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2008.05.31

茨城県陶芸美術館の荒川豊蔵展

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昨年の9月、岐阜県美術館ではじまった昭和を代表する陶芸家、荒川豊蔵の回顧展が関東に巡回してくるのを心待ちにしていた。巡回先は茨城県陶芸美術館で会期は
4/19から6/22まで。ここへは高速道路が渋滞してなければ1時間40分くらいで到着するので、年に一度くらいクルマを走らせる。

桃山の志野を復興した“荒川豊蔵物語”は書き物で知っているが、豊蔵の作品をこれまでまとまった形で見たことがない。今回は初期から晩年にわたる志野、瀬戸黒、黄瀬戸などが約190点でているから、気分はかなり高揚した。

嬉しいことにこの中には、荒川豊蔵が愛した志野や瀬戸黒、楽、乾山などの名品が16点含まれている。その中でしっかり見たのが、豊蔵が岐阜県可児(かに)市大萱(おおがや)の山中で志野の陶片を発掘するきっかけとなった“志野筍絵茶碗 
銘 玉川”(徳川美術館)。

これを写したのが上の“志野筍絵茶碗 銘 随縁”。モデルとした“玉川”同様、やわらかくてやさしいやきもののである。雪のようにやわらかい肌には大小二つの筍が、また後ろには山に松が描かれている。どの茶碗も絵文様は胴部全体に描かれてなく、アクセント風に一つか二つあるだけ。初期の“志野茶碗 銘 蓬莱”では山並みに松が、“志野橋の絵茶碗”では橋がごくシンプルに描かれている。ほかには蕨とか○、△というものある。

これが真ん中の“鼠志野梅絵茶碗”の梅になると、ぐっと華やいだ雰囲気になる。灰色がまじったうす青の地に描かれたV字形の梅の枝がとても美しい。また、その丸みを帯びたフォルムが心を虜にする。鼠志野はほかにも亀甲文や鶴絵のものがあった。

荒川豊蔵は志野と瀬戸黒の人間国宝。その瀬戸黒は11点。お気に入りは下の“瀬戸黒金彩木葉文茶碗”と同じ金彩の“梅絵茶碗 銘さきがけ”。中国・吉州窯の“木の葉天目”は茶碗の内側に実物の木の葉を置いて焼成しているが、この瀬戸黒は茶碗の胴部の外側に木の葉をみせている。黒の地が金彩の木の葉を浮かび上がらせるモダン感覚の意匠に思わず息を呑んだ。

2階の第2会場で目を楽しませてくれたのは後年、日本画家の前田青邨や奥村土牛、彫刻家の平櫛田中らとコラボした作品。とくに志野茶碗に土牛が鶴を描いたものに魅せられた。また、荒川豊蔵のすばらしい絵心にも驚かされる。浦上玉堂や池大雅に倣った“染付山水図飾皿”、“色絵秋景図飾皿”が絶品!こんなに絵が上手いとは知らなかった。

やきものの名品だけでなく、豊蔵の絵も楽しめるのだから言うとこなし。満足度200%の展覧会だった。

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2008.05.30

畠山記念館と東博が高麗茶碗でコラボ!

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世の中には多くの美術館があり、独自の展示方針で企画展や特別展を実施しているが、時々、複数の美術館が同じテーマで作品を公開することがある。美術館同士は特定のテーマで“一緒にやろうね!”と話し合ったわけではないだろうが、この見かけコラボ現象も関心のあるものだと大変有難い。

そんな思いを強くさせるのが現在、畠山記念館で行われている“細川井戸と名物茶道具展”(4/1~6/15)と東博の特別陳列“高麗茶碗”(4/8~7/27)。畠山記念館では“天下三井戸”に挙げられる上の“井戸茶碗 銘細川”(重文)が展示されている。図録をみていつかお目にかかりたいと思っていたが、やっと登場した。

李氏朝鮮時代(1392~1910)の16世紀頃につくられた高麗茶碗のなかでも、最も格が高いとされるのが井戸茶碗。もとは雑器だったものが、侘び茶の流行で桃山期の武将、茶人に好まれ、沢山日本に入ってきた。そのなかでとくに人気の高かったのが“喜左衛門”、“加賀”、“細川”。

一度見たことのある大徳寺蔵の国宝“喜左衛門”を思い出しながら、“細川”をじっくりみた。明るい枇杷色でゆるやかな碗形がとても美しい。“喜左衛門”は腰のまわりの轆轤目がいくつも残り、高台の梅花皮(かいらぎ、釉薬のちじれのこと)が荒々しいのに対し、“細川”はゆったりした轆轤目で梅花皮もすっきりしている。今回、井戸茶碗はほかに“田中”など5点あった。

ここで一度目を慣らして東博の本館14室へ出かけると、高麗茶碗の楽しみが倍加するのは請け合い。全部で19点あり、茶碗の種類としては、三島、粉引、堅手、井戸、魚屋(ととや)、熊川(こもがい)、彫三島などが一通り揃っている。

真ん中は“大井戸茶碗 銘有楽”(重美)。織田信長の弟、織田有楽(1547~1621)が所持したのでこの銘がついている。赤みのある枇杷色だが、“細川”ほど明るくない。素朴で穏やかな感じのする茶碗である。もう一点の井戸茶碗は“佐野井戸”。

井戸茶碗同様、気に入っているのが“熊川茶碗”。下は“田子月”。これは3年前、五島美術館で開催された“茶の湯 名碗展”で見て、その形に魅了された。腰が丸く張ったところがたまらなくいい。古唐津茶碗にこの形を倣ったものがある。

東博の高麗茶碗の多くは松永安左エ門氏と広田繁氏から寄贈されたもの。高い鑑識眼をもったコレクターのおかげで、こうした名品を楽しむことができる。感謝々!

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2008.05.29

出光美術館の柿右衛門と鍋島展

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出光美術館で開催されるやきもの展は毎回質の高い優品がでてくるので見逃さないようにしている。昨年の“志野と織部”、“乾山”に続いて現在行なわれている“柿右衛門と鍋島”(4/5~6/1)も期待を裏切らない一級のやきものが沢山展示されている。

今回はほかの美術館から借りてきたものもあるが、出品作約160点の大半は出光の所蔵品。そのうち、目玉である柿右衛門様式は32点、鍋島が30点。柿右衛門の壺や角瓶、皿をこのようにまとまって鑑賞するのは久しぶり。過去、ここであったやきもの展で何回かみているものもあるから、大興奮というほどではないが、やわらかい乳白色の素地に瀟洒に描かれた鳥や花の文様をみていると次第にいい気分になってくる。

好みの形はのっぺり丸い壺より角ばった六角瓶や角瓶のほう。だから、よくみる大きな壺“色絵花鳥文八角共蓋壺”(重文)より上の“色絵松竹梅文六角瓶”の前にいる時間のほうが長い。簡素に描かれた松に比べ存在感のある鶴が二羽、対角線上に配されている。柿右衛門で魅せられるのは何といっても余白を生かした構図。白い素地の占める部分が多いため、松の枝ぶり、ペアの鶴の姿がすっと目の中に入ってくる。隣にある一対の“色絵花鳥文角瓶”も心に響く。

興味深く見たのがマイセン窯で焼かれた“色絵花鳥文六角共蓋壺”。ここに描かれている花鳥文様は松岡美術館にあるもの(拙ブログ05/9/30)を写している。皿に“これぞ、柿右衛門の美!”と唸らせるのがあった。“色絵松竹梅鳳凰文菊花皿”と日本橋三越であった“美の壺展”にでていた“色絵松竹梅鳥文輪花皿”(07/12/1)、そして“色絵梅粟鶉文皿”。

真ん中は二度目の対面となった“色絵狛犬”。とても迫力のある大きな狛犬の置物が二つあり、こちらは明るく装飾性に富み、青、緑、黄色、茶色の丸点は胴体だけでなく頭のてっぺんまで描かれている。ほかにも鶏、鸚鵡があったが、笑わせるのが鸚鵡。どうみても鷹か鷲にしか見えない。3点あった“柿右衛門人形”では、遊女が脇息にもたれている“色絵座姿美人像”に魅了された。立ち姿の人形は何度もみたことがあるが、こういう座った女はじめてなので新鮮だった。

鍋島は06年にあったMOAの大展覧会を体験しているから、さらっと見た。ここでも手抜きがない。ちゃんとMOA蔵の名品“色絵桃文大皿”(06/2/28)、“染付鷺文三足大皿”(佐賀県立九州陶磁文化館、06/12/7)が展示されている。下はぐっと惹かれた“色絵野菜文皿”。器面いっぱいに描かれている茄子、瓜、豆、エンドウ、唐辛子はぐるぐる回転運動をしているよう。一度見たら忘れられない構図である。ここのやきもの展はまたまた二重丸!

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2008.05.28

鎌倉大谷記念美術館特別展 東西の水辺の情景

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現在、鎌倉大谷記念美術館で行われている特別展“東西の水辺の情景”(4/1~
6/28)は開幕直後に出かけた。お目当ては心待ちにしていた鏑木清方の“道成寺・鷺娘”(双幅、上と真ん中の画像)。4年近くこの絵が登場するのをひたすら願ってきたが、やっと思いの丈が叶えられた。

この絵だけは特別扱いで畳のある部屋に飾られている。目が自然と吸い込まれるのが上の絵。桜が咲き誇る春爛漫のなか、眩しいほど鮮やかな赤の衣装を着た清姫を息を呑んで見た。赤の衣装に色の白い丸顔が映え、黒地がアクセントになっている帯には金の龍の模様が浮かび上がっている。ここ何年か清方の絵を追っかけてきたが、一人の女を描いたものとしてはこれが一番ぐっときた。

ご存知のように清姫は美しい僧、安珍に恋焦がれている。でも、安珍は熊野へ参詣する身だから、ここで恋の誘惑に負けるわけにはいかない。こういうときの男の対応は難しい。安珍は悩むのは嫌だから清姫とろくに話もしないで、逃げていってしまう。こうなると清姫は“なんで、こそこそ逃げるのよ。許さないからねー!”と可愛さあまって憎さ百倍。もう手がつけられない。

安珍が“ストーカー的な行為で言い寄られてくると困るんだよね、こちらの事情をちょっとは察してよ”と言たってダメ。道成寺の鐘のなかにもぐりこんだ安珍は大蛇に変身した清姫に焼き殺されてしまう。恋の情念はかくも激しい。白い化粧顔の清姫の内面では安珍に対する憎しみと怨みが渦まいている。

真ん中は白無垢姿の町娘に変化した鷺を描いた“鷺娘”。上から雪の積もった木の小枝がでているのはいいのだが、娘の体が手前を横切る木と後ろの木で挟まれているため、窮屈な感じがする。この“道成寺・鷺娘”と対面したので鏑木清方作品の追っかけはひとまずお休み。

今回、清方の弟子、伊東深水が描いた下の“若葉の頃”も展示されている。和傘を手にもつ女性のすらっとした立ち姿がなかなかいい。また、山々を背景にしたもみじ模様の着物や片輪車の意匠がはいったあでやかな帯にも惹きつけれられる。

ほかの日本画で足が止まったのは前田青邨の“紅白梅図”(拙ブログ06/4/12)と川合玉堂の風景画。西洋画では、ヨットが海面に浮かびすがすがしい朝の雰囲気が伝わってくるマルケの“ヴェニスの朝”、ホテルの黄色や赤い壁と澄み切った青い空が目にとびこんでくるデュフィの“ニースのホテル”に魅了された。

最後にご注意をひとつ。この美術館は鎌倉駅の西口から歩いて10分くらいのところにあるが、月曜だけでなく日曜も休館しているので、訪問されるときはお間違えなく!

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2008.05.27

国宝 薬師寺展

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東博で開催中の“薬師寺展”(3/25~6/8)は会期が残り少なくなってきたから、混雑がひどくなっている模様。この展覧会は4月上旬に出かけ鑑賞済みだから他人事みたいに言ってられるが、5月10日(土)、平常展の浮世絵を見にでかけたときも9時半の時点で、列の最後が入り口から平成館へ向かう20mのところまできていた。“ええー、、ここまで列ができているの!”とにかく国宝“日光・月光菩薩立像”の人気はすさまじい。

展覧会へ行くと帰りにだいたい図録を購入する。図録もいろいろで、やたら分厚いだけですぐ本棚に直行するのもあれば、頻繁にながめてみたくなるスグレモノも時々ある。今回の図録は後者のタイプ。目玉の“日光・月光菩薩立像”、国宝“聖観音菩薩立像”を前から後ろから、全体像、拡大図を目いっぱい見せてくれる。このため、会場で像のまわりをぐるぐる回ってみて目に焼き付けたものが図録をみながらまた鮮明に思い出すことができる。

この特別展を企画した人たちは菩薩像が薬師寺の金堂、東院堂にあるときはよく見れない側面や背面をじっくりみれるように特別な展示スペースを確保し、なおかつレベルの高いライトアップ技術を使ってその美しいフォルムを浮かび上がらせてくれた。これだけでも拍手したいのに、すばらしい写真を多く載せた図録をつくり、世界に誇るこの究極のブロンズ像が体の隅々まで沁みこんでいくのに一役買ってくれる。まさに至れり尽くせりである。

展示されている作品は全部で47点。だから、1時間くらいで見終わる。大きな感動が得られる菩薩像が三点、“八幡三神坐像”、“吉祥天像”があるから、このくらいの数で充分。菩薩像はまず、上の“聖観音菩薩立像”をみて、そのあと“日光菩薩立像”(真ん中の画像)、“月光菩薩立像”(下)へと進む流れになっている。

