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2008.04.16

その七 ゴッホ  ロートレック  ピカソ

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5点あったゴッホ(1853~1890)の作品のなかで、前回見たときの記憶がよく残っているのが上の“ムスメ”。これはゴッホがアルルにいたとき、“お菊さん”という長崎を舞台にしたピエール・ロティの小説にいたく感銘し、地元の少女を日本人のムスメ風に描いたもの。絵の描かれたいきさつを知ってしまえば、“ああー、そういうとこでムスメになっているのか”と納得するが、ゴッホには悪いがこれを見て日本の田舎の娘をイメージすることはない。

どこからみてもこれはアルルの素朴な少女の肖像画。たぶん大半の日本人は、いや日本を知っている外国人だってそう思うにちがいない。惹きつけられるのがその曲がり具合が体の細さを強調するブラウスの赤と紫のストライプとびっちり描かれたスカートの水玉模様。装飾的で強い色彩表現がおとなしそうだが芯の強そうな少女の個性を見事に引き出している。

日本人に心酔したゴッホは頭を丸め、背景を“ムスメ”と同じうす青緑にして自画像(ボストン・ハーバード大フォッグ美蔵)を描いた。目はうす緑に描かれ、その姿は修行する僧侶というよりは神経がピリピリしている人間のイメージ。背景の色、右斜め前方を向くポーズが“ムスメ”と同じなので、この少女の絵を見るたびにあの異様な雰囲気の漂う自画像が頭をよぎる。

真ん中はロートレック(1864~1901)の“ルーラン・ルージュのカドリール踊り”。ロートレックはスーラ、ドガとともに今回のアメリカ美術館めぐりでの重点鑑賞画家。だから、必見リストには画集からピックアップした傑作がいくつもコピーされている。シカゴでは“ムーラン・ド・ラ・ギャレット”は現れてくれなかったが、念願の“ムーラン・ルージュにて”(4/6)と“フェルナンド・サーカスの曲芸師”がみれたからまずまずの出だし。

ここには真ん中の絵のほかに同じくリストに入れていた人物の輪郭がはっきり描かれた“ムーラン・ド・ラ・ギャレットの一隅”など4点あった。“カドリール踊り”は“ムーラン・ルージュにて”と見たい度が同じくらいの絵。視線が集中するのが足をガット開き、うす緑のドレスをたくりあげているダンサー。この気の強そうなおばさん顔の女には圧倒的な存在感がある。そして、ダンサーと斜めに向かい合う形で二人連れの客を大きく前景に描く構図にうならされる。山高帽を被った男の体半分を画面からはみ出させるところなどは広重の絵そっくり。

ドガも人物の何気ないしぐさや動きを切り取る達人だが、ロートレックは絵の中にもっと多くの人々を登場させ、対角線上に配置したりあるいは平行に並べたりして奥行きをつくったり、またトリミングを多用して画面を大きくみせている。北斎や広重が風景表現に使った極端に拡大された近景と遠景を対比させる方法を自分流にアレンジして、ここで働いている踊り子の気分と客の浮き浮きした様子を一緒に画面のなかに写し取るロートレックの才能にはほとほと感心する。

下は東館の3階に飾ってあるピカソ(1881~1973)が“バラ色の時代”に描いた“サンタンバンクの一家”。縦2.13m、横2.30mの大きな絵だから、とても見ごたえがある。サンタンバンクは道化師役といった意味。左の端で花かごをもつ少女の手をにぎっている若いアルルカンはピカソ24歳の自画像。

青一色からピンクを基調色にしたとはいえ、この絵には隣にある“青の時代”の作品“悲劇”と同じようになにか抑圧された雰囲気が漂っている。ピカソのキュビズム前の作品には深い感動を覚えることが多いが、この絵も心をかきむしる。

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