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2006.05.31

ダ・ヴィンチ・コード展

392映画“ダ・ヴィンチ・コード”の興行成績は記録的にいいらしい。そろそろ行こうかなと思っている。

小説は日本語訳がでた直後に一気に読んだが、それ以降読み返していないので、どんなストーリー展開だったか、記憶が薄れてきている。まあ、映画をみると想い出すだろう。

イタリア最初の訪問地、ミラノで“最後の晩餐”に向かい合ったときはダヴィンチコードに書かれていたことをきっちり確認した。日本に帰ってから、関連の展覧会にも足を運んだ。一つは銀座ソニービルで開催してた“ヴァーチャル・アトランティコ手稿展”(4/24~5/14)。もう一つは今もやっている森アーツセンターギャラリーの“ダヴィンチコード展”(6/23まで)。

アトランティコ手稿展では画家ダヴィンチではなく、科学者、軍事戦略家ダヴィンチが発明した人々の生活を快適にするもの(自動車や飛行機など)や、町づくり、産業発展のためのインフラ整備機械(クレーンほか)、そして戦争に勝つための道具(マルチキャノン・ガンシップ)などを模型やCGによる三次元映像でみせていた。

現在イタリアの研究者が解読中のミラノのアンブロジアーナ図書館にある膨大な手稿の一部をこうしてデジタル化、映像にして公開してくれるのは本当に有難い。科学に興味のある中高校生たちは大変刺激をうけるのではなかろうか。この大量の研究ノートをみると、ダヴィンチは自然界の真理を追究することや科学的な定理や法則を応用して道具や武器などを発明するのに忙しく、絵を描くことにあまり時間をさいてなかったのではないかと思ってしまう。作品数が少ないのはこのためではないか?

一方、ダヴィンチコード展は映画が封切られたら、もう打ち切ってもいいような企画展。今、この展覧会をみて映画館に足を運ぶ人がいるだろうか、普通の感覚だったら映画館に直行する。おそらく映画がはじまってからは入場者はガクッと減ったはず。いや、そうでもない?入館料はいつものように1400円と高い。

役に立つのは、小説のなかの肝であるダヴィンチが秘かにコード(暗号)を隠したという絵画、“モナリザ、“岩窟の聖母”、“最後の晩餐”などを画質のいい大画面でしかも丁寧な解説付きで見せてくれること。30分でダヴィンチ絵画のポイントが頭に入る。市販の美術本や画集より数倍の情報があり、本物の色を映像が再現しているので、結構楽しめる。また、登場人物の足取りを名所観光案内風に映像でみせてくれるので、この小説にはまり、サン・シュルピス教会(パリ)、オプス・デイ・センター、テンプル教会(ロンドン)、ロスリン礼拝堂(エディンバラ)に行ってみようと考えてる人には参考になる。

暗号を読み解くコーナーがあったり、映画のなかで使われた“クリプテックス”のレプリカなども展示してあるので小説を完璧に理解しようと思うと楽しめる展覧会かもしれない。入館料が1000円だと◎なのだが。このあたりのことが主催者はわかってない。

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2006.05.30

ポンペイの輝き展

3914,5年前にあったポンペイの遺跡展は残念ながら観る機会に恵まれなかったが、今回の“ポンペイの輝き展”
(Bunkamura、6/25まで)はわれわれがイタリアから帰ってすぐ後に開幕したので、期待度がいつになく高かった。

なにか関心のあることへの理解を深めようとするなら集中的に本を読んだり、作品と実際に接するのがいい。ポンペイで遺跡を見てきたばかりなので、展示してある犠牲者の石膏型取りや壁画にもすこし目が慣れている。

しかも、ここにあるものは最新の出土品なのである。この20~30年の間にヴェスヴィオ山周辺の遺跡で見つかったものが、考古学や建築学、人類学、地質学などの最先端の知識を使って学際的に研究された分析結果を添えて地区ごとに展示してある。観光ではポンペイのことしかわからなかったが、ここではヴェスヴィオ山の大噴火で埋もれた他の町における犠牲者の状況もみせてくれるので、大噴火がもたらした被害の全体像をイメージすることができる。

出土品のなかで一番目を惹くのは装身具と壁画。指輪、耳飾り、首飾り、腕輪などの装身具は当時の人たちが息を引き取る瞬間まで体の一部のように身につけてたものだから、いわば死んだ人の分身みたいなものである。使用人、普通の女性、ちょっと裕福な商人の妻、貴族の女性などが所有していたものが色々ある。王侯貴族が集めた高価な宝飾品のコレクションではないので、“ほおー”とため息をつくようなものはないが、ヘビ形の金の腕輪やいくつもの半球をつないだ腕輪などが印象深い。ヘビ形の腕輪が好まれたのはヘビの身体が腕の周りにするものとして適してたのと魔除けになったから。

犠牲者のそばでみつかったもので興味深かったのは海に面する町、エルコラーノにあった外科医療の器具。青銅製のメス、ピンセット、針などは現在使われているものとよく似ている。これらはローマ時代の外科医療が高い水準にあったことの証だという。

壁画やモザイク画では右の“竪琴弾きのアポロ”(部分)がなかなか魅力的。これらの壁画は一度1959年に発見されたが、高速道路の建設を優先するため、いったん埋め戻され、1999年からまた掘り起こしたものだ。アポロはふっくらした顔立ちで、竪琴を横にもち、体を右斜めにむけるポーズがきまっている。背景は赤一色なので、風になびく青い衣装を着たアポロは宙に浮かんでいるようにみえる。“秘儀荘”の赤ほどではないが、これほどの鮮やかさが残っていれば充分感動する。

建物の北壁にあるこのアポロは古代ローマの皇帝、ネロを表しているという説があるらしい。そして、西壁のカリオペはネロの母のアグリッピーナ、東壁に描かれているタリアはネロの二番目の妃ポッパエアを表すという。この説の真意はともかく、“ポンペイの赤”を背景に神々が描かれたこのフレスコ画がこの展覧会のハイライト。

また、図録が秀逸。“ヴェスヴィオ山噴火のドキュメント”によると、ポンペイでは西暦79年8月24日午後1時に噴火が始まり、翌25日の午前8時に第3波の土石流で廃墟と化した。これから先、どんな発見があるのだろう。興味の尽きないポンペイ遺跡である。

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2006.05.29

絹谷幸二のイタリア天空の調べ

390イタリア旅行から帰って2,3日は現地で撮った写真を整理したり、購入した観光ガイド本や入館した美術館の図録を楽しい気分で眺めていたが、4/29はそれを一時中断して、日本橋三越に出かけた。

