« ロカ岬とシントラ王宮 | トップページ | 山種美術館の桜 さくら サクラ展 »

2007.04.05

リスボン市内観光と万博会場跡地の賑わい

780
781
782
リスボンの市内観光で訪れる“ベレンの塔”、“発見のモニュメント”、“ジェロニモス修道院”は海のようなテージョ川の川岸に集中しているから、体も楽で効率がいい。最初の撮影タイムが上の“ベレンの塔”。これはポルトガルが輝いていた16世紀に建設された砦で、安定感のある形と海の青と塔の白のコントラストが絵になっている。中には入らなかったが、テージョ川に現れる敵を迎え撃つ砲台の跡が見られるそうだ。

ここからそう離れてないところにあるのが真ん中の“発見のモニュメント”。エンリケ航海王子の没後500年を記念して1960年につくられた。帆船をイメージしたオブジェの上に大航海時代の冒険者や偉人たちがこちら側と向こう側に27人彫られている。どちらも先頭にいるのがカラベラ船を手にしたエンリケ航海王子(1394~1460)。

こちら側ではその後に続くのが弟のフェルナンド王子、インド航路を発見したバスコ・ダ・ガマ(1469~1524)、ブラジルを発見したカブラル(1467~1520)、世界一周を達成したマゼラン(1480~1521)、喜望峰を発見したディアス(1450~1500)、日本にやってきたザビエル(1506~1552)ら。そして、向こう側には詩人のカモンイスやエンリケ王子の母などが彫られている。

モニュメントの前の広場には大理石でできた世界地図があり、海の英雄たちが発見したりたどり着いた地名と年号が記されている。喜望峰:1488年、インドのカリカット:1498年、ブラジル:1500年、日本の豊後:ポルトガル船が漂着した1541年。いうまでもなく日本とポルトガルとは長い交流の歴史がある。ポルトガル人が種子島に漂着したのが1543年、その6年後にザビエルが来日する。

日本人の現地ガイドさんがポルトガルから日本に入ってきた言葉をいろいろ教えてくれた。100以上あるという。例えば、パン、コップ、ビードロ→ガラス、パランダ→ベランダ、オブリガード/オブリガーダ→ありがとう、オンフル(肩)→おんぶする。ここでこういう話を聞くとよく覚える。

最後の訪問先、“ジェロニモス修道院”は“発見のモニュメント”と目と鼻のさきにある。印象深かったのは教会の中にバスコ・ダ・ガマとカモンイスの棺が対の形で安置されていたこと。ポルトガル人で知らないひとはいないといわれる大詩人、カモンイスのバスコ・ダ・ガマの偉業を讃える詩を読んでみたくなった。

また、修道士の食堂に飾られていた下の絵、“聖ジェロニモス”にも惹きつけられた。聖ジェロニモスは聖ヒエロニムスのことで、西方教会の四大教父のひとり。聖ヒエロニムスの絵にはいつもライオンと書物と髑髏が描かれる。ライオンがでてくるのは、聖ヒエロニムスの前に現れたライオンの足に棘が刺さっており、これをとってやると以後、この聖人に付き従うようになったという逸話があるから。そして、書物は彼が聖書をラテン語に翻訳したことを象徴的に表し、髑髏は聖人が瞑想するときの定番図像。

われわれの泊まったホテルは1998年に行われたリスボン万博会場跡地の近くにあった。今この地区はリスボンのなかでも多くの人が集まる人気のスポットだそうだ。モダンな形の建物が立ち並び、公共空間に飾られた現代アートが目を惹く。大型のショッピングモールや洒落たレストラン、そしてカジノまである。リスボンでも東京でも再開発された街は活気があり、そこには浮き浮きさせるような空気が流れている。最後のディナーで美味しいシーフードリゾットを食べたあと、バスの中から賑やかなバスコ・ダ・ガマショッピングモールの様子を見ながらホテルへ戻った。

拙スペイン・ポルトガル旅行記におつきあいいただきまして有難うございます。今回も昨年のイタリア同様、ガウディの建築物、名画がオンパレードのプラド美術館、トレドのグレコ、コルドバのメスキータ、アルハンブラ宮殿の鐘乳石飾り、セビリアのヒラルダの塔、リスボンのバスコ・ダ・ガマ橋など毎日が感動の連続でした。知識が大幅に増えたスペインにおけるイスラム文化の影響やゴヤ、ボスの絵画について、今後しばらくフォローするつもりです。これからもよろしくお願いいたします。

|

« ロカ岬とシントラ王宮 | トップページ | 山種美術館の桜 さくら サクラ展 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: リスボン市内観光と万博会場跡地の賑わい:

« ロカ岬とシントラ王宮 | トップページ | 山種美術館の桜 さくら サクラ展 »