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2006.10.31

三井記念美の楽茶碗展

530今、ビッグなやきもの展があちこちで開かれている。西の京都が華麗な京焼なら、東の東京は赤と黒の芸術、楽茶碗。

三井記念美術館の開館一周年記念特別展、“楽茶碗展”(11/12まで)にも名だたる名碗が集まっている。

この展覧会は9/16から約3ヶ月のロングラン興行だが、右の長次郎作、“黒楽茶碗 銘大黒”(重文)は開幕から2週間と10/24~11/12にしか展示されないため、鑑賞のタイミングを後半の展示まで遅らせていた。

430年の伝統を誇る楽焼の作品をこんなに沢山観たのは過去にない。全部で85点ある。三井はやきものコレクションで有名なので、美術館やコレクターは協力を惜しまないのであろう、これぞ黒楽茶碗、、赤楽茶碗というのがずらっと飾ってある。初代長次郎から15代吉左衛門までの作品を通して鑑賞する機会は滅多にない。出品作のいくつかは五島美術館の“茶の湯 名碗展”(02年、05年)でもお目にかかっているので、今回は総まとめの気持ちでじっくり観た。

数では長次郎と三代道入(俗称ノンコウ)の作品が多い。長次郎は黒楽が10点、赤楽が4点。お気に入りは右の黒楽茶碗“銘大黒”、“銘俊寛”、“銘面影”、赤楽茶碗“銘無一物”。“銘大黒”は五島美では展示替えで観れなかった茶碗。千利休が所持してたもので、長次郎の黒楽茶碗では一番の名碗と言われている。腰の丸みがなんともいい。晦渋な味わいを見せる黒楽茶碗には見た目の美しさだけでなく、作者長次郎の深い精神性が感じられる。

10点ある三代道入では“黒楽茶碗 銘升”と“赤楽茶碗 銘鵺(ぬえ)”にぐっとくる。二つとも3度目の対面。いつも“銘升”の胴にみられる黒釉を掛けはずしでできた素地の黄色み部分に釘付けになる。また、“銘鵺”の刷毛で塗ったような黒の斑文が強く印象に残る。ノンコウの茶碗は光沢があり、形も四角の升のように造形的な面白さがあるので、思わず手に持ってみたくなる。胴に黄色や黒をつかってアクセントつけるのをみると、ノンコウの感性はかなりシャープ。

展示の最後に15代の作品が4点あった。15代楽吉左衛門にぞっこんなので気分は最高。丁度1年前くらいに、智美術館でみた個展の感動(拙ブログ05/10/2)が蘇ってきた。楽家歴代の作品に加え、本阿弥光悦の“黒楽茶碗 銘村雲”がある。1点だけでもこれは嬉しい展示。光悦独特の筒形の腰にすこし丸みのあるこの名品にまた心を打たれた。

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2006.10.30

京博の京焼展

529現在、京博で行われている“京焼展 みやこの意匠と技”(11/26まで)はやきもの好きにはたまらない空前絶後の大展覧会。

地元での京焼展だけに国内やイギリスの美術館および個人コレクターからよく知られた名品をありったけ集めている。

昨年10月、東博であった“伊万里、京焼展”も優品揃いだったが、今回はそのときでた名品のいくつかを再度展示し、さらに数、質共にスケールアップしたものになっているので、館内では心拍数が上がりっぱなしだった。追っかけていた作品が幸運にも見れたから、東京展の出品作と併せると、京焼については、この先当分はお休みできる。

まず、お目当ての野々村仁清から。圧巻は色絵茶壺が飾られている部屋。茶壺の代表作を一度にこれほど多く観たのははじめて。華麗な色絵装飾に頭がくらくらする。一番大きい茶壺“罌粟文(けしもん)”(出光美、展示は11/5まで、拙ブログ05/6/3)、何度観てもうっとりするほど美しい“吉野山図”(福岡市美)、長らく追っかけていてやっと会えた“山寺図”(根津美)、黒釉の器面に緑の若松、赤の梅が映える“若松図”(文化庁)、優美な作風で観る者を酔わせる“月梅図”(東博)、鳳凰が四方に配された大きな茶壺“鳳凰文”(出光)。

また、型造りの彫塑作品を代表する“色絵法螺貝香炉”(静嘉堂文庫、05/6/21)、“色絵雉香炉(雌)”(石川県美、11/14まで)もある。これらは全部重文。さらに、あと2点、国宝“色絵雉香炉(雄)”(石川県美、11/14~26)と胴部四面に窓枠をつけ牡丹花を描いた装飾性豊かな“色絵牡丹図水指”(重文、東博、11/7~26)が展示される。仁清作品で著名なMOA蔵では、国宝の色絵茶壺“藤花文”は残念ながら出てないが、金銀で彩色されたモダンな菱文が美しい“色絵金銀菱文重茶碗”が目を楽しませてくれる。色絵だけでなく、“銹絵水仙文茶碗”やヴィクトリア&アルバート美から出品された“銹絵法螺貝香炉”などの優品がいくつもある。

今回、仁清とともに見ごたえがあったのが古清水様式のやきもの。右は是非ともみたかった“色絵秋草文徳利”。形のいい徳利に鮮やかな緑、金彩、朱彩で描かれた秋草の絢爛さに目を奪われる。まるで高台寺蒔絵を見ているような気分。ほかにも“色絵竹文徳利”、二つの手鉢がくっついた“梅文菱繋手鉢”、透かしと意匠が見事に溶け込んでいる古清水独特の“色絵菊文七宝透手焙”、現代でも通用すると思われる青と緑の斬新な市松模様が目を惹く色絵角皿“松竹市松文”などに魅了された。

乾山焼もおなじみの“銹絵楼閣山水図四方火入”(大和文華館)、“色絵銹絵龍田川向付”(MIHO MUSEUM)といった名品が沢山出ている。大京焼展に200%満足した。京博に感謝。

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2006.10.29

細見・松岡美術館の酒井抱一

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奈良で“応挙・芦雪展”をみたあと、京都に戻り、“江戸琳派 抱一・其一の粋展”(12/10まで)を開催中の細見美術館を訪ねた。ここの展示室はちょっと変っていて、迷路みたいな導線を通り、小さな部屋をぐるぐる回る感じ。地下まで降りていき、出るときはまた入り口まで上がらなくてはいけないので、おっくうになる。今回もまた疲れた。

今年は江戸琳派の酒井抱一、鈴木其一の当たり年で、あちこちの美術館で名作を何点も見た。バークコレクションには抱一の名品“桜花図屏風”が出てたし、プライスコレクションでは、抱一・其一の一級の花鳥画が光の演出つきで観れた。このふたつだけでも大満足なのに、さらに抱一の“花鳥十二ヶ月図”(三の丸尚蔵館、拙ブログ7/28)、“四季花鳥図屏風”(ホテルオークラ、8/15)、“風神雷神図”、“紅白梅図”、“八橋図”(出光美術館)、“夏秋草図”(東博平常展)と贅沢な展示が続いた。

また、其一についても、代表作の屏風“夏秋山水図”(6/14)が根津美術館で久しぶりに登場したし、“三十六歌仙図”(出光)や“富士筑波山図”(ブリジストン美)も展示された。今年に入って、江戸琳派に目覚め、これらの作品をみた方は、抱一、其一の作品については、もう通になったと思っても間違いはない。それほど、今年は抱一、其一の作品が充実していた。

締めくくりは松岡美術館の“花鳥画展”(前期:9/9~10/26に抱一作品3点を展示、終了)と細見美術館の“抱一・其一展”。細見美術館には質の高い琳派コレクションがあり、シリーズで琳派展を開催中で、今回は4回目。抱一、其一の作品を中心に40点くらいでている。大きな屏風はなく、ほとんどが掛け軸や小さな屏風。うわさに聞く細見コレクションは流石で、名品が揃っていた。

上はその中で特に気に入った抱一の“桜に小禽図”(部分)。縦にまっすぐ伸びる桜の木からは形よく曲がった枝がでて、そこに目に焼きつくほど鮮やかな青い羽根をした瑠璃鳥がとまり、美しく咲き誇る白い桜の花に囲まれている。抱一ならではの上品で優美な雰囲気が漂う花鳥画である。

真ん中の金箔を貼った団扇に描かれた体をすこしひねった鹿にも魅了された。首から胴体にかけて、背骨を濃い茶色の線で太く描き、鹿の体を立体的にみせている。これと同じ描き方で表現された鹿が松岡美術館に展示されていた下の“三笠山”(10/26で終了)にもいた。奇しくも東京と京都で鹿が響き合っていた。

其一の花鳥画では、師匠である抱一譲りの華やかな画面の“梅椿に小禽図屏風”や秋の風情が感じられる“月に葛図(くず)”に惹きこまれる。この美術館の江戸琳派コレクションを見たので、抱一・其一も済みマークがつけられる。これからは琳派作品が数点ずつ展示される畠山記念館のコレクションを気長に待つことにしたい。

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2006.10.28

祝カージナルス ワールドシリーズ優勝

525海の向こうの大リーグワールドシリーズでも、カージナルスがホームでタイガースに3連勝し、24年ぶりにワールドチャンピオンになった。

古い歴史をもつ名門チームの復活である。拍手々!昨年のホワイトソックスの井口に続き、今年も歓喜の輪の中に、レフトで先発出場した日本人選手、田口がいた(左の写真の背番号99)。これほど嬉しいことはない。

拙ブログ10/9で予想したメッツ優勝が見事にはずれ、ワールドシリーズを制したのはセントルイスカージナルスだった。アリーグは予想が当たり、タイガースがアスレチックスに4勝0敗であっさりリーグ1位になったが、ナリーグのほうは総合力で上回っていたメッツをポストシーズンに進出したチームの中では最も勝率が低いカージナルスが4勝3敗で破り、ワールドシリーズに駒を進めた。

このメッツとカージナルスの7戦が一番面白かった。とくに、メッツの本拠地NYシェイスタジアムで行われた第7戦がすごかった。カージナルスの名三塁手、スコットローレンがレフトへ放ったホームラン性の当たりをメッツのレフトがスーパーキャッチ。この信じられないファインプレーでピンチを救ったので、ゲームの流れはメッツにいったと思ったが、9回の表、カージナルスの捕手のツーランホームランで試合は決着がついた。どちらが勝ってもおかしくないゲーム展開だったが、投手陣が頑張ったカージナルスに勝利の女神は微笑んだ。

最後の頂上決戦では、メッツに勝ち、チームの結束力が高まったカージナルスが常に主導権をとり、4勝1敗とタイガースを寄せつけなかった。タイガースはアスレチックスをストレートで破り、シリーズまで休みがありすぎたのか打線が湿りっぱなしだった。中心バッターでよく打ったのは元イチローが所属するマリナーズにいたギーエンと左のケーシーだけ。若い主力投手もワールドシリーズという大舞台にかなり緊張し、いつものコントロールされたピッチングではなかった。また、4戦、5戦の試合では痛恨の悪送球をしてしまった。

田口はポストシーズンのはじめは代打でホームランを打つなど大活躍し、チームの勝利に貢献した。メッツとの戦いに勝ったのも第2戦、6対6の同点で田口がリリーフのワグナーから打った勝ち越しホームランが流れを変えたからである。ワールドシリーズでは先発で3試合でて、ヒットは2本だったが、犠打、守備、走塁でラルーサ監督の期待に応えた。入団して1,2年は3Aでのプレーしかなかったが、5年目にやっと精進が報われ、ワールドチャンピオンチームの一員となった。

イチローや松井のいるマリナーズやヤンキースと違って、BS2がカージナルスの試合を中継することはほとんどなく、田口の活躍は結果だけハイライトで報じられるだけだったが、今年はワールドシリーズにカージナルスがでたので、昨年の井口と同様、リアルタイムで熱い声援を送ることができた。平常心で元気一杯プレーする田口がなんと誇らしく、大きくみえたことか。来年もまた、いいプレーでわれわれを楽しませてもらいたい。

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2006.10.27

祝日本ハムファイターズ 日本シリーズ優勝

524日本ハムファイターズが日本シリーズ5戦で中日ドラゴンズを4対1で破り、44年ぶりの日本一に輝いた。拍手々!!