ここで開かれていた“絹谷幸二展”(4/18~30)を観るためである。旅行の出発日と展覧会の初日が重なり、日本に戻ったら必ず行こうと決めていた。有難いことに郵便受けには友人から送られた招待券が入っていた。

絹谷幸二のあの鮮烈な原色に彩られた絵画に魅せられて長い時が経つのに、これまでこの画家の回顧展にお目にかかったことがない。日本の洋画家の作品は東近美の平常展でしか見ないので、現在洋画界をリードしている人気の画家とか新進気鋭の若手作家などについての情報は皆無。こんな不熱心な鑑賞態度だから、大変気に入っている絹谷幸二の作品にミューズが会わせてくれなかったのだろう。

不思議なことに東近美で絹谷の絵を見たことがない。ここは所蔵してないのだろうか?過去見た作品は3点くらいしかないのに、この展覧会では最新作が41点ドッと現れた。これが絹谷幸二の絵か!やっと見たぞという感じである。はじめてみるようなものだから作品1点々をワクワクしながら見た。

モティーフは“薔薇の花”、“イタリアの風景”、“人物画”の3つ。人物画が面白い。眺めてるといろんな画家の作風が浮かんでくる。“天穹のコンチェルト”からは幻想の画家、シャガール。顔が3つある女性が歌を唄いながら食事をする場面を描いた“SALUTE!”はピカソのキュビズム。古都奈良生まれで日本画もよく知っている絹谷は千手観音像やピカソの絵をミックスして、顔を増やし、手も5本にしたにちがいない。

食事をしたり、唄ったり、楽器を演奏する絵が多いのは絹谷幸二が骨の髄からイタリアを愛していることの表れ。笑うとキューピーちゃんのような顔になるこの画家はユーモアもたっぷりある。“BUON APPETITO”では、女性の舌の先に漫画の吹き出しのようにイタリア語が書いてある。意味はわからないが、たぶん“美味しいわー、でも食べ過ぎてもうはいらない!”と言っている。豚や蛸も登場し、豚の鼻先には日本語の“ぶーぶー”。これには驚いた。“ええー、絹谷ってこんなことをしちゃう画家なの?!”と口にしそうになる。まったく楽しい絵である。

ヴェネツィアやローマなどイタリアの都市を描いた作品も素晴らしい。この国から帰ってきたばかりなので、ここで描かれている情景を鮮明に思い出す。なかでも、イタリア全土を俯瞰の構図と赤と青で表現した右の“イタリア天空の調べ”は嬉しい絵。ちょっと前、この絵にでてくる観光地を回ったのだから。このタイミングの良さは一体何だろう!南のほうにポンペイの遺跡やヴェスビオ火山があり、上のほうにあがるとローマのコロッセオ、フォロ・ロマーノ、フィレンツェのダビデ像、北にいくとミラノのドォーモ、そしてヴェネツィアのサン・マルコ寺院がみえる。

いい気分でこの絵をみていたら、近くに画家本人がおられた。で、急いで図録を買い、サインをしてもらった。これを機に絹谷作品の展示を定期的にチェックしようと思う。

なお、この展覧会は東京会場は終了しているが、今は6/2まで松山三越で開催中、そのあと次の都市を巡回する。
 ・名古屋栄三越:8/15~8/20
 ・仙台三越:10/10~1016
 ・新潟三越:10/24~10/29
 ・札幌三越:07/1/16~1/22
 ・福岡三越:3/13~3/18

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2006.05.28

アリベデルチ!ローマ

389団体ツアーによる観光は日程の後半になってくると、参加者の顔や名前を覚え、会話もスムーズになってくるので、最初は夫婦や姉妹、友人といった小さい単位だけにとどまっていた観光地での感動もだんだんグループ全体で共有する大きなものに変ってくる。

感動をすこしでも漏らさないために皆で大きなパックに包み込んでいるようである。こういうハレの増幅が日常の生活では味わえない団体ツアーのいいところ。

最終日の夜はローマ市内のレストランでカンツォーネを聴きながらのディナー。これが最高に盛り上がった。まず、入り口で古代ローマの兵士に扮するがっちりした男性と一緒に記念写真を撮る。昔、コロッセオでこの兵士が頭に被っているカッコいい兜に見蕩れたことがあるが、こんなところでも営業をしていた。

白ワインを飲んだり、前菜を食べていると、主役の歌い手(左)が現れた。はじめはカンツォーネばかりを歌うのかと聴いていたが、オペラのアリアもでてきた。部屋一杯に張りのある歌声が響く。二人はどうみてもオペラ歌手である。添乗員のKさんによると、ローマにあるどこかの歌劇場で歌ってる人で、アルバイトでこうしたレストランにくる観光客を相手に自慢の喉を披露しているのだという。カンツォーネの曲名はわからないが、知っている“サンタ・ルチア”とか“帰れソレント”などがでてくると、気分は全開で“I LOVE ITALY”モード。

オペラの名曲、“椿姫・乾杯の歌”を聴くとまるでガラコンサートの劇場にいるのではないかと嬉しくなる。また、リクエスト(チップを払って)に応じて、荒川静香選手のフィギュアの演技に使われて日本で大ブレイクした“誰も寝てはならぬ”を熱唱してくれたときは、拍手の嵐だった。こんな真近でプロのオペラ歌手が歌うこの名曲を聴けるなんて夢のようである。ホセ・カレーラスお得意の“カタリ”を頼んだら、嬉しそうな顔をしてすぐ歌ってくれた。♪♪“カタリー、カタリー、”もうたまらない!ワインを飲むピッチがあがる。

“音楽なら私にまかせておいて”とばかりにリクエストが続く。ミュージカル“キャッツ・メモリー”、“オペラ座の怪人・オールアイアスクオブユー”、サラ・ブライトマンの名曲など々。どれも上手に歌ってくれるのでそのたびに“ブラボー!”の歓声と大きな拍手。最後の曲は全員がテーブルナプキンを振っての“アリベデルチ!(さようなら)ローマ”。イタリアの旅の終わりが楽しいディナーとなり、こんな幸せなことはない。

拙文、イタリア旅行記にお付き合いいただきまして有難うございます。昨年4月のオランダ・ベルギー旅行のときよりも長くなりました。今回は日頃から鑑賞を願っていた絵画や彫刻をラッキーな日程変更などもあり、期待値以上に数多く見ることができました。

フランスの思想家ルソーの言葉に“旅人は自分の持っているもの以上のものを持ち帰ることはできない。同じように旅をしても、持ち帰ることのできる大きさは人それぞれ。自分のそれまでの経験や学問、人間形成の領域の広さ、狭さで違ってくる”というのがあります。今、イタリアから持ち帰ることのできたことを大事にし、次回訪れるときはまた違ったこの国の素晴らしい文化遺産を多く吸収できるようになりたいと思います。これからもよろしくお願いします。

