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2007.04.01

エボラと天正少年使節

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スペインもお隣のポルトガルも共にEU加盟国なので、ポルトガルへ入るときパスポートを提示するとかの手続きはない。バスは国境をすっとこえていく。まわりの風景もスペインとガラッと変わるわけではない。ポルトガルでもコウノトリが電線をつなぐ柱に巣をつくりペアで仲良くとまっている。この光景をカメラにおさめようと何度もシャッターを切ったが、うまく撮れたのは一枚もなかった。

幸運にも、ポルトガルの最初の訪問地、エボラのお土産屋に家の煙突に巣をつくっているコウノトリを撮った絵葉書があったので、嬉しくなって購入した。コウノトリはアフリカが暑くなるとスペインやポルトガルに渡ってきて、こちらが寒くなるとまたアフリカに戻っていくという。エボラへ着く途中、黒豚を沢山みた。この黒豚はハモンセラーノという高級生ハム用の豚で、ドングリの実だけを食べさせるそうだ。

国境から2時間くらいで到着したエボラは世界遺産になっている町。昼食をとったレストランの前にはBC1世紀頃のローマ神殿(真ん中の画像)が建っている。コルドバで“ローマ橋”を見たが、この地も大昔は古代ローマ帝国の領土だったのである。出版される度に買い込んでいる文庫本“ローマ人の物語”(塩野七生著)をそろそろ読み始めようかという気になってきた。

市内観光は二つの教会の見学と町の中心地での散策。下は13世紀に建てられた初期ゴシック様式の“カテドラル”。現地の女性ガイドさんは蚊のなくような声で英語を喋る。これは余談だが、ポルトガル人は概しておとなしい性格らしい。バルセロナからバスのハンドルを握っているポルトガル人の運転手もおとなしい。グラナダの道路でひどい駐め方をした乗用車のためバスが前に進めなかったときも、怒りを顔にあまり出さず、“しょうがない!こういうこともある”というような感じでイライラしてなかった。このガイドさんの説明もまことに静か!

カテドラルの中で大変興味深い話しがでてきた。織田信長の時代、日本から派遣された天正少年使節がエボラを訪問し、上のほうに設置してあるパイプオルガンを弾いたというのである!で、天正少年使節のことを少し調べてみた。

伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティーノが長崎を出帆したのは
1582年2月20日(天正10年1月28日)。マカオ、マラッカ、コチン、セントヘレナ島を経て一行は1584年8月11日無事、リスボンに着く。26日間リスボンに滞在したあと、9月5日にマドリードに向かった。だがポルトガルのなかでいろんな人に歓迎されて、スペインの王宮への出立が遅れたらしい。エボラでは大司教に礼を尽くさねばならず、その和服姿が喜ばれたという。少年たちはなんやかやで、8日間ここにいた。

手元の資料にはパイプオルガンのことまで出ていないが、大司教は少年たちが書いたラテン語の文章を読んで驚いたというから、彼らの高い資質をもってすれば楽器もこなせたのだろう。天正少年使節に思いを馳せながら、この小さな町をあとにした。

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コメント

一番上の写真、コウノトリの家族写真、コレを見て杉山寧の作品を思い出しました。あちらはイオニア柱の上で巣作りでしたが。

ところでいづつやさん、ちょっとお話したいことがありますので、すみませんが一度メールいただけませんか。

投稿: 遊行七恵 | 2007.04.04 21:19

to 遊行七恵さん
杉山寧の“雍”は指摘されるまで、すっかり忘れて
ました。流石ですね。現地ではコウノトリをなんとか
撮ろうと何度もトライしたのですが、バスのスピード
が速くて写真になりませんでした。

七恵さんのメールアドレスがわからないのですが、
貴ブログのどこをみればいいのでしょうか?

投稿: いづつや | 2007.04.04 22:23

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