三像とも薬師寺で過去2回見たことがあるが、こういう展示の仕方で眺めると別物の菩薩像を見ている感じ。絶妙な角度から当たるやわらかい光が菩薩の神々しさを一層引き立てている。腰の捻りがなく、U字形の衣文が左右対称で、両腕や腰あたりにかかる天衣がバランスよく曲がるところなど均整のとれた美を感じさせる“聖観音菩薩立像”に較べると、“日光・月光菩薩立像”のほうはだいぶ柔らかい感じがする。

像の高さは“これほど大きかった?”というくらいある。日光が3.17m、月光が3.15m。これは誰しも思うことだろうが、顔が相対的にデカイ。ともに腰を捻っている。この腰のくびれに痺れる。どういうわけか好みは“月光菩薩”のほう。隣の方もこちらがいいと言う。ふくよかな頬やすっきりしまった胸は同じなのに、“月光菩薩”のほうに惹かれるのはくびれの形、“く”が逆になっているからかもしれない。

すばらしい菩薩像三体を堪能した。今年はこの図録を何度もみることになりそう。

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2008.05.26

茨城県近代美術館の175/3000展

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荒川豊蔵の回顧展をみるため茨城県陶芸美術館を訪問したので、そのあと、北関東自動車道を利用すると30分くらいで到着する茨城県近美に寄り、4/19から昨日までやっていた開館20周年記念の所蔵作品展“175/3000”を見てきた。タイトル名は館が所蔵する3000点をこえる作品のなかから175点を選りすぐったという意味。これだけ多くの所蔵の名品を展示するのははじめてのことらしい。

この美術館は昨年、加山又造展でやって来たので、展示室の導線は頭に入っている。Ⅱ章“横山大観と五浦の画家たち”から“見るぞ!”モードになった。大観は“水国之夜”、“春曙・秋夜”など5点あったが、いずれも見たことのある絵だから、さらっとみて、上の木村武山の“阿房劫火”(あぼうごうか)に多くの時間を割いた。これはいつか見たいと思っていた絵。秦の始皇帝が造営した“阿房宮”が紀元前206年、楚の項羽に攻められて炎上する場面である。“史記”によると3ヶ月間も燃え続けたという。

どす黒い煙が左下から斜めにもくもくと立ちのぼり、金色の線がくっきりみえる宮殿の屋根や柱が燃え上がる炎につつまれている。ボストン美が所蔵する“平治物語絵詞・三条殿夜討巻”に描かれた紅蓮の炎にも圧倒されるが、この絵は画面全部が炎につつまれているから、ただ見ているだけで脈拍数が上がっていく。歴史画の傑作である。

Ⅵ章に今回のお目当て、小川芋銭(おがわうせん)の作品が展示してある。全部で11点。真ん中の絵は長らく追っかけていた“狐隊行”。やっと見ることができた。狐火をくゆらせながら10匹の狐が湖畔を行進している。この横からのシルエットに限りなく魅せられていた。前から4番目は背中に子狐を乗せている。狐のむこうに広がる水面、一直線にのびる対岸、右の大きく曲がる道と構成が憎いくらい上手い!

ユーモラスな絵は隣にもある。芋銭お得意の河童やイモリ、カワウソ、ナマズなどが描かれた“水魅戯”。小川芋銭が住んでいた牛久にある沼の水の精、“水魅”は渦巻き水煙のなかを自由に戯れている。また、“春日遅々(魚鳥と童子)”もほっとする絵。橋の上から釣り糸をたらしている男の子を二人の子が囲み、後ろには幼い女の子が反対側に顔をむけてちょこんと座っている。これを見れたのは大収穫。

下は小杉未醒が描いた“楽人と踊り子”。踊っている女のふっくらとした顔と腰から下のボリューム感に釘付けになる。出光美にある“天のうづめの命”(拙ブログ06/11/22)や日光の記念館にある作品をみて、小杉未醒が少し近くなったから、この絵にも体が敏感に反応する。ここに未醒のこんないい絵があるとは想定外。それほど長くはいなかったが、満ち足りた気分で館をあとにした。

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2008.05.25

親鸞聖人750回大遠忌記念 本願寺展

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一ヶ月前、今日まで広島県立美術館で開催されていた“本願寺展”(4/18~5/25)を見た。この展覧会は2012年(平成24年)が親鸞聖人の750回忌にあたるのを機に記念事業の一環として企画されたもので、広島のあと、次の3箇所を巡回する。
★徳島市立徳島城博物館:10/4~11/16
★名古屋市博物館:09/4/18~5/31
★石川県立歴史博物館:9/19~11/3

展示品は親鸞聖人や本願寺の歴代門主の肖像、“親鸞聖人絵伝”などの絵巻物、浄土真宗の教えを記した“教行信証”、日記・書状、そして本願寺に伝来する“熊野懐紙”、“三十六人家集”(いずれも国宝)などのお宝が150点あまり。

お目当ての一番は華麗な料紙が心を虜にする“三十六家集”。5年前、東博であった“西本願寺展”をみているから、展示品の多くがそのときとダブることが予想されたが、この装飾料紙の限りを尽くした冊子本が展示されるとなると何をさておいても出かけざるを得ない。

上は“親鸞聖人影像(安城御影 副本、国宝)”。親鸞(1173~1263)83歳の肖像である。ただし本物ではなく、第八世蓮如のときに作られた模写本。親鸞が実際、こんな顔をしていたかは誰もわからないが、80%は似ているのではなかろうか。浄土真宗では宗祖の御影を尊ぶ伝統があり、ほかにも3点あった。

今回、とても興味深くみたのが“織田信長起請文”。これは11年も続いた石山合戦に終止符をうつため、天正8年(1580)、信長が本願寺へ提出した血判の起請文。信長の優勢が明白となり、本願寺は孤立する状況に追い込まれたので、顕如は信長の出した条件を受け入れ、和睦に応じた。歴史好きなので、こういうものをみると目が輝いてくる。

目玉の“三十六家集”は会期を5期にわけ3点づつ、全部で15点展示された。1期に出ていたのは真ん中の“能宣集上”、“友則集”、“信明集”。どれも美しいひらがなで和歌がさらさらと書かれているのは同じだが、料紙に施された文様や細工はバラエティに富んでいる。

三つのなかでは“能宣集上”が最も美麗。多彩な紙が重ね継ぎされてできる雲のような色面に花や鳥が描かれている。白く見えるところは銀箔で、見る角度によって花弁や輪が浮かび上がってくる。わずか3点とはいえ、西本願寺展のときと違うものが見れたから、大感激。

下は最後のコーナーに飾られていた絵画で足がとまった“雪中柳鷺図”(元時代、14世紀、重文)。前もこの絵の白鷺にぐっと惹きつけられた。9羽いる。これほど動きのあるフォルムで白鷺を写実的に描いた中国画はほかにない。

全体と通して初見の作品は少なかったが、これははじめから承知の上。まだ本願寺の所蔵品を見られてない方にとっては大きな満足の得られる展覧会であることは間違いない。

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2008.05.24

その五 ゴヤ  アングル  ルノワール

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アメリカの美術館をまわると、大富豪コレクターたちが印象派と同じくらいグレコ、ベラスケス、ゴヤの絵の収集に熱を上げたことがよくわかる。フリックもその一人で、ここにはグレコ3点のほか、ベラスケスの“フェリペ4世の肖像”、ゴヤの上の“鍛冶屋”、“オスナ公ドン・ペドロ”がある。

ゴヤ(1746~1826)の“鍛冶屋”はワシントンナショナルギャラリーにある“ポンテーホス女侯爵”(拙ブログ4/14)やメトロポリタン蔵の赤い衣服を着た男の子の絵(5/6)とは画風ががらっと異なる絵。これはゴヤ70歳ころの作品で、メトロポリタンにある“バルコニーのマハ”と“黒い絵シリーズ”(プラド)との間あたりに描かれた。

下層社会に生きる労働者を主題にした作品では以前ブダペスト国立美術館でみた“水瓶を運ぶ女”と“刃物を研ぐ男”が強く印象に残っているが、それ以上に心を打つのがこの“鍛冶屋”。手前の男は足を踏ん張り重いハンマーを振り上げ、相方は真っ赤に焼けた鉄をはさみでしっかり支えている。そして二人の間にいる年嵩の男はふいごを手にしている。荒い筆使いで分厚く塗りこめられた暗い色調の画面からは3人が息をあわせて鉄と格闘している様子がひしひしと伝わってくる。

アングル(1780~1867)が65歳のとき描いた真ん中の“ドーソンヴィル夫人”はお気に入りの一枚。アングルが65歳から73歳にかけて制作した女性画はいずれも魅力に溢れている。“ジェイムス・ド・ロスチャイルド夫人”(パリ、個人蔵)、“モテシワ夫人”(ワシントンナショナルギャラリー)、“座るモテシワ夫人”(ロンドンナショナルギャラリー)、“ブロイ公妃”(メトロポリタン、5/13)。

この4点に描かれたモデルは“モテシワ夫人”を除いて、皆手が顔や髪に軽くふれるポーズをとっている。なかでもそのポーズに吸い込まれそうになるのが“ドーソンヴル夫人”。どこかファッション雑誌に載っているスーパーモデルを彷彿とさせる。次の狙いは画集でとても魅せられる“ロスチャイルド夫人”。個人蔵だから無理かもしれないが、諦めずに対面を夢見ていたい。

下の絵は前回の鑑賞でどういうわけか記憶に無いルノワール(1841~1919)の“母と子供たち”。どこかへ貸し出中だったのかもしれない。だから、シカゴ美術館にある“テラスにて”、“サーカスの少女”(4/5)同様、対面を楽しみにしていた。これは第二回印象派展に出品された初期の作品。期待通りの心が和むいい絵である。毛皮で縁取りされた緑の外套を着た可愛い二人の少女の背中にそっと手をやる母親の姿が実にいい。

本日でアメリカ美術館めぐりの感想記は終了します。お楽しみ頂けましたでしょうか。シカゴ、ワシントンナショナルギャラリー、フリーア、ボストン、メトロポリタン、フリックには心を奪われる名画が沢山ありました。感動の総量は相当大きいので、今年いっぱいはその余韻に浸っていられそうです。

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2008.05.23

その四 ブーシェ  フラゴナール

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前回ここを訪れたときはロココ絵画に関心が薄かったから、“ブーシェの部屋”や上の“フラゴナールの部屋”にいた時間はごく短かったように記憶している。だから、飾られている絵ははじめてみるのと同じ。もともとロココの絵はこういう邸宅のなかに飾られていた。で、仮面をかぶり貴族になったつもりで絵に向き合った。

ブーシェ(1703~1770)は3点ある。“ブーシェ夫人の肖像”、8枚の絵からなる“芸術と科学”、そして真ん中の4枚の連作“四季”。“芸術と科学”はルイ15世の寵愛を得たばかりのポンパドール夫人の依頼で制作された絵で、愛らしい子供が一人前に大人の仕事をする場面が描かれている。

16ある仕事のなかでは、化学実験中に爆発した場面の“化学”や少年が望遠鏡を逆さに覗いている“天文学”が面白い。こういう子供の絵はこれまで見たことがなかったので、とても新鮮だった。

“四季”には仲むつまじい男女が描かれており、真ん中は若者が恋人に花の髪飾りを贈る場面。二人の人形のような丸ぽちゃ顔をみていると幼稚園の“お遊戯会”を思い出す。ルーヴル、ボストン、メトロポリタン(拙ブログ5/10)、フリックで予定通りブーシェ作品を沢山みることができた。

息を呑むほど官能的というよりは健康的なエロティシズムの漂う裸婦像、ラファエロ、ティツィアーニが描いたのではと錯覚するくらい可愛らしいクピドにこれほど惹かれるとは思ってもいなかった。My好きな画家の会員として丁重にお迎えした。

下はフラゴナール(1732~1806)の“恋のなりゆき”。これが飾られている“フラゴナールの部屋”は客間として使われていたが、フリックはこの絵を有名な収集家J・P・モルガンから買い求めたあと、多額の金を投じて家具や彫刻、陶磁器などの調度をしつらえ、内装も変えた。フラゴナールはワシントンナショナルギャラリーやメトロポリタンでお目当ての絵が見られず、消化不良の思いが強かったが、この絵がそれを一掃してくれた。

大作の4枚は誰しも経験する恋物語の“愛の四段階”を表す。すなわち、“求愛”、“逢引き”、“恋人の戴冠”、“恋文”。下は“逢引き”で、右には花園の壁をよじ登る若者がいる。両手を横にあげる恋人は“会いに来てくれたのね、嬉しいわ。でも誰かに見られてないでしょうね!”とそわそわしている様子。

フラゴナールは両手を挙げるポーズがお得意。この絵の10年くらいあとに描いた“かんぬき”(ルーヴル、4/7)では、女性の内面の揺れを切実にあらわすほど大胆になっている。

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2008.05.22

その三 フェルメール

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フリック・コレクションを訪問する人が年間どのくらいいるのかデータ的なことはわからないのだが、フェルメール(1632~1675)の絵を目当てにやってくる人が結構多いのではなかろうか。メトロポリタンが5点(拙ブログ5/8)所蔵していることだってすごいが、美術館の規模ではメトロポリタンの何十分の一のこの邸宅に3点もあるのだから驚き。フリックの高い鑑識眼にはまったく恐れ入る。

上は“仕官と笑う女”。フェルメールは女性のいろいろな表情を描いている。多いのはじっとこちらを見ているところを描いたもの。“青いターバンの少女”(07/10/6)や下の“中断された音楽の稽古”など8点ある。この絵の女性は笑っている。この笑顔がすばらしい。女性画を沢山みてきたが、笑っている女性で200%惚れているのはこの絵とルノワールが描いた“田舎の踊り”(2/18)、“女優ジャンヌ・サマリの肖像”(エルミタージュ美)。