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2006.05.27

国立近代美術館の未来派

388ローマで朝一番に訪れたのは国立近代美術館だったのに、取り上げる順番は最後になった。

1999年のとき、ここへ行ったのだが改装工事のため閉館中で、見れたのは仮設展示場にあったほんの一部という苦い思い出がある。今回は期待の未来派の絵をきっちりみようと、8時半の開館時間の20分前に美術館についた。タクシーの運転手が降りるとき、“クローズドだ!”と同情するようにこちらの顔を見た。心配ご無用。二度も失敗は繰り返さない。

中に入るとまだ一部の展示コーナーが工事中だった。6年前からずっと続いている?あるいは新たな改築工事がはじまった?この工事の影響で、通常に較べて展示作品の数が少なくなっている。どうもこの美術館とは相性がよくない。が、展示作品の情報がないので、あまり気にせず、期待をもって展示室を進んだ。

真っ先に見たのが唯一情報があったクリムトの“女の生の三段階”。赤ん坊を胸に抱いている母親の体は引き伸ばされ、透明な青いベールが足と腰を包んでいる。白い体とこの青の組み合わせがとても美しい。そして、金髪にちりばめられた花や母子の背景にある円や三角形の紋様は代表作の“接吻”のように装飾性豊かで、華麗に彩られている。が、左に描かれた横向きの老女の描写はふくらんだ腹、垂れ下がった乳房、静脈の出た手と残酷なまでに赤裸々。この老女の姿をみていると、“ベートーベン・フリーズ”の左壁にいる苦悩する弱い人間が頭に浮かんできた。クリムト好きにとっては嬉しい絵であった。

イタリア未来派は美術館自慢のコレクション。お目当てのバッラ、ボッチョーニ、セヴェリーニの作品が沢山ある。6年越しの対面である。夢中になってみた。ボッチョーニ(1882~1916)では画集に載っている“フェルッチオ・ブソーニの肖像”が印象深い。この絵は1916年、ボッチョーニが軍隊の休暇中、数ヶ月作曲家のブソーニとともに過ごしたとき描いたもの。マッシブなフォルムとセザンヌ風の色使いがみられ、新しい様式で人物を表現している。ボッチョーニはこの年、軍事教練のとき落馬して、わずか33歳の若さで亡くなった。

未来派の絵に興味をもったのはNYの近代美術館でボッチョーニの代表作、“サッカー選手のダイナミズム”、“笑い”と彫刻“空間の連続における単一の形態”を見たから。都市のダイナミズムや動く人間のスピード感が力強い線とキュビズムのフォルムで表現された作品に大変魅了され、以後もっと数を見たいと願ってきた。だが、イタリア以外ではなかなか見る機会が無い。今回は幸運にもミラノのブレラ美術館で“自画像”、未来派としての最初の作品“ガレリアの暴動”、“上昇する都市”などに出会い、ここでも4、5点みた。図録にはもっと載っており、通常ならこれらも見れたのだが。。残念!

ボッチョーニに影響を与えたバッラ(1871~1958)の絵は未来派以前のものも含めて7点くらい展示してあった。ダイナミックに光や空間を抽象化した作品は魅力に溢れている。クプカの絵と似た作風だが、バッラのフォルムのほうがよりシャープで躍動感がある。色彩感覚も素晴らしく、気持ちがハイになる抽象美の数々であった。右の作品もそのひとつで、人か物の連続した動きを三日月形や円、鋭角的な三角を重層的に重ねあわせて表現している。

やっと入館できた国立近代美術館でダイナミズムとスピードの美学を謳い上げる未来派の作品を存分に楽しんだ。このほかにも、デ・キリコ、モランディ、フォンタナの絵、デュシャンの作品、マルテイニ、マンズー、ジャコメッティの彫刻などが比較的多く揃っている。はじめてみる画家ではドットーリ、プランポリーニ、アカルディ、ドラジオらに驚かされた。現代感覚に満ちた色使い、はっとする構成に強い衝撃を受けた。ここの作品群は1回の鑑賞ではとても終わらない。楽しみがまた増えた。

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2006.05.26

ヴィラ・ジュリア博物館の夫婦の陶棺

387_1ボルゲーゼ公園には3つの美術館がかたまっている。今回のハイライトであるボルゲーゼ美術館、国立近代美術館、そしてヴィラ・ジュリア博物館。

ボルゲーゼのあと、ここから歩いて20分くらいのところにあるヴィラ・ジュリア博物館を訪問した。お目当ては5年前、BS2の番組で紹介された右のエトルリア彫刻、“夫婦の陶棺”。

前回、ヴァティカン博物館でミケランジェロが熱心に研究したという“ベルヴェデーレのトルソ”、“アポロン”、“ラオコーン”など古代ギリシャ・ローマ彫刻の傑作をじっくりみたので、今度もカピトリーニ美術館にある“瀕死のガリア人”、“円盤投げの戦士”、“ヴィーナス”をみて、古代彫刻にさらに目を馴染ませるというオプションもあった。

だが、ベルニーニとカラヴァッジョを最優先にした美術館、教会巡りを考え、流れのよいヴィラ・ジュリア博物館でエトルリア美術の最高傑作、“夫婦の陶棺”を見ることにした。展示場所がパンフレットだけではわかりにくく、このテラコッタ(素焼き)の彫像にたどり着くまで結構時間がかかった。この作品のためだけに特に一室がもうけてあり、観光客がひっきりなしにやってくる。

ギリシャの強い影響をうけたエトルリア文化は紀元前7世紀~6世紀に最盛期をむかえる。ローマの近くにあるチェリヴェテリから出土したこの彫像は紀元前520年頃のものである。宴のときなのであろうか、仲睦ましく寄り添った夫婦は枕にひじをついて横になり、口元には“アルカイックスマイル”を浮かべている。こんな明るい表情をした彫刻とは思わなかった。また、衣の襞がとても柔らかく折れ曲がっている。元来粘土が持ってる柔らかさを生かした造形には温かみが感じられ、大変感動した。

ここにはもう一つ目玉がある。それは紀元前6世紀後半の作といわれる“ヘラクレスと戦うアポロン”。現在、修復が進行中で作業部屋のなかにあった。両腕がなく、体の一部には補強材が使われている。このアポロンはやけに頭が大きい。人体比例を無視した力強い造形表現がエトルリア彫刻の特徴だという。優れた技術を持っていたウルカというエトルリア人美術家がこれを制作した。この時代につくられた彫刻の制作者の名前がわかるなんて、不思議な気がするが、ローマの文献にも登場するそうだ。

