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2007.05.31

映画「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」

866親しくしている知人の方から有難いことに今、話題の映画「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」のチケットをいただいた。

気持ちの半分は劇場へでかけるつもりでいた映画を思わぬ展開で急に鑑賞することになったので、日曜日に放映された日本語吹き替えの第1作、「呪われた海賊たち」は「パイレーツ・オブ・カリビアン」のおおよその流れ、キャラクターを頭に入れようと、目、耳に力が入る。

これで、この海賊映画が一級のエンターテイメント作品であることがわかったから、大スクリーンと最新鋭の音響施設のある専門シネマ館でみる完結編はさぞかし楽しいだろうなとワクワクしてきた。

さて、完結編「ワールド・エンド(世界の果て)」である。ネタばらしは禁じ手なので、これから見る人の興味をそがない範囲で感想を述べてみたい。2作目の「デッドマンズ・チェスト」ついては全くNO情報だったため、キャラクターのイメージ変化にちょっと面食らった。館を出るときに購入したパンフレットを読んで、“ああー、本当の悪役はキャプテン・バルボッサではなくて、タコのような顔をしたデイヴィ・ジョーンズだったのか!”。この猿とタコが一緒になったような特殊メイクは気持ちが悪い。

誰がこんな顔にしたのだろう。女神カリプソ?英雄オデュッセウスを8年間も島に引き止めた島のニンフ、カリプソの話しが下敷きになっているのかもしれない。復活したカリプソの体がみるみるうちに馬鹿デカクなり、やがて石膏の像が粉々に壊されるように内から爆発して肉体は無数の蟹になる。なぜ蟹なの?そういえば、前半でも蟹が登場する。

ラスト30分くらいの海賊たちと英国艦隊の戦闘シーンが圧巻。これはすごい迫力。海賊船と艦隊が女神カリプソがつくりだした大渦巻のなかをぐるぐる回りながら、戦闘を繰りひろげるというアイデアが面白い。海賊長になったエリザベス(キーラ・ナイトレイ)と恋仲のウィル・ターナー(オーランド・ブルーム)は敵と戦いながら、永遠の愛を誓いあうという余裕の立ち回り。オーランド・ブルームは黒澤明監督がつくった傑作“7人の侍”における野武士との死闘シーンを研究したという。

この映画をみるまではジョニー・デップが演じる主人公キャプテン・ジャック・スパロウのウエートがもっと高いようにイメージしていたが、そうではなく、ジャック・スパロウ、ウィル・ターナー、エリザベス、バルボッサ、提督など各々の思惑が絡み合って場面が展開していく。ジャック・スパロウの女のような身のこなしと目の濃いメイクはオカマのキャラクター。本心を明かさず、いつもとぼけた振る舞いをする。だが、頭のなかはいつも回転している感じ。とくに腕がたつわけではないが、最後にはちゃんとデイヴィ・ジョーンズの心臓に剣を突き刺す。

“世界の果て”を目指して進む海賊船が滝に落ちていくシーンや巨大な氷河の間を通っていく場面などはスクリーンに釘付けになる。また、激しい戦闘の場面や雄大な自然を写す映像のバックに流れる交響曲風な音楽がシアター内に響き渡るので、気分がものすごく高揚する。エンターテイメント度200%、ご機嫌の映画であった。

最近は映画を見慣れていないせいか、大失敗。チケットを切るところにいた案内係が、“映画が終わっても、エンドロールの後またありますから!”と言っていたのに、スクリーンが暗くなり、俳優や製作スタッフの名前が流れているところで席を立ってしまった。なぜ、まわりの人は映画はもう終わったのに帰らないのかな?とちょっと思ったが、音楽と余韻に浸っているのだろうと気にもしなかった。

皆さん、そのあとのシーンを待っていたのである!パンフレットに記されたストーりーの最後に“10年後ー島の岬に、海賊の歌を口づさむ幼い少年とエリザベスがたたずむ。。。。”とある。“ええー?!まだ、映画は終わってなかったの!”。。こんなへまをなさらないように、くれぐれもご注意を!

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2007.05.30

あーとで候。会田誠 山口晃展

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上野の森美術館ではじまった“あーとで候。会田誠 山口晃展”(6/19まで)を楽しくみた。二人の作品をみるのは今回がはじめて。

会田誠は今年あった迷宮美術館に出演し、自分の作品で何を表現したいのかを語っていた。ブラックユーモア的な笑いにあふれる絵や、意表をつく構成に新鮮な感動を覚えた。現在、会田誠の作品は世界的に高く評価されているようだが、出品作を見て即納得。一方、山口晃の情報はほとんどない。テレビ東京が若冲の特集をやった番組に登場したので顔を覚えている程度。

会場では会田誠と山口晃の作品が交互に出てくる。今年制作された最新作がいくつかあり、現代アートの最前線を走る人気の作家ができたてホヤホヤの作品を“アートで候。とくと御覧あれ!”と披露しているようである。まず、会田誠から。

この作家は少女趣味オタクのような絵を描くが、その味付けには強い毒も入っている。ハットするのが“大山椒魚”(03年)。少女マンガに出てくるような裸の女の子がグロテスクな大山椒魚のぶつぶつの背中に肘をついたり、背びれをつかんでいる。会田はすごいセンスの持ち主だなと思わせるのはこの奇妙な取り合わせの背景に波の文様を使っていること。日本美術の伝統的な波の文様である青海波を銀でリズミカルに描いているのである。

海外の美術愛好家はこういうマンガ、装飾的な文様、まさにジャパニーズアートのエキスがつまっているような絵をみると、いっぺんに参ってしまうのではないだろうか。上も彼らが好きそうな絵で、この回顧展に合わせて制作された大作“滝の絵”(部分)。ここにはアクの強い要素は一切無く、思い々に滝から流れる水とたわむれる女子高生が大勢、明るい色調で描かれている。

現代の世相を鋭く風刺した絵“ヴィトン”に思わず笑みがこぼれる。これは東京美術倶楽部の“21世紀展”にでていた。“今年もヴィトンが豊作じゃ”のふきだしが最高にいい!まったく骨太のブラックユーモアである。笑いが止まらないのは最後のコーナーに展示されている“ポスター(全18連作)”も同様。これは見てのお楽しみであるが、小1会田誠は“平和”を描き、小6になるとピカソの泣く女で“自由な美術”まで進歩するが、中3会田誠の描く絵は“絶望”。面白い画家である。

山口晃の作品でお気に入りは下の“四天王立像・廣目天”と大作“渡海文殊”。四天王のなかではこの“廣目天”の美しさが際立っている。どうしてほかの3つもこんな調子で表現しなかったのだろうか?魅力度に差がありすぎるのが気になる。“渡海文殊”の前では声を失った。これは見事な作品。日本画の片岡球子が“葛飾北斎”などの“面構シリーズ”で一躍人気作家になったように、仏画や仏像にヒントを得た作品をどんどんつくり続けたらいいのではないかと思う。

山口独自の絵巻、風俗画、洛中洛外図風の大パノラマ画は“コロンブスの卵”みたいな作品。なんでもはじめに考えついた作家が一番エライ。金雲がたなびく中、垣間見せる街、“東京圖 広尾ー六本木”、“百貨店圖 日本橋”。ここにはちょんまげをした町人もいればネクタイをしたサラリーマンもおり、着飾った江戸の女、普通の服を着た今を生きるおばさんもいる。時間を超越し、昔の日本と現代における街の賑わいを同時に描くという発想が独創的で洒落ている。

予想以上にぐっとくる絵が沢山あった。これからの二人の作品に注目したい。なお、練馬区立美術館で“山口晃展”(8/17~9/17)が開催される。ご参考までに。

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2007.05.29

東博平常展の上村松園

275東博本館はダ・ヴィンチの“受胎告知”が展示されている(6/17まで)ので、入り口やコインロッカーのあたりは相変わらず大勢の人で混み合っている。

だが、平常展はいつもの雰囲気だから、所蔵品をじっくり楽しめる。

ほかの美術館で行われる企画展鑑賞の日程調整に追われていると、ここの平常展の展示スケジュールがどこかに消えてしまい、あわててHPをクリックすることがよくある。

さらにやっかいなのはセクション毎で展示のインターバルが異なるから、こまかく見ようとすると、結構な頻度で訪問しなくてはならない。

で、いつものように2階の国宝室から順次みた。“禅と水墨画”のところに伝狩野正信の“山水図”があった。松の木や遠景の山々が垂直に上にのびる構図は大倉集古館で5/27まで行われていた“狩野派誕生展”に出品された“観瀑図”とよく似ている。

“屏風と襖絵”と“書画”の部屋は6/3まで、特別陳列“屏風”に当てられているので、酒井抱一の“四季花鳥図巻”(巻上)などは“浮世絵”コーナーの前の部屋で展示中。“四季花鳥図巻”は蜂や黒い蝶々、紫陽花が描かれた場面がみられる。抱一画の真骨頂である気品に満ちた花鳥描写にまたまた酔いしれた。また、芦雪の“雀図扇面”もしっかりみた。この雀は正面をまっすぐ見ている。ここの作品は6/3までの展示。

この部屋に興味深い絵がでている。それは狩野山楽の“車争図屏風”。描かれているのは源氏物語の一場面。賀茂の斎院の祭礼で源氏の愛人六条御息所の牛車と正妻葵上の牛車が行き合い、行列見物の場所とりで激しく争っているところ。この絵を飾っているのは1階にある右の上村松園の“焔”を意識してのことだろうか?

“焔”は上村松園の代表作なので2年に1回くらいのペースで登場する。はじめてこの絵をみたときはすごい衝撃をうけた。この女は葵上に嫉妬の火を燃やし死に至らしめた六条御息所。後れ毛をおはぐろをつけた歯で食いしばり、振り返る凄絶な姿に一瞬たじろぐ。着物の柄には執拗な怨念を暗示するかのように紫と黄色の藤の花と大きな蜘蛛の巣が使われている。

上村松園の美人画というとすぐ、あのやわらかく雅な感じの女性をイメージするが、松園は一枚だけこんな凄味のある情念の世界を描いた。画家自身の心のうちを描きたかったのかもしれない。なお、この絵の展示は6/10まで。

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2007.05.28

琳派展の抱一、其一

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展示替えが4、5回ある琳派展(畠山記念館、6/10まで、最初の拙ブログは4/9)は1点を残し書画(31点)、工芸(24点)が全部でてきた。お目当ての琳派の名品を目の中におさめたので、ここへは当分来なくてもよくなる。

現在、展示されているのは会期中飾ってある本阿弥光悦、尾形乾山のやきもの、鹿の蒔絵硯箱、能面、そして絵画。酒井抱一の絵は今回8点展示されたが、今見られるのは“風神雷神”のみ。上は5/27まで展示されていた“月波草花図”(三幅)の真ん中、“波上名月図”。

8点見たなかでは“富士見業平図屏風”とともに心を動かされた作品である。月がとにかくデカイ。月がこんなに大きく描かれた花鳥風月画はほかに見たことがない。そして、荒々しい波頭の表現が上手。平板な月とは対照的に立体的に描かれた波頭を手前から向こうに連続させ、横に寝かせた筒があるような奥行きをつくっている。また、抱一らしいのは胡粉の白の点々で飛び散る水しぶきを美しくみせるところ。

この美術館の図録を手にしたときから公開を待っていたのが下の鈴木其一作、“向日葵図”(部分、展示は5/27で終了)。期待通りのすばらしい向日葵だった。真ん中に大きく花開いた向日葵を描き、上にはまだ咲いてない花を横向きで二つ描いている。これはぱっと見ると平面的な絵だが、よくみると、隣の葉と重ねたり、一枚の葉でも裏と表の両面から描いたりしているのですっとのびる茎のまわりは充分立体的になっている。この向日葵は忘れらない一枚になりそう。

全体の作品のなかで最も関心が高かったのが乾山の立葵と抱一の絵、其一の向日葵。で、次に狙っていたのが6/10まで展示される本阿弥光悦&俵屋宗達の“金銀泥薄下絵古今集和歌巻”。金銀泥で描かれた右左に大きくカーブする薄とその上に墨書された和歌が華やかに響き合っている。秋の時分にみると一層魅了されることだろう。ここにある宗達の絵、3点のなかでは“騎牛老子図”(6/10まで)がお気に入り。正面を向く老子を背中にのせた牛の前進する姿と体の量感表現が見事!

