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2006.09.30

ダリ回顧展 その一 やわらかい時計・蟻

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今年開催される洋画の展覧会では最も期待していたダリ回顧展(上野の森美術館、07/1/4まで)をみてきた。開館直後の平日だからゆっくりみれるだろうと思って入館すると、もう作品の前にかなりの列ができている。流石、ダリ。凄い人気である。

超シュールな絵だが、細密画みたいに対象をどうしてこんなに小さく描けるのかというくらい精緻に描写しているので、みんな目をこらし、時間をかけてみている。伊藤若冲の“動植綵絵”と同様、これくらいじっくりみないと、ミクロの隅々まで超想像力の広がったダリの絵は楽しめない。だから、列の動きが遅くなるのは致し方ない。この出足だと、週末は大変な混雑になりそう。

ダリの生誕100年を記念するこの大回顧展に展示される作品は油彩60点、素描30点。普通の海外旅行ではとても行けそうにないスペイン・フィゲラスにある“ダリ劇場美術館”(拙ブログ04/11/28)とアメリカ・フロリダ州セントピーターズバーグの“サルバドール・ダリ美術館”が所蔵するものだから、10点くらいを除いて大半が日本初公開。手元にあるTaschen社のダリの画集でチェックすると、掲載された57点のうち8点は今回の出品作だった。ダリの絵としては、名の知れた作品がかなり含まれていることは間違いない。これは目に力が入る。

作品はダリの初期のころから最晩年にいたるまで、年代別に並べられているので、画風の変化や画題のヴァリエーションがよく頭に入る。過去、海外や国内にあるダリの絵を鑑賞した体験にもとづき(04/12/1705/6/2706/2/27)、今回でている作品を作風の違いにより、いくつかに分け、その魅力をまとめてみた。

まずは、ダリの代名詞となった“やわらかい時計・蟻”から。1931年、ダリが27歳のときに描いた歴史的な傑作、下の“記憶の固執”(NY,MoMA)のヴァリエーションのようなのが2点ある。上の“夜のメクラグモ・・・希望”(1940)と真ん中の“記憶の固執の崩壊”(1952ー54)。2つの作品を念入りにみていると、こちらもいろいろと想像力を掻き立てられる。これがダリの絵をみるときの楽しみのひとつ。

“夜のメクラグモ”では溶けた時計は出てこないが、その代わりに、ぐにゃっと曲がったチェロが描かれている。そのチェロを演奏している裸婦のアクロバットのように反り返った顔は“記憶の固執”に横たわる人の顔と同じ。黄色の顔のうえには足をひろげたメクラグモと死の象徴である蟻がいる。上の女性の腹に置かれた二つのインク壷はエロティックを表す。

左のほうに描かれているのは複雑。大砲から飛び出てくる馬はわかるが、その下のウィンナーのような、スプーンのようなフォルムをしたものは何だろうか?硬いカマンベルチーズが部屋のぬくもりで溶けていく感覚からイメージされた曲がる時計のように、柔らかいチェロや顔が斜め平行に配置される画面構成が面白い。これはちょっと盛り沢山のきらいはあるが、特○作品のひとつ。

“記憶の固執の崩壊”は意外にも小さな絵。明るい色調で描かれ、“記憶の固執”とはだいぶ雰囲気が異なる。上半分は背景の海岸風景など同じような構成だが、蟻は登場せず、人間の顔はシュールさが緩み、きれいな魚のようにすっきりしている。下の長方形の塊が連続する幾何学的な模様は“原子力の核”を意味し、この絵は核の時代により、世界が変ったことを表している。絵全体から受ける印象は“夜のメクラグモ”のような、幻想的でぬめっとした不思議な世界ではなく、発想の自由度がせばめられ、逆に硬さが感じられる。好みからすると、“夜のメクラグモ”のほうが断然いい。

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2006.09.29

ベルギー王立美術館展

484長らくご無沙汰していた国立西洋美術館へ出かけ、“ベルギー王立美術館展”(12/10まで)をみた。

昨年4月のオランダ・ベルギー旅行で、この美術館も訪れ、ブリューゲル、ルーベンスをはじめデルヴォー、マグリット、現代アーティストなどの質の高い絵画を楽しんだ。

それから、あまり時間がたってないので、展示室のレイアウトや美術館の誇る名画をどんな風にみたかをよく覚えている。で、当然ながら、まだ、ここを訪れていない人とはこの展覧会に対する期待値は異なる。海外のブランド美術館が所蔵する作品を展示するときは、いつも過大な期待はもたないようにしている。目玉の名画が2,3点あればもうOK。

だから、今回、ブリューゲルの名作、“イカロスの墜落”(拙ブログ05/4/27)がまた観られるのは有難いなというくらいの気持ちだった。トータルの満足度としては、これにどれくらいのプラスαがあるかだ。結果はどうであったか。名画2,3点は確かにクリアしているから、一応は○である。が、二重丸はつけにくい。理由はいくつかある。