戦前の予想に反し、今年の日本シリーズは日本ハムの本拠地札幌ドームであっさり決着がついた。

札幌をはじめ北海道の日本ハムのファンにとって、ここ一ヶ月は気分のいい日が続いたことだろう。公式戦の最後の試合に勝ち、リーグ1位となり、次のプレーオフではソフトバンクを寄せ付けず2連勝して日本シリーズへ進出、そして最後にまた3連勝で歓喜の日本一。感動6連チャンなんてそうあるものではない。

夏の高校野球では、連覇をめざした駒大苫小牧がハンカチ王子斉藤投手の早稲田実業と2回も決勝を戦い、全国の野球ファンを熱狂させ、秋はプロ野球の日本ハムが見事日本一になり、新庄、ヒルマン監督を胴上げし、大きな感動を与える。北の大地、北海道は一気に野球王国になった。

入園者記録を毎年、更新し、全国区の観光地になった旭山動物園同様、札幌ドームの入場者はどんどん増え、パリーグではソフトバンクに次いで2番目だという。新庄の“それもあり?”というくらいサービス精神にあふれるパフォーマンスに象徴される熱心な観客対応が多くの人を球場に向かわせ、ドームを揺るがすほどの熱い声援が選手の頑張りを引き出し、あれよあれよというまに球界の頂点に立った。

勝負事は勢いに乗ったほうが強い。今年の中日は打撃の中心にウッズ、福留がいて、投はカットボールの冴えるエース川上憲伸、ベテランの山本昌がいたのだから総合力で日本ハムに劣ってはいなかった。が、結果的には、名古屋での初戦しか勝てなかった。セリーグはプレーオフをやらないから、リーグ優勝が決まった後、日本シリーズまで時間があるので、どうしてもチームとしての勢いが切れ、同時に選手のアドレナリンの出方も平常レベルに落ちる。

逆に日本ハムは日本シリーズに出場するまでは気持ちをリラックスさせるどころか、前のめりでチーム一丸となって目に前の敵と戦い、一つ々階段を登っていった。選手のテンションが下がりようがないし、これがいい結果をもたらしている。プレーオフを3年前からはじめたパリーグが今年もセリーグのチャンピオンを一方的に破った。来年から、セリーグもプレーオフを導入するので、本来の日本シリーズらしい戦いになるかもしれない?日米プレーオフの違い、昨年の日本シリーズについては拙ブログ05/10/1910/27に書いた。

日本ハムのヒルマン監督は“信じられない!”と本音?を口走る。そして、“マジックはない。選手は自分の役割を果たし、よく勝利に貢献してくれた”と言う。これが大リーグ流の監督の姿なのである。監督は現場のマネージャーで、選手を上手く使い、勝利をつかむのが仕事。チームが勝率を上げ、優勝できるように、いい投手、いいバッター、足の速い選手、選球眼がよく、四球で塁に出る選手を集め、編成するのがゼネラルマネージャー(GM)の職務。日本ではまだ大リーグのようにGMが機能してないが、外人監督の登用で選手と監督、コーチの関係が確実に変ってきている。

昨年のロッテ、バレンタインに続いて、ヒルマンが日本一監督になった。バレンタインは“お客さんは10人目の選手”と呼び、ヒルマンは“北海道のお客さんは世界一”と持ち上げる。球場に来てくれた観客に楽しんでもらうために、常に選手、監督は気を使う。観客にいいプレー、いい試合を見せるのだということを中心に考えると選手と監督の関係もスムーズになる。

これに対し、中日の落合監督をはじめ日本人監督はヒルマン監督に較べると大変エライ。選手にとっても、コーチにとっても監督はエライ存在。今度の日本シリーズでは、中日が負けるとベンチのなかがどんどん暗くなった。落合監督が一人責任をしょってるような感じで、主役の選手たちは反攻のきっかけをつかめないまま敗戦を重ねた。

一方、日本ハムのベンチはいいムード。その真ん中にいたのが新庄。大リーグの野球を3年間経験したことで、“プレーをエンジョイする”ことを身につけ、それを日頃の言動、態度で同僚の選手たちに浸透させていった。まだ、25歳と若い森本や田中賢、ダルビッシュらがビッグゲームを意識することなくのびのびとプレーできたのも新庄のパフォーマンスに感化されたからではないか。

新庄は3年前、日本ハムに入団したとき、“これからはパリーグの時代です”と予言した。そして、現役最後の試合となった5戦、札幌ドームには4万2千の大観衆がいた。夢を果たした男の涙は美しい。新庄剛志、見事なパフォーマンスであった。

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2006.10.26

興福寺の国宝特別公開

536応挙と芦雪の回顧展を開催している奈良県立美術館から歩いて10分もかからない興福寺で、都合よく国宝の特別公開(11/13まで)をしていたので、駆け足で観てまわった。

興福寺は何度か訪れたが、五重塔をバックに写真を撮ったり、国宝館で彫刻の名品を見るのが定番コースで、南円堂や北円堂、三重塔の中へは入ったことがない。

毎年、秋に(春はない?)ある特別公開で、今年は北円堂、三重塔の番。日本画の展覧会と特別公開がタイミングよく重なったのは幸運であった。まず、北円堂へ向かった。04年にあった“興福寺国宝展”(東芸大美)で“無著”、“世親”はみたが、“木造弥勒如来座像”は残念ながら出品されなかった。

八角円堂の形をした北円堂のほうが南円堂より建てられたのは先らしい。真ん中にある“弥勒如来”は運慶の晩年の代表作。そのまわりを、後ろの“無著”、“世親”、横の2体の脇侍菩薩、そして四方にいる“四天王立像”が囲む。展覧会の会場で、単体の“無著”、“世親”を観たときはすごく大きく感じられたのだが、この定位置ではなんだか小さく見える。邪鬼を踏みつけ、手を上にあげたり、胸のところで横に曲げたりして大げさなポーズをとっている“四天王”でも同じような印象を受ける。目は厳しいが、ふくふくしい丸顔をした安定感のある“弥勒如来”を観たので、次の目標は南円堂の“木造不空羂索観音菩薩座像”。

国宝館はまさに国宝の仏像のオンパレード。国宝ばかりあるので、重文や普通の仏像に割く時間がおのずと短くなる。久しぶりの対面となったのが右の“阿修羅像”。小さな顔だが、目、鼻、口、ひとつ々の形がよく、そしてバランスがいい。限りなく美しい仏像である。この美しい顔をみると、いつも若くして亡くなった女優、夏目雅子を思い出す。圧倒的な存在感で迫ってくるのが“千手観音菩薩立像”。かなり前にみたので、その大きさを忘れていた。いくつもの手が体から出ているというのは造形的にも見栄えがするが、これによって光がまわりに放射されるように錯覚する。

今年は“板彫十二神将”がすべて展示されたというので目をかっと開いてみた。首を大きく横に傾け、相手を射すくめるような鋭い目つきに惹きつけられる。また、体をひねり、一歩前に踏み出すような足の運びなど動きのあるフォルムはみてて飽きない。一枚の板からダイナミックな動きとユーモラスさを感じさせるフォルムを彫りだし、神将に命を吹き込む高い技術にただただ感服するばかり。

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2006.10.25

天才 円山応挙のスーパー写生力

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円山応挙と長澤芦雪の代表的な作品を集めた回顧展につけられたキャッチコピーは“天才と鬼才の師弟”。応挙の天才というのは、写生という新しい描き方を画壇に持ち込み、どんな絵でも観る者を唸らせるほど上手に描いたスーパー写生力のことである。

03年の大回顧展(大阪市立美術館)でそれを見せつけられた。今回の“人物”、“花鳥”、“山水”に分けられた作品のなかにも高い腕で描かれた傑作がいくつもある。作品の数は通期で36点、前期には19点でている。応挙の大作に凄さを感じる人は後期のほうが満足度は高いかもしれない。龍の絵では一番いいと思われる“雲龍図”(重文)、高さが3.6mもある“大瀑布図”(相国寺)、孔雀図の傑作、“牡丹孔雀図”(重文、相国寺)は後期に展示される。

この3点は鑑賞済みなので、個人的には前回、展示替えで見れなかった作品が比較的多く含まれている前期への期待が高い。是非観たかった絵が花鳥画のなかに数点ある。上の“紅梅鶴図”と“薔薇文鳥図”。“紅梅鶴図”を所蔵する三井記念美術館が昨年、日本橋に移ってきたので、すぐにでもお目にかかれるとふんでいたが、予想外に姿を見せず、東京ではなくて奈良での対面となった。

感激したのは構図のとり方と白梅と紅梅の花弁の精緻な描写。花の描写は伊藤若冲の“動植綵絵”とさほど変らない。そして、目を奪われるのが左上から斜め右に伸びる紅梅の枝と左の白梅とで丹頂鶴と真鶴をとりかこむ画面構成。予想以上の素晴らしい絵だった。また、金地に緑の葉が映える“薔薇文鳥図”の静かな空間にも吸い込まれそうになる。“紅梅鶴図”のように、つがいの文鳥がとまる枝を左のほうから斜め下に垂れさせ、余白をたっぷりとっているので、奥行きのある空間に鳥と木が浮遊しているように見える。

03年のとき、興味深くみた真ん中の“七難七福図巻”をガラスケースに顔を近づけ熱心に観た。前期の展示は世の中の避けがたい“七難”の巻で、これは“天災”の一場面。地震で家が倒れ、人々は揺れる地面に這いつくばり、恐怖に慄いている。このリアルな人物表現が見事。あわてているのは人間だけでなく、左上にいる2匹の犬もでんぐり返しになり、その下の鳥もびっくりして羽根をばたばたさせている。

“難”のなかには、追いはぎに遭い、女が着物をはがされ裸で泣くところや、子供が木にくくりつけられる、また男が穴に突き落とされる場面を描いた“人災”の巻もある。追いはぎはよくみるといかにも悪党の顔。こんなワルにつかまるほど災難なことはない。

応挙は怖い場面を真に迫るほどリアルに描くが、可愛い子犬を描くのもとびっきり上手い。今回でている“狗子図”は下の1点のみ。これまで応挙の可愛い子犬の絵は10点くらいみたが、これははじめてみるヴァージョン。下の眠っている犬の無垢な姿がいい。前期の応挙に大満足。後期には見ごたえのある大作3点がでる。これも楽しみだ

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2006.10.24

奇才 長澤芦雪の魅力

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関西にある美術館は江戸絵画の展覧会で主導的な役割を果たしている。昨年の“曽我蕭白”(京博)に続き、今年は奈良県立美術館が大規模な“円山応挙・長澤芦雪展”を10/7から開催中。奈良県美は県庁のすぐ裏にある。