明日からは渡辺始興の“四季花木図屏風”が登場する。4度目の畠山詣でとなりそう。

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2007.05.27

鶴岡八幡宮の鎌倉の至宝展

860絵画鑑賞にはよく“犬も歩けば棒に当たる!”現象がある。

6/3まで鶴岡八幡宮境内にある国宝館で行われている“鎌倉の至宝展”はまさにそれ。

ここと目と鼻のさきにある鏑木清方記念館で美人画をみて、さあー帰ろうとした矢先、この展覧会のチラシが目に入った。まったくNOマークだったが、内容をみると質の高いお宝展。で、喜び勇んで入館した。

以前から知っていた国宝の蒔絵硯箱や古神宝類が今回一挙に展示されている。さらに嬉しいことに国宝館に寄託・保管されている建長寺や光明寺などが所蔵する重要な文化財もあわせて展示されているである。目の前も隣も国宝という名品揃いに気分がだんだん高揚してきた。

右は3度目の対面となる国宝“当麻曼荼羅縁起絵巻”(光明寺蔵、13世紀半ば頃の制作)。昨年、京博であった“大絵巻展”にも出品されていた。これは下巻の最終段で、極楽往生を願う姫のもとに、阿弥陀二十五菩薩が西方より飛来する場面が描かれている。

この絵巻は画面の縦が50cmと通常の絵巻に較べて大きいので、大画面を使った阿弥陀来迎の群像描写は見ごたえがある。彩色の剥落はあるが、円光背や衣装のゴールド線や唇の朱色などはまだしっかり残っている。釘付けになるのは慈愛に満ちた阿弥陀如来の前で円になり、笙、横笛、琵琶、大太鼓、銅鑼、琴を奏でたり、踊っている菩薩たちの美しい顔と生き生きとした姿態。

この段の右端には曼荼羅を掛けた室内で合掌して来迎を待つ姫と別れを悲しみ泣いている女房が描かれているのだが、姫の前に現れた3体の菩薩までしか展示されてない。スペースの関係でこうなっているのだろうが、惜しい気がする。

蓋表の咲き乱れる菊、垣、9羽の小鳥にうすピンクと緑に輝く螺鈿が用いられた豪華な硯箱(国宝)をはじめて見た。また同じく、螺鈿が施された古神宝類の太刀や矢を盛る武具、やなぐいにも目を奪われる。そして、03年、建長寺創建750年を記念した特別展(東博)にでてた“蘭渓道隆像”、“観音図”や木彫“北条時頼坐像”(建長寺蔵)、大作“被帽地蔵菩薩像”(円覚寺)と再会した。

なかでも、生きているのではと錯覚するほどよくできている“北条時頼坐像”、ちょっと官能的な雰囲気の漂う“観音図”に思わず見とれてしまった。あまり広くない展示室に至宝の数々がずらっと展示してあると圧倒される。展覧会というのは数の多さではなく、やはり数は少なくても質の高い作品が並んでいるほうが感動する。思い出に残る展覧会だった。

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2007.05.26

東芸大コレクション展の絵因果経

859東芸大美術館で開催されている“芸大コレクション展 春の名品選”(4/10~6/10)を2回見た。

前期だけでもよかったのだが、後期展示の加山又造作、“倣北宋深山凍林”を見逃すのは惜しいという気持ちを消しきれず再度の訪問となった。

この絵は同じ倣北宋山水画のなかでは一番最後に描かれた。手前左右にある怪奇的な細いとげとげしい枝に積もった雪の白が強いインパクトをもっており、遠景の垂直にのびる平べったい岩の連続する画面構成からは北宋画特有の神秘的な世界が伝わってくる。期待通りのいい絵だったから、来た甲斐があった。

あとはゆっくり国宝の“絵因果経”や修復された“小野雪見御幸絵巻”(重文)の前期とは違う画面を楽しんだ。右の“絵因果経”は釈迦の生涯を経文と絵で表現したもので、中国から入ってきた原本を手本に奈良時代の八世紀後半頃、書写されたといわれている。見てわかるように、下段に経文、上段にそれに対応する情景が描かれる。

これは竹園精舎建立のくだり。竹園精舎に入って座る釈迦の前で、王が香水入りの宝瓶をとってその水を捨て、精舎を施与する印とするところ。空を飛ぶ天女が描かれたこの場面がこの絵のなかの一番の見所。びっくりするのが顔の白さと釈迦や飛天の衣装の鮮やかな朱色や橙色。顔料の美しさがこれほど感じられる絵巻はそうない。この絵は昨年はじめ東京美術倶楽部であった名品展でもみたから、次のターゲットは醍醐寺の同類の絵(国宝)。

04年から行われた修復が終わり今回公開された“小野雪見御幸絵巻”は貴重な鑑賞体験である。後期は到着した白河院の一行を皇太后や女房たちが暖かく迎える場面。この絵のなかで惹きつけられるのが屋敷にある木々の描き方と鳥の動感表現。各場面にでてくる木は枝がしなやかに大胆に曲がっており、そのフォルムは実に個性的で力強い。そして、羽をピンとのばし、木々のまわりを軽妙に飛び交う鳥たちの描き方にも感心させられる。

絵画のほかでは、会場の真ん中に飾ってある朝倉文夫の彫刻、“つるされた猫”にドキッとする。これと高村光太郎作の厳しい面構えをした“獅子吼”をみれたのも収穫。これからもこのコレクション展を欠かさず鑑賞しようと思う。

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2007.05.25

ローランサン展 ~麗しき乙女たちの世界~

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JR鎌倉駅の西口から歩いて10分くらいのところに鎌倉大谷記念美術館(日・月曜日は休館)がある。現在、ここで開館10周年を記念した“ローランサン展~麗しき乙女たちの世界~”(6/17まで)が行われている。

近代の女性画で最も好きなのはマネとルノワール。そして、この二人と較べると興奮度はすこし下がるが、ドンゲン、ローランサン、キスリングが描く女性の絵も気に入っている。今回の記念展はローランサンの絵ばかりと思っていたが、ドンゲン、キスリングのいい絵も見れたのですこぶる機嫌がいい。

広島にいたときは、ひろしま美術館に魅せられるローランサンの絵が3、4点あったから、キャッチコピーの“麗しき乙女たち”とよく会っていた。が、最近はローランサンとの縁がうすく、2年前の“アール・デコ展”(東京都美)にでてた蓼科にある記念館蔵の2点、“読書する女”、“女と犬と猫”、ホテルニューオータニ美の“遊ぶ子供たち”(拙ブログ05/1/9)、ブリジストン美の平常展に展示してあった“二人の少女”、“手鏡を持つ女”を見たくらいなので、ローランサンのあのうすピンクや紫といった甘い世界がなかなか体のなかにとどまってくれない。

だから、今回飾られていた水彩、油彩9点との対面は感慨深かった。そして、はじめて公開されるという挿絵本、エッチング10点も熱心に見た。上はあまり大きくない絵、“帽子を被った若い娘の像”。ちょっと寂しげな美しい娘の内面を映し出すかのように顔の左から当たる日差しが印象的。再会した“遊ぶ子供たち”は9点のなかでは一番大きい絵。どの女の子も丸顔で目の描き方が生き生きしてて、“帽子の被った娘”とは対照的にこちらも楽しくなる絵。小品ながら腕に緑色の小鳥をとまらせて、じっとみつめている乙女を描いた“少女と小鳥”も心を和ませる。

下の絵はドンゲンの“羽飾り帽の婦人”。魅せられるのは鮮やかな色彩。背景の壁の青が緑、赤、青の羽飾りのついた帽子を被った裸婦の肌を浮かび上がらせている。ドンゲンの描く女性はこれまで紹介した絵(04/12/3005/4/13)のように小顔で目がぱっちりしているのが特徴。今年は国立新美術館で開催された“異邦人たちのパリ展”に出品された“スペインのショール”に続き、またドンゲンのぐっとくる絵と遭遇した。

キスリングの魅力的な“ハンモックの婦人”と会えたのは期待している“キスリング展”(横浜そごう、7/26~9/24)のプロローグかもしれない。ほかにはデュフィ、藤田嗣治、ボナールの作品もある。この展覧会は作品は30点と少ないが、一流ホテルのロビーでいい絵をみたような感じだった。流石、大谷コレクションである。

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2007.05.24

横浜美術館の水の情景展

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横浜美術館では現在、“水の情景展”が開催されている(7/1まで)。われわれのまわりに“水の情景”は色々ある。食事のとき水を飲むとか、雨のなかを傘をさして歩いたり、観光旅行で壮観な滝や美しい海の景色を眺めたりするとか。。。この展覧会には水をテーマにして創作された絵画、写真、映像などが100点展示されている。

こういうテーマ型の展覧会はタイプの異なる作品を一つにまとめる横串しを考えるのが一番難しい。今回設定されたキーワードは“たゆたう”、“動く”、“満ちる”、“水と人”の4つ。見る側は過去見たことのある絵画がこういうくくり方をされると新鮮な気持ちでまた対面し、あらためて感じ入ったという人もいれば、どうしてこの絵がここにあるの?としっくりいかない人もいる。

絵を“理解しよう”として見ている人は大体なにかしら注文をつける。元来、作品中心主義で絵は“感じる”ために鑑賞しているので、テーマとのあてはまり度とかは気にしない。“モネ、大観から現代まで”のサブタイトルに惹かれてやってきたから、お目当ての作品と対面できればそれで満足。では、チラシに使われているアサヒビール・大山崎山荘所蔵のモネの睡蓮はどうか?率直に言って、魅力度は国立新美術館にでている睡蓮(拙ブログ05/10/26)の半分。この絵は既に見ているので、はじめから期待していない。モネ好きで“大回顧展”をみた人はこちらをはしごしないほうがいい。

見ごたえのある西洋画は“動く”のところに展示してあるクールベの作品。全部で5点ある。これまで見たことがあるのは大原の“秋の海”と山梨県美の“嵐の海”。ほかの3点ははじめてみた。上の“波”は一瞬、国立西洋美のものかと思ったが、これは村内美術館蔵だった。クールベは1860年代、英仏海峡に面した海岸の風景を沢山描いており、“波”は60点あるという。クールベの波の絵は前々から好きな絵であるが、村内美の“波”のとりわけ力強い描写が心を打つ。