フェルメールの絵のなかにはもう一枚、女が笑っているようにみえるのがある。まだお目にかかってないが“青いターバンの少女”と同じくらい魅せられている“真珠の首飾りの女”(ベルリン国立美)。フェルメールに対する好感度がすごく高いのはこの親しみを覚える3枚の絵があるから。

真ん中の“婦人と召使”も好きな絵。フェルメールの絵には女主人と召使が登場する絵が3点あるが、これが一番気に入っている。召使の“奥様、手紙が届いているのですが。。”という声が聞こえてくるよう。これは舞台で演じられる芝居の一場面を見ている感覚に近い。

こういう絵をみると、フェルメールの描く風俗画はほかのオランダ人画家のものとはまったく別物だなと思う。写実的で現実らしい絵ではあるが、単なる風俗画とちがい、演出のテイストも効いているから、こちらもいろいろイメージをふくらませて見てしまう。女主人にとってこの手紙は特別の意味を持っているのだろうか?とか。

Myカラーが黄色&緑であるということもこの絵に近づけている。白い毛皮の縁取りがついた黄色の上着が目に心地いい。これとまったくデザインが同じベビー服のような上着を“真珠の首飾りの女”と“手紙を書く女”(ワシントンナショナルギャラリー)も着ている。

下の“中断された音楽の稽古”は“ワイングラスを持つ娘”(ヘルツォーク・アントン・ウルリッヒ美)と“ぶどう酒のグラス”(ベルリン国立美)と構成がよく似た絵。ころらを振り向く女性の目が気になって、楽譜を覗き込んでいる教師の存在はうすい。

フェルメールの全作品を通じていえることだが、描かれた男に目をとめることはほとんどない。できることなら居なくなって欲しいといつも思っているから、この絵でも女性のまなざしと窓から差し込むやわらかい光だけをみている。

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2008.05.21

その二 ホルバイン  ブロンツィーノ  レンブラント

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ここに飾られている絵画はコローやコンスタブル、ターナーが描いた風景画もあるが、大半が聖人、王、貴族、歴史上の人物などを描いた肖像画や人物画。自分の邸宅に飾って毎日ながめていたい絵となると、やはり肖像画なのであろう。昨日紹介したグレコの“聖ヒエロニムス”とベリーニの“聖フランチェスカ”は広間で向かい合う形で壁にかけられている。

その“聖ヒエロニムス”の両隣の暖炉にかかっているのがホルバイン(1497~1543)の描いた上の“トマス・モア”と“トーマス・クロムウェル”。16世紀のころのイギリスにタイムスリップして、屋敷で二人と対面しているみたい。悪役面のトーマス・クロムウェルより無精ひげを生やしているトマス・モアを見ている時間のほうが長い。

ずっしり重みのある顔つきに緊張させられるが、なめらかな質感が見事に描かれたベルベットの袖に目が点になる。ホルバインの力量はとにかくすごい!ロンドンのナショナルギャラリーにあった“大使たち”(拙ブログ2/5)同様、言葉を失う。ダリが描いた“リチャード3世”(06/10/2)を見るといつも思い出すこの絵との再会をこころゆくまで楽しんだ。

この“トマス・モア”と同じくらい魅了されるのが真ん中のブロンツィーノ(1503~
1572)の“ロドヴィコ・カッポーニ”。これは前回見逃したか、見たのに当時は関心がうすいため忘れたためか、記憶にまったくない。だが、今はマニエリスム絵画のなかではブロンツィーノはパルミジャニーノとともにかなり心が傾いている。だから、これとメトロポリタンにある“若い貴族の肖像”と対面するのを楽しみにしていた。

目を奪われるのが気品のある顔と女性のようなきれいな手、そして細部まで丁寧に描かれた黒い上着のひだや後ろの深緑色の布のドレープ。“若い貴族の肖像”にすごく惹きこまれたが、この肖像画の前でも思わず立ち尽くした。ブロンツィーノが描いた女性の肖像画で最も気に入っているのはウフィツィ美術館にある“ルクレツィア・パンチアティキの肖像”だが、男性を描いたものはこの2点がとびぬけていい。

レンブラント(1606~1669)は3点あった。いずれも画集に掲載されている有名な絵。下の“ニコラース・リュッツの肖像”、“自画像(52歳)”(07/1/28)、“ポーランド人の騎手”。レンブラントが25歳のとき描いたのが貿易商のニコラース・リュッツ。

こちらにまっすぐにむけられた眼差しには生気があり、仕事熱心で真面目な人柄がそのままでている感じ。手紙を差し出す動きのあるポーズもこの存在感に富んだ肖像画をより魅力的なものにしている。レンブラントは若くしてもう巨匠の風格を感じさせるこんなすごい絵を描いていた。やはり、大きな画家である。

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2008.05.20

フリック・コレクション その一 ヤン・ファン・エイク  ベリーニ  グレコ

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メトロポリタン美術館から歩いて15分くらいのところにフリック・コレクションがある。前回ここを訪れたのは18年前で、そんなに長い時間いなかったから、この邸宅の入り口から部屋の配置まで情けないくらい忘れている。が、鑑賞した作品については、色のよくでた大きめの図録(英文)のお陰で半分くらいは覚えているから不思議。

鉄鋼王のヘンリー・クレイ・フリック(1849~1919)が住んでいた豪華な邸宅の中に入れるだけでも嬉しいのに、フリックが収集した珠玉の名画や18世紀のフランスの家具や陶磁器、ブロンズ小像をとてもくつろいだ気分でみられのだから、贅沢モード全開といったところ。で、究極のプライベイトコレクションをできるだけ多く紹介したい。

15の部屋や廊下に展示してある絵画はルネサンス、バロック、ロココ、新古典派、イギリス、スペイン、オランダ絵画、印象派の一級品。上はヤン・ファン・エイク(1390~
1441)の“ヤン・フォスの聖母子”。聖母子にかしずいているのがこの絵の制作を依頼した修道士ヤン・フォス。後ろの赤いマントを着ているのは聖バルバラで、右できらきらする質感が見事にでている王冠を手にもっているのは聖エリザベート。

背景に描かれた川、橋、舟、都市の景観はルーヴルにある“ロランの聖母子”とよく似ている。ロンドン、パリ、ワシントン、NYで見たヤン・ファン・エイク絵画の輝く色彩と質感を微妙に表現する神業的な細部描写に200%感動した。一生の思い出である。

真ん中はフリックコレクションの至宝、ベリーニ(1430~1516)の“聖フランチェスカ”。前回最も感激したのがこの絵。以来、ベリーニをイメージする3枚の絵のひとつになった。ちなみにほかの2枚はロンドンのナショナルギャラリーにあるすばらしい肖像画“統領レオナルド・ロレダン”と親しみやすく人間味あふれる聖母子像が描かれた“聖カタリナとマグダラのマリアのいる聖母子”(ヴェネツィア、アカデミア美)。

“聖フランチェスカ”で視線が集まるのが左上から岩肌を照らす光のほうにむかって大きく手を広げるフランチェスカの姿。手のひらに“聖痕”(キリストが受難の際に手足に受けた傷)を授かる奇跡の場面をこれほど劇的に表現した絵はほかにない。また、克明に描かれたフランチェスカのまわりの石ころとか左奥の遠景にみられる小道や木々の葉にも目を奪われる。

下はフリックの生存中そのままの状態で残されている広間にあるグレコ(1541~
1614)の“聖ヒエロニムス”。これは5点存在する“聖ヒエロニムス”のひとつで、メトロポリタンのものとここのがベストと言われている。レーマンギャラリーで見た時同様、枢機卿が着ている礼装の朱赤が目に飛び込んできた。本当にいい肖像画をみた。

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2008.05.19

名古屋市美術館のモディリアーニ展

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現在、名古屋市美術館で行われている“モディリアーニ展”(4/5~6/1)を存分に楽しんだ。感想を書く前にまず、名古屋のあと巡回する美術館のことにふれておきたい。
★姫路市立美術館:6/8~8/3
★岩手県立美術館:8/12~10/5

名古屋市美術館が開館20周年を記念する企画展にモディリアーニの回顧展を選んだのはわかりすぎるくらいわかる。なにしろここにある“おさげ髪の少女”(下の画像)は代表作のひとつに数えられる名作。だから、館の目玉作品として常日頃展示しているこの少女に感謝をこめて、世界中から名作のお仲間を集めてきたのだろう。作品は油彩30点、水彩・素描30点。少女もさぞかし満足しているにちがいない。

日本で西洋画家の一級の回顧展を開催するのは容易なことではない。国立西洋美術館とは美術館の規模がちがう名古屋市美が世界的に名の通ったモディリアーニの作品をこれほど多く集めてきたのはもう大快挙!拍手々。

上は追っかけていた“髪をほどいた横たわる裸婦”。これを所蔵しているのは大阪市近美準備室。大阪市近美はなかなかできずお気の毒だが、準備室がこれまで購入した西洋画の質はびっくりするほど高い。この裸婦も自慢の作品。画集に載っている代表的な裸婦図を見較べてみて、見たい度NO.1はこれとミラノの個人蔵となっている“バラ色の裸婦”。

その絵が目の前にあるのだから、体が熱くなる。大きな目をした女はティツィアーノの“ウルビーノのヴィーナス”(拙ブログ4/11)と同じポーズをして、こちらをじっと見つめている。息を呑んでみた。隣のアントワープ王立美からやってきた“座る裸婦”がまたすばらしい。その目の迫力は“横たわる裸婦”と変わらない。

着衣画で心を打つのが気の強そうな性格がすごく伝わってくる“アルマイサ(アルジェリアの女)”(ルートヴィッヒ美)、真ん中の“召使いの少女”(オルブライト=ノックス美)、そして下の“おさげ髪の少女”。“召使いの少女”は作品中一番大きな絵で、縦1.53mある。目に瞳が描いてない女性は退屈な気持ちになり、絵に引き込まれないが、この少女は瞳がなくてもぐっと向かい会える感じ。これは目が大きく描かれているから。

豊富な資金と高い鑑識眼をもったアメリカ人コレクターが集めたモディリアーニの名作が現在、シカゴ、ワシントンナショナルギャラリー、メトロポリタン、オルブライト=ノックス、MoMA、グッゲンハイムなどにおさまっている。その名作のひとつが楽しめるのだから、これほど嬉しいことはない。

名古屋に住んでいたとき見たことのある“おさげ髪の少女”と再会したのも感慨深い。半開きの口から白い歯がみえる少女の顔が実に生き生きしている。髪の毛、椅子の背、後ろのドアに使われた茶色と肌の色、衣服の赤の配色がいい感じで、見ててとても愛着を覚える。

ここでとりあげた作品以外にも魅了されるのがいくつもある。満足度200%のすばらしい回顧展だった。名古屋市美に感謝!

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その十六 ポロック  リキテンスタイン  ケリー

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近代美術の作品は2階の19世紀ヨーロッパ絵画の向こう側とその下の1階で展示してある。印象派の部屋と較べると見ている人はかなり少ない。この現象はどこの美術館でも同じ。抽象絵画より具象的でわかりやすい絵のほうが絵のなかにすっと入っていけるから、どうしてもこうなる。

図録をみて前回見逃した作品のなかから是非対面したいものをいくつかコピーしていた。数は多くないから、すべて見られるだろうと思っていたが、予想に反して30%くらいのヒット率。ステラ、ホフマンの幾何学的な絵がダメで、ホックニーの“富士山と花”もなかった。

現代アートはどんどん新作がでてくるから、展示する作品はとびっきり有名なのものでないかぎり固定できないのかもしれない。逆に面食らうほど沢山あったのが、クレー、デイビス、オキーフ。お気に入りのオキーフがこんなに楽しめるとは思ってもいなかった。

ポロック(1912~1956)の上の“秋の律動”や“パーシパエ”は前回みたときの記憶がすぐ戻ってきた。とくに“秋の律動”はポロックのアクション・ペインティングを代表する絵だから、忘れようがない。ドロッピングはとてもわかりやすい技法なので、この絵のように密でなければ自分でもやれそうなる気がする。これを見た多くの人はそう思うにちがいない。でも、行為するポロックの姿を記録した映像や写真をみると、このあさはかな考えはすぐ打ちのめされる。

黒、白、グレー、そして黄土色の線が互いに重なり、絡み合いながら、自由に踊っている感じ。具象を暗示させるフォルムには見えないし、絵の中心というか焦点がないのだが、この厚塗りの描線がぎっしり埋め尽くすオールオーヴァーな画面からは心の奥深くにあるとらえどころのない情感のうごめきとか、複雑系の自然現象をイメージさせるものが伝わってくる。いつかメトロポリタン、あるいはMoMAでポロックの回顧展が開催されることがあったら、万難を排して駆けつけたい。

真ん中はポップ・アートの旗手、ロイ・リキテンスタイン(1923~1979)の“外出”。拙ブログでも一度とりあげたリキテンスタイン(05/10/7)は大好きなアーティストなので、ワシントンナショナルギャラリー蔵の“積みわら”、“ミッキーマウス”とここの“外出”との対面を楽しみにしていたが、実際展示してあったのは“外出”のみ。

これは近現代の巨匠たちの名画などの画題を引用してポップアート風に描いたシリーズの一枚。明るい黄色で彩色し、太く明快な輪郭線で描かれた男女の奇妙な重ね合わせが目を楽しませてくれる。男性はレジェの絵からとり、女性はシュルレアリスムのイメージを使ってフォルムをつくっている。

このシリーズのなかには笑えるのがある。それはポロックのドリップ絵画をパロディ-化した“ブラッシュストローク”や“大きな絵”。また、昨年あったモネ展(国立新美)に出品された“ルーアン大聖堂”(サンフランシスコ近美)も見ごたえのある作品だった。

