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2008.02.27

その三 ヤン・ファン・エイク  ボス  デューラー

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ヤン・ファン・エイク(1390~1441)やファン・デル・ウェイデンの絵を仔細にみればみるほど、その細密描写に強い衝撃を受ける。上のファン・エイク作“宰相ロランの聖母”は前回の鑑賞とは比べものにならないくらい、じっくり見た。

聖母のひざに座り寄進者ロランに祝福を与えている幼児キリストはダ・ヴィンチやラファエロが描く赤ちゃんタイプのキリストとは違い、どういうわけか大人のような顔つきをしている。見入ってしまうのがキリストが右手に持っているガラスの球体と天使が捧げもっている聖母の冠。透明なガラスを通る光の感じと装飾飾りを一杯つけた冠の質感描写に驚かされる。ちょっと気になるのが天使の体。小さすぎるのである。この大きさだと聖母からは相当離れてないといけない感じ。あまりに小さいので、大きな冠が持てるのだろうかと余計なことを心配する。

3つのアーチの向こうに描かれている風景がこれまたすごい。真ん中に赤い帽子を被り杖を持っている男と胸壁から向こうを眺めている男がみえる。なんだか漫画にでてくる人物のよう。また、面白いことに左の方に孔雀が2羽いる。どうして、ここに孔雀なの?川に架かる石橋に目をやると、橋を渡る人々が赤や白の小さな点々で描かれている。なんとも細かな描写!水面が白く光る川にはゴンドラ風の舟が数隻、人を乗せて航行し、蛇行する川の先には霞がかったうす青の山々が広がっている。

ファン・エイクの絵は中景や遠景の細密描写をじっくり鑑賞するのが楽しみの一つだが、今回はひとつの作品にあまり時間をかけられないので、仔細に見たのは日が当たる川と遠景の山まで。右の聖堂や左の緑に囲まれた町の様子まで見やる余裕がない。リストの中にメモしていたポイントはしっかり目に焼きつけたので絵の前から離れた。

下は対面を楽しみにしていたボス(1450~1516)の“愚者の船”。今回ボスの絵はナショナル・ギャラリーにあった“茨冠を戴くキリスト”とこの絵の2点を見ることができた。昨年プラドで見た“快楽の園”や“阿呆の治療”(拙ブログ07/3/21)がまだ鮮明に体の中に染み込んでいるから、“愚者の船”を見るとあのボスワールドの扉がすぐ開く。

変な構造をした船のなかでは修道士と修道女、農民たちが飲めや歌えの乱痴気騒ぎの真っ最中。リュートで伴奏をつける修道女と同じように大きく口をあけて思いっきり歌っている修道士は愛の園における男女のカップルを象徴している。板の台においてあるサクランボを載せた皿と船べりから垂れた金属性のぶどう酒の瓶は淫欲の罪を示す。

この絵で表現しているもう一つの罪は大食。淫欲と大食は修道院における悪徳の代表とされていたから、ボスはこの絵で不道徳な修道士や修道女を糾弾しているのである。葉をつけた木のマストの縛り付けられたガチョウの肉を切る農民や右の方で吐いている男、そして大きなスープ用のさじを持った男も大食の罪を犯している。前はこんなワクワクドキドキする絵がここにあることすら知らなかった。絵画とは長く付き合っていくものである。

ドイツの画家の絵で印象深いのが下のデューラー(1471~1528)の“エリンギウムをもつ自画像”とクラナッハの“風景の中のヴィーナス”、ホルバインの“エラスムス”。デューラーの自画像は3点あるが、この花をもっているのは一番最初の作品で、2作目がプラドにある絵(07/3/24)。女性のような美しさをもった若者である。毎度この絵の前では立ち尽くしてしまう。

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2008.02.26

その二 マンテーニャ  ティツィアーノ  ヴェロネーゼ

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ルーヴル美術館でも事前に重点鑑賞画家を決め、その作品をリストに多くのせていたから、そのひとりマンテーニャ(1431~1506)の絵の前では目に力が入る。お目当ての5点は全部あった。上の“キリストの磔刑”、“勝利の聖母”、“聖セバスティアヌス”、“パルナッソス”、“美徳の勝利”。

前回もこれらの絵の前を通ったはずだが、悲しいかなこの頃はまだマンテーニャに目覚めてなかった。どれも画集に載っている有名な絵。で、一気にリカバリーしようと目を皿のようにしてみた。キリストの磔刑を描いた絵は沢山あるが、このようにイエスと一緒に処刑された盗人が同じような強さで目の中に入ってくる絵はあまりみない。磔にされたイエスの姿より、背景の広大な空間描写と空の白い雲をみている時間の方が長い。遠景の宮殿や家々はびっくりするほど細かいところまで緻密に描かれている。

近景でおもしろいのは手前にいる男が上半身だけをみせているところ。これによりこちら側はイエスがいるところより低くなっていることがわかる。さらに、目をイエスの後ろにやると、兵士たちは坂を登ってきているように描かれている。この描き方はどこかでみたことがある!そう、歌川広重の“江戸名所百景”にも階段を上がってくる場面がいくつもある。マンテーニャのこの空間的な想像力はすごい。

もうひとつ、あっけにとられて見たのが“美徳の勝利”。これは知恵の女神ミネルヴァがヴィーナスと悪徳を美徳の園から追放する場面が描かれている。動感のある人物表現が上手いなと感心しながら画面全体を見渡していたら、左端の地面からすーっとのびた木と枝が途中から女性の胴体、腕に変わっているのに気がついた。なんとシュルレリストお得意のダブルイメージがここに使われているのである。これには仰天した。ルネサンス絵画を数多くみてきたが、こんな絵があったとは。マンテーニャ恐るべし!

ナショナル・ギャラリーではティツィアーノ(1485~1576)を夢中になってみたが、ここにも傑作がいくつもあるので気が抜けない。一番のお目当てが真ん中の“田園の合奏”(部分)。二人の裸体の女の間にリュートを手にした貴族と粗末な服の牧童がいる。座っている後ろ向きの女は笛を吹くのをやめ、左の立っている女は井戸から水を汲んでいるところ。

楽器は愛の象徴。とくに優雅な膨らみをもつリュートはルネサンス絵画では恋する者の楽器としてよく描かれた。この頃、ヴェネツィアの貴族の間では現実逃避的な田園生活と理想郷(アルカディア)への憧れがあり、ティツィアーノはこの時代精神をとりいれ、音楽と愛をモティーフにした絵を描いた。そして、これは18世紀の“田園の宴”へと受け継がれていく。この絵のほかにも“茨の冠”、“キリストの埋葬”、肖像画の傑作“手袋をした男”に釘付けになった。

下はヴェロネーゼ(1528~1588)の超大作、“カナの婚礼”。これはルーヴルにある絵のなかでは最も大きい絵。幅9.9m、高さ6.66m。この絵はルーヴルの大スター“モナ・リザ”と同じ部屋に飾ってある。しかも“モナ・リザ”と対面する形で。だから、かわいそうに“カナ”をじっくり眺めている人は“モナ・リザ”の前にいる人と較べたら極めて少ない。これだけ大きいと隅から隅まで見ようという気がおこらないのが率直なところ。せいぜい楽器を弾いてる楽士と聖母と並んで中央にいるキリストをみるくらい。

だから、これは二つのびっくりを体験する絵だといつも言い聞かせている。一つは西洋画にはこんな巨大な絵があるんだ!ということ。もう一つはキリストが行う奇跡、すなわち、キリストがカナという町で結婚式に招かれ、ただの水をぶどう酒に変えてみせること。次回この絵の前に立つようなことがあっても、あまり時間はかけないような気がする。でも、これは一生忘れることのない絵。

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2008.02.25

ルーヴル美術館 その一 ダ・ヴィンチ  ラファエロ

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最後のルーヴル美術館です。もうすこしお付き合いください。17年前、ルーヴルへ来たときは超近代的なガラスのピラミッドから入場したが、コの字型の建物の左手、リシュリュー翼は改築中だった。朝9時の開館時間にあわせ列に並び、荷物チェックを受けてエレベーターで下に降りていった。

今は冬なので、土曜日といっても開館を待っている観光客はそれほど多くなくスムーズに入れたが、春や夏、秋だと入館者も多く、あの荷物チェックがあるから入り口は相当混雑することは容易に想像できる。だから、美術鑑賞だけが目的ならパリは冬場に訪れるのが一番いいかもしれない。夏だと8時くらいに並んでないとしっかり見れないような気がする。

ここには3時間いる予定だったが、見終わったのは午後の1時。4時間館内を歩き回った。回る順序は前回目に気合がはいってなかったラ・トゥール、ヴァトー、プッサン、コローなどのフランス絵画をまずみて、最後にルネサンス絵画やドラクロア、ダビッドらの大作が飾ってあるドノン翼ヘ行った。今回は絵画だけに絞ったので、古代エジプト、ギリシャ・ローマ、彫刻部門などはすべてパス。これから取り上げる感動の名画は見た順番ではなく時代順。まず、ルネサンスから。

手に握りしめている必見リストには見逃したルネサンスの巨匠たちの作品が沢山載っている。が、ダ・ヴィンチ(1452~1519)とラファエロ(1483~1520)の作品はほんの少し。有名な絵は過去2回の鑑賞で目に焼きついているから、あまり時間をかけず肩の力を抜いてみようという作戦。

上の“モナ・リザ”は今はガラスの中に入っており、再接近して見ることができない。しかも大勢の人がいるから、一番前に行くこともままならない。で、かなり離れて見るはめになった。空気遠近法で描かれた神秘的な背景をじっくりみる予定だったのに、この位置からでは単眼鏡を使わないと細部がみえない。ここで実際単眼鏡を使うことになるとは思ってもいなかった。

今年の1月16日の新聞に、この絵のモデルがこれまでの有力な説通り、フィレンツェの商人の妻、リザ・デル・ジョコンドだったことを裏付ける証拠が見つかったと大きく報じられた。これを記述した書物がドイツのハイデルベルク大学図書館にあるという。この肖像画のモデルがジョコンド夫人であることはこれで決着がついたが、なぜ、ダ・ヴィンチはこれを死ぬまで持ち続けていたのだろうか?

これは注文されて描いた絵ではなく、自分の理想とする女性像を描くため、リザにモデルになってもらっただけなのかもしれない。ダ・ヴィンチは完璧主義者だから、何度も々絵の具を塗り重ねて微妙な色や明暗を追求したが、これでOKというレベルに至らず、ずっと持っていたのだろう。

“岩窟の聖母”(真ん中の右)と“聖アンナと聖母子”(左)はグランドギャラリーの一角にある。こんな傑作が特別扱いされることなく展示してあるところがすごい。ダ・ヴィンチの作品の中で最も惹かれているのが“岩窟の聖母”に描かれた大天使ウリエル。精緻に描かれた金髪のカール毛一本々とこちらを見つめる視線が胸をツンと突く。

そして、背景の先が丸くとんがった奇岩のむこうから差し込む光がとても印象的。ロンドンのナショナル・ギャラリーで同じ題名の絵をみたが、ここでは大天使ウリエルは洗礼者ヨハネのほうを指差してなく、聖母マリア、イエス、ヨハネの頭上には光輪が描かれ、ヨハネは十字杖を持っている。

“聖アンナと聖母子”で釘付けになるのが背景のうす青で描かれた幾重にも連なる山々。空気遠近法の特徴が一番でているのがこの絵の背景。この青にひきずられて視線は優しく微笑む聖アンナに集中する。聖アンナの絵は沢山あるが、これほど慈愛にあふれる表情を見せる聖アンナはほかにない。

下は大好きなラファエロの“美しき庭師”。もうメロメロ!イエスの手をささえる聖母マリアの安らかな顔をうっとりしてみていた。ナショナル・ギャラリーには“騎士の夢”がなかったが、ここではリストに載せていた“聖ミカエルと竜”や“竜と戦う聖ゲオルギウス”などを大体みることができた。ラファエロ作品の追っかけも終わりに近づいている。

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2008.02.24

上野の森美術館の王子江展

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開幕を心待ちにしていた王子江(おうすこう)さんの回顧展(2/23~3/6)が昨日から上野の森美術館ではじまった。会期が2週間ちょっとと短いので、もし興味のある方はお見逃しなく。中国人画家、王子江さんのことはこれまで5回書いた(拙ブログ05/1/1005/11/2705/12/706/10/1407/10/12)ので、詳しい経歴などを知りたい方はこちらをお読みになっていただきたい。

今年は王さんが日本にやってきて20年の節目の年。で、はじめての回顧展が企画された。作品は全部で28点。会場1階に水墨画の大作9点、2階に墨彩画19点が展示してある。その大半は昨年制作された。

王さんが得意とするのは水墨画の大作。これまで茂原市美術館にある“雄原大地”のほか、国内では奈良の薬師寺にある“聖煌”(2×100m)などを描いている。これらは会場に飾ることが出来ないので、今後制作する大作についてはこれを常設する美術館の建設を今いろいろ検討されているようだ。今回の作品のなかで、茂原でみた“雄原大地”と同じように立ち尽くしてみたのが上の“黄山雄姿図”(2×20mの右半分)。

先の尖った奇岩群のなかを白い雲が天空を疾走する龍のように流れていき、山上は雲海の大パノラマ。岩からでる松の葉をみると、しっかりした筆使いで細かいところまで整然と描かれており、松の力強い生命力が伝わってくるようだ。毎年秋に行われる個展では江南の風景を描いた作品にいつも足がとまるが、目の前にある大作“江南清風図”をいい気持ちで眺めていた。

水面に帆舟の影が映る様子がえもいわれず美しく、静謐で詩情あふれる江南の水郷風景に酔いしれた。隣にある“南国清韻図”もいますぐにでもここへ飛んでいくたくなるような絵。ぐっとくるのは中国の風景だけではない。2階にある“初雪の木曾福島”がすばらしい。冬の景色を描いた風景画でこんなに感動したのは東山魁夷の“年暮る”以来。これは見てのお楽しみ!