古典絵画部門では、ルーベンスの名画を1点でもみたかったのだが、これは叶えられなかった。“東方三博士の礼拝”、“聖リヴィナスの殉教”やクラナッハの“アダムとイヴ”はやはり無理だった。ヨルダーンスの“酒を飲む王様”で我慢してくれということだろうか。この絵は現地で見たときも印象深かった。4点くらいみたなかでは一番惹きつけられた絵。酒を飲んだり食べたりして王様遊びを楽しんでる様子をみるとこちらも心が軽くなる。ヴァン・ダイクの“イエスの伴侶、ジャン・シャルル・デラ・ファイユの肖像画”もいい絵。

近代絵画は期待値を下回った。この美術館の自慢はシュルレアリスト、デルヴォー(4/26)、マグリット(4/25)と象徴派のクノップフ(4/23)やデルヴィル、アンソールのコレクション。実はこれらのビッグネーム画家の名画をプラスアルファとして一番期待していたのだが。。デルヴォーは“夜汽車”があり、右の目の大きい人形のような半身裸婦像が手前に大きく描かれた“ノクターン”があるので大満足。

マグリットの“光の帝国”はもちろん代表作のひとつ。でも、この絵も“血の声”も02年、Bunkamuraであった“マグリット展”にやってきた。まだ、4年しかたってないのにまた、同じ作品をでんと展示するのはちょっと配慮に欠けるのではなかろうか。もっともこの回顧展には王立のマグリットコレクションをごそっともってきたので、ほかの作品だとレベルが下がるというジレンマがあり、じゃー、“光の帝国”にしとこうかーとなったのかもしれない。もし、こうした思考回路でマグリットの作品を選んだのなら、今後はそんなやり方はしないほうがいい。

日本人は世界で一番といっていいくらい絵画が好きな国民なのである。いくら、マグリットの代表作といっても、同じ作品を何度も見るより、まだ日本にきてない、具体的には、図録(日本語版あり)に載っているクノップフの“マルガリーテ・クノップフの肖像”、“メモリー・芝生のテニス”、“愛撫”(これは無理だろうが)、デルヴィルの“悪魔の宝物”、“スチュアート・メルル婦人の肖像画”などがみられるほうが楽しいにきまっている。

絵画の好きな人はTV東京の“美の巨人たち”、NHKの“迷宮美術館”や美術雑誌などから情報を得て、気に入った名画を求めてどんどん海外の美術館に出かけている。日本初公開というフレーズにはあまり驚かない。注目しているのは展示内容。日本にはじめて紹介されたベルギー王立美術館所蔵品のなかにブリューゲルの“イカロスの墜落”が入っていたのは拍手々である。近代絵画のなかにぐっとくる名画がもう少し欲しかった。残念!

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2006.09.28

前田青邨展

483現在、岐阜県美術館で開かれている“前田青邨展”(10/9まで)に2度出かけた。

青邨の生誕120年を記念するこの大回顧展の情報は中国地方にある美術館のHPをチェックしていたとき、偶然入ってきた。

で、開催中だった島根県立美術館(7/22~8/27)に電話して、次の巡回先を聞くと、岐阜県美(9/5~10/9)、そして浜松市立美(10/21~11/23)とのこと。東京には残念ながらやってこない。ずっと前から回顧展を心待ちにしていたので、期待で胸を膨らませながら、岐阜県美を訪れた。

出品数は80点あまり。初期から晩年にかけて名作がズラリ揃っている。そのうち34点は前期と後期のいずれかしか展示されないので、2回足を運ぶことになった。前期の目玉が大倉集古館が所蔵する代表作、“洞窟の頼朝”(9/18で終了)。後期にはこれまで観る機会がなかった右の“唐獅子”(三の丸尚蔵館)がでてくる。“唐獅子”は長年追っかけている絵。事前に浜松市美の主な作品を確認したところ、この絵は出品されないとのことだったから、後期もはずせない。

岐阜県美へ行くのははじめて。会場に入ってから、退場するまでわくわくしっぱなしだった。手元の画集に載っている代表作がここにある、あそこにもあるという感じである。前田青邨の絵は歴史画(拙ブログ06/2/8)、古典画(05/1/31)、人物画、花鳥画(06/4/12)が中心(ご参考の3点は今回は出ていない)。中国やイタリアの街や京都の名所を描いたのはあるが、風景画は少ない。

今回初見の作品では、水墨主体の絵にいいのがいくつもあった。口ばしを大きく開ける姿がリアルな“鵜”、鯉が飛び跳ねたり、体を左右に動かすところを生き生きと描いた“鯉三題”、中津川出身の青邨にとっては得意な画題である“鵜飼”の三幅対。古典画では、“竹取物語”(京近美)に期待してたのだが、意外にも心に響かなかった。理由はかぐや姫を取り巻く天女たちが多すぎて、また衣装や手にもっている蓮の色が強いため、薄い白装束に身をつつんだかぐや姫が画面の中に埋没しているのである。これは図版ではつかめない。

出口のところに飾ってある2点は優美な花鳥画で、絵のなかに惹き込まれそうになる。04年、東近美であった琳派展にもでていた名画、“水辺春暖”(大松美術館)と若冲の“動植綵絵・梅花小禽図”を思い出させるような画面構成の“紅白梅”。近代日本画でこれほど美しい花鳥画にお目にかかったことがない。