空はうす暗く、荒れ模様の海面はうねり、白い波頭をみせる大きな波が岸にどどーっと押し寄せる様はダイナミックで、実景そのもの。形のさだまらない波を描くのは腕のいい画家でも苦労するのに、クールベは人間にはどうすることもできない自然の大きな力を見事に表現している。リアリスム絵画の真骨頂である波の絵や“エトルタ海岸、夕日”と遭遇できたのは大きな喜び。

“満ちる”にでてくるシニャックの2点もなかなかいい。下はその一枚で装飾的な香りがする“ヴェネツィア”(アサヒビール)。これを大山崎山荘でみたとき、国内にあるシニャックの作品では西洋美にある大きな絵“サン=トロペの港”と並ぶ名作でないかと思った。うす青緑のモザイク風の小片で海と空を表し、手前右とその斜め上のヨットで奥行きをつくり、真ん中に赤の鐘楼と教会を描く構図が目にやすらぎを与えてくれる。

日本画のお気に入りは“たゆたう”に飾ってある福田平八郎の“鮎”(大分県美)と徳岡神泉の“刈田”(東近美)、“池”(京近美)。また、はじめてみた横山大観の滝の絵“雲揺ぐ”や今村紫紅の“細雨”(ともに横浜美)にも魅了された。“水”は日本人にはすっと入っていけるテーマかもしれない。心穏やかになれるいい展覧会だった。

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2007.05.23

巨匠展の奥谷博と森本草介

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日本橋三越の6階美術特選画廊で5/15~21に行われた“巨匠展 今そして未来2007”(無料)を見てきた。作品は洋画界における中心的作家8人の最新作各々2点ずつ16点しかないから、15分もあれば見終わる。8人のうち知っているのは絹谷幸二、森本草介、池口史子の3人だけ。残りの大沼映夫、大藪雅孝、奥谷博、小杉小二郎、島田章三の作品は見たことがないし、全く知らない作家だが、“巨匠展”とあるのだから、有名な画家なのであろう。

わずか2点で作家の画風にふれるのはアバウトすぎるが、絵の率直な印象を述べてみると。小杉小二郎の“追憶”は今年はじめ横浜そごうでみた有元利夫の絵がダブってくる。島田章三の平面的に描かれた“月の宴”は色を青から赤に変えるとマチスの“家族の肖像”(エルミタージュ美術館)が目の前をよぎる。

上は大変魅せられた奥谷博の“歓喜の極”(部分)。この絵をみてすぐ、昨年森美術館でみたビル・ヴィオラのビデオアートを連想した。海面の渦巻きから出てきた2羽の鷹が垂直に上昇するところは、“ミレニアムの5天使”のなかでいきなり轟音と共に男が水面から飛び出してくる場面とそっくり。かたやビデオアーティスト、かたや画家ではあるが同じことをイメージしているのは面白い。歌麿が特集されているので購入した“アート・トップ5月号”に奥谷博の作品がいくつか掲載されている。これを見るかぎり、とびつきたくなる作風ではないが、作品自体には興味がある。本物をいつか見てみたい。

この展覧会に出かけようと思った直接の動機は森本草介の作品が見たかったから。もっというと拙ブログ5/11で紹介したような女性画をまた期待してのこと。が、この期待は見事にはずれ、飾ってあったのは風景画2点。森本草介は女性の絵ばかり描いていると思っていたが、風景画も手がけていた。下の“初秋の川辺”は女性を描くときと同様、風景のスナップ写真のような超精緻な描写が特徴。本当に実景を見ている感じがする。

木々の葉や細い枝を質感たっぷりにリアルに描き、河の水面の光や空、木の反映をこれだけ見事に表現できる森本草介の絵描きとしての才能はスーパーを通り越して神技に近い。昨日取り上げたロシア絵画のなかでリアルな対象描写が見る者を惹きつけるポポフの“村の朝”とよく似た画風であるが、森本が描く風景画の細密さはこれよりも一段上で、水面の小さな揺らぎを繊細に表現し、空中にまう塵や土埃までも捉えている感じである。だんだん、森本草介の絵に嵌っていく。

なお、この巨匠展は高松三越(6/5~11)、名古屋栄三越(7/10~16)でも開催される。

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2007.05.22

サンクトペテルブルク 国立ロシア美術館展

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東京都美術館は現在開催中の“国立ロシア美術館展”(4/28~7/8)に“ロシア絵画の神髄”と銘打っている。展示されている作品をみると、なるほどその通りだなと思う。この展覧会の情報を得たとき、一番期待したのがレーピンの代表作、“ヴォルガの舟曳き”。さすがにこれはやってこなかったが、今回出品された絵画86点には心を打つ名画が沢山ある。

日本の美術館でロシア人画家の絵をみた記憶がなく、まとまった形での鑑賞体験は唯一、モスクワにあるトレチャコフ美術館の作品だけ。このときは現地のツアーガイドの説明を聞きながらの見学だったから、全部の作品をしっかりみたという実感はない。でも、図録を購入しどの絵が印象深かったかは印をつけているので、今回展示の作品の前にたつと一部の画家については画風がよみがえってきた。

まず、“移動派”の巨匠、レーピン(1844~1930)から。レーピンはセザンヌ(1839生)、ルノワール(1841)、モネ(1840)らと同世代の画家。トレチャコフでみた大作“クールスクの十字行”(1880~83)は忘れようにも忘れられない絵。馬に乗った官憲に威圧されながら大勢の民衆が宗教聖器を担いで土ぼこりの道を黙々と行進していた。

今回レーピンの絵は最も多く10点あるが、ほとんど“リムスキー=コルサコフ”、“ニコライ2世”などの肖像画。この中で一際異彩を放っているのが“何という広がりだ!”
(1903)。手をつないではしゃいでいる二人の男女は激しく波が流れる浅瀬に立っているのだろうか?リアリズム絵画とは全然イメージの異なるロマン派風の絵である。レーピンにもこんな作品があったとは!

この展覧会における最大の収穫はレーピンではなくアイヴァゾフスキー(1817~
1900)の4点。なかでも立ちつくしてしまうのが上の大作“アイヤ岬の嵐”(1875)。先に見ていた油絵を描いている友人が“すごい絵があるぞ!”と言っていた絵である。

200%魂を揺さぶられた。構図が巧み。崖に衝突し大破した船の対角線上に生き延びた水夫たちが必死にこいでいるボートを配し、この船とボートを分断するかのように左上から右下へ荒れ狂う龍の背中みたいな波がうねりあがっている。画像では海面の色が白っぽくでているが、実際は海のあのうす青みどり色。残り3枚の“天地創造”、“穏やかな海岸、凧”、“月夜”も心に響く。

下の作品はポポフ(1832~1896)の“村の朝”(部分、1861)。写真のような絵である。河で大きな石にすわり釣をしている少年の前の水面にはむこうに見える建物がくっきり映り込んでいる。水草や川岸に立ち並ぶ細い木の精緻な描写に思わず目が寄ってしまう。同様のリアルな描写に惹き込まれるのがスホデリスキーの“村の昼間”。

トレチャコフでよく覚えているシーシキンが描いた大作“冬”、“針葉樹林、晴れの日”やポレーノフの光にあふれる明るい絵、“モスクワの庭”にもぐっとくる。また、サヴラーソフの“早春”や“冬”に漂う詩的な情趣が前にもまして胸を打つ。

予想を上回るすばらしい作品の数々にハイテンション状態が最後までつづいた。東京都美に感謝々である。

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2007.05.21

ロシア皇帝の至宝展

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これまで見た王冠や首飾りなどの宝飾品で、ため息がでるほど煌いていたのはイスタンブールのトプカプ宮殿、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館、モスクワの武器庫(クレムリン博物館)にあるコレクション。そのクレムリンのなかにある武器庫の宝物が現在、大江戸東京博物館で公開されている(6/17まで)。

“日本初公開の至宝”というキャッチコピーが効いているのか、大勢の人が来場していた。前回の江戸城展同様、年配の方が多い。8年前みたロシア皇帝のお宝はあまりにすごいので今でも目に焼きついている。そのなかでとりわけ目を楽しませてくれたものが今回出品された230点の中に含まれている。それはとびっきりのお宝“インペリアル・イースター・エッグ”。上の画像は現地で撮った写真の一枚であるが、日本にやってきたのは左の“モスクワ・クレムリンエッグ”。

50個あるイースター・エッグのうちロシアにあるのは10個。全部がクレムリンの武器庫にあり、サイズでいえばこの“モスクワ・クレムリンエッグ”が一番大きい。これはロマノフ王朝最後の皇帝、ニコライ2世が1906年のイースター(復活祭)のとき、妻アレクサンドラに贈ったもの。ニコライ2世の父、アレキサンドル3世が1885年からはじめた妻や母親への贈り物“イースター・エッグ”を製作したのは最高の宝飾職人、ファベルジュ。

毎年つくられるエッグのなかに、ファベルジュは動く白鳥など思いがけない仕掛けを施し、皇帝夫妻をサプライズさせたが、“クレムリンエッグ”では大聖堂を表す卵の窓に光をあてると聖堂内部を描いた絵が浮かび上がるようになっている。また、下の台の中にはオルゴールがあり、ぜんまいを巻くと復活祭を祝う歌が流れてくる。このイースター・エッグが日本で見られるのだから、これだけでこの展覧会は二重丸。

宝石類でキラキラ度NO.1は下の“パナギア・聖母の眠り”。これは17世紀後半につくられたロシアの最高聖職者の胸章で、真ん中の緑の大きなカメオ(12世紀、ビザンチン)の金の枠に飾られたエメラルド、サファイア、ルビー、トルマリンがまばゆいばかりに輝いている。また、武器庫の図録に載っている“皇帝ピュートル1世の胸間十字架”の豪華なエメラルドにも釘付けになる。

造形的にハットさせられるのは“女性の胸像の形をした水差し”とか“大盃・メロン”。そして、皇帝の威光を見せつけるのが肘掛に双頭の鷲が彫られた“皇帝パーヴェル1世の玉座”と金の錦地の縁取りにオコジョの毛皮が使われた“戴冠式用マント”。マントの長さは4.6mもある。一体、何匹のオコジョが殺されたのだろうか。

今回展示してあるのは垂涎もののコレクションのほんの一部だが、“クレムリンエッグ”や“胸間十字架”がみられるだけでもすごいこと。大満足のお宝展だった。

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2007.05.20

橋本関雪の馬と竹内栖鳳の海幸

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銀閣寺のすぐ近くに日本画家、橋本関雪(1883~1945)が30年かけてつくりあげた“白沙村荘”と記念館があったのでは寄ってみた。広い敷地につくられた庭は平成
15年、国の名勝に指定され、“紅葉の隠れ名所”として密かな人気を呼んでいるという。鯉がいる芙蓉池や関雪が妻のためにつくったという茶室、画室をぐるっとみたあと、導線の最後に橋本関雪の絵が展示してある記念館にたどりつく。

展示室はあまり広くなく、掛け軸、屏風、下絵などが10点あまりでていた。定期的に所蔵の作品を入れ替えているようだ。現在でているのでいいなと思ったのが上の屏風絵“猟”(1915)。関雪の古典画には馬がよくでてくるが、こういう勢いよく疾走する馬が描かれたのをみるのははじめて。獲物を射止めようと弓矢をひきしぼった中国人と馬が一体になって前進する場面が生き生きと表現されている。

この絵のとなりに関雪が19歳のときに描いたという“達磨大師”があった。もう何年も絵描きをやっている者が描いた感じで、二十歳ちかくで描いた絵とはとても思えない。絵で名をなした人にはもともと規格外の画技がそなわっているから、大体小さい頃からとびぬけて絵が上手い。

橋本関雪のいい絵をコレクションしているのが足立美術館(島根県安来市)と川村記念館、そして広島のウッドワン美術館。川村にある大きな屏風絵、“琵琶行”や“木蘭”と広島県廿日市市にあるウッドワン美術館蔵の“片岡山のほとり”がこれまでみたなかでは最も印象深い。また、亡くなる3年前に制作された“防空壕”(東近美)のエキゾチックな女性が強く心に残っている。ずっと待っているがなかなか会えないのが代表作といわれる“玄猿”(東芸大美)。このクロテナガザルといつ対面できるだろうか?

