« 国宝 伴大納言絵巻展 | トップページ | 村上豊の挿絵 »

2006.10.16

伴大納言絵巻とマザッチョの楽園追放

507
506
伴大納言絵巻は四大絵巻のなかでは一番楽しめる。応天門炎上という一大事件の背景に、きな臭い権力争いが絡んでいるとなると、これは現代だったら、新聞、TVのワイドショー、週刊誌が読者や視聴者を何週間も釘付けにできる特○ネタである。映画にだってなり、大ヒットも期待できる。

政治スキャンダルを引き起こした当事者の心の内は、現代でも100%は解明されない。応天門に火をかけたとされる伴大納言は本当に自分の意志でやったのか?それとも他の誰かに影で操つられていたのか?、そして冤罪をかけられた源信の心中はどうだったのか?絵巻のなかで、伴大納言と源信は一度しか登場しない。ともに後ろ姿で描かれている。顔をこちらに見せないのは事件をミステリアスに扱いたいからだろう。

伴大納言は上巻の最後のところで、一人斜め前方を眺めている。放火という犯罪の重さに体が押しつぶされそうな気分だったのか、それともニタッと薄笑いをしてたのであろうか?中巻に描かれた源信のほうは、後ろから少し心情を察することができる。庭に敷かれた布にひざをつき、悔しさと無念さで意気消沈といった感じである。

これに対し、主人の悲劇に過剰とも思えるほど悲しみを表しているのは妻や女房たち。嘆きの豊かな感情表現は火事を見つめる貴族や庶民たちの人物表現とともに絵巻の見せ場。二場面ある。誰もが胸をかきむしられそうになり、そして安堵するのが源信の女たち(中巻)。丸顔の女房たちは口をあけ、大声で泣いている。その声が聞こえてくるようだ。でも、赦免の知らせが入り、悲しみが喜びにかわる。止まない雨はないのだから、悲しみも長くは続かない。

上は伴大納言の女たちの嘆きの場面(下巻)。主人が流罪になるのだから、泣かずにはいられない。大罪を犯したとはいえ、長年仕えた主人は主人。画面右の女房は横向きで、顔を天井にむけて後ろに反り返らんばかりに描かれている。まんなかでは手で涙をぬぐい、左上の老女は放心状態。

はじめてこの場面を見たとき、西洋画のある絵が重なった。それはフィレンツェのブランカッチ礼拝堂でみた下のマザッチョ作、“楽園追放”(1427)。イヴが眉毛を八の字にして嘆き悲しんでいる姿は女房たちの顔の表情とよく似ている。マザッチョは後期ゴシック的な表現とは対照的に、深い内面性を肉体で表現している。

が、常磐光長はルネサンス初期のマザッチョより250年くらい前、伴大納言絵巻で女たちを同じ様に描いていた。この絵巻は本当にすごい絵。世界に誇れる傑作である。

|

« 国宝 伴大納言絵巻展 | トップページ | 村上豊の挿絵 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 伴大納言絵巻とマザッチョの楽園追放:

« 国宝 伴大納言絵巻展 | トップページ | 村上豊の挿絵 »