下のまぶしいほど鮮やかな色彩の絵はエルズワース・ケリー(1923~)の代表作“青・緑・赤”。ケリーやステラの絵にとても魅せられているのはフォルムがすっきりしていて色が輝いているから。輪郭がはっきりした青、緑、赤の色面の組み合わせは超シンプル。絵を見る楽しみは形態より色彩にあるから、このハード・エッジ・ペインティングの名作を夢中になってみた。

これでメトロポリタン美術館はおわり。明日からは最後となったフリックコレクションの珠玉の名画が続きます。

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2008.05.18

その十五 ゴッホ  ダリ  バルテュス

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今回訪問したシカゴ、ワシントンナショナルギャラリー、ボストン、メトロポロタンはどこもゴッホ(1853~1890)の名画を揃えており、メトロポリタンにある静物画、風景画、人物画も魅力一杯。

静物画で惹きつけられるのはゴッホが死の数ヶ月前に描いた“アイリス”。背景の白地のほぼ中央におかれた花瓶には紫が目にしみるアイリスが沢山差し込まれている。ここではあのゴッホ独特の荒々しい筆使いは抑えられ、花の絵らしいやわらかい雰囲気が見る者を和ませる。糸杉が描かれた2点にも足が止まる。燃え上がるような鮮烈なタッチが印象深い厚塗りの縦長の絵とロンドンのナショナルギャラリーにあるのと構成がほとんど同じ“糸杉のある麦畑”。

人物画はお馴染みの“自画像”、“ルーラン夫人”、上の“ジヌー夫人(アルルの女)”が目を楽しませてくれる。ジヌー夫人はアルルの駅前でカフェを営んでいた。一緒に生活していたゴーギャンが夫人にモデルになってくれないかと説得している間に、ゴッホは一気に描き上げたという。背景の黄色に映える夫人の彫刻的な顔と黒い衣装に圧倒される。ローマ近代美術館で別の角度から描いたジヌー夫人をみたことがあるが、顔が丸く描かれていた。好みはメトロポリタンにあるほう。

ゴーギャンもカフェの中にいる夫人を描いているが、ゴーギャンは“ゴッホはこの店が気に入っていたが、俺はここの色が好きではない”とベルナールへ宛てた手紙に書いている。ゴーギャンにとってアルルは心を虜にする町ではなかったようだ。

真ん中は対面を心待ちにしていたダリ(1904~1989)の“超立方体:磔刑のキリスト”(部分)。縦1.94m、横1.24mの大きな絵である。必見リストに入れていたダリの絵はこれとワシントンナショナルギャラリーにある“最後の審判”の2点。“最後の審判”は展示してなく、ガックリだったが、これは1階の近代美術とアフリカ美術の間にある通路の壁に飾ってあった。

聖職者に見立てられたガラが見上げているキリストの体は手にも胸にも釘の跡はなく、筋肉のしまったアスリートのように美しく描かれている。目を見張らされるのが十字架のフォルム。よくみると、表面のなめらかな8個の立方体でできている。ルービックキューブの形をした宇宙船がキリストを背中に乗せてこれから宇宙に向けて打ち上げられるようなイメージである。

下はバルテュス(1908~2001)の代表作“山”。これは近代絵画のなかではピカソの“ガートルード・スタインの肖像”(拙ブログ05/2/11)などとともに館自慢の作品。一度みたら忘れられない絵である。02年の“メトロポリタン美展”(京都市美)にも出品されたから、これで3度目の対面。黄色の岩肌にあたる強い陽光をみると、ホッパーの絵を連想させるし、手前に描かれた3人の男女の姿態はデ・キリコやシュルレアリストのデルヴォーが描く形而上的でシュールな絵を見ている感じもする。

バルテュスの絵では、隣に展示してある大人じみたポーズでこちらを挑発するように見ている少女を描いた“目を覚ましたテレーズ”がドキッとする。バルテュスの絵をまとまった形でみた経験はないが、この“テレ-ズ”とかポンピドーにある下着がちらっと見える“アリス”やMoMA蔵の床の上で少女が肘と膝をついてうつぶせになって本を読んでいるところを真横から描いた“居間”をみると、バルテュスは“危険な少女”を描く画家というイメージが強い。

少女たちの鋭い目つきやポーズ、エロティックな描写は不安な感情を掻き立て、心をざわざわさせるが、絵のなかにぐっと引き込まれるから、絵の力はかなりある。どこかの美術館でバルテュスの回顧展をやってくれると有難いのだが。

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2008.05.17

その十四 スーラ  ゴーギャン

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メトロポリタンにあるスーラ(1859~1891)の“サーカスの客寄せ”(上の画像)を見るのは三度目。今回は念願の“グランド・ジャット島の日曜日の午後”(シカゴ美、拙ブログ4/4)をじっくりみて、点描技法を目に焼きつけたあとだから、この絵は以前より深く味わえる。

描かれているのはサーカスの団長(右の横向きの男)がこれからはじまるショーのプログラムを紹介している場面。団長のむこうに見えるのが切符売り場。画面の下に描かれた観客は右端のほうにいるものがもう売り場に向かっている。“グランド・ジャット島”では人物の大半が横向きで左のほうを眺めていたのに対し、この絵では譜面台の向こう側で横一列に並んでいるブラスバンドと壇上にいる道化の格好をしたトロンボーン奏者は真正面を向いている。

この奥行き感のない平面的な描写が強く印象に残る。斑点は光の色を表す橙色と青が多い。青白くて暗い色調の画面のせいで、陽気なサーカスの前口上の場面なのに、不自然なくらい寂しい感じがする。スーラの絵は“ブランド・ジャット島”を目の中に入れたから、済みマークがつけられる。あとはクレラー=ミューラー美術館にある“シャユ踊り”やいくつかある海洋画と遭遇するのを気長に待ちたい。

今回の美術館めぐりで収穫の多いのがロートレック、ドガ、ゴーギャン。メトロポリタンにあったゴーギャン(1818~1903)でお気に入りは真ん中の“イア・オラナ・マリア(マリアを拝す)”、下の“昼寝”、そして“赤い花と乳房”。ゴーギャンがタヒチに渡った年に描かれた“マリアを拝す”をエルミタージュにある“果物を持つ女”(06/11/3)とともにこよなく愛している。平板な青や紫、黄色の帯で描かれた地面の装飾的な配色にまず驚くが、子供を肩の上に乗せている顔立ちのいい健康的なタヒチの女にも魅せられる。憧れの楽園にやってきたゴーギャンのハイな気分がそのままでているような作品である。

レーマンギャラリーにあった初見の“昼寝”には200%参った。喜びが溢れ出た鮮やかな色彩にもうクラクラ。これは手元にある画集でよくみていたが個人蔵となっているから、チェックリストには当然入ってない。その作品が目の前に現れたのである。ゴーギャン作品のなかではこの絵の色彩が最も強烈かもしれない。とくに、右の寝そべっている女が着ている服の赤と左の女のピンクの輝きがすごい。そして、ぐっとくるのが背中を向けて横座りをしている女の対角線的な動き。

初見の絵としてはシカゴの“神の日”、ワシントンナショナルギャラリーの“自画像”に魅了されたが、この絵のインパクト度は数倍。一生忘れることのない絵になりそう。

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2008.05.16

東山魁夷展 その二

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東山魁夷展の後期(4/22~5/18)に出品される15点を見るため、先週土曜日に再度東近美へ出かけたら、チケットの購入に長い列ができていた。ここでこういう体験をするのははじめて。あらためて東山魁夷の人気の高さを思い知らされた。明日、明後日は終日、相当混雑するのではなかろうか。入館するのに思わぬ時間をとられたが、中に入ってしまえば、後は楽。前期に大半の作品(拙ブログ4/9)はみているから、今回の15点をみるのには30分もかからない。

ファン気質というのは傍からみれば“ちょっと度が過ぎてない?”というところがたぶんにある。15点が全部が全部魅力いっぱいというのではないから、これを見逃しても気にすることはないのは確か。ところが、好きな画家となるとそうはいかないのである。折角見る機会があるのだから、一応漏れなく見ときたい。“東山魁夷を全部見たぞ!”という達成感だけでなにか満ち足りた気持ちになるのである。

上の最後のコーナーに飾ってある“沼の静寂”は何度もみているのに、いつも立ち尽くしてしまう。そして、“この絵をモネがみたら喜ぶだろうな!”と勝手に想像する。静かな雰囲気のただよう緑のグラデーションがえもいわれず美しく、木々の映りこんだ水面が睡蓮の花を浮かび上がらせている。

同じ部屋にある“静唱”も心に響く。この絵では水面が白と灰色で彩色されているので、林立する木の映り込みがよりリアルにみてとれる。水面が微妙に揺れている感じをだすため、映りこんだ木を畳の目のように細かい横の線を縦にていねいに並べて表現している。霞がうすくたちこめる中、凛として立つ木々の静かな息づかいが聞こえてくるよう。

時間があまったので2階にあがり、もう一度お気に入りの唐招堤寺障壁画“濤声”(下の画像、部分)を見た。この絵の前に立つと、波が岩に打ち寄せ下に落ちる音や波立ちが横に広がり、そしてザブーンと消えていく音が聞こえてくるような気がする。すばらしい波の絵である。

近代日本画家で波の絵がとびっきり上手いのは横山大観、東山魁夷、加山又造。大観の傑作“海に因む十題・波騒ぐ”(2/24)と東山魁夷のこの絵は海の色や波しぶきの描き方がよく似ている。また、加山又造の水墨画“月光波濤”に描かれた岩に激しくぶちあたる波のダイナミズムは東山魁夷の“濤声”に通じるものがある。またいつかこの絵と対面したい。

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その十三 マネ  モネ  セザンヌ

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メトロポリタンの印象派コレクションは質が高いだけでなく、数の多さに驚かされる。展示室の中には大勢の人がおり、オルセー同様、“今、ここで最高レベルの印象派絵画を見ているのだ!”と気分も高揚してくる。

マネ(1832~1883)は上の“舟遊び”、“庭のモネの家族”、大きな肖像画“夫人とおうむ”など6点あった。お気に入りは“舟遊び”。はじめてこの絵をみたとき、一番びっくりしたのが構図。舟の舳に男女を大きく描き、舟のほかの部分がカットされているから、浮世絵の影響があきらか。ボート遊びはマネのほかにもモネ、ルノワール、カイユボットなども描いているが、この絵に最も惹かれる。横向きの女性は心からくつろいでいる感じ。

真ん中はわがモネ(1840~1926)が27歳のころ描いた“サン=ダドレスのテラス”。強烈な光が強く印象に残る絵で、お気に入りの一枚。日差しの強いとき野外でよく体験する光と影の光景はちょうどこんな感じ。印象派は光の変化によって物の見え方が変わることをカンヴァスのなかで表現した。さわやかな風が心地よさそうにみえ、光があたり鮮やかに輝く花の黄色や赤、そして海の青が目に焼きつく。

モネもマネ、ドガ、ゴッホ、ゴーギャン、ロートレックと同じく浮世絵の鮮明な色彩、大胆な構図に魅せられていたから、浮世絵の描き方を積極的に取り入れた。この絵で参考にしたのは北斎。画面の半分を占めるテラスとそこに4人の人物を配する構成は北斎の“富岳三十六景・五百らかん寺さざゐどう”とよく似ている。

モネ作品は全部で18点。ほかでは“冬の積みわら”、“睡蓮”、“睡蓮の池”、“ポプラ”、“ラ・グルヌイエール”、“サン=マルタン島の小道”など馴染みの名画とも再会した。今回の収穫はリストで二重丸をつけていた迫力満点の絵“エオトルタのマヌポルト”。思いの丈が遂げられてとてもいい気分。

セザンヌ(1839~1906)は6点あった。このうち4点は前回の記憶がよく残っている。人物画の“赤いドレスをきたセザンヌ夫人”、“温室内のセザンヌ夫人”、“カード遊びをする人々”、そして下の“レスタックからみたマルセイユ湾”。どれも好きな絵。ここの“カード遊び”はオルセーのもの(拙ブログ2/17)とは異なり3人でやっている。

セザンヌの描いた風景画で好きな3枚はこの絵、フィラデルフィア美蔵の“サント=ヴィクトワール山”、コートールドコレクションの“大きな松の木のあるサント=ヴィクトワール山”。まだ、フィラデルフィアのものはお目にかかってないが、ここ数年のうちにと思っている。

“レスタック”はすっきりした構図がなかなかいい。色調が強くなく、セザンヌの絵の特徴である堅固で三次元的な形体がすこしゆるいので、わりとゆったりとした感じで対面できる。

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2008.05.15

徳川美術館の桃山・江戸絵画の美展

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名古屋にある徳川美術館で開催されている春季特別展“桃山・江戸絵画の美”(4/12~5/18)をすべりこみセーフで見てきた。徳川美術館は2年ぶりの訪問。前回みたのは源氏物語絵巻の原画や忠実な再現模写。

このたびの期待の絵は長いこと追っかけていた風俗画4点(すべて重文)。上の“本多平八郎姿絵屏風”、“歌舞伎図巻”、真ん中の“遊楽図屏風(相応寺屏風)”、下の“豊国祭礼図屏風”。これらが揃い踏みするのはめったにないので、見逃すわけにはいかない。

出品作はほかに円山応挙のいい鯉の絵、田中訥言の描いた明るい色彩が印象深い“百花百草図屏風”(重文)、そして追っかけリストに入れてある狩野山楽の華麗な金碧花鳥図“四季花鳥図屏風”、英一蝶の“雨降布袋図”などがあるから、見終わったあとは満ち足りた気分になった。