王さんは学生の頃、市井の人たちをものすごく沢山描いたという。だから、人物画がもう上手すぎるくらい上手い。笑ったときの豊かな顔の表情、苦悩しもがく男の顔、長い人生を生きてきた老人の顔のしわや皮膚のたるみ、いずれも王さんが描く人物像は生き生きとし、心の動きや精神性が表情によく現れている。なかでも印象深いのが赤の地に上半身の老人を描いた“イスタンブールの肖像”と下の“天地萬物逆旅、光陰百代過客”。

“光陰百代過客”は縦2.4m、横20mの横長の大きな作品で、下は真ん中の部分。左半分にいる人たちは右のほうへ進み、右の人は左へ歩いている。中央部分は二人の男女はうしろ向きになり、ほかはファッションショーのモデルのような歩き方でこちらにやってくる。何人いるの数えていないが、日本人、東洋人、西洋人など色々な人種が入り混じり、若者、老人、おっさん風の人、着物の姿の女性、子供らが自分のペースで歩く様子が隙間なくびっちり描き込まれている。

人々が歩いている地面に目をやると、黒地に白で日の丸や渦巻き模様などが描かれた幅広の帯のようなものが尾形光琳の“紅白梅図”の真ん中にある水流みたいに横に流れている。これは“今”を生きる人々を生の感覚でとらえた現代アート的な香りのする作品。王さんはクリムトのような絵も描いたりするから、そのセンスがこの作品に表れているのかもしれない。満足度200%の展覧会だった。王さんの絵をこれからも追っかけていきたい。

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国立新美術館の横山大観展

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現在、国立新美術館で開催中の“横山大観展”(1/23~3/3)は前期、後期2回でかけた。日本画家でその作品の鑑賞をライフワークにしているのは横山大観、菱田春草、速水御舟、東山魁夷、加山又造。5人のうち横山大観は回顧展が開かれる回数がとびぬけて多いから、有名な作品でまだみていないのはわずか数点になった。

この展覧会の情報を得たときは04年に大規模な回顧展(京近美、水野美術館)をやったのにまた、開催するの!という感じがした。でも、04年のときは京都と長野での開催だったから、東京で大きな回顧展となると久しぶりかもしれない。今回の出品作を前回と較べてみると、当然ながら同じものが多い。企画者は“これぞ大観の名作を展示するぞ!”と張り切れば張り切るほど集めて来る作品は同じになる。質を上げようと思えばどうしてもこういう風になる。大観好きにとってはこれは大歓迎。名品と再会でき、前回京近美に展示されなかった作品のリカバリーがいくつも実現したから、もう言うこと無し。

作品数75点は04年の117点に較べると少ないが、主要作品はずらっと揃っているから、これは気にならない。この回顧展に二重丸をつけたい一番の理由は会場を国立新美にしたこと。広いスペースのおかげでこれまでなかった展示の仕方がうまれた。前期のみだったが、“夜桜”(大倉集古館)と“紅葉”(足立美)が隣合わせで展示された。これは圧巻!咲き誇る桜と紅葉を鮮やかな色彩で装飾性豊かに表現した傑作を二つ同時に鑑賞できるのだから、これ以上の贅沢はない。

屏風の華麗な響き合いのほかにもうひとつ、広い会場だからこそ実現したのが絵巻の全公開。墨一色の“生々流転”(拙ブログ05/11/26)と彩色絵巻“四時山水”(横山大観記念館)。大好きな“四時山水”をみるため横山記念館に度々出かけるのだが、部屋が狭いのでいつも一部だけしか鑑賞できない。はじめて全部みることができた。これが一番の収穫。大観の作品でいつも魅せられるのが海や川における水の流れや波立ちの描写。“四時山水”では青緑の水が険しい断崖のなかを下っている場面と最後のほうに描かれた砂浜に打ちよせるさざなみが心を揺すぶる。

大観の作域は歴史や古典に登場する人物を描いたもの、水墨風景画、富士山の絵、琳派風の作品、花鳥画と広い。“そのなかでどれが好みなのか?”と問われると、まずあげるのが天性の色彩感覚がいかんなく発揮された上述の屏風2点、絵巻2点と水墨画の“瀟湘八景”(大倉集古館)、上の“澗声”、そして下の“海に因む十題 波騒ぐ”。“澗声”とよく似た絵“水温む”(五島美)を何年も追っかけているのだが、なかなか縁がない。今回もダメだった。で、濃い墨の輝きと墨のグラデーションで描かれた霞のたなびく様子に魅了される“澗声”を釘付けになってみた。

“波騒ぐ”に4年前、会ったときは言葉を失った。そして、東山魁夷の描く海の波しぶきと色合いがよく似ていることに気づいた。上から斜め左に伸びる3本の松の枝の下では、松に呼応するかのように生き物みたいな波頭が岩にぶちあたり、たけり狂っているよう。この絵と再会できたのは無上の喜び。満ち足りた気分で館を後にした。

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2008.02.23

グランパレのクールベ展

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オルセーを出たあと次に目指したのはここから歩いて20分くらいのところにあるグランパレ。30年ぶりに開催されているクールベの回顧展をみるためである。会期は残り3日しかなく土曜日だったから、相当混んでいることを予想していたが、案の定、入館するのに1時間かかった。で、予定していたオランジュリー美術館にあるモネの睡蓮との再会は諦めざるを得なくなった。

クールベ(1819~1877)は好きな画家のひとり。日本の美術館にも“波”(拙ブログ07/5/24)や“鹿”を描いたいい絵が何点かあるから、クールベのリアリスム絵画を楽しむ機会は時々ある。しかし、オルセーにある記念碑的な大作“オルナンの埋葬”や上の“画家のアトリエ”などは鑑賞済みとはいえ、手元の画集をみると目の中にいれたい名画はまだいくつも残っている。だから、タイミングよく巡ってきた回顧展への期待値はかなり高い。

これはグランパレ(07/10/13~08/1/28)のあと、NYのメトロポリタン美術館
(2/27~5/18)、フランス・モンペリエのファーブル美術館(6/14~9/28)を巡回することになっている。

グランパレの展示室にははじめて入るので、最初は作品を熱いまなざしで見つめる大勢の人に圧倒されて鑑賞のペースがつかめなかったが、徐々に展示の構成がつかめ目がすわってきた。作品は全部で160点あまり。世界中から名作を集めてきたという感じで、クールベの画業の全貌がこれでだいたいつかめた。

自画像、肖像画、裸婦像、静物画、動物画、風景画、いずれも絵に力があり、強く印象に残る。これだけ質の高い作品を並べた大回顧展が開催されること自体、クールベが欧米で高く評価されていることの証。あらためてクールベの並外れた才能に感服させられた。自画像では“絶望した男”(個人蔵)、“パイプの男”(ファーブル美)、“負傷者”(オルセー)に惹きつけられる。

前回オルセーでじっくり見た大作2点のうち“画家のアトリエ”(上の画像)は謎めいた絵。当時は画家とモデルの裸婦の左右にどうして沢山の人が描きこまれているのかわからなかった。画家は制作の現場を公開しているのかな?でも左にいる人たちは全然画家のほうをみてないし?キャンバスの前で熱心に画家の筆先を眺めている小さな男の子と横でねっころがっている猫、そして裸婦の3人だけは目に焼きついている。

今でもこの絵をみると構図は異なるがベラスケスの“ラス・メニーナス”を連想する。子供に対する王女マルガリータ、猫と大きな犬。で、クールベはこの絵で表現したかったことは?それは社会における芸術の役割。裸婦像を使いそれをユートピア的に表現している。会場の真ん中あたりに一際明るい絵“今日は、クールベさん”(05/7/13)があった。多くの人が目を輝かせてみている。あらためてこんないい絵をよく日本にもってきてくれたなと感心する。

2階にあった裸婦像のコーナーは人気が高く、なかなか絵の前にいけない。真ん中の“女とオーム”、“波と女”(ともにメトロポリタン)、“犬といる裸婦”(オルセー)、“セーヌ河畔の娘たち”、“眠る女たち”(ともにプティ・パレ美)などみたかった絵が目白押し。裸婦図でこれほど心臓がバクバクしたのははじめて。

“女とオーム”は一度メトロポリタンでその妖艶な肢体に200%KOされた。その絵と対面するとは思ってもみなかったから、夢中になってみた。生々しい肉体を描かせたらクールベとクリムトが双璧かもしれない。この絵が目の前に現れると、クリムトの“金魚”をなんとしても見たくなる。

風景画で一番のお気に入りが下の“雷雨のあとのエトルタの断崖”。モネが同じ角度から描いた作品では断崖と海の占める割合が大きく、荒々しい印象を受けるのに対し、クールベの絵は青い空の面積を多くとり、先端が空洞になっている断崖が見る者にくっきり焼きつくようにバランスよく雄大に描いている。

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2008.02.22

その六 ホドラー展

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オルセーで行われていた“ホドラー展”(07/11/13~08/2/3)を知ったのはパリに入ってから。グランパレの“クールベ展”のことは日本を発つ前に情報を入手し、めぐり合わせの良さに喜んでいたが、嬉しいことにミューズは関心の高いホドラーの絵まで用意してくれていた。感謝々である!この回顧展に追加料金は要らないし、ホドラー
(1853~1918)の山の絵とモネら印象派の風景画は親和性が高いので、大きなオマケをいただいた感じ。

グランパレのクールベ展に大作“オルナンの埋葬”や“画家のアトリエ”などがごっそり出張しているので、その部屋がホドラー作品の展示に使われていた。で、導線に沿って初期から晩年までの油彩81点、素描26点の100点あまりを楽しんだ。入ってまだ作品に目が慣れないのに、いきなり以前からみたかった上の“夜”(ベルン美術館蔵)が現れた。この代表作があるのなら、これはのっぴきならない大回顧展に間違いない。目に気合を入れ直して、この絵と向き合った。

釘付けになるのが画面の中央、何かに怯えるように顔をひきつらせている男。男が怯えるのは無理もない。黒の衣をかぶって男に迫っているのは“死”の亡霊なのである。そして、まわりで眠っている男女にみられる黒の衣も死を暗示している。若い頃から“死”の観念に取りつかれていたホドラーが死のイメージを象徴的に描いたこの絵はパリで高く評価された。

さらに国際的な評価を得ることになった作品がこれの3年後に描かれた“選ばれし者”(拙ブログ05/1/28、ベルン美)。ベルン美にある代表作二つが出払うわけにはいかないだろうから、“選ばれし者”はさすがにでてなかった。残念!でも、ホドラーが“パラレリスム”と名付けた画法で僧衣を着た五人の男を描いた“夢から覚めて”があった。これは一度96年にあった“象徴派展”(Bunkamura)でみたことがある。

真ん中の“春”もこのとき会ったものと思ったが、ホドラーは春をテーマに3点制作しており、Bunkamuraに出品されたのは第2作で、目の前にあるのは最後に描かれたものだった。これは一度みたら忘れられない絵。その明快なフォルムと装飾性に満ちた明るい画面に200%感動した。時間があればいつまでも見ていたい気分だ。

