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2006.07.22

川端龍子の筏流し

441棟方志功とともに時々無性にみたくなるのが川端龍子の絵。で、大田区の龍子記念館へ出かけた。

ここの展示は年2回で、現在は“川端龍子の世界”(5/31~12/21)のタイトルで所蔵品19点がでている。04年の後期から通っているので、所蔵の作品もそろそろ一巡してまた、同じ絵が一部でてきた。

この間、昨年末と年初に江戸東博、五浦美術館であった大回顧展もみたので、代表作のほとんどは鑑賞したことになる。この記念館にある作品も残りわずかとなった。

龍子が好きな理由は二つあって、一つは大作だということ、もう一つは龍子が絵の見方を教えてくれるから。西洋画でも祭壇画やルーベンスの絵のように大きな絵は沢山あるが、近代絵画となると、モネでもピカソでも一部大作はあるものの、小さな額装におさまった作品が一般的になる。これに対して近代日本画の場合、東山魁夷のように比較的大きな作品が代表作であるケースが多い。そんな大作に慣れている日本画愛好家でも、川端龍子の超大画面の絵となるとまた別の感慨をもつにちがいない。横長の作品だと、縦が2.4m、横は7~9mもある。この超大作の絵に魅せられてここへ通うようになった。

絵の見方についてはちょっと説明がいる。絵は対象を忠実に再現しなくても観る者に感動を与えられるということを教えてくれるのが川端龍子と棟方志功の絵。4,5年まえ、大原美術館であった棟方志功の回顧展に肉筆画の鯉の絵がでていた。細部は丁寧に描かず、太い線でささっと描いただけだが、体を左右に曲げた、あるいはひねりのはいった丸い鯉がまるで生きているように感じられた。鯉の動きの特徴をぱっとつかまえられれば、ディテールまで全部描写することはないんだ。その対象の本質やイメージが伝わるフォルムと色使いで描けば絵になるということがわかった。

それとおなじことを龍子の作品をみててよく感じる。龍子は人物、魚、、鳥、動物などの姿態は克明に描かない。また風景画にでてくる木々や海、川の水も大まかにざざっと勢いにまかせて描いてるようにみえる。でも人物の表情や鳥や動物の生気がちゃんと伝わってきたり、自然の雄大さやエネルギーをみてとれる。

右の絵は代表作のひとつ、“筏流し”。激流の迫力にいつも圧倒される。川は龍子の生まれ故郷和歌山県の熊野川。両サイドの岩にぶつかり砕け散る白い水流の描写が見事。筏はこれから傾斜のきつい難所にさしかかるところ。筏をあやつる先頭の筏師の緊迫感に満ちた動作や顔つきに観る者の視線が集まるようにした構図が実に巧み。濃い茶色と金泥でおおまかに描かれた岩のヴォリューム感もたっぷりでている。

ほかにも子供たちの表情がとても可愛い“都会を知らぬ子等”、“百子図”といったいい絵がある。今回も大きな満足が得られた。

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コメント

いつも楽しみに読ませていただいてます。
さて、この記事にコメントするのもなんですが、現在京博で「美のかけはし」という特別展を行っています。京博保有の名品をずらっと並べています。ところが、人出が少なく、夜間開館時等は独り占めの状態です。じっくりとみられます。また、同時に開催しています常設展に8月2日から「波濤図 長谷川等伯」が出展されます。以前、書いておられた「山越阿弥陀図」「阿弥陀二十五菩薩来迎図」「「釈迦金棺出現図」等も展示されています。一部ブログにあげていますが、まずはお知らせまで。

投稿: 好日 | 2006.07.23 17:13

to 好日さん
京博の“美のかけはし展”がはじまりましたね。気になる展覧会であること
は間違いないのですが、また出かけるかどうか迷うところです。前から
追っかけているのは“釈迦金棺出現図”なのです。残り少なくなったターゲ
ット仏画のうち、禅林寺の“山越阿弥陀図”は今秋、東博でみられるので、
この際、“釈迦金棺出現図”もみて、仏画を一気に済みにしてしまう手もある
のですが。

また、等伯の“波濤図”も出てくるのですよね。京都に行くときは周りの
美術館での展覧会とのかね合わせも大事で、今回はこちらの動機づけが
弱いのです。もうしばらく考えてみます。

投稿: いづつや | 2006.07.23 21:22

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