“本多平八郎姿絵屏風”は寛永年間に流行った文使い図のひとつで、上(左隻)は禿(かむろ、遊女見習いの少女)が差し出す文に振り返る若衆が描かれている。衣装の腰から下のフォルムが長壺のようでもあり、女性の着る裾が膨らんだドレスにもみえる。みてて気持ちがいいのが濃青地にリズミカルに施された小さな点線模様。

右隻に描かれた4人の女にも思わず見入ってしまう。左端の女は文を見せており、その前にいる女は首をかしげながらその文をみている。あとのふたりは三味線を弾く女と長い煙管で煙草を吸う女。その衣装の模様に魅了される。

風俗画では男や女が身につけている衣装の模様をみるのが大きな楽しみ。この斬新で凝った意匠をみると、近世日本の頃の人々はフォルムや色に対して今よりはるかに豊かな感性をもっていたことがわかる。これは本当に大事にしたい伝統文化である。

八曲一双の“遊楽図屏風”を夢中になってみた。先月静嘉堂文庫でみた“四条河原遊楽図屏風”(拙ブログ4/16)同様、細かいことろまで単眼鏡を使ってみると、この遊楽図ワールドの楽しさが体の中にしみこんでくる。真ん中は右隻の右上に描かれた屋外の宴の場面。上野公園における満開の桜の下で繰り広げられる宴会もタイムスリップするとこんな風になるのだろう。

この屏風には元気に風流踊りをしたり、そばを食べたり、カルタ遊びをやったり、能をみたり猿回しの見世物に興じたりとさまざまなエンターテイメントがでてくる。また、左隻には髪結いや蒸し風呂にはいっている場面も描かれている。期待通りの楽しい屏風だった。

岩佐又兵衛が描いたとされる“豊国祭礼図屏風”(六曲一双)をじっくりみるのはちょっと体力がいる。1604年(慶長9年)、秀吉を祀る豊国神社で開催された七回忌供養の祭礼の光景が描かれたこの屏風の迫力は半端ではない。

見所は左隻の風流踊り。下は三つある踊りの輪のなかの一つ。格子模様の赤い衣装を着た女の踊る姿は躍動感にあふれている。輪ごとに大きな傘が一本あり、その上にはトラや孔雀や松の木が描かれている。この風流踊りの余韻に今浸っているところ。

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その十二 サージェント  ルノワール  ドガ

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いろいろある西洋画のなかで最も楽しい気分にさせてくれるのはギリシャ神話を題材にした絵、女性を描いた絵、モネの風景画、そしてシュルレアリスム絵画。すでにお気づきだと思うが、この名画紹介の多くが女性画。メトロポリタンにもお目当ての女性画がいくつもある。そのなかで重点鑑賞にしていたのが上のサージェント(1856~1925)の代表作、“マダムX”。

入館して真っ先にこれが展示してあるアメリカン・ウイングヘ行ったが、見当たらなかった。ここは現在工事中のため、2階の19世紀ヨーロッパ絵画のところで展示中とのこと。で、見る順番はだいぶあとになった。縦2mちょっと、横1.1mの大きな肖像画である。隣にもこれよりひとまわり大きい“ウィンダム家の姉妹たち”が飾ってあった。リストにはもう一点、図版でみてもすごく魅了される“バラを持つ婦人”をコピーしていたが、これはなかった。

黒のドレスでいっそう引き立てられるモデルの白子のような白い肌とノーブルな横顔に言葉を失う。この絵が引き起こしたスキャンダルの話はインプットされているから、ほかの女性画よりは目に力が入る。サージェントは憧れのマダムX(マダム・ゴートロー)にもともと、右肩のひもを落としてポーズさせていた。カットの深いドレスで肩のひもを落とした絵が保守的なパリのサロンですんなり受け入れられるはずがない。“退廃的だ、挑発的な姿勢だ”と非難轟々だったので、サージェントは仕方なくここの部分を描き直した。

短期間のうちにすばらしい子供の絵(拙ブログ2/104/22)、ロンドンのテート・ブリテンにある“マクベス夫人に扮するエレン・テリー”、そして“マダムX”と対面し、肖像画家サージェントの高い技量に深く感服した。いつか大回顧展と遭遇することを夢見ている。

ここにあるルノワール(1841~1919)は“シャルパンティエ夫人と子供たち”などの傑作をすでに鑑賞済みだから、脈拍数が一気にあがることはなかったが、想定外の真ん中の“カティース・マンデスの娘たち”の前では200%KOされた。手元の画集ではこれは個人蔵となっているが、ここに寄贈されたのだろう。

なによりもびっくりするのが女の子の顔や手足と身につけている衣服の白の輝き。すこし離れてみてもその明るい白がくっきり見える。大げさにいうと光を周囲に発している仏さんの絵を見ているような気分になった。ルノワールの絵を1月からの美術館めぐりで沢山みたが、絵の明るさという点ではこれが一番すごかった。もう一点魅了されたのがやわらかい筆のタッチと明るい色彩で女性美を描いた“沐浴する若い女”(レーマンギャラリー)。これは裸婦図ではお気に入りの一枚。

ドガ(1834~1917)のコレクションはオルセーと質量とも遜色ない。画集に載っている“コレクター”、下の“菊の花と女”、オルセーにあるのとよく似た構成の“ダンス教室”、“婦人帽子店にて”、“ソファーで髪をすいてもらう女”などの名画が続々と現れる。また、ブロンズ彫刻“グランド・アラベスク”、“右足の踵を見る踊り子”などもある。

“菊の花と女”でハットするのは浮世絵から得た大胆な構図。ヨーロッパ絵画の伝統をおよそかけ離れて、花を中央におき、女は画面右端に描かれている。構成は浮世絵の影響を受けているが、外をぼんやりみている女の描き方はドガ特有のもので、‘アプサント’の女性同様、内面の深い孤独感がみてとれる顔の表情が心を揺すぶる。

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2008.05.14

ブロードウェイミュージカル “オペラ座の怪人”

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ツアーに組み込まれているNY市内観光は過去2回の訪問で行ったところとダブっているのが多い。でも、前回の訪問は随分前のことだから、少ししか記憶に残ってない街のイメージを一度リセットし、今のNYを目に焼きつけた。

はじめて行ったところで楽しかったのはブルックリン橋やマンハッタン橋が見えるサウスストリートシーポート。昔港町として栄えた姿が保存されているエリアで、石畳とレンガ造りの建物にはショップやレストランが沢山入っていた。01年9月11日、同時多発テロにより倒壊したワールド・トレード・センターの跡地、“グラウンド・ゼロ”は新ビル建設のための基礎工事の真っ最中。

国連ビルを外から見学したとき、ガイドさんがすぐそばに建つヤンキース松井の住む超高級マンション(上の写真)を教えてくれた。同僚のジーターの紹介で入居することができたらしく、部屋は背番号と同じ55階にあるとのこと。今は新妻と一緒なので毎日が楽しいNYライフだろう。打撃好調の原因は奥さんがつくってくれる料理にあることはまちがいない!

このツアーでシカゴ美術館訪問とともに一番期待していたのがブロードウエイミュージカルの鑑賞。その演目が“オペラ座の怪人”だから、もうわくわく気分。これが上演されるマジェスティック劇場は宿泊ホテルのすぐ近くにあるので、行き帰りがすごく便利。

ここでミュージカルをみるのはまだ2度目だから、場馴れしてなくまったくのおのぼりさん。あたりをキョロキョロしながら、あの人もこの人もタイムズ・スクエア周辺に点在する劇場に通ってミュージカル三昧をしているのだろうな思いながら、劇場の中に入った。

“オペラ座の怪人”のストーリーはもう頭の中に入っているので、期待は怪人、クリスティーヌ、ラウルがどう上手に名曲“ファントム・オブ・ジ・オペラ”、“ミュージック・オブ・ザ・ナイト”、“オール・アイ・アスク・オブ・ユー”を歌ってくれるかである。出来は上々!とくに高音がきれいでのびやかに歌うクリスティーヌにメロメロ。

また、豪華な舞台衣装、体の切れが抜群にいい踊り、そして劇場全体に響きわたる大合唱にも体が熱くなった。どれをとってもトップレベル。ここだけでなく同じように質の高いミュージカルがここかしこで毎日上演されているのだから、NYはエンターテイメントに満ち溢れている。心がだんだんアメリカにむかっていく。

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2008.05.13

その十一 アングル  モロー  ジェローム

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正面玄関を入ってまっすぐ進むとロバート・レーマンコレクションが展示してあるギャラリーが見えてくる。かすかに残っている記憶を思い起こしてみても、また直近にみた収録ビデオと較べても、目の前にある展示室は明らかに違う。どうやら、ここは現在工事中のようで完成するまで、作品はこの臨時の展示室に集められている感じだった。

ちょっと面食らいながら進んでいたら、目を見張らせる絵が現れた。上のアングル
(1780~1867)が73歳のとき描いた“ブロイ公妃”である。目の前に本人がいるようで、思わず息を呑み込んだ。やわらかい白い肌、豪華な青いドレスのなめらかな質感とひだの描写に目を奪われる。なで肩をしたモデルを穏やかな気持ちで見られるのは古典的なピラミッド型の構図で描かれているため。

女性の胸とウエストの間隔が短かすぎるのに、ドレスを膨らませ、ソファを体にくっつけて安定的な三角形構図をつくっているので、それが気にならない。少し離れたところで見たら、この絵はまわりの絵と較べて断トツに輝いていた。女性の肖像画でこれほど感激したのは久しぶり。エポック的な鑑賞体験になりそう。

2階にある素描、版画、写真のコーナーを左のほうに進むとT字のようになっている長い通路につきあたる。ここから向こうに館自慢の19世紀ヨーロッパ絵画が飾ってある。印象派の名画がこれでもかというくらいでてくる。これはもう圧巻!印象派を見る前に絶対見逃したくないのが2点あった。通路の壁に飾られている真ん中のモロー(1826~
1900)の“オイディプスとスフィンクス”と下のジェローム(1824~1904)の代表作“ピグマリオン”。

“オイディプスとスフィンクス”は18年前対面したとき、ものすごく感動し、すぐさまこの絵の虜になった。モローの絵ではこれが最も気に入っている。視線の集まるのが美しい翼をもつスフィンクスと美少年オイディプスがじっと見つめあう姿。こういう絵をみると、人物描写のなかでは目が一番大事だということがよくわかる。

この幻想的な神話世界にうっとりしたあと、目を画面の下にやるとギョッとする。急いで見たら見逃すものがちらっと描かれている。それはスフィンクスが出した謎に答えられず殺された旅人の足と手。モローの構想力はスーパーだなと思わせる構成である。スフィンクスがどんな謎を出したかはデルフィ考古学博物館の“ナクソスのスフィンクス”(拙ブログ06/2/6)を紹介したときに書いた。

ジェロームの“ピグマリオン”は対面を楽しみにしていた絵。ベルギー王立美術館でシュルレアリスト、デルヴォーが描いた登場人物の性が逆転した女性版ピグマリオン(05/4/26)をみたが、これは神話通りの絵。ジェロームはフランス、アカデミーの画家らしく、輝く白い肌の女性を描かせたら超一級の腕をもっている。

足の膝から下はまだ石像のままだが、お尻から上は血の通う生身の乙女になっているので、体を大きく曲げてピグマリオンと唇を重ねている。このポーズに長年魅せられていたから、感慨深い。

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2008.05.12

その十 クールベ展

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1月、パリのグラン・パレでみた“クールベ展”(拙ブログ2/28)がメトロポリタンに巡回中だったので(2/27~5/18)、グラン・パレではお休みした隣の方のガイダンスを兼ねてもう一度みた。この特別展は“プッサン展”同様、追加の料金はとられない。世界中の美術館から代表作を集めてきた大回顧展が無料で見られるのだから、ここは本当に有難く愛着を覚える美術館である。

グラン・パレとの違いはオルセー所蔵の作品が半分くらい出品されてないこと。で、クールベ(1819~1877)の名前を一躍有名にした大作2点、“オルナンの埋葬”、“画家のアトリエ”はお目にかかれなかった。これはあまり長くオルセーを離れていると入場者からクレームがつくから、これを避けたのかもしれない。また、日本の村内美術館がもっている大きな樫の木の絵(図録の裏表紙に使われている)やものすごく大きな狩猟画“追い詰められた雄鹿”もなかった。

このほかはまだ記憶にしっかり残っている。出品作の中には今回訪問した美術館所蔵のいい作品が含まれている。ワシントンナショナルギャラりーの“ルー河の水源”、ボストンの狩猟画“分け前”、メトロポリタンの“女とオウム”、“波の中の女”、真ん中の“村の娘たち”。ここには出てなかったが、シカゴにある女性の肖像画“グレゴワール小母さん”もインパクトのある絵。これらはいずれも画集に載っている作品。これをみるとアメリカのコレクターもクールベの名画をきっちり収集している。豊富な資金力だけでなく眼力も一流。

初期に描かれたロマン主義の香りのする自画像にはぐっと惹きこまれるものが多いが、お気に入りベスト3は上の“パイプの男”、“自画像(絶望した男)”、“黒い犬を連れたクールベ”。クールベは背が高く、人目を引くほどハンサムだった。“パイプの男”の何かに陶酔したような貴族的な風貌がとても印象的。そして、髪を手でかきむしり目をかっと見開き正面を見つめている“絶望した男”も心を揺すぶる。

真ん中の写実的な人物風景画“村の娘たち”に描かれているのはクールベの妹3人。背景の緑の山と白い岩肌のなかに明るい陽光をあびた女性たちや牛が浮かびあがっているような感じが心をとらえて離さない。衣装を着ている女性の絵では“眠る糸紡ぎ女”や金髪が眩しい“窓辺の3人のイギリス娘”にも足がとまった。

