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2008.02.23

グランパレのクールベ展

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オルセーを出たあと次に目指したのはここから歩いて20分くらいのところにあるグランパレ。30年ぶりに開催されているクールベの回顧展をみるためである。会期は残り3日しかなく土曜日だったから、相当混んでいることを予想していたが、案の定、入館するのに1時間かかった。で、予定していたオランジュリー美術館にあるモネの睡蓮との再会は諦めざるを得なくなった。

クールベ(1819~1877)は好きな画家のひとり。日本の美術館にも“波”(拙ブログ07/5/24)や“鹿”を描いたいい絵が何点かあるから、クールベのリアリスム絵画を楽しむ機会は時々ある。しかし、オルセーにある記念碑的な大作“オルナンの埋葬”や上の“画家のアトリエ”などは鑑賞済みとはいえ、手元の画集をみると目の中にいれたい名画はまだいくつも残っている。だから、タイミングよく巡ってきた回顧展への期待値はかなり高い。

これはグランパレ(07/10/13~08/1/28)のあと、NYのメトロポリタン美術館
(2/27~5/18)、フランス・モンペリエのファーブル美術館(6/14~9/28)を巡回することになっている。

グランパレの展示室にははじめて入るので、最初は作品を熱いまなざしで見つめる大勢の人に圧倒されて鑑賞のペースがつかめなかったが、徐々に展示の構成がつかめ目がすわってきた。作品は全部で160点あまり。世界中から名作を集めてきたという感じで、クールベの画業の全貌がこれでだいたいつかめた。

自画像、肖像画、裸婦像、静物画、動物画、風景画、いずれも絵に力があり、強く印象に残る。これだけ質の高い作品を並べた大回顧展が開催されること自体、クールベが欧米で高く評価されていることの証。あらためてクールベの並外れた才能に感服させられた。自画像では“絶望した男”(個人蔵)、“パイプの男”(ファーブル美)、“負傷者”(オルセー)に惹きつけられる。

前回オルセーでじっくり見た大作2点のうち“画家のアトリエ”(上の画像)は謎めいた絵。当時は画家とモデルの裸婦の左右にどうして沢山の人が描きこまれているのかわからなかった。画家は制作の現場を公開しているのかな?でも左にいる人たちは全然画家のほうをみてないし?キャンバスの前で熱心に画家の筆先を眺めている小さな男の子と横でねっころがっている猫、そして裸婦の3人だけは目に焼きついている。

今でもこの絵をみると構図は異なるがベラスケスの“ラス・メニーナス”を連想する。子供に対する王女マルガリータ、猫と大きな犬。で、クールベはこの絵で表現したかったことは?それは社会における芸術の役割。裸婦像を使いそれをユートピア的に表現している。会場の真ん中あたりに一際明るい絵“今日は、クールベさん”(05/7/13)があった。多くの人が目を輝かせてみている。あらためてこんないい絵をよく日本にもってきてくれたなと感心する。

2階にあった裸婦像のコーナーは人気が高く、なかなか絵の前にいけない。真ん中の“女とオーム”、“波と女”(ともにメトロポリタン)、“犬といる裸婦”(オルセー)、“セーヌ河畔の娘たち”、“眠る女たち”(ともにプティ・パレ美)などみたかった絵が目白押し。裸婦図でこれほど心臓がバクバクしたのははじめて。

“女とオーム”は一度メトロポリタンでその妖艶な肢体に200%KOされた。その絵と対面するとは思ってもみなかったから、夢中になってみた。生々しい肉体を描かせたらクールベとクリムトが双璧かもしれない。この絵が目の前に現れると、クリムトの“金魚”をなんとしても見たくなる。

風景画で一番のお気に入りが下の“雷雨のあとのエトルタの断崖”。モネが同じ角度から描いた作品では断崖と海の占める割合が大きく、荒々しい印象を受けるのに対し、クールベの絵は青い空の面積を多くとり、先端が空洞になっている断崖が見る者にくっきり焼きつくようにバランスよく雄大に描いている。

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