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2006.06.30

吉原治良展

422東近美で開催中の“吉原治良展”(6/13~7/30)を開幕日にみた。

平日の午後だからか、まわりにあまり人はいない。世田谷美であった“堂本尚郎展”でも観客はこのくらいだったから、抽象絵画の展覧会の場合、これが普通の光景かもしれない。

この作家の名前が“よしはらじろう”とすっと口からでるようになったのはここ1,2年のこと。東近美には平常展をみるため、かなり頻繁に通ってるので、吉原治良(1905~1972)の作品にも目が慣れた。でも、観てるのはいつも右の“黒地に白”。ほかの作品をみたという印象がない。

チラシに“誰にでも描けそうで、彼にしか描けない円”とある。まさにその通り。この絵をみるといつもそう思う。でも、これは“コロンブスの卵”みたいなもので、円の形が簡単に生まれてきたわけではない。科学者でも芸術家でも事業家でも、何事も最初に発見したり、創造した人はエライのである。

日本の前衛作家や抽象画家の知識がないため、いつものように会場の解説パネルを頼りに作品をみてまわった。はじめてみる作品ばかりであるが、アンフォルメル風の抽象絵画からシンプルな円の形にたどりつくまでの流れがよくわかる展示になっている。これには感心した。吉原が円を描いたのは1965年で、60歳のとき。そこまでに描かれた作品はささっと流し、最も惹きつけられる円シリーズを集中的に観た。

色々なヴァージョンがある。“白地に黒い円”では円の外周から下に細い線が2,3本描かれていたり、内周へ白い線が出てたりする。白地はこの1点だけ。吉原は地は白より黒ほうがいいと思ったにちがいない。黒地に円を表現したのが3点ある。黒地の部分が少なく、画面の大半を白い円で埋めたもの、逆に黒地を多くし、両端が尖った細い白の板を曲げて円のようにみせたもの、そして白いドーナツが描かれたような右の“黒地に白”。絵の完成度としては“黒地に白”と黒地に赤の輪が映える“黒地に赤い円”(兵庫県美)が一番高い。ほかの色の組み合わせで1971年に制作された“赤地に青い円”にも目を奪われた。

形態を単純化し、黒と白あるい赤しか使わない絵が強い力をもっている。単純な形がかえって観る者の想像力を掻き立てるからかもしれない。円という形には無限の広がりや連続性を感じる。円シリーズの作品をこれだけ多く観れたのは大収穫だった。なお、この展覧会は東京のあと、宮城県美術館でも開催される(8/6~10/9)。

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2006.06.29

エドゥアルド・チリーダ展

421今月は鎌倉で気持ちのいい美術鑑賞が続いている。

上旬、“ジャコメッティ展”を観終わって、“ジャコメッティの人物彫刻ってほんとうに軽い!浜松土産の鰻パイみたいに薄いのがあったな”と作品を思い出しながら帰ろうとしていたら、目の前に気になるチラシがあった。

それは神奈川県近美鎌倉(鶴岡八幡宮境内)ではじまる“エドゥアルド・チリーダ展”(6/10~7/30)。絵柄に使われているのが、ごつごつした岩のある海岸線に設置されたスクラップ処理場でクレーン車が操作する取っ手機械のような大きな鉄の抽象彫刻。この作品の印象があまりに強かったので、開幕を待ってすぐにでかけた。

ここへははじめて入った。目と鼻の先にある鏑木清方記念館には定期的に訪問しているのに、これまで企画展で惹かれるのがなかったため、いつもパスしていた。でも、今回の展覧会でここを見直した。ひょっとすると食わず嫌いだったかもしれない。

チリーダ(1924~2002)はスペインが誇る世界的な彫刻家らしいのだが、これまで作品を本物はもちろんのこと図録などでもみたことがない。日本でチリーダの本格的な回顧展が開かれるのははじめてという。長崎県美(2/21~4/2)、三重県美(4/11~5/21)のあとここへやってきた。展示室に飾られている欧米の都市の公共空間におかれた大型の野外彫刻の写真パネルをみて、だんだんこの作家の大きさがわかってきた。ブランクーシ、カルダー、ジャコメッティクラスの彫刻家である。

今回はこれらの鉄鋼彫刻のためのモデルが18点出品されている。その造形の面白さに吸い込まれ、夢中になってみた。右は“寛容の記念碑のためのプロジェクト”(1992年、セビリアに設置)。中をくりぬかれた半円柱からでた突起物は曲がった指のように水平にあるいは下から上に伸びている。野外につくられる作品はスケールが大きいので複雑なフォルムは適さない。で、基盤となる板金の上に円柱を2,3本立てその間を緩やかに曲がったパーツでつないだものとか、先がイイダコの足のように開いた四角棒など鉄という素材のもつ強靭でどっしりしたイメージをストレートに表現した作品が多い。

鉄との関わりが強いのはチリーダが製鉄所があり、鍛冶職人が多くいるバスク地方に生まれた作家だからである。会場には制作ドキュメンタリービデオが放映されていて、その中にバスクのお祭りの目玉、200キロもの重い石を持ち上げる競技を映していた。バスク男子の逞しさがチリーダの抽象彫刻にも表れている。

2000年9月、チリーダの長年の夢であった野外彫刻美術館、チリーダ=レクが生地、サン・セバスチャンの郊外に開館した。いつかここにある作品をみてみたいものである。美術館の公式ホームページはここ

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2006.06.28

ジャコメッティ展

545葉山にある神奈川県近美で今、“ジャコメッティ展”が行われている(7/30まで)。

ジャコメッティといえば、すぐあの超細長い人物のブロンズ彫刻が頭に浮かぶ。そのぐらい、この彫刻家の作風は世間一般には知れ渡っている。

ジャコメッティの作品のイメージができあがったのはNYのMoMA、グッゲンハイム、パリのポンピドーセンターでの鑑賞によるものだが、つい最近訪れたローマの国立近代美術館にあったジャコメッティには驚いた。

数は一番多く10点ちかくあり、しかも、ほかの美術館が所蔵する作品より人物の背が一段と高いのである。今年日本で開催される展覧会ではこのジャコメッティ展に注目していたので、ローマでの思わぬ遭遇は丁度いい目慣らしになった。

今回はジャコメッティ財団が所蔵する彫刻、肖像画と国内の美術館にある作品で構成されている。そして、単なるジャコメッティ展とちがう特別の味付けが展覧会の価値を高めている。それはジャコメッティが親しくつきあっていた哲学者、矢内原伊作をモデルにつかって制作した肖像画や彫刻作品を多く展示していること。これまで、ジャコメッティのグレーや黄褐色の色調で描いたちょっと幽霊のような肖像画になぜ矢内原という日本人が登場するのか不思議に思っていたが、ようやく理解できた。

“半身像、全身像のヤナイハラ”の油彩が9点、半身の石膏像“ヤナイハラ”が2点ある。矢内原以外の肖像彫刻の場合、顔は極端に細長く、耳がなかったり、髪もふさふさしてなかったりするのに、この“ヤナイハラ”は目、鼻、口、耳どれもきっちりリアルに表現され、実に立派な肖像彫刻につくられている。ジャコメッティは元来西洋人と較べると彫りの浅い日本人の顔立ちを縦に長くしては、敬愛する矢内原の肖像が造形的につまらないものになってしまうと思ったのかもしれない。

弟のディエゴでも妻のアネットでも、普通の顔の半分くらいしかない細顔のブロンズや石膏像は正面からみるとすごく違和感があるのに、真横からみるとどれも美しいフォルムになっている。右の“ヴェニスの女Ⅰ”(大原美術館)の正面向きのポーズは両手の先が腰のところにくっつき、胴体との間にできる空間のほかはこれといって面白い形ではないが、横にまわると高い鼻、唇と顎のつながりはまさに生ある女性の顔そのものに見える。体全体は細い棒のようにつくられてるのに足だけは馬鹿デカイ。孤立したはかなげな人間ではあるが、それでも生きていかなければならない現実をこの大きな足で表現しているのであろうか。

なお、この展覧会は葉山のあと次の美術館を巡回する。
 ・兵庫県立美術館:8/8~10/1
 ・川村記念美術館:10/10~12/3

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2006.06.27

三渓園の下村観山展

280原三渓が横浜・本牧にあった自邸を三渓園として広く市民に開放してから100年経つという。これを記念した“下村観山展”(7/2まで)をみるため久しぶりに訪れた。

ここに来たのはもう随分前のことなので、三重塔以外は記憶が蘇ってこない。展覧会料金500円(入園料とは別)を払って入館した。

作品は26点あまりだが、代表作がずらっとある。才能豊かな新進作家を支援した原三渓(1868~1939)がとくに気に入っていたのが日本画家、下村観山(1873~1930)。三渓が買い上げたもの(現在三渓園蔵)を見る機会はめったにない。これに東博や東近美が所蔵する名品が加わり、豪華な回顧展になっている。観山の絵は東博の平常展にわりと頻繁にでてくる。そのなかで一番感激する絵が右の“弱法師”(よろぼし、重文)。観山の最高傑作といわれる作品である。昨年に続き、2度目の対面。

この絵は謡曲“弱法師”を画題にしたもので、右は父を求めて大阪・四天王寺にさまよう盲目の俊徳丸が日輪を拝んでいる場面(右隻の部分)。日輪は左隻の画面下に描かれている。見所は画面いっぱいに幹が伸びる白梅。三渓園内にある臥竜梅をモデルにして描かれたという。たらし込みが使われた太い幹の力強い存在感と繊細に描写された梅の花の美しさに言葉を失う。俊徳丸が立つ位置はここしか無いというくらいきまっている。絶妙に配置された白梅に囲まれて、手を合わせる俊徳丸の横のポーズからは純粋な気持ちが切々と伝わってきた。隙のない場面構成といい、盲目の人物の描き方といい、観山の高い画技が発揮された名画である。

まだ観てない東博所蔵品に魅せられる絵があった。六道のひとつである修羅道を絵画化した“修羅道絵巻”。馬に乗って戦う武家たちの横では、目がいくつもある怖い大鬼が赤い炎の中、にらみを利かせて立っている。迫力満点の地獄絵。東近美から出品された“大原御幸”は代表作のひとつ。平常展では年に1回の頻度で出品されるので、足を運んでいると必ず見れる。三渓園の所蔵品で気に入ったのは水墨画の“布袋”、“新緑”、“雪の朝帰り”。なかでも、“雪の朝帰り”の雪の重みでしだれる笹に雀が群がり、その下を頬かむりをしたいなせな男が歩いていく場面がいい。