Myカラーが緑&黄色だから、こういう絵をみるとご機嫌になる。正面を向きロダンの“考える人”を彷彿とさせるポーズをとっている男(モデルはホドラーの息子)と白い薄衣を着て横を向いている目を閉じた少女のまわりには、図案化された黄色の草花が野原に咲き乱れるように沢山描かれている。日本に帰って一作目(これも日本にやって来た)、二作目と較べてみたら、草木の描写が一段と細かくなり、数も倍ちかくあった。

自然の野原を背景に女性を描いたものや力強い精神性が表現された自画像とともに魅せられのがアルプスの山を描いた風景画。下はお気に入りの一枚“トゥーン湖”。日本画家の山口蓬春が代表作“山湖”(05/1/26)を制作するときホドラーの絵を参考にしたという話しを知っているから、17点ある湖と山を描いた絵の前では感慨深かった。

この絵のように青緑の湖面に山の鋭い稜線がシンメトリーに反射して写るものとか、青い空に描かれたむくむくとした雲や湖面に広がる斑模様が実に美しい作品などを夢中になってみた。ホドラーの絵の魅力をあますことなく伝えるこの大回顧展に遭遇できたことを心から喜んでいる。

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2008.02.21

その五 ルソー  ルドン  ホーマー

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ダリ、ミロ、マグリットらシュルレアリストの作品は不条理で不思議な世界を描いているのに、見てて不安な気持ちになるとか嫌悪感を抱くということはない。逆にこのシュールさに積極的にライドして楽しもうという気持ちで作品に向かい合うことが多い。

一方、同じように現実の情景ではなく、幻想的な世界や文学や神話の物語を絵画化した象徴派や素朴派の作品の場合、一体どこに連れて行かれるのだろうかと不安になる暗くて死のイメージが強く漂う絵とか、人の心を戦慄させるような悪魔やぬめっとした蛇が描かれた絵などに遭遇することがあるから、作品にたいするのめり込み度は半分々といったところ。

200%嵌っているのは昨日取り上げたモローとアンリ・ルソー。熱をあげるきっかけになったのが“オルフェウス”と上のルソーの“蛇使いの女”。逸る気持ちを抑えきれずルソー(1844~1910)の絵を探した前回は“戦争”はあったのに、どういうわけかお目当ての“蛇使いの女”が展示してなかった。ガックリきて、全身の力がぬけた。でも、嬉しいことに後で訪問したポンピドー・センターで待っててくれたのである。

その絵が目の前にある。ナショナル・ギャラリーにある“不意打ち!”(拙ブログ2/8)と同じ異国的な熱帯風景だが、こちらは夜の神秘的な世界。この絵の魅力は巧みな構図。中心をちょっとはずしたところに蛇使いの女が立ち、川面と熱帯の密林を照らす真ん丸い月を背にして笛を吹いている。隙間なく描かれている右半分の植物の葉や花に対して、女の後ろに広がる川と上の空はちょうどいいくらいの広さ。

緑のグラデーションや黄色を使って平板に描写された色々な葉はひとつ々をみると結構デカイ。種類ごとに細かくしっかり描かれており、生い茂る密林の感じがよくでている。笛につられて体をくねくねさせている蛇は4匹。左には色鮮やかな羽をもつ水鳥がいる。葉や花のフォルムは左右に動いているようにもみえ、密林全体が美しい笛の音色にあわせて静かに揺れているよう。

真ん中はシャバンヌと同じく重点画家にしていたルドン(1840~1916)が描いたパステル画“野花”。眩い色彩に目を奪われる。これほど明るく、喜びにあふれた花の絵はみたことがない。初期のころは暗くて退廃的なイメージの絵(07/8/6)を描いていたのに、ルドンは晩年、こんな鮮やかな色彩の花の絵や神話を題材にした絵を数多く描いた。

青の地に映える白馬の躍動的な姿が印象的な“アポロンの戦車”や“仏陀”は前回見逃しただけに目に力を入れてみた。静けさをたたえた“瞑目”をみれなかったのは残念だが、似たような絵は昨年Bunkamuraの回顧展でみたからそれほど気にならない。一番見たかった“野花”をみたから満足度は高い。

ナショナル・ギャラリーで見る予定にしていた紫や青など色とりどりの花が咲き乱れる“花のなかのオフィーリア”とも対面できたら言うことなかったのだが。これは次の楽しみ。

下はアメリカの画家、ホーマー(1836~1910)の“夏の夜”。この絵との対面を長らく待っっていたが、ようやく実現した。白の激しい筆触で表された波しぶきの美しさに立ち尽くした。夜の海を背にして踊る二人の女性の姿がエレガントなこと!この絵を見るのに言葉はいらない。これと遭遇したのは一生の思い出になる。

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2008.02.20

その四 シャヴァンヌ  モロー  トーロップ

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名画を沢山所蔵している美術館へは何度も訪れてみるものである。前回のオルセーでモローの絵は興奮してみたのに、シャヴァンヌにはまったく関心がなかった。図録をながめても、“シャバンヌの作品はどこに飾ってあった?”という有り様。その後、代表作“貧しき漁師”にじわじわ魅せられるようになったから、今回シャバンヌ(1824~
1898)は重点鑑賞画家にしていた。で、入館してすぐこの画家の展示室へ行った。

リストに載せている“夏”や“海辺の娘たち”、上の“夢”のほかに“風船”、“伝書鳩”など全部で11点あった。絵のなかに吸い込まれそうになるのが“夢”。実に象徴派らしい絵。眠っている旅人がいる岸辺や遠景は見慣れた自然の風景なのに、空中に舞う3人の乙女はとても幻想的で、まるで一人の役者の動きをストップモーションで連続してみせる映画のワンシーンみたい。

一番前の真横になっている乙女の手から落ちているのは薔薇の花、真ん中の右手には月桂冠、そして後ろの乙女は金貨を下に投げている。それぞれ“愛”、“栄光”、“富”を象徴している。3人の女神は男にどれを選ぶのかを迫っているというわけである。眠っている男の前に女神が現れるというアイデアがおもしろい。ロンドンのナショナルギャラリーでも“洗礼者聖ヨハネの斬首”という絵に思わず見蕩れてしまった。だんだんシャバンヌの絵のすごさがわかってきた。

同じ部屋にモロー(1826~1898)の“オルフェウス”(真ん中の画像)、“イアソンとメディア”、“ヘシオドスとミューズ”があった。前回はオルセーのあとモロー美術館へも回ったから頭のなかはモローの絵でかなり占領されていた。ギリシャ神話を細密な描写と豊かな想像力で絵画化したモローはお気に入りの画家。

とりわけ好きなのは竪琴の上にオルフェウスの首がのっかった“オルフェウス”とメトロポリタンにある“オイディプスとスフィンクス”。で、久しぶりの“オルフェウス”をじっくりみると、意外なものが描かれていた。それはオルフェウスの首を見つめているバッカスの信者の足元にいる二匹の亀。亀が何かを象徴しているのだろうか?

下はヤン・トーロップ(1858~1928)が描いた“欲望と充足”。前ここへ来たときはこの画家のことはまったく知らなかったから、鑑賞の対象外。作品をはじめてみたのは96年、Bunkamuraで開催された“象徴派展”。

痩せた女のうねるように長くのびた髪と独特な線描で表現された図案的な人物像に興味を覚えて以来、オルセーにあるこの絵をいつかみたいと思っていた。これは全体のフォルムがすぐつかめない。横向きの女の顔の下でウエーブしているのは長い髪の一部。一見簡潔で平板な描き方だが、構成はちょっと謎めいている。

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2008.02.19

その三 ゴッホ  ゴーギャン

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印象派の画家で展覧会の図録や画集が沢山あるのがモネとゴッホとルノワール。なぜかマネやゴーギャン、ドガの回顧展に出くわしたことがないから、手元には一冊も図録がない。これに対しゴッホやモネは人気が高いから、回顧展が何度も開催される。好きな画家の展覧会を見逃すわけにはいかず、その都度でかけ図録を購入する。

で、今回はこれらの本を事前にフルチェックして、まだみていないオルセー所蔵のゴッホ(1853~1890)作品リストを作成した。野球の打順でいうと、3,4,5番クラスの名画は目に焼きついているから、これらは1,2番の絵。ゴッホの絵に関しては6番以降はなく、すべて上位打線。リストに挙げていた“庭にいるガシェ嬢”、“サンレミの病院”、“双子の赤ちゃん”、“酒場”は予定通り目の前に現れてくれた。

成果はこれだけではなかった。まったく想定外の驚愕の一枚と遭遇したのである。上の“星月夜”。青の濃淡を使って描かれた夜の空には満天の星が黄色く輝き、その光が川面に足長くキラキラ反射している。夜なのにとても明るく、手前に描かれた男女二人はファンタジックな気分に酔いしれている感じ。あまりの美しさに言葉を失った。これはゴッホがアルルにいた頃の作品で、1995年オルセーに寄贈された。

だから、17年には対面しようのない絵。でも、この絵は以前見たような気がした。そのときは作品を見るのに忙しかったから思い出す暇がなかったが、日本に帰り調べたらある画集に載っており、以前から見たかった絵だった。記憶が飛んでいたのは個人蔵のためリストに入れてなかったから。その絵とここで会ったのである。これは大収穫。最後に購入した新しい図録には大きく掲載されていた。“夜のカフェテラス”(拙ブログ05/3/26)とともに夜の絵の傑作として長く記憶されることになりそう。

真ん中はゴッホが亡くなる年に描かれた“ポール・ガシェ医師”。惹きつけられるのは医師のポーズ。ガシェ医師は赤い机に右ひじをつき手を顔にあて右斜め前方を眺めるという対角線的な動きで描かれている。医師の内面が現れたような顔の表情とか上着と背景に使われた青と机の赤との色彩対比は表現主義の描き方と似ており、この頃ゴッホは新たな画風を模索していたのかもしれない。

ゴーギャン(1848~1903)はロンドンのテート・モダンで見たかった“ファア・イヘイヘ”が残念なことに展示してなかったので、口直しのつもりで下の“タヒチの女たち”を再度熱心にみた。右の女のあの目線は強いインパクトをもっている。この絵と会って以来、ゴーギャンというとすぐこのタヒチの女をイメージするようになった。ゴーギャンの絵の特徴である単純化された形の平面描写と強烈な色彩に200%魅了されている。

お気に入りは“タヒチの女たち”、大原美にある“かぐわしき大地”(拙ブログ06/9/16)、エルミタージュの“果物を持つ女”(06/11/3)、メトロポリタンの“マリアを拝す”、そしてボストン美が所蔵する“われわれはどこから来たのか、われわれは何者なのか、われわれはどこへ行くのか”。“タヒチの女たち”の隣には“食事”などタヒチの人々を描いた作品が前回と同じく飾られていた。ゴーギャンの世界を存分に楽しませてもらった。

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2008.02.18

Bunkamuraのルノワール+ルノワール展

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Bunkamuraで行われている“ルノワール+ルノワール展”(2/2~5/6)はサントリーのロートレック展同様、オルセー鑑賞パート2の感覚で見た。だから、ルノワールの次男、ジャンが撮った映画は半分パスし、オルセーで対面できなかったお目当ての名画、“陽光のなかの裸婦”、“ぶらんこ”(上の画像)、“田舎のダンス”(真ん中の左)の前に長くいた。

今回、ルノワールの作品は全部で48点ある。このうちオルセーからやってきたのは15点。よくこれだけ貸し出してくれたものである!昨年の国立新美のオルセー美展にも“ジュリー・マネ(猫を抱く少女)”が出品された。東京で毎年ルノワールの傑作が見られるのだから、日本は本当に美術大国。

“ぶらんこ”は“ムーラン・ド・ラ・ギャレット”と色の使い方やタッチが似ている縦長の絵。とても印象深いのがぶらんこに乗っている女性、後ろ姿の男、横を向いている女の子の服に光が当たったところが濃い白の絵の具で塗られていること。この白の輝きで表現された陽光のふりそそぎ具合が目に心地よいのである。光の点は小道の青い影の上にも散らばっている。日差しが強いところで誰もが目にする光景はまさにこんな感じ。

ルノワールが描く女性で、笑顔が魅力的なのはこの“ぶらんこ”、“ムーラン・ド・ラ・ギャレット”、そして“田舎のダンス”。“田舎のダンス”にぞっこん参っている。こぼれるような笑顔をみると、この女性が踊りを心底から楽しんでいることがわかる。これに対してオルセーでは相方がいなくて淋しそうに飾られていた“都会のダンス”(真ん中の右)は優雅なドレスを着た洗練されたパリジェンヌの踊り。顔や背中の白い肌と光沢のある白いドレスが神々しいほど魅惑的。