総出展数(80点あまり)はほぼ同じくらいの数で、前期(10/7~11/5)と後期(11/7~12/3)に分けて展示される。通期出ずっぱりの作品はなく、総入れ替え。代表作や目玉の作品がどちらか一方に偏らないように、うまくバラされているから、この展覧会へは2回、足を運ばなくてはならない。関西の人が羨ましい。

応挙は03年の大回顧展(大阪市立美)でワンラウンド消化しているので、多少は肩の力を抜いて鑑賞できる。が、芦雪については、代表作の“虎図”(無量寺、拙ブログ05/2/13)やプライスコレクションの“象と牛図屏風”、“白象図”(金閣寺、06/7/29)を観たとはいえ、過去あった回顧展には縁がなく、また代表作を収録した画集も手許にないので、目の前の作品とは前のめり状態で対面することになる。まず、数も44点と応挙より多い芦雪から。

会場を進むにつれて、体が熱くなってくる。芦雪の絵で一番惹かれるのはハットする構図と対比の面白さ。だから、最大の関心はこうした作品がいくつ観られるかであった。後期の作品は残しているが、前半は期待通りで、満足度は高い。

芦雪の頭がすごく柔軟だということに気づいたのが上の作品、“富士越鶴図”。4年前、岡山県美であった展覧会でこの絵をはじめてみたとき、その斬新な構図に驚愕した。実景とはかなり違う切り立った富士山の右中腹後方から、グライダーが編隊を組んで飛んでいるように鶴がこちらに向かってくる。鶴が飛ぶ姿をこんな風に描ける絵師は芦雪のほかにはいない。意表をつく絵画構成では、蕭白も若冲も芦雪には叶わない。今回も構図の面白さを満喫した。ぐぐっと引き込まれる構図の絵がもう1点ある。それは二本の足で地面を思いっきり踏ん張り、体を反り返らせているように見える“白梅図”。即座に、尾形光琳作、“紅白梅図屏風”の紅梅を連想した。

大小の対比や形の大きさが頭から離れない絵がある。真ん中の“百鳥図”は図版でも見たことがなかった。右隻の主役、孔雀と左隻の主役、大鷲がペアリングになっている。水面のうす青、右隻の鳥の鮮やかな赤、そして孔雀の羽根の深い青が目にとびこんでくる。一見、目に心地よい見事な花鳥画である。でも、大鷲とまわりの水鳥たちの大きさを較べてみるとかなり不自然。岩をつかんでいる大鷲の足はまわりの水鳥の足に対して、異常に大きい。この足からイメージするとこの大鷲はガリバー級の巨大さになる。大鷲の巨大さがぱっと見てそう感じられないのは限られた天地のなかに収まっているから。

大きさをドンと体感するのが下の“牛図”。これは前々から追っかけていた作品。正面からとらえた黒い牛の体は画面から横にとびだしている。プライスコレクションの“象と牛図”と同じ描き方である。画面構成にハットさせられるだけでなく、ここには色彩美がある。黒の輝きと目の青。これほどインパクトのある牛の絵は見たことがない。前期の狙いはことごとく当たった。後期は“群猿図屏風”に期待したい。

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2006.10.23

アール・デコ・ジュエリー展のポショワール

516現在、東京都庭園美術館で行われている“アール・デコ・ジュエリー展-宝飾デザインの鬼才シャルル・ジャコーと輝ける時代”(07/1/14まで)は事前にイメージした展示内容と異なっていたので、面食らった。

これはチラシをよく読まず、勝手な期待をしたことによるアンマッチ。てっきり、ジャコーがデザイナーした宝飾品がゴージャスにずらっと飾ってあるものと思い、それを期待して1階と2階の部屋を進んだのだが、その気配はない?!だんだん状況がつかめてきた。

今回のメインは166点あるジャコーの描いたデザイン画だった。“カルティエの宝飾品コレクションではなかったのー!”、なんという勘違い。チラシにはちゃんとそう書いてあるが、もう遅い。でも、ブシェロン、ラリックの作品、カルティエのコレクションなどアール・デコ様式の宝飾品、装身具も35点でているので、頭を切り替えて、これらを楽しむことにした。デザインや形の美しさ、光の輝きにうっとりしたのは、ラリックの“ブローチ、4匹の魚”、フーケの“バンドー”、ブシェロンの“ブレスレット”、そしてジャコーのデザインでカルティエが製作した“ブローチ、棕櫚(しゅろ)”。

シャルル・ジャコーのデザイン画に興味深いのがあった。中国の古美術や日本の漆芸、印籠などからもジャコーはヒントを得たようで、1914年頃描かれた“ヴァニティ・ケース”(小物入れ)には印籠の収納機能を取り入れている。円筒状の箱を三つに区切り、胴部に巻きたばこのパイプと煙草を入れ、下にはマッチ、上には白粉箱と口紅を収納する。女性の喜びそうなデザインを生み出すことに創作のエネルギーを注ぐだけでなく、使い勝手にも気を配る親切設計になっているのが面白い。ジャポニスムブームではじまった日本の工芸品への関心がアール・デコの時代ではさらに、細かいところにまで及んでいたことに驚かされる。

ジャコーのデザイン画より見てて数倍楽しかったのが、アール・デコ期に発行された“ガゼット・デュ・ボントン”など高級ファッション雑誌のポショワール(ステンシル版画)。ポショワールは型紙に色をつけたい部分に穴をあけ、そこにインクを含ませた筆やスポンジで色を塗る方法。今回、ルパープ、バルビエら一流イラストレーターが制作したファッションプレートが58点でている。

そのなかで、何点もあるジョルジュ・バルビエの美しいポショワールに魅了された。1920年代のアール・デコファッションで着飾りや煌く装身具をつけた女性のハイカラで洒落た感じがなんともいい。右は中国趣味を取り入れた豪奢な絵、“無慈悲な美しき上流婦人”(1921)。額に優美な幅広バンドームをつけた目鼻立ちの整った女性の背景にはピンクや黄色で着色された大きな鳳凰が描かれている。この絵と空を飛ぶ鳳凰を背にし、ベールのイブニングドレスを着た女性が描かれた“魔力”(1922)を見れたのが一番の収穫だった。

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2006.10.22

八王子市夢美術館の現代日本画名作展

302はじめて訪問した八王子市夢美術館で内容の濃い展覧会をみた。

市制90周年を記念した“現代日本画名作展”(12/10まで)が諏訪湖の辺にある北澤美術館の日本画コレクションを展示したものだったことは入館して気がついた。

04年、ガレのガラス作品をみるため、北澤美へ行ったとき平常展示の部屋に東山魁夷の絵が飾ってあったのはかすかに記憶している。が、ここがこれほど多くの日本画を所蔵していたとは全く知らなかった。展覧会のタイトルに“現代日本画”とあるのは、このコレクションが1960年以降に制作された作品を集めているから。

今回は記念展に相応しく、コレクションの中から優品を35人の作家に絞り、63点展示している。観終わって購入した北澤美術館の日本画図録でチェックすると、これはという作品はほとんどあった。展示の多い画家は東山魁夷が最も多く7点、3点あるのが杉山寧、高山辰雄、山口華楊、山本丘人、上村松篁、小倉遊亀。東山魁夷の作品では04年4月、兵庫県立美術館であった大回顧展にもでていた“白夜”、水面が月の光で白く輝く“月明”、木々や城、橋を緑のいろいろな諧調で描いた“緑のハイデルベルグ”に魅せられた。動物画家、山口華楊の大作、“白狐”、画面一杯に広がる緑の葉っぱのなかから黒猫がこちらを見ている“青柿”も見ごたえがある。

日本画は山種、東近美、東博へ毎月といっていいくらい通い、目を慣らし、ベンチマークができているので、作品をみての感激度はこれらの作品との比較になる。そういう目でみて、テンションが上がった作品は横山操の“赤富士”、工藤甲人の“蛍の郷”、橋本明治の右の“舞妓”。

図版をみて、いつか本物を見てみたいと思っていたのが横山操が描いた“赤富士”。こんなところにあった。富士の絵肌はなめらかではない。岩面のように凹凸がある。そして、裾野に広がる金泥の色面と赤富士の対比が心に響く。画面は鮮烈な色彩で埋め尽くされているのに、そこに流れるのは静かでひっそりとした空気。大きな力をもった絵である。“蛍の郷”は小茂田青樹の“虫魚画巻”(東近美)の作風とよく似た幻想的な作品。今年は工藤甲人とは青森県美で代表作に偶然会ったり、いろいろ縁がある。

右の“舞妓”は橋本明治のお得意のモティーフ。橋本明治は東京芸大で東山魁夷と同級生だった画家。日本画を愛する人でも、橋本様式といわれる太い描線で人物の顔や衣装を縁取る人物画は好きでないという方がいるかも知れない。こういう美人画は珍しい、別の言い方をすれば橋本独自のものだけに当然好き嫌いがはっきり分かれる。

島根県の浜田に生まれた橋本明治の回顧展が04年、島根県美であり、そのときでてた舞妓の絵に完全に嵌った。ここにある“舞妓”も心を揺すぶる。鏑木清方や伊東深水の描く柔らかい情趣を感じさせる美人画ではないが、原色に近い強い色彩を太い描線で縁取る描き方は観る者に明快で爽やかな印象を与える。凧絵や青森のねぶた祭りの絵も強烈な描線で表現されているように、晴れやかな舞台にたつ舞妓はこういう描き方だと存在感が強くでる。

美術館へ着くまで時間がかかったが、大きな満足が得られたので気分は上々。

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2006.10.21

日本橋高島屋の安野光雅展

514会期が来週月曜(23日)までと残り少ない“安野光雅の世界展”(日本橋高島屋8F)をもっとはやく見に行って、取り上げればよかったと後悔している。

安野光雅の名前も顔も、そして絵本作家ということも知ってはいるが、肝心の絵をこれまで展覧会などでみたことがない。だから、あの絵を実際に見てみたいというインセンティブが強く働かなかったのである。

今年の2月、安野光雅が書いた“絵の教室”(中公新書、05年12月)を楽しく読んだ。これは手軽ないい本で、画家が絵について、日ごろどう考えていて、実際、どういう風に制作しているのかをゴッホなどの作品を紹介しながら、分かりやすく説明している。この本に使われている安野の絵、何点かが今回の回顧展でも展示してあった。

ことし80歳になる安野光雅が人気作家であることはうすうす気づいていたが、会場にいる大勢の人とこれまでの作品を見て、即座にファンの仲間入りをした。出展数は160点あまり。いろいろな絵がある。初期の作品はシュルレアリスト風の絵。こんなに頭がやわらかいのかとびっくりした。

現代数学のトポロジーにでてくる曲線や立体を意識して描いた“ふしぎなえ”シリーズがおもしろい。例えば、道路のうえにかかる陸橋は両サイドの階段があるところと真ん中の部分のつなぎがへんてこで、とんがり帽子をかぶって渡っている人たちは、下の車が走る道路へ滑り落ちるのではないかと錯覚する。次に飾ってある“もりのえほん”では木々のなかに動物を潜ませている。これはトロンプ・ルイユ(だまし絵)やダブルイメージの手法。6点あるが、キリン、パンダ、あらいぐま、かたつむりなどが登場する。とても巧妙に描かれているので、キャプションに書かれている動物の半分くらいしか見つけられなかった。

