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2008.04.13

その四 ラ・トゥール  フェルメール  レンブラント

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この美術館めぐりツアーは今、展覧会が開催されたらいつも大勢の人が押し寄せる超人気の画家、カラヴァッジョ、ラ・トゥール、フェルメールが好きな方にとってはとりわけ魅力的かもしれない。鑑賞できる作品の数が多いのがフェルメール、仮にNYにおける自由行動でフリックコレクションを訪問するとした場合、全部で12点みられる(ワシントンナショナルギャラりー4点、メトロポリタン5点、フリックコレクション3点)。

これは現存する30数点の1/3にあたるから、一気にフェルメールの通になれる。
My“通”の定義は絵画の理屈に精通している人ではなく、本物の絵を沢山鑑賞している人のこと。だから、本物を見さえすれば誰もが“通”。カラヴァッジョについては2点(メトロポリタン)、そしてラ・トゥールは3点(ナショナル・ギャラリー1点、メトロポリタン2点)。この2人の通になるにはまだ先は長いが、両館にあるのは人気の高い作品なので、大きな一歩をふみだすことは間違いない。

ルーヴルでいい気分にさせてくれたラ・トゥール(1593~1652)の作品にここでもすごく魅了された。上の“鏡の前のマグダラのマリア”は1974年、この美術館に入った。ルーヴルの“灯火の前のマグダラのマリア”(拙ブログ3/30)と較べ、画面の闇の部分がさらに多い。

横向きの髑髏のむこうに置かれた蝋燭は“灯火の前の”よりだいぶ明るく、右手で頬づえをつき、うつろなまなざしをしたマグダラのマリアの顔を美しく照らし出している。なんとも神秘的で静謐な世界である。息を呑んでながめていた。“マグダラのマリア”はメトロポリタンにもう1点あるが、ラ・トゥールの作品に用意していた感動のタンクは満杯寸前。もっと大きいのに取り替えないと溢れ出そう。

4点あるフェルメール(1632~1675)の部屋にはひっきりなしに人がやってくる。ロンドンのナショナル・ギャラリーやルーヴル同様、皆絵の前で食い入るようにみている。フェルメール人気は衰えることなく、どんどん上昇していく感じ。“天秤を持つ女”、“手紙を書く女”、“赤い帽子の女”、“フルートを持つ女”(これはフェルメールに属する作品)はいずれも小つぶな絵で、お気に入りの真ん中の“天秤を持つ女”は縦40cm、横36cmしかない。

この絵は8年前大阪であった展覧会にやって来たから、これで3度目の対面。フェルメール作品のなかではこの画面が一番暗い。だから、はっきりとらえられないテーブル上の真珠やウルトラマリンブルーで描かれた青い布よりも、左上の窓からかすかに入ってきた光線が照らす女性の頭にかけているスカーフや衣服の白に視線が吸い寄せられる。

女性がもっている天秤ばかりの皿には何も載ってないのに、一体何を測っているのだろう?後ろの壁に掛けられている絵には最後の審判の場面が描かれている。だとすると、世俗の富の大きさを測っているのではなく、天国行きか地獄行きかを決める人々の行為や魂のあり方をはかりにかけている?うす暗い部屋のなかで、やわらかい光があたってきらめく真珠の質感描写を目に焼き付けて次の部屋に移動した。

下はチェックリストに載せていたレンブラント(1606~1669)の“ルクレチア”。専制的なローマ王の息子に陵辱を受けたルクレチアが自害する直前の瞬間が描かれている。レンブラントに惹かれるのはこういう物語や事件の決定的瞬間を表現するとき、人物の肉体的な苦痛や悲しみや苦悩といった心の内面を顔の表情や身振りで表し、緊張感あふれる画面をつくりだしているところ。収穫の一枚だった。

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