ちなみに“田舎のダンス”のモデルは妻のアリーヌで、“都会のダンス”のほうはヴァラドン(ユトリロの母親)。ボストン美術館にはダンス連作の最初に描かれた“ブージヴァルのダンス”がある。これも大好きな絵だが、モデルはヴァラドン。

とくに注目してみた3点のほかで足がとまった女性画は下の“コロナ・ロマノ、バラの若い女”(オルセー)。ふくよかで生気あふれる顔と白の襟と鮮やかな青のブラウスと帽子に目を奪われた。図版でみたことはあるがこれほどすばらしいとは!しばらく見蕩れていた。男性の肖像画にもいいのがあった。大作“狩姿のジャン”(ロサンゼルス・カウンティ美)と画集に載っている“ポール・デュラン=リュエルの肖像”と遭遇したのは大きな収穫。

映画はあまりみなかったが、会場内のミニスクリーンには絵と関連する映画のシーンが映し出され、せりふや音楽が聞こえてくる。こういう雰囲気のなかで絵をみた経験はないが、悪くない。ルノワールの超一級の作品が見れて、昔の華やかなパリを思い出させる映画も楽しめるのだから、ここは今質の高いエンターテイメント空間になっている。

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その二 マネ  モネ  ルノワール

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二度目となるオルセーには3時間いた。はじめは2時間くらいで見終わるかなと思っていたが、続々と現れる名作を前にすると、前回時間をかけてみたものでもやはり足がとまってしまう。リストに載せている作品の少ないマネ(1832~1883)の場合、“笛を吹く少年”や“エミール・ゾラ”はさらっとみたが、上の代表作“草上の昼食”や“オランピア”、美しいモリゾに惹きつけられる“バルコニー”はすっと通るわけにはいかない。

こういう名画は日本にはなかなかやってこないから、しばらく立ち止まり、再度目に焼きつけた。“草上の昼食”は前回不思議に思ったことがある。それはこちらをじっと見ている裸婦と左の男の顔がとても似ていること。二人は兄妹かと思えるほど目、鼻、口がそっくり。だから、またまたこの二人に視線が集中した。奥の池でかがんで水浴をしている女と右の男をみている時間は今回も短い。

新たな発見は手前に描かれている横に傾いた籠とそこからとびでたパンや緑の葉の上にあるさくらんぼ。さくらんぼの質感描写に感心するが、なにも籠をひっくり返すことはないだろうとも思ってしまう。でも、これは当世風の男たちと一緒に裸婦を描くという挑戦的な絵。籠が置いてある白と青の服は女がたった今脱ぎすてたもの。だから、裸になるときの女の恥じらいとか裸婦と一緒にいる男たちの内面の緊張感を暗示するため、籠をひっくり返したのかもしれない。

モネ(1840~1926)の絵では、昨年国立新美であった大回顧展に出品された“かささぎ”や“ルーアン大聖堂”とまた会った。真ん中は回顧展に展示された“日傘の女(右向き)”とペアになっている左向きの絵。どちらもお気に入りだが、もしどちらかを差し上げると言われたら、この左向きのほうをいただきたい。それは背景の明るい空や土手の草の描写は変わらないが、左向きのほうが女性の頭を覆ったスカーフとロングスカートをなびかせている風をより強く感じられるから。

モネ同様、気分がぐっとハイになるルノワール(1841~1919)は初見の作品がいくつか現れてくれた。青山のユニマットでみたのと同じ絵で、妻のアリーヌが長男のピエールに乳を飲ませるところを描いた“母性(母子像)”があったが、質的にはこちらの方がだいぶいい。画集にはほかの美術館のものが載っていたので、オルセーでこの絵と対面するとは思ってもみなかった。リストに入れていた“アルフォンシーヌ・フルネーズ”や“読書する娘”といった愛らしい娘の肖像画にも心を奪われる。

そして、下の“ムーラン・ド・ラ・ギャレット”との再会で気分は最高潮に達した!画面中央に描かれた二人の女性の楽しそうな顔に釘付けになる。木もれ日が土や人の上に落ちるまだらの影で表現され、大勢の男女が踊ったりおしゃべりをして愉快にすごすモンマルトルのダンスホールの情景が明るい色彩で優雅に生き生きと描かれている。まさに生きる喜びを表現した傑作である。

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2008.02.17

サントリー美術館のロートレック展

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サントリー美術館で開催中の“ロートレック展”(1/26~3/9)のチラシに上の“赤毛の女”や“女道化師シャ=ユ=カオ”が載っていたので、オルセーではロートレック(1864~1901)にあまり期待していなかった。なにせこの2点は館の図録に掲載されている有名な絵なのである。

で、リストには真ん中の“ジュスティーヌ・ディウール”と下の“寝台”などを入れていた。ところが、“ジュスティーヌ・ディウール”までも日本へ出張中。もし“寝台”がなかったら発狂するところだった。ロートレックを目当てにオルセーに足を運んだ人はたぶん消化不良の気分になるだろう。サントリー美術館の企画展のせいである。

オルセー、ルーヴル、ポンピドーなどパリにある美術館は本当に日本へいい作品を貸し出してくれる。しかも沢山!美術館が作成する図録に載せている自慢の作品がパリへ出かけずに鑑賞できるのだからこれほど嬉しいことはない。芸術の交流でいうと日仏の関係はとてもいい。日本人観光客はフランスに沢山来てくれるし、印象派が好きだから、こういう形でお返しをしてくれているのかもしれない。

サントリーのロートレック展には予想を上回る質の高い作品が集まっている。Bunkamuraの“ルノワール+ルノワール展”もすごいから、今東京では二つの美術館が印象派絵画でコラボの真っ最中といったところ。海外の美術館はオルセーの所蔵品だけではない。アルビにあるトゥールーズ=ロートレック美術館の“イヴェット・ギルベール”(ポスターの原案)やサンパウロ美からやってきた“サロンにて、ソファ”などもなかなかいい。国内では大原美の“マルトX夫人の肖像ーボルドー”はどこに出しても恥ずかしくないロートレックの一級品。

全部で250点ある作品のうち“アンバサドゥール、アリスティド=ブリュアン”、“ディヴァン・ジャポネ”、“ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ”などの代表的なポスターはサントリーミュージアム天保山が沢山所蔵している。こんなにもっていたのという感じ。過去、ロートレックの回顧展は2回くらいみたから、浮世絵の影響を受け、娼婦や役者をモデルに使って漫画風に描いた作品やポスターはだいぶ目が慣れている。

こうした作品も魅力に溢れているが、ロートレックの絵で最も心に響くのが日本で再会することになった上の“赤毛の女”。背中にインパクトがあり、顔は見えないのにすごく惹きつけられる。ドガの“アブサント”に描かれた女のように、どこか淋しげで孤独にじっと耐えてる感じ。オルセーで見る予定だった愛嬌のある大きな目をした“ジュスティーヌ・ディウール”にも魅了される。日本でみられたから言うことなし。大満足の回顧展だった。

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オルセー美術館 その一 ドガ  セザンヌ

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17年前、同じようにパリの美術館めぐりをしたとき、一番長くいたのがオルセー美術館。2回入館し、5時間かけて、これぞ印象派絵画といわれる名画を夢中になってみた。とくに目に力を入れて見たのがマネ、セザンヌ、モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャン。だから、図録に載っている作品は大体今でも目に焼きついている。

ところが、この6人以外の画家については主要な作品は覚えているが、記憶が薄かったり、すっかり忘れている作品がかなりある。で、今回はこうした画家の見逃した作品のリカバリーに気を配りながらみてまわった。

必見リストに多く載っているのがドガ(1834~1917)。初期の作品、古典画風の“バビロンを建設するセミラミス”や肖像画“ベレーリー家”は前回まったく記憶がない。ドガの代名詞ともいえるバレエの絵では、俯瞰の構図で踊り子をとらえた上の“舞台の踊り子”がお気に入り。

名作は鮮明に覚えていたこの絵だけではなかった。青の衣装に目を奪われる“青い踊り子たち”、礼をする踊り子の顔に当たるライトが印象的な“花束を持ち、舞台上で礼をする踊り子”、稽古風景を描いた“ダンスのレッスン”、“バレエのリハーサル”、“オペラ座の稽古場”なども心に響いた。また、“競馬”や“スタンド前の競馬馬”の動きのある描写にも魅せられる。

しばらく立ち尽くしてみたのが再会を楽しみにしていた真ん中の“アイロンをかける女たち”。右の女は力をこめてアイロンをかけているのに、左の女は大あくび。疲れているのだろうか。これは大好きな絵。日常の生活のなかで人々がなにげなく見せるしぐさの瞬間をとらえるのがドガは天才的に上手い。

“アブサント”もお気に入りの作品で、絵に力がある。目をぎらつかせた男の隣に女が元気なく座り、アブサントのグラスが置かれたテーブルの前方を眺めている。これはよく見かける男と女の光景。“この女は男と別れたくても別れられないのだろうな”とつい同情してしまう。予定の作品は流石質が高い。9割方目のなかにおさめたので、ドガとの距離が一気に縮まった。

セザンヌ(1839~1906)の下の有名な絵、“カード遊びをする人たち”は“アイロンをかける女たち”、“アブサント”同様画面には静かな空気が流れている。惹きつけられるのがカード遊びに熱中する二人を真横から描いているところ。

丁寧な筆触で描かれた男たちは感情をあまり出さず、静かにカード遊びを楽しんでいる感じだが、それがかえって存在感を高めている。赤茶色のテーブルと向こうの茶褐色の壁は田舎の古い家の雰囲気をよく伝えており、酒の瓶や襟に当たる光を表した明るい白が画面を引き締めている。

この絵や静物画の傑作“りんごとオレンジ”は99年、横浜美であった“セザンヌ展”でみたから、また会ったねという気分だったが、お気に入りの肖像画“コーヒー沸かしと女”とは本当にお久しぶり!という感じ。息を呑んでこの大作をながめていた。

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2008.02.16

世界遺産 モン・サン・ミッシェル

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世界遺産 モン・サン・ミッシェル観光はこのツアーの目玉。ノルマンディ地方の西の端にあるこの人気観光スポットへ到達するのにパリからバスで4時間半くらいかかる。高速道路を時速100~110kmで走行し、途中一回のトイレ休憩を極力短くしてもこのくらいかかるのである。現地には昼食、修道院観光で3時間滞在して、また延々パリを目指して高速を走り、夕食にありつくのは9時という具合。とにかく長いことバスのなかにいる一日だった。

モン・サン・ミッシェル(聖ミカエルの山という意味)は海(大西洋)に囲まれた小さな島。この岩山に修道院がそびえたっている。現地に着くまでは満潮時には島へはどうやって行くのだろうと興味深々だったが、陸地とは1.9kmの一本道でつながっていた。堤防がないときは海に浮かぶ城にみえ、神秘的な光景だったろうが、今は日本でいうと江の島のようなところ。

あまり近づくと島全体がはいる写真がとれないので、バスは駐車場へ行く前、絶好の撮影ポイントに止まってくれる。天気も良く、最高の写真が撮れた(上の画像)。こんなカッコいい修道院はほかにない!人気の観光地であることはここに立つとよくわかる。4時間半もかけてやってきた甲斐があった。真ん中の画像は島を大西洋側からみたもの。両サイドに駐車場がある道路を進入してきたのである。

修道院に入る前に昼食をとったので、その料理のことから。ここの名物はオムレツ(下の画像)。19世紀半ば巡礼者のためにはじめた宿屋の女主人がつくったのがこのスフレ状のオムレツ。ガイドブックにはこの料理について“名物のオムレツを味わおう”とあるが、美味しいとは書いてない。

そのわけは一口食べるとすぐわかる。まずいというのではなく、味がうすく、また食べたくなる料理ではない。ノルマンデイでは葡萄はとれないので、その代わりにりんごを多くつくっている。で、ビールではなくりんご酒を注文した。こちらはまあまあだった。

修道院が建てられたのは708年。大司教オベールは聖ミカエルから修道院を建てよというお告げを3回受け、小さな礼拝堂をつくったという。まもなくここは大規模な巡礼地となり、10世紀にはベネディクト会の修道僧が住みつくようになった。英国との百年戦争のときもこの島は侵略されることがない鉄壁な要塞と化し、また、フランス革命による修道院の解散から1863年までは監獄として使われた。1979年に世界遺産に指定されている。

院内ではロマネスク様式とゴシック様式の入り混じった迎賓の間、食堂、礼拝堂、納骨堂、列柱廊などを見て回った。夜になるとここはライトアップされるという。すばらしい景色だろうなと想像しながら、帰りのバスに乗り込んだ。一生の思い出となるモン・サン・ミッシェルを車窓からもう一度目に焼きつけた。