風景画が沢山ある。ヨーロッパではスペイン、ドイツ、スイス、オランダ、イタリアの都市が多い。海辺、山岳地帯、運河、城郭、古代遺跡の風景、また闘牛場やお祭りを楽しむ町の様子を俯瞰の構図で描いている。建物や寺院、家々、そして広場や市場に集う人々などが丁寧に描き込まれているので、日本画の“洛中洛外図屏風”をみているような気分。日本の山々や町並みを描いた作品では“倉敷”、“蓮華岳と爺ヶ岳”が気に入った。

絵本作家、安野光雅をイメージさせるのがメルヘンティックな絵、“野の花と小人たち”。つくしのなかにこれと同じ身長の子供がいたり、子供を背負ったお母さんがかわらなでしこに囲まれていたり、これはディズニー映画のような世界。

今回の収穫は“絵本 シェークスピア劇場”と“絵本 平家物語”。ヨーロッパ文学の古典であるシェークスピアの作品の一場面が、日本の画家によって息を呑むほど上手に絵画化されている。なんだか、嬉しくなった。“絵本 平家物語”は1996年に出来上がったらしい。迂闊にもこんな素晴らしい絵本の存在すら知らなかった。

構図のとり方、対象の細かい描写、バランスのいい色使い、状況にあわせた色調の変化、どれをとっても一級。こうした高い画技により描かれた作品の数々からは合戦の激しさ、惨さに、そして滅びゆく平家の悲哀が切々と伝わってくる。右は伴大納言絵巻の応天門炎上の場面を連想させる“奈良炎上”。すごい迫力の火焔表現に言葉を失った。

なお、この展覧会は高島屋のあと次のデパートを巡回する。
・そごう心斎橋本店:11/21~30 
・高島屋横浜店:07/2/21~3/5 
・松坂屋名古屋本店:3/24~4/10

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2006.10.20

竹内栖鳳の斑猫

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現在、山種美術館で開催中の“竹内栖鳳と弟子たち展”(11/19まで)は豪華なラインナップ。タイトルを“山種所蔵名品展”と変えたほうがいいくらい、名品がでている。

今回展示されているのは所謂京都派と呼ばれる作家の作品で、このグループの中心人物が竹内栖鳳。上村松園や村上華岳などは竹内栖鳳の弟子には違いないが、明治以降の画壇では、作家は皆独立して作品を制作していたから、彼らが師匠である竹内栖鳳の作風に大きな影響をうけたということはそれほど無い。絵を描く上での関わりというよりは、精神的につながっていたとみるべきであろう。

竹内栖鳳と上村松園は縦の関係ではなく、ともに日本画の伝統を受け継ぎ、さらに新しい作風をめざして、自分の画業の質を高めていった画家集団の先導者であった。だから、会場に来てこの画家も、あの画家も一応竹内栖鳳の弟子にあたるなと思い起こし、これだけのビッグネームが名を連ねると、当然のように名画のオンパレードになるはずだと納得した。

お目当ては6年ぶりにみる竹内栖鳳の上の“斑猫”だったのに、ほかにも山種のお宝がいくつもあるので、頭がくらくらした。好きな絵をあげると上村松園の“砧”、村上華岳の“裸婦図”、土田麦僊の“大原女”、小野竹喬の“沖の灯”、福田平八郎の“彩秋”、池田遙邨の“鳥城”。竹喬の“沖の灯”は登場するのを心待ちにしていた作品。海の深い青と横に伸びるピンクの雲は見事なコントラストを見せている。カラリスト、竹喬の素晴らしい色彩感覚にいつものことだが脱帽。

竹内の作品は22点ある。この画家の水墨画や女性画、また、獅子などを描いた大作屏風にはあまり感動しない(拙ブログ06/3/20)。魅了されるのは“鴨雛”、“み々づく”、“風かおる”、“梅園”、“潮来小暑”のような花鳥画や黄色とうす緑を基調色にした風景画。ここにはもう一点、今回は出てないが中国の蘇州の風景を描いた“城外風景”といういい絵がある。

竹内栖鳳の高い画技が窺がえるのはなんといっても“班猫”(1924、重文)。首をまげ、わき腹をなめるのはよくみる猫のしぐさ。猫や犬を家で飼ったことがないので、はっきりわからないが、こんな瑠璃色の目をした猫が実際にいるのだろうか?毛一本々の描き方は精緻で、柔らかい毛の感じがよく表現されている。この猫をみたら、竹内栖鳳がリアルな虎を描かせたら右に出るものはいない円山応挙の流派からでてきた画家だということに納得がいく。たいした絵である。

これまでみた猫の絵で、“班猫”と同様、こまかい毛の描写が印象深く残っているのが2点ある。真ん中の菱田春草が描いた“猫梅”(部分、1906、足立美術館)と下の加山又造の“微風”(1994、吉野石膏)。“猫梅”で描かれた猫の白い毛は若冲の“動植綵絵”に出てくる鶏や孔雀のレース地を思わせる羽根と同じ質感をもっている。加山のゴールドを使った毛の描写も実に繊細。

今回は竹内の猫の絵だけで大満足なのに、ほかの名品も堪能させてもらった。やはり、山種にはすごい日本画がある。

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2006.10.19

歌川国芳の猫文字

308今月5日にオープンした“ららぽーと豊洲”(地下鉄有楽町線豊洲駅から徒歩5分)のなかに、浮世絵コレクションで有名な平木浮世絵財団の所蔵作品を展示するコーナー、“UKIYO-e TOKYO”ができた。

今、ここで開館記念、“にゃんとも猫だらけ展”(11/19まで)が開催されている。先週の“美の巨人たち”でここの名前はでなかったが、国芳の猫をとりあげていた。美術館といえるほどのスペースはなく、ほかの出店店舗と同じくらいの面積。今回は猫が描かれた浮世絵64点が前期(10/5~10/29)と後期(11/2~11/19)に分けて展示される。

作品の大半を占めるのが猫を愛した歌川国芳と弟子たちの作品。国芳と同い年の広重の絵も3点ある。そのなかの“名所江戸百景 浅草田圃酉の町詣”は名品としてよく画集に掲載される。広重は風景を思いがけない仕方で切り取るのが得意。吉原の妓楼の二階から眺めた景色で、遠くに富士山が見える。人気がない部屋の窓には手拭いがぽんとおかれ、猫が外を眺めている。この後ろ姿の猫がとても印象的。

これまで国芳の猫の絵はいくつもみてきたが、こうやって種々の猫が並ぶと、国芳が大の猫好きであったことがよくわかる。団扇絵“猫のすずみ”はユーモラスな絵。江戸の夏の風物詩である涼み舟の船頭が乗り込もうとする猫芸者に手をさしのべている。猫がそばにいる美人画もたくさんある。女の引き立て役は猫が一番。犬では様にならない。国芳の美人画でうっとりすることはあまりないが、胸のところに猫を抱いた女を真ん中でどアップにし、まわりを白い菊で飾った団扇に惹きつけられた。はじめてみたのでは、三枚続きの画面に大きな猫の妖怪がでてくる武者絵風の絵にちょっと緊張した。照明を少し落としているので、化け猫が連想されるこの手の絵はあまり長くはみていられない。

右は人文字ならぬ猫文字。これは朝鮮民画の文字絵(拙ブログ10/10)でふれたばかり。二つの文化記号が異常接近し、コラボしてくれた。文字は誰でもすぐ読める“かつを”。ダりのダブルイメージのように悩まされることはない。“つ”にハットする。猫がかつをを頭から食べている。“を”のなかにもかつをが2匹いる。よくみると、腹をみせている猫と背中をこちらにむけている猫が真ん中のかつををめぐって争奪戦の真っ最中。また、右下の落款の枠も猫の首紐と鈴でデザインするなど、この絵は猫尽くし。この展覧会、猫好きの人にはこたえられないだろう。

帰り際、所蔵する若冲の花鳥版画(拙ブログ8/19)の公開について聞いたところ、最近、貸し出しが重なったので少しお休みとのこと。でも、この展示コーナーでいずれ展示されるだろうから、あせることはない。気長に待つことにした。

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2006.10.18

棟方志功の鯉図

509大丸東京店では昨日まで“幻の棟方志功展”を行っていた。

展覧会のチラシを入手したときは03年、大原美術館であった大回顧展と出品作がだいぶ重なるなと思ったが、パスする気持ちはさらさら無く、すこしでもプラスαがあればまた楽しめると足が自然に東京駅へむかう。これがファン気質というものであろうか。

青森県立美術館や棟方志功記念館で肉筆画の名品(拙ブログ9/26)を見てからまだ、1ヶ月もたってないので、棟方シリーズ3連チャンといった感じ。今回の見所は色つき画。大原総一郎の母、大原寿恵子の歌集から24首を選んで絵にした“歌集抄板画柵”が素晴らしい。03年、これを観たときは大原家が所蔵する棟方作品の質の高さに驚いた。墨の色と強い黄色、緑、紫、赤に心がゆすぶられる。色を感じたいとき、本棚からこの絵を引っ張り出して観ている。お気に入りは“立つ子”、“黄昏”、“夕坂道”、“山松静”。

肉筆画でぞっこんなのが“風神雷神図”、“みみずく図”、右の“御群鯉図”。この3点には棟方の子供のようなピュアな精神がそのまま表れている。宗達の風神雷神は棟方志功の手にかかると、こんな優雅な風神雷神に変身する。天女が天空を舞っているようである。枝に沢山とまったみみずくも可愛い。みみずくといえば目だが、大きな目の形はよくみるとワンパターンではない。瞳がまんなかに寄っているのもいれば、全部真っ黒につぶされていたり、片目の瞳が三角でもう一方が円というのもいる。今回、初見の“梟図”もあったが、みみずくの方が見てて楽しい。

右の鯉の絵を見るのはこれで3回目。大好きな絵である。絵画というのは目の前の対象をそのまま忠実に再現しなくていいのだ、ディテールが細かく描かれてなくても、鯉が水の中を泳ぎ回るイメージが伝わればいいのだということを教えてくれたのがこの絵。小さい頃、池にいる鯉をみるのが好きで、どういう風に泳ぐのかよく観察した。背景には水の色はついてないのに、この絵を見ていると、四角の池のなかをのびのびと元気よく泳ぎまわっていた赤い鯉が鮮やかに蘇ってくる。

棟方の絵をみるといつも元気になる。次の棟方作品はどこにしようかと思案中。秩父にある“やまとーあーとみゅーじあむ”へ行くとまた初見の作品があるかもしれない。

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2006.10.17

村上豊の挿絵

508名前や存在を全く知らなかった作家が突然目の前に現れることがある。それが、今回、目白にある講談社野間記念館で起こった。

過去2回みた企画展でとてもいい日本画が展示してあったので、現在開催中の“近代日本の花鳥画展”(10/22まで)も期待がもてると確信して出かけた。この美術館は一つ注意することがある。休館日はなぜか月曜と火曜の2日。前回、火曜に行って、ガックリした。

仕切りなおしで、速水御舟や土田麦僊らビッグネームの名品を存分に楽しんだ。そして、一通り観終わったあと、“画家の名前は聞いたことないが、まあ時間もあるから観てみようか”と、最後の展示室に入って作品をみていたら、だんだん目に気合が入ってきた。目の前にあるモノクロームや色つきの小説挿絵にすごく引き込まれる。画家の名前は村上豊。“こんなに面白い絵を描く画家がいたのか!これは大発見”と心の中でつぶやいた。何に惹きつけられたのかを述べる前に、本来の訪問目的である“花鳥画”について、少しふれておきたい。

