« 祝 石見銀山 世界遺産に登録決定! | トップページ | MOAの日本画コレクション »

2007.06.29

ハトシェプスト女王のミイラ特定!

906
907
908
昨日のニュースで、古代エジプト新王国時代第18王朝のハトシェプスト女王のミイラが特定されたことを伝えていた。エジプト考古当局の発表によると、あらたにミイラを発見したというのではなく、ミイラは1903年に“王家の谷”で発掘されていたらしい。で、今回、コンピューター断層撮影装置を使って女王のものとされてきた歯を調べたら、このミイラの臼歯の抜けた跡に合致することがわかり、女王のミイラと特定できたという。

この話しに“へぇー、あのハトシェプスト女王のミイラだったの”という専門家気取りのサプライズを覚えると同時に、“104年前に見つかっていたミイラをなぜ今頃になって、調べたの?”という素朴な疑問も涌いてくる。装置ならもっと前からあったのではないかと思うのだが。これはまた“エジプトもの”がお得意のTBSの“世界、ふしぎ発見!”が取り上げるような気がするので、そのうち詳しいことがわかるだろう。

エジプト考古当局は昨年、ツタンカーメン王の死因を科学分析で推定したばかりだが、今回も大きな発見をした。ハトシェプスト女王は有名な女王だから、上のミイラはいずれカイロにあるエジプト考古学博物館で“セティⅠ世”や“ラムセスⅡ世”のミイラの隣に置かれるのだろうか。

10年前に訪問したエジプトでハトシェプスト女王(BC1503~1482)の名がつく遺跡やモニュメントをいくつか見た。最も印象深いのがルクソール西岸のデル・エル・バハリに建てられた“ハトシェプスト女王葬祭殿”(真ん中の写真)。背後は断崖絶壁で、3層のテラス式神殿は横に長く、その均整がとれた形はとても見栄えがする。中に入れる第2テラスの奥にある柱廊の壁にはハトシェプスト女王がアメン神のお告げで生まれたという伝説やプント(現在のソマリア)への航海の様子などが描かれている。

ガイドさんの説明でよく覚えているのは女王が死んだあと王位についた甥のトトメスⅢ世がそれまで持ち続けた不満を一気に解消するため、女王の名前のカルトゥーシュ(王名枠)や像を徹底的に破壊したという話し。たしかにカルトゥーシュから女王の名前は削りとられていた。トトメスⅢ世が幼かったので、女王が実権を握っていたのだが、やはり甥っ子も大きくなると権力欲がでてきて不満が募っていたのであろう。

ルクソールの東岸で最大の見所、“カルナックのアメン大神殿”にある高さ30mの“ハトシェプスト女王のオベリスク”(下の写真)は現存する最大のオベリスク。また、すぐ近くには“横たわる女王のオベリスク”もある。この前で皆、カメラのシャッターを押していた。

エジプトへ行っていてつくづ良かったなと思う。ハトシェプスト女王のミイラが特定されたというようなビッグニュースを聞き、図録をみたり、アルバムをひっくり返したりするのも楽しいものである。

|

« 祝 石見銀山 世界遺産に登録決定! | トップページ | MOAの日本画コレクション »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ハトシェプスト女王のミイラ特定!:

« 祝 石見銀山 世界遺産に登録決定! | トップページ | MOAの日本画コレクション »