グラン・パレのときには大好きな風景画“雷雨のあとのエトルタの断崖”を取り上げたが、再会した“シオン城”も忘れられない絵。スイスに亡命を余儀なくされたクールベはレマン湖岸のシオン城からほんの数キロのところに住んでいた。若い頃、スイスのジュネーブにいたとき、9世紀頃建てられたこのシオン城を訪れたことがある。

美しい古城で、遠くから見ると、まるで湖の上に浮かんでいるように映る。まことに絵になる風景である。ジャズピアニスト、ビル・エバンスはアルバムのジャケットにこの城を使っていた。ジャズフェスティバルが開催されるリゾート地として有名なモントレー(晩年チャップリンが住んでいた)はここからすぐのところ。

詩人バイロンはシオン城に監禁された宗教改革者の物語を題材とした“シオンの囚人”(1819年)をつくったが、クールベの心にはこの詩がいたく沁みたにちがいない。

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2008.05.11

その九 コンスタブル  ミレー  フレデリック・チャーチ

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ロンドンのテート・ブリテンではターナー(1775~1851)はお目当ての絵があまり見れなかったのに対し、コンスタブル(1776~1837)は高いヒット率であったが、これはどういうわけかアメリカの美術館でも変わらなかった。

こちらの気持ちがコンスタブルのほうへ傾いているのをターナーは感づいているのだろうか。で、メトロポリタンのターナーの“ヴェニス 大運河”が姿を現してくれず、コンスタブルの“主教の庭からみたソールズベリー大聖堂”(上の画像)だけの鑑賞となった。

この絵は構成がよく似たヴェージョンが5点あるらしい。最初に描かれたもの(ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館蔵)は暗い曇り空を背景にして大聖堂が描かれていたため、注文した主教は満足しなかったようだ。そのため、コンスタブルは空をもっと明るくし、聖堂を囲むように見える近景の木の枝や葉を少し削り、開放的な感じが出るように描き直した。

これは第二ヴェージョンの一枚。フリックコレクションにもほとんど同じものがある。陽光に輝く大聖堂の尖塔がまことにカッコいい。左側の小道に立っている主教と妻はその美しい姿に感激している様子。すぐにでもこの絵が描かれた場所に飛んでいきたい気持ちになった。コンスタブルは狙いのこれと“干草車”(拙ブログ2/7)がみれ、またワシントン、ボストンでも白い絵の具が目に焼きつくいい風景画と対面できたから大満足。

真ん中の絵はミレー(1814~1875)の“干草の山:秋”。ここにはミレー作品は5点あった。日本では昔からミレーはモネとともに人気があり、これまでボストン美と山梨県美にある“種をまく人”が一緒に展示されたり、オルセーの“落穂拾い”、“晩鐘”、“羊飼いの少女”がやってきたから(03年、Bunkamura)、ミレーがすごく身近に感じられる。同じように思われている方が多いのではないだろうか。

で、ボストンやここではミレーの絵の前にはあまり長くいなかったのだが、この絵だけは別。前回不覚にも見逃したので、じっくりみた。遠くに長い地平線がみえ、広大な平原を感じさせる大地の真ん中に描かれた大きな干草の山には圧倒的な存在感がある。

この干草の塊を見るたびに小さい頃、楽しんだドングリ駒を思い出す。ドングリ駒?知っている人は懐かしく、知らない人は何それ?干草の前にいるたくさんの羊を線遠近法における消失点に収束する直線のように配置しているのがとても興味深い。これにより視線はすっとまるで生き物みたいな干草に向かう。

下は今回のメトロポリタン訪問では目玉のひとつにしていたハドソンリバー派絵画、“アンデスの山奥”。今、この絵が本来展示されている2階のアメリカン・ウイングが工事中のため、アメリカ絵画の大半は収蔵倉庫におさまっている。描いたのはアメリカ人画家、フレデリック・チャーチ(1826~1900)。縦1.7m、横3mの大きな絵で、スケールの大きいアメリカの大自然がびっくりするほど緻密に描かれている。

このような雄大な景観の前では人間はものすごく小さな存在であることを認識させられる。トマス・コール(1801~1848)やアルバート・ビーアスタット(1830~1902)の同じく超精緻に描かれた大風景画も一緒に見たかったのだが、残念なことに見当たらなかった。この2点は次の楽しみにとっておくことにした。

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2008.05.10

その八 ヴァトー  ブーシェ

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NYは京都のように道路が碁盤の目のようになっているから、目的の美術館やブランドショップを探すのに手間どらない。メトロポリタンは5番街82丁目にある。ほかの有名な美術館もこの5番街沿に並んでいるから、とても効率のいい美術館めぐりができる。

メトロポリタン(上の写真)の上のほうには、フランク・ロイド・ライト設計のあの渦巻き状の外観が目を引くグッゲンハイム美術館があり、ティファニーのほうへ下っていくとその途中にホイットニー美術館とフリックコレクションがある。そして、ティファニーとセント・パトリック大聖堂の中間あたりに20世紀美術の殿堂、近代美術館(MoMA)がある。

直線距離にすると3kmくらいのなかに美術館が集結し、ルネサンスなどの古典絵画から印象派、近代絵画、現代アートの名作が楽しめるのだから、これは美術が好きな人にとってはたまらないアートエンターテイメント空間。今回NYでの自由行動はMoMAの休館日にあたっていたのとメトロポリタンのなかにいるのが長くなったため、グッゲンハイムは訪問できなかったので、次の機会は近・現代アート中心の鑑賞を実現したいと思っている。来年、再度NY?!

必見リストにコピーしていたメトロポリタンのロココ絵画は3点。ヴァトー(1684~
1721)が描いた“メズタン”(真ん中の画像)、下のブーシェ(1703~1770)の“ヴィーナスの化粧”、フラゴナール(1732~1806)の“恋文”。ヴァトーとブーシェは展示してあったのに、最も見たかった“恋文”はなかった。ワシントンナショナルギャラリーでも“読書する娘”と対面できなかったから2連敗!フラゴナールとの相性が悪いのかな?

話が脇にそれるが、絵を鑑賞していて、時々“相性のいい画家と相性の悪い画家があるな”と思うことがある。ミューズが意地悪しているのか、それとも“お前には見てもらいたくない!”と画家が言っているのかわからないが、ミューズ様には常々心よりの感謝を申し上げ機嫌を損ねることはしていないから、やはり画家との相性の問題かもしれない。

“メズタン”はルーヴルにある“ピエロ”とともに、イタリア喜劇のキャラクターの一人。これは前回は見逃し、図録を見るたびに“あの時見とけばよかったな!”という気持ちが強かった絵。このメズタンの体をよじらせ首を左に曲げて、なにかやるせなさそうに楽器を弾いている姿が心を打つ。ここで演じているのは心は熱く燃えているのにその恋は報われない男。で、まだ見ぬ恋人のためにセレナーデを奏でている。切ないねェー、お兄さん!

下の“ヴィーナスの化粧”は“水浴のヴィーナス”(拙ブログ4/1)と同じように女神の品のいい顔立ちと眩いばかりの白い肌に200%参ってしまう。3人いるクピドがまた可愛い。とくに下で腹ばいになり真珠の飾りをさわっているクピドの姿に癒される。ヴァトー、ブーシェの絵にだんだん目が慣れ、雅なロココワールドの住人になるのも悪くないなという気になってきた。

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2008.05.09

その七 プッサン展

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メトロポリタンでの鑑賞時間が予定より2時間延びた理由の一つはまったく想定外の“プッサン展”と遭遇したから。パリのグラン・パレで見た“クールベ展”はここへ巡回中であることは知っていたが、ルーヴルで重点鑑賞画家にしていたプッサン(1594~1665)の回顧展を楽しめるとは夢にも思わなかった。

パリ、ロンドンでかなりの数のプッサン作品と対面し、ググッとこの画家にのめりこんでいたから、わくわくしながら企画展示屋へむかった。会期は2/12~5/11で、油彩44点、素描50点の94点が出品されている。会場の入り口のところにルーヴルでみる予定だった“自画像”があったので、質の高い作品が集まっていることを直感した。はたして、ルーヴル、ロンドンナショナルギャラリー、プラドなどブランド美術館からやってきた名画が沢山あった。

上はメトロポリタンの所蔵で必見リストの二重丸作品、“日の出を探し求める盲目のオリオン”。ギシシャ神話はライフワークにしているので、この絵に描かれた巨人オリオンと対面するのを楽しみにしていた。“これがあのオリオンか!”という感じ。見上げるような巨人である。肩にのっかっているのは道案内人のケダリオン。オリオンの足元に立っているのはウルカヌス。

一体オリオンはどこへ行こうとしているのか?見えない目を治すため、これから太陽の光を浴びにオケアノスの果てまでいくのである。両端の大きな木の間にみえるむくむく雲に肘をついてオリオンを眺めているのは月の女神ディアナ。この神話的風景画には寓意的な内容が表現されており、月の女神ディアナは雨を降らせる自然の力を表すものとして描き込まれている。

真ん中は最晩年に描かれた“四季”のひとつ“夏(ルツとボアズ)”。ルーヴルには“秋(約束の地の葡萄)”と“冬(大洪水)”しか展示してなかったので、残念な思いをしていたが、この“夏”と“春(地上の楽園)”は嬉しいことにここまで追っかけて来てくれた。

“夏”に描かれているのは旧約聖書にでてくるルツの物語。夏の刈り入れ作業のなか、畑の持ち主ボアズがひざまずいているルツを褒めている場面である。夫を亡くしたルツは貧しい生活にもよく耐え姑につくしたから、姑の親族で裕福だったボアズはルツに対し親切にし、やがて妻にしてしまう。

プッサンの風景画は水平と垂直をうまく調和させた幾何学的構図に特徴がある。作業をしている人たちを水平に並べ、列をなすように配置しているから、視線がだんだんと空間の奥へむかっていく。そして、遠景に描かれた山や宮殿風の建物の上にはどの絵でも量感のある雲がたちこめており、明るい青の空は雲間からみえるといった感じ。

下の絵は“フォキオンの遺骨を拾う寡婦”(リバプール、ウォーカーアートギャラリー)。これは初期の英雄風景画の傑作である。フォキオンは古代アテナイ民主制最末期の軍人、弁論家。衆愚政治に反対の立場をとったが、ソクラテス同様民衆に誤解され、最後は毒をあおいだ。

この絵で目を奪われるのは構図。あまりにすばらしいので言葉を失った。左右の木の間に斜行する小道が描かれているため、遠景の神殿と三角形のフォルムをした山まで視線はなめらかに導かれていく。ロンドン、パリ(拙ブログ3/31)、ワシントン、そしてNYでプッサンの作品を73点もみることができた。こんな嬉しいことはない。ミューズに感謝々。

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2008.05.08

その六 NYでフェルメール三昧!

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フェルメール(1632~1675)の絵が飾ってある部屋で面白い光景に出くわした。日本の若い女性モデルが絵の前でポーズをとり写真撮影をしているのである。いずれ何かの雑誌に載るのだろうが、あらためてフェルメール人気の高さを見せつけられた感じ。

ここにある5点は大きさでいうと、ワシントン・ナショナルギャラリーの4点(拙ブログ4/13)と同じような小さな絵が3点、上の“窓辺で水差しを持つ女”、“リュートを調弦する女”、“少女”。そして、真ん中の“眠る女”はこれらの倍くらいの大きさ。下の“信仰の寓意”はフェルメールの風俗画では例外的に大きく、“絵画芸術”(ウィーン美術史美術館)とあまりかわらない。

今回の絵は好きな順に並べてあるが、“水差しを持つ女”に対する熱い気持ちは“眠る女”の3倍くらいある。この絵は18年前はじめてここを訪れ帰りがけに購入した図録(英文)の表紙に使われているから、図版を見た回数はフェルメール作品のなかでは最愛の“青いターバンの少女”(07/10/6)とともに一番多い。

心に強く響くのが右手で窓枠を、左手で水差しの把っ手をつかんだ動きのあるポーズと女性の清楚なイメージを掻き立てる白いかぶりもの。女性の立つ位置、テーブル、後ろの壁に掛けられた地図の配置はよく考えられており、そのフェルメールならではの巧みな構成には心底魅せられる。窓から部屋の中に入ってくる朝の明るい日差しは、部屋全体をやわらかくつつみこみ、静謐な静物画をみているよう。こうしたオランダの家庭の素朴で静かな情景をみていると本当に心が落ち着く。

真ん中の“眠る女”は頬杖をついて居眠りをしている女性の姿がすごく目に焼きつく。これはフェルメールが描いた最初の風俗画。光がさしこむ窓はないが、静かな雰囲気はこれ以降の作品とまったく同じ。カラヴァッジョやラ・トゥールが描いた“女占い師”、“いかさま師”のような風俗画は見る者がすっと絵の中に入っていけ、描かれた人物を笑ったり、あるいはその行為に眉をひそめたりすることが多い。

だが、フェルメールの描く風俗画にはざわざわした喧騒とかユーモラスなところが消え、ほのかな光に照らし出された室内で女たちが眠っていたり、牛乳を注いでいたり、手紙を読んだり、楽器を演奏したりするところが描かれている。フェルメールの絵は前のめりになってみるものではなく、心を鎮めていつもよりは一歩さがってみるくらいがちょうどいいかもしれない。

下の“信仰の寓意”のなかにはいろいろな寓意的表現が散りばめられている。画面の手前、石の下敷きになって床に血を流している蛇を見て瞬間的に思い浮かべたのはカラヴァッジョが描いた“蛇の聖母”(ボルゲーゼ美術館)。胴体の曲がり具合がよく似ている。女性がとっている地球儀の上に足をのせ、胸に手を当てるポーズは“信仰”を表しているが、この女性の顔がどうも苦手。

苦手と言えば“少女”も何度みてもダメ。少女というよりはお婆さんの顔。この絵と“リュートを調弦する女”の前ではいつも、普通の人の何倍ものスピードで年をとるというあのアメリカの少年が襲われた難病を連想するので、あまりながく見ないことにしている。

フリックコレクションにあるフェルメールもすばらしいのでいずれ紹介するつもり。NYは本当にフェルメールが楽しめる街である。I LOVE NY!