今回の京都美術旅行で心を揺すぶられた京近美の平常展(6/3まで)のことを少し。下は竹内栖鳳の“海幸”。栖鳳の描く生き物の絵からは匂いが感じられるといわれるが、この絵をみているとそれを実感する。二匹のエビはピンピンしている。しみじみ見たのは池田遙邨の“朧夜”。前々からお気に入りの絵である。青一色で描かれた夜の田んぼ。その田んぼと田んぼの間の細い道にいる狐が心をかきむしる。5点ある徳岡神泉の作品では“筒井筒”がぐっとくる。

洋画にもいい絵があった。これまで見たことなかった藤田嗣治が“十字架と少女”など4点、ルドンの“若き日の仏陀”、エルンストの“博物誌”とマチスの有名な“ジャズ”。たまにしか見れない所蔵品なのにとても惹きつけられる作品と遭遇できたのはラッキーだった。

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2007.05.19

銀閣寺&醍醐寺

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京都は毎年2,3回訪問し、美術館に行ったり、お寺巡りをしている。有名な寺院や神社は大体まわったが、数が多いのでまだ事前予約がいる桂離宮、苔寺、修学院離宮や醍醐寺などが残っている。で、今回は相国寺から近い銀閣寺と醍醐寺を訪ねた。

この時期は修学旅行が真っ最中なのか、最初に出かけた銀閣寺には制服を着た中学生が沢山いた。今は男女5人で一つのグループをつくり、グループ単位で名所旧跡を回るようだ。みていると観光ガイドを兼ねたタクシーの運転手が寺を案内したり、写真を撮っている。帰りのお土産屋で千葉県から来たという男の子に、小遣いの目安があるのか尋ねると“一万円ぐらい”と言っていた。

生八橋などの試食を沢山置いているお店がやはり人気で、みんな財布を出し、2、3個買っていた。両親とか兄弟、祖母、祖父用とか算段しながら買っているのだろう。昔も今も変わらないなーと懐かしく見ていた。日本人は修学旅行からお土産を買うことをおぼえ、以後この良き風習を一生続けていく。お土産をもらうと誰しも悪い気はしない。普通のお饅頭でもわざわざ買ってきてくれたというのがすごく嬉しくて、お土産をくれた人との親密度が増すことが多い。

銀閣寺(上の画像)は過去一度来たことがあり、二層の観音殿(銀閣)はよく頭に入っているが、どういうわけか白砂を段形に盛り上げた銀沙灘や円錐台形の向月台の記憶がない。たぶん、金閣寺&銀閣寺で観音殿にしか関心がいってなかったからだろう。で、以前見た池田遙邨が描いた名画、“銀沙灘”がイメージできるよう、今回はいろいろな角度からじっくりみた。とくに惹かれるのが円錐台形。これを想いついた人の美意識というか感性は相当レベルが高い。銀沙灘は月の光を反射させるためといわれてるようだから、夜ここの空間に立つとすごく感動するだろう。

醍醐寺は地下鉄東西線の醍醐駅から歩くにはキツイ距離なので、巡回バスに乗った。ここのお目当ては国宝の五重塔(下の画像)。高さは38mと羽黒山(拙ブログ05/11/10)の30メートルを上回る。さらに屋根の上に13mの相輪がある。完成したのは951年だから、この五重塔は京都府下では最古の木造建築物。どーんと立っている感じである。これで代表的な五重塔は全部見た。東寺、法隆寺、興福寺、室生寺、瑠璃光寺(山口市)、羽黒山。醍醐寺のをみて日本の木造建築物のすばらしさを再認識した。

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2007.05.18

藤原道長展の仰天仏像!

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京博が力を入れていた仏教展シリーズは05年10月にあった“最澄と天台の国宝展”(東博では昨年3月)で打ち止めと思っていたら、まだ続き、今年は“藤原道長展”(4/24~5/27)である。

タイトルの頭に“金峯山埋経一千年記念”とある。藤原道長(969~1027)が左大臣だった寛弘四年(1007)に自ら書写した経巻を金銅製の経筒に納め、金峯山に埋納してから今年(2007)は丁度1000年に当たるのである。美術館の学芸員が特別展を考える際、こういう節目の年を記念するいうのは定番のアイデアなのだろう。そのおかげで、藤原道長をフックにした“極めた栄華・願った浄土”というテーマにそって集められた仏像、仏画、絵巻、日記、中国陶磁器、経巻、経筒・経箱など146点をみることができる。

チラシをみて是非観てみたいと思ったのは上の“千手観音坐像”(重文、大阪・安岡寺)だったが、ほかにも“わー、国宝がこんなにあるの!これもでてたの!”を連発するほど出品作は一級の文物だった。章立ては1.道長の登場、2.唐土への憧憬、3.末法思想と浄土信仰、4.平安時代の美術、5.道長、金峯山への道、6.経塚の流行と弥勒の浄土、7.道長から頼道へ、とよく練られており、何を見てもらいたいかという主催者の狙いがよく伝わってくる。京博は過去何度も仏教展を実施し、専門家や一般美術愛好家のニーズや喜ぶ作品を熟知している。流石である。

大変魅せられた作品をあげると。2章の北宋仏教美術をコピーした版画“弥勒菩薩像”(国宝)。こんなに美しい線描はみたことがない。前期に展示されていた“孔雀明王像”(国宝、仁和寺)を見逃したのは痛いが、後期にでている法隆寺のも見栄えがするいい絵。お目当ての“千手観音坐像”は4章に飾ってあった。安定感のある見事な千手観音。手は左右19本で、真ん中で手を合わせているのが2本ずつある。

下は同じ章の“不動明王坐像”(重文、京都・同聚院)。その大きさに驚愕する!!高さが2.65mある。これはチラシにのっていたが、こんな大きな不動明王だったとは。しばらく声が出ず、立ちつくしていた。この像の圧倒的な迫力と存在感はここにいないと実感できない。そして、隣にある“小島曼荼羅”(国宝、奈良・小嶋寺)もすばらしい。一度見たことがあるが、紺地に金銀泥で精緻に描かれた何体もの仏さまが整然と画面いっぱいに配置されている。ここの2点が一番のハイライトだった。

5章と6章では、道長が埋めた経筒や平安時代後期に日本各地で流行した経塚から出土した豪華な経箱、蔵王権現像、鏡像などがぞくぞくでてくる。その中には国宝が8点もある。なかでも再会したとびっきりのお宝“金銀鍍宝相華文経箱”(滋賀・延暦寺)に釘付けになった。京博が開催する仏教展はいつもすごい内容。だが、ずっしり重い図録を持ち歩くのはキツイ。心は満ち足りているが、腕は嫌がっている。

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2007.05.17

京近美の福田平八郎展

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京近美の平成19年度展覧会スケジュールに“福田平八郎展”(4/24~6/3)が載っているのを見つけたときは天にも昇る気持ちだった。作品数80点のこの大回顧展に対する期待値は昨年あった前田青邨や加山又造の回顧展と同じくらい高い。

平八郎の回顧展ははじめてではない。広島にいたとき、呉市下蒲町にある蘭島閣美術館で“雨”(東近美、拙ブログ05/7/7)や“花菖蒲”(京近美)など代表作がほとんど集結したすばらしい特別展(04年2月)と遭遇し、一気にカラリスト、福田平八郎の虜になった。今回、目を楽しませてくれたのはお目にかかれる日をずっと待っていた上の“漣(さざなみ)”(大阪市立美建設準備室)のほか、蘭島閣美では展示会場の関係で出品されなかった大作屏風など。

待望の“漣”との対面である。予想以上に大きな絵。美術好きの人がこの絵をタイトルを知らないでみたら、10人いれば10人が現代アーティストの作品と思うのではないだろうか。銀地の屏風に描かれているのは群青の線で表現された波だけ。青の横線は手前のほうは途切れ々で余白が多いのに対し、上にむかうにつれ密になり、横にのび、前後で交差するようになる。同時に群青の深みも増していく。銀と青の組み合わせは装飾的な感じで、じっとみていると風に揺れてできる美しい漣に吸い込まれそうになる。日本画に新風を吹き込んだこの絵が発表されたとき、最初は理解されず、評論家からは“浴衣の模様のようだ”と言われたらしい。

平八郎は写生の虫で、とにかく自然を写生し続け、生き物や草花を生き生きと表現しようとした。でも、その自然の対象をそのまま写しとるのでなく、写生を基本にして装飾的に描いている。平八郎が写生の対象からまず感じるのは形や線よりも色彩。で、強く刺激を受けた色彩を追求していると、しぜんに対象の形をとらえることができるという。

カラリスト、福田平八郎の作品の中で惚れ込んでいるのが下の“鸚哥(いんこ)”。亡くなる10年前、73歳のときの作品である。背景の緑、黄色、青の多彩な色面構成や向き合う橙色とうす緑色の鸚哥はゴーギャンの色彩感覚を彷彿とさせる。この絵にまた会えたのが嬉しくてたまらない。同じ年に制作された“筍”の色使いにも気分がハイになる。今回、“漣”とともに大収穫だったのが筍と竹が描かれた大きな絵、“竹”。無地のバックに青、緑、土色のうすい色調を使い様式化された竹の幹と鮮やかなえんじ色の筍がすうーっと垂直にのびている。こういういい絵を毎日眺められるコレクターが羨ましい。

このほかで心に響いたのは大作屏風の“菊”(京都市美)、体を曲げて泳ぐフォルムが綺麗な“鮎”(山種美)、抽象画のような“水”(大分県美)、愛媛県美が所蔵する“初雪”と“鴛鴦”。念願の“漣”と対面できたので、福田平八郎はひとまずお休み。しばらくは展覧会の余韻に浸っていたい。

なお、この回顧展はこのあと名古屋の松坂屋美術館(7/14~8/7)でも行われる。

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2007.05.16

若冲展 その二

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この展覧会にやってくる人たちのお目当てはもちろん“動植綵絵”30幅と“釈迦三尊像”。そのメインディッシュを堪能する前の前菜がこれまたすごい。第一会場に飾られた掛け軸や鹿苑寺大書院の障壁画は全部で27点。第二会場の33幅は既に鑑賞済みだから、作品への期待値としてはまだみたことのないこちらの方が高い。とくに大書院障壁画(重文)は水墨画の傑作といわれるものだけに目に力を入れてみた。今回全50面が一挙にみられる。

