにある果物は切り紙絵で表現されたような極めてシンプルなフォルムをしている。

一方の主役、ボナールの絵は45点ある。ボナールの作品が好きになれないのは構成がごちゃごちゃして対象がはっきりしてないため。また、光と色彩にくらくらした経験もない。これまでパリのオルセー、ポンピドゥーとかNYのメトロポリタン、MoMA、グッゲンハイムなどで代表作といわれるものはそれなりにみているのだが、どうも近づけない。

だが、不思議なことに今回足がとまったのが3点あった。横長の“陽の当たるテラス”と“花咲くアーモンドの木”(ポンピドゥー)はウングワレーの点描を連想させるなかなかいい絵。また、下の“浴槽の裸婦”にドキッとした。バスタブと妻マルトの肌が白いこと!これだけ光を感じられればグッとくる。マルトは一日の半分を浴室で過ごしたという。まったく変わった女性である。

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2008.06.20

出光美術館のルオー大回顧展

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出光美術館で今、開催中の“ルオー大回顧展”(6/14~8/17)を見た。今年は海外の美術館でルオー(1871~1958)の作品を見る機会に恵まれなかったのに、国内ではルオーの当たり年。松下電工ミュージアムの“ルオーとマティス展”(拙ブログ4/19)に続いて、出光美でも回顧展が開かれた。出光は約400点のルオー作品を所蔵しており、今回はこの世界的に有名なコレクションのなかから200点が展示されている。

過去ルオーの特別展を何回か鑑賞し、また、ここへ足を運ぶときは必ずルオーの展示室にも寄るから、代表作の多くは目に入っているはず。でもまだみてない油彩でサプライズがあるかもしれないと思い、会場を回った。結果は?既に見ている絵との再会に終始し、初見で足がとまったのは一点しかなかった。これはこの美術館と長くお付き合いをしていることの証だから、仕方がない。お気に入りの絵を2回みて30分で切り上げた。

以前から、“受難”(64点)などの宗教画よりも画面いっぱいに道化師とか娼婦とか裁判官が描かれたものや銅板画集“ミセレーレ”(58点)、“流れる星のサーカス”(17点の内6点)がお気に入り。上は初期の作品“客寄せ”。大きなマッスで表現された道化師二人が向かい合って太鼓をたたき客寄せに励んでいる。

真ん中は全作品のなかで最も魅せられる“小さな家族”。とても大きな絵で縦2.12m、横1.20mある。これはポンピドゥーにある“傷ついた道化師”と並び称される傑作。かたい絆で結ばれた道化師一家はつかの間の休みに心の緊張をほどき、顔をみつめ合っている。ルオーの道化師に寄せる深い愛情がひしひしと伝わってくる。

出口近くのコーナーに飾ってある晩年の油彩画が圧巻!あの絵肌の盛り上がりが一際目立つのが“葉子”、“オネズィーム”、“アルルカン”。なかでも黒の太い輪郭線でふちどられた顔と黄色に重ねられたエメラルド緑が目にとびこんでくる“アルルカン”はいつ見ても強い衝撃を受ける。

絵の前でほっとするのが横顔がとてもチャーミングな“X夫人”と下の目をつむった卵顔の“優しい女”。ブリジストン美にも似たような顔をした“ピエロ”といういい絵があるが、生来女性画にとりつかれているので、色白の“優しい女”のほうに心が傾く。この絵を見るたびにポンピドゥー蔵の美しい聖女“ベロニカ”になんとしても対面せねばと思う。

出光が世界に誇るルオーコレクションをまだ見られてない方はこの機会をお見逃しなく!

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2008.06.19

コロー展  そのニ 女性画

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一人の画家の回顧展が開催される場合、誰れしも美術本とか画集に載っている代表的な作品ができるだけ多く展示されていることを期待する。このコロー展にはルーヴルが所蔵する作品のなかで最も有名な3点、“モルトフォンテーヌの思い出”、“真珠の女”(上の画像)、“青い服の婦人”(真ん中)が揃い踏みしているのだからすごい!

もちろんルーヴルにはまだまだコローのいい絵があるので、欲を言ったらきりがないが、この3点を含めてよくぞこれほど多くの名作を貸し出してくれたものである。ルーヴルに限らず、オルセー、ポンピドゥー、ギメなどパリにある美術館はどこも本当に気前がいい。

25点ある人物画のなかにも強い磁力をもっている作品がいくつもある。展示室に入ってすぐのところに43歳の頃の“自画像”(ウフィツィ美)がある。晩年、絵を制作中のコローを撮った写真をみると角々したいかつい顔をしているが、この頃はまだ少年っぽさが残っている。どうでもいいことだが、老人コローをみてすぐ連想したのが俳優の東野英治郎、あの水戸黄門様と日本画家の川端龍子。

人物画のほとんどが女性を描いたもの。裸婦図も一点“水浴するディアナ”がある。お目当ての一番はルーヴルで会えなかった“真珠の女”。背景の色と着ている服が土色系なので派手さはないが、その目鼻立ちの整った容貌は近づきがたいほど美しい。コローは画面の中に木の葉を散らすのが好きで、この女の髪飾りにもお決まりの赤やうすい青緑の葉がみえる。この絵にはすごく惹きつけられるが、一方でどうしても絵のなかに入りきれない壁のようなものも感じる。だぶん、内面の揺れが見えてこないからだろう。

これと較べると真ん中の“青い服の婦人”はどうしようもなく心をゆすぶり、“ちょっとお休みですか?”と声をかけたくなる絵。ルーヴルで対面したときは、時間があればいつまでも見ていたい気分だった。肩から腕にかけての肉付きのよさはいかにも欧米の女性を思わせ、ピアノの上に肘をつき口元に手をやる姿がなんとも魅力的。

横向きでこちらを振り返る珍しいポーズに惹きこまれるが、同時に女性の心のなかがふと顔や体全体に表れたところを捉える描写力はどこかドガの“菊の花と女”(メトロポリタン、拙ブログ5/15)やマネの“プラム”(ワシントンナショナルギャラリー)に通じるものがある。これまで好きな女性画の上位はフェルメール、マネ、ルノワール、サージェントの絵で占められていたが、この絵を加えることにした。

下は目の鋭さにタジタジになった“草地に横たわるアルジェリアの娘”(ゴッホ美)。どうでもいいことをもう一つ。この娘は安達裕美とかあの“別に、、、”の沢尻エリカによく似ている。これと同じくらいインパクトがあるのがルーヴルで見れなかった“身づくろいをする若い娘”。また、“本を読む花冠の女”も運良くリカバリーできた。

