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2006.06.11

丸木位里・俊の原爆の図

403伊香保の竹久夢二記念館から横浜に帰る途中、関越自動車道の東松山インターで降り、ここから3kmのところにある丸木美術館に寄った。丸木位里・俊作、“原爆の図”を観るためである。

途中、クルマ一台しか通れない狭い道があり、対向車が来ないかと冷や冷やした。ここは夫妻のアトリエがあったところで、1967年、この美術館が建設された。来年は開館40周年をむかえる。二人とも長寿で位里は94歳(1995年死去)、妻の俊は87歳(00年)まで生きている。

丸木位里、俊の合作になる“原爆の図”は“昭和の日本画100選”(1989年、朝日新聞社)の図録で知った。この絵は美術史家、作家、評論家、文化人らが選ぶ作品ベスト20では6位にランクされるほどの有名な作品なので、いつか見たいと願っていたが、やっとお目にかかれた。が、絵の情報は図録にある図版だけでしかも額装と思っていたので勝手がちがった。

“原爆の図”は屏風仕立ての連作で、全部で15点ある。1部~8部が2階、9部~14部が1階に展示されている。墨一色で描かれた屏風は大きく、真に迫るリアリズム表現には無言の力がある。また、墨のほかに一部の作品に使われている紅、群青、緑青が印象深い。制作期間は長きに渉る。1945年8月6日、広島に原爆が投下されてから5年後の1950年にまず、1部“幽霊”、2部“火”、3部“水”が描かれ、以後連作が制作され続け、1982年の最後の15部“長崎”(長崎原爆資料館蔵)をもって完結する。

深い感動を覚えるのは2階にある作品。“幽霊”、“火”、“水”、“虹”、“少年少女”、“原子野”、“竹やぶ”、“救出”。絵には内容の説明文が添えられ、絵巻物の形式をとっている。最初の3つに原爆投下直後の様子が描かれており、とくに“火”の悲惨で残虐な情景に言葉を失う。地獄絵のような赤い炎につつまれ、苦しむ女こども、死んで横たわる母子。

右は8部の“救出”(部分)。死んでいる裸婦や男を横に見ながら、頭に傷を負った老人を乗せた荷車を男女二人が引っ張っている。やっと救出活動がはじまったのであろうか。老人の隣で赤ん坊を抱いて悲しげにこちらを見ている男の表情に胸を打たれる。原爆が投下された時の状況についてはわからないが、広島に9年住んでいたので、毎年8月6日は黙祷をしてきた。“原爆の図”を見終わってしばらく椅子に座っていたとき、ふと会社の近くにあった破壊された街の様子を表わしたレリーフが目の前に浮かんできて、荒廃した街と2階にあった屏風に描かれた人々の姿が重なり合わさった。

日本の絵画史に残る“原爆の図”をみたこの日のことは一生忘れないであろう。

<お知らせ>
記事のカテゴリーを一部整理しました。これまで“日本画”でくくってたのを“琳派”、“絵巻”、“仏画”などに細分化し、人気の若冲や蕭白は“奇想派”としました。また、“近代日本画”は“女性画”、“花鳥画”、“風景画”、“古典・歴史画”に変更。さらに、近代西洋画については“キュビスム”、“フォーヴィスム”、“エコール・ド・パリ”などにふりわけました。ご参考までに。

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