今回、お気に入りの画家の、しかも、Aクラスの作品がいくつもある。椿の赤い大きな花と枝にとまる琉璃鳥の青い羽根が鮮やかな速水御舟の“朱華琉璃鳥”と装飾的で上品な趣が酒井抱一の作風を連想させる小茂田青樹の“四季花鳥”は代表作の一つに数えられている名品。そして、“十二ヶ月”と題された花鳥画の色紙が飾ってある部屋が至福の空間。小茂田青樹、徳岡神泉、福田平八郎、堂本印象が描いた“十二ヶ月”は小さな部屋で響き合っている。いずれも高い水準の花鳥画で、余白を充分にとり、各々の好きな対象を配する構成は見事。三の丸尚蔵館で酒井抱一の名品、“花鳥十二ヶ月図”を楽しまれた方は、ここの色紙でもいい気持ちになれるかもしれない。観てのお楽しみ。

さて、主役の花鳥画と同様に大きな感動を与えてくれた村上豊(1936~)の挿絵である。人気小説家の作品の挿絵をこんなに多く手がけていたとは知らなかった。司馬遼太郎の“風の武士”(1960)が最初の小説挿絵だったようだ。ここには司馬の“箱根の坂”の原画がある。ほかには、山田風太郎の“エドの舞踏会”、向田邦子の“女の一指し指”、渡辺淳一の“雲の階段”、五木寛之の“みみずくの散歩”、三好徹の“興亡三国志”、吉村昭の“彰義隊”、右の赤瀬川隼の“新・義経物語”などがある。これらの小説は一部しか読んでないが、書かれた場面や情景を絵が上手く表現しているような気がする。はじめてみる絵だが、これを観ただけで村上豊がすごい才能の持ち主だということがわかる。多くの作家から声がかかるのも納得。

“新・義経物語”のなかからピックアップされた原画を夢中になってみた。女のような顔をした義経が凛々しく馬に乗り、敵陣に向かっていく場面などは美しく、躍動感にあふれている。鎧や衣装の色の組み合わせが素晴らしい。また一人、カラリストを見つけた。描写力については、体や手を横とか上に引き伸ばしたり、アクロバティックにひねったりする人物表現が漫画チックで、見る者をギョッとさせる。右は弁慶が最後の力を振り絞って敵と戦う場面。片足を上げ、鬼の形相で長刀を振るかざす姿は迫力いっぱい。

福王寺法林に続いて、村上豊という自由闊達な筆さばきをする画家と遭遇した。来年、3/17~5/20、ここで行われる村上豊の特別展が楽しみ。

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2006.10.16

伴大納言絵巻とマザッチョの楽園追放

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伴大納言絵巻は四大絵巻のなかでは一番楽しめる。応天門炎上という一大事件の背景に、きな臭い権力争いが絡んでいるとなると、これは現代だったら、新聞、TVのワイドショー、週刊誌が読者や視聴者を何週間も釘付けにできる特○ネタである。映画にだってなり、大ヒットも期待できる。

政治スキャンダルを引き起こした当事者の心の内は、現代でも100%は解明されない。応天門に火をかけたとされる伴大納言は本当に自分の意志でやったのか?それとも他の誰かに影で操つられていたのか?、そして冤罪をかけられた源信の心中はどうだったのか?絵巻のなかで、伴大納言と源信は一度しか登場しない。ともに後ろ姿で描かれている。顔をこちらに見せないのは事件をミステリアスに扱いたいからだろう。

伴大納言は上巻の最後のところで、一人斜め前方を眺めている。放火という犯罪の重さに体が押しつぶされそうな気分だったのか、それともニタッと薄笑いをしてたのであろうか?中巻に描かれた源信のほうは、後ろから少し心情を察することができる。庭に敷かれた布にひざをつき、悔しさと無念さで意気消沈といった感じである。

これに対し、主人の悲劇に過剰とも思えるほど悲しみを表しているのは妻や女房たち。嘆きの豊かな感情表現は火事を見つめる貴族や庶民たちの人物表現とともに絵巻の見せ場。二場面ある。誰もが胸をかきむしられそうになり、そして安堵するのが源信の女たち(中巻)。丸顔の女房たちは口をあけ、大声で泣いている。その声が聞こえてくるようだ。でも、赦免の知らせが入り、悲しみが喜びにかわる。止まない雨はないのだから、悲しみも長くは続かない。

上は伴大納言の女たちの嘆きの場面(下巻)。主人が流罪になるのだから、泣かずにはいられない。大罪を犯したとはいえ、長年仕えた主人は主人。画面右の女房は横向きで、顔を天井にむけて後ろに反り返らんばかりに描かれている。まんなかでは手で涙をぬぐい、左上の老女は放心状態。

はじめてこの場面を見たとき、西洋画のある絵が重なった。それはフィレンツェのブランカッチ礼拝堂でみた下のマザッチョ作、“楽園追放”(1427)。イヴが眉毛を八の字にして嘆き悲しんでいる姿は女房たちの顔の表情とよく似ている。マザッチョは後期ゴシック的な表現とは対照的に、深い内面性を肉体で表現している。

が、常磐光長はルネサンス初期のマザッチョより250年くらい前、伴大納言絵巻で女たちを同じ様に描いていた。この絵巻は本当にすごい絵。世界に誇れる傑作である。

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2006.10.15

国宝 伴大納言絵巻展

505出光美術館で開催中の“国宝 伴大納言絵巻展”(11/5まで)をこれから見にいこうと計画されている方は10/31~11/5に出かけられたほうがよろしいかと。

というのは、10/17から10/29までは3巻のうち本物が展示されるのは1巻のみで、あとの2巻は複製なので。3巻とも本物は10/7~10/15と会期の最後6日だけ。チラシにこのことは書いてあるが、出光で国宝の絵巻が展示されるという情報だけで入館すると、こんなハズではなかった!と残念なことになるので念のため。

この有名な絵巻は10年くらい前、大阪の出光美術館(現在は閉館)で3巻全部、今回のように混雑のなか、誘導係の人にせかされて鑑賞するのでなく、たっぷり時間をかけてみた。同じ絵巻をみてもその時とは観るポイントや関心が変った。例えば、炎上する応天門の真っ赤な炎を前は“おおー、すごい迫力!”と食い入るようにみたが、最近は地獄草紙や餓鬼草紙などで赤い炎に目が慣れたこともあり、心拍数はあまり上昇しない。

そして全体のストーリー展開は頭に入っているので、今回は鑑賞のエネルギーをもっぱら目に焼きついている面白い場面や巧みな人物表現に注ぎ込んだ。この絵巻にはのべ461人の人物が描かれているらしい。主役の伴大納言、応天門放火の犯人に仕立てられた源信、天皇、太政大臣のほか、貴族、女房、舎人、家司、そして一般庶民の男女、老人、子供。ほかに画面にスピード感を与える重要な役割をになっている馬、牛、さらに犬も2匹登場する。

上巻の出だしは、検非違使が乗っている馬の動きが目を惹く。6頭の馬も応天門からあがる赤い炎と黒煙に興奮気味。先頭の馬を御する男の一生懸命さが伝わってくる。この場面の人物描写では、草履をもった僧侶のスピードスケートの選手のような格好に目が点になる。僧侶は火事となると、俗人以上に血が騒ぐのだろうか?朱雀門をくぐりぬけ、火の粉が飛んでくるほど近くまで行って応天門の炎上を眺めている人々のなかには、体が地面と水平になるほどダイナミックに描かれた者もいる。

中巻は絵巻のなかで一番面白い場面がでてくる。子供の喧嘩に、親が出てきて、あろうことかよそ様の子供を足蹴にする。水玉模様の着物をきた子供は両手を上にあげ、体を反り返らせている。喧嘩相手には髪の毛をむしりとられ、その上父親からも力いっぱい蹴られたのではたまらない。こうなると親も黙ってない。“あんた、あのこと皆に言いふらしちゃおうか!”、“んだ、あの伴大納言の出納の奴、いつも横柄な態度をとりやがって、ムカつくけど、よくも息子を痛めつけてくれたな。もう我慢ならねえ”。

で、右の場面になる。妻は腰をまげ、五本の指をおおきくあけ、ありったけの声で、また男は顔をふくらまし、腹の底から“応天門に火をつけたのは伴大納言だぞー!”と叫んでいる。この舎人の逆襲が引き金になり、やがて真犯人、伴大納言は逮捕される。子供の喧嘩に親がちょっかいをだすという偶然起こった話しを使って、意外なストーリー展開に仕上げるのだから、この絵巻を描いた絵師は一級のシナリオライターである。ここは一番気に入っている痛快な場面。またまた楽しんだ。

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2006.10.14

王子江絵画展

504昨年の拙ブログで3回(1/1011/2712/7)とりあげた中国人画家、王子江(おうすこう)さんの個展を銀座にあるギャラリーでみてきた。

会期は10/21まで。時間はAM10:30~PM6:30(21日は5:00まで)。王さんは会場にいて、来場者と応対されている。作品が展示されてるのは“ギャラリー青羅”(TEL:03.3542.3473、松屋デパートとITO-YAの間にあるマロニエ通りを築地のほうに向かって進むと、4つ目の交差点の右向こう側角にある)。

王子江さんは水墨画の教室も開かれているので、生徒さんらしき方々がひっきりなしに来られる。NHKの放送もあって、日本での知名度が上がり、また中国では最年少で水墨画協会の会員になるなど、画家としては大きな存在になっているのに、愛想よく丁寧に応対される。絵の才能がすごいだけでなく、あたたかい心をもった素晴らしい人である。

展示してあるのは王さんが現地で写生した墨と色つきの風景画を中心に20点あまり。そのなかに、5点くらいチベットを訪問した際、寺にあった仏像や古い壁画に描かれた仏を写生したのがある。いずれも、肉感的で官能っぽいチベットの仏さんの特徴がよくでている。風景画は優品ぞろい。京都の寺や庭を描いた作品に魅了された。

今回のお気に入りは右の“灕江煙雨”。絵葉書だと本物の雰囲気が100%伝わらないが、実際に絵の前に立つとその素晴らしさが実感されると思う。水上に浮かぶ舟で焚かれたかがり火を表す赤い点の輝きに吸い込まれそうになる。左の2隻の舟と右中景の舟の間隔がちょうどよく、ここに簡略に墨線で描かれた鳥の群れが低空で斜め左の方向へ飛んでいく。舟の火のまわりや水面の一部が光っているの対し、遠くの山々はけむるよう空のなかでぼやっとかすんでいる。まだ訪問したことはないが、水墨画や映像によって頭の中につくられている中国江南地方のイメージそのままである。

昨年教えてもらった回顧展は予定通り、08年2月、上野の森美術館で開催されるとのこと。新しい動きとしては、長野県に王さんの大壁画を常時鑑賞できる、美術館を建設するという計画があるそうだ。これまで100mの大壁画を4作仕上げたので、5作目をここに飾りたいとおっしゃっていた。ワクワクするような話しで、楽しみがまたひとつ増えた。

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2006.10.13

福王寺法林展

503三鷹市美術ギャラりーで日本画家、福王寺法林の展覧会が開かれている(入場無料。10/7~10/22)。

この展覧会は開幕1週間くらい前、偶然、訪問した美術館にあったポスターで知った。作品は一度しか観たこと無いが、画家の名前が僧侶のようだったのとその風景画が非常にインパクトがあったため、よく記憶している。