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2008.02.15

その二 シャガール  マグリット  レジェ

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ポンピドー・センターはオブジェとか現代アートは4階、キュビスム、フォービスム、シュルレアリスム、抽象絵画、ダダ、アンフォルメルなどは5階に展示されている。4階は知らない作家が多いからさーっと眺めるだけで、鑑賞の中心は5階にある作品。画集に載るような画家の代表作が続々と現れるのは当然のことながらフランス人画家が多い。

その筆頭がマティス。ポンピドーとエルミタージュにある元シチューキンコレクションをみたらマティスはだいたいみたといっても過言でない。今回は“ルーマニアのブラウス”や“王の悲しみ”はなかったが、花柄模様の壁紙に囲まれた裸婦を描いた“文様のある背景の前の装飾的人物”がでていた。

ロシアのヴィテブスク出身のシャガール(1887~1985)も代表作の多くがここにある。日本に何回かやってきたので馴染み深い上の“ロシアとロバとその他のものに”とシャガールがベラの肩の上の乗っている“ワイン・グラスをもった二人の肖像”と再会した。

“ロシアとロバ”は何度みても不思議な絵。ぎっとするのがミルクバケツを持っている女の体から離れて宙に浮かんでいる頭。屋根の上にいる赤い雌牛だって馬鹿デカイし、目つきも鋭い。また、背景の空も暗いから、いろんなイメージが混じり合う夢の世界とはいっても、“ファンタジックで楽しい!”なんて気にはなれず、見てて緊張する。

ロンドンのテート・モダンでみたマグリット(1898~1967)はいまひとつグッとこなかったが、ここにあった2点はとても惹きつけられた。東京都現代美にも展示された“二重の秘密”(真ん中の画像)と“メキシコ、クアウテモシン通りにて”。前回“二重の秘密”をみたとき、その奇想天外な構成に仰天してちょっと引いた。今はマグリットの絵に目が慣れ、だいぶ冷静に見れるようになったが、当時はシュルレアリストという人種はエイリアンのように思えた。

顔のまわりが紙の切れ端みたいに切りとられている左側の男性はまだみれたが、その剥がされた顔の内側の小さな鈴がいくつも埋め込まれた右側はあまり凝視できなかった。小さい頃学校の保健室にあった人体模型を見るような感じがして、ザワザワした気分になった。

今回も血管のイメージは消えないままなのだが、“マグリットはこれで何をメッセージしたいのかな?”という絵解きのほうに関心が向いている。“人間はいつも何か考えているように見えるが、実のところ脈絡のない意識が交錯しているだけで、内側は空っぽなのでは”と言ってるのだろうか?

レジェ(1881~1955)の下の“読書”や大作“三体の人物像による構成”に登場する人物像も一度みたら忘れることはない。人物像が記号的に刷り込まれているのはモディリアーニのあの“うりざね顔”とこのレジェの黒の輪郭線で彫刻的に描かれた人物。量感があり、いつも正面を向いている。

機械のような人物像なのだが、どういうわけか親しみがもてる。これは丸い形がやわらかい印象を与えているからだろう。黄、赤、青が基調に使われ画面全体が明るく、気持ちがハイになるレジェの代表作“余暇”とまた対面したかったが、今回は展示されてなかった。でも、同じ画風の2点を見たので大満足。

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2008.02.14

ポンピドー・センター その一 カンディンスキー  ピカビア  モンドリアン

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パリで一日自由行動がとれると、美術館めぐりは結構数がこなせる。お目当ての美術館をどういう順序でまわるかを館の開いている時間、場所を考えていろいろシミュレーションした。時間帯は館によって幅がある。

一番早く開館するのがルーヴルの9時、オルセーは30分遅れの9時30分。モネの大作“睡蓮”の部屋があるオランジュリーは昼の12時30分から開き、閉まるのは午後7時。近代絵画や現代アートを展示するポンピドー・センターは11時のオープンで夜9時まで。ルーヴル、オルセーにたっぷり時間をとることを考えると、9時までやっているポンピドーは有難い。で、ここへは7時ごろ入館し、閉館近くまでいた。

ポンピドーを訪問するのは17年ぶりだが、ここの作品はこの間3回日本の美術館でみることができた。最も印象深いのが97年、東京都現代美術館であった大規模な展覧会。これはすごかった。マティスの“ルーマニアのブラウス”やレジェの“余暇”など美術の教科書に載っている傑作がいくつもやってきた。記憶に新しいところでは昨年の国立新美の開館記念展“異邦人たちのパリ展”(拙ブログ07/2/92/10)。また、ここにあるシャガールコレクションもほとんど日本で公開されているから、館内の4階と5階を回るのは久しぶりだが、展示作品は“また会ったね!”というのも何点かあった。

上のカンディンスキーの“黄ー赤ー青”は東京都美でも展示された。今回のポンピドーで一番のお目当てはマティスの切り紙絵“王の悲しみ”とカンディンスキーの抽象画。“王の悲しみ”は前回と同じく今回も飾ってなかった。一瞬倒れそうになった(ウソです)。前は図録を見て絵の存在を知った程度だったが、この度はこの絵に会えるとワクワクしていたからショックは大きい。大変残念だが、こういうこともある。

頭を切り替えて目の前のカンディンスキー(1866~1944)の抽象画“黄ー赤ー青”を楽しんだ。カンディンスキーの絵をこよなく愛している。そのきっかけとなったのがこの絵。沢山ある抽象画のなかでは、ドイツのバウハウスにいたときと晩年、パリに滞在していたころ制作した作品がとくに気に入っている。これはバウハウスのころの幾何学的な傾向が強い作品。

たらしこみ風の紫の雲にかこまれた左の黄色の部分は半円の弧、直線は細い線でさらさらと引かれているのに対し、右半分は濃い青の円や四角の赤などが重なり合い複雑なフォルムをつくり、それをくるむように黒の太い線がくねくねと流れている。線や幾何学的なフォルムは見てて混乱するようなカオスではなく、爽快感すら覚え、色の響き合いも美しい。クプカやヴァザルリの作品同様、極上の抽象美が楽しめる傑作である。

真ん中の絵は“王の悲しみ”とともに対面を待ち望んでいたピカビア(1879~1953)の“ウドニー”。期待にたがわぬすばらしい絵だった。緑や青の曲面がからみあって中心の白のフォルムを浮かび上がらせている。これはピカビアがニューヨークへ向かう船で出会ったダンサーの踊りをイメージして描かれたというから、白はそのダンサーを表しているのかもしれない。奥行きのある画面はクプカの絵を連想させるが、こちらのほうはリズミカルで躍動的。

下はモンドリアン(1872~1944)の“ニューヨーク・シティ 1”。これはあの代表作“ブロードウェイ・ブギウギ”と同時期の作品。それまでの黒の線が消え、黄、赤、青の垂直線と水平線のみを使った格子状で画面が構成されている。シンプルな形と明るい色彩はまるでインテリアデザインとか包装のイメージ。まだ、浮き浮きするようなジャズの音色は聞こえてこないが、心が晴れやかになる絵である。

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2008.02.13

モンマルトルのダリ美術館

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今日からパリにある美術館の感想記。また、しばらくおつきあい下さい。最初はダリ美術館。ここは訪問予定に入ってなかったが、想定外の出来事があったため、急遽でかけることになったオマケの美術館。ロンドンからパリに入った日、思ってもみなかった公務員のストに遭遇した。ルーヴル美術館やヴェルサイユ宮殿などは終日閉館だから、日程をいくつか変更しなくてはならない。

で、午後の市内観光は自由行動になった。“さて、どこへ行くか?”、あれこれ思案。グランパレで開催中の“クールベ展”をチェックしたら、3時間待ちの大行列だという。これだと集合時間に間に合わない。ガイドブックとにらめっこをして、モンマルトルにあるダリ美術館へ行くことにした。

地下鉄12号線ABBESSES駅から徒歩5分になっているが、5分ではとても無理。坂道が多いからちょっと疲れる。途中、3人に美術館の場所を尋ね、日本の女性の方が持っていた詳しい地図のお陰でなんとかたどり着くことができた(上の画像)。入り口の外観は美術館のイメージではなく、画廊に毛がはえたようなもの。

展示室は地下にあり、展示されているのはダリ(1904~1989)のイラストと彫刻作品300点あまり。油彩画は一枚もないのが期待はずれだが、三次元のシュルレアリスムである彫刻は楽しめた。はじめてお目にかかる彫刻は3割。残りは過去日本であったダリ展や諸橋近代美術館(拙ブログ05/6/26)でみたから、満足の度合いは中くらいである。

ダリ好きな者にとってはここの作品によってダリワールドのヴァリエーションが広がったからOKなのだが、“これで入館料10ユーロは高いのでは?”と言う隣の方のほうが正直な感想かもしれない。こういうときはsomething newが一点でもあればそれだけで嬉しいファン気質とそれほどのめり込んでない者との気持ちの差がはっきりでる。

真ん中はダリ彫刻の代表作“回顧的女性胸像”。これとは4度目の対面。原型が制作されたのは1933年で、1977年にブロンズ像として復元され12点つくられた。原型のときは女の頭に乗っている細長いパンとかトウモロコシの首飾りは本物が使われたようで、展覧会場に訪れたピカソの犬がパンに飛びかかって食べてしまったという逸話が残っている。その現場に居合わせたかった!

日本の人形にように白い女の顔には額から頬にかけて油絵の具でアリが描かれている。数えたことはないが90匹いるそうだ。アリは死の象徴。パンの上のインク壷にみられるのはあのミレーの“晩鐘”に描かれた農民夫婦。ダリにとって彫刻やオブジェは“トランスフォーメーション”(変形、変容)をシュルレアリスムの観点から表現したものだから、この作品は食べ物としてのパンにインクが染みこんでいき別のものへ変容することをイメージさせているのかもしれない。

これに較べるとずっとわかりやすいのが下の“聖ゲオルギウスと龍”。ナショナル・ギャラリーでウッチェロの同名の絵をみたばかりだから、作品にすっと入っていける。中世ヨーロッパでは、聖ゲオルギウスは騎士の守護聖人で、龍をやっつけるところを描いた絵はよくお目にかかる。でも、彫刻作品を見る機会は少ないから、これはシュルレアリストをとったただの彫刻家ダリの作品としても充分楽しめる。見ごたえのあるいい彫刻なので、シュルレアリスム的な意味を考えるのは止めにした。

久しぶりの白亜のサクレ・クール寺院もみたかったが、集合時間が迫っていたので、あまりぶらぶらせず坂道を下っていった。

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2008.02.12

その二 ミロ  エルンスト  グロス

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テート・ギャラリーからテート・モダンに移管された作品のなかで核となるのがダリらシュルレアリストの作品。だから、必見リストには前回訪問時購入したシュルレアリスム小冊子に載っている絵がいくつも入っている。で、ひたすらダリの傑作“ナルシスの変貌”や見逃したデルヴォーの“眠れるヴィーナス”や“レダと白鳥”を探した。

ところが、ダリもデルヴォーも一点もない。どうしてー?!美術館の人に聞くとダリの作品はアメリカに貸し出されているという。隣の方に“ナルシスの変貌”やハッとするオブジェ“ロブスター電話”をみせたかったのだが、残念!二重丸の“レダと白鳥”と対面したかったのに。デルヴォーはこれで二連敗。

そのかわり、マグリット、ミロ、エルンストは予定していた作品をほぼみることができた。上はミロ(1893~1983)がマッソンに誘われてオートマティスム(自動記述)で描いた“ペインティング”。これは横に飾ってある丸いフォルムを基調にしたユーモラスな鳥や女、月が登場する“月光のなかの女と鳥”とか昨年、埼玉県近美でみた“夜の中の女たち”(拙ブログ07/2/23)と違って、抽象度の高い絵。

アートマティスムというのは何も考えず、頭を空にした状態で筆の動くままに描き、フロイトの主張する意識下の世界を形にする実験だから、フォルムは具象とはおよそかけ離れ、抽象的なものになる。でも、印象に強く残る色の組み合わせと簡潔なフォルムはその後のミロの静寂と夢の世界を少し匂わせる。

真ん中はエルンスト(1891~1976)の代表作のひとつ“セレベスの象”。この絵と出会ってからはエルンストというとすぐこの絵を思い浮かべるようになった。画家がフロッタージュの技法で制作した作品は山に生えている苔のお化けとか川のヘドロが連想され、生理的にしっくりこないのだが、この象には腹の底から魅せられている。