上は壁、床、違棚に描かれた“葡萄小菌図”。垂れ下がる葡萄の房やところどころ穴があいた葉の感じがうまく捉えられている。また、細い枝が変則的に折れ曲がったり、蔦の先がらせん状になる様子が実にリアル。感心するのが余白をたっぷりとり、葡萄を画面の中央からずらして配置する空間構成。小さい花弁がリズミカルに画面全体に埋め尽くされる“動植綵絵”の花の絵がミニマルアート風なのに対し、この書院の葡萄の絵はこれぞ日本の花鳥画といった感じである。

この絵と向かい合っているのが“月夜芭蕉図”。左半分に寄せて大振りな芭蕉をどんと描き、真ん中、月の姿を芭蕉の葉で隠す構図におもわず見入ってしまう。襖絵の画題は“葡萄小菌図”、“松鶴図”、“芭蕉叭々鳥図”、“菊鶴図”、“双鶏図”、“秋海棠図”、“竹図”。このなかで印象深いのが真ん中の“竹図”とアクロバティックな格好をして飛ぶ叭々鳥、そして、“捨得と鶏図”(拙ブログ06/8/20)と同じ前向きのポーズをとる鶏。

“竹図”のかなりデフォルメされた幹と葉に目が点になる。幹は椎茸でもつけたかのような節ごとに左右にゆるく曲がりながら上にのび、葉は墨で濃淡をつけた三角形の点描で表す。若冲はこんなユニークな竹をオーソドックスな葡萄や芭蕉などと一緒に配置するのである。この時代、これほど鋭い感性と豊かな想像力をもった絵師は若冲のほかには誰もいない。

下の“昇鯉図”にも魅せられる。胴体の半分が画面からはみ出すところがいい。この絵をみると若冲は広重に負けず劣らずのトリミングの名手。大感激の一枚である。“龍図”や“亀図”も同じタイプの絵。ユーモラスな絵が一点ある。それは“布袋渡河図”。布袋の顔がみえないので最初、これは何の絵?状態が続く。そのうち、布袋のお尻がイメージでき、墨の点々が腹や足の毛だとわかってくる。鶏を真正面から描いたり、布袋を後ろ向きにさせたり、若冲は色々な描き方で見る者を楽しませてくれる。

普段はみれない鹿苑寺の障壁画や初見の水墨画を沢山みれたのは大収穫。やはり京都は若冲が生まれた町、名品がごまんとある。さて、次の楽しみは東芸大美で7/7~9/9に展示される金刀比羅宮の“花卉図”(1/7)。今から、開幕が待ち遠しい。

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2007.05.15

相国寺承天閣美術館の若冲展 その一

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相国寺承天閣美術館ではじまった“若冲展”(5/13~6/3)をみてきた。13日に京都に入ったが、その日はお目当てのほかの展覧会をみて、“若冲展”は月曜日に観る作戦をとった。だが、平日でも朝からどんどん大勢の人が押し寄せてくる。とくに女性が多く、若年層から中年はもとより、年配の方も結構いる。予想を上回る若冲人気である。

無理もない。120年ぶりに若冲が描いた“釈迦三尊像”と彩色画の最高傑作といわれる“動植綵絵”(30幅、三の丸尚蔵館)が一緒に飾られるのである。一生に一度観られるかどうかという大イベントだから、誰だって見逃したくない。会期は22日と限られている。昨年3月から9月まで三の丸尚蔵館で公開された“動植綵絵”を今年は関西もしくは西日本の若冲ファンが目いっぱい楽しむ番。しかも、若冲が生きていた時代と同じ“釈迦三尊像”&“動植綵絵”という一番いい形で。もちろん、このエポック的な展覧会を熱い思いで待っていた人も全国から集まってくるだろう。

相国寺は昨年来たことがあるから寺の配置はわかっているが、美術館は工事中だったから今回はじめて入館する。会場は二つあって、お目当ての33幅が飾ってあるのは第二会場。第一会場から第二会場への導線は一方通行で、第一会場に展示してある作品を後からまた戻ってみることは出来ないので、水墨画を中心とした27点はすぐトップギアモードにしてしっかり見たほうがいい。しかも、気持ち早めの鑑賞がいいかもしれない。というのも、メインの33幅の前では混雑で列の動きがかなりゆっくりになるため、ミクロに美が宿ったこの若冲のすばらしい作品を存分にみようと思うとかなり時間を食うからである。

“動植綵絵”だけでなく“釈迦三尊像”も04年日本橋高島屋で開催された“相国寺の名宝展”で一度じっくりみていたから、事前の鑑賞シミュレーションは33幅の並べられ方と昨年の公開の際、目がまだ慣れてなかった1、2期の作品ですっとみてしまったものをもう一度しっかり単眼鏡を使ってみることだった。が、並べ方については部屋に入ってすぐ諦めた。ゆっくり33幅を見渡せる状況ではない。で、頭をお目当て作品の再鑑賞に切り変えた。

会場のあちこちで驚嘆の声が飛び交うなか、また浸りたい若冲ワールドの作品とは、“梅花小禽図”(06/6/18)&“梅花皓月図”、“牡丹小禽図”&“薔薇小禽図”&“梅花小禽図”(拙ブログ06/8/18)、そして上の“雪中錦鶏図、下の“老松鸚鵡図”(ともに部分)、一番のお気に入りの“菊花流水図”(06/8/21)。

“雪中錦鶏図”では独特のねばっこい練乳のような雪の描写に釘付けになると同時に鮮やかな緑色をした枝葉にも目を奪われる。誇らしげにお腹の赤い羽根をみせ、長い尾っぽを下にたらした錦鶏のまわりは穴があいた岩や枝を曲げてつくられる円でいっぱいのサイケデリックな空間。そして、驚かされるのが隣にいる横向きの錦鶏の毛。仔細にみると虎の毛のようだ。蕩けるようなファンタジー性と空想的なリアルさが入り混じった不思議な世界である。

“老松鸚鵡図”の緑のインコと手前にいる2羽の鸚鵡と感動の再会。緑羽のなかに使われたアクセントの赤が目にしみ、尾っぽには装飾のゴールド線をいれている。うっとりとながめてしまう鸚鵡のレース地のような羽根とともにしびれるのが嘴の先のうす青。緑と赤、うす青と白の対比をみると若冲は真正のカラリストだと思う。濃い緑と青がアールヌーボー風の画面を引き締めているのが“菊花流水図”。今回発見したのは、橙色の菊に隠れていた一羽の鳥。鳥は全部で4羽いた!

前回見足りなかった作品をとことん見た。見るたびにまた新たなイメージが涌いてくる。若冲は見る者に絵を自由に見る楽しみを与えてくれる。これが最大の魅力。小林忠学習院大学教授(千葉市美術館長)が図録のなかでいいことを書いておられる。“葛飾北斎は自らを「画狂人」と号していた。これになぞられて若冲の画人生を振り返るならば、この人は絵の道に遊び尽くした「画遊人」ではなかったか”。再度、「画遊人」若冲の心を打つ色に遊び、花や鳥の美しいフォルムと戯れられた幸せを噛み締めている。

なお、これまで書いた若冲に関する記事はカテゴリー“奇想派”にある。

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2007.05.12

世田谷時代1946ー1954の岡本太郎展

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1946-1954の岡本太郎展”を開催中(5/27まで)。

そして、川崎市にある岡本太郎美術館でも“青山時代1954-1970の岡本太郎展”(7/1まで)を行っている。

世田谷美はアクセスが悪いので、出かけるのにいつも、気が重い。岡本太郎の作品はかなり見たので、もういいかなという気持ちといや新規の作品がでてくるかもしれないという思いが交錯し、悩んでいたが、ひょんなことで友人が招待券をくれたので出かけてみた。

岡本太郎の画歴を本を読むなどして頭に入れてないから、これまで見た代表作が世田谷時代なのか青山時代なのか区別がつかなかったが、この展覧会で有名な絵は大半、世田谷時代1946-1954に制作されたものであることがわかった。

パリ留学時代に描いた作品で1945年の空襲で焼けたため、戦後再制作された“コントルポアン”(東近美)、“空間”、“痛ましき腕”が最初のコーナーにあった。蝶ネクタイのように見える赤いリボンに片腕。頭がない姿態というのはどうもしっくりこない。岡本太郎が制作した絵画や彫刻、置物、オブジェなどをおおよそ目の中にいれたあとで、“さあー、岡本太郎のどれを一番評価する?”ともし問われたなら、その答えは即座に“彫刻とオブジェ!”。

“じゃあー、絵は評価しないの?”に対しては、“赤や黄色、ピンクなどの色使いは好き。鮮やかな色の組み合わせはすばらしい。だが、角々した面とか細い三角形とか鋭利なハサミのようなフォルムはどうも好きになれない。中途半端な具象抽象画という感じ。それでも作品を見に川崎市や青山へ足を運んだのは色を楽しみたかったから”

“具体的な対象物のイメージがひとかけらもない抽象画でも美しく感じられる作品は世の中には沢山ある。岡本太郎の絵からはエネルギーとか力強さは存分に伝わってくるが、それは瞬間的な磁力の強さみたいなもの。見る者をじわじわ惹き込んでいく絵ではない。抽象っぽい具象がいろいろ描きこまれているので、いつも落ち着かない気持ちで絵を見てしまうのである”。

今回出ている代表作、“夜”(拙ブログ06/12/20)、“森の掟”(05/8/3)、東近美蔵の“夜明け”と“燃える人”のなかで最も好きなのは“夜”。岡本太郎が画面のなかに人間をまともに描いたのはこの絵しかない。このナイフを後ろに隠して立つ少女に魅せられている。“美女と野獣”とか“作家”とか“まひるの顔”のようにタイトルから人物とか動物を思わせるのがあるが、ぐっとくる絵ではない。

これらの絵よりずっと楽しいのが右の“樹人”。ラッパのような形をした樹木から人間が飛び出てきたようなシンプルな構成はストレートに題名をイメージできる。考えてみると“具象抽象画”というのは難しい絵だ。あまり具体的なイメージをもつ造形は“こりゃー何だ、子供の絵か!”と馬鹿にされるし、抽象度を上げると“抽象的に描きたいのかリアルに表現したいのかはっきりしてよ!”といわれる。

岡本太郎の絵画はこれで済みにし、これからは彫刻家、岡本太郎を愛し続けようと思う。

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2007.05.11

伝統からの創造 21世紀展

833昨年に続き、東京美術倶楽部で開催された“21世紀展”(入場無料)をみた。

この展覧会は絵や工芸品を購入しようと札を入れるコレクターのために、年に1回開かれるもので、今年で7回目をむかえる。

全国6都市を巡回し、東京は1回目(4/23~27)が終わり、今は富山美術倶楽部(5/11~12)。そのあと、大阪(5/14~16)、名古屋(5/21~23)とまわり、最後にもう一度、東京で5/25~28に開催される。

作品は日本画(70点)、洋画(40点)、工芸(35点)の3部門。ここで新作を発表する作家は現在日本の美術界で活躍するトップランナーたち。だが、工芸部門の作家ならだいたい知っているが、画家については、日展、院展とか国画展とかにでかけることがないから、日本橋三越であった“両洋の眼展”(拙ブログ2/19)のように大半は知らない作家。

主催する美術商の人たちは3年毎に出品作家の見直しをすることを決めており、今年は数名が消え、あらたに天明屋尚、町田久美、松井冬子、山口晃、会田誠など若手人気作家の作品を展示している。生理的に嫌な刺青が出てくる天明屋の絵はパスするが、俯瞰の視点とまるっこくてのびやかな輪郭線で表現する人物描写が印象的な町田久美の作品は大変気に入っている。今回出ている“睡眠”は束芋の作品を連想させる面白い絵。また、洋画部門に飾ってある会田誠の“ヴィトンエスキース”と山口晃の“旭鳳圖”にも魅せられる。

今回一番のお気に入りが洋画の巨匠、森本草介が描いた右の“窓”(10号)。3年くらい前、はじめて森本の絵を見てびっくりした。昨年でた女性の肖像画もぐっときたが、今回の作品も心に響く。一見すると一人の女性を撮った写真のようである。髪の描き方、着ている衣装、帽子、そして座っている椅子の木目の質感表現がとにかく精緻。デリケートな感情の起伏と同時にぬくもりのあるやさしさが体全体から感じられる女性の表情に吸い込まれる。現在、洋画家では森本草介の絵が一番高いといわれる。さて、今年はこの絵にどのくらいの値がつくのであろうか?