時間があまり無く、駆け足の鑑賞となったが、展示品は一通りみた。昨年11月、新装なったイタリア文化会館で開催された“エトルリアの世界展”で(拙ブログ05/11/25)、予備知識は入っていたが、今回の鑑賞でエトルリア美術への理解がだいぶ進んだ。素晴らしい“夫婦の陶棺”にお目にかかれたのは一生の思い出になりそう。

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2006.05.25

コルトーナの天井装飾画

386_1ローマには17世紀のはじめ誕生したバロック様式の建物、絵画、彫刻など見るべき作品が沢山あるのに、バロック芸術を意識して向かい合ったのはベルニーニの彫刻作品がはじめて。

これまで、サン・ピエトロ広場の柱廊や大聖堂の中にあるねじれたブロンズの柱が目を惹く天蓋(共にベルニーニ作)、また楕円形のナヴォーナ広場などバロック時代に好まれた楕円形、螺旋形、卵形の作品や建築物を見ていることは見ている。

でも、ローマでの関心事はミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画や彫刻“ピエタ”、“モーセ”とかラファエロの“アテナイの学堂”などルネサンス美術であった。また、古代ローマ時代の遺跡、コロッセオやフォロ・ロマーノをみたり、ヴァチカン博物館の有名な古代彫刻、“ラオコーン”などに時間を割いた。また、トレヴィの泉でコインを投げたり、コンドッティ通りでブランド品を買わなきゃいけないので、スペイン広場の階段でゆっくり座ってる時間もない。こんなローマ観光ではバロックまで気が回らない。で、バロック様式の教会はどこにあるの?ローマバロックの画家は誰?ということになる。

が、今回は違った。ベルニーニの驚愕の大理石彫刻にイレ込んだからかもしれないが、バロックが少しこちらに近づいてきてくれた。当日回る教会、美術館のうち、バルベニーニ宮殿の順番は一番最後だったが、予想以上のスピードでお目当てのカラヴァッジョの絵やベルニーニの彫刻を見れたので、ここも入館できることになった。ガイドブックによると、主玄関から入ってすぐの巨大な広間の天井装飾は必見とある。

右の“神の摂理”(部分)を描いたのはベルニーニとともにローマバロックを代表する画家、建築家であるコルトーナ(1596~1669)。この広間はシスティーナ礼拝堂に次ぐ大きさだという。天井のフレスコ画は1633~39年に制作された。画面の下、雲の上に座すのが“神の摂理”で、その上に教皇の三重冠と聖ペテロの鍵を伴ってバルベリーニ家の家紋が中空に現れている。ソファにすわってしばらく眺めていた。これほど豪華な天井画は見たことがない。浮かび上がってるように見える“神の摂理”に心が動かされる。

ローマにでてきたコルトーナはフィレンツェ出身のバルベリーニ枢機卿に目をかけられ、枢機卿が1623年、ウルバヌス8世として教皇の座につくと、バルベリーニ家にも重用される。コルトーナがバルベリーニ家のために手がけた最大の仕事がこの天井装飾画。“神の摂理によって教皇ウルバヌス8世が選ばれ、その統治下、世界に平和がもたらされる”という寓意的内容を表現している。コルトーナは豊かな想像力を使って描きあげた華麗な天井画により、一気に名声を確立した。

思ってもみなかったバロック絵画の傑作がみれたのはバロックのミューズが呼んでいたからだろうか。バロックへの興味が沸々と涌いてきた。これからバロック芸術への理解を深め、次のローマ訪問ではこのコルトーナやベルニーニのライバルだったボロミーニ(1599~1667)が建てた教会を見てまわろうと思う。

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2006.05.24

レーニのベアトリーチェ・チェンチの肖像

814バルベリーニ宮殿の2階にある国立絵画館に関する情報はイタリアガイドブックのローマの見所に書いてある程度だったので、所蔵絵画に対する期待値はまったくニュートラルであった。

現在、修復中のため展示中の作品は通常より少なく、本にピックアップされてる必見の名画も全部でていない。はじめての美術館というのは展示のレイアウトがよくのみこめないため、出足は鑑賞も落ち着かない。

ラファエロの“フォルナリーナ”でこのコレクションのレベルがわかってきて、ここには結構いい絵があるなとニコニコしながら進んでいたら、“アアー、あの絵はここにあったんだ!”と思わず二人で声をあげた作品に出くわした。右の“ベアトリーチェ・チェンチの肖像”という絵。描いたのはカラヴァッジョと同世代の画家、グイド・レーニ(1575~1642)。

声をあげたのはこの絵が昨年12月18日放送の“美の巨人たち”(TV東京)で取り上げられたからである。番組の最後をフェルメールの名画、“真珠の首飾りの少女”の先行例はこの絵ではないか?という興味深い分析で締めくくっていたのでよく覚えている。その絵の前に立っているのだと思うと、目に力が入る。レーニの絵は2点あり、この絵の隣に“マグダラのマリア”というなかなかいい絵がある。これは岡田温司著“マグダラのマリア”(中公新書、05年1月、拙ブログ05/2/2)の口絵にも使われており、レーニの代表作のひとつ。レーニはマグダラ像を生涯に60点あまり描いている。

ベアトリーチェ・チェンチは1599年、父親殺しの罪で斬首の刑に処せられた実在の女性。22歳で断頭台の露と消えたベアトリーチェの悲劇の物語は今も語り継がれているという。生来女癖の悪いベアトリーチェの父親は自分の娘にまで手を出す始末。こんな極悪非道な男は殺されて当然だが、父親殺しは重罪で、死刑に反対するローマ市民の願いもむなしく、処刑が執行される。この肖像画は首をはねられる直前、牢獄のなかにいたベアトリーチェをチェンチ家とゆかりのあった枢機卿がレーニに命じて描かせたといわれている。

暗闇のなか、こちらを振り返る白い衣装をきたベアトリーチェの顔はマグダラのマリアと同じく小さい。顔が小さいので子供のようにみえる。恨みの気持ちが表情からは微塵もみられず、静かに神のもとに行く時を待ってるようである。あれほど父親に苦しめられたベアトリーチェのこのあどけない顔をみると、余計に人の命の儚さを感じる。

フェルメールの“真珠の首飾りの少女”とこの絵はたしかに頭にターバンを巻いているところ、振り返るポーズが同じである。フェルメールはオランダでこの絵のことを知っていて、構図を借用したのかもしれない。画家が絵を描くとき、先行作を参考にするのはよくあることだ。フェルメールは寓意画も描いているので、当然、絵を描く源泉としてギリシャ神話や聖書物語に通じていた。また、新しい風俗画を制作するにあたって、北方絵画のことはもちろんのこと、イタリア絵画の技法、題材についても相当情報を持っていたのではないだろうか。