怪物のようだがどこか愛嬌のあるこの象は人類学の雑誌で偶然見たスーダン人のとうもろこし貯蔵容器の写真から霊感を得たらしい。右下には首のない裸婦がいたり、象の隣には細長い兵士らしき人物が横向きに立っている。ダリともマグリットとも異なるエルンスト独自のシュールな画風をしっかり楽しんだ。

初見の絵でギョッとしたのは下のグロス(1893~1959)の絵。見ればすぐわかるが自殺の場面が描かれている。題名は絵のままの“自殺”。真ん中で倒れている男はいましがた拳銃で頭をぶち抜いたのであろう。左では男が首をつっている。画面全体を塗りつくした赤は男の頭から流れ出る血と爆弾の投下で街が燃え上がる炎のイメージ。

反軍国主義をとなえ、社会を辛らつに風刺した“社会の柱石”(06/2/2)も鮮烈なイメージをもった絵だが、第一次世界大戦さ中、不安や閉塞感に精神を圧迫された人間の悲しい結末を赤と黒で描いたこの絵も胸をかきむしる。

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2008.02.11

テート・モダン その一 マティス  ピカソ

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2000年に開館したテート・モダンはテムズ川南岸のサザーク地区にある。セント・ポール大聖堂があるほうから歩行者専用のミレニアムブリッジを進んでいくと正面に高い煙突(99m)のある建物が近づいてくる(上の画像)。元火力発電所がモダンアートの殿堂に生まれ変わったのである。インパクトのある外観はおよそ美術館らしくないが、中に入ると洗練された展示室に飾られたモダンアートの数々が目を楽しませてくれる。

フロアは7階まであり、3階と5階が常設展示に使われている。細長い展示室は2つの階とも左右でひとつの括りになっているから、20世紀以降の近代絵画、抽象絵画、現代アートの作品は全部で4つの切り口にグルーピングされ展示されている。3階の左は“詩と夢”というワーディングになっていたが、いつもこういうまとめ方なのかはわからない。で、これにはあまりこだわらないで必見リストを参考にして、徐々に目を慣らしていった。

ここで思わぬ作品と遭遇した。それは真ん中のマティス(1869~1954)が39歳のときに描いた“グレタ・モルの肖像”。これはナショナル・ギャラリーで見る予定になっていた作品。この絵だけでなく、前回見逃したピカソやクリムト、ルドンの絵と併せて対面を楽しみにしていたのに、いずれも見当たらなかった。で、“全部貸し出し中か!しょうがないな”と諦めていたが、実はここテート・モダンに移管されていたのである。隣にクリムトの“ヘルミーネ・ガリア”もあった。

このクリムトの絵は色が薄く、期待値の半分だったが、マティスの肖像画は思い描いていた通りのいい絵だった。モデルはマティスが一時期、美術学校の先生をしていたときの生徒。この絵で魅せられるのは“マティス夫人(緑のすじのある肖像)”(コペンハーゲン国立美術館蔵)同様、色の使い方はフォービスムだが顔の表情や体の形が写実的に描かれているところ。とくに卵型の顔に心が和む。

マティスの作品は4,5点あったが、この肖像画とともに感動したのが緑、青、赤など8つの色の紙を四角に切って貼りつけた“カタツムリ”という作品。どうしてこのフォルムがカタツムリなのかわからないが、その大きさと印象深い色の対比に心を奪われた。

ピカソ(1881~1973)は若い頃の“シュミーズ姿の少女”をはじめ、代表作のひとつである下の“3人の踊り子”、晩年の名作“首飾りをした裸の女”など刺激的な作品がいくつもあった。ピカソのいい絵をこれだけ沢山みたのは久しぶり。狂ったように踊る姿が伝わってくる“3人の踊り子”を見ていると、ピカソにとってキュビスムという技法は喜びや悲しみ、怒りといった人間の感情や体の動きを自由に表現するための手段だったことがよくわかる。

二重丸をつけていた“赤い肘掛椅子の裸婦”が見れなかったのと“3人の踊り子”とともに再会を心待ちにしていた“泣く女”がなかったのは残念だが、朝鮮戦争の勃発に触発されて制作した灰色の絵“山羊の頭蓋骨、瓶、蝋燭”とも遭遇したから、大きな満足が得られた。

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2008.02.10

その二 サージェント  ワッツ  ダッド

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テート・ブリテンで当てがはずれたのがターナー。期待を膨らましてターナー専門の展示室、クロアギャラリーヘ進んだが、握り締めているチェックリストに載せている絵が現れてくれない。荒れ狂う波間にほんろうされる蒸気船のマストに自分の体を縛り付け、4時間もかけて波や風、船の様子を観察し、これをもとに描いた“吹雪”は展示されてなかった。この絵を見ないとターナーを見たことにならないのに。トホホである。部屋の半分を使って行われていた素描の企画展のため、通常よりは展示作品を減らす必要があったのだろう。

また、事前シミュレーションで目に焼き付けた“吹雪、アルプスを越えるハンニバルとその軍隊”もみあたらない。消化不良の感は否めないが、はじめてのクロアギャラリーで全部見てしまおうというのは虫がよすぎるかもしれない。大作“ヴァチカンからみたローマ”、“金枝”、風景画の傑作“イングランド摂政皇太子の誕生日 リッチモンドヒル”と対面したのだから良しとした。

リストにある他の画家の絵はコンスタブルをはじめ凡そ見れた。その中にとても惹きつけられる大作が2点あった。“ノアの箱舟”のイメージが膨らむダンビーの“大洪水”とめまいがするような壮大な空間に黙示録の世界を描いたマーティンの“神の怒りの日”。こういう崇高な美が感じられる絵との遭遇も刺激があっていい。

この大作よりもっと心を揺すぶられたのがサージェントの“カーネーション、ユリ、ユリ、バラ”(上の画像)、ワッツの“希望”(真ん中)、ダッドの“妖精の樵の見事な一撃”(下)。サージェント(1856~1925)のこの絵には参った。芝の明るい緑の色に女の子が着ている白い服とユリの白が見事に映え、子供が手にしている提灯の光が夕闇に輝いている。昔、ボストン美術館でみた“エドワード・D・ボイトの娘たち”にヘナヘナになったが、これもすばらしい絵。

そして、もう一点、肖像画“マクベス夫人に扮するエレン・テリー”の前でも立ち尽くした。これはほぼ実物大の絵だから、目の前にマクベス夫人がいるような感じがする。即My好きな女性画にインプットした。この2点でサージェントは一気に好きな画家ワールドの一角を占めるようになった。次の狙いはメトロポリタンにある“マダムX”。

ラファエロ前派と同時代の画家、ワッツ(1817~1904)の作品に特別魅せられているということではないが、この“希望”は画集で知って以来、いつかこの目で見たいと思っていた。それがようやく実現した。絵の雰囲気は象徴派のデルヴィル(拙ブログ05/4/24)と似ており、球の上に乗った女は目隠しをし、弦が一本しか残ってない竪琴の音に耳を傾けている。“希望”をこういうイメージで表現することには戸惑いを覚えるが、絵に力があることは間違いない。

下のダッド(1817~1886)の絵(部分)には200%驚いた。図録でながめていたときは“なんだかおもしろそうな絵だな”くらいの軽い気持ちだったが、その細密な描写に目が点になった!縦長の大きな画面に妖精やら白い花やらナッツやらがビッチリ丁寧に描かれている。色調はすこし暗めだが、ここは不思議な妖精の世界。中央でこちらに背をむけナッツを割ろうとしているのが題名の樵。その前にいる白髭の老人は魔法使いの王。上のほうには妖精の王オベロンと女王タイタニアがみえる。

ダッドは異色の画家。26歳のとき精神を病んで発作的に父親を刺殺したため、以後の40年間を精神病院で暮らした。ここで9年かけて描いたこの絵は伝説や文学作品を絵画化したのではなく、ダッドの想像力によるものである。

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2008.02.09

テート・ブリテン その一 ブレイク  ロセッティ  バーン=ジョーンズ

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2度目の訪問となるテート・ブリテンは当時はテート・ギャラリーと呼ばれ、イギリス絵画と近代絵画が展示してあったのだが、そのなかの外国の近代絵画や現代アートは
2000年に開館したテート・モダンに移管されたため、現在はイギリス美術一色の美術館になった。館の前に立つと17年前の記憶がかすかに戻ってきたが、中の展示室がどうなっていたかはまったく覚えてない。

前回見たなかでは、ダリの代表作の一つ“ナルシスの変貌”やエルンストの“セレベスの象”などシュルレアリストの傑作は目に焼きついているのに、ブレイクやロセッティ、ミレイ、バーン=ジョーンズらラファエロ前派の作品を鑑賞したという自覚がまったくない。これらの画家に目覚めたのはこれ以降のことなのである。だから、ここの必見名画リストはこの4人とターナーの絵で埋め尽くされている。でも、はじめての対面となる作品ばかりというわけではない。

というのも、ちょうど10年前、東京都美で開催された“テート・ギャラリー展”に、上のブレイクの“ダンテ「神曲」・戦車の上からダンテに語りかけるベアトリーチェ”、真ん中のロセッティ作、“プロセルピナ”、ミレイの代表作“オフェーリア”、ターナーの“ノラム城、日の出”など館自慢の名画がごそっとやってきたからである。だから、画集に載っているほかの作品に注目してみて回った。

ブレイク(1757~1827)の部屋は入って左側の真ん中あたりにある。リストに載っている“アダムを裁く神”、“ニュートン”、“ネブカドネザル”、“善の天使と悪の天使”、上の“ダンテの神曲”などが次々と現れる。だが、残念なことにアベルを殺したカインの絶望的な顔が胸を突き刺す“アベルの死体を見つけたアダムとエヴァ”と“ヨブに煮え湯を注いで苦しめるサタン”がなかった。二重丸をつけていた絵だが、そう理想どおりにはいかない。8割のヒット率なら御の字である。

“ダンテに語りかけるベアトリーチェ”はブレイクが体験した幻視的な霊感を表現した神秘的な世界。右端の赤い服を着ているのがダンテで、永遠の恋人、ベアトリーチェは視線を集める横向きのグリフィンが牽く戦車に乗かっている。ブレイクにとって霊や天使、妖精などがとびまわる神秘的な世界は反合理主義の精神、つまり現実に対する幻滅の裏返しでもある。“ニュートン”ではコンパスをもち図形に夢中になっているニュートンは合理主義の危険を象徴する人間として批判的に描かれている。ブレイクは合理主義さえ人間の堕落と考えた。これからもブレイクを追っかけたいので、図録とともにここが発行している“ブレイクブック”を購入した。

ロセッティ(1828~1882)の作品は初見の“聖母マリアの少女時代”、“受胎告知”、“プロセルピナ”など6点あった。“プロセルピナ”は日頃の日常生活のなかでみかける女性とちがい、質量が多くのしかかってくるような女性画だから緊張する。インパクトがあるのが欲望をそそるような真っ赤な唇と吸い込まれそうな瞳。そして、波打つ巻き毛や緑の衣装のひだにも官能的な香りがする。美しくて官能的な女性を描く名手はクリムト(拙ブログ06/11/5)、ロセッティ、クノップフ(05/4/23)。3人の絵はもちろんMy女性画の上位に登録している。

ボッティチェリのあの優雅な線を彷彿とさせるのがバーン=ジョーンズ(1833~
1898)が描いた下の“黄金の階段”。美しく青白い女性たちが左にカーブした階段を降りてくる。ボッティチェリ好きだから自ずとバーン=ジョーンズにも高い関心がある。で、はじめてみるこの絵と“コーフェチュア王と乞食娘”を夢中になってみた。これからきれいな線と克明な細部描写が魅力のバーン=ジョーンズに嵌るかもしれない。

今回再会を楽しみにしていたミレイの“オフェーリア”はどこかへ貸し出し中で見れなかった。この絵だけでなく目の中に入れるはずだった“両親の家のキリスト”と“ローリーの少年時代”もなかった。今秋、Bunkamuraで開催される回顧展がすでにはじまっているのだろうか?

