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2008.04.01

その七 ヴァトー  ブーシェ  フラゴナール 

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西洋画を思い浮かべるとき、ルネサンス、バロック、ロマン派、写実派、印象派はすらすらと具体的な絵をイメージできるのに、18世紀のロココ絵画となるととたんに頼りなくなる。すぐ浮かぶのはヴァトーが描いた等身大の“ピエロ”くらいしかない。

ロココ絵画の宝庫であるルーヴルに2回もきたのだからほかの絵も覚えていえもよさそうなのに、体に染み込んでいるのがこの笑っている道化師だけというのは、当時ロココ絵画への関心が低かったため。館内は広く、展示品の数は膨大なので2時間くらいの鑑賞時間では優先順位をつけざるを得ない。

となると、ダヴィンチ、ラファエロ、ボッテイチェリなどのイタリアルネサンス、ドラクロアやルーベンスの大作、ミロのヴィーナス、サモトラケのニケ、古代エジプトの書記坐像などをみるのに時間を多く割くので、ブーシェやフラゴナールの官能的な古典神話や女性画ははたしてみたのか通りすぎたのかわからなくなる。ルーヴルの最初の訪問では同じような経験をされた方は多いのではなかろうか。ここの絵画を見尽くすにはやはり3,4回は足を運ばないと無理である。

で、今回はラ・トゥールをみたあと、急いでロココ絵画のコーナー(シュリー翼)へ向かった。まず目指したのがヴァトー(1684~1721)の“シテール島の巡礼”(上の画像)。淡い色調で島の小高い丘のようなところに8組の恋人たちが描かれている。場面の設定は古代神話にでてくるヴィーナスが波間から生まれたあと上陸したシテール島。この島へ来るとよい伴侶が得られるという話を信じてやってた男女はきらめくような衣装を身にまとい、思い思いに愛を語っている。

恋人たちのしぐさはいたってやわらく優雅で繊細な感じ。また、人物のシルエットの美しさにも惹きつけられる。意気投合し右のヴィーナス像や左の船の上で舞う天使たちに祝福されるカップルもいれば、愛が相手に届かず島を離れることになった二人もいることだろう。念願だったこの軽やかで詩的な世界を感じさせる雅宴画を見れたのは一生の思い出になる。

官能の画家ブーシェ(1703~1770)が描いた真ん中の“水浴のディアナ”はドキドキ気分でみた。たしかにディアナは官能的だが、画面には優美な気品が漂よい健康的な女性の美しさが満ち溢れている。古典神話なのにそれをあまり感じさせず、夢見るようなまなざしをした魅力的な女性が目の前にいるよう。青い敷き布に浮かび上がる輝くばかりの白い肌にもうクラクラ。ほかでは同じくギリシャ神話を題材にした“リナルドとアルミーダ”や“エイロペの略奪”に足がとまった。

そして、奔放な官能性にあふれる裸体画“オダリスク”では脈拍数がちょっと上がった。昔ミュンヘンのアルテ・ピナコテークにある“マドモアゼル・オミュフィ”をみたときと同じ衝撃が体中をはしった。光にゆらめく青い布地にうつぶせになり、愛嬌のある視線をおくる女性はあまりながくみていると変な気分になりそう。

下の絵はフラゴナール(1732~1806)の“かんぬき”。これも是非みたかった絵。みてわかるとおり、これは密会の現場。若い男があらがう女を引き留めようとかんぬきに手をのばしている。人物にあたるスポットライトや大仰な身振りはまるで舞台の一場面みたい。ベッドのわきに“誘惑”と“人類の堕落”を象徴するリンゴが置かれているのも即納得。

フラゴナールはもう一点同じようなメロドラマ風の絵を描いている。それはエルミタージュ美術館でみた“内緒の接吻”。女の体の描き方が“かんぬき”とよく似ている。手元にあるフラゴナールの画集にはロンドンにあるウォレスコレクション蔵の“ぶらんこ”が載っている。いつかこの代表作をみてみたい。

なお、上の3つ画像はクリックするとさらに大きくなるのでこちらでもお楽しみ下さい。

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