“真珠の首飾りの少女”の絵自体が謎につつまれているので、二つの絵が響きあっているかどうかはわからない。ただ、こちらを振り向くという構図は本当によく似ている。

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2006.05.23

ラファエロのフォルナリーナ

384ラファエロの絵画については、1999年に訪れたフィレンツェのピッティ宮殿・パラティーナ美術館で“小椅子の聖母”(拙ブログ05/1/4)などの名画を沢山みて、思いの丈をとげたということもあり、今回の美術館めぐりでは特に観たい作品はなかった。

だが、後から数えてみるとミラノ、フィレンツェ、ローマで12点ほど観ることができ、カラヴァッジョの15点につぐ多さになっていた。大収穫である。

ミラノでの初期の作品、“マリアの結婚”(ブレラ美)と“アテネの学堂の原寸大下絵”(アンブロジアーナ絵画館)は、ダヴィンチの“最後の晩餐”鑑賞に伴う日程変更の賜物。ダビンチ様々である。フィレンツェのウフィツィ美の“自画像”、“レオ10世の肖像”などは過去みているので、とくに心拍数があがることはなかった。ただ、残念だったのは大好きな“ひわの聖母”が現在修復中で見られなかったこと。

ローマでは最後に訪問したバルベリーニ宮・国立絵画館で衝撃的ないい絵に出会った。それは右の“フォルナリーナ”。ボリゲーゼ美でもラファエロの作品を代表作のひとつ“埋葬”など4点みたが、そのなかに似たような“フォルナリーナ”が“埋葬”の隣に飾ってあった。二つの絵のちがいは国立絵画館にあるほうが半裸身像でボルゲーゼのが衣装をきているところだけ。顔の向きなどはまったく同じに描かれている。二つのうち好きな方をもっていっていいと言われたら、即座に国立絵画館の“フォルナリーナ”と答える。

この女性はちょっと微笑んでいるようにみえる。そして目が輝いている。この生き生きした目にものすごく魅了される。この肖像画は1519年頃制作されたのに、今みてもそれほど違和感なくすっと絵のなかに入れる。これがすごい。ティツィアーノもこれと同じような半裸身の女性の肖像画、“毛皮の少女”(ウィーン美術史美術館)を1535年に描いている。この絵も大関クラスの魅力をもっているが、ラファエロの“フォルナリーナ”はどうみてもワンランク上の横綱級の作品。

絵のモデルはラファエロがローマにいるとき愛したマルゲリータといわれている。彼女はパン屋の娘で、飛ぶ鳥をおとす勢いであった宮廷画家、ラファエロとは身分が釣り合わないというので二人が結ばれることはなかった。当時、女性が上半身でも体を見せるというのは尋常ではない。ラファエロと親密な関係にあったのだろう。女性が左手にしている腕輪には“ウルビーノのラファエロ”と銘が刻まれている。これをみるとラファエロが大変な女好きだったことは100%確信できる。

マルゲリータに花嫁衣裳を着させて描いた“ベールの女”(1516年)は前回、ピッティ宮殿でみた。これも女性の美しい姿にうっとりする名画だった。今回、ローマで“フォルナリーナ”を2点みれるとは予想もしていなかった。しかも、バルベリーニ宮にあるのは官能的な感じではなく、生気溢れる女性画の傑作であった。これは館自慢の絵らしく、入り口の垂れ幕にこの絵が使われていた。200%満足したので、これをバックに写真をとった。

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2006.05.22

ティツィアーノの聖愛と俗愛

468ボルゲーゼ美術館でみた絵画のなかで、カラヴァッジョの作品と同じくらい感動した絵がある。それはヴェネツィア派の巨匠、ティツィアーノ(1485~1576)が描いた右の“聖愛と俗愛”。

これは画集に必ず載っている代表作のひとつで、ティツィアーノが29歳の1514年に制作された。頭がくらくらするくらい素晴らしい絵である。ヴェネツィア派の真骨頂である華麗な色彩が心を揺すぶる。

とくに目を奪われるのが裸体の女性がはおっているマントの深紅色と左の女性が着ている豪華な白いドレスの真紅の袖。この赤の感激度は過去、“エウロペの略奪”(米国ボストン、ガードナー美術館)と“聖母被昇天”(ヴェネツィア、サンタ・マリア・デイ・フラーリ教会)で受けた感激と変らない。また、白いドレスの輝きにも見とれてしまう。ダビンチがフィレンツェで描いた“モナ・リザ”(1503~06)の10年くらい後に、ヴェネツィアでティツィアーノはこんな傑作を制作していた。

絵の題名“聖愛と俗愛”は1693年になってこう呼ばれるようになったが、この主題が何を意味してるかについてはいろいろな解釈がある。が、この絵を当時のヴェネツィア共和国、十人委員会の書記であったニッコロ・アウレリオという人物が注文したことはわかっている。

この絵のひとつの読み方はこう。前景に大きく描かれている二人の若い女性は愛について対話している。右が聖愛を象徴する天上のヴィーナスで、左が俗愛を表す地上のヴィーナス。天上の愛は現実を超える美、理想の美を生み出し、地上の愛は現実の物質世界の美をつくりだす。二人の間にいるのは愛神アモーレ(クピド)。二人のヴィーナスはそれぞれ特徴のあるアトリビュート(目印)を持つ。地上のヴィーナスが華麗に装い、薔薇、黄金の容器という地上的な手回り品を携えてるのに対し、天上のヴィーナスは左肩から後ろに翻ったマントと左手に持つ炎をあげる壷だけ。

背景に描かれている風景をみると、地上のヴィーナスの背後には要塞化された尖塔があり、森のある丘には兎がいる。天上のヴィーナスの背景には高い塔の建物、青々とした野原にある平和な村落、牧草地の羊などがみえる。“モナ・リザ”の神秘的な背景とはちがい、ここでは遠くまでかなりすっきりとした色調で細かく描き込まれているので、広々とした絵画空間になっている。

真ん中にいるアモーレが大理石でできたみずぶねの水をかき回しているのは、水を均質化している、つまり、聖愛と俗愛を調和させていることの象徴だという。天上の愛のほうが地上の愛より優るというのではなく、二つは調和のとれた至福の結合にいたるというわけである。ティツィアーノが描く寓意画は意味を理解するのに骨が折れるが、おおよそのことはわかる。テーマに不明なところがあっても、この絵の素晴らしさは200%感じることができる。絵画鑑賞は感じられればそれで充分。