これまでほとんど縁のない画家だが、興味を抱いていた画家でもあるので、八王子夢美術館へ行った後、三鷹で途中下車して、駅のすぐそばにある美術ギャラリーものぞいてきた。

出展数は下絵も含めて20点あまり。さあーっとみれる。が、縦2m、横4mクラスの大作が8点もあるから、感激でテンションは相当あがる。これはすごい作家に会ったなというのが率直な感想。右は00年に制作された“ヒマラヤの朝(エベレスト)”。昨年秋、日本橋三越であった“再興院展ー90回の歩み”でみた“クーンブの朝”と同じ色使い、調子の絵である。

今年、86歳の福王寺法林(山形県米沢市生まれ)は“ヒマラヤの画家”と呼ばれているらしい。この絵をみて納得した。20数年前、インドからネパールのカトマンズヘ行ったとき、飛行機の中からエベレストをみた。絵をみてかすかに想い出した。絵は写真ではないので、ヒマラヤ山脈の実景はこの絵のとおりではないが、ヒマラヤの峻厳で崇高な姿がずしんと伝わってくる。光が当たり白が輝く左上の遠景部分や金銀泥で表現されたエベレストやその周りの高い峰々は神々しさと畏怖の念をいだかせるほどの厳しさが入り交じる世界。

福王寺は74年からヒマラヤに取り組み、ヘリコプターや小型飛行機で実際に雪山に降り立ち、氷点下という厳しい環境の中でスケッチをしたという。まさに命をかけた制作である。画家にとってヒマラヤを描くのがライフワーク。この絵のほかに“ヒマラヤの月”、“ヒマラヤの夜”がある。背筋がしゃんとする作品とはこういうのをいうのだろう。

日本の風景を描いた作品では、大作、“寒月富士”と紅葉の鮮やかな赤とごつごつした岩が印象的な“妙義錦秋”が胸を打つ。いい画家に出会った。これから展覧会情報をサーチするときは心にとめておこうと思う。

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2006.10.12

木喰仏の微笑み

502“仏像展”では“菩薩半跏像”のほかにもうひとつ大きな収穫があった。口許に微笑みが漂う木喰仏(もくじきぶつ)である。

今回の展覧会はチラシに大きく載っている国宝の2体にばかり関心がいき、円空や木喰が彫った仏像についてはNO情報だったから、最後のコーナーに円空仏、木喰仏が沢山飾られているのをみて嬉しくなった。宝物をまた見つけたような気持ち。

円空の木彫は昨年6月、そごうであった展覧会で堪能した(拙ブログ05/6/7)。円空仏のつぎは木喰仏だなと思っていたが、意外にはやく願いが叶えられた。

木喰の仏像は2年前、ひろしま美術館にきた“柳宗悦の民藝と巨匠たち展”ではじめて見た。わずか3点だけだったが、仏さんの満面の笑みが強く印象に残っている。このとき、柳がこの愛嬌のある仏像を世の中に知らしめたという話しを知り、美の探求者である柳宗悦の大きな仕事に頭の下がる思いがした。その木喰仏が目の前に13体もある。これほど幸せなことはない。東博はこの展覧会に相当力を入れているので、出品作は木喰仏のオールスターにちがいない。

木喰は1718年、山梨県古関村丸畑に生まれ、93歳の長寿を全うしている。22歳で仏門に入り、45歳のとき、木食戒を受け生涯、この戒を守った。木食戒とは肉食(魚を含めて)を採らず、火を通したものを一切食べないという戒のこと。木喰は60歳のころから日本全国を回りながら、木彫仏を彫りはじめるが、顔がぷくっとふくれた独自の仏像を何体もつくるようになるのは80歳以降である。

右は88歳のころの作、“十六羅漢像”。左のほっぺたが落ちそうな微笑みが実にいい。円空仏の笑っている優しい顔にも癒されるが、木喰仏の微笑には世の中の嫌なことをすべて忘れさせてくれるような力がある。柳宗悦は木喰仏について、“どこにこれほど親しげな仏があろう。誰もくつろぎながら仏と語ることができる。如何なる者でも仏の伴侶である。無学な者も貧しい者も仏のよき友達である。何も教理を説きはしない。知識を求めはしない。上人は仏教を民衆の手に贈ったのだ”と述べている。目の前にある木喰仏をじっとながめていると、この話しが腹にすとんと落ちる。

微笑に特徴のあるこれらの仏像があることを気づかせてくれた。以前、河井寛次郎の木彫像、“母子”(拙ブログ05/2/1)を楽しんだときは顔のかたちは河井のオリジナルと思っていたが、これは明らかに木喰仏にヒントを得ている。笑っている仏だけでなく、“十二神将像”や“十王座像”にみられる、スピーディにざっざっと深く彫り込んだ髪の毛、太い眉毛、そして量感のある造形にもぐぐっと惹きつけられた。毎日、心にいつまでも残る木喰仏の余韻に浸っている。

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2006.10.11

東博の仏像展

501開幕を心待ちにしていた“仏像展”(10/3~12/3、東博)へは初日と11/7以降の平日と2回出かけることを決めていた。

一木彫の仏像では、平安時代初期につくられた神護寺の“薬師如来立像”(国宝)や9世紀後半の作である室生寺の“釈迦如来座像”(国宝)はみたことはあるが、今回出品される木彫仏の目玉、右の“菩薩半跏像”(10/3~11/5)と“十一面観音菩薩立像”(11/7~12/3)はまだお目にかかってない。

二つとも、図版をみてすごく惹きつけられ、前々から日本美術品の追っかけリストに入っている。普段おかれている寺へ出かければ見れることはわかっているが、これがなかなか実現しない。今回、お寺に行かずにこの名品を鑑賞できるのだから、大変有難い展覧会である。出品されているのは全部で146体。入れ替えがあるのは国宝、“菩薩半跏像”(宝菩提院願徳寺)と“十一面観音菩薩立像”(向源寺)の2体だけ。どちらも見たい人のために、2回目の入館料は半額に設定されている(1回目の半券をみせればOK)。

最初のコーナーにある小さい仏像をさらさらとみて、お目当ての“菩薩半跏像”をめざした。像の前に立つと、“これはすごい!”と唸ってしまった。片足を組んだ菩薩の姿には安定感があり、バランスのいいプロポーションは見てて心地よい。組んだ足と台座にうねるようにかかる衣が写実的に表現されているのに目を奪われる。胸や腹のあたりの肉付きがよく、顔もふっくらしているが、目はきりっと鋭い。

これを一本のカヤから彫るのは高い技術を必要としただろうなと思わせるのが、左腕にかけられた衣や両腕と体の間がくりぬかれた部分。肩や腕にかかった布の柔らかい質感はダリのくにゃっと曲がった時計を連想させる。像の周りをぐるぐるまわり、いろいろな角度からその緻密な彫りと美しい造形を眺めていると、4月、ローマでベルリーニの大理石彫刻(拙ブログ06/5/175/18)の傑作を見たときと同じくらいの感動を覚える。と同時に、日本には9世紀の頃、木造ではあるがベルリーニが見たら驚愕するほど繊細に彫られた仏像があったことを誇らしく思った。

卓越した一木彫の技がみられるのは“菩薩半跏像”のほかにもいくつかある。とくに気に入ったのは、衣文のリズミカルな線とボリューム感に圧倒される“薬師如来立像”(国宝、元興寺)、インドの僧を思わせる“地蔵菩薩立像”(重文、融念寺)、体の表面が色の剥落で白と茶色のまだら模様のように見えるものの、“菩薩半跏像”のように腕にかけられた布が見事に彫られた“十一面観音菩薩立像”(重文、秋篠寺)。

また、江戸時代、円空や木喰(もくじき)が彫ったユーモラスな仏像の数々にも心が和む。満足度200%の展覧会であった。

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2006.10.10

日本民藝館の朝鮮民画展

500日本民藝館で現在開催中の“朝鮮民画展”(10/3~12/20)を初日にみた。

ここへ通うようになって新しい美の世界をいくつか発見した。そのひとつが大津絵や朝鮮民画。

朝鮮の民画は1階の李朝の白磁大壺や染付瓶などがある部屋の床の間に時々飾られる。まだ数点しかお目にかかってないので、まとめて沢山見せてくれないかなと願っていたら、今回、約100点どっとでた。

朝鮮民画は19世紀から20世紀にかけて、普通の人が描いた絵で、どの家にも飾られていた。描かれる画題や作風により、花鳥画、虎図、山水画、故事人物画、右の文字絵などに分類される。朝鮮を何度も訪れ、民画の美に魅せられた柳宗悦(1889~1961)は出来栄えのいいものを何点も収集した。この中には、柳の慧眼なくしては消え去っていたかもしれない優品がいくつも含まれている。

花鳥画で目を惹くのは色が鮮やかな“麒麟図”、“神亀図”、鶴と鹿の柄を刺繍した“刺繍十長生図屏風”、画面の真ん中に蓮の花を大きく描き、水面に鴛鴦、蓮のまわりに牡丹や鳥を配した“蓮花牡丹鴛鴦”。虎図は獰猛さがでている虎もいれば、子供が描いたのではないかと思われる猫みたいな虎もいる。一番ぐっとくるのは目が黄金で輝いている虎が木の枝にとまっているかささぎを威嚇している“虎かささぎ図”。

故事人物画のなかに、虎がでてくるいい絵がある。それは“山神図”という題がついている道士の体に虎が巻きつく面白い絵。道士の顔は漫画、“ちびまるこちゃん”にでてくるおじいちゃんの顔にそっくり。見てのお楽しみ。この絵は1905年、日本の浮世絵収集家が北朝鮮の山中で手に入れたもので、それが柳の晩年の1959年に日本民藝館に寄贈されたという。

今回、興味深く見たのが文字絵。全部で10点くらいある。右は“孝・悌・忠・信・禮・義”の“孝”(右)と“悌”(左)。太い墨線のなかに魚や花びら、葉っぱ、2羽の鳥を配置して文字をつくっている。絵のような文字である。よく考えると、これもダリが使うダブルイメージの一種。魚や花を絵としても楽しめるし、文字の一部も構成している。これは面白い。

浮世絵師、歌川国芳の絵にこれと発想が一緒のものがある。“なまづ”という平仮名を猫の体を組み合わせて表現したもので、ほかに“うなぎ”、“ふぐ”などが残っている。西洋画ではアンチンボルドの有名な奇画がある。例の鼻に西洋梨、ぽっぺたに桃、目の瞳に野いちごを使ったりして人の顔を描いた人物画(拙ブログ05/2/20)。

文字は読めないほうが多いが、文字のかたちを大胆にデフォルメし、墨線と花鳥を組み合わせて絵のようにした文字絵をじっくり楽しんだ。新たな美に接したときには新鮮な喜びが得られる。年に何回かはこういう体験をしてみたい。

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2006.10.09

大リーグポストシーズン

499大リーグのポストシーズンはリーグチャンピオンを決める一回戦が終わり、次のステージへ進むチームが決まった。

アリーグはヤンキースを破ったタイガース(中地区)とアスレチックス(西地区)、ナリーグは田口(左の写真)がいるカージナルス(中地区)と松井(稼)がシーズン途中までいたメッツ(東地区)。