この回顧展は満足度200%のすばらしいものだったのだが、最後に気になったことを少し。コローに刺激されたり、影響を受けた画家の作品が20数点あったが、会場を進む途中、これらを一緒に展示する必要があったのかな?と思った。純血でいくか?多少ほかの画家の作品を混ぜるか?意見の分かれるところである。

個人的には、静寂なコローワールドに浸っているときに、特段惹かれることもないルノワール、ブラック、ピカソの絵が出てくると、“イメージを分断するような絵を横に置かないでよ!”と言いたくなる。弟子のピサロとかシスレー、モネあたりはOKだけれども、ほかの絵はとても違和感を覚える。どうしてもコローの偉大さを主張したいのなら、昨年の“モネ展”(国立新美)のように別のコーナーを設けてそこで展示したらいい。

海外美術館めぐりで遭遇した大規模な“ホドラー展”、“クールベ展”、“ホッパー展”、“プッサン展”はすべて純血主義だった。今回のコロー展は世界のどこへもっていっても胸をはれる一級の回顧展。これだけの名作を世界中の美術館から集めてきたのだから、コローの絵だけで充分。日本の美術館の悪い癖は説明的すぎること。日本人は世界で一番絵画が好きな民族、質の高い作品をみればコロー絵画のすばらしさはしっかり感じられる。説明に使った絵がコローの足を引っ張ったのでは元も子もない。

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2008.06.18

国立西洋美術館のコロー展  その一 風景画

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待望の“コロー展”(国立西洋美、6/14~8/31)が先週の土曜日からはじまった。初日の朝からそんなに人は来てないだろうと思っていたら、これが大間違い。10時なのに1階のコインロッカーはもう全部鍵がかかっている。となると会場にはかなりの人がいる?!ちょっと信じられない光景だが、絵の前は牛歩状態。“コローのモナリザ(真珠の女)”をャッチコピーにしたチラシの宣伝効果が相当効いている感じである。

出品作は全部で120点。すべてがコローの絵ではなく、コローの影響を受けた画家の作品が26点ある。コロー作品94点はこれ以上望めないすばらしいのが揃っている。西洋美が主催した画家の回顧展としては04年の“マティス展”、05年の“ラ・トゥール展”以来のビッグヒット!

ここの特別展に対する期待値は前からこのレベルなのに、ここ2,3年は美術館が所蔵する自慢の名作をことごとくNG出しされたような“ベルギー王立美術館展”とか普通の美術ファンには見向きもされないマニエリスム絵画を集めて専門家や通好みの受けを狙った“パルマ展”などしか開催してくれなかったから、西洋美の評価は東京都美より下にしていた。だが、今回は久しぶりに本来の実力を発揮してくれた。

少し先走って言うと、このコロー展の内容は8月から約1ヶ月会期が重なる“フェルメール展”(東京都美、8/2~12/14)に一歩も引けを取らない。むしろ、こちらのほうがトータルの質では確実に上回る。もちろん、フェルメール展もすごい企画だから、両方を一緒に見るのが一番贅沢な美術鑑賞の仕方。コローの作品は風景画59点、人物画25点、ガラス版画10点で構成されている。まず、風景画から。

1月、3月に行った海外の美術館めぐりで、コロー(1796~1875)の作品を沢山目に焼きつけた。そのなかで紹介できたのはほかの絵との関係で“モルトフォンテーヌの思い出”(拙ブログ4/2)のみ。この絵との対面はエポック的と言ってもいいくらいで、これまでのコローに対する評価が一変した。コローが好きになれなかったのは要するにいい絵に遭遇しなかったから。再会してまたこの絵に惚れ直した!もう一点、密かに期待していた絵があった。それはオルセーで会えなかった“朝、ニンフの踊り”。これが見れたら代表作はほとんどみたことになったのだが。

コローがイタリア留学したとき描いた作品ではなんといっても上の“ティヴォリ、ヴィラ・デステの庭園”(ルーヴル)が最高にいい。前景中央に添景として描かれた子供の姿がとても印象深く、その向こうには夏の静かな陽光のなか、糸杉が左右にどっしり立ち並ぶ。光の強い南国なのに色彩はそれほど強くはなく、穏やかで画面全体が落ち着いた静けさにつつまれている。

真ん中はぼんやりとした木々や鬱蒼とした森が描かれた作品とは趣が異なる“ドゥエの鐘楼”(ルーヴル)。ドゥエは北フランスの町で、75歳のコローはここにしばらく滞在して町のシンボルである鐘楼を描いた。手前両サイドの建物は大半が画面からはみ出し、視線が中央の鐘楼にすっと集まるように構成されている。通りでは縦に移動する人に加えて、馬や会話している年寄りの男女が横向きに描かれているのがおもしろい。

コローの風景画が平穏で落ち着いた気分で見られるのは水平と垂直の線で画面がうまく構成され、そして斜めの線で遠近感を出しているから。その典型的な作品が下の“アルルーの風景、道沿いの小川”。これはロンドン・ナショナルギャラリーでみて大変魅せられた。男が乗った小舟は横向きになっており、左には水鳥が二羽、右の草地には犬がみえる。そして、右の川岸で斜めに等間隔に立つ緑豊かな大きな木の端にはもう一人の農夫が腰をかがめて作業をしている。

国内の美術館から出品された10点のうち8点ははじめて見る絵だった。大作が“ナポリの浜の思い出”(西洋美)と“ボロメ島の浴女”(ひろしま美)、“ヴィル=ダヴレーのあずまや”(丸紅)。丸紅がもっている絵と小品だが光の輝きが美しい“ヴィル=ダヴレーのカバスュ邸”(村内美)を見れたのは大きな収穫だった。

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2008.06.17

小室山 森のぞうがん美術館

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伊豆ミニ旅行で思いがけない工芸品に遭遇した。

伊東から国道135を南に下っていく途中、それほど遠くないところに小室山観光リフトというのがある。スキー場のリフトと同じものに3分乗っていると標高321mの山頂につく。展望台の外にでて、しばらく海の向こうに見える二つの島を伊豆七島の解説プレートにより大島、利島と確認しながら眺めていた。

英一蝶が島流しにされた三宅島はこの間にあるはずだが、見えなかった。島の位置関係が頭に入ってないので、仮に見えたとしてもどのくらいの大きさなのか検討がつかない。

大パノラマを充分楽しんだので、展望台に戻り今年の4月1日にオープンしたという“森のぞうがん美術館”に入ってみた。ヨーロッパを旅行しているとよく家具や調度品に施された伝統工芸、木のぞうがん(マーケタリー)に出くわす。このマーケタリーがここに展示されているのである。日本初の木のぞうがん美術館だそうだ。

上の写真が入り口で下の2枚が展示されている作品の数々。自然の木の色を絵の具替わりにして制作された絵が最も多いが、家具・調度品、そしてコースター、トレーなど暮らしのなかで使う小物などもある。作品の一部は非売品となっているが大半は値段つき。

