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2006.05.27

国立近代美術館の未来派

388ローマで朝一番に訪れたのは国立近代美術館だったのに、取り上げる順番は最後になった。

1999年のとき、ここへ行ったのだが改装工事のため閉館中で、見れたのは仮設展示場にあったほんの一部という苦い思い出がある。今回は期待の未来派の絵をきっちりみようと、8時半の開館時間の20分前に美術館についた。タクシーの運転手が降りるとき、“クローズドだ!”と同情するようにこちらの顔を見た。心配ご無用。二度も失敗は繰り返さない。

中に入るとまだ一部の展示コーナーが工事中だった。6年前からずっと続いている?あるいは新たな改築工事がはじまった?この工事の影響で、通常に較べて展示作品の数が少なくなっている。どうもこの美術館とは相性がよくない。が、展示作品の情報がないので、あまり気にせず、期待をもって展示室を進んだ。

真っ先に見たのが唯一情報があったクリムトの“女の生の三段階”。赤ん坊を胸に抱いている母親の体は引き伸ばされ、透明な青いベールが足と腰を包んでいる。白い体とこの青の組み合わせがとても美しい。そして、金髪にちりばめられた花や母子の背景にある円や三角形の紋様は代表作の“接吻”のように装飾性豊かで、華麗に彩られている。が、左に描かれた横向きの老女の描写はふくらんだ腹、垂れ下がった乳房、静脈の出た手と残酷なまでに赤裸々。この老女の姿をみていると、“ベートーベン・フリーズ”の左壁にいる苦悩する弱い人間が頭に浮かんできた。クリムト好きにとっては嬉しい絵であった。

イタリア未来派は美術館自慢のコレクション。お目当てのバッラ、ボッチョーニ、セヴェリーニの作品が沢山ある。6年越しの対面である。夢中になってみた。ボッチョーニ(1882~1916)では画集に載っている“フェルッチオ・ブソーニの肖像”が印象深い。この絵は1916年、ボッチョーニが軍隊の休暇中、数ヶ月作曲家のブソーニとともに過ごしたとき描いたもの。マッシブなフォルムとセザンヌ風の色使いがみられ、新しい様式で人物を表現している。ボッチョーニはこの年、軍事教練のとき落馬して、わずか33歳の若さで亡くなった。

未来派の絵に興味をもったのはNYの近代美術館でボッチョーニの代表作、“サッカー選手のダイナミズム”、“笑い”と彫刻“空間の連続における単一の形態”を見たから。都市のダイナミズムや動く人間のスピード感が力強い線とキュビズムのフォルムで表現された作品に大変魅了され、以後もっと数を見たいと願ってきた。だが、イタリア以外ではなかなか見る機会が無い。今回は幸運にもミラノのブレラ美術館で“自画像”、未来派としての最初の作品“ガレリアの暴動”、“上昇する都市”などに出会い、ここでも4、5点みた。図録にはもっと載っており、通常ならこれらも見れたのだが。。残念!

ボッチョーニに影響を与えたバッラ(1871~1958)の絵は未来派以前のものも含めて7点くらい展示してあった。ダイナミックに光や空間を抽象化した作品は魅力に溢れている。クプカの絵と似た作風だが、バッラのフォルムのほうがよりシャープで躍動感がある。色彩感覚も素晴らしく、気持ちがハイになる抽象美の数々であった。右の作品もそのひとつで、人か物の連続した動きを三日月形や円、鋭角的な三角を重層的に重ねあわせて表現している。

やっと入館できた国立近代美術館でダイナミズムとスピードの美学を謳い上げる未来派の作品を存分に楽しんだ。このほかにも、デ・キリコ、モランディ、フォンタナの絵、デュシャンの作品、マルテイニ、マンズー、ジャコメッティの彫刻などが比較的多く揃っている。はじめてみる画家ではドットーリ、プランポリーニ、アカルディ、ドラジオらに驚かされた。現代感覚に満ちた色使い、はっとする構成に強い衝撃を受けた。ここの作品群は1回の鑑賞ではとても終わらない。楽しみがまた増えた。

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