リーグチャンピオン決定戦は7戦なので、これからが熱い戦いになる。どのチームがリーグチャンピオンになり、最終的にワールドシリーズを制するかを予想してみた。

まず、アリーグから。ポストシーズンに入るまでは、勝率が一番高く、最後連勝を続け、チームとしての意気が上がっていたヤンキースが久しぶりにワールドチャンピオンになるのではないかと思っていた。地元NYの第1戦でタイガースに勝ったので、今年はヤンキースが強いかなとみてたが、この予想が見事にはずれ、タイガースがあれよあれよというまに3連勝してしまった。

とくに第2戦での投打のがんばりがすごかった。打つ方が逆転すると、投の中継ぎ、リリーフ陣が強打のヤンキース打線を完璧に抑えた。中継ぎの21歳の投手が投げる166kmのストレートにホームラン37本のジアンビやA.ロドリゲスのバットはかすりもしない。こんなシーンを現地で一度でいいから見てみたい。166kmのボールを打ち返せるバッターはヤンキースの選手だけでなく、大リーグ全体を見渡しても今はいないだろう。

タイガースの強みはヤンキース戦でみせつけた圧倒的な投手力。3つ目の勝利をもたらす素晴らしいピッチングをした23歳の若手のボンダーマンやエースのバーランダーとベテラン、ロジャース(ともに17勝)の先発陣がアスレチックスの打線に立ちはだかるだろう。勝率でタイガースを下回るアスレチックスに勝機があるとすれば、今年チームに加入した大砲トーマスの長打と選手、監督の意地の強さ。アスレチックスは西地区ではよく優勝するのに、ポストシーズンはまるっきり弱い。だから、今年はなんとしてもリーグチャンピオンになりたいだろう。チームの意地に期待したい。

ナリーグは勝率トップのメッツがリーグを制するような気がする。カージナルスにはプホルス(ホームラン49本、リーグ2位)というすごいバッターがいるが、今年は総合力ではメッツの方が上。メッツの打線は強力。移籍2年目のベルトラン(ホームラン41本)、今年加入の強打者デルガド(同31本)、捕手のロデューカなどここ2年のチーム編成で獲得した選手が期待通りの活躍をし、チームの勝利に貢献している。

では、ワールドチャンピオンリングを手にするのはタイガース、メッツのどちらか?ズバリ!打力、投手力のバランスがとれているメッツではないか。

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2006.10.08

ウィーン美術アカデミー名品展のクラナハ

498損保ジャパン美術館で、03年、ウィーン美術アカデミーで観た絵画と再会した。

この名品展(11/12まで)の情報を得たとき、瞬間的にウィーン美術館巡りの楽しみの一つであったボスの怪奇画、“最後の審判”(三面祭壇画)がまた観られるのでは!?と胸が高鳴った。が、やがてわかった展示品にはこれは入ってなかった。やはり無理だった。

冷静に考えれば、こんな館の至宝のような絵が日本にくるわけがない。さらに残念なのはもう一つの目玉であるボッティチェリの“聖母子”もこない。

となると、再会したい絵は絞られてくるが、とにかくでかけることにした。今回は80点でている。美術アカデミーの展示部屋は各室あまり広くない。だから、展示してあるのは大作をすぐイメージするルーベンスの絵でも今回でている“三美神”のような中くらいの大きさの作品にとどまり、中・小品がほとんどを占めている。ファン・ダイクのなかなかいい絵、“15歳頃の自画像”もびっくりするくらい小さい。美術館が入場の際、無料でくれるパンフレットは大半のスペースを“最後の審判”で埋めているが、ほかにのってる4点のひとつがこの自画像。

今回、再会したかった絵はルーカス・クラナハの右の“ルクレティア”とヴェネツィア派色彩画家、グアルディの風景画。クラナハについては、工房作の“聖ドロテア”はみたかどうか自信がないが、“不釣合いなカップル”と“ルクレティア”はよく覚えている。“不釣合いなカップル”の女性に衣装にみられるように、クラナハが描く女性像はいつも模様の凝った衣装や首飾りなどの豪華な装飾品を身につけている。

深い赤が印象的な衣装の手触りのよさそうな質感を表現する精緻な筆致を目の当たりにすると、昔、ウィーン美術史美術館で衝撃を受けた“ホロフェルネスの首を持つユーディット”が目の前をよぎる。これまでの鑑賞体験で体に浸み込んだクラナハのイメージはこの“ユーディット”や“ルクレティア”、“ヴィーナス”から発せられる冷たい官能美。ラファエロやジョルジョーネらと同時代を生きた北ドイツのクラナハがどうして、当時の信仰心厚い人々の目には、とんでもないみだらで罪深いのものに映った絵を描いたのか不思議に思うことがある。

右の“ルクレティア”は自殺しようとして体に突き刺そうとする剣の先にかけ左手でつまんでいる薄いヴェールが生々しく、S字型に曲げた裸体は妖しいまでに官能的。4月に訪れたローマ、ボルゲーゼ美術館でも、古代彫刻に較べて非常に引き伸ばされたプロポーションをしたヴィーナスと蜂の巣に指を突っ込んで刺されるアモールが描かれた“ヴィーナスと蜂の巣を持つアモール”という名画に釘付けになった。

これは余談だが、ここにでているクラナハの作品をみて、西洋美術館で開催中の“ベルギー王立美術館展”の出品作がますますダメに思えてきた。損保ジャパン美はウィーン美術アカデミー所蔵品のなかでは人気NO.3のクラナハの“ルクレティア”やグアルディの“サンマルコ広場”、“ヴェネツィア運河”、そして、中作ながら色が輝いているルーベンスの“三美神”、ダイクの自画像、レンブラントの黒い衣装に見蕩れる“若い女性の肖像”など満足度の高い作品を展示している。

これに対し、ベルギー王立のほうは<ルーベンスのいいのは大きいからダメ、クラナハの図録に載っているボルゲーゼのと同じ画題の“ヴィーナスと愛”、“アダムとイヴ”は出せない、ブリューゲルのNO.1の“反逆天使の墜落”は入館者からクレームがつくから、作者が?の“イカロスの墜落”にしてください、近代絵画ではダリの“聖アントニウスの誘惑”なんてとんでもない、クノップフの“愛撫”は館の至宝ですから無理々、、、>と名画はことごとくNGだしをされてる感じである。王立はメムリンク、ハルス、レンブラント、マースももっているのにこれも出してこない。館の図録に載せてる自慢の作品を出し惜しみするような美術館なら来てもらわなくていいのだが。

海外の美術館の展覧会、とくに大きな美術館の場合、主催者のメッセージは半分くらいしか信用しない方がいい。今回のベルギー王立美術館はそのいい例である。

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2006.10.05

近藤浩一路展

497練馬区立美術館で開催中の“近藤浩一路展”(10/15まで)をみてきた。

水墨画に興味がある人には味わい深い展覧会ではなかろうか。心が洗われるいい絵が沢山でている。

この日本画家の作品を見る機会はあまりない。多く所蔵しているのは近藤が生まれた山梨県(南部町)の県立美術館と南部町にある記念館。東近美にも代表作が3点ある。

山種美に通うと明治以降の名の通った日本画家の作品は大体鑑賞できるのだが、なぜかここで近藤浩一路の絵をみたことがない。おそらく1枚も所蔵してないのだろう。こう書くと山種が所蔵してない画家の絵ならたいしたこと無いのではと思われるかもしれないが、そんなことはなく、光と影を墨で表現した作風は新たな水墨画を切り開いたとして高く評価されている。

近藤浩一路(1884~1962)は小林古径、竹久夢二、安田靫彦、川端龍子、前田青邨とほぼ同世代の画家。最初は洋画や漫画を描いていたが、途中から日本画に転向した。彩色画もあるが、惹きつけられのはなんといっても光を表現した白が目に焼くつく水墨画の数々。

右は最高傑作といわれている“雨期”(山梨県立美)で、“昭和の日本画100選”(1989、朝日新聞社)にも選ばれた。4年前、岡山県美の“墨戯展”でこの絵とはじめて会ったときはずきんときた。腰をかがめて田植えをする3人の農夫を輝く白で形づくられた三角形の頂点に配置する画面構成は一度みたら忘れられない。墨の濃淡で自然風景や家々、寺などを描く点では伝統的な水墨画と変らないが、光そのものと反射する光の効果を白で表しているため、白がきらきらしているように見える。広々とした水田の光が強くあたった真ん中の苗の列は白が濃く、左右にいくにつれ、影ができ薄い白になっていく。この色の変化は実際に絵の前に立たないとわからない。

ほかにも白と黒の対比が印象深い作品がある。代表作のひとつ“鵜飼六題”にも感動する。この絵は東近美の平常展によくでてくるが、かがり火を表す白が限りなく美しい。“一条戻橋”、“間道(残照)”、“水郷”などにも心を打たれる。この展覧会は近藤浩一路の回顧展なのに、初期の頃、活動を共にしていた画家仲間の作品も多数展示してある。そして、図録にも載せている。こういうのも珍しい。オマケともいえる絵のなかに主役の作品を食っちゃいそうなのが1点ある。それは山種美の図録にも掲載されている平福百穂の“竹林幽棲”。お見逃し無く。

なお、この展覧会はこの後、山梨県美に巡回する(10/21~11/26)。

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2006.10.04

日曜美術館30年展の横山操

496現在は新がついているNHKの日曜美術館は放送を開始してから30年になるという。それを記念した展覧会が東京芸大美術館で開催されている(10/15まで)。

この美術番組とはもうかれこれ20年近くつきあってきた。この間、好きな画家や日本画、陶磁器が取り上げられたときはビデオに収録してきたので、今回展示された作品の脇で流されている番組のダイジェスト版のなかにはよく覚えているのがいくつかあった。普段の出来事や仕事の話しは忘れるのは早いのに、好きな美術のこととなると、感動した作品の美しさが全身の細胞に浸み込んでいるからであろう。

逆に、その番組が放映されたころは関心がなかったが、その後だいぶたってからその作品の魅力に開眼し、あのとき見とけばよかったなと後悔することも多い。作家の創作活動が展覧会などで発表される時期と観る者の芸術選好度のテンポはぴたっと重ならないのが普通だから、これは仕方がない。とはいうものの、もっと早く接していたら楽しい気分になっただろうなと強く思わせる絵が中にはある。

そのひとつが藤島武二の“黒扇”(ブリジストン美、重文)。ここ、2年間、東近美の平常展を頻繁にみたせいか、日本人画家の洋画に対する見方が変ってきた。最近では、藤島武二と山下新太郎が描く女性の肖像画に吸い込まれるようになった。なかでもこの“黒扇”と“天平の面影”に描かれた女性に見蕩れている。

近代日本画では画家の代表作が何点も出ている。これは圧巻。前田青邨の“阿修羅”(東芸大)、菱田春草の“落葉”(滋賀県美)、上村松園の“花がたみ”(松柏美)、棟方志功の“二菩薩釈迦十大弟子”(棟方板画美)、横山操の右の“雪富士”(フジヤマミュージアム)。このなかでとくに嬉しかったのがはじめてみる“阿修羅”と“雪富士”。“阿修羅”は現在、岐阜県美で行われている“前田青邨展”に出展されてないので、たぶんここにでているとみていたが、期待通りだった。大きな絵で、画集でみるよりはるかにいい。傑作である。