2回目の訪問のお目当ては右の“唐獅子”。上が右隻で、下が左隻。期待以上の見事な絵。200%感動した。この絵のために再度、岐阜まで足を運んだ甲斐があった。右の雄獅子の親子のポーズ、そして、左の子獅子の愛嬌あるしぐさが心をうつ。顔を横に向け、四足をぐっとふんばる雄獅子の体は金色。一番びっくりするのが頭の毛と尻尾の緑。“わー”とおもわず声がでそうになるほどの鮮やかな緑である。画面に近づくと、金粉が体全体に散らされている。

左の前足をピンと立てて前方を見据えている雌獅子の体はプラチナ一色で、首のまわりと尾っぽは深い群青色。気品のある堂々とした姿に見蕩れてしまう。本当にいい絵を見た。この感動は一生の思い出になる。

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2006.09.27

出光美の風神雷神図屏風展

292宗達が描いた国宝、右の“風神雷神図屏風”(10/1まで)を4年ぶりにみた。

琳派の作品はその雅な装飾美や様式化されたデザインの美しさに魅了され、気持ちが高揚することが多いが、この風神雷神図はじっとみているとなぜか元気がでてくる。

出光美術館は京博といい関係ができてるのか、宗達の“風神雷神図”をよく展示する。宗達の原画とこれを模写した光琳と抱一の作品が一緒に並べられるのは60数年ぶりとのこと。3つのなかで、一番見る機会が多いのが光琳の風神雷神(拙ブログ06/4/15)。

酒井抱一のははじめてみた。出光美が所蔵するこの絵はどういうわけか展覧会にでてこない。扇絵の風神雷神図(太田記念美)はみたことはあるが、屏風にはとんと縁がなかった。抱一の弟子、鈴木其一にも絹地の襖に描いた風神雷神図(東京富士美)があるが、これは名古屋市博物館であった琳派展(94年)に光琳の絵と共にでていた。で、今回は入館すると、まずお目当ての抱一の風神雷神をみた。

右の緑の体をした風神は見慣れている光琳と較べると、ぐっとくるものがない。肝心の顔がどうもという感じ。光琳のほうがずっとエネルギッシュ。それに力強い鬼を表す筋肉の描写が弱く、ふくらはぎも太くない。また、手に持っている風袋の形が平板。宗達、光琳のほうが風がいっぱいつまった袋のように見える。抱一のいいところは髪の毛。これは光琳より迫力がある。左の雷神については、足の裏が異常に大きいのが気になるが、光琳の雷神とあまり変わりない。

3つの風神雷神図を見比べてみると、宗達の描く鬼の体が一番自然で、真ん中に間をとり配置する構成には安定感がある。と同時に、絵の中から今にも飛び出してくるような動きが感じられる。これはいくつかの視点で風神雷神をとらえているため、手足や体全体が立体的に見えるからである。風神の左肩の盛り上がりが大きく、足首は細く、ふくらはぎも弾力がありそうで太い。

この絵の中で、一番惹きつけられるのが雷神の勇ましいポーズ。光琳、抱一とのちがいは両腕が長くみえること。3回くらい比較してみたが、光琳、抱一の場合、ひじを上にあげた右腕のほうが大きく、それに較べるとまっすぐ伸びた左腕が短い。とくに抱一のアンバランスさが目立つ。宗達の雷神が光琳、抱一よりのびのびして、躍動感があるように感じられるのはこうした描き方のせいかもしれない。

色使いでいえば、目映いばかりの金地にぴたっときまった風神の緑と雷神の白のコントラストが見事。雷神は伝統的に赤で着色するのに、宗達は金地には白が映えると感じ、白の雷神を生み出した。色やデザインには敏感な扇絵師の感性は実に天真爛漫でシャープ。

3人の絵師が豊かな想像力と技の限りを使って描いた“風神雷神図屏風”を一緒に見られるのはめったにないこと。満足度200%の展覧会であった。

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2006.09.26

棟方志功の肉筆画

2477月にオープンした青森県立美術館はPR活動に相当力をいれたのではないだろうか。

新日曜美術館では司会者が展示会場にでむき、奈良美智をゲストに呼んで“シャガール展”を紹介していたし、TV東京の人気番組、“美の巨人たち”は常設展示室に飾ってある棟方が描いた肉筆画にスポットライトを当てていた。

展示内容に話題性があるとはいえ、新設の美術館としては破格の扱いである。われわれもこの二つの番組をみて青森行きを決めたのだから、TVメディアの力は大きい。

メインディッシュのシャガールの絵を堪能したあと、鮮やかな色彩を頭になかに残しながら、常設展示の部屋に急いだ。目指すは美の巨人たちが取り上げた棟方志功の肉筆画、弁財天の絵。

が、棟方コーナーの最初に展示してある肉筆画の大作、“御三尊像図”に急ぎ足をストップさせられた。立派な額装に収まった三幅対である。以前、どこかで見たような記憶がかすかにあったが、それは横において熱心にみた。画面の大半は衣装の土色と背景の赤が占め、のびのびとした墨線で体の輪郭や衣装の線をひかれた仏様の姿をみていると心が洗われる。これまでみたなかでは上位にくる肉筆画の傑作だった。