熟練された高い技術がないととても売り物になるような作品は出来上がらず、しかも完成までにかなりの日数を要するものだから、値段もそれなりのものがついている。たまたま若いカップルが居合わせ、この美術館を運営されている横田夫妻の奥さんと注文する飾り物かなにかの図柄について打ち合わせをしていた。

マーケタリーをまとまった形でみることがなかったから、風景画を中心にしばらく食い入るようにみていた。木の色合いをいろいろ組み合わせたり、木目の特徴を生かして、画面の中に奥行きや動きをつくり切り取った風景を表現している。

ご夫妻はイタリアに何年か住み、独学でこのマーケタリーの技術をマスターされたそうだ。奥さんの横田東史子さんは現在、NHK文化センターの“木の象がん細工”の講師をつとめておられる。お二人とも豊かな感性をお持ちで、心をゆすぶる作品がいくつもあった。ご主人の作品では“奥入瀬”と“ヴェネツィア風景”、奥さんのでは森の大きな木と可愛い子犬たちを描いた絵に魅了された。

こちらのほうへ来る機会があったら、また、リストで登ってみたい。

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2008.06.13

エミリー・ウングワレー展 アボリジニが生んだ天才画家

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記事の組み合わせの関係で取り上げるのが遅れたが、今、国立新美で行われている“エミリー・ウングワレー展”(5/28~7/28)は開幕の日に見た。以前アボリジニの砂絵をTVでみたとき、その鮮やかな色彩にとても魅せられた。だから、この展覧会の情報を得たときから開幕を心待ちにしていた。

チラシで顔を見るまではウングワレーおばあちゃんのことはまったく知らなかったし、作品も見たことがない。1910年ごろオーストラリア中央の砂漠地帯で生まれ、1996年に亡くなったという。制作の過程を知れば知るほど、ウングワレーの天才ぶりにびっくりさせられる。カンヴァスに絵を描きはじめたのは1988年からで、その後の8年間で
3000点も制作する。その中から今回120点余りが展示してある。オーストラリア以外で大規模な回顧展が開催されるのははじめてらしい。

作品は欧米の作家や日本の草間彌生らが描く抽象絵画となんら変わらないし、大画面のものが多いから、展示スペースが広いこの美術館はうってつけの展示空間かもしれない。初期のバティック(ろうけつ染め)、カンヴァス画が7つの切り口でくくられ、ユートピア・ルームと名づけられたコーナーには小さな木のつくりものが飾られている。

“点描”のところに展示されている作品が最も多く、33点。いろいろなヴァージョンがある。使われている色は白が一番多い。そして、白の点のなかにさらに土色や赤茶色の点をおいたりして多様な点をつくりだしている。また、画面全体がびっしり点描で埋まっているもののほかに、点のなかに象形文字のような線が見られる作品もある。とくに惹きつけられたのが“アルハルクラの故郷”、上の“雨の後”、“カーメ 夏のアウェリェⅠ”。

これらの前では草間彌生の作品(拙ブログ05/6/22)のイメージと較べながら眺めていた。こういう模様はウングワレーが毎日目にする砂、岩とか植物や大トカゲ、エミューなどから霊感を得て生まれてくるのだろうが、“雨の後”では均質の点で構成される一つの模様が無限に繰り返されるのではなく、黄色や赤や緑の点の響き合いにより生まれる模様が上下、左右に変容しながら動いている感じ。

“色彩主義”にある作品では、画面は細かな泡が連続するような形でつくられる色面で構成される。見ごたえのあるのが22枚から成る“アルハルクラ”や緑が印象的な大作、“大地の創造”。アボリジニの大地の生命力が鮮やかな色彩パワーで表現されている。真ん中の強烈な赤が目にしみる作品をみているとクプカの絵(04/12/6)を連想した。

下は長い時間見ていた“ビッグ・ヤム・ドリーミング”。これは巨大な絵。縦2.9m、横8mある。黒地にヤムイモの根をイメージさせる白い網の目が画面いっぱいに描かれている。白い線の伸び方、曲がり方とか線と線の絡みにきまったパターンはなく、局所々のフォルムに強く引き込まれる。

抽象絵画の楽しさが存分に味わえるすばらしい展覧会だった。ウングワレーに嵌りそう。
なお、6/14~16まで拙ブログはお休みします。

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2008.06.12

バウハウス・デッサウ展

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現在、東芸大美術館で行われている“バウハウス・デッサウ展”(4/26~7/21)はちょっと当てが外れた。出品作241点のなかにカンディンスキーとクレーの絵がいくつも含まれていると勝手に思い込み、これを見るのを楽しみにしていたのである。勘違いもいいところ!

目の前にあったのはA4サイズの紙が4つもはいる大きなチラシにびっしり載っていた椅子、テーブル、照明器具、建築模型などが中心。カンディンスキーやクレーの絵はあることはあるが学生たちが使うテキスト用だから、目を輝かせてみるほどのものではない。

建築やデザインの世界で大きな影響を与えた美術学校の活動に焦点をあてた展覧会だから、ここに足を運ぶ人は建築に興味を持っている人とか、実際に建築・デザインの仕事をしている専門家、あるいは美術学校で勉強中の建築家やデザイナーの卵なのだろう。どれにも当てはまらないのだが、1400円も払ったから少しは見ておこうと30分ばかりいた。

上は1926年、グロピウスの設計によりデッサウに建てられたバウハウスの新校舎。今ならこういう建物はごく見慣れたものであるが、当時人々は過剰ともいえるほどお飾りをいっぱいつけた伝統様式の建築物に囲まれて住んでいたから、こうしたデコレーションが一掃された機能主義の校舎の出現に相当なショックを受けたに違いない。

バウハウスが提唱する機能主義というのは目的に合うように設計すれば、おのずと美しいものができるという考え方。ここに集まった優秀な教授たちは次々と近代生活のためのデザインを生み出していく。現在、われわれの身の回りにあるスチールパイプの椅子などが(真ん中の画像)、この学校で最初に作られた。

入れ子のようになった4つの置き台が面白かったから、家に帰って話すと隣の方は“私は知っていたわよ”と軽く言われた。デザインの流れにだいぶ遅れているようだが、残念ながらこのタイプのものを見たことがない。もう一つ魅せられたのは下のゆりかご。シンプルな形と赤、黄色の組み合わせがいい。これぞ機能美!

会場には初代校長グロピウスの校長室が再現されていた。また、古い舞台映像が上映されていたので、しばらく見て退場した。

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2008.06.11

セリーグは阪神タイガースで決まり?!

