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2006.10.12

木喰仏の微笑み

502“仏像展”では“菩薩半跏像”のほかにもうひとつ大きな収穫があった。口許に微笑みが漂う木喰仏(もくじきぶつ)である。

今回の展覧会はチラシに大きく載っている国宝の2体にばかり関心がいき、円空や木喰が彫った仏像についてはNO情報だったから、最後のコーナーに円空仏、木喰仏が沢山飾られているのをみて嬉しくなった。宝物をまた見つけたような気持ち。

円空の木彫は昨年6月、そごうであった展覧会で堪能した(拙ブログ05/6/7)。円空仏のつぎは木喰仏だなと思っていたが、意外にはやく願いが叶えられた。

木喰の仏像は2年前、ひろしま美術館にきた“柳宗悦の民藝と巨匠たち展”ではじめて見た。わずか3点だけだったが、仏さんの満面の笑みが強く印象に残っている。このとき、柳がこの愛嬌のある仏像を世の中に知らしめたという話しを知り、美の探求者である柳宗悦の大きな仕事に頭の下がる思いがした。その木喰仏が目の前に13体もある。これほど幸せなことはない。東博はこの展覧会に相当力を入れているので、出品作は木喰仏のオールスターにちがいない。

木喰は1718年、山梨県古関村丸畑に生まれ、93歳の長寿を全うしている。22歳で仏門に入り、45歳のとき、木食戒を受け生涯、この戒を守った。木食戒とは肉食(魚を含めて)を採らず、火を通したものを一切食べないという戒のこと。木喰は60歳のころから日本全国を回りながら、木彫仏を彫りはじめるが、顔がぷくっとふくれた独自の仏像を何体もつくるようになるのは80歳以降である。

右は88歳のころの作、“十六羅漢像”。左のほっぺたが落ちそうな微笑みが実にいい。円空仏の笑っている優しい顔にも癒されるが、木喰仏の微笑には世の中の嫌なことをすべて忘れさせてくれるような力がある。柳宗悦は木喰仏について、“どこにこれほど親しげな仏があろう。誰もくつろぎながら仏と語ることができる。如何なる者でも仏の伴侶である。無学な者も貧しい者も仏のよき友達である。何も教理を説きはしない。知識を求めはしない。上人は仏教を民衆の手に贈ったのだ”と述べている。目の前にある木喰仏をじっとながめていると、この話しが腹にすとんと落ちる。

微笑に特徴のあるこれらの仏像があることを気づかせてくれた。以前、河井寛次郎の木彫像、“母子”(拙ブログ05/2/1)を楽しんだときは顔のかたちは河井のオリジナルと思っていたが、これは明らかに木喰仏にヒントを得ている。笑っている仏だけでなく、“十二神将像”や“十王座像”にみられる、スピーディにざっざっと深く彫り込んだ髪の毛、太い眉毛、そして量感のある造形にもぐぐっと惹きつけられた。毎日、心にいつまでも残る木喰仏の余韻に浸っている。

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コメント

いづつやさん、こんばんは。
連日すばらしい記事にうなっております。
明日、東博に行こうとは思っていますが、
この仏様達と、東洋館を観たら、
芸大まで、行く力が残っていなさそう・・・
木喰は、地震のあった、山越村の奥に、まだ祠の中に数体残っているそうです。復興を願って、どこへも行かずにほほえんでいる姿。それだけでもじ~んとします。

柳宗悦氏の偉業に絡んだ展覧会が続きますね。
駒沢にも近いうちに行きたいと思っています。

投稿: あべまつ | 2006.10.12 22:01

昔木喰の特集雑誌を見たことがあって、とても見たくテ仕方なかった事があります。

木喰は五穀を絶っていたそうですが、いったいそれで生きられるのかなあと思ったことです。私のような食い意地の張ったものでは到底出来ないことですね。

投稿: seedsbook | 2006.10.12 22:41

to あべまつさん
山古志村の祠に木喰仏があるのですか。辛いとき、この仏像の微笑みに
元気づけられる人も多いでしょうね。

微笑んでいる彫像はいいですね。絵の中で笑っている人物より、彫像のほう
は立体ですから、ストレートに笑いの感情が伝わってきます。木喰仏をみてる
と、“もう、なにも考えずに私のように全身で笑ってごらん”と呼びかけ
られてるような気がしてなりません。

日本民藝館の朝鮮民画は文字絵のことを多く書いたので、触れませんでしたが、
2階大展示室の正面にびっくりするほど美しい刺繍の“花鳥画”屏風が飾ら
れてます。朝鮮の人がいかにカラリストであったかがよくわかります。柳が絶賛
した絵ですから、是非ご覧になってください。

投稿: いづつや | 2006.10.12 23:40

to seedsbookさん
彫像の笑いにはギリシャ彫刻の“アルカイックスマイル”とか、クメール
時代の“アンコールの微笑み”とかありますが、“木喰の微笑み”も世界的
にアピールできるかもしれませんね。

木食戒を守るとなると、山菜やどんぐりとか栃の実なんかを食べてたのでしょ
うか。食べる欲望を絶つことくらい辛いことはありませんから、仏門には
とても入れそうにありません。木喰仏の笑いはこうした欲を捨てたから出て
きたものでしょうか?満ち足りた人間がする大笑いとは質が違いますね。

投稿: いづつや | 2006.10.13 00:01

>木喰仏の笑いはこうした欲を捨てたから出て
きたものでしょうか?満ち足りた人間がする大笑いとは質が違いますね。

なるほどそういうことかもしれません。
そうして眺めると又面白いものですね

投稿: seedsbook | 2006.10.14 01:05

to seedsbookさん
木喰仏の笑いを考えていたら、ふとある話を思い出しました。アウシュ
ビッツに収容されていて生き残ったユダヤ人がこんなことを語っています。

同じ部屋に入れられた人たちで、毎日、面白い話を順番にして、つと
めて笑うようにしていたというのです。肉体的に苦しめられ、いつ死
のガスが流れてくるかもわからないという極限状態で笑うという行為
で生きる希望をつないだといいます。お互いに相手の美しい笑い顔に
癒され、恐怖心が薄らいだことでしょう。

ユダヤ人たちの笑いと木食戒を守り、スピリチュアルな状況においた
木喰が仏に求めた笑いとは本質的に同じではないかと思いました。

投稿: いづつや | 2006.10.14 23:08

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