モディリアーニと妻ジャンヌの物語展
Bunkamuraで行われている“モディリアーニと妻ジャンヌの物語展”(6/3まで)は二人の愛の悲しい結末を知っている者にとって、興味をそそられる展覧会ではなかろうか。
モディリアーニの絵を沢山観ているわけではないが、画家の人生については有名な伝記映画“モンパルナスの灯”
(1958)でおおよそ頭の中に入っている。
衝撃的なのはモディリアーニが亡くなって、2日後にジャンヌも両親の住むアパートの6階から飛び降り自殺をしてしまうこと。芸術家はあまたいるが、ロミオとジュリエットみたいに人生の幕を降ろしたのはこの二人のほかにいない。
モディリアーニの回顧展と期待していたが、これは肩透かしをくらった。ジャンヌのデッサンとか油彩がモディリアーニの作品と同じくらいある。ジャンヌの絵をみるのが目的ではないから、これはパスしてモディリアーニの油彩(16点)を中心にみた。数の予想はこの倍。でも、これほど多くまとまった形でみるのははじめてなので、目に力が入った。
昨年ここでみたモディリアーニ作品より、今回のほうが満足度は高い。お気に入りは“ベアトリス・ヘイスティングス”、“婦人像”、“女性の肖像”、“珊瑚の首飾りの女性”、“赤毛の若い娘”、右の“肩をあらわにしたジャンヌ・エビュテルヌの肖像”。
チラシに使われている“大きな帽子を被ったジャンヌ・エビュテルヌ”はモディリアーニの女性像を象徴する文化記号だが、うりざね顔と瞳の無い目の造形的な特徴が上半身のため生かしきれてない。もうひとつの手があり、腰のあたりまで描かれていたらすごくいい絵になるのだが。
この絵と較べるとじっと見ていたくなるのが黒い衣装に赤茶色の顔と手が映える“女性の肖像”。そして、青白い肌が画面の多くを占める右のジャンヌの絵もとても魅力的。男でも女でも、目に瞳が入っていると、その人物に近づきやすくなる。黒い瞳のジャンヌを描いた“赤毛の若い娘”に対し、こちらのほうが顔も丸みをおびて、画面全体が柔らかく、美しいジャンヌに仕上がっている。
現在、国立新美術館で開催中の“異邦人たちのパリ展”(5/7まで)に展示されている“デディーの肖像”は期待値を下回ったが、今回のモディリアーニは昨年みたクリーブランド美展の“女の肖像”(拙ブログ06/10/3)同様、見てていい気持ちになった。数がもっとあれば言うこと無いのだが、作品が世界中に分散していることを思えば、質の揃ったコレクションを見れたのは幸運なことかもしれない。
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コメント
こんにちは。
私も、まとまった数のモディリアーニの作品を
見たのは、本当に久しぶりだったので、嬉しかったです。
どうも、悲劇の結末を知っているので、煽られて
しまったような気もするのですが、いい展覧会でした。
投稿: 一村雨 | 2007.04.20 05:47
to 一村雨さん
モディリアーニが死の直前、ジャンヌに“天国まで
ついてきてくれないか、そこでも最高のモデルをもつ
ことができるから”と言い残したという話しを以前、
迷宮美術館でしてました。
愛する人を失った女性が後追い自殺しても、その
気持ちは心情的にはわかりますが、キリスト教の国
では神様は許してくれませんから、勇気がいること
ですね。それにしてもモディリアーニは究極の殺し
文句をはいたものです!
今回自殺を示唆するジャンヌの絵もあったりで、二人
の愛にスポットをあてた展覧会でしたね。
投稿: いづつや | 2007.04.20 14:29
いづつやさん、こんばんは
なんとっ!?モディリアーニはジャンヌにそんなことを言っていたのですか!?
それは、とても罪なことです。ましてや我が子をお腹に宿している妻にそんなことを言うとは…
それでもモディリアーニの後を追ったジャンヌは幸せだったのかしら?いや幸せであって欲しいと思ってしまいました。
そう感じた展覧会でした。
投稿: アイレ | 2007.05.09 01:36
to アイレさん
モディリアーニの殺し文句については、河出書房新社の
“迷宮美術館”(06年3月)にでています。モディリ
アーニの絵がもっとあるものと期待してましたから、
ちょっと消化不良の感があります。
でも、愛し合うジャンヌとモディリアーニの物語を二人の
絵でたどるというのは悪くないアイデアです。ジャンヌ
はモディリアーニの絵にずっと関わりたかったから死を選
んだのでしょうね。
投稿: いづつや | 2007.05.09 22:22