ポンペイの輝き展
4,5年前にあったポンペイの遺跡展は残念ながら観る機会に恵まれなかったが、今回の“ポンペイの輝き展”
(Bunkamura、6/25まで)はわれわれがイタリアから帰ってすぐ後に開幕したので、期待度がいつになく高かった。
なにか関心のあることへの理解を深めようとするなら集中的に本を読んだり、作品と実際に接するのがいい。ポンペイで遺跡を見てきたばかりなので、展示してある犠牲者の石膏型取りや壁画にもすこし目が慣れている。
しかも、ここにあるものは最新の出土品なのである。この20~30年の間にヴェスヴィオ山周辺の遺跡で見つかったものが、考古学や建築学、人類学、地質学などの最先端の知識を使って学際的に研究された分析結果を添えて地区ごとに展示してある。観光ではポンペイのことしかわからなかったが、ここではヴェスヴィオ山の大噴火で埋もれた他の町における犠牲者の状況もみせてくれるので、大噴火がもたらした被害の全体像をイメージすることができる。
出土品のなかで一番目を惹くのは装身具と壁画。指輪、耳飾り、首飾り、腕輪などの装身具は当時の人たちが息を引き取る瞬間まで体の一部のように身につけてたものだから、いわば死んだ人の分身みたいなものである。使用人、普通の女性、ちょっと裕福な商人の妻、貴族の女性などが所有していたものが色々ある。王侯貴族が集めた高価な宝飾品のコレクションではないので、“ほおー”とため息をつくようなものはないが、ヘビ形の金の腕輪やいくつもの半球をつないだ腕輪などが印象深い。ヘビ形の腕輪が好まれたのはヘビの身体が腕の周りにするものとして適してたのと魔除けになったから。
犠牲者のそばでみつかったもので興味深かったのは海に面する町、エルコラーノにあった外科医療の器具。青銅製のメス、ピンセット、針などは現在使われているものとよく似ている。これらはローマ時代の外科医療が高い水準にあったことの証だという。
壁画やモザイク画では右の“竪琴弾きのアポロ”(部分)がなかなか魅力的。これらの壁画は一度1959年に発見されたが、高速道路の建設を優先するため、いったん埋め戻され、1999年からまた掘り起こしたものだ。アポロはふっくらした顔立ちで、竪琴を横にもち、体を右斜めにむけるポーズがきまっている。背景は赤一色なので、風になびく青い衣装を着たアポロは宙に浮かんでいるようにみえる。“秘儀荘”の赤ほどではないが、これほどの鮮やかさが残っていれば充分感動する。
建物の北壁にあるこのアポロは古代ローマの皇帝、ネロを表しているという説があるらしい。そして、西壁のカリオペはネロの母のアグリッピーナ、東壁に描かれているタリアはネロの二番目の妃ポッパエアを表すという。この説の真意はともかく、“ポンペイの赤”を背景に神々が描かれたこのフレスコ画がこの展覧会のハイライト。
また、図録が秀逸。“ヴェスヴィオ山噴火のドキュメント”によると、ポンペイでは西暦79年8月24日午後1時に噴火が始まり、翌25日の午前8時に第3波の土石流で廃墟と化した。これから先、どんな発見があるのだろう。興味の尽きないポンペイ遺跡である。
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