この絵の隣にあった絹谷幸二の赤とゴールドが輝く“日月日本一富士山”(10号)にも心を揺すぶられた。陶芸では、馴染みの作家の作品がずらっとあった。鈴木蔵の“志野茶碗”、武腰潤の“陶箱”、楽吉左衛門の“黒茶碗”に釘付けになる。段々この展覧会のファンになっていく。

なお、日本橋三越の本館6階美術特選画廊で、森本草介、絹谷幸二、奥谷博、池口史子らの作品による“巨匠展 今そして未来 2007”(5/15~21)が開催される。ご参考までに。

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2007.05.10

会津八一記念博物館の白隠展

8325/7から早大構内にある会津八一記念博物館で“永青文庫所蔵 白隠画の逸品展”がはじまった(6/2まで、無料)。

作品数は永青文庫蔵の14点と記念館がもっている3点をあわせた17点と少ないが、いずれもみごたえのある掛け軸で、しかも無料だから、退出するときは感謝の気持ちをこめて頭を下げたくなる。

永青文庫でみた作品46点(拙ブログ5/1)とダブらない理由がわかった。こちらに飾ってあるのは大きいものばかり。目白の永青文庫の展示室は天井が低く、スペースも広くないので、ここに大きな掛け軸を展示して6/2まで二つの美術館で白隠の書画を楽しんでもらおうという企画なのである。

書は2点のみであとは人物画。そのうち10点が観音さまを描いたもの。ほかに釈迦図、自画像、達磨図、大燈国師図、三師図がある。色々な観音さまがいるから観音さまに関する知識がふえる。ハンモックに揺られているような“一葉”観音、“楊柳”、“物見山”、“蛤蜊(はまぐり)”、“蓮池”。

右は森美術館の“日本美術が笑う展”(5/6で終了、2/2)にも出品された“蛤蜊観音図”。はじめてこの絵をみたとき、人物の描き方があまりにもおもしろいので、見入ってしまった。蛤蜊観音は絵をみてわかるように蛤蜊からでてきて、説法をする。

白隠が描く人物の顔は観音さまでも、達磨さんでも、布袋さんでも同じ特徴を持っている。丸顔だが馬面で、まんなかにある鼻がでかい。観音さまの目はやさしく細く描かれるが、笑っていないときの男は達磨さんでも高僧でも、ぎょろ目が多い。その眉毛と目ん玉はほかの部分より一段と濃い墨で描かれているから、ドキッとするくらいインパクトがある。

このちょっとおすましの観音さまの下で手をあわせている衆生の格好がなんともユーモラス。左上にいるのが龍王。皆あたまの上に蛸や海老、魚、巻貝といった海の生物を載せている。もう一枚ある蛤蜊観音図(会津八一記念館蔵)には亀や蟹、タツノオトシゴなども登場する。この絵は数多くの鑑賞体験のなかでも忘れられない一枚になりそう。

白隠は晩年には“蓮池観音図”をもっぱら描いたようだ。今回でている3点はどれも墨でぬりつぶされた地に観音さまとそのまわりをとり囲む蓮の花や葉、そして水面を描いている。ほかの仏画にみる観音さまとは一味も二味も違う観音さまとの対面はわずか30分だったが、白隠の心にぐっと近づけた楽しいひとときであった。

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2007.05.09

山種コレクション名品選

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山種美術館が開館40周年を記念して開催中の“山種コレクション名品選”は大盛況。現在は前期(4/21~6/3)で作品数は28点。そして、後期(6/6~7/16)には30点が展示される。

この展覧会を一層贅沢なものにしているのが近代日本画の名品といっしょに飾られる琳派(5点)、岩佐又兵衛(1点)の絵。今は“新古今集鹿下絵和歌巻断簡”(俵屋宗達&本阿弥光悦)と酒井抱一の優品“秋草鶉図”の2点がでており、後期には長年待っている“四季草花下絵和歌短冊帖”(宗達&光悦、18図)が全点展示されるほか、鈴木其一の“四季花鳥図”も登場する。近代日本画は既にみているので、個人的に注目しているのはこちらの方。

美術館スタッフは前期の28点を絞り込むのに苦労したにちがいない。われわれもせっかくの記念展だから、名画中の名画をみたい。でも、ここには近代日本画を代表する作家の絵が沢山あるから、あの絵も、この絵もとなると収拾がつかなくなる。で、目の前に飾れた名画を心を真っ白にして見た。

拙ブログで紹介した絵がいくつかある。横山操の“越路十景”(全10図、05/2/7)、速水御舟の“名樹散椿”(重文、05/3/9)、東山魁夷の“年暮る”(05/12/11)、奥村土牛の“醍醐”(06/3/15)、竹内栖鳳の“班猫”(重文、06/10/20)。こういう展覧会のときは言葉はいらない。ただ、絵をこころゆくまで楽しめばいい。

上は村上華岳の代表作、“裸婦図”。4/28に放送された“美の巨人たち”が取り上げていた。この“日本のヴィーナス”とはかなり昔、この美術館が茅場町にあったころ出会った。美術の教科書に載っていた絵だから、感慨深く鑑賞したのを今でもよく覚えている。1920年に制作されたこの絵と岸田劉生の“麗子微笑”(1921、重文、東博)は世界に通用する人物画ではないかと思う。

二つの絵に共通するのはダ・ヴィンチの香り。“裸婦図”は下絵の段階ではダ・ヴィンチの“レダと白鳥”を意識したかのように右足のところに鳥が描かれていたという。華岳は自分のイメージする“久遠の女性”の顔や姿態は“アジャンタ壁画”の仏画を下敷きにし、背景やまわりの構成はダ・ヴィンチの絵に想を得た。淡い色調と豊かな線描により女性を清楚で神々しく描き、まわりの風景はダ・ヴィンチのように神秘的に表現したかったのかもしれない。05年、京近美で開催された“村上華岳展”については05/5/18のブログに書いた。

下の絵は小林古径の“河風”。05年、東近美であった“回顧展”でお目にかかり、メロメロになった絵である。この絵と一緒に展示された“花”をみて、古径は鏑木清方級の美人画描きだったことを思い知った。以来、古径を勝手に“近代の勝川春章”と名づけている。

あちこち部屋を回らず、名画を至近距離からじっくり見られるのは実に気持ちがいい。後期には、御舟の“炎舞”(重文)、土牛の“鳴門”、松園の“砧”など近代日本画を代表する傑作が登場する。日本画の美しさがしみじみ感じられる極上の展覧会である。

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2007.05.08

岡島 vs 松阪、井川

829日米通算2000本安打を達成し、めでたく名球会入りしたヤンキース、松井の打撃復調を喜んでいたら、井川のマイナー降格という残念なニュースが入ってきた。

フロリダのタンパで調整するという。メジャーにもどって来るのはだいぶ先になるかもしれない。

マリナースとの試合で初回に5点をもらいながら、城島にホームランを打たれたのをきっかけに、ぼこぼこに打たれ大量失点した。ボストンとの試合でいいピッチングをしたので、この試合は井川にとって大事な試合だった。結果がだせないのだから、マイナー行きは仕方がない。

原因は色々あると思う。コントロールのいいときと悪いときが交互にくるのでは、大リーグの先発としては役目を果たせない。中4日のローテーションを年間をとおしてきちっと守り、投げる試合では5、6回までゲームをつくるのが先発の仕事である。現在、東地区で首位のボストンに7ゲームも離されているヤンキースとしては調整不足の井川をはずし、その潜在能力を出させる対応を早めにとったいうことであろう。

本人はアメリカの調整方法が日本でキャンプおよびシーズンに入ってからやっていたのと違うので、リズムがつかめないと語っている。大リーグのコーチは日本流の調整を知らないし、技術的なことを指摘するだけ。コントロールが安定していないのは井川自身が一番わかっている。昔それでさんざん苦しんだのだから。技術的なことではなく、体調づくりや調整の問題、つまり、投げ込み、走り込みが不足し、体の切れがなくいいリズムが持続しないのだろう。

レッドソックスの松阪も井川ほど悪くはないが、同じようにコントロールが不安定。日本で投げているときには見たことのないような悪球が何球もある。これも井川同様、体のバランスが崩れているからだ。松坂はこれからは日本でやっていたような走り込みを充分やると言っている。軽い調整ではなく、体をいじめぬいて、いいフォームと体の切れを取り戻そうという考えだ。結果を出すためには、本人に合ったやり方がいいに決まっている。

先発の松坂、井川とは対照的に、中継ぎのレッドソックス、岡島の調子がいい。今日も1回と1/3を投げ無失点に抑えている。4月の新人最優秀投手にも選ばれた。多くの人が予想もしなかった活躍である。その理由のひとつがあの独特の下向き投法。野茂のトルネード投法のようにこれまでの大リーグでは誰もみたことのないユニークな投げ方である。垂直にあがった腕から繰り出される球はストレートの威力が増し、チャンジアップがいいところに決まる。

思うに、この投げ方だと赤鬼みたいな怖い顔をしたジオンビーでも、投げる瞬間はその顔をみないからびびることなく自分のピッチングが出来る。打者はぶつけられるのではないかという不安な気持ちになるという。打者としては強打者の偉丈夫さを岡島に見せつけられず、逆に怪我させられるのではないかと半分体をひく気持ちで立ち向かうのだから、岡島には無形の力がそなわっていることになる。しかも岡島は中継ぎで4も5回も投げないから、バッターが岡島の投げ方に慣れるのにはかなりのゲーム数が必要。目が慣れたころにはシーズンが終わってたりして。野茂がトルネード投法と大きく落ちるフォークで打者をきりきり舞いさせたように、岡島もいい成績を残すような気がしてきた。

松坂が最強打者、ヤンキースのAロッド(現在ホームラン14本)と対戦するのをみて、野茂が大リーグ入りして、ジャイアンツのあのボンズを何度も得意のフォークで三振に討ち取ったのを懐かしく思い出した。そして、野茂のすごさをあらためて思いおこすことにもなった。四球を出し満塁になるが、最後はフォークで三振をとる。フォークボールが絶対的な武器だった。オンリーワンのフォークは誰も打てない。だから、四球をだしても、次はフォークで三振をとってくれるという安心感があった。そして、野茂の強みは強靭な体力。また、ポーカーフェイスで精神的にもタフだった。

