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2008.02.26

その二 マンテーニャ  ティツィアーノ  ヴェロネーゼ

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ルーヴル美術館でも事前に重点鑑賞画家を決め、その作品をリストに多くのせていたから、そのひとりマンテーニャ(1431~1506)の絵の前では目に力が入る。お目当ての5点は全部あった。上の“キリストの磔刑”、“勝利の聖母”、“聖セバスティアヌス”、“パルナッソス”、“美徳の勝利”。

前回もこれらの絵の前を通ったはずだが、悲しいかなこの頃はまだマンテーニャに目覚めてなかった。どれも画集に載っている有名な絵。で、一気にリカバリーしようと目を皿のようにしてみた。キリストの磔刑を描いた絵は沢山あるが、このようにイエスと一緒に処刑された盗人が同じような強さで目の中に入ってくる絵はあまりみない。磔にされたイエスの姿より、背景の広大な空間描写と空の白い雲をみている時間の方が長い。遠景の宮殿や家々はびっくりするほど細かいところまで緻密に描かれている。

近景でおもしろいのは手前にいる男が上半身だけをみせているところ。これによりこちら側はイエスがいるところより低くなっていることがわかる。さらに、目をイエスの後ろにやると、兵士たちは坂を登ってきているように描かれている。この描き方はどこかでみたことがある!そう、歌川広重の“江戸名所百景”にも階段を上がってくる場面がいくつもある。マンテーニャのこの空間的な想像力はすごい。

もうひとつ、あっけにとられて見たのが“美徳の勝利”。これは知恵の女神ミネルヴァがヴィーナスと悪徳を美徳の園から追放する場面が描かれている。動感のある人物表現が上手いなと感心しながら画面全体を見渡していたら、左端の地面からすーっとのびた木と枝が途中から女性の胴体、腕に変わっているのに気がついた。なんとシュルレリストお得意のダブルイメージがここに使われているのである。これには仰天した。ルネサンス絵画を数多くみてきたが、こんな絵があったとは。マンテーニャ恐るべし!

ナショナル・ギャラリーではティツィアーノ(1485~1576)を夢中になってみたが、ここにも傑作がいくつもあるので気が抜けない。一番のお目当てが真ん中の“田園の合奏”(部分)。二人の裸体の女の間にリュートを手にした貴族と粗末な服の牧童がいる。座っている後ろ向きの女は笛を吹くのをやめ、左の立っている女は井戸から水を汲んでいるところ。

楽器は愛の象徴。とくに優雅な膨らみをもつリュートはルネサンス絵画では恋する者の楽器としてよく描かれた。この頃、ヴェネツィアの貴族の間では現実逃避的な田園生活と理想郷(アルカディア)への憧れがあり、ティツィアーノはこの時代精神をとりいれ、音楽と愛をモティーフにした絵を描いた。そして、これは18世紀の“田園の宴”へと受け継がれていく。この絵のほかにも“茨の冠”、“キリストの埋葬”、肖像画の傑作“手袋をした男”に釘付けになった。

下はヴェロネーゼ(1528~1588)の超大作、“カナの婚礼”。これはルーヴルにある絵のなかでは最も大きい絵。幅9.9m、高さ6.66m。この絵はルーヴルの大スター“モナ・リザ”と同じ部屋に飾ってある。しかも“モナ・リザ”と対面する形で。だから、かわいそうに“カナ”をじっくり眺めている人は“モナ・リザ”の前にいる人と較べたら極めて少ない。これだけ大きいと隅から隅まで見ようという気がおこらないのが率直なところ。せいぜい楽器を弾いてる楽士と聖母と並んで中央にいるキリストをみるくらい。

だから、これは二つのびっくりを体験する絵だといつも言い聞かせている。一つは西洋画にはこんな巨大な絵があるんだ!ということ。もう一つはキリストが行う奇跡、すなわち、キリストがカナという町で結婚式に招かれ、ただの水をぶどう酒に変えてみせること。次回この絵の前に立つようなことがあっても、あまり時間はかけないような気がする。でも、これは一生忘れることのない絵。

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