ジョン・コルトレーンの「マイフェイヴァリットシングス」と見立絵
時々、クルマのなかで聴いているジョン・コルトレーンの“マイフェイヴァリットシングス”から、あることを思いついたので、今日はそのことを。
モダンジャズ界でマイルス・デイビスとともに一際大きな存在なのがサックス奏者のジョン・コルトレーン。
この巨人が演奏した数々の名曲のうち、“マイフェイヴァリットシングス”は魂の叫びがひしひしと伝わってくる“至上の愛”などと違い、柔らかい音色のソプラノサックスが美しい旋律をはじめから終わりまで奏でてくれるので、体が軽くなるくらいリラックスして聴ける曲。
ご承知のように、これは映画“サウンドオブミュージック”(1964)でジュリーアンドリュースが歌った曲。この曲の魅力はジャズの真髄である即興演奏が存分に楽しめること。はじめは明快な主旋律を繰りかえし、徐々にそれを自在に変奏していく。全部の小節を一斉に変えるわけではなく、正調と乱れが適度に混りながら進行していくので、カオス状態にはならない。それどころか、この正調を外した演奏がすごく心地いい。
横に進む曲線グラフで例えると、中心線の上下に揺れ動く曲線がはじめは太い実線で表されているが、次のゾーンに入ると、前とか真ん中とかの一部が破線に変わり、異なる線になっていく感じ。実際の演奏では、ソプラノサックスとピアノが主旋律を時に激しく、時にソフトに変容させていく。演奏がとても気持ちよく感じられるのはあの琴線にふれる旋律(例えでいうと実線)がいくら部分的には変奏(破線)されていても、いつも聴こえるような気がするから。
で、ふと頭をめぐったのが浮世絵師、鈴木春信が得意とした“見立絵”(拙ブログ07/2/8)。見立絵は故事、物語、和歌などを原案にして、絵師の同時代の風俗に置き換え、作者自身の翻訳を加えたもの。コルトレーンやピアノのマッコイ・ターナーは原曲の“マイフェイヴァリットシングス”をそのときの気分や感情で自由に変えてアドリブ演奏する。聴く者にとって、この自在な変奏はとても刺激的で、原曲以上に楽しめる。
見立絵はつい最近みた山口晃の“厩図2004”(8/20)もそうだし、カラヴァッジョの“バッカス”、グレコの“オルガス伯爵の埋葬”(3/26)、ベラスケスの“酔っ払いたち(バッカスの勝利)”(3/19)も同じ発想で描かれている。現代絵画にもある。ピカソは自分流の“ラスメニーナス”(ベラスケス)、“アルジェの女たち”(ドラクロア)、“草上の昼食”(マネ)を制作した。
また、オペラでも同じことがみられる。例えば、ヴェルディの“ナブッコ”では舞台のセットや衣装にかかる費用を節約するため、物語は古代から現代に変えて上演されたりする。登場人物は皆、現代の衣装を着て出てきたりするから、少々面くらう。これは歌劇場の運営を考えての設定変更という面も強いが、見立と同じ考えに立った演出である。
音楽は目に見えないから、コルトレーンのジャズと絵画やオペラの見立とがすぐには結びつかないが、本質的には同じ行為のように思える。
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コメント
こんにちは。
私は、マイフェバリットシングスといえば、
エルビンではなく、ロイ・ヘインズが参加した
セルフレスネスでの演奏がいちばん好きです。
主旋律が自由自在に変化していくさまは、私には
例えば、大観の生々流転を眺めているように
感じます。
投稿: 一村雨 | 2007.09.12 19:22
to 一村雨さん
ジャズのなかでマイルスのスケッチオブスペインと
コルトレーンのこの曲は美しいジャズの双璧ですね。
大観の生々流転ですか!おもしろい連想ですね。
投稿: いづつや | 2007.09.13 13:16