流石、三渓園の主催する下村観山展。大きな満足が得られた。

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2006.06.26

町田市立博物館の大津絵

254町田市立博物館では現在、“大津絵と戯画錦絵展”(7/2まで)を開催中(入館無料)。

大津絵があるのは日本民藝館だけかと思っていたが、ここも46点を所蔵している。大津絵と漫画“のらくら”の作者、田河水泡(1899~1989)から寄贈された幕末から明治にかけての戯画・錦絵を3年に一度公開しているという。民藝館で味をしめたユーモラスで親しみやすい大津絵がみられるなら、これはもう駆けつけるしかない。

前回あった“河井寛次郎展”で驚いたが、この博物館は嬉しいことに無料なのである。板橋区立美も所蔵品を展示するときはお金をとらない。大津絵は昨年、民藝館ではじめてまとまった形でみた。このとき作られた図録(東方出版、05年2月)をときおりニヤニヤしながらみている。6/25までやってた70周年記念展に代表的な画題のものがいくつか展示してあったので、ここの作品にすっと入っていけた。

画題は4つのグループに分けられる。“神仏”、“世俗”、“諷刺”、“花鳥その他”。17世紀の中頃誕生した大津絵は最初は仏画だった。これは鑑賞用ではなく江戸初期の一般の人々が土着の講や自宅で祀るための礼拝用である。“阿弥陀三尊来迎”は掛け軸としては粗末な仏画だが、仏の描写はなかなか複雑。光輪や衣の輪郭を濃い墨で太く勢いよく描いたり、雲を渦巻き文で表すなど手がこんでいる。この絵を描いたのは大津と山科を結ぶ東海道筋に店を構えていた名もなき絵師たち。街道を行き来する旅人へ売る土産物として、せっせと手書きで描いた。

大津絵の販売が軌道にのってくると画題も仏画から皆が喜びそうな世俗物、諷刺物へとひろがってくる。画題の好みも十人十色といいたいところだが、日本は“十人一色の国”(拙ブログ05/1/17)。売れ筋の絵に需要が集中する。人気NO1の絵が右の“鬼の念仏”。その次が“藤娘”。鬼の絵はこの“念仏”のほかに“鬼の三味線”、“鬼の行水”、“節分”などがある。“鬼の念仏”に描かれた布施を求めて歩く鬼は怖くなく、左手に奉加帳、背中に雨傘を担う姿に親しみを覚える。この絵にはポーズはほとんど同じだが、足の爪が伸びてるものとか歯の並びが少し違うとかいろいろなヴァリエーションがある。

“藤娘”は民藝館のより着物の柄、色の鮮やかさ、、藤が下へ垂れ下がる様子がずっといい。ユーモラスな絵の極め付きは“雷と太鼓”。大きな目をした雷が黒雲から身を乗り出して、波間に落とした太鼓を紐でぶらさげた錨で拾い上げようとしている。なんとも愛嬌のある雷である。面白くてたまらない。期待値以上のいい大津絵だった。町田市立博物館に感謝。

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2006.06.25

松涛美術館の骨董誕生展

417日本民藝館へ行ったあとはよく、松涛美術館に寄る。井の頭線の神泉駅からの道巡に迷うこともなくなった。

ここで今、開館25年を記念した特別展“骨董誕生ー日本が愛した古器物の系譜”が行われている(7/9まで)。骨董屋に足を運ぶ習慣がないので、古美術の相場とかどんな作品がおいてあるのか詳しくない。

自分の家に飾るためにこれらを買い求める骨董愛好家でないかぎり、こういう店には縁がないであろう。TV東京の人気番組“なんでも鑑定団”で、“俺は目利きだ!”と自信満々の男性が持ち込んだ美術品をすごく安く鑑定され、しょぼんとして帰るシーンを何回見たことか。たまに、何の気なしに買ったものが予想以上の高値がつき大喜びという人もいる。世の中に骨董屋は沢山あるだろうから、信用のおける店、ちょっといかがわしい店、色々だろう。

今回でているのはもちろん質の高い骨董品。数奇者とか上級コレクターと呼ばれた美を見る確かな眼をもった愛好家の集めたものが李朝や日本の陶磁器などを中心に170点くらい展示してある。記念展なのでブランド美術館の所蔵品も多い。東博からは平常展でよくみる横河民輔旧蔵“豆彩龍文壷”、原三渓旧蔵“信楽袋形水指”、“伊賀耳付花入”など。永青文庫からは細川家伝来の“刷毛目茶碗・残雪”がある。また、益田鈍翁が持っていた“蒔絵厨子扉”など4点にも足がとまる。

ここで一番の収穫は青山二郎(1901~1975)が蒐集した骨董品を観れたことである。青山二郎の名前は知っているが、著作を読んだことがないので、何で有名なのかわからなかった。展示室の解説には“近代骨董”の生みの親とある。で、西洋アンティークや骨董品を集めている友人が“青山二郎と白洲正子の本を読め”とアドバイスしてくれた意味がやっと腹にすとんと落ちた。

青山は民藝の柳宗悦とも接点があり、“日本民藝美術館設立趣意書”の表紙に青山所蔵の“染付羊歯文切立湯呑”が使われている。青山所蔵の9点は流石と思わせる名品ぞろい。青山も柳同様、李朝工芸の美の虜になったようで、形のいい“白磁長壷”と“粉引徳利・酔胡”に心を揺すぶられる。右は“唐津盃・虫歯”。下のほうが横に歪み、歯痛で腫れた顔のようにみえる。まさにぴったりのネーミングである。とてもいいものを観た。

青山二郎は同世代の小林秀雄らとともにサークルをつくって、古器物の“味もの”を蒐集した。“味もの”とは形の歪みや色ムラといった味(景色)に美しさが感じられるものをいう。バランスがとれたものとか完璧な形や色から生まれる美よりも、自然の風合いがそのままでた“味もの”を選び抜いて蒐集し、そこに自己を表現した。“近代骨董”の誕生である。これまで柳宗悦の民藝に鑑賞のエネルギーを割いてきたが、これからは少し青山二郎や白洲正子のコレクションにも目を向けようと思う。

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2006.06.24

日本民藝館の小鹿田焼

4164/4から行われている日本民藝館創設70周年記念展は明日、6/25(日)で終了する。

美術館が開館して○○年のような節目の年は名品をまとめてみる絶好のチャンス。今回はこの特別展にあわせて出版されたと思われる“別冊太陽 柳宗悦の世界”(06年2月、平凡社)や入場料を払うとくれるパンフレットにのってる柳宗悦が収集した代表的な民藝品がだいたい見られる。

2年前から定期的に通って、種々の作品を鑑賞してきた。はじめは河井寛次郎、濱田庄司、富本憲吉、バーナード・リーチの焼いた陶芸品を中心に見ていたが、今年は金城次郎が制作する魚文の琉球陶器(拙ブログ06/1/25)などとの出会いもあった。そして、1階の展示室にいつも展示してある李朝の焼物にだいぶ目が慣れた。今回、柳が李朝工芸の美しさに目覚めるきっかけとなった“染付面取草花文瓢型瓶”をはじめ“白磁大壺”、“鉄砂染付葡萄に栗鼠文壺”といった名品がずらっと揃っている。李朝陶磁器は静かな温かみが感じられてとてもいい。

日本の焼物にも味わい深いのが並んでいる。02年に日本民藝館所蔵品としてははじめて重文の指定をうけた“絵唐津芦文壺”、焼締の肌に黒が輝いている“信楽焼締黒釉流文壺”、朱赤の冴えが美しい“瀬戸麦藁手碗”、右の“小鹿田甕”などに痺れた。なかでも小鹿田焼(おんた)の色にぞっこん惚れている。3年前、小旅行で大分県日田市の小鹿田の里に行き、この焼物の虜になった。品物は大きな壺や皿から食卓やテーブルにおかれる碗や鉢、皿など色々あったが、惹きつけられたのは色の組み合わせ。

ヨーロッパの匂いがする質朴ですっきりした色彩なのである。濃い白を地にアクセントとして流された緑や青が実に心地よい。日本の色彩感覚や模様とはとても思えない。昭和29年、バーナード・リーチがこの焼物を賞賛し、1ヶ月滞在し、制作に取り組んだというのがわかるような気がする。そのときの作品が日田資料館に展示してあった。昨年はここでミニ小鹿田焼展があり、白、緑、茶色が印象深い刷毛目模様の大皿や大壺・甕をいくつもみた。Myカラーが緑・黄色なので、右の甕のように美しく流れる緑をみると最高に感激する。

絵画では朝鮮の民画、日本の大津絵、泥絵が面白い。また、沖縄紅型着物の模様に目を奪われる。そのなかに青地に紅色の雁が何羽も飛ぶ意匠の着物が飾ってある。いつかこれを見たいと願っていたが、雁の鮮やかな紅色をしばらくうっとりとして眺めていた。この展覧会のお陰でここの所蔵品は一休みできる。今、関心があるのは図録にでてた作品が見られなかった朝鮮の民画。期待して待つことにしよう。

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2006.06.23

狩野典信の唐子遊図屏風

415本のタイトルは売れ行きに大きく影響するので、著者と出版社の担当はこれに随分神経をつかうという。

展覧会でも同じことが言える。ドキッとしたり、面白いネーミングがついてると足を運んでみようかなという気になる。6/25まで、板橋区立美術館で開催している“これが板橋の狩野派だ”という館の意気込みがストレートに伝わってくるタイトルに誘われて、出かけてみた。

ここははじめての美術館。都営地下鉄・三田線“西高島平駅”(終点)から歩いて15分くらいかかった。地図で確認してないので、この辺が池袋からどっちの方角なのか皆目わからない。HPでプリントした地図を片手に、首都高速5号線を左上に見ながら進むと公園が見え、そのなかに美術館があった。

どうでもいいことだが、途中、大きな声でぶつぶつ言ってる酔っ払い爺さんとすれ違った。その横を通りすぎるパトカーの警察官も呆れたようにニヤニヤしながら顔をみあわせている。“しょうがねえなあー、あの爺さん、昼間から出来上がっちゃってるよ!”。こちらはからまれないように急ぎ足になった。

この展覧会の事前情報は全くなかったが、展示リストをみて、後悔した。4/15からはじまっていて、すでに後期(5/23~6/25)に入っていた。04年10月、平凡社から刊行された“別冊太陽 狩野派決定版”により、この美術館が江戸狩野派の絵を沢山所蔵していることは知っていたが、これらを公開した特別展を2,3年前開催したはずだから、今回、作品はあまりでてないだろうと思っていた。これがとんでもない勘違いで、95年の“狩野晴川院養信の全貌”がなぜか混線して特別展でインプットされていた。アチャーである!今回の展覧会がまさにこの美術館がとくに力を入れて収集してきた江戸狩野派作品のお披露目だった。