一年目のシーズンが終わってBSが特集した番組でとても興味深いことを言っていた。自分が打たれたホームランについて笑いながら、“彼らが打つホームランは本当に綺麗ですよね!そんな風にボールの軌跡をみてました”と言う。 要するに、野茂は肝っ玉が据わっているのである。大リーグを代表する強打者に打たれるのはそんなに気にしない。次は自分の一番いい球を投げて抑えればいい。というように考えているのだ。

こういう野茂のピッチング態度と較べると、松坂の神経は細やか。もっと大胆に、打たれるのを気にせず、得意のスライダーを軸に思い切りのいいピッチングをしたほうがいいのではないかと思う。あさっての登板ではびしっと抑えてもらいたいのだが。ブリュージェイズ、大家との投げあいが楽しみ。

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2007.05.07

出光美術館の肉筆浮世絵展

828出光美術館では、日本一といわれる肉筆浮世絵コレクションが前期(4/28~5/27)と後期(5/30~7/1)の2回にわけて公開される。

そのうち、人気の高い作品8点は昨年11月にあった開館40周年記念の名品展Ⅱに展示され、多くのファンを楽しませてくれたが、コレクションの全貌が見られるのは02年の“歌麿と北斎ー浮世絵美人画名品選”以来のこと。

今回は前回の倍近い132点が展示される。会期中ずっとでているのが9点あり、残りが前・後期で配分されるから一回で見られるのは70点。図版もこれまで販売していた縦長コンパクト版から新規の作品を加え、普通のA4サイズのものに生まれ変わった。

一度目慣らしをしているので、今回の楽しみは名品のいくつかで味わった感動のリフレインと初登場の作品。肉筆浮世絵は大半、遊里風俗図と美人画。ここは菱川師宣と肉筆画した描かなかった懐月堂安度の作品の宝庫。師宣はひとりか二人の美人画と風俗画を描いたが、安度は立姿の美人画オンリー。お気に入りは師宣および弟子たちが制作した風俗画。師宣作では、着物の鮮やかな色彩と美しい文様が目を惹く“遊楽人物図貼付屏風”に釘付けになる。

この美人群像画と同じくらい感激するのが大勢の男女が踊りを楽しむ場面や遊郭の様子を描いた菱川師平作、“春秋遊楽図屏風”。右はその右隻で満開の桜に囲まれて皆がハイな気分で輪になって踊っているところ。日本にある風俗画のなかでは最高クラスの作品である。

菱川派とともにいい遊楽図を描いたのが宮川派。長春の“江戸風俗図巻”は当時の様子が生き生きと伝わってくる。屋形舟のなかでは男が遊女をはべらせて寝そべり、川岸には枝が精緻に描写された二本の柳の間に元気のいい子どもたちと女がいる。

絵の大きさに目を奪われるのが一笑の“吉原歳旦図”。男女の顔の表情をリアルに描いているのに感心する。太夫の後ろで赤い傘をもっている男は口を真一文字に結んでいるし、お供の禿はぺちゃくちゃお喋りしている感じ。面白いのはどの男たちも口もとが笑っていること。そりゃー楽しいでしょう!ニヤつく気持ちをストレートに表現した遊里図はこの絵以外に見たことがない。

肉筆美人画に関しては、勝川春章が描く女しか眼中にない。ここで5年前、“美人鑑賞図”(拙ブログ06/12/8)と出会って以来、ひたすら春章の美人画を追っかけてきた!名品は出光とMOAに集中しており、ここは5点もっている。4点を前に言葉がでない。

今回、注目していたのが北斎の肉筆画。初見の“樵夫図”にハットする。これは見てのお楽しみ。また、最後に飾ってある強い色調で描かれた歌川国久の“隅田川舟遊・雪見酒宴図屏風”をお見逃し無く。

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2007.05.06

ヴィクトリア&アルバート美蔵 浮世絵名品展

827太田記念美術館で開催中の“ヴィクトリア&アルバート美蔵浮世絵名品展”(5/1~6/26)を見てきた。

今回もギメ美展のときと同様、作品は前期(5/1~27)、後期(6/1~26)にわけて展示される。作品の数は通期だと163点で前期は94点。

V&A美は2万5千点をこえる浮世絵を所蔵しているという。今回の展示品は世界に先駆けて公開される選りすぐりの163点というのがチラシの文句。が、見ての率直な感想は期待値の半分。大英博物館が浮世絵の名品を沢山もっているから、同じイギリスの美術館、V&Aにもきっといい絵があるだろうと期待を膨らましたのがよくなかった。

ここの浮世絵を調査してそのユニークな内容が確認されたという。たしかにそう思う作品はあるが、これは専門家レベルの話しで、素人浮世絵愛好家にはそのあたりはわからない。満足度というのはあくまでも期待値との関係だから、求める作品により満足の程度は人夫々。客観的にみて作品の質が落ちるということではない。誤解のないように。ギメ美と較べての違いを言っているだけ。ギメ展を堪能された方はおそらく同じような印象をもつと思う。残念ながら“これは国内では見たこと無い風景画だな、うっとりする美人画だな!!”というのが少ないのである。

絵師ごとにふれてみると、鈴木春信(2点)は東博とおなじくらいだからとくにおどろかない。歌麿の美人画は4点あるが、アベレージクラス。でも、狂歌絵本の“画本虫撰”など3点は見てて楽しい。ユニークなコレクションとは多分こういう優品をさしているのであろう。美人画では鳥居清長は無く、色数が墨と土色2色の鳥文斎栄之作、“風流やつし源氏 朝顔”だけ。大判の2枚続とか3枚続の大画面がないのも、気分が盛り上がらない一因。

われらが北斎はどうか。これはOK。有名な“富嶽三十六景”と“諸国名橋奇覧”から通期で11点でてくる。お馴染みの“神奈川沖波裏”、“凱風快晴”、“山下白雨”が揃う。図録をみると、後期に展示される“絵本隅田川 両岸一覧”にすごく惹きつけられる。広重も定番のいい絵がある。“東海道五十三次”から“原 朝之富士”など3点、“近江八景”から“矢橋帰帆”など3点、“木曾街道”は“洗馬”など代表作が6点ある。北斎、広重の風景画はどれも摺りの状態がよく、質的には一級の浮世絵。これが一番の見所ではないだろうか。

初見でグッときたのが右の広重作団扇絵、“江戸名所見立三光 両国月之景”。手前に女性を大きく描き、背景には隅田川にかかる橋と両国の町、そして空には月をもってくる構成がきまっている。しかも青のグラデーションが目にしみる。今回とても惹きつけられる団扇絵が全部で30点ある。これは大収穫。

歌麿のいい美人画に出会えなかったのは残念だが、これはこれとして、後期には前から見たかった国貞の“二見浦曙の図”と北斎の絵本、広重の団扇絵が登場するので再度訪問することにしている。

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2007.05.05

こどもの日にちなんだ母子絵

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今日は“こどもの日”なので、子どもを描いた浮世絵をとりあげたい。ららぽーと豊洲のなかにある“UKIYO-e TOKYO”で開かれている“お母さんといっしょ展”では、作品が替わった後期(5/2~27)も前期(拙ブログ4/22)同様、春信、歌麿、国貞、国芳らの心が和む母子絵を展示している。数はスペースの関係で50点くらいと少ないが、大判を横に2枚、3枚続けた大画面などが沢山あり、太田記念館で鑑賞したときと同じような満足が得られる。

浮世絵には美人画のほかに風俗画として描かれた母親と子どもの絵がある。公文教育研究会はこの母子絵を数多く蒐集しており、03年/04年には山口県立萩美術館や太田記念館などで“遊べや遊べ!子ども浮世絵展”を開催した。これを広島にいるとき鑑賞し、母子絵の楽しさを存分にあじわった。今回は贔屓の歌麿の絵が通期で13点(公文10点、平木3点)もあるので嬉しさはダブル々といった感じである。

後期にでてきた上の“針仕事”は歌麿の画集に載っている代表作のひとつ。この絵を長いこと追っかけていた。本来は大判3枚続きの大画面に女性たちが針仕事をしているところを描いたものだが、この左の画面だけでも独立した絵として充分楽しめる。子どもが下でごそごそしているのを半分感じながら、母親は仕事に精を出し、反物を透かし見ている。反物で艶っぽい顔を隠すところがなんともにくい。

“風流子宝船”も楽しい美人と子どもの群像画。宝船に乗った子どもたちが布袋さんに描かれたり、中央にはお母さんの乳房をくわえた可愛い大黒様がいる。歌麿はこういう日常の情景をリアルにとらえて描く。歌麿が生涯私淑した春信にも“本柳屋お藤”、“夏姿 母と子”といったいい絵がある。

作品数の多いのが国貞と国芳。真ん中は国貞の揃物“子宝遊” にでてくる“髪結い”の場面。となりには“けんか”がある。母親は十歳の女の髪をいちょうまげに結ってやったり、兄弟げんかを止め、雷除けに蚊帳をつったりと大忙し。国芳でお気に入りは、破れた障子の張替えを姉娘がやる“当盛娘かた気”や小舟が鯨を追い込んだのを知り、親子で浜へかけつける様子を描いた“山海名産尽 紀州鯨”、三枚続の“摂津祷衣之玉川”。

下は千葉市美術館の鳥居清長展に出ている“牧童姿の金太郎”。ららぽ-とには清長の子ども絵は一枚もでてないので、千葉市美から特別貸し出してもらった。清長の美人画にでてくる子どもは一様に清長美人とおなじように描かれているのに対し、こうい子ども絵では一変してまるまるした可愛い童子になる。金太郎は生まれつき赤い体をしているが、これは赤には魔よけの力があるとされたから。

たまには子供尽くしの絵をみるのもいい。日本は昔から“こども天国”かもしれない。

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2007.05.04

映画「獄門島」の見立殺人

823BS2で5/1に放映された映画「獄門島」(市川昆監督)を久しぶりに楽しんだ。

映画は刑事ものや殺人ものが好きなので、金田一耕助シリーズをやっていたBS放送のラインナップに注目していた。

とくに「獄門島」をみようと思ってたのではなく、なんとなくこれをビデオしておいた。今から丁度30年前の77年に製作されたこの映画は映画館ではなく、レンタルビデオで鑑賞。でも、随分前だから、あらすじは全くといっていいくらい忘れている。

石坂浩二や渥美清が探偵の金田一耕助を演じる作品はすべてみたが、あらすじがはっきり記憶にとどまっているのは何回も観た「八墓村」くらいで、ほかの作品は「犬神家の一族」や「女王蜂」などのストーリーがごちゃまぜ。「獄門島」もみていくうちに“次は確かあの男が殺されるシーンではない!”ととんでもない勘違いをして隣の方をミスリードする始末。

記憶がとんでいる分、殺人事件の顛末がすごく新鮮でよく出来た映画だなと感心することしきり。しかも、この映画のなかに大きなサプライズがあった。昔なら心のなかで特別連鎖反応がおきることもないシーンだが、今はすごく興味深くハットするシーンがでてきたのである。その場面が好きな画家の絵と関連があるのでご紹介したい。