1899年に銀行家ロスチャイルドがこの絵一点に、ボルゲーゼ美術館の美術品と荘館を含めた当時の全評価額より高い評価をしたという。ベルニーニの彫刻、カラヴァッジョの絵画とともにこの美術館の至宝である“聖愛と俗愛”に会えた幸せを噛みしめている。

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2006.05.21

カラヴァッジョの聖マタイの召命

382教会でみたカラヴァッジョの絵はいずれも感銘深い宗教画であった。

それらはサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会にある右の“聖マタイの召命”、“聖マタイの殉教”、“聖マタイと天使”、ここからすぐ近くのサンタゴスティーノ教会の“ロレートの聖母”、そしてポポロ広場のところにあるサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の“聖パウロの改宗”、“聖ペテロの磔刑”。お気に入りは“ロレートの聖母”と“聖マタイの召命”。

画集をみて大変魅せられた“ロレートの聖母”はイタリア人も好きなようで、団体ツアーや個人が午後の開門4時近くになるとぞくぞくと集まってくる。最初は教会をいろいろ回ってるのだろうと思っていたが、門があくとその大多数の人は入ってすぐのところにある“ロレートの聖母”へ向かって急ぐ。つられてこちらも小走りになった。

場面全体は“蛇の聖母”同様暗く、集中的な強い光によって浮かび上がる幼児キリストを抱いた聖母マリアに巡礼姿の老婆と息子がひざまずいて礼拝する姿が感動的である。聖母マリアの清楚な美しさに心を揺さぶられるとともに、町のどこにでもいる男の汚れた足の裏をこちらに見せるという迫真のリアリズムにこの絵の革新性を感じた。この写実的な描写は聖職者には野卑で挑発的と受け取られたかもしれないが、劇的な光の効果と人物の実在感は物語の迫真性を増し、宗教性を一層高めたともいえる。

“ロレートの聖母”の5年前、1600年に公開された右の“聖マタイの召命”はカラヴァッジョの画力の高さをローマ中に知らしめることになった出世作。今回のイタリア旅行中にみたカラヴァッジョ作品では一番登場人物の多い絵で、収税所にいた徴税吏マタイのもとにキリストが現れ、“私に従いなさい”と言った場面を描いている。後世の画家がカラヴァッジョから光と影の使い方を学んだのはまさにこの絵ではないだろうか。傑作中の傑作である。

キリストに声をかけられとすぐに回心し、ついていったといわれるマタイはテーブルを囲む5人の男の誰なのか?昔は中央の髭の人物と思われていたが、現在では左端の顔をあげず、テーブルにある金貨を見つめる若者とする解釈が主流になっている。見所は右の暗いところから手を差し出すキリストをそれほどの緊張感も無く眺めている男たちのリアルなポーズと身振り。右上からあたる光が男たちの着る当世風でファッショナブルな衣装や白い鳥の羽をつけた帽子を被っている男の色白でふくよかな顔つきを照らしだしている。そして、マタイとみられ若者の横顔はよくみると、実に端正。これは宗教画ではあるが、人物一人々に生身の存在感を感じさせる風俗画でもある。

イタリア滞在中、カラヴァッジョ作品を全部で15点(初見11点)鑑賞できたことが、嬉しくてたまらない。これでカラヴァッジョの全絵画51点のうち29点を見終わった。次回のローマではカピトリーニ、ドーリア・パンフィーリ、コリシーニ美術館を訪問しようと思う。カラヴァッジョとのつきあいはまだまだ終わらない。

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2006.05.20

カラヴァッジョ絵画三昧 in ローマ

381前々から次にローマを訪ねるときはベルニーニの彫刻とカラヴァッジョの絵の鑑賞に多くの時間をさくことを決めていた。ベルニーニ同様、ローマにはカラヴァッジョ(1571~1610)の作品が沢山ある。

美術館、教会にある名画のすべてを一日でみるのは無理なので、リストアップした作品にあらかじめ観たい順番をつけておいて、時間の許す限りタクシーでまわった。まずは美術館にある作品から。

日本を発つ前日、Juneさんのブログで貴重な情報を戴いた。ヨーロッパの美術館でカラヴァッジョの展覧会が開かれるというと、孫悟空のようにあっというまにかけつけるJuneさんはまたまたアムステルダムのゴッホ美術館で開催中の“レンブラント/カラヴァッジョ展”(2/24~6/18)を観られ、展示されているカラヴァッジョの作品のことをブログで書かれていた。で、カラヴァッジョ絵画を多く所蔵することで有名なボルゲーゼ美術館とバルベリーニ宮・国立絵画館からどの絵が今、貸し出されているかがわかった。期待していた“ホロフェルネスの首を切るユディト”(国立絵画館)と“ゴリアテの首を持つダビデ”(ボルゲーゼ美)に会えないのはとても残念だが、これは仕方がない。

ボルゲーゼ美術館のカラヴァッジョの絵が飾ってある部屋には大勢の人がいる。これをみると、ベルニーニとカラヴァッジョがこの美術館の2枚看板であることがよくわかる。観光客のガイドさんが熱っぽく説明していたのが右の“蛇の聖母”。大きな絵である。裸の幼児キリストのわきの下に両手をおき、少し前かがみになっている聖母マリアの姿に目がいく。優しそうで静かな女性である。でも、目を下にやるとギョッとする。足で踏んづけているのは罪と異端のシンボルである蛇。自分の足の上に幼児キリストの足をのせ、蛇を踏み潰す方法を教えているのである。背景を暗くし、左から聖母と幼児キリストに光を当てる描き方に魅了される。

聖母のモデルは娼婦レーナといわれており、サンタゴスティーノ教会にある“ロレートの聖母”にも衣装を変えて出てくる。右にいる聖アンナもローマの下町に行けばすぐ会えそうな老婆。光輪があるのでこの絵は聖母子像であるが、カラヴァッジョは市井の人々を使い、宗教画をより身近に感じるものに変えた。これが最初は依頼主の教会からは“卑俗で、神を冒涜している”などと非難され、受け取りを拒否されたりするが、一方で人間の感情や内面をとらえ深い精神性の感じられる宗教画と高く評価するパトロンたちがいた。

その一人が教皇パウルス五世のお気に入りであったシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿
(1579~1633)。はじめは12点あったボルゲーゼコレクションのうちの6点が現在、この美術館にある。今回見れたのは“蛇の聖母”、“病めるバッカス”、“聖ヨハネ”の3点。残りはゴッホ美術館に行っている。“果物籠を持つ少年”と“聖ヒエロニムス”は日本であった“カラヴァッジョ展”に出品された。カラヴァッジョお得意の暴力的な表現が強烈にでた“ゴリアテの首を持つダビデ”がなかったのは想定外だが、狙いの青白い顔をしたバッカス(カラヴァッジョ自身)も見れたのでトータルの満足度は高い。