家にもどって過去の図録をチェックしたら、この絵は03年11月、Bunkamuraで開催された“棟方志功 生誕百年記念展”にでており、やっとその時の感動が蘇ってきた。3年前のことを忘れるなんて、ああー情けない!お目当ての右の弁財天は図版があるが、東京会場には出品されなかったから、これは観ていない。

この絵には“御吉祥大弁財天御妃尊像図”という長い名前がついている。TVで観たとおりの素晴らしい色彩に体がとろけそうになった。衣装の赤、黄色、緑が乱舞し、体の白の輝きはちょっと前みた“アレコ”にでてくる白い馬を彷彿させる。大首絵の美人画(拙ブログ05/11/5)にぞっこんだが、ふくよかな弁財天を全身立像で大きく描いたこの絵にも魅了される。言葉を失うくらい感動した。

翌日、朝一番で青森市内にある棟方志功記念館を訪ねた。いつか行ってみようと思っていたが、大シャガール展が誘引となり、訪問が一気に前倒しになった。ここも鎌倉にある板画美術館のように、所蔵品を3ヶ月に一回のペースで展示している。6/27~9/24の展示にはお馴染みの名作、“華厳譜”、“観音経曼荼羅”、“釈迦十大弟子”、“湧然する女者達々”があった。

嬉しかったのはここにもぐっとくる肉筆画があったこと。そのひとつが“御鷹図”。首の青、足の黄色、羽の緑が目にしみるほど鮮やか。鎌倉の板画館にも鷹のいい絵があるが、ここの鷹図のほうに軍配があがる。また、縦長の掛け軸、“大滝図”では岩や木々に落ちる水しぶきを描写した強烈な青に釘付けになった。

帰り際、館員の方から棟方志功の作品を展示している美術館のリストをいただいた。名前だけは知っている“やまとーあーとみゅーじあむ”は秩父市にあるようだ。機会があれば訪問しようと思う。

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2006.09.25

工藤甲人の夢と覚醒

281青森県立美術館の常設展示で全く予想だにしなかった絵と遭遇した。

右の絵がそれで、題名は“夢と覚醒”。描いた画家は弘前市出身の工藤甲人(1915~)。

洋画のようにみえるが、これは日本画。近代日本画のなかには時々、通常イメージする風景画や人物画とはかけ離れた西洋画ぽい画風のものがある。

これはその極めつけのような作品。図録“昭和の日本画100選”(1989年、朝日新聞社)でこの不思議な絵を見て以来、いつか本物に会いたいと願っていたが、思わぬ所でそれが実現した。

常日頃から観たいと思っている作品がいつ、どこの美術館に出品されるということが事前にわかっている場合は、わくわくした気持ちでその絵と対面するのだが、突然狙いの絵が前に現れるとちょっとパニクる。そして、すぐ嬉しさがこみ上げてくる。“ええー、工藤甲人の一番の傑作がここにあるの!?”。

個人の所蔵となっているのが、ここに展示されているのは、寄贈されたか寄託の作品なのであろう。美術館が新設されたおかげでこの名画が多くの人の目にふれるようになったというわけである。日本画は洋画とちがっていつも展示されないので、開館記念という特別な展示機会にめぐりあったというのは大変ツイている。こういうときは、ミューズに感謝々。

この絵が発するイメージは普段見慣れている日本画ではない。一番近いのは鳥や森をモティーフにして、神秘的な力をもった自然を描いたマックス・エルンストの世界。また、グロッぽさと怪奇な描写で見る者を驚かせるヒエロニムス・ボスの絵画表現に通じるものがある。真ん中で枯れ木の中からこちらを見ている半身の女性の顔は青白く、まともに目をあわせられない。こうした木の一部を使い、覚醒を表現したのはボスから霊感をうけたためかもしれない。ボスの絵には似たような場面がでてくる。

その上には眠る女の胸像があり、左に虹がかかり、2羽の蝶が舞っている。この絵は全部が々シュルレアリスムのような強烈な夢の世界ではなく、遠景の描き方には日本画の特徴である装飾性や象徴的な表現による幻想的でみずみずしい感じがみられる。こんなに美しくてシュールな日本画と会えたことは大きな喜びである。

工藤甲人の絵を見る機会は少ないが、所蔵する美術館の情報をいくつか。横浜美術館の“地の手と目”と京近美の“黒いとばり”はよく似た絵。東近美には“霧”がある。

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2006.09.24

奈良美智の A to Z 展

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青森県立美術館の目玉作品はシャガールの“アレコ”のほかにもうひとつある。弘前市出身の現代アーティスト、奈良美智がこの美術館のために制作した上の高さ8.5mの立体作品、“あおもり犬”。

これは地下2階の屋外トレンチに設置してある。奈良がつくった作品のなかでは最も大きいものらしい。ペットを飼う習慣がないので、犬の種類やしぐさに詳しくないが、真正面から向き合いことになるこの馬面の“あおもり犬”は従順そうでやさしい顔をしている。雪の時期、大人も子供も被る耳あてみたいに先が曲がっている耳のかたちが面白い。

常設展示小屋、“ニューソウルハウス”には美術館が所蔵する奈良の絵画やつくりものがある。奈良美智が生み出すあの目と目の間がすごくあいている女の子の絵に少ない観賞体験(拙ブログ05/12/13)ではあるが、大変愛着を覚えているので、いろんなシチュエーションの中で表現されたこのキャラクターを夢中になってみた。“あおもり犬”と“ニューソウルハウス”を常時みられる青森の人が羨ましい。