418連日、美術の記事ばかりなので、たまには野球の話でも。

今年のセリーグはタイガースがエラく調子がいい。2位中日との差は7.5ゲーム。ペナント終了まで4ヶ月も残しているのに、優勝はもうタイガースで決まり?!

関西は毎日が楽しくてたまらないだろう。今のうちから、昨年のジャイアンツのようにクライマックスシリーズでズッコケナイ対策を考えていたほうがいいかもしれない。

まあ、そこまで考える余裕は岡田監督、選手にはないだろうから、まずは前の橋(ペナントレース)から確実に渡っていけばいい。こういう独走体勢に入ったときの戦い方で一番気をつけなければいけないのは大きな連敗をしないこと。このためには投手力の踏ん張りが必要。

今年は岩田がすばらしい活躍をしている。現在、5勝2敗、防御率はリーグ1位の1.73。ベテランの下柳が6勝1敗、安藤は6勝4敗。リリーフエースの藤川は勿論健在だが、どういうわけは時々ストライクが入らなくなるときがある。これさえなければ磐石。

打撃陣ではなんといっても新加入の新井と金本の元広島コンビの頑張りがチームを引っ張っている。新井は広島でカープを応援していたころは“何年たっても成長しない新井”だったが、ここ数年でやっとバッティングに開眼し、いい働きをするようになった。打率0.335(リーグ4位)、ホームラン8本、打点45は予想を大きく上回る成績。新井はまじめだから先輩の金本を手本にして一生懸命に練習する。立派である。

その新井のバットに刺激されて師匠の金本も調子がすこぶるいい。打率は3位の
0.340、ホームラン9本、打点は47。打率ベストテンには赤星(0.321、8位)、鳥谷(0.310、9位)も入っている。あとは岡田監督の采配いかんである。一度優勝を経験しており、監督術もこなれてきたから、大丈夫だろう。

さて、タイガーズを追う中日の巻き返しはなるか?あまり期待できない。勝てなくなった理由はだいたい察しがつく。ズバリ言うと昨年中日を日本一にさせ大監督になった落合と選手、コーチとのコミュニケーションが上手くいってないから。落合は何を勘違いしたのか、最近は選手がホームランを打って帰ってきても迎えにもでず、ベンチの後ろで腕組みして見ているだけ。あの楽天の野村監督だって選手とハイタッチしてるというのに。

こういう大監督然とした態度をとるようになるともう先は見えている。落合の性格からすると、威張りちらすことは容易に想像できる。だから、中日はこれから下降線をたどると思っていたが、その通りになってきた。いずれジャイアンツに抜かれる。中日に二匹目のドジョウはなく、ジャイアンツがクライマックスシリーズにかすかな望みをもってこれからの残りゲームを戦っていくことだろう。

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2008.06.10

広重とマンテーニャのシュール感覚に驚愕!

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今日はおよそ結びつかない二つの絵の不思議な響き合いをご紹介したい。

美術館をまわっていると時々とんでもないサプライズの絵に出くわすことがある。大丸ミュージアム東京で開かれていた“四大浮世絵師展 中右コレクション”(4/25~
5/12)は閉幕間際に行ったので、記事にできなかったが、ここにびっくりする絵がでていた。もちろんはじめてみる絵。

それは歌川広重(1797~1858)の“平清盛怪異を見る図”。上は大判、三枚続の右と真ん中で、真ん中は一番左。体の中央で床に立てた刀をもち、庭のほうを見ているのは平清盛。ここは福原の殿舎。庭の雪の積もった築山や燈炉、松の木を何気なしに見ていたが、すぐここにはスゴイものが描かれていることに気づいた。築山は大きな髑髏に見え、松の葉に積もっている雪のかたまりは小さな髑髏々!

これはまさにシュルレアリスム絵画によくでてくるダブルイメージ。松の横にある細い木に目をやるとそれがさらに明確になる。幹と枝が5つの骸骨に変わっている。この髑髏や骸骨は平治の乱で平家に殺された源氏の武士。木の中から骸骨の姿で“おのれ、清盛!いつか復讐してやるからな”と呪っているのである。これは参った!

思わず、“ええー、広重がこんなシュールな絵を描いてたの?!”と心の中で叫んだ。そして、すぐ、一枚の絵を思い出した。ルーヴルでみた下のマンテーニャ(1431~
1506)が描いた“美徳の勝利”(部分)。これは1504年頃の絵で、左の盾と槍をもった知恵の女神ミネルヴァがヴィーナスと悪徳を美徳の園から追放する場面が描かれている。

ミネルヴァの後ろの暗い緑色をした木をよく見ていただきたい。まっすぐに立つ木が足と胴体が異様に引き伸ばされた女になっている。このダブルイメージにびっくりしたことは“ルーヴル その二”(2/26)で書いたが、日本の浮世絵でも同じような絵に遭遇したのである。340年の時を隔ててマンテーニャと広重が響き合っている!これはおもしろい。

16世紀のはじめに、シュルレアリスムのイメージを彷彿とさせる絵を描くマンテーニャの想像力にも驚愕だが、広重の骸骨も衝撃的。広重には体をいろいろ捻ってその影を障子にうつして石燈篭にみせる“即興かげぼかし尽し”のような戯画があるから、ダブルイメージも一連の遊び心から生まれたのだろうが、それにしても頭が柔らかい。同門の国芳の影絵やアンチンボルド風の寄せ絵から刺激を受けたのかもしれない。

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2008.06.09

江戸東京博物館のペリー&ハリス展

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昨日の大田南畝展同様、江戸東京博物館の“ぺりー&ハリス展”(4/26~6/22)も関連史料を見るのが目的。今年は1858年(安政5年)に日米修好通商条約が結ばれてから150年にあたる。ここ数年、幕末史の本をとんと読んでないが、ペリーとハリスに焦点をあてた企画展となると、歴史好きとしてはつい足が向く。

展示されている国内外の博物館などの所蔵する史料は全部で250点。これらがわかりやすい6つのくくりでまとめられている。
序章 黒船前後~米国と日本の出会い~
1章 ペリーの来航から日米和親条約の締結へ 
2章 日米の饗応と交歓 
3章 ハイネの見た日本 
4章 日米修好通商条約 
終章 遺米使節の見たアメリカ。

前半で熱心にみたのが“サスケハナ号模型”(1/50)、日本語訳で読んだ“ペリー艦隊日本遠征記”(初版)、“阿蘭陀風説書”。嘉永6年(1853)浦賀沖に来航したぺりー艦隊4隻の1隻サスケハナ号の全長は78m。艦隊のまわりに浮かんでいる日本の小舟に較べるとやはり大きい。“たった四はいで夜も寝られず”がよくわかる。