前期の作品に狩野一信の“源平合戦図屏風”があった。これは観たかった。でも、観終わって購入した図録をみると、前期より後期にいい絵がでていたので救われた。惚れ惚れするようないい絵があった。狩野常信の“四季花鳥図屏風”。これまでみた常信の作品の中で一番魅せられた絵かもしれない。図録の表裏にこれが使われている。目を奪われるのが画面全体のうす灰色と金泥。この配色で描写された力強く上に伸びる松、勢いよく落ちる滝や水の激しい流れ、雪舟風の岩が右から左に配されている。この色彩に一段と映えてるのが、左の木の枝にとまっている錦鶏鳥の鮮やかな赤や橙色の羽根。ここでこれほどの名品に会えるとは思ってもみなかった。

狩野典信(みちのぶ、1730~90)が描いた右の“唐子遊図屏風”(右隻、部分)も目を楽しませてくれた。実は件の狩野派決定版に載ってたこの絵がもしやして見れるかなと期待していたので、非常にいい気分。これは狩野探幽の同名の絵(三の丸尚蔵館)の模写作品。構図はだいたい同じだが、子供の着物の柄などは変えている。最初の二人は鶏を互いに抱えて闘わせようとしている。次は花合わせで遊ぶところ。右にはでてこないが、次の二人は団扇をもって蝶を打ち落とさんと競っている。探幽の描く唐子より典信のほうが顔が相対的に大きく、丸顔。そして一番の違いは笑顔。笑みのこぼれる表情から遊びを心から楽しんでいる様子がよくでている。これが観れたのも大収穫。

横浜からだと遠くのほうへ来た感じだったが、いい絵を鑑賞できたので帰りの足取りは軽かった。

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2006.06.22

山口蓬春の紫陽花

414自宅の周りを散歩していると、庭に咲き乱れる紫陽花をよくみる。梅雨時に目を惹く花はやはり紫陽花。その紫の美しさに心が洗われる。

花鳥画に長く親しんでいると、自然界に生育する花を実際に見ることなく、画家が表現する四季折々の花を観て、イメージだけでその美しさに魅せられこともままある。だが、この時期の紫陽花のように近くで瑞々しい色や花の生を感じて、作品を鑑賞するのが一番いい。

先週、訪問した山口蓬春記念館ではこの理想的な状況のとおりに右の“紫陽花”をみた。近くの駐車場でクルマを停め、小雨のなか急いで記念館にむかって歩いていたら、途中の石段の右側に水色の紫陽花がいっぱい咲いていた。あまりに綺麗だったので思わず立ち止まってみた。2,3分もすれば、お目当ての“紫陽花”をみるのである。ふと、蓬春はここに咲いてる紫陽花をみて、絵を制作したのかな?と思ったりもした。

現在、ここで開催中の“山口蓬春素描展”(6/8~8/6)は花、果物や風景の素描がメインの展示なのだが、1点だけ本画の“紫陽花”が飾ってあった。紫とうす紅が交じり合った紫陽花は対角線上に配されている。顔料の発色がよく、色彩の濁りがないので、見てて気持ちがいい。写実をベースにした明快な造形表現と色と色の美しい調和が素晴らしく、紫陽花の確かな実在感が伝わってくる。先ほど見た紫陽花が目の前にあるようだ。

紫陽花は蓬春が好んで描いた花のひとつで、名品がいくつもある。ちょうどいいタイミングで、東近美の平常展(7/30まで)に代表作、“榻上の花”(とうじょう)、山種美の“緑雨の景観展”(6/25まで)に“梅雨晴”が出品中。そして、この記念館はもう一点、“まり藻と花”という紫陽花の作品を所蔵している。

“榻上の花”を長らく待っていたが、やっと平常展に登場した。これはモダニスト、蓬春の代表作中の代表作。椅子の上に紫陽花がさされた白い水差しが置いてある。椅子の向こうの窓枠の緑、紫陽花の紫、葉っぱの緑、椅子の脚と水差し白の組み合わせがとても斬新で強く印象に残る。2年前から、山口蓬春が描く新感覚の日本画に魅了され続けている。本当にいい画家に巡り合った。

鎌倉の明月院は紫陽花で有名な寺。建長寺と円覚寺の前をいつも走っているのに、この中間にある明月院の紫陽花をまだ見ていない。来年にでも行ってみようと思う。

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2006.06.21

谷文晁の公余探勝図巻

413皇居の三の丸尚蔵館にて公開中の伊藤若冲作、“動植綵絵”の精緻な描写ばかりに目を奪われがちだが、現在、東博平常展(7/2まで)にでている絵にもその細かい技と鮮やかな色使いにグッとくるのがある。

その絵は右の風景画、“公余探勝図巻”(こうよたんしょうずかん、重文)。絵師は谷文晁(1763~1840)。上巻、下巻、二つあり、今回でているのは上巻(04年11月にも上巻が展示された)。“公余探勝図巻”は老中、松平定信の三浦半島、伊豆半島視察に同行した谷文晁が旅の途中の風景を帳面に描きとどめたもので、全部で80図ある。

04年のときと同様、息を殺して、三浦半島の見覚えのある海岸線や田畑の様子、大名行列や地元の人たちが描かれた場面を見た。下田港、手石、石廊崎、妻浦、など。右は下田港とともに見所の図、“石廊崎”(部分)。ほかは見開き2頁に1図が描かれているのに、これだけは4頁を使っている。茶色のごつごつした切り立った岩の描写に驚かされると同時に、岩にうちよせる波をあらわした細かな白い点々にも惹きつけられた。谷文晁は漢画、やまと絵の技術だけでなく、西洋画の描き方も修得しており、ここでは透視遠近法的な空間や陰影による量感表現がみられる。青い海に囲まれ、天にそびえるように屹立する大きな岩の塊の存在感に圧倒され、しばし茫然として見ていた。日本画でこれほどインパクトのある風景画はめったにお目にかかれない。

ほかの町の情景で吸い込まれそうになるのが、田畑の鮮やかな緑や遠くの船や通行人までもきっちり描きこんだ画面構成。いずれの絵も精密に描写している。実はこれが視察の目的だった。定信が三浦・伊豆半島に出かけたの1793年。前年、ロシアの使節が根室に来航し、通商を幕府に要求していた。鎖国以来、こうした事態ははじめてのこと(ペリー来航はこれから60年後)。そのため、外国船の江戸湾侵入を想定し、三浦半島や伊豆半島の地形図を早急につくる必要があったのである。定信の選んだ絵師が家臣でお気に入りだった谷文晁。

ところが、有能すぎるリーダーの悲劇で、定信は三浦・伊豆旅行の直後、老中を解任される。絵が描かれた背景を知ると、下巻を是非みたくなる。どうして出てこないのかわからないが、いつかその理由を聞いてみようと思う。

なお、“公余探勝図巻”以外の作品で感激したのは酒井抱一の“宇治蛍狩図”。東博にこんな大きないい絵があったとは!見てのお楽しみ。隣には曽我蕭白の“山水図”がある。このあたりはたまらない気分。また、1階の“近代美術”のコーナーに名品が並んでいた。初代宮川香山の大瓶(重文)が絶品。安田靫彦の“夢殿”、今村紫紅の“熱国之巻”(重文)、横山大観の“柳蔭”は何度見ても感激する。これらの展示は7/17まで。

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2006.06.20

ダヴィッドのナポレオン騎馬像

4126/18(日)まで江戸東京博物館で開催していた“ナポレオンとヴェルサイユ展”は美術の本に必ず載っている新古典派のダヴィッドやグロの作品がでてたので、どうしてもはずせなかった。

具体的には、ダヴィッドが描いた右の“サン・ベルナール山からアルプスを越えるボナパルト”、“マラの死”、グロの“アルコル橋のボナパルト将軍”、そしてジェラールの“戴冠式の正装の皇帝ナポレオン”。

“マラの死”については昨年から立て続けに3点観た。05年4月、ベルギー王立美術館でオリジナル、6月に横浜美術館であった“ルーヴル美術館展”でレプリカ、今回、ヴェルサイユ宮殿美術館が所蔵するレプリカ。ジェラールのナポレオンの肖像画にもレプリカがいくつか制作されたようで、ルーヴル美展にも今回とそっくりのが飾ってあった。

ヴェルサイユ宮殿にあるのがオリジナルといっても画家本人がまた描くのだから、仕上がりの質が落ちることはない。皇帝ナポレオンの威厳とカリスマ性を存分に表した肖像画の傑作である。ナポレオンが身につけた衣装は絢爛豪華。赤紫の生地に白貂の毛皮をあしらい、黄金の糸で皇帝の紋章の蜜蜂が刺繍されている。こういう肖像画をみると、油彩画はつくづくいいなと思う。ナポレオンの自信にあふれる顔の表情や冠、衣装に使われた黄金の輝く質感は油絵の具でないと出せない。

白描による“随身庭騎図”に描かれた日本の騎馬像に対し、西洋画でも同じような馬のポーズをしているのが右のダヴィッド作、ナポレオン騎馬像。男前の随身が御する馬は荒々しく、その目はふてぶてしく描かれている。が、ナポレオンがこちらに視線をむけ、右手を上にあげて騎乗する愛馬は鬣と尾っぽを風で前にたなびかせ、美しい後ろ立ちの姿をみせている。この“サン・ベルナール山からアルプスを越えるボナパルト”はマルメゾン国立美術館にある作品(1801年)がオリジナルで、これはその後制作されたヴァージョンの一つ(1803年)。

ナポレオンの騎馬像の背景で険しい峠を登っていく兵士たちの姿は岩や馬の前足で一部を隠し、あまり目立たないように描かれており、観る者の目が自然に騎乗する勇ましいナポレオンと美しい馬にいくように構成されている。実際のアルプス越えは悪路に強いラバにまたがって進軍したのだが、誰だってラバに乗ったナポレオンはみたくない。ナポレオンの肖像画に大きなパワーをもたせるためには創作が不可欠。こういうとき絵画は役に立つ。ダヴィッドはそのあたりはよく心得ており、立派な肖像画に仕上げた。

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2006.06.19

大倉集古館の随身庭騎絵巻

411大倉集古館の“男の美術展”(6/3~7/30)は変ったネーミングの展覧会。

03年に奈良博で“女性と仏教展”というのがあったが、この展覧会のキーワードは“男の中の男”。日本美術に現れた男の諸相を宮廷貴族、武者、宗教者などの肖像から読みとろうとする切り口が面白い。