バルベリーニ宮・国立絵画館では“ナルキッソス”と“瞑想の聖フランチェスコ”と再会した。隣の方ははじめてみる“ナルキッソス”に喜んでいた。また、日本にも出ていたカラヴァッジェスキ、サラチェーニの“聖チェチェリアと天使”、バリオーネの“聖愛と俗愛”にも足がとまる。次回はここでなんとしてもホロフェルネスの首から鮮血が飛び散るあの代表作を見るぞと思いながら、館をあとにした。

04年末、いいカラヴァッジョ本、“カラヴァッジョー聖性とヴィジョン”(宮下規久朗著、名古屋大学出版会)が出版された(拙ブログ04/12/23)。ご参考までに。

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2006.05.18

ベルニーニの福女ルドヴィカ・アルベルトーニ

380ベルニーニの作品があるローマの教会をタクシーで目一杯回った。ローマではボルゲーゼ美術館のほかに教会にもすごい作品があるのだ。

サン・フランチェスコ・ア・リーパ教会には右の“福女ルドヴィカ・アルベルトーニ”、サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア教会の“聖女テレジアの法悦”、そしてポポロ教会の“ハバククと天使”。ほかにもあるが、まずはこの3作品を目に入れようと地図を片手に教会を目指した。

最初に行ったサン・フランチェスカ・ア・リーパは町の中心からちょっと離れたトラステビル地区にあるあまり目立たない教会。お目当ての“福女ルドヴィカ・アルベルトーニ”は入って左手奥にある。これはベルニーニが73歳のときの作で、晩年の傑作。いつか見たいと思っていたが、やっと願いがかなった。

ルドヴィカは貧者に対する献身で人々に福者として崇められた女性で、この彫刻は福女ルドヴィカが神と神秘的な合一をはたす場面を表現している。胸に手をあて至福の表情を浮かべて横たわる福女ルドヴィカの顔をただただ呆然としてみていた。台座の布に用いられた色大理石が白い大理石の福女像を引き立てており、大きく深く刻まれた衣襞に目を奪われる。清らかであると同時に官能的にもみえる福女ルドヴィカの顔の表情、手の表現、本物の衣ではないかと見まがうばかりの襞のつくりかたをみていると、硬い大理石を自在にあやつるベルリーニののみの力に深い感動を覚える。

サンタ・マリア・デラ・ヴィットーリア教会にある“聖女テレジアの法悦”も“福女ルドヴィカ・アルベルトーニ”と同様、じっと見とれてしまう作品。昨年、美の巨人たちで紹介されたので拙ブログ05/5/22で取り上げた。二つの作品をみていると、この頃どうしてこんな官能的な表情をした女性像をベルニーニが制作したのか?その理由を知りたくなる。

背景には17世紀のカソリック圏における反宗教改革の動きがある。幻視体験やこれによって起きる法悦(エクスタシー)が信仰の強さの証であるというという考えがひろがってきた。幻視というのは選ばれた者が聖なる存在を見ること。この神秘主義的風潮を最も体現した聖者であるテレジアは幻視と法悦の体験を自叙伝に書いている。で、ベルニーニはこの話を彫刻にした。観る者は恍惚として体験した聖者の様子を彫刻で見て、聖者とともに神や聖母子の顕現を見ることになるというわけである。

ここでいう法悦はあくまでも神と一体になることで得られる精神の高揚のことであり、肉体的なものとはちがう。でも、肉体的なことを連想してみるほうが楽しいことは楽しい。観てる人の心の中はだれも分からないから大丈夫。が、ここは教会の中だから、あまりそわそわしてはいけない。因みに、この“聖女テレジアの法悦”は“福女ルドヴィカ・アルベルトーニ”の24年前に制作された。

ベルニーニが49歳と晩年の73歳のとき彫った傑作を観れて、これほど嬉しいことはない。もうベルニーニにぞっこんである。

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2006.05.17

ボルゲーゼ美術館のベルニーニ

379ローマのボルゲーゼ美術館で念願のベルニーニの彫刻作品をみた。旅行から帰ってもう3週間ちかくになるのに、まだ“アポロンとダフネ”と右の“プロセルピナの略奪”の余韻にひたっている。

5年くらい前、BS2の番組、イタリア美術特集で細部まで映しだされたこの2作品を見たときはすごい衝撃をうけた。これが大理石の彫刻なの?その見事な彫刻に驚愕すると同時に、いつか実物を見るぞ!と心に決めた。それがようやく実現したのである。

ボルゲーゼ美術館はローマ北部にあるボルゲーゼ公園の一角にある。公園は広大な敷地に緑が広がる憩いの場で、多くの親子連れやカップルなどがのんびり歩いたり、芝生に横たわったりしている。ボルゲーゼ美術館は現在、インターネットで事前に予約をとって鑑賞することになっている。館内には2時間までいることができる。予約した時間の30分前にチケットを購入して、入場する。手荷物の持込は禁止。

予約のお陰で混雑せずにじっくり作品を鑑賞でき、そして展示してある絵画や彫刻は超一級品なので、大きな満足が得られる。ガイドブックで作品のすごさを確認していたが、実際、傑作の前に立つと体が熱くなるくらい感動する。とくにローマバロックの天才彫刻家、ベルニーニ(1598~1680)の作品が圧巻。4つの部屋に7つある。最も有名なのが“ダヴィデ”、“アポロンとダフネ”、“プロセルピナの略奪”。“ダヴィデ”は旧約聖書、“アポロンとダフネ”と“プロセルピナの略奪”はギリシャ神話にでてくる話を題材にしている。

ローマを観光する旅人にとって、ベルニーニの名前はサン・ピエトロ広場の柱廊をつくった建築家、ナヴォーナ広場の“四大河の噴水”やバルベリーニ広場にある大きな魚が支える貝殻の上で、半身半魚の神トリトンがほら貝を吹く“トリトーネの噴水”を制作した彫刻家として一応頭に入っている。広場にある大きな彫刻は見てて楽しくなる作品ではあるが、ベルニーニの神業的な技に驚くのはボルゲーゼ美術館やローマの教会にある作品。

“ダヴィデ”に使われている大理石には黒い混じりがある。巨人ゴリアテに立ち向かうダヴィデは緊張しているのか歯を食いしばっている。今から投げようとしている石投げ器が水平に彫られ、その端が両腕とつながり、なんとピント張られた上下の紐の間はくりぬかれているのである。こんなすごい彫刻をみたことがない。一本の大理石からどうやってこういう形をつくっていくのか?

