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2007.03.31

アンダルシアの中心都市 セビリア

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スペイン観光の最後は“情熱の国”をイメージさせるアンダルシアの中心地、セビリア。人口70万人(第4位)の大都市である。スペインに関心を抱き始めたころから、セビリアはいつか訪れたいと思っていたが、やっと実現した。

セビリアを思い出させるものはいくつかある。まず、あの“♪♪フィーガロ、フィーガロ、、、”をつい口ずさみたくなるロッシーニ作曲の歌劇“セビリアの理髪師”、そして“カルメン”(ビゼー)の舞台でも有名。絵画では、ベラスケス、スルバラン、ムリーリョらがこの地に生まれている。

市内観光は“スペイン広場”からはじまる。両端に塔が立つ半円形の建物があり、池にかかる橋は手すりや支持に陶器とタイルが用いられ、なかなか豪華。この建物は有名な映画のロケに使われている。それは不朽の名作、“アラビアのロレンス”(1962年、デヴィッド・リーン監督、ピーター・オトゥール主演)で、ロレンス中尉の所属する英国陸軍カイロ司令部の建物として登場する。家にあるビデオを再生すると出てました、出てました!旅行をするといろんな情報に接することができる。

次に向かった上の“カテドラル”は予定では外から眺めるだけだったが、中で行われているミサを妨げないという注文つきで入場がOKになった。で、短い時間ではあったが金色装飾が見事な“中央礼拝堂の祭壇衝立”や4人の人物が支える“コロンブスの墓”をみてまわった。1506年、バリャドリーで54歳の生涯を閉じたコロンブスの墓は数年後にセビリアに移されたが、その後、ドミニカのサントドミンゴ、キューバの地に長くあり、
1874年にセビリアへ戻ってきた。そして1902年、この墓が完成する。

セビリアで見たかったのが真ん中の“ヒラルダの塔”。高さは98mある。イスラム教徒が支配していた時代はミナレット(尖塔)だったが、16世紀にカテドラルの鐘楼塔に改築された。ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ規模を誇るカテドラルにふさわしい立派な塔である。1248年、セビリアを征服したフェルナンドは塔の上まである階段を馬で駆け上がったそうだ。“アルカサール”(王宮)の正面入り口、赤い門で記念写真を撮ったあと、昔のイスラム文化の面影が色濃く残るユダヤ人居住区、“サンタ・クルス地区”を散策した。

セビリアは大きな街なので、クルマも多く、街中は活気がある。前日のフラメンコのディナーショーでは劇場に着くまでちょっとしたハプニングに遭遇した。ポルトガル人運転手が市内の道に慣れてなく、えらく時間を要したのである。そのお陰で街に立っている建物の特徴がすこしつかめた。円形とか球体をイメージさせる建物があまりなく、角々した四角形のフォルムのものが多い。スペインのイスラム教建築はメスキータやアルハンブラ宮殿にみられるように、丸屋根や玉葱型の屋根をもつ中近東のイスラム教建築とは違い、明確な稜線をもつ立方体と塔の組み合わせが中心となっており、この建築思想が今も引き継がれている。

はじめてフラメンコを観たのはマドリードのあまり大きくないレストラン。サングリアを飲みながら、踊り手のすぐ近くでみた記憶がある。今回は食事をしながらの観賞。フラメンコに慣れてないので、踊りの専門的なことはわからないが、何組かの踊りがすすむにつれ、踊りの構成が段々つかめてくる。と同時に出演者のなかで誰が一番上手かがわかるようになる。最初はソロか男女のペアでの踊りが続き、最後に踊り手全員が舞台に上がり、その輪の中で順番に踊っていく(下の画像)。素人目ではあるが、女性より男性の踊りのほうが体にキレがあり、洗練されていた。

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