例によって作品数は多くないが、今回のお目当ては“国宝 随身庭騎絵巻”(ずいしんていき)。これを観るのは2度目。絵巻が制作されたのは鎌倉時代、13世紀の中頃である。随身は貴族が外出する際に警護にあたった近衛府の官人。今でいうボディーガード。だが、主人の安全を確保するために体を張っているだけではない。騎馬が巧みなだけではダメで、教養があり、和歌のひとつも詠め、主人の相手を務められる者が選ばれた。もうひとつ容貌はイケ面がよしとされた。

この絵巻に登場する9人の随身は実在の人物。最初にでてくる3人は後白河院(1127~1192)、次の6人は後嵯峨院(1220~1272)につかえた。右の二人のうち力士のように太っているのが後白河院の随身。そして、左が後嵯峨院の随身の一人。この絵は肖像画の一つであるが、対象となる人物に似せて描く似絵(にせえ)の方法で描かれた。以前の肖像画の多くは理想的に描かれているのにたいし、この頃から写生風の肖像画になった。だから、似絵で描かれることを嫌がった者も当然いた。

太った随身はどんな気分だったかわからないが、後白河院のころは美貌よりは腕力や武力が求められていたのかもしれない。これに較べると左の後嵯峨院の随身はなかなかいい男。垂直になるくらい後ろ立ちになった馬を眉をひそめながら、軽く手綱を絞っていなしている姿が凛々しい。が、描線を主体とした白描の手法で随身の騎乗場面を描いたこの絵巻の一番の見所は男よりは馬。後ろ足を大きくはねあげ、随身を振り落とそうとする馬、体を左右にねじっている馬、馬術競技で障害物を飛び越すときのような美しい姿で描かれた馬。見事な描写に感嘆させられる。

馬の力強さ、荒々しさを躍動感いっぱいに描いた日本画がもう二つある。共に13世紀後半に制作された“平治物語絵巻”(国宝、東博、拙ブログ06/2/20)と“蒙古襲来絵詞”(三の丸尚蔵館)。“平治物語絵巻”で軍馬の迫力ある動きを夢中になってみたが、今回も元気よく飛び跳ねる馬に魅せられた。次のターゲットはは99年の“皇室の名宝展”ではじめて見た“蒙古来襲絵詞”の竹崎季長が騎乗する黒い馬。いつ実現するだろうか?

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2006.06.18

伊藤若冲の動植綵絵 その三

410_1若冲の動植綵絵の展示(三の丸尚蔵館)は現在、第3期に入っている(6/3~7/2)。

全30点のうち18点が登場したので、はじめてこの傑作を見る人も筋金入りの奇想派愛好家も、今はほかの絵師とは一味も二味もちがう若冲ワールドへ全開でのめり込んでる最中ではないだろうか。

では、その感動を長く持続させるかにはどうしたらいいか。会場を離れると、どうしても記憶は時間の経過と共に薄れてくる。これは仕方がない。となると展示してあった作品を絵葉書か図録で眺め続けるしかない。美術館で鑑賞した後は1週間くらい図録を身近なところに置いて、図版を見ることにしている。美術評論家や学芸員の論考、最後にくっついてる作品の説明書きは読まず、気に入った絵をひたすら見る。普通の絵師の場合、これで作品から受けた衝撃や感動は体の中に浸み込む。が、若冲の絵に関してはこれでは大きな感動は体の隅々までいきわたらない。

なぜか、それは絵全体の図版だと若冲が心血を注いで描いた細部がわからないからである。それで市販の若冲本、例えば、狩野博幸著“目をみはる伊藤若冲の動植綵絵”(小学館、アートセレクション)などでは随所に“部分図”で細部を思いっきり拡大して見せている。これだと展示場で目を凝らしてみて、“こんなところまで丁寧に描いてる、凄い!”と思わず口にした鑑賞体験が蘇ってくる。理想を言えば、本画全体の図版があって、それと2,3点の部分図がセットになっていると申し分ないのだが。でも、これはコストがかかりすぎて値段が高くなるので無理。

今回の図録は“動植綵絵”と“花鳥”の2つあるが、“動植綵絵”には部分図は論考に一部使われてるだけ。むしろ“花鳥”のほうに細部にフォーカスした部分図が多く出ている。右は3期に出品された6点のうちの一つ、“梅花小禽図”の部分図。これぞ若冲ワールド!全体図では見えないつぼみの下の赤。そして、くらげみたいに透き通った白い花弁や茶せんを思わせる上に伸びる白の線と黄色の点々。一枚の絵として図版におさまっているときは、海底に生えてる海草から気泡が連続して出ているように見えるのに、再接近してみるとこんな色鮮やかで美しい花鳥画の世界が画面一杯に描かれていた。

残りの5点は“秋塘群雀図”、“紫陽花双鶏図”、“老松鸚鵡図”、“芦鵞図”、“蓮池遊魚図”。細部に若冲の技が隠されているのが“蓮池遊魚図”での蓮の描写。太い葉脈からさらに細かい線が横に無数にでている。それが屋根にように描かれているので蓮が立体的にみえた。一番下で泳ぐ魚は腹が薄ピンクの別種で、上の9匹にくらべるとカッコよく表現されている。

3期でのお目当ての白は“老松鸚鵡図”。群青とアクセントになった赤が目に焼きつくインコを見ている2羽の鸚鵡は目の前にいるのではと錯覚するほどの実在感がある。レース地をおもわせる滑らかな羽根の質感が見事にでた印象深い鸚鵡だった。

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2006.06.17

伊藤若冲の動植綵絵 その二

397皇居の三の丸尚蔵館へ毎月出かけるのが楽しみになっている。伊藤若冲の代表作、“動植綵絵”の展示は第2期(4/29~5/28)は済み、現在は3期(6/3~7/2)を開催中。FIFOにしたがい、まず第2期の6点から。

出品作は“雪中鴛鴦図”、“梅花皓月図”、“梅花群鶴図”、“棕櫚雄鶏図”、“桃花小禽図”、右の“菊花流水図”。今回の公開は一度に6点しか出てこないが、絵のタイプが1点ごとに違うので、観る者の想像力を掻き立ててくれる。とにかく若冲はいろんな絵を描く絵師だ(拙ブログ06/3/28)。

期待の絵は“雪中鴛鴦図”。雪の積もった細い枝の下で頭を水のなかに突っ込んでいる鴛鴦に目が釘付けになる。花鳥画に鴛鴦はよく登場するが、こんなポーズは見たことがない。もう一方の鴛鴦は胡粉で表現された雪でいっぱいの岩に静かに片足でとまっている。この動と静の対比がすばらしい。日本絵画における花鳥画では出色の出来栄えである。

画面のなかで白の美しさが際立っているのが“梅花群鶴図”と“棕櫚雄鶏図”。鶴と鶏では白い羽根の描き方が一部異なる。鶴の首から下の胸のあたりは線が縦横にひかれているのにたいし、鶏の胸は後ろの背中の羽根と同じように描かれている。暗い色調の背景に一段と映える精緻に描かれた羽根一枚、毛一本。若冲は完全に胡粉(白)の魅力にとりつかれたようだ。“棕櫚雄鶏図”で白い鶏に較べ、黒い鶏は可哀そうなくらい存在感がない。棕櫚とともに白い鶏の引き立て役になっている感じである。

右の“菊花流水図”は“雪中鴛鴦図”と共にお気に入りの絵。若冲の全作品のなかで世界レベルで通用すると思うのが3つある。水墨の点描法の“石灯籠”(京博)、桝目描きの“鳥獣花木図屏風”(プライスコレクション)、そしてこのファンタジー画の“菊花流水図”。画面の上と下にある花火のようなふぐ刺しのような菊の花の根っこはどこにあるのだろうか?茶色の鳥が一羽とまっている群青と緑青の鮮やかな岩から出ているのか?この空に浮かんでいる感じとその下に描かれたこちらのほうに近づくにつれ大きくなる流水模様が面白い。光琳の流水からヒントを得たのかもしれないが、光琳模様よりずっと柔らかくトポロジー的な造形になっている。

下の部分をもうちょっとスッキリ表現していたらアールヌーボーも真っ青の作品になっていた。こんなサイケでファンタジーな絵を生み出す若冲のスーパー想像力にただただ唖然とするばかりである。

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2006.06.16

神坂雪佳の百々世草

408京都にある細見美術館の琳派コレクションは一級品。さらにここは人気の伊藤若冲の作品もいくつか持っているので他の美術館が主催する展覧会からも引っ張りだこである。

日本橋高島屋ではここの所蔵品が多く出た“神坂雪佳展”(5/24~6/5)をやっていた。神坂雪佳(かみさかせっか、1866~1942)は京都の人で、明治から昭和初期にかけて、美術工芸の分野において琳派様式を復興させ、独自の装飾美を生み出した偉大な工芸デザイナー。

東近美で回顧展が開催されたり、“琳派展”や“日本のアールヌーボー展”にも右の代表作、“百々世草”(ももよぐさ)が出品されたりしたので、だんだん美術ファンの目にふれる機会が多くなってきた。今回は細見美の所蔵する自慢の雪佳コレクションが沢山出品されていた。

絵画だけでなく、染織、漆器、陶芸、図案にみられる抜群の色彩感覚とあたたかみのある造形は観るものの心を和ませてくれる。絵画では、琳派風の流水やたらし込みの土坡のなかに紫陽花、立葵、桔梗の花などを咲かせた“叢華殿襖絵”、色彩が綺麗でとても品がある“四季草花図屏風”に魅せられた。“十二ヶ月草花図”や“白梅図”、“椿にすみれ図”には中村芳中(ほうちゅう)の影響を受けた幹のたらし込みや丸っこい造形がみられるが、大胆なトリミングによる画面構成、洒落た色使いは雪佳独自の表現方法である。

琳派の装飾性にくわえ、文人画のユーモアやあったかさをとり込んだ中村芳中の画風イメージと重なるのが図案集の“百々世草”。全60図のうち16図が展示されていた。右はその一つ“狗児”(くじ)。見てるとほんわかする絵である。太い輪郭線で横向きに描かれた白の子犬は小さなカタツムリを眺めている。なんとも優しい目。トリミングされた竹の木の間からこっちを見ている茶色の犬も愛らしい。円山応挙が描くリアルな子犬(拙ブログ06/1/2)にも和むが、雪佳の図案化された子犬に深い愛着をおぼえる。

この図案集はどれもこれも魅力一杯。大きな波に隠れる月の“立波”、水車の向こうに体半分を見せている“白鷺”などに惹きつけられる。今回は出ていなかったが、薄ピンク、黄色、緑の組み合わせに天性のカラリストを感じさせる“春の田面”、はっとさせる構図の“引舟”、地べたに座る黒い牛と笛を吹く童子を描いた“牧童”にもグッとくる。満足度200%の展覧会であった。