以前から関心の高かった“阿蘭陀風説書”(重文、江戸東博蔵)をはじめてみた。これは近藤重蔵の遺品で、現存する唯一の原本とのこと。隣にある“阿蘭陀機密風説書”も興味深い。老中阿部正弘はペリー艦隊の動きをこうした別段風説書で知っており、この情報を島津斉彬ほか雄藩大名に極秘で流したが、具体的なアクションをとるにはいたらなかった。

上のようなペリー図がいろいろある。米国で描かれた肖像画や写真よりも、こちらのほうが格段におもしろい。当時の瓦版などのメディアは伝聞情報と既存の図版をミックスさせて種々なぺりーのイメージをつくりだした。前期に出ていたのは西郷さん似。これは実像に近いが、手の爪が長く鳥のように描かれている。

ペリー艦隊に随行した画家、ハイネが日本の風景や人物を描いた絵が今回、ミュンヘン国立民族学博物館から20点出品されている。真ん中はその一枚、“東海道の宿”。ほかは大きな江戸市中俯瞰図や富士山や下田の風景とか、火事や裁判の場面を描いたものなど。

浮世絵で目をひくのが一点あった。下の“東都名所見物異人 神田神社内 ふらんす”。中景で小さく描かれた町のひとたちが遠巻きに眺めている男女の異人さんの体が大きいこと。人々には彼らが怪物のように見えたのだろうか。幕末史はライフワークなので、今回の図録は貴重な資料。収穫の多い展覧会だった。

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2008.06.08

蜀山人 大田南畝 ー大江戸マルチ文化人交遊録ー

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展覧会のチラシは美術館を訪問し、図録を購入すればほとんど処分する。でも、現在、浮世絵の専門館の太田記念美術館で行われている“蜀山人 大田南畝展”(5/1~6/26)のチラシはなかなかよくできているので、ずっと持っていようと思う。

3年くらい前、野口武彦著“蜀山残雨 大田南畝と江戸文明”(03年12月、新潮社)を読んだので、大田南畝(1749~1823)については少なからず興味がある。だから、この展覧会は文献資料収集の一環みたいなもの。いい浮世絵があるにこしたことはないが、それよりは大田南畝の幅広い文芸活動を示す関連資料や浮世絵作品が収録された図録を入手するのに大きな喜びがある。

狙い通り、狂詩の“寝惚先生文集”や大田南畝が賛をした浮世絵とか谷文晁らとコラボした書画などが沢山あった。上はチラシにも使われている興味深い絵。八百善の二階の座敷で大田南畝が仲間と料理を食べながら歓談しているところ。右側にいるのが74歳のころの南畝。

手前の坊主頭の人物がこの絵を描いた鍬形薏斎(くわがたけいさい)。薏斎(1764~1824)は今年の二月ごろ東博で展示してあった“近世職人尽絵詞”を描いた絵師。南畝の右隣にいるのが書で有名な亀田鵬斎(かめだぼうさい、1752~1826)。そして、左で手を前に出し笑っているのが漢詩の大窪詩仏(おおくぼしぶつ、1767~
1837)。

南畝は“狂歌連”のネットワークの中心人物。その交際範囲は広く、酒井抱一や人気の歌舞伎役者五代目市川団十郎らもお仲間。狂歌師、絵師、文人たちは活発に交流し、その中からいろんな合作が生まれた。

真ん中は酒井抱一、鈴木其一が絵を描き、亀田鵬斎が賛を書いた“松に鶴亀図”。これは所蔵している江戸民間書画美術館で一度みたことがある。ここはNHKの歴史大河ドラマなどでよく重臣の役で出演されていた有名な俳優、渥美國泰氏の個人美術館。

渥美氏は役者であるとともに、江戸絵画の知る人ぞ知る有名なコレクター。とくに亀田鵬斎のコレクションは日本一と言われている。世田谷にある自宅の一部にこれらを飾っておられる。上の八百善の絵も渥美氏の所蔵。もうだいぶお年をとられている渥美氏と懇意にしている友人から声がかかり、みせてもらったというわけ。

4,5点あった歌麿の絵で足が止まったのが下の“水辺で寛ぐ三美人”(太田記念)。色がよくでており、とてもいい気分になった。今回は大田南畝が主役だから浮世絵はこの一枚で充分。

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2008.06.07

広重の六十余州名所図会

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ららぽーと豊洲(地下鉄有楽町線豊洲駅から徒歩5分)のなかにあるUKIYOーe TOKYOで開催される浮世絵展はなるべく見逃さないようにしているが、現在行われている“広重ぐるり日本一周ー六十余州名所図会”(5/17~6/29)は行くかどうかでかなり迷った。というのも、“六十余州”は昨年8月、神奈川県歴史博物館で見ているから(拙ブログ07/8/24)、今回はパスかなという気分が強いのである。

でも、HPの文言“摺り、保存状態とも優れていると評価の高い”が気になってしょうがない。また、一月、江戸東博であった“北斎漫画展”(1/11)のときお話をさせてもらったプロの摺師の方も“UKIYO-e TOKYO(平木浮世絵財団)の所蔵している浮世絵は摺りがいいのが多いから、よく見に行きます”と言っておられた。見逃して後で後悔するのも嫌なので、やはり出かけることにした。

果たして、これが大正解!ここのは初摺で、昨年見た丹波コレクションは大半が後摺だった。昨年買った図録で一点々見比べてみると、初摺のほうが断然すばらしい!だから、もう夢中になってみた。展示スペースは広くないが、浮世絵のサイズは小さいから
69点が全部みられる。

“六十余州”の3年あとに描かれた“江戸名所百景”でも言えることだが、初摺と後摺の顕著な違いは、後摺では初摺にあった海や川の藍のぼかしとか空にうっすらと流れる“あてなぼかし”が一部無くなっていたりすることや藍とか緑の微妙なグラデーションがなく均質な色になっていること。

また、色が初摺とまったく違っていたりするのもある。一番びっくりしたのが“美濃 養老ノ滝”。後摺では滝の両端をのぞき空摺の白で表現されているのに、目の前にある滝はまったく逆で大部分が濃い藍で、端にいくにつれてぼかされている。そして、滝のまわりの岩の色が緑と黄色ではなく、まさにこげ茶のグラデーション。“ありゃりゃ、こんなに違うの!”という感じ。

とにかく初摺のほうが海、川、空、そして家の屋根にまで色の諧調をきかせ、色の微妙な変化を詩情豊かに表現している。広重のやわらかい感性がこうした色調を生み出したのだが、後摺になると、絵師の表現しようとした風景のイメージから変容し、画面全体が平板な印象で強い色味になってくる。広重のはっとする大胆な構図とかはもちろん後摺でも変わることはないから、後摺でも広重の魅力を充分に味わえるが、こういう摺りのいいのを見ると、やはり浮世絵の楽しみは初摺を見ることだなとつくづく思う。