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2008.05.07

その五 カラヴァッジョ  ラ・トゥール  レンブラント

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日本では今、伊藤若冲が大ブレイクしているが、欧米ではカラヴァッジョ、フェルメール、ラ・トゥールが高い人気を誇っている。3人の現存する作品はあまり多くないから、愛好家にとっては作品を所蔵している美術館は聖地みたいなもの。

ヨーロッパとアメリカにあるブランド美術館をこの3画家の作品で評価してみると、メトロポリタンとルーヴルには高い点数がつく。メトロポリタンはカラヴァッジョ2点、ラ・トゥール2点、フェルメール5点。ルーヴルはカラヴァッジョ3点、ラ・トゥール7点、フェルメール2点。

これに対し、ロンドンのナショナルギャラリーはカラヴァッジョを3点、フェルメールを2点もっているが、ラ・トゥールはない。また、ワシントンのナショナルギャラリーにはフェルメール4点、ラ・トゥール1点あるが、カラヴァッジョはなし。ボストン、シカゴは3人に関してはまったく所蔵してない。

前回ここを訪問したときはカラヴァッジョ(1571~1610)には目覚めてなかったから、上の“合奏”や隣に飾ってある“リュート弾き”はまったく記憶が無い。だが、このたびは再接近してみた。“合奏”ではリュートを弾いている色白の少年の顔がピンク色に染まっているのが強く印象に残る。葡萄や楽器、楽譜の写実的な描写に釘付けになるが、リュートを弾いている少年と右にいる二人がくっつきすぎてる感じ。3つの頭の並び具合がどうも窮屈。真ん中でこちらをみているのはカラヴァッジョ自身。

リュートを弾く若い歌手を描いた絵はエルミタージュ美術館にもあるが、先に描かれたエルミタージュのほうがかなりいい。カラヴァッジョの24歳のころ制作した風俗画のなかでお気に入りはエルミタージュの“リュート弾き”、ロンドンナショナルギャラリーにある“トカゲに噛まれた少年”、そしてテキサス・フォートワース、キンベル美術館が所蔵する“いかさま師”。次のターゲットは画集でみてもすごく魅了される“いかさま師”。なんとしてもこの絵を見てみたい!

ここにあるラ・トゥール(1593~1652)2点は全作品のなかでも上位にはいる傑作。真ん中の“ふたつの炎のあるマグダラのマリア”と“女占い師”。“女占い師”は前回見たのをどういうわけかよく覚えていて、再会を楽しみにしていたのだが、残念なことに展示されてなかった。人気の高い作品だから引っ張りだこなのだろう。

“マグダラのマリア”に描かれているろうそくは鏡に映っているので二本あるようにみえる。ルーヴルのマリア(拙ブログ3/30)やワシントンナショナルギャラリーのマリア(4/13)が手で頬づえをついているの対し、こちらは両手を組んで髑髏の上においている。ろうそくの横にある真珠の見事な質感描写とろうそくの光に照らされ闇の中に浮かび上がるマリアの美しい横顔と上半身を息を呑んでみた。

ロサンゼルスへはまだ行ったことがないのだが、カウンティ・ミュージアムには“ゆれる炎のあるマグダラのマリア”があるから、いつかこれも目の中にいれようと思う。

大きな美術館はどこもレンブラント(1606~1669)の質の高い名作をいくつももっており、ここには35点ある。必見リストに下の“ホメロスの胸像を眺めるアリストテレス”、“フローラの姿のヘンドリッキェ”、“自画像(53歳)”、“沐浴のパテシバ”など8点をコピーしていたが、その倍の15点みることができた。

二重丸をつけていたのが“アリストテレス”。期待通り、迫力満点の肖像画だった。右の肩からかけている金鎖はアレクサンドロス大王の家庭教師だったアリストテレスが大王から貰ったもの。ゴールド、青、シルバーで描写されたこの鎖の質感と豪奢な衣服の袖に目を奪われる。肖像画の名手、レンブラントに惚れ直した。

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2008.05.06

MIHO MUSEUMの与謝蕪村展

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名神高速の栗東ICと名阪国道の壬生野ICをむすぶ線のちょうど中間位のところにあるMIHO MUSEUN(新名神高速の信楽ICからは10分くらい)を訪問した。高名な日本美術史家、辻氏が館長をつとめるこの美術館の所蔵品が展覧会によく出品されるので、いつか行ってみようと思っていたが、待ち望んでいた与謝蕪村の大回顧展(3/15~
6/8)がここで開催されるという情報がひょんなことから入ってきた。となるともう出かけるしかない。

この展覧会は3月の中旬に開幕したのだが、お目当ては長年待っている代表作“夜色楼台図”(やしょくろうだいず、個人蔵)だから、これが展示される期間(4/29~5/6)にあわせてクルマを走らせた。作品は会期を6期に分けて147点が展示される。4期
(4/29~5/11)は56点。国宝の“十宜帖”(拙ブログ05/6/19)をまた見たかったが1期(3/15~3/30)だけの展示だった。辻館長が企画される蕪村展だけあって、代表作はほとんど集まっている。もう完璧という感じ。流石、辻館長である。

展覧会開催のきっかけになったのは館長が蕪村の未知の傑作、銀地の“山水図屏風”(会期中展示)と遭遇したからだという。確かにわれわれがすぐ思い浮かべる蕪村のイメージとはちがう絵である。新しい蕪村作品の登場に辻館長はいたく衝撃をうけこれが回顧展の開催につながったというわけである。これは見てのお楽しみ!

上の絵は京博蔵の“奥の細道図巻”(重文)。“奥の細道図”は10種類描かれ、大部分が巻物。これは現存する4点のひとつ。上が“旅立ち”で下は“那須野行”の場面。これまで逸翁美術館の図巻と山形美術館が所蔵する屏風形式のものを見たことがある。

真ん中は“夜色楼台図”。これは“横物三部作”といわれているもののひとつで蕪村、晩年の作品。町に降る雪を描いた絵で心に最も響くのは東山魁夷の“年暮る”(05/12/11)とこの絵だったが、やっと見ることができた。墨のたらしこみの技法が使われた夜空が山々や家の屋根に積もった雪の白をより一層輝かせている。夜の雪の情感がしみじみと伝わってくる期待通りの傑作だった。

愛知県美にある“富嶽列松図”(06/4/8)と一緒にみれたら最高だったが、これともうひとつの“峨嵋霧頂図巻”は5期以降の展示となっている。こういう揃い物は京博方式で全部見せてもらいたいのだが、“峨嵋霧頂図巻“の鑑賞はこれでだいぶ遠のいた。また、“夜色楼台図”同様、ずっと追っかけている北村美術館蔵の“鳶・鴉図”も会期が合わなかった。すごく残念だが、幸いなことに“鳶図”と構図がよく似ている下の“寒樹老鳶図”があったので思いの丈は半分叶えられた感じ。

狙いの作品のほかでは、京博にある“野馬図屏風”で味わった感動が再現された“寒林野原馬図”(重文、文化庁)と大きな画面に鳴子と稲積と五羽の鴉しか描かれてない“晩秋飛鴉図屏風”に足がとまった。蕪村の絵がほぼ終了したので、次のターゲットは池大雅。京博が来年あたり大回顧展をやってくれたらご機嫌なのだが。

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その四 グレコ  ベラスケス  ゴヤ

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メトロポリタンはルーヴル同様大きな美術館なので、一回の訪問ではとても作品の全貌はつかめない。普通のツアーでは鑑賞時間は1時間とか1時間半程度。これだと、狙いを定めないで“ぐるっとまわってみようか”という気分でスタートすると、“まだこれだけしか見てないのにもう一時間経ってる。集合時間時間まであと30分しかない!”とあせりまくり状態にきわめて高い確率でおちいる。だから、ここを訪問するときはルーヴルでとったような綿密な作戦が必要。

あれもこれも欲張ってみるよりは自分の見たい絵や彫刻、遺跡出土品をかなり絞りこんで鑑賞したほうが大きな満足がえられる。例えば、絵画だとヨーロッパの古典絵画と印象派だけをみて、20世紀美術はMoMAやグッゲンハイムにまかせてパスするとか。また、エジプト、ギリシャ・ローマ美術は大英博物館、ルーヴルのほうが質、数は上だから、有名なものだけピンポイントでみるとか。

今回はまだじっくりみてないアフリカ美術コレクションに時間を使うことも考えたが、これを我慢してお目当ての絵画だけに集中した。そして、重点鑑賞画家にしていたのはグレコ、ゴヤ、レンブラント、カラヴァッジョ、ラ・トゥール、フェルメール、ドガ、サージェント。

昨年プラド美術館やトレドで久しぶりにグレコ、ベラスケス、ゴヤの傑作と対面し、スペイン絵画への親密度がぐっと増した。さらに今回のアメリカツアーではシカゴ、ワシントンナショナルギャラリーとここメトロで画集に載っている有名な絵が見れたからスペイン絵画は一気に済みマークがついた。とくに昔から大好きなグレコとゴヤがすごく充実していたので、満ち足りた気分になっている。

プラド以外でグレコ(1541~1614)のコレクションで評価が高いのは一度訪問したことのあるブダペスト美術館とメトロポリタン。上は再会を心待ちにしていた“トレド風景”。何度見ても絵のなかにぐぐっと惹きこまれる。深い緑で描かれた起伏のある川と丘、そして不気味な青い空がすごく印象的。2日前とりあげたブリューゲルの風景画のように画面左手の遠景には坂道を橋のほうへ歩いている人たちが小さく描かれている。中国の万里の長城をイメージさせる城郭と大聖堂のむこうには宮廷がおかれていたアルカサルがみえる。

このほかにも最晩年の作品“黙示録第五の封印”、“自画像”、衣装の朱色と白の対比が鮮やかな“枢機卿ベルナルド・デ・サンドーバル”など目を見張らされる傑作が目白押し。また、1階のレーマンコレクションの部屋には同じ題名の作品のなかではベストといわれる“十字架を担うキリスト”とこれまたすばらしい肖像画“聖ヒエロニムス”がある。よくこれほど質の高いグレコの絵を集まったものである。ビジネスの成功により巨万の富を手に入れたアメリカ人コレクターの眼力に敬服するしかない。

真ん中のベラスケス(1599~1660)の“フアン・デ・パレーハ”は前回見たという確かな記憶がないので、二重丸の絵。このツアーではベラスケスの肖像画が大当たり。ボストンにあった“詩人ルイス・デ・ゴンゴラ”(拙ブログ4/20)に魅了されたが、これはそれ以上に惹きこまれる。モデルはあまり腕のよくない助手。口ひげをたくわえたふてぶてしい赤銅色の顔にすごいインパクトがある。これまでベラスケスの肖像画というと王女マルガリータばかりに目がいきすぎていたから、この傑作に出会ったのは大収穫。

下の絵はゴヤ(1746~1828)の“マヌエール・オソーリオ・マンリケ・デ・スーニガの肖像”。15年前、この絵を見たときは大感激した。あの“裸のマハ”や“わが子を喰らうサトゥルヌス”を描いたゴヤがこんな愛らしい子供の絵を描いていたとは!子供は色が白いから赤の衣装がほんとうに映える!前回、純真無垢なこの男の子ばかりに目が集中し気がつかなかったが、隣にいる3匹の猫がやけに不気味。やはりゴヤは並みの画家ではない。

ほかにもいい絵がある。マネを感動させた“バルコニーのマハたち”、肖像画の傑作“セバスティアン・マルティネス”、そしてレーマンギャラリーに飾ってある“アルタミラ伯爵夫人と娘”。なかでも前回見逃した“アルタミラ伯爵夫人と娘”に200%感動した。プラドでゴヤと再会して以来、頭のなかはゴヤの絵でいっぱい。今回、念願だった“ポンテーホス女侯爵”(4/14)とこの伯爵夫人に対面でき、これ以上の幸せはない!