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2006.06.15

尾形光琳の躑躅図

407東京にある民間の美術館で琳派の作品を多く所蔵しているのは根津美術館、畠山記念館、静嘉堂文庫。琳派狂いとしては、この3つと東博、熱海のMOAの展示情報を定点チェックし、名品を見逃さないようにしている。

長期の休館に入った根津美、常時琳派を展示しているわけではない静嘉堂文庫、鑑賞済み作品が多くなったMOAは横に置き、現在は畠山と東博が鑑賞の柱になっている。

畠山記念館は茶陶の名品を年4回展示しているが、いつも琳派の掛け軸や陶器などが数点でる。4/1から5/28までの“蒔絵の美展”では右の光琳作、“躑躅図”(つつじず、重文)のほか、酒井抱一の掛け軸、尾形乾山の色絵透鉢、光琳の蒔絵などがあった。今回、狙いの作品は“躑躅図”。この絵は画集には必ず掲載されているのに、どういうわけか過去の大きな琳派展(94年、04年)に出品されなかった。だから、本物と対面するのに随分長い月日が流れた。

これは光琳が江戸にいた頃描いた絵。光琳は47歳から51歳の4年間(1704~1708)江戸に住んでいた(もっとも、まったく京都を離れ、江戸にいたというのではなく、京都にちょくちょく帰ってはいるが)。江戸で大名や豪商などの新しい顧客から絵の注文をもらうためである。いわゆる新規顧客開拓の出稼ぎ。それには理由がある。光琳は何に使ったのかわからないが(女遊び?)、京都で大金を借金しており、これを返済しなければならなかった。パトロンは大名では酒井家と津軽家。深川の材木商冬木家も小袖を注文している。

“躑躅図”は酒井家のために描いたものである。川のほうにむかって右からせりだす土坡(どは)の向こう側に大きな赤い躑躅、手前に白い躑躅を配する構図が秀逸。これは対象を意匠化し、面をきかせた“燕子花図”のような装飾的な絵とは異なり、武家好みの雪舟流や狩野派風の線をいかした水墨画。川をはさんで左にもたらし込みが使われた三角の土坡があり、二つの土坡がたがいに声をかけあってるような感じがする。簡潔な構図と抑え気味の色調で赤と白の躑躅を強く印象づける絵画構成が見事。やはり光琳の絵心と高い技は超Aクラス。

ここの展示スケジュールに嬉しいニュースがあった。秋季展に牧谿(もっけい)筆の“煙寺晩鐘図”(国宝)が十何年ぶりに公開される(10/31~11/12)というのである。牧谿が描いた“瀟湘八景図”は根津美の“南宋画展”(04年)で“漁村夕照図”(国宝、根津美)などがでて、観る者を楽しませてくれたが、この“煙寺晩鐘図”は出なかった。待ち焦がれたこの絵をやっと観れる。

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2006.06.14

根津美術館の鈴木其一

250根津美術館が改装工事のため休館になって、一ヶ月ちょっと経った。

新装の館がお目見えするのが09年の秋だから、3年半という長期の休館である。ここへは定期的に足を運び日本画の名品や陶磁器を楽しんできたので、これらの作品に長らく会えないかと思うと一抹の寂しさを覚える。

最後となった展覧会には所蔵の屏風がいくつもでていた。光琳の“燕子花図”、“夏草図”、円山応挙の“藤花図”、右の鈴木其一の“夏秋山水図”、“蹴鞠図”、“吉野龍田図”、狩野宗信の“桜下麝香猫図”。やっと会えた“蹴鞠図”では一瞬ポカンとする。蹴鞠は一体どこにあるの?よくみると、右隻の真ん中あたりにある桜の木の上にちょこっと見える。公家や童子、僧侶たち8人の視線がそこに向けられてるから蹴鞠だとわかる。桃山時代にトリミングの描き方をつかってこうした風俗画を象徴的に表現するのだから恐れ入る。

屏風では鈴木其一の“夏秋山水図”をまた観れたのが最大の喜びだった。はじめてみたのは15年くらい前だから、久しぶりの鑑賞だ。其一の作品ではこれが最高だと思っている。右は右隻の夏の景色。檜の林と岩間を流れる渓流にスピード感があり、じっと見ているとこちらに流れが向かってくるような気がしてくる。まるで生命をもった水のようで、北斎の“諸国瀧廻り”にでてくる瀧の描写を連想する。背景を金地にし、水の流れを群青と金泥で様式的に描くのは琳派流であるが、群青と緑青、そして檜の褐色の鮮烈な色彩対比はシャープで近代感覚に溢れている。あまりに青と緑のイメージが強いので、見過ごしそうになるのが白い山百合と蝉。真ん中の檜に蝉が一匹とまっている。

鈴木其一(1796~1858)は広重より一年早く生まれ、同じ年に亡くなっている。酒井抱一(1761~1828)の内弟子として絵を学び、抱一没後に酒井家家臣の鈴木家に入り、家を継いだ。其一の作品で気に入っているのは04年の琳派展(東近美)に出品された“朝顔図屏風”(メトロポリタン美)と“群舞図”(プライスコレクション)。そして、“四季花木図屏風”(出光美)、“柳鷺図屏風”(プライスコレクション)。この2点は1994年、名古屋であった琳派展(名古屋市博)にでたが、“柳鷺図”は7/4から東博ではじまる“若冲展と江戸絵画展ープライスコレクション”で再び日本にやってくる。

其一は花鳥画だけでなく、美人画や風俗画の名手。プライス氏は流石、高い鑑識眼をもっており、美人画では一番いいのではないかと思われる“群舞図”を所有している。大谷コレクションにもいいのがあり、昨年あった“肉筆浮世絵展”で“吉原大門図”を観た(拙ブログ05/8/9)。名残惜しい根津美術館で行われた最後の展覧会で鈴木其一の代表作、“夏秋山水図”を観れて本当に良かった。新装根津美がパワーアップして開館することを期待して、館をあとにした。

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2006.06.13

出光美術館の日月四季花鳥図屏風

405現在、日比谷の出光美術館では開館40周年を記念した“所蔵名品展Ⅰ”(6/18まで)を開催中。ここにはだいぶ通ったので、前期だけを観てきた。

自慢の“国宝 伴大納言絵巻”は今回はほんの顔見世程度で、秋に全巻全場面が公開されることになっている(10/7~11/5)。1991年以来の展示らしい。

これは何年前だったか記憶が薄れているが、大阪の出光美術館で全巻観た。伴大納言の家司と舎人の息子同士が喧嘩するのをみて、家司が自分の子供を加担したばっかりに、怒った舎人が“応天門に放火したのは伴大納言だぞー!”と大声でいいふらす。この場面が最高に面白い。あとの展開は10月の展示でまた楽しもう。

出光コレクションは幅が広い。今回出ているのは、最初の絵巻、“絵因果経”、“十王地獄図”、やまと絵、仏画、雪舟、中国絵画、古筆手鏡(国宝)、中国・朝鮮陶磁、茶陶など。過去見た作品もかなりあるが、こうしてずらっと並ぶとあらためて、コレクションの質の高さに驚かされる。なかでも屏風が圧巻だった。雪舟、能阿弥の“四季花鳥図”。そして、室町時代に制作された右の“日月四季花鳥図”(じつげつしきかちょうず、右隻部分)。

久しぶりに対面する“日月四季花鳥図”をじっくりみた。右隻では右にある満開の桜、真ん中の若葉にしなだれる柳、鮮やかな緑青に降り積もった花びらが目にとびこんでくる。花びらをみてて、ボッティチェリの“ヴィーナスの誕生”に描かれた薔薇の花を連想した。柳の下にいるのは日に照らされる雉(きじ)の親子。円い黄金の太陽は金属板で表し、そのまわりをたなびく流線の雲霞には大小の金銀箔や野毛が使われている。地面にも細かい箔が散らされており、まるで料紙装飾を見るようである。

左隻の見所はダイナミックなフォルムをした松の幹と左端から流れる水。緑の松の左右に描かれた楓はちょっと松に負けてる感じ。また、番の鹿は秋草と重なり、存在が薄くなっている。この絵が当時の色彩のままで目の前に現れたら、さぞかし感動するだろう。

中国絵画では南宋時代の作、“漁釣図”にまた会った。04年、根津美術館で開催された“南宋画展”で気に入った絵の一枚だったので、感慨深い。中央の大きく伸びた蘆荻のむこうで、体を丸めて座る漁夫の横向きのポーズが実にいい。後期にはターナーの絵を思い出させる南宋画の傑作、玉澗作、“山市晴嵐図”が展示されている。

日本画、中国絵画の名品を堪能した。次回の名品展Ⅱ(11/11~12/24)が待ち遠しい。

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2006.06.12

大絵巻展の華厳宗祖師絵伝

404京博で6/4まで行われていた“大絵巻展”は大変な盛況だった。

後期の展示がスタートした5/16に出かけ、10時半に入場したのに観終わったのは午後の1時半。43点を観るのに3時間かかった。途中、昨年徳川美術館で全点みた“源氏物語絵巻”はとばしたので、この列にも並んでいたら、さらに30分を要したことになる。

事前の情報で混雑してることは承知していたが、これほど混んでるとは思わなかった。出品された絵巻が“鳥獣人物戯画”、“信貴山縁起”など四大絵巻のうち3点をはじめ名品ぞろいだから、多くの人が押し寄せるのも無理はない。質の高い絵巻をこれほど沢山みたのは1993年の“やまと絵展”(東博)以来。

東京に巡回しないので、京都に駆けつけるほかなかったが、行く日はHPに載っている展示替え予定表とにらめっこして決めた。既にみた作品のプライオリティを下げといて、まだ未見で是非ともみたい絵巻が前後期どちらに多いかを比べ判断しなければならない。5/16にしたのは今回の一番のターゲットが“国宝 華厳宗祖師絵伝・義湘絵”だったからである。

四巻ある義湘絵のうち右の巻三を待ち続けてきた。03年にあった“女性と仏教展”(奈良博)でみたのは巻二のほうで、お目当てだった右の龍が出てくる巻三は展示替えでみれなかった。巻三はロマンティックで楽しい絵巻で、唐に渡った新羅の僧、義湘(ぎしょう)が修行を終えて国に帰るとき、義湘に恋する富家の美しい娘、善妙(ぜんみょう)が海に身を投げ、龍となって、義湘の乗る船を支えて新羅に送り届けるという場面が描かれている。