8/17付けの朝日新聞で奈良美智の大規模な展覧会、“A to Z”(10/22まで)を知った。もともとシャガール展に出かけることにしていたから、この情報は飛び上がるほど嬉しかった。で、青森市で一泊し、翌日、会場の弘前市吉井酒造煉瓦倉庫を目指した。会場につくまで岩木山の素晴らしい景色にため息をつきながら、クルマを走らせた。これが有名な岩木山かという感じである。

元酒造所の1、2階を使って、奈良の展覧会が開かれるのは3度目だそうだ。今回は倉庫のなかに44の小屋ができている。レイアウトのチラシを入り口でもらったが、それはみず、どんどん見てまわった。目をつりあげて怒っている女の子が登場する作品に出会うと思わず口元がゆるむ。この女の子が大好きなのである。また下のとじた目とつむんだ口がなんともかわいい女の子をみるとほっとする。髪のなかに星がきらきら輝くメルヘンチックなイメージが絵の魅力を増幅させている。

今回の収穫はいくつかあった白の人物オブジェ。どういう仕掛けになっているのかわからないが、右目から涙をながしている数体の子供の顔が三段重ねになっていた。これが心を揺すぶる。そして、2階にあったオブジェに感動した。柔らかい素材でできた黒い地面におかっぱ髪で目をつむった女の子の頭部が3つ置かれている。大きくて白一色なので存在感がある。念願だった奈良美智の作品を沢山みることができて、これほど嬉しいことはない。まだ出来てない図録が送られてくるのが待ち遠しい。

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2006.09.23

青森県立美術館のシャガール展

4777/13に開館した青森県立美術館で開催中の“シャガール展ーアレコとアメリカ亡命時代”をみてきた。

会期は明日、24日までなので滑り込みセーフのような鑑賞となったが、今は満足感でいっぱい。

7/30に放映された新日曜美術館でこの展覧会のことを知り、番組が終了したあと、隣の方と顔を見合わせ、“青森まで観に行こうか!”と即決した。

二人をこれほど興奮させた作品はバレエ“アレコ”の舞台美術として制作された大きな背景画4点。この絵はTVでみた瞬間から、96年にみた“ユダヤ劇場大壁画”(トレチャコフ美術館所蔵)のときと同様、わくわくさせるものがあった。はたして、地下2階につくられた高さ19m、4層吹き抜けの巨大なホールに展示してある“アレコ”は気持ちの昂りで体がほてってくるような絵だった。

画面は縦9m、横15mと超のつく大きさ。大きな絵というのは普通サイズの絵を見るときとは体の反応の仕方が全く異なる。大きな絵として、すぐ思い出すのがルーブルにあるヴェロネーゼ作、“カナの婚宴”。これが縦6.6m、横9.5mだから“アレコ”4点はさらに一回り大きい。

このホールに入ってしばらくは、戸惑う。4点あるうちどれから見ればいいのか?だが、これは学芸員の解説に耳を傾けていると、だんだんわかってくる。まず、1幕は“月光のアレコとゼンフィラ”。2幕“カーニヴァル”、3幕“ある夏の午後の麦畑”、最終幕は右の“サンクトペテルブルグの幻想”。どういう経緯で入手したのか知らないが、3幕以外は青森県美の所蔵。いつもはフィラデルフィア美で常設展示している3幕が美術館の開館にあたり、ここにやってきたので、シャガールがアメリカ亡命中に制作したバレエの背景画が揃って展示されることになった。

シャガールファンとしては、横浜から青森までクルマで8時間かかろうが、この貴重な鑑賞の機会を見逃すわけにはいかない。シャガールのような大巨匠の名画が海外に出かけなくてもみれるのだから、日本は本当に美術大国である。

バレエ“アレコ”の原作はプーシキンの叙事詩“ジプシー”。NYのバレエ団から依頼を受け、シャガールは4点の絵を描き、ダンサーの衣装をデザインした。時期は1942年、シャガールが55歳のころ。貴族の青年、アレコはジプシー娘、ゼンフィラと恋に落ちるが、別の男に心変わりしたゼンフィラに嫉妬し、男だけでなく、ゼンフィラまでも殺してしまう。

1幕の青い空にアレコとゼンフィラ、赤い羽根をした鶏が浮かぶ“月光のアレコとゼンフィラ”とヴァイオリンを持った熊とその上に黒い猿が描かれた2幕の“カーニヴァル”はあまりぐっとこないが、3幕と4幕は強く惹き込まれる。とくに最後の“サンクトペテルブルグの幻想”は見ごたえがある。一度観たら忘れられないほどインパクトがあるのが黄色のシャンデリアにむかって天空を駆け上がる白馬の姿。馬の白と画面下の横一杯に描かれた街並みの赤との対比が鮮烈で、色彩の魔術師、シャガールの色彩感覚にいつもながら驚かされる。

この展覧会は24日で終了するが、“アレコ”の1、2,4幕はこの大ホールで常設展示される。世界的にみても評価の高いシャガールの作品が日本の美術館にあるというのは誇らしいこと。また、何年か先、ここを訪れたい。