気に入っている絵はいくつもあるが、昨年取り上げなかったのを3点選んだ。上は風のシュールな描写にびっくりする“美作 山伏谷”。川を流れる舟のまわりを囲むように藍のぼかしがきっちりはいっている。真ん中はかつお漁を描いた“土佐 海上松魚釣”。大きな波のうねりを表す藍の濃淡が目に飛び込んでくる。下は“薩摩 坊ノ浦雙剣石”。この奇岩が実際にこんな面白い形をしているかわからないが、いつかこの目で見たくなるような光景である。

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2008.06.06

五島美術館の近代の日本画展

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長らくご無沙汰していた五島美術館を訪問し、館所蔵の“近代の日本画展”(5/10~6/15)を見てきた。HPで出品作を見て出かけるかどうか迷ったが、未見で気になる絵が数点あったので、思い切って足を運んだ。最寄駅の上野毛は現在、改札口が工事中で前来たときと出口が違っていたので外へ出るのに面食らった。

出品作30点のうち半分近くが横山大観。残念でならないのがこの中に長年追っかけている水墨画の傑作“水温む”(みずぬるむ)が入ってないこと。国立新美であった大観の回顧展にもでてなかったから、これでまた見る機会が遠のいた。気長に待つしかない。展示してあるもので足が止まったのは、白い浜辺を背景に鮮やかな青緑の松の木を描いた“東海の浜”と富士山を大画面いっぱいにどんともってくる“日本心神”。

今回最も印象に残ったのが入り口すぐのところに飾ってある水墨山水画2点。上の狩野芳崖の“烟巒溪漲の図”(えんらんけいちょう)と橋本雅邦の“秋山秋水図”。芳崖の絵は11年前、岡山県立美であった“五島美術館の名宝展”で感激した作品。これはフェノロサの指導を受ける前の絵。この頃の芳崖の絵には西洋画の陰影などが取り入れられているが、全体的には狩野派の激しい筆法を使い、鋭く切り立つ崖に囲まれた渓谷を描いている。

左下の平らな岩のところにお供の童子を従えた高士がみえる。岩からでている松は濃い墨線で幹が描かれ枝振りのバランスがいいのに対し、岩々は先がとげとげしく突き出ており、その形は水晶の結晶に似ている。水墨画で感激するのは地や雲の白が輝き、墨線がくっきり目の中に飛び込んでくるときだが、この絵はまさに水墨画の見所がつまっている。はじめてみる橋本雅邦の絵も名品。秋の季節にみるともっと感激するにちがいない。

初見で収穫がもう二つあった。鏑木清方の美人画“紅葉を焚く”と真ん中の小茂田青樹の“梅さける村”。前回は上村松園の“月下美人”と“上臈の図”、清方の“雪”に魅せられたが、また清方のいい絵と遭遇した。これはまったくの想定外。こういうときは嬉しさが腹の底からこみあげてくる。

“梅さける村”の前では立ち尽くした。明るい色調と奥行きを感じさせる家の並びと点描風に描かれた紅白梅を左右に配する構成が実にいい。頻繁に訪問する山種美術館で小茂田青樹の作品をよくみるが、これは感激度ベスト3に入るかもしれない。

一通り見て部屋を出たとき、最後のサプライズがあった。入るときは気がつかなかった下の“愛染明王坐像”(重文、鎌倉時代、13世紀)。もとは鶴岡八幡宮愛染堂に伝わったもの。牙をむきだす憤怒の形相に思わずひるんだ。説明書きには東国地方における運慶様式の代表作とある。これはいい像を見た。

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2008.06.05

川端龍子と修善寺展

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大田区にある龍子記念館を訪ねるのは今年に入ってからは2度目。現在、ここで開館
45周年を記念する特別展“川端龍子と修善寺”(5/17~6/15)が開かれている。入館料は500円しかとらない(通常はもっと安く200円)。今回は記念展なので、図録
(500円)も用意されている。作品の数はいつもと同じくらいの22点。館蔵は6点のみで、あとは龍子にとって第二のふるさとである修善寺の旅館や個人、伊豆市が所蔵しているもの。

伊豆市は川端龍子だけでなく、横山大観、安田靫彦、前田青邨、今村紫紅などの作品を持っていることで知られており、うわさ通りのいい絵が全部で10点出ていた。龍子は5点あり、上は回顧展などによく出品される“湯浴(湯治)”。湯に足をつけている女性に視線が集まるように湯場を囲う板を角々させて配するところが巧み。湯船の向こうには鯉と金魚が泳いでいるのがみえる。

記念館がもっている作品の目玉は真ん中の“龍子垣”と“逆説・生々流転”。“龍子垣”は大好きな絵。なんとも存在感のある竹垣である。そのオブジェのようなフォルムは現代アート感覚。この修善寺産の太い孟宗竹とコラボさせているのが右の白梅と左の藤。本来なら一緒にはありえない梅と藤がここでは自然に竹と溶け合っている。これをはじめてみたとき、すぐ頭をよぎったのが生花アーティストの川瀬敏郎の作品。さらに驚かされるのがこれを龍子は75歳のとき描いたこと。亡くなる5年前である。

龍子は西洋画からスタートした画家なので、シュルレアリストが描くようなダブルイメージの作品があったり、また琳派風の華やかな様式美をみせたりと作域がとても広い。この絵は修善寺に建てた別荘“青々居”の玄関先に造られた竹垣を画題にして描かれたものだが、当時の写真が図録に載っている。龍子は建築のほうに進んでいたら、すごい建築家になったかもしれない。

“逆説・生々流転”の本歌は横山大観の“生々流転”。昭和33年(1958)9月22日、伊豆半島を襲った台風の爪痕に想を得て制作された。まず、台風が発生する南洋諸島の風景からスタートする。ワニ、サメ、エイがおり、亀やトビウオもいる。やがて低気圧は台風になり、日本列島に進んでくる。巨大なエネルギーをもった台風は川を氾濫させ、家々は濁流にのまれ、人々は木につかまったり、屋根の上に逃れている。台風が過ぎ去ったあとはすぐに復興へ向けた作業がはじまる。

下は2年前あった前田青邨の回顧展でみた“騎馬武者”(伊豆市蔵)。これは青邨が得意とする歴史画の代表作のひとつで、源平合戦期の騎馬武者たちが松林のなかを進むところが描かれている。先頭で疾走する馬の姿態や右にかなり傾いた松の幹をみると、武者たちが相当のスピードで馬を走らせているのがイメージできる。流石、青邨という感じ。