横山操の富士は今年2月、東京美術倶楽部の“美の伝統展”にあった“清雪富士”に大変感動したが、今回でている“雪富士”にもぐっとくる。寂寥感の漂う絵である。横山操の水墨画は、この雪の積もった富士山でも“越路十景”(拙ブログ05/2/7)でも、みてるとしんみりしてくる。水墨画の原点に立ち帰ったような近代水墨画の傑作ではなかろうか。

水墨画の展覧会情報をいくつか。
★王子江個展:10/8~10/21 (場所)ギャラリー青羅、中央区銀座3-10-19美術家会館1F(TEL)03-3542-3473  拙ブログ05/12/7で取り上げた王子江さんの例年開催される個展。
★浦上玉堂展:11/3~12/3 (場所)千葉市美術館  川端康成が所蔵してた国宝も含む最大級の回顧展

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2006.10.03

クリーブランド美術館展のモディリアーニ

495森アーツセンター(六本木ヒルズ森タワー52F)で開催中の“クリーブランド美術館展”(11/26まで)を見逃さずにすんだのはアイレさんが集められた展覧会情報のお陰。感謝々である。

森アーツセンターのHPは定点チェックしてないので、アイレさんのブログでこれを知ったときは“へえー、クリーブランド美が来るのか!迂闊だったなあー。これは有難い”と素直に喜んだ。

クリーブランド美の所蔵品を承知しているわけではないのに、気持ちがざわざわしたのはこの美術館が04年にあった“マティス展”に出品されたマティスの画集に載ってるくらいの名画、“エトルリアの壺のある室内”を所蔵してたことを覚えていたから。この絵があるのなら、ここはほかにもいい絵を持っているのではと期待してもおかしくない。その後入手したチラシに載ってるルノアールの絵をみて、ますます期待がふくらんだ。が、はじめての美術館だから安心はできない。いいのはルノアールの絵だけだったということもある。まあ、ルノワールが好きなのでこれでもいいのだが。

で、期待4割、不安6割で入館した。展覧会のサブ・タイトルは“女性美の肖像”とある。だから、出品作(絵画、彫刻)60点は女性をモデルにした作品が多い。メインディッシュはちょっとおいて前菜から。風景画では、モネの“アンティーブの庭師の家”はとびっきりいいというわけではないが、モネらしく太陽の光がまばゆいほどに輝いている。ちょっと離れて見ると心がやすまる。セザンヌの“小川”は画集にある代表作と較べるとアベレージの作品。

2点あるゴッホの“サン・レミのポプラ”、“大きなプラタナスの木”も色の調子が弱い感じ。ゴッホの絵としては可といったところ。驚いたのはここにセガンティーニの絵、“松の木”があったこと。牛や人物が出てこない風景画ははじめてお目にかかった。モダン・パラダイス展でみた大原美の“アルプスの真昼”と画面構成は異なるが、松やまわりの草木の葉を緑で一本々こまかいタッチで描く表現方法に変わりない。

テーマの女性美の競演ぶりはどうか。魅了されたのは、ラトゥールの“マリー=ヨランド・ド・フィッツ=ジェームス”、ルノワールの“ロメーヌ・ラコー”と“リンゴ売り”、右のモディリアーニの“女の肖像”、ティソの“7月、肖像画の見本”。

ラトゥールとルノワールの“ロメーヌ・ラコー”は雰囲気が似ている。“ロメーヌ・ラコー”はとても綺麗でいい肖像画なのだが、おとなしそうだなという印象が強すぎて、これをずっと見ていたいという気にならなかった。白が多く使われているからだろうか。チラシをみたときはこの絵をMy好きな女性画に登録しようとおもったのだが、これをはずし、代わって今回一番の収穫だったモディリアーニの“女の肖像”を入れることにした。

この絵に200%KOされた。理由は目と背景の茶褐色に浮き立っている肌。このモデルの目はいつもの単なる切れ目ではなく、写実的に描かれている。モディリアーニが描く像は裸婦でも肖像でも、様式化されているので、色も自然な色ではない。よく見る目の色は黒一色であったり、Bunkamuraで開催中の展覧会にでている“母と子”のような緑目。Bunkamuraでもモディリアーニの作品を12点ばかりみたが、この絵のほうがぐっとくる。緑の目をしたうりざね顔の女性には近づきたくないが、この女性なら“どう、元気?”とそばに座って話したくなる。この絵に会えただけでもこの展覧会へ足を運んだ甲斐があった。

9/20の朝日新聞に来年2月、国立新美術館で行われる“ポンピドーセンター名品展”のことが紹介されており、モディリアーニの“デディーの肖像”が使われていた。よく見ると、この絵に描かれた女性の顔が“女の肖像”と同じタイプ。開幕が楽しみになってきた。

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2006.10.02

ダリ回顧展 その三 スーパー・リアリズム

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シュルレアリスト、ダリというと、すぐ常人にはとても思いつかない幻覚的なイメージの不思議な絵を想い浮かべるが、それと同時に、映像化された人目を惹く奇抜な服を着て行う狂気じみた奇行や刺激的な発言が頭をよぎる。

自己顕示欲が強く、ナルシストで拝金主義者などとレッテルを貼られたこの大芸術家の実像はどうだったのか?狂気度は実際どのくらいあったのか?興味は尽きない。父親や異性へのコンプレックス、少年のころのヒステリー発作や死んだこうもりにはりついた蟻をみて、死の恐怖を感じたことなどは事実であり、ダリの精神が小さいころから歪んでいたことは確かなようだ。

だが一方で、そうしたステレオ的なイメージはダリが意図的に演技してつくったもので、妻のガラや親しい人と一緒に居るときに見せる素顔のダリは超テクニックと豊かな想像力をもった普通の画家だったとも言われている。フロイトやラカンの著作を読んだり、戦後の原子物理学やサイバネティクスといった最新科学理論、数学者ルネ・トムのカタストロフィー理論などに関心を示すほどの知力をもっていたのだから、実際のダリは相当頭がよかったのではなかろうか。

今回の展覧会にはダリのそんな一面が窺がえる作品がでている。それは驚くべきテクニックを使って対象を緻密に描いたスーパー・リアリズムの3点。見慣れた記号的なダリの絵とは異なるが、その完成度の高さに心を揺さぶられた。上が“パン籠”(1926)、真ん中が“愛情を表す2切れのパン”(1940)、下が“リチャード3世の扮装をしたローレンス・オリビエ”(1955)。

“パン籠”はプラド美展(3月、東京都美)にあったスルバラン、メレンデスらが描いたスペイン絵画の静物画・ボデゴンの流れをくむ作品。メレンゲスの水差しや果物のリアルな質感に驚いたが、ダリのパンも見事。硬い皮の部分や中のやわらかいところにある小さな穴などまさにパンそのもの。そして、パンを入れる籠の網目も超写実的。パリにいたダリはルーブル美術館やベルギー王立美術館に通い、フェルメールやブリューゲルら北方画家の作品への好みを深め、これに影響されて自分流の精緻な描法でこの絵を制作したらしい。

蟻、ロブスター、卵などとともにダリの作品に繰り返し現れるパンはキリストの象徴でもある。“愛情を表す2切れのパン”では、広々とした砂漠の真ん中にまわりがすこし欠けた2切れの大きなパンがおかれている。パンのすぐ上にはチェスの駒があり、その先をみると、人物が二人、線描きされている。

“リチャード3世”に大変魅せられた。NYのフリック・コレクションとかロンドンナショナルギャラリーにあるホルバインの肖像画のような堂々たる人物表現と衣装生地の精緻な描写に観入ってしまう。この絵は二つの顔の唇を地平線に重ね合わせるといったダリ独特の手法を使ったり、画面下に剣をぶら下げたりして、幻想的な風景と写実的な人物像を組み合わせたシュールな肖像画なのに、不思議な魅力がある。やはり、ローレンス・オリビエが超一流の腕でリアルに仕上げられているからだろう。

今回のダリ回顧展には200%満足した。会期はまだたっぷり残っているので、また出かけようと思う。

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2006.10.01

ダリ回顧展 その二 ダブル・イメージ

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ダリお得意のダブル・イメージはわかると面白いが、その仕掛けが解けないとイライラし、自分の頭が硬いのかなとちょっと落ち込む。

会社の研修などで、アナモルフォーズ(歪んだ画像)の絵をみせられ、頭が混乱したとき、講師が“これは白の部分を中心に見るとワイングラスの形に見え、黒のところに注目すると人が向き合っているように見えます”と説明してくれると、“あーそうか!わかった、わかった”と納得した人は多いはず。

ダリが作品のなかで使うダブル・イメージはこうしたアナモルフォーズを造形的に複雑にし、イメージを多様に読み解かせようとする仕掛け。ダリは精神の異常をきたした“偏執狂(パラノイア)”を装っているが、実際は夢や無意識の世界から心に浮かぶ幻覚的で奇怪なイメージをこうした手法できわめて意識的に表現しているのである。今回、ダブル・イメージが使われてる作品はいくつかあるが、気に入ったのを3点ピックアップした。

上から気がつくのが楽な順に並んでいる。上が“柔らかな三美神のいる神秘的な砂浜”(1838)、真ん中が“三世代 老年、青年、幼年”(1940)、下が“ヴォルテールの見えない胸像”(1941)。

“柔らかな三美神”は見てすぐわかる。左の女は顔の輪郭がなく、地面におかれた黒や茶色の岩の塊で目や鼻をイメージさせている。真ん中はあまり画面に近づくと、顔のまつげや鼻、口をつくっている馬に乗った人や寝そべっている人、そして髪の毛のあらわす草木が目に焼きつき、女性の胸から上が消えてしまう。だから、この絵は画面に接近して細部に何が描きこまれていることがわかったらすぐ、ちょっと離れて見たほうがいい。そうすると、美しい女神がくっきりとイメージ出来る。右の女性は顔以外に何を読ませようとしてるのか逆にわからない。

この絵のダブル・イメージのつくり方は横浜美術館にある“幻想的風景”と同じで、形の輪郭を別の小さい塊や線形でつくっていくタイプ。“幻想的風景”では、空を飛ぶ鳥の羽根がまつげや目を表し、白い雲が腕や胸を造形している。これに対して、“老年、青年、幼年”と“ヴォルテールの見えない胸像”は諸橋美術館にある“ビキニの3つのスフィンクス”と同じようなイメージの読ませ方。アナモルフォーズを読み解くのと同じ要領で見ればいい。でも、これが慣れないとなかなか難しい。パッとみてわからないといつまでたってもわからない。

“三世代”では、右の“幼年”は一回目は残念ながら、わからなかった。2回目に謎がとけたとき、なぜ、すんなり見えなかったのかが理解できた。この子供の頭の上が切れているのと魚網を繕う2人の女を見すぎたためである。で、どうしても子供の顔が輪郭できなかった。中央の青年と左の老人は壁にできた穴や風景、人物が目の邪魔をすることはなく、すぐわかる。

下の“ヴォルテール”も苦労した。結局、図録にある部分図版をみて、やっとヴォルテールをつかまえた。白いターバン?をまいた向こうむきの2人の男に注目し、隣にいる黒の衣服をまとった女たちにそのまま目を移動させたのがいけなかった。最後まで、どこにヴォルテールがいるの?とすっきりしなかった。

ダリが仕組んだ視覚のトリックは結構楽しんだが、ダリが絵の中で表現した内なる精神への理解は深まらない。今のところ、心の病みはそれほど進んでなく、不思議な夢をみる経験もあまり無いので、ダリとの付き合いはこのくらいがちょうどいいかもしれない。

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