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2008.05.05

その三 ティツィアーノ  ルーベンス  ヴェロネーゼ

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ワシントン・ナショナル・ギャラリーにはティツイアーノ(1485~1576)の肖像画の名作が揃っていたが、メトロポリタンでは見慣れた題材と対面した。上の“ウェヌスとアドニス”と“ウェヌスとリュート奏者”。上の絵はプラドにある原画のレプリカで、西洋美の“ウルビーノのヴィーナス展”にもこれとはちがうアドニスが赤い狩猟帽を被った別ヴァージョン(バルベリーニ宮美蔵)が展示されている。

“ウェヌスとリュート奏者”も同じ構図で描かれた作品6点のうちの一つ。作品の質としては、2年前東京都美にやってきたプラド蔵の“ウェヌスとオルガン奏者”が最もいいが、これをベンチマークにするとメトロにあるのは80点くらいの出来栄えで、現在、西洋美に出品されているウフィツィ蔵のものとほぼ同じレベルの絵。

真ん中はルーベンス(1577~1640)がティツィアーノの作品の80年くらい後に描いた“ウェヌスとアドニス”。ティツイアーノとルーベンスの作品を見較べてみると、ティツィアーノのほうが強く印象に残る。それはウェヌスの姿が真に迫っているから。若き愛人アドニスが狩に出かけようとするのを後ろ姿のウェヌスは体をひねらせアドニスの体にしがみつき必死に引き留めている。

なぜ、“行かないで!”とウェヌスは止めるのか?美少年のアドニスは向こう見ずな性質で、獅子、熊、猪といった危険な獲物を追いたがるので、ウェヌスは心配でたまらないのである。案の定、アドニスは手負いの猪の牙にかかって死んでしまう。

この絵の中には二人のほかに2匹の犬とクピドが描かれている。左のほうにいるクピドはウェヌスとアドニスを恋におちいらせた張本人。ぴゅーと放った矢が偶然ウェヌスにあたってしまったから大変。傷を受けたウェヌスはたちまち美しい狩人アドニスにメロメロ。プラドにある原画ではクピドは眠っているが、この絵ではクピドは二人のやりとりをじっとながめている。

ルーベンスの絵で面白いのはこの可愛いクピドがアドニスの足を引っ張っているところ。“ウェヌスお姉さんの愛の力ではアドニスお兄ちゃんの血気を止められないのなら、ここは僕が体を張るしかないな!”クピドちゃんは健気だね!ティツィアーノの絵と較べるとアドニスに動感がないが、ルーベンスは体を斜めにして説得するウェヌスにクピドを加え二人の引き留めようとする気持ちがどんなに大きいかをこの三角形の構図で表現したかったのかもしれない。

クピドは下のヴェロネーゼ(1528~1588)の“ウェヌスとマルス”でも愛の手助けをしている。恋多き女神ウェヌスのここでの相手は軍神マルス。眩しいくらい白い肌をしたウェヌスは当世風の貴族的な衣装をしたマルスの肩に手をかけ、下でクピドが二人の足を紐で結び付けているのを見ている。

指と指を結ぶのはすぐ愛をイメージできるが、足を結ぶというのはちょっと違和感がある。でも、クピドの気持ちはよくわかる。こういう絵ははじめてみたが、ヴェロネーゼはなかなか茶目っ気がある。ロンドン、パリ、ワシントン、ボストン、NYをまわったなかで、“カナの婚礼”(2/26)、ロンドンのナショナルギャラリーでみた“愛の寓意”、フリックコレクションにある“美徳と悪徳”、“智と力”にも魅了されたが、この絵が一番グッときた。

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2008.05.04

暁斎 Kyosaiー近代へ架ける橋

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京博で行われている河鍋暁斎の大回顧展(4/8~5/11)を見てきた。会期は昨年あった狩野永徳展同様、一ヶ月と大変短い。作品の数は135点。この中には下絵が13点あるから、本画は120点ちょっと。質、数ともに文句のつけようの無い10年とか20年に一度クラスのすばらしい回顧展である。

会期は短いがその分、会期中作品の展示替えがまったくない。“風俗鳥獣画帳”、“地獄極楽めぐり図”(静嘉堂文庫)など4点は前後期で作品が替わるが、これはシリーズもので数が多いため。京博はこの展示方法を狩野永徳展からはじめたが、二重丸で評価したい。大規模な日本美術の展覧会では嫌になるくらい展示期間を細かく分け、作品の展示替えをするので、全部見ようとすると割高な料金を何度も払わなければならない。

会期を2~3ヶ月とり、作品を沢山展示する展覧会がもちろんあってもいいが、永徳とか暁斎といった日本美術史のなかで重要な位置を占める作家の場合、展示替え無しで国内外の美術館から集めてきた名品が一発で見られるのは大変有難い。京博は画家の発掘もそうだが展示のやり方にもイノベーション精神にあふれている。他の美術館でも京博方式の展覧会が増えることを期待したい。

さて、河鍋暁斎の大回顧展はどれくらい面白いか。目の前にある作品は期待値を大きく上回っている。暁斎は04年12月、東京ステーションギャラリーであった“国芳・暁斎展”で一ラウンドこなしているから、手元にある画集に載っている作品をながめて狙いの絵を代表作中の代表作“大和美人図屏風”(下の画像)と“地獄極楽めぐり図”に定めていた。

この2点がみれればもう元はとれるという考えだから、それほど作品にのめりこむことはないと思っていたが、会場を進むにつれてだんだんテンションがあがってきた。つくづく残念なのが“これはいいな!”と惹きこまれた作品は大英博物館など海外からやってきたものが多いこと。大英博物館の“閻魔”、“幽霊図”、“鳥獣戯画”、イスラエル・ゴールドマンコレクションの“大仏と助六”、“猿図”など。

上は“鳥獣戯画”シリーズのなかで“蛙と猿の的射ち”とともに足をとめニコニコ顔でみていた“蛙のヘビ退治”。“国芳・暁斎展”のときにも“鼠の猫退治”(拙ブログ04/12/14)と一緒に同名の戯画(河鍋暁斎記念美蔵)が展示してあったが、こちらのほうが断然いい。二つの棒に頭と胴体をくくりつけられたヘビの上で蛙が逆立ちをしたり、曲芸やブランコ遊びに興じている。今までいじめられてた弱者は強者をこれくらいやっつけられれば痛快だろう。こういう絵を思いつく暁斎の想像力はとてつもなくすごい。

静嘉堂文庫の“地獄極楽めぐり図”(前期11図、4/27で終了)は狙いの作品だったが、それほど感激しなかった。また、惜しいことに見たかった“極楽行汽車”は後期(4/29~5/11)の展示だった。お目当ての美人画のほかで惹かれたのは碁打ちを楽しんでいる鬼たちを岩の陰から見ている鐘馗を描いた“鬼碁打図”、曽我蕭白の画風をイメージさせる“白鷲と猿”、“浮世絵大津之連中図屏風”、プライスコレクションにも同じような絵がでていた底抜けに楽しい“吉原遊宴図”。

真ん中は再会した大きな“新富座妖怪引幕”。これは仮名垣魯文が開場して2年目の新富座に贈った引幕で、人気役者達を妖怪に仕立てている。暁斎は酒を飲みながら4時間で描きあげたという。大目玉のろくろ首で“暫”の出で立ちが団十郎で、般若のような顔をした“化猫”が菊五郎。とにかく迫力のある絵である。

最後の部屋で一際輝いているのが下の“大和美人図屏風”。これは右隻のほう。誰がみても頭がデカイと思うはずだが、不思議なことにそれが全然気にならない。白い顔と赤い地に文様が精緻に描かれた衣装はうっとりするほど美しい。弟子のコンドルに贈ったこのすばらしい美人画を見れた喜びを今かみ締めている。

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その二 ヤン・ファン・エイク  クラナハ  ブリューゲル

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メトロポリタンにある古典絵画で一番のサプライズが上のヤン・ファン・エイク作“磔刑、最後の審判の二連画”。豊かな色彩と目が点になるくらい精緻な描写に息を呑んで見た。ワシントン・ナショナル・ギャラリーで魅了された“受胎告知”(拙ブログ4/10)に漂う厳粛さとは異なり、ここには重いモチーフが描かれている。とくに右の“最後の審判”に度肝をぬかれた。

目にとびこんでくるのが縦長の画面中央で足を大股開きにし、腰をかがめるようにしてこちらを見ている骸骨。両足の下には地獄に落ちた罪人が数えきれないくらい沢山描かれている。逆さ吊りにされ、顔を苦痛でゆがめている者、悪魔や怪獣に襲われ悲鳴をあげている者。地獄絵ならではのおぞましい光景なのであまり長くは見てられない。

骸骨の上にいる大天使ミカエルの背中からでている羽根は“受胎告知”のように鮮やかなレインボーカラー。その姿がなかなかカッコいいので思わず見蕩れてしまった。そして、ミカエルの右側の海辺の描写にもびっくり仰天。遠くまで打ち寄せる波が実に細かく描かれている。海がでてくる最後の審判の絵ははじめて見た。ヤン・ファン・エイクのこんなすごい絵があるのだから、流石、MET!

真ん中はクラナハ(1472~1553)の“パリスの審判”。クラナハはこの主題を繰り返し描いており、現在、国立西洋美術館で開催中の“ウルビーノのヴィーナス”(3/4~
5/18)にもウフィツィ所蔵のものが出品されている。ギリシャ神話では、ヘラ、アテナ、アフロディテの三女神のなかから天界の美人No.1を決める大役を仰せつかったパリスは羊飼い、そして神々の使者としてパリスに審判を仰ぐ役目のヘルメスはたくましい若者のはず。

ところが、この絵ではパリスは騎士、ヘルメスは老人の姿で描かれている。クラナハはこの場面を神話の世界ではなく、当時の服装で再現しているのである。これは日本の浮世絵師、鈴木春信が得意とした見立絵と同じ発想。いかめしく硬いイメージの強い男に対し、三女神はルーベンスの裸婦像と較べれば健康度はぐっと下がり、なまめかしくてエロティック。

見事パリスの心を捉えたのは誰か?それは真ん中で左上のまるまる太った息子のキューピットのほうを指差しているアフロディテ。パリスにとって、ご褒美にもらうすればアフロディテが約束してくれた美女ヘレネが一番うれしい。美の女神はそのことをよく知っている。でも、パリスにとっていいことはトロイの国にとっては最悪。で、あのトロイ戦争が起こってしまう。

下は再会を楽しみにしていたブリューゲル(1525~1569)の“穀物の収穫”。ブリューゲルはボスとともに大好きな画家。この絵はゴッホの“イエローパワー”を彷彿とさせる黄金色の小麦に魅せられる。画面のなかにはきつい刈り入れの仕事をしているところと木陰で休息をとるところが対照的に描かれている。

視線が集まるのが大の字になって眠りこけている男。よほど疲れているのだろう。ブリューゲルの風景画の魅力は巧みな構図と中景、遠景をていねいに描き込む広々とした空間描写。小麦畑の向こうにみえる緑の草地や木々のところに目をやると子供が二人いた。ルーベンスはブリューゲルの風景画をこよなく愛していたという。ほんとうに心の安まる名作である。

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2008.05.03

メトロポリタン美術館 その一 ジョット  サセッタ  ジョヴァンニ・ディ・パオロ

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本日からNYのメトロポリタン美術館です。また、しばらくお付き合いください。

ニューヨーカーに“MET”(メット)の愛称で親しまれているメトロポリタン美を訪問するのは3度目。前回は15年前だから、しっかり覚えている展示空間は1階のエジプト美術、“デンドゥールの神殿”ぐらいなもので、印象派など目に焼きついている作品についても何処でみたかは見事なくらい忘れている。

館内は広く、1階と2階にエジプト、ギリシャ・ローマ、イスラム、アジア、アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、20世紀美術、中世、武器・甲冑、楽器、コスチュームなど16の展示エリアがある。今回はルーヴル同様、絵画に絞って効率的に回ることを事前にシミュレーションしていたが、実際は目がまわるくらい沢山の部屋があり、また、工事のため封鎖中の部屋があったりするから、途中で一体どこをどう動いているのか頭がこんがらがってくることがしばしば。

絵画だけに限定し、必見リストにある名画を中心に見る作戦だったが、それでも見終わるのに5時間かかった。ツアーの行程ではここの鑑賞時間は3時間。予定ではこのあとの自由行動はグッゲンハイム、フリックコレクションの流れだったが、ここで2時間使ってしまったので、一度行ったことのあるグッゲンハイムはパスせざるをえなくなった。あらためて、メトロポリタンが超ビッグな美術館であることを思い知らされた。疲れはしたが、すごく充実した鑑賞体験だったので、これから感動の名画を目一杯紹介しようと思う。

ここの展示の仕方は少し変則的なところがある。というのも、コレクターの寄贈品のなかでも、一部のコレクターの場合、例えばロバート・レーマン・コレクションやリンスキー・コレクションなどは専用のギャラリーで展示されているから、2階のヨーロッパ絵画のコーナーでルネサンス、バロック、印象派などを見てもう済んだとのんびりしていると、1階中央奥にあるレーマン・コレクションのグレコ、ゴヤ、アングル、ルノワールのとびっきりの名画を見落とすことになる。これから訪問される方はこのことをくれぐれもお忘れなく!

今回リカバリーしたい作品をリストアップするのに役立ったのが04年にBS2で放送された特集“メトロポリタン美術館”。この番組を収録したビデオを出発前によくみて狙いの作品を事前に目になかに入れておいた。また、リストの中には購入した図録(英文、15年前は日本語版がなかった)、画集から得た情報もたっぷり入れてある。

ここにはダ・ヴィンチの絵はないが、ルネサンス絵画の質、数はワシントン・ナショナル・ギャラリーと同じくらい充実している。ジョット(1267~1337)はワシントンにはウフィツィ美術館にいるような気分になる名作“聖母子”があるが、ここの自慢は上の“三賢王の礼拝”。これはジョットが画家としての名声を確たるものにしていた53歳のころの作品で、他の三賢王の構成と違い、一番年上の博士は跪いて幼子キリストを手で持ち上げている。

真ん中と下は二重丸をつけていた作品。ともにシエナ派の画家で真ん中がサセッタ
(1392~1450)の“東方三博士の旅”。キリスト降誕のおり、東方から星に導かれてやってきた三博士の旅の情景が描かれている。惹きつけられるのが人や鳥の動感描写と奥行きを感じさせる構図。馬に乗って山道を下る一行の様子がとても印象的で、左の山の頂上付近にいる二羽の鳥や空を飛翔する鳥にも見入ってしまう。

下はジャヴァンニ・ディ・パオロ(1417~1482)が描いた“天地創造と楽園追放”(レーマンギャラリー)。右のほうに描かれている天使がアダムとイヴを楽園から追放する場面はすっと頭の中に入るが、一体何を表現しているのか?となるのが左の横向きで空を飛んでいる神とその下の鮮やかな赤や黄色、青、紫の輪がいくつもある円。こんな構成はこれまで見たことがない。

これは世界の成り立ちを教えるもの。このころはまだ天動説が信じられていて、円は惑星を表しており、赤の円は太陽。小さな絵だが、一生の思い出になりそう。

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