記念館にある作品は1月の鑑賞でほぼ終了しているから、ここはしばらくお休み。

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2008.06.04

山種美術館 大正から昭和へ

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山種美術館で現在行われている展覧会のタイトルは“昭和から昭和へ”(4/26~
6/8)。この美術館は日本画の専門館として世間的にはその名が知られているが、洋画も所蔵しており、時々展示される。今回出ているのは小出楢重の“子供立像”、佐伯祐三の“レストラン”と“クラマール”、そして荻須高徳の“ノワルムーチェの捨てられた舟”。

とても気に入っているのが“子供立像”。東近美にも同じ男の子を描いたのがあるが、この絵のほうに惹かれる。また、“レストラン”はいかにもフランスのお店という感じ。茶褐色の壁の質感がぴったりで、真ん中に描かれている鶏マークに視線がいく。この二つはここ数年で2回みた。

日本画で数が一番多いのが速水御舟の作品。上の“昆虫二題”やヨーロッパへ行ったとき写生した“フィレンツェ アルノの河岸の家並”、“塔のある風景”などが13点ある。“昆虫二題 葉陰魔手・粧蛾舞戯”はいつみてもぐぐっと惹きこまれる。上は“粧蛾舞戯”のほう。真ん中上に設定された中心点のまわりを黄色、白、緑など色とりどりの蛾が美しく舞っている。

蛾というと色が綺麗であっても、蝶と較べるちょっと敬遠したくなるのだが、この蛾の前では体を引くどころか、細密に表現された端正な羽根と妖艶な香りを発する色にまったく幻惑されてしまう。“葉陰魔手”で目を奪われるのは蜘蛛の巣のリアルさ。御舟は畳の目といい、蜘蛛の巣の網目といい、その超描写力をみせてくれる。見る度に“参りました!”と心のなかでつぶやいている。

小林古径は“清姫”の3点と静物画3点。真ん中は“清姫・日高川”(部分)で、逃げる安珍を日高川まで追っかけてきた清姫の姿が描かれている。真性ストーカー女、清姫はこのあと大蛇に化身し、道成寺の釣り鐘に隠れた安珍のところへ向かう。クライマックスシーンの“鐘巻”は見てのお楽しみ!

一番奥の部屋に見所のある絵が並んでいる。大和絵と琳派の画風をミックスしたような横山大観の“喜撰山”はお気に入りの絵。山々の緑青と手前の赤松の対比が見事。再会した竹内栖鳳の“斑猫”(拙ブログ06/10/20)をしばらく見て、最後に下の川端龍子の“鳴門”(左隻)と対面した。渦潮は右隻にいくつも見えるが、海の情景として圧倒されるのは左隻のほう。

滝つぼのような段差ができているところへ視線が集中する。濃い青が海面の落差を強調し、荒々しい波のうねりとしぶきが純度の高い白で表現され、流れ落ちる波の上には一羽の海鵜が飛んでいる。これは川端龍子作品の好きな絵ベスト5の一枚。久しぶりに目のさめるような青と白をみて、体が熱くなった。

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2008.06.03

ブリジストン美術館の岡鹿之助展

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ぐるっとパス(2000円、2ヶ月有効)を購入する際、元は充分とれるなとすぐ思い浮かべるのが企画展にも使える出光美術館と山種美術館。今回はブリジストン美術館で行われている“岡鹿之助展”(4/26~7/6、1000円)もOKだから、すごく得した気分。

岡鹿之助についてはよく知らない。これまで見た作品は両手くらいだし、どんな画家人生を送ったかについての情報は皆無。だから、画家のイメージとしてインプットされているのはここの常設展示でよく見る“雪の発電所”(真ん中の画像)とアンリ・ルソーと点描技法のスーラの画風がミックスされたような絵というくらい。

今回展示されているのは初期から晩年までの作品70点で、9のモチーフー“海”、“掘割”、“献花”、“雪”、“燈台”、“発電所”、“群落と廃墟”、“城館と礼拝堂”、“融合”ーにくくられている。初期の作品で印象深いのは建物の形に魅せられる“信号台”と明るい色使いや雲の形がルソーの“私自身、肖像=風景”(拙ブログ06/7/23)を思い出させる“セーヌ河畔”。

“掘割”で足がとまったのは左右対称の画面構成とスーラ風の柔らかい点描にとても惹きつけられる“運河”。風景画に較べると花の絵にはのめりこまない。それは点描の花の絵が馴染まないのと花びらが多すぎるため。これよりはどんと鮮やかな赤や紫、青をみせてくれるルドンの花のほうがいい。

6点あった燈台の絵はホッパーの絵(4/20)を思い出しながら、じっくり見た。とくに魅せられたのが背景に海と空が描かれたポーラ美蔵のものと上の“岬”に描かれた下北半島東北端にある燈台。下北の周りの建物を圧するほど大きくみえる燈台は白が輝いており、圧倒的な存在感がある。日本にもこんなすばらしい燈台の絵があった。

真ん中は岡鹿之助の代名詞ともいうべき“雪の発電所”。小さい頃、山でみた発電所はまさにこんな感じ。ぱっと見るときわめて平面的な絵だが、右の3本の柱を巧みに配置して奥行きをつくり、視線がすっと三角形の山の中央に走る水路にむかうようにしている。また、隣にある山の斜面と水路を斜め横から切り取った“山麓”(京近美)も画面に吸い込まれる絵。

“城館と礼拝堂”のコーナーでは、息を詰めて作品を見なければいけないような静寂な表現世界が広がっている。“礼拝堂”、下の“”水辺の城、“朝の城”、“館”が心を揺さぶる。点描はこういう建造物をま正面から描くときその魅力が一番引き出される。前面の水面に城が映りこんでいる“水辺の城”は東山魁夷の“フレデリク城を望む”を彷彿とさせる。

岡鹿之助はスーラのDNAを受け継ぎ、これをベースに独自のマティエールを生み出した。今年はスーラの点描画にどっぷり浸かっているから、こういう絵と遭遇するのもなにかの縁だろう。

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2008.06.02

芸術都市 パリの100年展

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東京都美術館の“芸術都市 パリの100年展”(4/25~7/6)を見た。この展覧会への期待がとくに高かったわけではなく、まだ訪問したことのないパリの美術館にひょっとしてサプライズの作品があるかも?という軽い気持ち。結果は?小さなサプライズのみで、チラシをみて是非見たいと思っていたモネ、シニャック、ユトリロを楽しんだだけに終わった。