上はさよならも告げずに帰ってしまった義湘の船を龍になった善妙が追いかける場面、下は龍がその船を背に乗せて、新羅まで運んでいくところ。上の龍は表情が怖いのに、船を乗せた龍は穏やかな顔をしている。龍船が荒い波間をつききって進むような動きは横長の画面に物語が右から左に展開していく絵巻にはもってこいの場面である。海の淡い青がとても綺麗で、立体的に表現された波の大きなうねりにのみ込まれそうになる。感動200%の絵巻であった。

このほか関心の高かったのは“地獄草子”(国宝、奈良博)と福富草子(重文、京都・春浦院)。“地獄草子”では罪人が鉄のすり臼に入れられて、ミンチにされる場面が描かれた“鉄磑地獄”(てつがい)を期待したのだが、これは前期の展示で終了し、替わりに大きな鶏が口から火炎を吐き出し、人間をけちらす“鶏地獄”があった。この地獄絵でも大満足。

“福富草子”は思わず笑ってしまう作品。話しの内容は本で頭に入っていたので、絵画化されたユーモラスな場面を夢中になってみた。今回、お伽草子物は“酒天童子絵巻”、“十二類絵巻”などもあった。ユーモアとペーソスがつまった絵巻をいくつも観れてこんなに嬉しいことはない。京博に感謝々。

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2006.06.11

丸木位里・俊の原爆の図

403伊香保の竹久夢二記念館から横浜に帰る途中、関越自動車道の東松山インターで降り、ここから3kmのところにある丸木美術館に寄った。丸木位里・俊作、“原爆の図”を観るためである。

途中、クルマ一台しか通れない狭い道があり、対向車が来ないかと冷や冷やした。ここは夫妻のアトリエがあったところで、1967年、この美術館が建設された。来年は開館40周年をむかえる。二人とも長寿で位里は94歳(1995年死去)、妻の俊は87歳(00年)まで生きている。

丸木位里、俊の合作になる“原爆の図”は“昭和の日本画100選”(1989年、朝日新聞社)の図録で知った。この絵は美術史家、作家、評論家、文化人らが選ぶ作品ベスト20では6位にランクされるほどの有名な作品なので、いつか見たいと願っていたが、やっとお目にかかれた。が、絵の情報は図録にある図版だけでしかも額装と思っていたので勝手がちがった。

“原爆の図”は屏風仕立ての連作で、全部で15点ある。1部~8部が2階、9部~14部が1階に展示されている。墨一色で描かれた屏風は大きく、真に迫るリアリズム表現には無言の力がある。また、墨のほかに一部の作品に使われている紅、群青、緑青が印象深い。制作期間は長きに渉る。1945年8月6日、広島に原爆が投下されてから5年後の1950年にまず、1部“幽霊”、2部“火”、3部“水”が描かれ、以後連作が制作され続け、1982年の最後の15部“長崎”(長崎原爆資料館蔵)をもって完結する。

深い感動を覚えるのは2階にある作品。“幽霊”、“火”、“水”、“虹”、“少年少女”、“原子野”、“竹やぶ”、“救出”。絵には内容の説明文が添えられ、絵巻物の形式をとっている。最初の3つに原爆投下直後の様子が描かれており、とくに“火”の悲惨で残虐な情景に言葉を失う。地獄絵のような赤い炎につつまれ、苦しむ女こども、死んで横たわる母子。

右は8部の“救出”(部分)。死んでいる裸婦や男を横に見ながら、頭に傷を負った老人を乗せた荷車を男女二人が引っ張っている。やっと救出活動がはじまったのであろうか。老人の隣で赤ん坊を抱いて悲しげにこちらを見ている男の表情に胸を打たれる。原爆が投下された時の状況についてはわからないが、広島に9年住んでいたので、毎年8月6日は黙祷をしてきた。“原爆の図”を見終わってしばらく椅子に座っていたとき、ふと会社の近くにあった破壊された街の様子を表わしたレリーフが目の前に浮かんできて、荒廃した街と2階にあった屏風に描かれた人々の姿が重なり合わさった。

日本の絵画史に残る“原爆の図”をみたこの日のことは一生忘れないであろう。

<お知らせ>
記事のカテゴリーを一部整理しました。これまで“日本画”でくくってたのを“琳派”、“絵巻”、“仏画”などに細分化し、人気の若冲や蕭白は“奇想派”としました。また、“近代日本画”は“女性画”、“花鳥画”、“風景画”、“古典・歴史画”に変更。さらに、近代西洋画については“キュビスム”、“フォーヴィスム”、“エコール・ド・パリ”などにふりわけました。ご参考までに。

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2006.06.10

石本正の裸婦

402今、ある画家の絵について、後悔の念が強くなっている。画家の名前は石本正。

“裸婦の石本”として知られるこの画家は今年86歳だが、まだ現役の日本画家としてバリバリ作品を制作している。

高島屋横浜店の美術画廊では最新作30点あまりを展示した“思い遥かにー石本正展”を先月の24日から30日までやっていた(入場無料)。この展覧会は石本正が生まれた島根県三隅町(現在浜田市)にある石正美術館の開館5周年を兼ねているので、作品は最後、ここで展示される(7/1~10/9)。

今回の絵をみて、広島に住んでいたとき、三隅町にある美術館を訪問しておけばよかったとつくづく悔やまれる。石本正の舞妓を描いた絵を昔、山種美術館でみて、頭のどこかではひっかかっていた画家だが、同じ顔や同じポーズをした舞妓、着衣の半裸婦像、裸婦を何点もみなくてもいいかなという思いがあって、駆り立てるものが涌いてこなかった。が、画家の絵を本当に理解するためには、やはりある程度の数を見なくてはダメだということをあらためて認識した。いつもいい絵画に出会えるわけではないが、気になる画家がいればそれは自分の感性に合ってることの予兆かもしれないので、思い切って時間をつくるべきだと。今回はそんな反省をさせられるいい展覧会だった。

これまで石本正の絵は両手くらいしか観てないが、それでも過去の作品とちょっと違うなという点が一、二あった。一つは立ち姿の半裸婦像の背が前より随分伸びたこと。8頭身くらいある。もう一つは若い女性の肌の陰影が濃くなり黒ずんできたこと。ウッドワン美術館でみた91年頃の作品、“白く咲く”では白い衣装を半分脱いだ女性の肌は官能的で、妖艶な裸婦というイメージが強かった。これと較べると最新作は背景が濃い茶色になり、肉付けの彩色が濃くなっているため、女性の表情が硬く、憂いの気分が感じられる。

今回、強い衝撃を受けた作品があった。右の“幡竜湖乙女の眠り”(部分)、“正座する幡竜湖娘”、“女媧幡竜湖遊泳”の3点。益田市の近くに幡竜湖というのがあり、この人魚のような乙女はこの湖から想を得たものらしい。人魚は目を閉じたままで、黒と金で装飾的に表現された頭の髪と上半身を水面に出すひねったポーズが艶かしい。指先や髪のまわりには赤い魚が泳ぎまわり、ちょっと危うい神秘的な雰囲気が漂っている。絵全体からうける印象が象徴派の画家、デルヴィルの作品、“死せるオルフェウス”と似ている。こんな絵に出くわすとは夢にも思わなかった。石本正の裸婦まだまだ進化していく。

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2006.06.09

菊池契月の少女

401日本画家、菊池契月(1879~1955)が生まれたのは美人画で有名な鏑木清方とほぼ同じ頃。生地は信州の中野というところである(現在の長野県中野市)。

長野市の上のほうで、近くに志賀高原がある。ここへ行ったことはないが、5,6年前小布施から金沢を目指すとき走った上信越自動車道に信州中野というICがあった。

菊池契月の没後50年を記念した回顧展が長野県信濃美術館で開かれていた(4/22~5/28)ので、加山又造展とセットで観てきた。代表作がほとんど出ている本画76点と写生帖が展示されていた。日頃、菊池契月の作品を鑑賞する機会があるのは東近美の平常展。今回ここから出品された5点のうち、歴史的逸話を画題にした“供燈”、白描画“涅歯”(はぐろめ)、働く女性を描いた“麦挋”はここ1年くらいの間に見たのでよく覚えている。

このほか過去見て印象深かった絵に再会できた。それは代表作中の代表作、“南波照間”(はいはてろま、京都市美蔵)。この絵は“昭和の日本画100選”(1989年、朝日新聞社)に選ばれている。ここに描かれた琉球地方に住む2人の女性をはじめて見たとき、その静かで気品のある表情に圧倒された。今回も紅型の着物を身にまとい、袖からでた白い手を体の真ん中で合わせ、正面をみている左側の女性の立ち姿に魅了された。手前の女性を大きく、後ろの風景にいる人物を中景、遠景でだんだん小さく描く構成が見事である。そして、一ノ谷の合戦で敗れ、熊谷次郎直実に首を刎ねられる美少年、平敦盛を描いた“敦盛”(京都市美)にも足がとまる。笛の名手だった敦盛がここで右手に持っているのは経巻。

この回顧展で一番の収穫は右の“少女”に会えたことである。菊池は歴史的な女性(例えば北政所)や平安時代の女房などを肖像画風に沢山描いたが、同時代の若い女性画はこの絵を含めて4点しかない。今回、その“少女”、“友禅の少女”、“散策”(すべて京都市美蔵)の3点だけはひとつの部屋に展示されていた。なかでもグッとくるのが“少女”。これまで多くの女性画を見てきたが、腰を床におろし、横向きのポーズでこちらを見ている女性はみたことがない。変則三角形の安定した構図が見る者を心地よくする。ちょっと冷たい感じにもみえるが、気品があり、知的なイメージのほうが強く印象に残る。この名画を早速My女性画に登録した。

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2006.06.08

竹久夢二の五月の朝

400長野美術館めぐりのあと、草津温泉で一泊し、翌日伊香保温泉にある竹久夢二記念館を再訪した。今回は右の“五月の朝”をみるため。

2年前観た“黒船屋”とこの“五月の朝”は美術館が所蔵する夢二の作品のなかでは特別扱いになっており、鑑賞するためには事前の予約が要る。

日本の美術館で予約(日時)制で絵を公開しているのはここだけではなかろうか。2点以外は予約の必要はなく、展示替えはあるがいつ行っても見られる。“五月の朝”は例年5月、“黒船屋”は9月に公開される。1995年、新館“夢二黒船館”が建設され、3階に“黒船屋”のための特別の部屋がつくられた。この畳の部屋の正面に軸装となった“黒船屋”と“五月の朝”が掛けられる。