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2006.09.20

広重の花鳥画

307原宿にある太田記念美術館と較べると、東博の浮世絵コーナー(本館2階)は展示スペースが広いので、ゆったりした気分で作品を鑑賞できる。

展示期間は1ヶ月弱。8/15から9/10のものを観たばかりなのに、もう9/12から10/9の作品に切り替っている。

展示数は30点くらいだが、毎月出かけると年間では300点をこえる浮世絵をみたことになる。ここには名品が沢山あるので、毎度大きな満足が得られる。

今回は注目の作品があった。重美にもなっている鈴木春信の“雨夜の宮詣(見立蟻通行明神)”。画面の外に左半分がはみ出した鳥居をバックに、左手に堤灯、右手にやぶれ傘をもつ若い娘が描かれているこの風俗美人画は春信の代表作のひとつ。浮世絵と長くつきあっているのに、どういうわけかこの絵とは縁遠く、02年山口県立萩美術館であった大規模な回顧展でも会えなかった。

で、2年前からこの平常展に出てくるのを今か々と待ち続け、今回ようやく対面することができた。着物の裾や帯が風で後ろに流れ、体をよじる娘のポーズが実にいい。この娘は当時江戸で人気の水茶屋の看板娘お仙。“お仙ちゃん、この雨のなかどこへ行くの?”とおもわず声をかけたくなる。春信ではもう2点、“五常・智”と“鏡恨”がある。

広重の作品は毎回何点か出品されるが、風景画だけではない。花鳥画や動物、魚を描いたのも登場する。前回は名所絵のほかに“魚づくし”が9点あった。伊勢海老、鮑、あじ、鯛、ひらめ、鮎など身近な魚類が画面いっぱいに大きく描かれている。魚は生き生きして愛嬌のある形をしているので、見てて楽しい。

今回の見所は月に兎と雁を組み合わせた短冊絵、“月下木賊に兎”と右の“月に雁”。どちらも大きな月に驚かされる。とくに3羽の雁の向こうにみえる月の大きいこと。短冊という画面にそくして、雁を上から下のほうへ飛ばし、その姿を月の光がくっきりと浮かび上がらせている。並みの絵師の感覚からはこんな構図はでてこない。広重の自然をみつめる穏やかな心と生き物に対する愛情がうかがえる絵である。雁が飛翔する場面を描いた作品には名品が多い。例えば、同じく広重の作品から、東都名所のなかの“高輪之明月”(拙ブログ06/2/15)や伊藤若冲の動植綵絵にある“芦雁図”(06/3/28)。

広重の名所絵では、千葉市美術館の展覧会にも展示してある“近江八景”が全点みられる。“唐崎夜雨”、“栗津晴嵐”、“矢橋帰帆”、“瀬田夕照”、“石山秋月”、“堅田落雁”、“比良暮雪”、“三井晩鐘”。発色のいい一級の近江八景シリーズをみれる機会はそうない。存分に楽しんだ。

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2006.09.19

広重の東海道・木曾街道浮世絵展

475現在、千葉市美術館で開催されている“広重の二大街道浮世絵展”(10/9まで)は心待ちにしていた展覧会。

浮世絵鑑賞のため普段でかけている美術館は東博(浮世絵コーナー)と太田記念美術館。今回訪問した千葉市美術館もいい浮世絵をかなり所蔵している。

この広重展のお目当ては“木曾街道六捨九次”。広重の“東海道五十三次”はこれまで全点通しで楽しむ機会が何回かあった。が、“木曾街道”については、代表的な宿場の風景を描いたものを数点みただけで、全部を揃ってみたことはまだない。全点を観るチャンスがめぐってきただけでも嬉しいのに、この美術館が所蔵する“木曾街道”は世界的にみて一番質がいいということなので、目に力を入れてじっくりみた。

中山道の宿場町は東海道のように頭の中にきっちり入ってないから、はじめて知る名前と描かれた旅の情景に新鮮に反応する。中山道は五街道の一つで、途中険阻な木曽路を通るので木曾街道と呼ばれている。出発点は東海道と同じく日本橋。次が板橋、蕨、浦和、大宮。。。と続く。それから、信濃、美濃、近江と経由し、草津で東海道と合流し、京の三条大橋が終点。宿駅は全部で69ある。

風景画“木曾街道六捨九次”は広重のほかに渓斎英泉も一部を担当している。この街道ものは英泉が全部てがけるはずだったのに、英泉は24図を描いたところでジエンド。ありゃらら!これを引き継いで完成させたのが広重。だから、この絵は二人の絵師の合作というよりは、結果的に二つの画風の風景画が入り交じった変則コラボ作品となっている。

英泉はちょっと崩れた女の絵を描かせたら、右に出るものはいないくらい腕のたつ絵師だが、風景画もなかなか上手い(拙ブログ06/1/67/26)。英泉が描いた“木曾街道”で心を揺さぶられるのは“日本橋 雪之曙”、“鴻巣 吹上富士遠望”、“倉賀野 鳥川之図”、“坂本”、右の“野尻 伊奈川橋遠望”、“河渡(ごうと) 長柄川鵜飼船”。なかでも特にぐっときたのが“野尻”。これは浮世絵では前々から追っかけていた絵。期待通りの傑作だった。