海外の展覧会を見るとき、○の評価基準にしている目玉の作品2~3点には足らない!ユトリロの代表作中の代表作“コタン小路”(真ん中の画像)があるから1点はとれるが、あとは残りを全部集めても1点にはならず、せいぜい1.5~1.7点。展示室を進んでも気分が盛り上がらないのは知らない画家が多すぎるから。海外のあまり有名でない画家の作品を見せられて楽しめるはずがない。美術の専門家向けに内々でやる美術史学会の研究会ならこれでもいいだろうが、一般の美術ファンを相手に作品を展示する展覧会としてはセンスがない。

ここ数年、東京都美が企画した展覧会のなかでは作品の質の総量はもっとも小さいのではなかろうか。昨年のフィラデルフィア美展を10点としたら、3点がいいとこ。厳しすぎる?ほかの美術館より高く評価している東京都美だから、期待をこめてあえて厳しく言っている。作品の数は148点。とにかく知らない画家の作品が多すぎる。馴染みの画家の作品で心の中に出来上がっているパリのイメージを見せてほしい。芸術都市、パリのお話なら5章もいらない。作品の数は70~80点くらい、3章で充分。それを名の通った画家のそこそこの作品で構成する。

チラシに載っていたシニャック(1863~1935)の上の“ポン・デ・ザール”(カルナヴァレ美)は見ごたえのある絵。アーチの数にあわせて横長のカンヴァスを選んだのだろうか。点描技法で平面的に描かれているので、橋のボリューム感とか後ろの奥行き感はないが、明るい空と美しいセーヌ川の流れからは花の都、パリの雰囲気がストレートに伝わってくる。これまでシニャックというと“ヴェネツィア”(拙ブログ07/5/24)とか国立西洋美にある“サン=トロペの港”などの海の絵を多くみてきたが、こういう川の絵がはじめてだから、貴重な体験だった。

“コタン小路”(ポンピドゥー)は誰もが知っているユトリロ(1883~1968)の傑作。絵は何回かみているのに、まだここへ行ったことがない。“ラパン・アジル”(05/9/25)もまだ。でも、“コタン小路”の奥の階段は1月、モンマルトルのあのキツイ坂を上ったから、イメージできる。たしかに、石畳と白壁に囲まれた通りはこの絵のように人があまりおらず、静かで寂しい感じ。アル中で衰弱したユトリロが裏通りをよろけながら歩いている姿が目に見えるよう。この“白の時代”の名画と再会できたのは大きな喜びである。

下はサプライズの作品。キース・ヴァン・ドンゲン(1877~1968)が描いた大きな縦長の絵、“ポーレット・パックの肖像”(ポンピドゥー)。昨年、国立新美であっ“たポンピドゥーセンター展”で“スペインのショール”といういい裸婦像をみたが、これもグッとくる。フォービスムの画家らしく、顔や足の一部に緑が使われている。

エルミタージュ美にある“黒い帽子の女”(04/12/30)を見逃したのは今から思うと残念でならないが、少しずつドンゲンの作品(05/4/1307/5/15)が増えてきた。先月出かけた名古屋市美の平常展示にもいい絵があった。いつかドンゲンの回顧展と遭遇するのを楽しみにしている。

帰り際、図録を買うかどうかで迷った。ルノワールの2点はアベレージだし、気に入っているモネの“テュルリー”(マルモッタン美)はすでに見ている。また、モロー美から出品されている6点も心を奪われるほどでもない。ドンゲンの絵葉書があればパスだったが、これがなかったからやむなく買うことにした。

サブタイトル“ルノワール、セザンヌ、ユトリロの生きた街 1830-1930年”にはくれぐれも惑わされないように。実際は“モネ、シニャック、ユトリロ、ヴァラドン、ドンゲンが生きた街”!

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2008.06.01

名古屋ボストン美術館のモネ展

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名古屋ボストン美術館では現在、“クロード・モネの世界”(4/26~9/28)が行われている。3月、ボストン美術館を訪問したばかりだから、いくらモネが大好きといっても普通ならこれはパス。でも、物にはついでいうことがある。名古屋市美の“モディリアーニ展”と徳川美の特別展を見たあと、軽い気持ちで寄ってみた。

作品はモネ(1840~1926)が24点、これにルノワール、ドガ、セザンヌ、シスレー、そしてモネの影響を受けたサージェントなどの絵を加え、全部で約60点ある。まず、モネ以外で収穫のあった絵のことから。ボストン美でチェックリストに入れていたのに見れなかったドガの“ロンシャン競馬場の競走馬”があった。

11頭の馬にうち頭をこちらに向けているのは中景に描かれた3頭のみで、あとは皆お尻を手前に向け、画面奥のほうへゆっくり進んでいる。ドガの関心は競馬のレースそのものではなく、人々が楽しむ競馬場の光景の一コマを切り取って描いている。

目を奪われるのが騎手たちの着ているレース用の服。ズボンはどれも黄色だが、上は鮮やかなピンクや青が多い。また、印象派の技法を取り入れたサージェントの“アトリエの中の芸術家”も熱心にみた。乱れたベッドに注がれる日差しがまぶしいくらいきらきらしている。

モネ作品の大半は過去に見ているが、初見のものが数点ある。その中で、とても魅せられたのが上の“ポプラ並木のある草原”。これは初期の作品。モネの絵で惹かれるのはこういう光にあふれ、底抜けに明るい絵。左に大きく描かれたポプラのむこうに広がる青い空と形のいい白く雲、ポプラの前で咲きほこる青いラヴェンダー、アクセントになっているひなげしの赤。今、すぐにでもこの風景の前に立ちたい衝動に強く駆られる。陽光をあびて赤や黄色、青の花が輝く“ヴェトゥイュの花壇”も見てて飽きない絵。

最後のコーナーに目玉の絵がいくつも飾ってある。真ん中は大好きな絵、“積藁、日没”。積藁の連作のなかではこれほど強烈に光を感じ、強さと輝きをもった色に酔いしれる絵はほかにない。はじめてこの絵と対面したとき、ぐっと引き寄せられたのが大胆な構図。右のほうが画面からはみ出す積藁が至近距離から大きく描かれている。

そして、目が点になるのがその左下にみえるピンクがかった赤。シカゴ美にある“積藁、夏の終わり、夕方”(拙ブログ4/3)も強い光だが、こちらのほうの夕日はさらに強く、目が開けてられない感じ。輝く赤は積藁の向こう側の黄色、影の部分の青と見事なコントラストをなし、フォルムを溶け込ませている。

下は“チャリングクロス橋(曇りの日)、1900年”。霧につつまれるロンドンの町をまだ体験していないので実感がないが、曇った日は霧を貫く光がテムズ川の水面をこのように黄色にみせるのであろうか。橋の手前と向こう側に広がる黄色と鉄橋を走る列車の赤やピンクのまじった煙をしばらく眺めていた。

今年の前半はモネの名作を沢山みることができた。これほど嬉しいことはない。

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