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2008.02.08

その七 スーラ  ゴッホ  ルソー

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ロンドンはパリと共に印象派の宝庫。ナショナル・ギャラリーとコートールドコレクションにはマネ、モネ、セザンヌ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャン、スーラ、ドガ、ロートレックといった印象派の巨匠たちの名画がいくつもある。印象派はルネサンス、シュルレアリスム同様一生の楽しみにしているから、ここナショナル・ギャラリーで前回熱心にみた有名な絵はしっかり覚えている。

いい絵が多すぎてどれを紹介するかで迷うが、上のスーラ(1859~1891)の“アニエールの水浴”だけはどうしてもはずせない。旅行会社がくれたロンドンのミニガイドブックには“時間がなくてもコレだけはチェックすべき絵”の3点にこの絵が選ばれている。あと2点はゴッホの“ひまわり”とその四で紹介したルーベンスの“シュザンヌ・フールマン”。

これは縦2m、横3mの大きな絵。この大きさだけでも見ごたえがあるが、その明るい色調に思わず“ウワー”と感嘆の声がでそうになる。スーラというとすぐ点描画をイメージするが、この絵は点描法へ移行する前の作品。でもスーラは後に、一部例えば、子供のオレンジ色の帽子や水面を青と黄の斑点に修正している。手前で男が横になったり、川のほうをむく横顔の子供が座っている草地のやわらかい緑がなんとも目に心地よく、人物を明るく照らす日差しがまぶしい。アニエールはパリ北西部にある町で、この絵はセーヌ川の下流に向かって描かれた。遠方にはクリシーの工場がみえる。

わがゴッホ(1853~1890)がこれまたすごい。“ひまわり”、真ん中の“麦畑と糸杉”、“椅子とパイプ”など全部で6点。“麦畑と糸杉”と同じ景色を夜空のもとで描いたNYのMoMAにある“星月夜”では、糸杉は激しいタッチで左右に折れ曲がるように荒々しく描かれているが、昼の糸杉はそれほどしつこくなく、上のほうへ力強くのびている感じ。目を奪われるのが黄色が輝く麦畑と抜けるような空に白とうす紫でむくむくと描かれた雲。遠景の山が右の方にあがっていく緩やかな対角線の構図も安定感がある。オルセーへ行く前に心はもう満腹状態。また、ここの定番の名画、ルノワールの“雨傘”やマネの“ウエイトレス”、モネの“睡蓮の池”もじっくり楽しんだ。

下はアンリ・ルソー(1844~1910)の“不意打ち!虎のいる熱帯の嵐”。こんないい絵を前回は見てなかったから、画集でこの絵を見るたびに後悔の念がつのった。やっとリカバリーできた。ルソーははジャングルの絵を20点描いているが、これは第一作。図版でみる以上にすばらしい絵。

この絵の主役は突然起こった嵐にびっくりする虎。なんとも存在感のある虎である。うしろの横に大きく曲がる木の枝と虎を平行的に配置する構成によって、嵐の激しさと虎の動揺する様子がひしひしと伝わってくる。また、白と灰色で何本も引かれた雨の斜め線のなか、緑の葉むらの背後で輝く緋色の葉にも釘付けになる。しばらく息を呑んでみた。これは長く記憶にとどまりそう。

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2008.02.07

その六 ターナー  コンスタブル

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ロンドンの名所観光(半日)をパスして、終日美術館巡りをしたから、久しぶりのロンドンも街の賑わいを肌で感じたり店先に並ぶ商品などをじっくりみる時間がほとんどなかった。だから、お話できるのはおみやげのことくらい。

自由行動のあとの集合場所がピカデリーサーカスの近くにあるロンドン三越だったので、ここで深緑色のラベルがトレードマークのフォートナム&メイソンの紅茶(250g)を買った。昨年もトランジットで降りたヒースロー空港の免税店でもおなじものをいくつか買い込んだ。値段は£6ちょっとくらい。コーヒー党の隣の方とはちがって、コーヒーは一日2回が限度だから、紅茶は結構飲んでいる。若い頃1ヶ月ロンドンに滞在したことがあり、毎日大きなカップで熱いミルクティーを飲んだ経験が紅茶との縁をさらに深めることになった。

今回残念だったのが“スコッチ・ハウス”でカシミヤのセーターが買えなかったこと。昔、ロンドンへ出張したときはピカデリーサーカス近くのリージェント通りにあったこの店によく立ち寄ったのだが、現在は無くなっていた。古いガイドブックには今あるユニクロあたりに載っているのに、最新の本にはでてないから閉店したのだろう。本店はどこにあるのだろうか?これは次回の要チェックポイント。

ナショナル・ギャラリー(上の画像)はイギリス絵画を当然のことながら沢山展示している。でも、イギリスの画家の作品で見たい度が高いのはロセッティらラファエロ前派、ブレイク、それにターナー、コンスタブルときわめて限られている。だから、ホガース、レイノルズ、ゲインズバラ、スタッブズはどんどん通りこしてお目当てのターナーの“雨、蒸気、速度ーグレート・ウエスタン鉄道”(真ん中の画像)とコンスタブルの下の“干草車”を目指した。

二人の絵はテート・ブリテンにどっと展示してあるが、この2点はともに代表作として有名な絵。ところが、17年前、愛すべきモネとゴッホの風景画の前ではターナー、コンスタブルは影が薄く、今のレイノルズ、ゲインズバラのようにこの絵の前で足がとまることがなかった。

ターナー(1775~1851)の“雨、蒸気、速度”のもうろうとした画風は中国南宋の画家、牧谿(もっけい)の絵(拙ブログ06/11/2)やザオ・ウーキーの抽象絵画(05/1/9)を連想する。画面の真ん中に高架橋をこちらに向かってくる機関車らしきものがみえ、左には橋がうっすらと描かれている。橋と高架橋の間には船や人物がいるが形があってないような感じ。

雨が描かれた絵というと日本ではすぐ広重や北斎の浮世絵を思いつくが、西洋絵画ではこの絵しかでてこない。ターナーの風景画は影響を受けたフランスのクロード・ロランの静かな世界とちがって、雨、嵐、吹雪といった自然の力や崇高さを感じさせる情景をダイナミックに描いたものが多い。絵のタイトルのイメージがそのまま伝わってくる印象深い絵である。

これに対してコンスタブル(1776~1837)の“干草車”は目にみえたものを忠実に描いたという感じ。コンスタブルの絵は5年前、森美術館の開館記念展でみた“水門を通るボート”で開眼した。だから、この出世作である“干草車”との対面を楽しみにしていた。干草運搬用の荷車が川を渡る場面が描かれている。白の絵の具が見事にとらえた小川の流れや空に広がる雲に見入ってしまう。これぞイングランドの田園風景。絵肌の豊かなすばらしい風景画である。200%感動した。

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2008.02.06

その五 カラヴァッジョ  レンブラント  ホントホルスト

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事前準備として作った“名画必見リスト!”のなかでもとくに目に力を入れてみる画家を美術館ごとに決めていた。ナショナル・ギャラリーはティツィアーノとカラヴァッジョとレンブラント。で、今日はそのカラヴァッジョとレンブラント、そしてオランダのカラヴァッジェスキのひとり、ホントホルスト。

今、西洋絵画でその作品を全部見たいと強く願っているのはカラヴァッジョとラ・トゥール。フェルメールについてもその思いはあるのだが、こちらは人気の作品はかなり目の中に入れたので、前の二人ほど追っかけモードではない。今回の旅行でカラヴァッジョ6点(ナショナル・ギャラリー3点、ルーヴル3点)、ラ・トゥール7点(全部ルーヴル)と対面した。もう浮き浮き気分。

ここにあるカラヴァッジョ(1571~1610)の絵は上の“エマオの晩餐”、“トカゲに噛まれた少年”、“サロメ”。この美術館を過去2回訪れたが、カラヴァッジョというとウィーン美術史美にあるあの強烈な“ゴリアテの首を手にするダヴィデ”を描いた画家のイメージが強く、この3点のことはまったく知らなかった。だから、一気にリカバリーしようと夢中になってみた。

まず釘付けになるのが短縮法で描かれた右の男の大きく広げた両腕。左腕がこちらに突き出してくるようである。この男と左端の男はキリストの弟子で、真ん中のまるぽちゃ顔がキリスト。二人ははじめ一緒にいた男が復活したキリストだと気づかなかったが、エルサレム近郊のエマオ村での食卓で、男がパンに祝福を与えて裂いた瞬間、キリストであることを知る。右の男の迫真の身振りと椅子を後ろに押しやりじっとキリストを見る左の男の姿はダヴィンチの“最後の晩餐”で使徒たちが見せる驚きにも匹敵するほどの緊迫度をもっている。

テーブルやそのまわりの立体感のつくり方が実に巧み。弟子たちの身振りだけでなく、顔に光が当たるキリストは手を前に出すポーズをとっており、さらに“果物籠”(拙ブログ06/5/3)と似た質感の葡萄やイチジクが入った籠はテーブルから落ちそうに描かれている。この絵の構成は一生忘れることはないであろう。“トカゲに噛まれた少年”で驚いたのはうす青いガラスの瓶の表面にうつる窓がヤン・ファン・エイク流に細密に描かれていたこと。色々な伝統の技を使いながら、独自の表現をうみだすカラヴァッジョの才能はやはり規格外。

レンブラント(1606~1669)のいい絵をこれまで数多く鑑賞してきたが、ここは画集に載っている有名な絵がぞくぞくと目の前に現れる。“自画像”(一番壮麗だといわれるものや最晩年)、真ん中の“ベルシャザルの饗宴”、“フローラに扮したサスキア”、“水浴の女”、“ヘンドリッキュ・ストッフェルス”、“マルガレータ・デ・ヘール”など全部で13点あった。流石、質の高いコレクションである。

“ベルシャザルの饗宴”は図版ではバビロニアの王、ベルシャザルが着ている金襴のマントの装飾模様が精緻に描かれているのをイメージしていたが、実際の質感は想定の半分だった。この絵で見入ってしまうのが人の手が書く王の不幸を暗示する文字をみつめるベルシャザルの動揺した様子と隣のびっくり眼で顔が引きつっている女の表情。レンブラントは人間の揺れ動く感情表現が本当に上手い。

下はラ・トゥールの“夜の情景”に影響をあたえたといわれるホントホルスト(1592~
1656)の“大司祭の前のキリスト”。待望の絵は予想をはるかに上回る大きな絵だった。1本の蝋燭の光があたった大司祭とキリストのどちらに目がいくかというと、どうしても顔にもひじをついた左腕にも光があたる大司祭のほう。ルーヴルにあるラ・トゥールの傑作を見る前にこの絵で目慣らしをしたのは絵を見る順番としては理想的。蝋燭の光をしっかり見た。

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2008.02.05

その四 ヤン・ファン・エイク  ホルバイン  ルーベンス

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昨年プラド美術館でみたファン・デル・ウェイデンの“十字架降下”の衝撃があまりに大きかっため(拙ブログ07/3/22)、ナショナルギャラリーとルーヴルではこの画家とヤン・ファン・エイクの作品をしっかりみようと心に決めていた。ナショナルギャラリーにはこうした北方絵画の巨匠たちの作品がいくつもあるが、なかでもヤン・ファン・エイクの“アルノルフィニ夫妻の肖像”(上の画像)、ウェイデンの“読書するマグダラのマリア”がとびぬけていい。

05/8/29でも取り上げたヤン・ファン・エイク(1390~1441)の上の絵とは久しぶりの対面。何度みても左のイタリア商人の顔は好きになれないからあまりみないが、妻が着ている滑らかな衣装の緑や目が光っている犬、キラキラするシャンデリア、カーペットのスリッパなどは釘付けになってみた。

さらに、前回は関心のもちようもなかった部屋の背後の壁にかかった鏡についても、そこに映ったこちら側の光景をかすかではあるが確認した。鏡の表面の光沢感、窓から射し込む光が反射する部分の描写はまさに神業的。光沢のある油彩の性質を最大限に引き出す技法にはほとほと感心する。ファン・エイクが描いた肖像画2点、“ターバンを巻いた男”(自画像)、“若い男の肖像”は思っていたのとは異なり小さな絵だった。

真ん中はドイツのアウグスブルク生まれの画家ホルバイン(1497~1543)の代表作、“大使たち”。これはナショナルギャラリー自慢の絵である。93年から96年にかけて徹底した修復がなされたお陰で今では制作当時の色彩が蘇った。後ろのカーテンの緑が二人の男(左側はフランス人外交官で大使としてロンドンに滞在、右側はその友人のフランス教会使節)の黒と茶色の衣服を引き立て、堂々とした肖像画になっている。前見たときも印象深かったが、今回も立ち尽くしてみた。

そして、二人の男の足元に横たわる白い影の正体もちゃんと見とどけた。前はここにドクロが描かれているとはまったく知らず、“立派な肖像画だな!”で終わっていた。が、今は絵の知識がつき、この白い影が“アナモルフォーズ”(歪んだ遠近法)によって描かれたドクロだということがわかっている。で、絵の右端から見る角度を微妙に変え、ドクロをみた。手元の画集にはドクロがはっきり映っているが、自分の目にはこの70%くらいの精度でしかみえなかった。ベストポジションがあるのだろう。