アーチ型の橋の下を流れる川のフォルムがまず目にとびこんでくる。幾何学的な形で表現された水の流れは激しく落ちる滝のようだ。川の上方、水が消えかかるところと橋の間に深い藍色の山々を描き、赤く染まる夕陽を背景に雁を飛ばす構図が秀逸。この橋の絵とダブル絵がある。それはバークコレクション展にでてた曽我蕭白の“石橋図”(拙ブログ06/1/29)。

広重が描く宿場風景にも惚れ惚れする名作がいくつもある。風により大きくしなった柳と川で筏と舟をこぐ男たちの姿から日本の秋が叙情豊かに伝わってくる“洗馬”。遠景の家と人物のシルエットが印象深い“宮ノ越”。平明な画面構成で雪景色のなかを進む旅人を見事に描ききった“大井”。今、“木曾街道”を全点みれた喜びをかみしめている。

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2006.09.18

ブリジストン美のグロス

474ブリジストン美術館の“なつの常設展示ー印象派から21世紀へ”(9/24まで)をみた。

ここは頻繁に出かける美術館ではない。東近美の場合、近代日本画をとっかえひっかえ展示するので毎月訪問しようという思いにかられるが、ブリジストン美は西洋画の殿堂とはいえ、図録に掲載されている作品はほとんど鑑賞済みでまた何回も観たということもあり、足が遠のきがちだった。

だが、石橋財団の創設50周年を記念する大コレクション展をみて、この美術館が所蔵する絵画のレベルの高さを再認識し、今後はあまり間隔をあけないで名画を鑑賞しようというように心を改めた。

実際、館内をまわると1点々の質が高いのでいい気分になる。平常展でも内外の作家が制作した作品が120点ちかくあるのだから、良質の展覧会であることはまちがいない。ここへ通いはじめてからもう何年もたつが、My好きな絵ベスト5(順位は無し)を挙げると。

ルノワールの“すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢”、モネの“睡蓮”、セザンヌの“サント・ヴクトワール山とシャトー・ノワール”、ピカソの“腕を組んですわるサンタンバンク”、モディリアーニの“若い農夫”。これらは画集におさまるほどの名画ではないだろうか。それほどここのコレクションはすごい。

2年前からまた訪問するようになり、目にとまった作品がいくつかある。今回出品されているザオ・ウーキーの“07.06.85”(1985)、ベルナール・ビュッフェの“アナベル夫人像”(1960)、右のゲオルゲ・グロスの“プロムナード”(1926)。

ザオ・ウーキーについては、昨年ここであった回顧展(拙ブログ05/1/9)をみていっぺんにファンになった。そのとき、大変感動したのがこの絵。南宋の画家の絵のようでもあり、印象派の先駆けとなったターナーの絵のようでもある。抽象画だが、とてもいい気持ちにさせてくれる。今回、ザオ・ウーキーの絵は3点でている。絵を見た後、ここの常任理事の方とお話しする機会があったのだが、04年制作の“風景2004”はザオ・ウーキーと直接交渉して購入したとおっしゃっていた。

グロスの絵を日本の美術館でみたのはここだけ。この“プロムナード”が大変気に入っている。2月にあった“東京ーベルリン展”でみた“社会の柱石”(拙ブログ06/2/2)はインパクトのある絵だったが、この絵もなかなか面白い。都会の人々が雑踏の中を歩く様子を描いた現代の風俗画であるが、赤い服を着てこちらを見ている右から2番目の丸顔の女の目線に釘づけになる。

戯画的に表現した女の目にこれだけ力があると、この絵をさらっと見るだけではすまなくなる。言葉でなくても、絵画で社会と向き合うこともできるということを教えてくれる一枚である。

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2006.09.17

岸田劉生の二人麗子図

473泉屋博古館分館と大倉古集館へは展示品が変る度に通っているわけではないが、展覧会のスケジュールは定点観測している。

大倉集古館の“ゴールド展”は過去に見た作品が多いのでパスすることにしたが、泉屋博古館の住友家が収集した近代洋画コレクションには関心があった。それはチラシのせい。

チラシには“近代洋画の巨匠たちー浅井忠、岸田劉生そしてモネ”(10/9まで)とあり、モネの字をとくに大きくしている。住友が所蔵するモネの作品はあまりお目にかかったことはないが、モネファンとしてはこのアイキャッチが気になるところ。が、期待三割、リスク7割で入館してみた。

展示品は50点あまり。ほとんどが日本人が描いた洋画で、外国人画家のものはモネの2点、知らない画家、ローランスの2点のみ。モネの“モンソー公園”と“サン・シメオン農場の道”は残念ながら、モネを強調するほどのこともないアベレージの作品だった。が、はじめから期待値は三割なので、不満が募るということはない。

日本人画家の絵で期待してた梅原龍三郎の“北京長安街”もそれほどでもなかった。だが、赤が生き生きした“薔薇図”があったので救われた。収穫は山下新次郎の“読書の後”。元来日本人洋画家の作品に対し、関心が薄いため、東近美でもブリジストン美でも絵の前で長く立ち止まることはあまりないのだが、最近山下新次郎が描く女性に惹きつけられることが多くなった。