前回座敷に座って学芸員の方の説明を聞きながら、念願の“黒船屋”と向かい合ったときは大変感動した。そして、今回は“五月の朝”。しばらく言葉が出ない。“黒船屋”と“五月の朝”は夢二の美人画のなかでは飛びぬけていい。このようにガラス越しでなく真近でみると、本当に心をゆすぶられる。

この絵は夢二がはじめて外遊したアメリカで1932年に制作された。夢二はその年49歳、亡くなる2年前である。画題は“西鶴五人女の中の吉祥寺のお七”。目が大きいのが夢二式美人の特徴だが、この絵はアメリカの女性をモデルに使ったためか、睫がさらにパッチリしている。なんといっても色使いの素晴らしさに“うわー”となる。濃いピンクの帯や橙色の着物が抜けるような白い顔や手をした女性のエキゾチックな美しさを一層惹き立てている。下地窓からみえるのは五月晴れの青い空と緑の若葉。縁側に置かれた画帖に挟んである葉っぱは女性が窓からその白い手をそっと出し、もぎ取ったものであろうか。

夢二はアメリカから欧州に行く際、この絵をお世話になった在留邦人ジャーナリストの坂井米夫氏に贈っている。第二次世界大戦のとき、収容所キャンプに入れられた坂井氏は絵が没収されないように額をはずし、巻いて隠していたという。1989年朝日新聞社が主催した“昭和の日本画100選”にこの画が選ばれたとき(夢二の絵はこの1点、黒船屋は大正時代に描かれたので対象外)、一度だけ美術館から離れ、展覧会に出品された。夢二の名画中の名画、2点を見ることができ、これほど嬉しいことはない。これで代表作はほとんど鑑賞したことになるので、一休みできる。

夢二の展覧会情報をひとつ。千葉市美術館で来年1/20~2/25に“竹久夢二展”が開催される。200点でるらしいので今から楽しみ。なお、夢二については拙ブログ05/1/16で取り上げた。

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2006.06.07

東山魁夷の白馬の森

3991ヶ月くらい前、長野市の善光寺近くにある東山魁夷館を訪問した。

長野までクルマを走らせた直接の理由は水野美術館で開催されていた(4/15~5/14)“加山又造展”をみるため。一度神戸展を観て、満ち足りた気分なのだが、長野展だけに展示される名画があるとどうしても追っかけたくなる。

洋画とちがって、日本画の場合、前期、後期とか会場によって展示作品が一部変るのが悩みの種。京都の美術館だともうすぱっと諦めるのだが、長野市には東山魁夷館があるのとタイミングよく同じ敷地にある長野県信濃美術館で“菊池契月展”もやっていたので、迷わず出かけることにした。

04年4月、兵庫県美であった大回顧展では展示替えのため、東山魁夷館蔵のいい作品をかなり見逃したので、前々からこの美術館には行こうと思っていた。ここは東山が1970年から晩年に制作した作品を所蔵している。テーマを設定し、およそ2ヶ月に一度のペースで展示替えを行っているという。今回のテーマは“花明り”(3/30~5/30)。本画、習作、スケッチなど60点あまりが展示してあった。神戸でみれなかった作品の何点かがリカバリーできたのでとても気分がいい。3回くらいで所蔵品は観終わるような気がしてきた。

ここには馬を描いた有名な絵が2点ある。右の“白馬の森”(1972)と“緑響く”(1982)。過去2回、回顧展をみたので2点とも鑑賞済みであるが、“緑響く”は一時期、コピーを部屋に飾っていた。緑一色の木々と白馬が水面に映る倒影の構図はとてもモダンで、洋画を観る感覚でいつも眺めていた。今回でていた“白馬の森”はメルヘンチックな絵。風景画のなかに白い馬がでてくる最初の絵で、この馬をモティーフにした作品を東山は18点描いている。白馬は群青の光に照らされた森の真中あたりに凛として立っており、生き物のような木々と白馬が一体となって醸し出す幻想的な雰囲気には容易に入っていけそうにない。遠くからそっとこの美しい風景をみていようという気持ちにさせられる。

自然から感じ取った心象風景を青や緑で表した東山の風景画はわかりやすく、素直に“いいなあ”と感じることが多い。絵に品があるのに、芸術家ぶってないところがこの画家の一番の魅力。東山魁夷の図録を眺めていると、高原のひんやりした空気とか爽やかな風を無性に感じたくなるのは東山の絵に観る者の心をゆすぶる力があるから。国民画家の称号がぴったりの画家である。

現在、東山魁夷の作品は東近美の平常展に“残照”(7/30まで)、山種美の“緑雨の景観展”に“緑潤う”(6/25まで)がでている。ご参考までに。

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2006.06.06

梅原龍三郎展

471日本橋三越で開催された“梅原龍三郎展”(5/16~28)を観た。

東近美や大原美術館などによく出かけるので代表作はだいたい観ているはずだが、これまで画業全体をみることのできる回顧展には縁がなかった。今回は中規模の回顧展。図録も手に入ったから、カラリスト梅原龍三郎の絵をじっくり眺めることができる。

花、風景、人物、裸婦などをモティーフにした作品が60点あまり出品されていた。花の絵をみた経験がないので、すごく新鮮。薔薇の絵が多い。花の形をばっととらえ、勢いよく描いた感じである。赤を多用した鮮やかな色彩の対比が目に焼きつく。

風景画では“富士山図”と右の“朝陽”に足がとまる。“朝陽”は大原美術館が所蔵する作品なので、広島にいるときこの美術館で何回か見た。うす紫の富士山、空は緑、雲は赤。実景の色ではないのに美しく感じられる。絵画芸術のもつ不思議な魅力である。フォーヴィスムのマチスやドランもこの絵の色使いには唸るのではなかろうか。ほかにも浅間山、パリの風景、北京の故宮などを描いたものがあるが、ぐっとくるのはない。

浅間山の絵なら“噴煙”(東近美)がいい。この絵が04年にあった“琳派展”に出品されたときは、最初はその理由がわからなかった。が、絵をよくみると、油絵の具に加え、岩絵の具(緑青、群青、金泥)が使われ、装飾性を増していた。梅原はルノワールの弟子で洋画一辺倒の画家だとばかり思っていたが、日本の風景を表現するのにこんな工夫をしていたとは。びっくりすると同時にこの画家の真摯な創作態度に感激した。梅原は桜島もよく描いている。今回は出てないが“桜島(青)”(東近美)はお気に入りの名画。3/5まで平常展にでていた。

東近美には北京を描いた代表作、“北京秋天”がある。風景画で一番好きなのが北京三部作。“紫禁城”(拙ブログ05/2/9、永青文庫)、“雲中天檀”(京近美)、“北京秋天”。北京の町を骨太い輪郭線、伸び伸びとしたタッチ、緑や赤の明るい色彩で見事に描いている。いつみても美しい絵だなーと見蕩れてしまう。

風景画に較べると、人物、裸婦での感激度は小さいが、はじめてみる“純子像”や大作“パリスの審判”に魅せられた。裸婦では大原美にある“竹窓裸婦”が忘れられない。緑色の裸婦は衝撃的だった。またいつか、この絵を見に倉敷を訪ねようと思う。

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2006.06.05

ダ・ヴィンチ・コードと最後の晩餐

397映画“ダ・ヴィンチ・コード”を楽しんだ。小説が大変面白かったので、どんな映画になるのか興味深々だった。

昔から殺人物とか刑事物映画には目が無い。日本の刑事物でベスト3は“砂の器”、“天国と地獄”、“飢餓海峡”。洋画のサイコスリラーのお気に入りは“薔薇の名前”、“羊たちの沈黙”、“エンゼルハート”。

映画“ダ・ヴィンチ・コード”はうんちくが一杯つまった点では“薔薇の名前”と似たタイプの作品。派手に騒々しく作っているのではないかと心配したが、小説の面白さを割と忠実に反映していた。バックにながれる音楽もしっとりとしていていい。感心したのはカメラアングル。飛行機の離陸するシーンを真下から撮ったり、ラングドンが上に放り投げるクリプテックスをドームの上から見せたりとハットさせるアングルが緊迫した場面に観客を引きずり込む。

原作で詳しく説明されてる占星術、聖杯伝説、マグダラのマリア、魔女狩り、テンプル騎士団、シオン修道会などを節目のシーン毎に白黒映像でフラッシュバック的に見せてくれるので、西洋宗教史、オカルト話がイメージしやすいのもいい。が、ストーリー展開が速いので、これらを全部消化するのは無理。でも、あまり気にしないほうがいい。最後のほうでどうしてあの人が。。。。というのがある。見てのお楽しみ。ネタばれになるといけないので、このあたりで。トム・ハンクス(ラングドン)、オドレイ・トトゥ(ソフィー)、イアン・マッケラン(ティービング)のキャステイングは成功している。

ミラノで再会したダヴィンチの“最後の晩餐”(拙ブログ06/5/1)で関心の的はキリストの左側に座る人物。右の部分図では一番右の人物。12使徒の名前は昔から想定されていて、手前にいるのがユダ。その後ろがペテロ。そしてペテロの隣にいるのはヨハネとなっている。問題は小説“ダ・ヴィンチ・コード”で指摘されて話題騒然となったヨハネ。どうみても女性の顔である。ほかの使徒の顔とは明らかにちがう。

手元にあるダヴィンチ以前に描かれた“最後の晩餐”ではヨハネはキリストの隣にいてうつ伏せになったり、眠るように描かれている。例えば、ジョット、カスターニョ、ギルランダイオの描いた“最後の晩餐”など。ヨハネは幼っぽく描かれるのが通例だとすれば、ダヴィンチがヨハネを女性のように描いたとしても不思議ではないかもしれない。

だが、ダン・ブラウンのように“ダヴィンチはヨハネではなくマグダラのマリアを描いた。ここにコード(暗号)が隠されている”となると世間は大騒ぎになる。普通は聖杯があるのに、この絵にはでてこない。定説がひとつ崩れているのだから、ヨハネが描かれなくてもいいではないかという解釈もできる。“岩窟の聖母”だって、最初は光輪がないのだから。ヨハネの顔は何回みても女性の顔にしか見えない。どうして女性なの?ダヴィンチって一体何者なの?素人でも想像力を掻き立てられる。

修復で蘇った“最後の晩餐”がこれほどミステリアスな絵だったとは誰が予想したであろうか。

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2006.06.04

大岡信コレクションのサム・フランシス

396詩人大岡信の詩を楽しんだことはないが、この人は日曜美術館によく登場するので、顔だけは前から知っている。

息子の大岡玲(芥川賞作家)も過去、この番組の司会をしており、親子揃って美術のことに詳しいなといつも不思議に思っていた。が、その謎が“大岡信コレクション展”(三鷹市美術ギャラリー、4/15~5/28)に足を運んだことで解けた。大岡信は現代美術の大コレクターだったのである。

