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2006.10.08

ウィーン美術アカデミー名品展のクラナハ

498損保ジャパン美術館で、03年、ウィーン美術アカデミーで観た絵画と再会した。

この名品展(11/12まで)の情報を得たとき、瞬間的にウィーン美術館巡りの楽しみの一つであったボスの怪奇画、“最後の審判”(三面祭壇画)がまた観られるのでは!?と胸が高鳴った。が、やがてわかった展示品にはこれは入ってなかった。やはり無理だった。

冷静に考えれば、こんな館の至宝のような絵が日本にくるわけがない。さらに残念なのはもう一つの目玉であるボッティチェリの“聖母子”もこない。

となると、再会したい絵は絞られてくるが、とにかくでかけることにした。今回は80点でている。美術アカデミーの展示部屋は各室あまり広くない。だから、展示してあるのは大作をすぐイメージするルーベンスの絵でも今回でている“三美神”のような中くらいの大きさの作品にとどまり、中・小品がほとんどを占めている。ファン・ダイクのなかなかいい絵、“15歳頃の自画像”もびっくりするくらい小さい。美術館が入場の際、無料でくれるパンフレットは大半のスペースを“最後の審判”で埋めているが、ほかにのってる4点のひとつがこの自画像。

今回、再会したかった絵はルーカス・クラナハの右の“ルクレティア”とヴェネツィア派色彩画家、グアルディの風景画。クラナハについては、工房作の“聖ドロテア”はみたかどうか自信がないが、“不釣合いなカップル”と“ルクレティア”はよく覚えている。“不釣合いなカップル”の女性に衣装にみられるように、クラナハが描く女性像はいつも模様の凝った衣装や首飾りなどの豪華な装飾品を身につけている。

深い赤が印象的な衣装の手触りのよさそうな質感を表現する精緻な筆致を目の当たりにすると、昔、ウィーン美術史美術館で衝撃を受けた“ホロフェルネスの首を持つユーディット”が目の前をよぎる。これまでの鑑賞体験で体に浸み込んだクラナハのイメージはこの“ユーディット”や“ルクレティア”、“ヴィーナス”から発せられる冷たい官能美。ラファエロやジョルジョーネらと同時代を生きた北ドイツのクラナハがどうして、当時の信仰心厚い人々の目には、とんでもないみだらで罪深いのものに映った絵を描いたのか不思議に思うことがある。

右の“ルクレティア”は自殺しようとして体に突き刺そうとする剣の先にかけ左手でつまんでいる薄いヴェールが生々しく、S字型に曲げた裸体は妖しいまでに官能的。4月に訪れたローマ、ボルゲーゼ美術館でも、古代彫刻に較べて非常に引き伸ばされたプロポーションをしたヴィーナスと蜂の巣に指を突っ込んで刺されるアモールが描かれた“ヴィーナスと蜂の巣を持つアモール”という名画に釘付けになった。

これは余談だが、ここにでているクラナハの作品をみて、西洋美術館で開催中の“ベルギー王立美術館展”の出品作がますますダメに思えてきた。損保ジャパン美はウィーン美術アカデミー所蔵品のなかでは人気NO.3のクラナハの“ルクレティア”やグアルディの“サンマルコ広場”、“ヴェネツィア運河”、そして、中作ながら色が輝いているルーベンスの“三美神”、ダイクの自画像、レンブラントの黒い衣装に見蕩れる“若い女性の肖像”など満足度の高い作品を展示している。

これに対し、ベルギー王立のほうは<ルーベンスのいいのは大きいからダメ、クラナハの図録に載っているボルゲーゼのと同じ画題の“ヴィーナスと愛”、“アダムとイヴ”は出せない、ブリューゲルのNO.1の“反逆天使の墜落”は入館者からクレームがつくから、作者が?の“イカロスの墜落”にしてください、近代絵画ではダリの“聖アントニウスの誘惑”なんてとんでもない、クノップフの“愛撫”は館の至宝ですから無理々、、、>と名画はことごとくNGだしをされてる感じである。王立はメムリンク、ハルス、レンブラント、マースももっているのにこれも出してこない。館の図録に載せてる自慢の作品を出し惜しみするような美術館なら来てもらわなくていいのだが。

海外の美術館の展覧会、とくに大きな美術館の場合、主催者のメッセージは半分くらいしか信用しない方がいい。今回のベルギー王立美術館はそのいい例である。

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