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2008.02.27

その三 ヤン・ファン・エイク  ボス  デューラー

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ヤン・ファン・エイク(1390~1441)やファン・デル・ウェイデンの絵を仔細にみればみるほど、その細密描写に強い衝撃を受ける。上のファン・エイク作“宰相ロランの聖母”は前回の鑑賞とは比べものにならないくらい、じっくり見た。

聖母のひざに座り寄進者ロランに祝福を与えている幼児キリストはダ・ヴィンチやラファエロが描く赤ちゃんタイプのキリストとは違い、どういうわけか大人のような顔つきをしている。見入ってしまうのがキリストが右手に持っているガラスの球体と天使が捧げもっている聖母の冠。透明なガラスを通る光の感じと装飾飾りを一杯つけた冠の質感描写に驚かされる。ちょっと気になるのが天使の体。小さすぎるのである。この大きさだと聖母からは相当離れてないといけない感じ。あまりに小さいので、大きな冠が持てるのだろうかと余計なことを心配する。

3つのアーチの向こうに描かれている風景がこれまたすごい。真ん中に赤い帽子を被り杖を持っている男と胸壁から向こうを眺めている男がみえる。なんだか漫画にでてくる人物のよう。また、面白いことに左の方に孔雀が2羽いる。どうして、ここに孔雀なの?川に架かる石橋に目をやると、橋を渡る人々が赤や白の小さな点々で描かれている。なんとも細かな描写!水面が白く光る川にはゴンドラ風の舟が数隻、人を乗せて航行し、蛇行する川の先には霞がかったうす青の山々が広がっている。

ファン・エイクの絵は中景や遠景の細密描写をじっくり鑑賞するのが楽しみの一つだが、今回はひとつの作品にあまり時間をかけられないので、仔細に見たのは日が当たる川と遠景の山まで。右の聖堂や左の緑に囲まれた町の様子まで見やる余裕がない。リストの中にメモしていたポイントはしっかり目に焼きつけたので絵の前から離れた。

下は対面を楽しみにしていたボス(1450~1516)の“愚者の船”。今回ボスの絵はナショナル・ギャラリーにあった“茨冠を戴くキリスト”とこの絵の2点を見ることができた。昨年プラドで見た“快楽の園”や“阿呆の治療”(拙ブログ07/3/21)がまだ鮮明に体の中に染み込んでいるから、“愚者の船”を見るとあのボスワールドの扉がすぐ開く。

変な構造をした船のなかでは修道士と修道女、農民たちが飲めや歌えの乱痴気騒ぎの真っ最中。リュートで伴奏をつける修道女と同じように大きく口をあけて思いっきり歌っている修道士は愛の園における男女のカップルを象徴している。板の台においてあるサクランボを載せた皿と船べりから垂れた金属性のぶどう酒の瓶は淫欲の罪を示す。

この絵で表現しているもう一つの罪は大食。淫欲と大食は修道院における悪徳の代表とされていたから、ボスはこの絵で不道徳な修道士や修道女を糾弾しているのである。葉をつけた木のマストの縛り付けられたガチョウの肉を切る農民や右の方で吐いている男、そして大きなスープ用のさじを持った男も大食の罪を犯している。前はこんなワクワクドキドキする絵がここにあることすら知らなかった。絵画とは長く付き合っていくものである。

ドイツの画家の絵で印象深いのが下のデューラー(1471~1528)の“エリンギウムをもつ自画像”とクラナッハの“風景の中のヴィーナス”、ホルバインの“エラスムス”。デューラーの自画像は3点あるが、この花をもっているのは一番最初の作品で、2作目がプラドにある絵(07/3/24)。女性のような美しさをもった若者である。毎度この絵の前では立ち尽くしてしまう。

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