現代アートが好きな人からは今頃知ったの?と言われそうだが、日本の前衛芸術とか現代絵画への関心が薄く、東近美に展示されてる作家の作品くらいしか見ないので、周回遅れランナーみたいなことがよくある。

でも、最近はここの平常展を定期的に鑑賞し、目が慣れてるせいか、今回出品されていた日本の作家の作品にはだいぶついていけるようになった。大岡信は若い頃から内外の現代美術の最前線にいた作家と親交があり、作家から贈られたり、購入した作品が400点近くもあるという。会場には大岡の高い鑑識眼を窺がわせる一級の絵画、陶器、オブジェ、彫刻などがいくつもあった。

日本の作家では東近美で馴染んでいる菅井汲、加納光於、宇佐美圭司の作品があった。大岡は菅井汲と詩と絵画の実験コレボレーションをしたり、加納や宇佐美らと新しい美術を共に切り開くなど積極的に美術家と関わってきた。昨日は東近美で菅井汲の代表作“朝のオートルート”、宇佐美の“ドーム・内なる外”、加納光於の“波動説”を観たのだが、3人が大岡と親しかったという話を聞いたばかりだったので、注意深く見た。なかでも宇佐美の作品に惹きつけられた。大岡コレクションにあるのは小さい絵で画風がまだ定まっていない感じだったが、この大作“ドーム・内なる外”は未来派を思わせる人体の連続運動を球体の中で立体的に表現する見事な作品に変っていた。

この展覧会で一番見たかったのがサム・フランシスの絵。色鮮やかな作品が4点ある。どれも魅せられるが、お気に入りは右の“大岡の月”。米国人の現代抽象作家のなかでもサム・フランシスの作品にはとくに惹きつけられる。それは抽象画なのに、日本人の心を打つ技法で描かれているから。サムは日本で水墨画や琳派を学んだためか、余白を意識した構成をしたり、ドロッピングの手法を使った彩色で装飾的な絵画空間をつくっている。

この“大岡の月”にみられる真ん中の余白はどうみても東洋美術の影響。ドロッピングによる細かい点の連続は実に繊細で装飾的。そして、左端にあるフォルムは全部を見せず、一部がトリミングされ、上の青い円と右斜め下にある赤い円が対角線で呼応しあう構成がえもいわれぬ抽象美を生み出している。

はじめてみる作品では鴨田しづの“エスパース・コスモの階段”などに足が止まった。現代美術を見る眼を指南してもらったような展覧会で、大きな満足が得られた。

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2006.06.03

バルラハの彫刻

3955/28日まで東京芸大美術館で開催されていた“バルラハ展”は観終わったあと、心になにかずっしりしたものが残る展覧会だった。

この展覧会を告知するチラシを手にしたとき、人間の内面にある感情や深い精神性がこの彫刻家の作品に表れてるようにみえたので、是非とも本物と向かい合いたくなった。彫刻は57点あり、そのうち12点が木彫作品。ほかはブロンズとか拓器。

彫刻作品だけでなく、彫刻を制作するために描いた素描も展示してあるので、作品をより深く鑑賞することができる。展覧会の前までは、バルラハ(1870~1938)が彫刻におけるドイツ表現主義運動の代表的な作家であったことを、全然知らなかった。で、多少目が慣れているキルヒナーやノルデなどドイツ表現主義の画家の表現方法と根っこのところで通じているだろうと想定して、作品を観て回った。

印象深い作品はその造形に驚かされるものと人間の感情や精神の状態が作品に強くでているもの。形で惹きつけられるのは“ベルゼルケル(戦士)”(木彫)、“復讐者”、“ギュストロー戦没者記念碑の頭部”(共にブロンズ)、“揺れ動く父なる神”(拓器)。“戦士”や“復讐者”のフォルムは写実的な彫りではないが、激しい戦闘に向かう兵士や大きな怒りをもつ男の姿を動きのあるシンプルな形で表現している。“復讐者”では後ろに跳ね上げた左足と頭が水平になり、剣を肩越しに持っている。まさに“復讐してやるぞ!”というこの男の気迫が伝わってくる。内面の感情がこれほどストレートに形に表れた彫刻をみたことがない。

右の“苦行者”(木彫)は一番心を揺すぶられた作品。瞑想している表情がいい。頬がこけてるところをみると、苦行が長く続いていることを窺がわせるが、精神的には高い境地に達しているように見える。衣装に下にある手の形がみえないのはそれだけ修行のため体が細っているためなのであろう。同じように目を閉じて、ひざの上に厚い本をおいている男を彫った“読書をする修道院生徒”(木彫)もぐっとくる作品。目、まゆげを大きくし、鼻も高くしているので瞑想する顔に力があり、その顔から今どんな精神状態なのかが手にとるようにわかる。神の教えに導かれて、静かな喜びに浸っているのであろうか。

心にズキンとくるバルラハの彫刻に会えたのは大きな収穫であった。この展覧会は今日からまた山梨県立美術館ではじまった(7/17まで)。

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2006.06.02

ニキ・ド・サンファル展

544ニキ・ド・サンファル展のことは3月に訪問した京博のミュージアムショップにおいてあったチラシで知った。そこに載っていた右の作品が不思議な磁力を発しており、吸い込まれてしまった。

これを制作したのはニキ・ド・サンファルという女流芸術家。1930年生まれで、02年に亡くなっている。まったく知らないアーティストである。

没後日本ではじめてとなる展覧会は大阪の大丸梅田のあと、東京店でも開催される(5/11~22)とあったので、このチラシをしっかりファイルしていた。

ニキの予備知識がなに一つないので、会場の説明書きを熱心に読みながら作品を見た。写真をみると大変な美人である。最初はモデルになるか芸術家になるか迷ったそうだ。今回出品されてるのは初期から晩年までの油彩、版画、彫刻、オブジェなど90点あまり。とくに惹きつけられるのは版画、代表作のナナ像、そしてガウディの影響が強くでているオブジェ。

25歳のころ、ニキはバルセロナで見たガウディがつくったグエル公園から霊感を受けたようで、この公園に行ったことのある人なら、口を大きく開けた蛇の頭がいくつもある“蛇の木”や“大きな肘掛椅子”などがあのイグアナor大トカゲ像に刺激を受けたものだとすぐわかる。版画にもガウディ風の漫画チックなヘビや怪物がでてくる。ヘビなどは女性を暴力的に支配したり、権力志向的に行動する男性の象徴。

こうした周りの束縛から解放され、喜びに満ち溢れる女性像としてつくり出したのがナナ像。素材はポリエステル。たくましい太ももと骨盤をもった丸みのある体型は一度見たら忘れられないほどユニーク。形も面白いが、ラッカー塗料で彩色された赤や黄色、緑などの明るい色彩が目を楽しませてくれる。お気に入りは“逆立ちするナナ”と右の“白い踊るナナ”。最初の頃のナナ像は布や毛糸、紙などで張子状につくっていたが、後に丈夫なポリエステルに切り替える。まだポリエステルの毒性について知られていなかったからである。が、これが命取りになった。後年、この素材がニキの肺を蝕んでいく。

ニキと関係のあった二人のことが非常に興味深い。一人はニキの夫になったティンゲリー。ポンピドーセンターにある自動で動く廃材を寄せ集めたオブジェ、“地獄、小さな始まり”の作家であるのは知っていたが、ニキの芸術仲間であり、二人が夫婦だったのははじめて聞く話。もう一人はニキのコレクター、増田静江氏。今回の作品は彼女が栃木県の那須町に建設したニキ美術館蔵のものが中心になっている。ニキの作品の虜になってしまったので、機会があれば一度、ここを訪ねてみたい(展覧会が開催中の9月までは休館)。

なお、この展覧会はもう二箇所を巡回する。
 ・名古屋市美術館:6/17~8/5
 ・福井市美術館:8/22~9/24

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2006.06.01

フンデルトヴァッサー展

393京都まで出かけて期待の“フンデルトヴァッサー展”(4/11~5/21、京近美)をみた。

フンデルトヴァッサー(1928~2000)の作品が過去、銀座の画廊で紹介されたのは知っているが、それはこの画家に目覚めるずっと前のこと。京近美のような大きな美術館でフンデルトヴァッサーの回顧展が開かれるのははじめてのことである。

03年、ウィーンのクンストハウスで観た作品の衝撃が大きかったので(拙ブログ04/12/25)、またあの楽しい絵がみれると思うと自然に体が熱くなる。この展覧会には絵画、版画、タペストリー、ポスター、大型の建築模型が100点あまり展示してあった。

期待通り、鮮やかな色彩と平面的で単純なフォルムが心を揺さぶる。ウィーンでは見なかった版画の作品が多い。また、4点ある大きなタピストリーをみて、こういう原色に彩られた絵はタピストリーになると見栄えがするなと感心した。バルセロナのミロ美術館に飾ってあったタペストリーを思い出す。

画面を構成する中心の形は円や渦巻き模様。色は黄色と緑が半分くらい占めている。描かれるのは建物、樹木、河、そして人間。建物は子供が描くように小さな四角の積み木を積み重ねて出来上がり、その四角のブロックは緑、黄色、赤、青などで埋め尽くされる。最上階の上はたいてい三角やたまねぎの尖塔がくっつく。

クンストハウスで人間の顔や頭の描き方にハットさせられたので、今回は注意深くみた。やはり同じように面白い視点から捉えた頭がある。“考える人”(1982)では道を歩く人を真上から見ており、考える脳味噌は丁度CTスキャンで撮影した輪切りの写真とか巻き寿司のようにみえる。顔では“来て私と歩こう”(1970)のように横顔をみせる人間と正面を向いた人間が一つの首を共有するという不気味なのもある。

ミュージカル“キャッツ”のメイキャップを連想させる作品(拙ブログ06/1/10)が今回はポスターとなって展示してあった。自然環境が破壊される危機を訴えた“木を植えよ、核の脅威を防げ”(1980)。ほかのポスターも“雨を救え”、“鯨を救え”、“海を救え”など環境破壊の防止や生き物を救うことを訴えたもの。

右の作品は最も印象に残った“心を移した恋人を愛しつつ待つのはつらい”(1971)。背景の青に浮かび上がる黄色の建物がとても美しい。建物の上にはたまねぎ型の尖塔があり、各階の窓には濃い青やうす青で彩られた雨滴が一つ描かれている。右の建物の一番下の窓から顔を出しているのは恋人に去られた女性であろうか。

この展覧会は東京には来ず、次はメルシャン軽井沢美術館(6/10~10/29)で開催される。

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