今回展示してある“読書の後”の女性も大変美しい。どうやら東近美の“窓際”、ブリジストンの“読書”で描かれている外国人女性と同一人物のようだ。山下の作品は現在のところこの3点しか見たことがないが、俄然他の絵もみたくなった。

岸田劉生は右の“二人麗子図(童女飾髪図)”、“自画像”、“晩秋”の3点。どれも予想にたがわぬいい絵。“二人麗子図”は70点ちかくある“麗子図”のなかでは最も大きな作品。この絵とはここ2年毎年対面している。昨年はホテルオークラの“アートコレクション展ーきらめく女性たち”。今年は東京美術倶楽部であった“知られざる名作展”にもでていた。観るたびにうっとりする麗子像である。お河童髪をした麗子のつややかで白く輝いている顔と暖かそうな感じがする赤の着物の質感に惹きつけられる。

東博が所蔵する“麗子微笑”(重文)をはじめ代表的な麗子像はだいたい見た。残るは“二人麗子図”と顔の描き方が似ている“麗子住吉詣之立像”。これは個人蔵なのでいつみられるか見当もつかないが、お目にかかれるのを信じてじっと待っておこう。これまで書いた岸田劉生の記事は05/10/2312/21

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2006.09.16

モダン・パラダイス展のゴーギャン

472プロバイダーの変更に予想以上の日数を要し、3週間も休止しましたが、本日回線が開通しましたので、更新を再開します。よろしかったらまた、お付き合い下さい。

過去2ヶ月に鑑賞した展覧会のなかには会期の終了したものがいくつかある。ネットのトラブルがなければアップしていたはずだが、古新聞のようになってもいけないので、これらは割愛して、現在も開催中の企画展を取り上げようと思う。

まずは、東近美の“モダン・パラダイス展”(10/15まで)から。初日(8/15)に入場した。この展覧会の一番の魅力は倉敷にある大原美術館の名画がみれること。2年前までは長らく広島にいたから、大原美術館には何回と足を運んだ。質の高い美術品があり、その展示空間にいると大変いい気持ちになる美術館が日常生活のなかで身近な存在に思えるというのはとても嬉しいことである。大原のように一級の西洋絵画が揃っている美術館だとその感を強くする。

今回ここからの出品作を手元にある図録でチェックすると、お馴染みの名画が漏れなくある。大原自慢のエル・グレコの“受胎告知”があれば言うことないが、これは今回のテーマからちょっとはずれるのでそこまで欲張れない。モネの“睡蓮”、ルノアールの“泉による女”、右のゴーギャンの“かぐわしき大地”、セガンティーニの“アルプスの真昼”とくれば、日本にある最高レベルの印象派作品のオンパレード。これは見応えがある。そして、日本にあるデ・キリコの絵のなかではベストではないかと思っている“ヘクトールとアンドロマケーの別れ”やフォートリエの“人質”もちゃんとでている。

これに対し、本拠地、東近美の所蔵品は日本画や日本人の描いた洋画の傑作が並ぶ。入ってすぐのところに菱田春草が死ぬ直前に制作した巻物“四季山水”がある。春草がこの絵を描いたあとも生命が続いていたら、本来持っていた天分の色彩感覚が作品に全開してでてきただろうなとふと思った。徳岡神泉の“蓮”も凄く印象深い絵。前に見たときと同様、蓮の上にたまる水滴の質感にびっくりした。見事というほかない。安井曽太郎の“奥入瀬の渓流”はつい最近みた実景をよくとらえている。今ではここでこれをみるのが大きな楽しみ。

人物画では東近美の定番がズラリ。いつ観ても魅了される岸田劉生の“麗子肖像”、小出楢重の“ラッパを持てる少年”、関根正二の“三星”。“心のかたち”としてくくられた内外の画家の肖像画のペアリングは非常に興味深い。人物を表現するとなると絵画だけでなく、写真のもっている大きな力が新鮮に感じられた。

今回エネルギーを集中してみたのが右のゴーギャンの“かぐわしき大地”。なぜかというと、10/19から東京都美術館ではじまる“大エルミタージュ美術館展”にゴーギャンの名画中の名画、“果実を持つ女”が出品されるので、ゴーギャンへのテンションが徐々に高まっているからである。“かぐわしき大地”はゴーギャンの絵ではつね日ごろ5本の指に入る傑作ではないかと思っている。お気に入りの色は強烈に輝くトカゲの赤い翼と女がつまんでい花びらのピンク。

ゴーギャンの絵をみる楽しみはなんといっても色彩の輝き。エルミタージュで“果実を持つ女”を観たときの感動はいまでも忘れられない。その絵がまた観れると思うと嬉しくてたまらない。頭の中でゴーギャンの絵の理想的な鑑賞を想いえがいている。それは、10月に“果実を持つ女”をみて、来年1月、同じく東京都美術館で開催される“オルセー美術館展”で“タヒチの女たち”に出会うこと。トップ5の3つが半年の間に見られるなんて夢のような話なのだが。はたして“タヒチの女”がやってくるだろうか?

因みに勝手に決めてるあと二つの作品はメトロポリタンにある“マリアを拝す”とボストン美の“われらはいずこより来たり、われわれは何であるのか、われらはいずこに去るのか”。

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