この絵にはもうひとつ仕掛けがある。それは左上のカーテンの陰に小さく描かれたキリスト像。“ドクロ”が描かれているのはこの絵の主題が“メメント・モリ(死を想え)”だから。この絵が掛かっていた部屋は右手に出口があったそうだ。このため、去り際にこの絵を見ると、ドクロと左上のキリスト像が目に焼きつくようになっているという。死の影をこういう形で表現するのだから、ホルバインはものの肌触りや質感を画布から浮き立たせる卓越した描写力だけでなくその精神、知力もハイレベル。

バロックの巨匠、ルーベンス(1577~1640)の絵は大きな美術館ではどこでも大作が沢山飾ってあるが、ここもその例にもれず、“マルスから平和を守るミネルヴァ”、“ステーンの城の見える秋の風景”などの傑作が目白押し。そのなかで人気の高いのが下の“シュザンヌ・フールマン”。マネかルノワールが描いたのかとみまがうばかりのすばらしい女性画である。はじめて見たとき大きな瞳、透き通るように美しい肌の輝きに仰天した。宗教画や神話の一場面を劇的に描いた大作の多いルーベンスのなかではひときわ目立つ肖像画の傑作である。言葉を失い、しばし眺めていた。

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2008.02.04

その三 パルミジャニーノ  ブロンツィーノ  カラッチ

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ナショナル・ギャラリーはトラファルガー広場の後ろ側にある。広場のシンボルとなっているのが高さ50mの円柱の上に立つイギリス艦隊を率いたネルソン提督の像と下の4頭のライオン像。大半の観光客はこのライオン像を背景に写真を撮る(三越のライオン像はこれがモデル)。美術館の開館時間は10時。ここはルーヴルのように入館時、バッグの検査がなく、無料。ロンドンにある国立の美術館は大英博物館をはじめどこもお金はとらない。名画の数々が無料で見られるのだから、ほんとうに嬉しくなる。

作品は4つの時代区分にまとまえられて展示してある。1250~1500年(入って左側の一番奥)、1500~1600(入ってすぐの左側)、1600~1700(正面一番奥)、
1700~1900(入って右側)。部屋の数は全部で65。ここは有名な名画があちらにもこちらにもという感じで、とにかく息がぬけない。

今回紹介する絵は前回まったく知らなかったもの。上はパルミジャニーノ(1503~
1540)の“聖母子と洗礼者ヨハネと聖ヒエロニムス”で、真ん中はブロンツィーノ
(1503~1572)の“ヴィーナスとキューピットのいるアレゴリー”。いずれもマニエリスム絵画の傑作である。同じマニエリスムでもポントルモやサルトが描く作品に惹かれることはないが、この二人にはとても関心がある。

パルミジャニーノの“聖母子”はダビンチの“岩窟の聖母”と同じ部屋(左側の最初)にある。図録でみる以上に縦長の大きな絵。視線が集中するのがなんといっても左足をこちらのほうへ突き出し、右腕を後ろの幼児キリストに向かって曲げている洗礼者ヨハネ。このポーズを図録で見て“こんないい絵を見逃したなのは惜しいことをしたな”とここ5年くらいは思ってきたから、感慨深い。ウィーン美術史美での回顧展、ウフィツィ美にある“長い首の聖母”(拙ブログ06/5/28)、そしてこの絵をみたからパルミジャニーノは終了。

ブロンツィーノの“アレゴリー”にもメロメロ。青紫の布に浮かびあがるヴィーナス、キューピット、右の笑っている子供の白い肌に目を奪われる。この3人のまわりには髪をかきむしる怖い顔をした老女がいたり、仮面が置かれたりしてマニエリスムの匂いがするが、この白い肌と子供の笑顔のお陰でこの絵の前にながく立っていられる。この絵はアレゴリーの意味をあれこれ読み解く前に、まずユーモラスとエロチシズムの入り混じった不思議な空間と色の輝きを楽しむのが一番。愛の快楽には危険がつきものと教えるこのマニエリスム絵画の傑作と対面できたことは一生の思い出になる。

下の絵はマニエリスムに反発し、写生を重視したアンニーバレ・カラッチ(1560~
1609)が描いた“アッピア街道で聖ペテロに現れるキリスト”。カラッチの絵を見る機会はあまりないから、今回の美術旅行ではこの画家も重点鑑賞のひとり。これはこれまで見たなかでは最も印象深い絵。“主は何処へ行かれるのですか?”と問うペテロがキリストに“ペテロが信者を見捨てたので再び十字架に掛けられに行くところだ”と切り返えされ、あたふたとする様子がよく伝わってくる。

カラヴァッジョとの関連でカラッチの作品にたいして興味が涌いているので、次回のローマ旅行ではカラヴァッジョと共にカラッチのファルネーゼ宮殿天井画を目のなかにいれることをターゲットにしている。

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2008.02.03

その二 ティツィアーノ  ティントレット  クリヴェリ

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ナショナル・ギャラリーの2回目はヴェネツィア派。ここの自慢のひとつが色彩の魔術師、ティツィアーノ(1485~1576)のコレクション。質の高い名画が二つの部屋に8点展示してある。ここ3年くらい海外の美術館でティツィアーノのいい絵を見る機会に恵まれているが、昨年のプラド美術館(拙ブログ07/3/23)同様、ここの作品にも大いに魅了された。

上は代表作として画集に必ず載っている“バッカスとアリアドネ”。ティツィアーノとティントレットの区別がはっきりできなかった前回でもこの絵だけは目に焼きついている。強いインパクトをもって目にとびこんでくるのが赤いマントを風になびかせて動きのあるポーズをとっている若い男。酒神バッカスである。このバッカスと目を合わせているのが色鮮やかな青の衣装と赤い布のアリアドネ。こちらも右手を前につき出し、足を半歩前に出している。

これは“捨てる神あれば、拾う神あり”の場面。アリアドネを捨てたのが彼女の手助けで怪物ミノタウロスを退治した英雄テセウス。アリアドネの美貌がイマイチだったためか、テセウスは画面左に描かれた船に乗ってナクソス島を離れていく。でも、悲しむアリアドネの前に沢山のお供をつれたバッカスが現れ、すかさずプロポーズ。これって同情婚?

賑やかなお供たちはちょっとギョッとする。真ん中のサテュロスの子供は八つ裂きにした子牛の頭を引っ張っており、その隣のサテュロスは体に蛇を巻き付けている。もうひとつ気になるのがバッカスが乗る凱旋車を引く2頭のチータ。チータはこの絵を飾るフェラーラのアルフォンソの城にいたらしい。

動きのある人物表現といい、高価なウルトラマリンで描かれた目の醒めるような空の青といい、この絵は見る者の心を200%揺すぶる。再会できた幸せをかみしめている。前回記憶に薄かった作品で心を奪われたのがキルトの質感がよくでているすばらしい肖像画“青い袖の服を着た男”。これをみれたのも大収穫である。

真ん中はティントレット(1518~1596)の“天の川の起源”。この絵と“聖ゲオルギウスと竜”に対面するのを楽しみにしていた。前来たときはティントレットはティツィアーノ以上に知らなかったが、今ではこの画家の宇宙遊泳のような人物表現に非常に興味を覚えている。“天の川の起源”は画題と描き方がマッチしているなかなかおもしろい絵。天の川は英語で“ミルクの道”というが、この絵をみるとその意味がよくわかる。

裸婦はゼウスの妻ヘラで、乳を吸っているのは幼いヘラクレス。ヘラクレスがあまりに強く乳を吸うので乳があたりにとびちり、それが星になり天の川ができた。ヘラはヘラクレスがゼウスがよその女に産ませた子供とは知らずに乳をやっている。だから、嫉妬深いヘラが夫の浮気を承知していたら、天の川は生まれなかったかもしれない。

この絵はヘラとヘラクレスの二人を中心にして、放射上にゼウスや童子、鷹、孔雀、天の川の星が配されている。視線が集まるのがあの宇宙遊泳スタイルでヘラクレスを差し出しているゼウスと神々の伝令役のヘルメス。ヘルメスと左の童子は宙返り状態で、じっとみていると目が回りそうになる。

下はヴェネツィア出身の画家、クリヴェリ(1430~1494)が描いた“ツバメの聖母”。2年前訪問したミラノのブレラ美術館で、テンペラによる緻密な細部表現と金箔ずくめの額縁装飾が特徴のクリヴェリの祭壇画に開眼したが、ここでも同じような絵に目を見張らされた。この絵のほかにも“聖エミディウスを伴う受胎告知”や“大天使ミカエル”に足が止まった。これほど多くのクリヴェリの絵と遭遇するとは思ってもみなかった。

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2008.02.01

ナショナル・ギャラリー その一 ボッティチェリ  ラファエロ  フランチェスカ

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17年ぶりにロンドンとパリを訪問し、美術館巡りをしてきた。といっても個人旅行ではなく、名所観光と世界遺産、モンサンミッシェルが売りの普通のツアー旅行。このツアーは自由行動が多いので、この時間を全部美術館巡りにあてたというわけ。

名所観光も一部をパスして、絵画鑑賞をしたから、こうした一般的なツアーでも結構な数の美術館を訪問することができた。で、これからしばらくの間、西洋絵画の感想記が続く。訪問したのは次の8館。
(ロンドン)
★ナショナル・ギャラリー
★テート・モダン
★テート・ブリテン 
(パリ)
★ダリ美術館 
★ルーヴル美術館
★オルセー美術館
★クランパレ(クールベ展)
★ポンピドゥーセンター

まずはナショナル・ギャラリーにある名画から。ここへ来るのは3度目。ダヴィンチの“岩窟の聖母”やルーベンス、ホルバイン、スーラの傑作などよく覚えている作品もあるが、前回の鑑賞がなにぶん17年前だから、そのとき購入した館の図録には現在はすごく興味があっても、当時はまったく知らなかったか関心の薄い画家の作品がいくつも載っている。

そこで、昨年のプラド美術館のときと同様、見落とした作品とほかの美術本にでている作品をコピーした名画必見リストを作成し、これをひとつ々消化する作戦で館内を回った。作品が展示されている部屋が昔とは変わっているので、はじめて回っているようなもの。だから、全部見終わるのに3時間もかかった。予定を1時間オーバーしている。感動した名作を全部とはいかないが、ルネサンス期から印象派まで7回にわたって紹介したい。

ルネサンス絵画の鑑賞をライフワークにしているから、ここの名画の数々には興奮しっぱなし。上は大好きなボッティチェリ(1445~1510)の“ヴィーナスとマルス”。これはフィレンツェの大邸宅での婚礼に際して制作された室内装飾の一部で、ベンチか長持の背板とみられている。

はじめてこの絵を見たとき、眠っている軍神マルスの耳元でホラ貝を吹くサチュロスの子供のユーモラスな姿と恋人のマルスをみつめるヴィーナスの今風の美しい顔に釘付けになった。ボッティチェリの画風の特徴である優雅な線が心をとらえてはなさない。ほかにも晩年の傑作“神秘のキリスト降誕”やトンド(円形画)形式に描かれた“東方三博士の礼拝”、そして印象深い肖像画“青年の肖像”がある。

ラファエロ(1483~1520)は02年、アメリカへの流出騒動があった“聖母子”(24歳のときの作)がお目当てだったが、残念ながらどこかの美術館へ貸し出し中だった。こういうときは全身の力がぬける。また、リストに入れていた“スキピオの夢”もなかった。だが、真ん中の“アレクサンドリアの聖女カテリーナ”や“法王ユリウス二世”など6点もみれたから大満足。お気に入りのボッテイチェリとラファエロがこれほどみられるのはほかにはルーヴルとウフィツィしかない。すばらしいコレクションである。

ここには今回の美術館めぐりで重点鑑賞画家にしているピエロ・デラ・フランチェスカ
(1415~1492)の代表作が2点ある。下の“キリスト降誕”と“キリストの洗礼”。前回はまだ、フランチェスカの絵にめざめてなかったが、3年前あたりからその画風に魅せられるようになった(拙ブログ05/8/1)。だから、二つの絵を熱心にみた。

“キリスト降誕”は正方形の板に油彩で描かれている。地面には生まれたばかりのキリストが寝かせられ、横では少女のような聖母マリアがひざまずいている。この場面はほかの画家の作品でみることはよくあるが、この絵のようにキリストの後ろで天使がリュートを演奏したり、ミサの一部を歌っているのが描かれたものははじめてみた。

天使たちは村の娘そのもので、宗教画なのに当時のトスカーナ地方を描いた風俗画のような感じがして、絵の中にすっと入っていける。不思議なのが後ろの納屋の屋根に静かに止まっている本来はやかましいはずのカササギ。これはキリストの誕生で新しい世界がやってくることを暗示している。

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