この話しをすると映画を懐かしく思い出される人がいるかもしれない。ストーリーの説明がメインではないのでごく簡略に。この映画のなかで決行される殺人は“見立殺人”といわれる。当時は“見立”という言葉に縁がなかった。が、今は浮世絵師、鈴木春信の“見立絵”を楽しんでいるからすぐ、“見立殺人”に前のめりになる。

浮世絵でいう“見立絵”とは昔の故事、物語、和歌などを原案として、これを絵師と同時代の風俗に見立てて(置き換えて)絵画化したもの。この映画では俳句に見立てて殺人が行われる。3人の殺しに使われるのが松尾芭蕉と宝井其角の俳句。

金田一耕助が宿を借りたお寺の一室にあった屏風にその句が張られていた。が、俳句の知識のない金田一はこの俳句に見立てて、島の大網元、本鬼頭の娘3人が殺されていくのに気づかない。ところが、ある光景をみて、俳句のなかに鍵が隠されていることにひらめくのである。それは電線にとまっている五羽の雀、七羽の雀、五羽の雀、“そうか、五、七、五、俳句だ!”。こちらも電線の雀をみて、すぐ連想する。“府中美の動物絵画の100年展にでていた芦雪の群雀図だ!”(拙ブログ4/7)。

ちなみに、“3人をこの句に見立てて殺してくれ!”と大網元、鬼頭嘉右衛門(新藤栄太郎)が死に際に、俳句仲間であった寺の和尚(佐分利信)に頼んだ俳句とは。

“うぐいすの 身をさかさまに 初音かな”(其角)ー三女の花子は逆さ吊りにされて死んでいた。犯人は和尚。 

“むざんやな 冑(かぶと)の下の きりぎりす”(芭蕉)ー二女の雪枝は崖の上に置かれた寺の吊り鐘のなかで死体となって発見された。犯人は嘉右衛門の妾、勝野(司葉子)。

“一家(ひとつや)に 遊女も寝たり 萩と月”(芭蕉)ー祈祷所のなかで絞殺された長女、月代の着物の上には、萩の花びらがふりまかれていた。犯人は勝野。

何気なしにみた映画「獄門島」がここ1年くらい熱心に見ている芦雪の絵や見立絵とつながっていたとは。My文化記号がこんな形でコラボレーションした。

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2007.05.03

千葉市美術館の鳥居清長展

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千葉市美術館で4/28から空前絶後の大鳥居清長展ー江戸のヴィーナス誕生がはじまった。会期は6/10までで、前期(4/28~5/20)、後期(5/22~6/10)で作品を一部展示替えする。作品数は267点。

全期間でずっぱりの作品が相当数あり、前期だけで210点が楽しめるから、後期はいいやという方が多いかもしれない(後期だけの展示は58点)。210点みるだけでも、かなりの体力がいる。で、作戦としては初期の作品はすこし軽くみて、清長美人がドドーとでてくる後半の展示に体力を温存したほうがいいかもしれない。

とにかく、“うわー、すごい!”と声を失うくらい感激する作品が会場をでるまでとぎれることなく続く。もうα波がフルスロットルで出ている感じで、嬉しさを通りこして、放心状態だった。東博が所蔵するいい絵が目いっぱいでていたが、シカゴ、ボストン、メトロポリタン、ホノルルといった浮世絵コレクションでは定評のある有名美術館からやってきた清長はこれを上回る超一級品。

清長に限らないが、歌麿にせよ北斎にせよ海外のブランド美術館が持っている名品によって、浮世絵に対する目が養われていくような気がする。千葉市美術館は95年の開館記念展の歌麿展、02年の大鈴木春信展、そして今回の清長展と3回も浮世絵愛好家を喜ばせてくれた。小林忠館長の奮闘に頭が下がる思いである。

鳥居清長(1752~1815)が描く美人画は天明年間(1781~89)に全盛期を迎える。今回、代表作の“当世遊里美人合”、“風俗東之錦”、“美南見十二候”がずらっとある。均整がとれた姿態とまっすぐな鼻筋をしたすずしげな顔立ちをした長身の女性はギリシャ古典美術にでてくるヴィーナスのような美しさをたたえている。

当時の女性は背がこれほど高くないのに八頭身美人に描いたのは、長崎に入ってきた異国の文物や西洋画の影響といわれている。この頃、江戸は田沼意次の開国政策によって世界に開かれていて、地中海産べっ甲のかんざしやヴェネツィアでつくられたガラスの鏡があったり、絵画では遠近法や人体図なども知られるようになっていた。浮世絵師は時代の流行や好みにポジティブな感覚をもっていたので、庶民の異国趣味に敏感に反応して八頭身美人をつくりあげたのだろう。

清長の最高傑作である“美南見十二候”で最も魅せられたのが上の“三月 御殿山の花見”(シカゴ美)。見事な美人群像画である。着物の文様の精緻な描写と鮮やかに発色した色合いにもうメロメロ。画面中央の背景には小舟を二そう描き、桜の幹を右手前と左奥に対置させ奥行きをつくる構成のなか、健康的で生き生きとした美人が思い々に今が盛りの桜を楽しんでいる。

八頭身美人とともに2枚、3枚続のワイド画面が清長の絵の特徴。美人群像の背景に遠近法を消化した風景を描き込んだこの大画面の名品が沢山ある。これは圧巻。心をとらえて離さないのが大きな屋形舟が目にとびこんでくる“隅田川船遊び”(メトロポリタン)、“大川端の夕涼”、“亀戸の藤見”、“洗濯と張り物”(以上シカゴ)、右の“吾妻橋下の涼船”(ホノルル)、“飛鳥山の花見”(東博)。

“吾妻橋下の涼船”に登場する男女は多彩なポーズで描かれ、船になかで横になっている芸者もいれば、立姿で着物のすそが風になびいている女もいる。画面に安定感を与える橋の大きな柱組の向こうに見えるうす緑の土手や揺れる水面の描写も巧みで、風景画としても充分楽しめる。

美人画のほかに“金太郎”などのすばらしい子ども絵がいくつもある。これも大収穫だった。後期の出品作がいまから待ち遠しい。

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2007.05.02

大リーグ序盤戦の日本人選手

820今日のヤンキースは前日のオーナー発言で選手・監督はぴりっとしたのか、テキサスレンジャーズに10-1とボロ勝ちした。

これで不振から脱し、上昇気流に乗ることができるか?ピッチャー陣が弱体化しているため、連勝の可能性は今のところ低い。

開幕直後、肉離れで休んだ松井は今日は5打数1安打で2打点をあげた。でも、打率は0.206と全然低い。日本のメディアは日米通算2千本安打にあと6本と書き立てるが、本人はそんなことにはあまり関心が無く、低迷するチームのことと自分の成績のことで頭がいっぱいであろう。

ヤンキースはこれまでも一つきっかけをつかむと投打が結束して勝ちだすので、今後の戦いをそう心配することもない。今の課題は一にも二にも投手陣の建て直しを図ることである。中継ぎに降格された井川が緊急登板で好投したのは痛快だった!負けが込んでいるからトーリ監督も堪え性がなく、先発をはずしたが、いまごろ“我慢が足りなかったな!”と心のなかでは反省しているにちがいない。井川は全くツイていたが、ツキも実力のうち。次回も期待を裏切らないように頑張ってもらいたい。

それにしてもNYのヤンキース vs レッドソックス戦では日本人投手が注目の的だった。松坂は4回に連続四球で点を取られたが、ほかの回は変化球のコントロールがよく、ヤンキースのなかで一番調子のいいあのAロッドや好打者アブレイユを三振にうちとるのだからたいしたもの。また、中継ぎの岡島もいいピッチングを続けている。それに井川のすばらしい投球である。日本が誇る左右のピッチャーの実力を全米に見せつけた感じで、誇らしい気持ちになった。3人はまだ、こちらのバッターに慣れている段階。かれらの打撃の特徴や弱点がつかめれば、もっといいピッチングができる。

ほかのチームに所属する選手で残念だったのがデビルレイズの岩村。開幕から打に守備に走塁にと予想以上の活躍をみせていたのに、4/23、右脇腹肉離れで故障者リストにはいってしまった。復帰には2ヶ月くらいかかりそう。また、マリナーズの城島も
4/29、ぎっくり腰になったという。その前日2号ホームランを放ってチームの勝利に貢献したばかりだったのに、重いぎっくり腰とは。ウゥーん、心配だ!

こういう怪我に見舞われた選手をみるにつけ、怪我とは無縁なイチローが輝いてみえる。イチローの体力は打撃技術同様、特別なのであろうか?大リーグ入りしてからずっとイチローのプレーをみているが、過去6年間、怪我で出場できなくなったことは一度もない。捻挫したとか、肉離れとかがないのである。これはすごいこと。試合前の入念な準備運動やシーズンオフの体の手入れや強化が今日の強靭な肉体をつくりあげているのだろう。

松井もタフさと怪我に強いことでは誰にも負けなかったが、昨年の大怪我がいまだに尾をひいてる感じ。主役のイチローと松井がフルに活躍しないと面白くない。チームの主軸選手として連日打ちまくって欲しい。

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2007.05.01

永青文庫の白隠展

367永青文庫で開催中の‘白隠展’は
4/24から後期(6/2まで)に入り、作品が半分くらい替わったので、再度でかけた。

現在は30点がでている。前期の作品とあわせると46点見たことになる。

今年は白隠(1685~1768)に縁がある。森美術館の“日本美術が笑う”(5/6まで)で9点みて喜んでいたら(拙ブログ2/2)、ここでもどっとでてきた。さらに、早稲田大学の構内にある会津八一記念博物館で5/7~6/2に行われる白隠展にここが所蔵する14点(今回出品された46点とはちがもの)が展示されることになっている。

白隠作品を最も多く所蔵しているといわれる永青文庫コレクションの60点が体のなかにはいれば、白隠の世界にかなり近づけるのではないかと今はワクワク状態。白隠の作品は3つくらいに分けられる。書、墨オンリーの仏画など、それと墨プラス部分的に色をつけた絵。

白隠の書は通りいっぺんの書ではない。漢字を造形化しているのである。例えば、“楽字”では下の木の部分を長くのばしたり、“中字”ではまんなかの線を掛け軸の下までびよっとのばす!絵画では布袋さんや文殊菩薩、観音様、達磨さんを描いたものが多いが、全体の感じはやわらかく笑いに溢れているのが特徴。

僧侶は苦労や悲しみからなかなか抜け出せない民衆を救い、幸せにするために存在しているのだから、白隠が描く仏画は口でしゃべる以上に見る者の心をなごませ、元気を与えたにちがいない。江戸時代と生活のテンポの速い現代とでは人々の悩みの質は違うとはいえ、ユーモラスな絵は何にもまして嫌なことを忘れさせてくれる。お気に入りは“お福粉挽歌”や“白澤図”。

後期のみの展示にぐっとくる肖像画が2点あった。小さな点々で表した口のまわりの髭あとが印象深い“臨済・雲門像”と右の“達磨図 どうみても”。大きな“達磨図”に
200%KOされた。顔を真横から描いた日本の人物画で魅了されるのは昨日取り上げた藤島武二の“女の横顔”、関根正二の“少年”(拙ブログ2/4)とこの白隠の“達磨図”。濃い墨で力強くひいた体の太い輪郭線に圧倒される。

白隠の絵はユーモラスな人物画だけではなかった。ますます白隠に惹き込まれる。

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