動きのあるダイナミックな造形と繊細な彫りが一層発揮され、神品ではないかと思われるほどびっくりするのが“アポロンとダフネ”。この場面は恋狂いのアポロンに捕まった嫌がるダフネが河神の父の助けで“月桂樹に変身”する瞬間。ダフネの足はもうすっかりと月桂樹になって大地にシッカリ根付き、さらに腰から上のほうに伸びていき、手の先や足の指先は一部が月桂樹に変っている。月桂樹の小枝をよくこんなに薄く彫れるものだ。これはすごい彫刻である。すご過ぎる!

右の“プロセルピナの略奪”にも200%感動した。冥界の王ハデスが自分の妻にするためにプロセルピナを力ずくで奪い去る瞬間である。目を奪われるのはハデスの力のこもった指がプロセルピナの柔肌に食い込むところ。これ、本当に大理石なの!?ソフトテニスのボールを指でへこませたような感じである。大理石でこんな柔らかい肌の質感がだせるなんて信じられない。ハデスから逃れようとして必死にもがくプロセルピナの顔は恐怖でひきつり、涙を流している。涙を表現した彫刻なんてこれまでお目にかかったことがない。この涙と乙女の左太腿とわき腹にハデスの指が食い込むのを時間がすぎるのも忘れて眺めていた。

天才、ベルニーニの神業ともいえる作品を十二分に堪能した。まさにエポック的な美術鑑賞であった。ご参考までにボルゲーゼ美術館の予約やチケット購入のことはこのサイトに詳しい。

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2006.05.16

カプリ島の青の洞窟

378カプリ島観光の目玉、青の洞窟が見れるかどうかはその日の天候次第。ちょっとでも波が高いとダメだという。でも、その説明だけではまだピントこない。

だが、実際洞窟に行き、入口の小さな穴を見たら、即納得する。一箇所しかない入口はわずか2mしかないのである。このため、海が完全に穏やかな状態の時しか、洞窟に入ることができない。われわれが出かける日がこの穏やかな海であることを祈るばかりだったが。。

はたして見れたのか?幸運にも、当日海はべた凪(なぎ)。念願の青の洞窟は“リーチ一発ツモ”で見れたのである。ガイドさんによると、前日も2日前もダメだったという。こういう話を聞くと余計に嬉しさが増してくる。カプリ島のマリーナ・グランデ港から洞窟に行く中型船のなかでは、ツアー参加者、および添乗員さんの顔は皆子供のようなニコニコ顔。でも、いい顔もここまで。船頭さんを入れて7人ぐらいしか乗れない小さなボートでいざ、洞窟に入る段になるとすごく緊張する。

上下する波のタイミングをみはからって小さな穴に入るときは頭をぶつけないように体を舟底にへばりつける。なかに入り、海の底をみるとまっ青。すごく綺麗な青である。これが“青の洞窟か!”とテンションが一気にあがる。これほど美しい青の世界にひたったことがない。船頭さんも心得たもので、すぐ歌を唄ってくれて、気分を盛り上げてくれる。
22mの深さの海底は真っ白な砂で、そこに太陽光線が微妙な角度で入ってくるため、特有な青い色になる。中を一周して、また頭とか手をぶつけないようにして狭い穴から外へ出る。洞窟にいたのは10分くらいだが、感動がぎゅっと詰まったこれ以上の幸せはないという時の流れだった。

このあとは島の高いところにあるアナカプリと港の近くにあり観光客が多く集まるカプリで昼食をとったり、ショッピングなどの自由行動。この地方の人達に愛されている飲み物、レモンチェッロをはじめて飲んだ。レモンの皮を96度のアルコールに漬け込んでつくるかなりきついお酒だが、口当たりは爽やかで、とろりと甘く美味。

カプリ島は高級リゾート地のため、ここに別荘をもっている資産家、有名人は多い。そういう人達の御用達となっている装飾品、衣服、革製品などの店がある通りを歩いていると、ここはミラノのファッションストリートではないかと錯覚する。フェラガモやプラダなど有名ブランドはほとんど店を出している。青の洞窟だけがカプリ島の楽しみと思っていたが、色彩感覚やデザインの素晴らしい高級ブランド品でつかのまのリゾート気分を味あわせてもらった。

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2006.05.15

ポンペイの秘儀荘

2532度目のポンペイは前回とは違う見学コースだった。だが、最初にでてくるアポロのブロンズ像がある神殿やヴェスビオ火山が背景に見える中央広場、フォロのところに立つと、昔ここで写真をとったことを思い出した。

かすかな記憶がたどれるのはこのあたりまで。現地ガイドさんの説明に耳を傾けながら遺跡を進むと、別のルートを歩いている気がしてきた。紀元79年、ヴェスビオ火山の噴火により、町全体が火山灰に埋まったポンペイが再びその姿を現したのは18世紀以降で、今も発掘が続いている。

ここの遺跡で一番ショッキングなのはこの大噴火で命を奪われた人の石膏像。食料市場には奴隷のものがある。その頭蓋骨と歯の部分は本物だという。火山灰に埋もれた人の体の分泌物が周囲の土砂の表面を固め、体そのものは分解して縮み空洞ができる。そこに石膏を流し、これが固まったあと、土を取り除くと正確に人の形をした石膏像が現れる。前回は公衆浴場のところで2体みた。うつぶせや仰向けになっている姿は災害の悲惨さをリアルに伝え、言葉を失う。

ここを歩くと古代ローマ時代のころ、人々がどんな日常生活をしていたかがいろいろわかる。石が敷き詰められた通りには、ワインなどを運んだ馬車が走っていたことを窺がわせるわだちの跡があり、貴族や高官の屋敷跡には庭や美しい壁画がある。店の一部に掲示されているマークが仕事内容を表しているのも興味深い。奴隷が壷を運んでいるマークはここが宅配便の待機場所であることを示している。売春宿を示すマークはすぐにわかる。

ポンペイにはパン屋が30軒くらいあったそうで、小麦を挽く溶岩石でできた円錐形のうすやピザを焼くのと同じかまどが残っている。悲劇詩人の家では面白いものがあった。入り口の床には力強い形をした犬のモザイクがあり、ラテン語で“猛犬注意”と書かれている。モザイクは今の玄関マットやじゅうたんの感覚である。

ポンペイ観光のお目当ては“秘儀荘の壁画”。いつごろからこれを観るコースができたのか知らないが、美術の本に載っている名所が観れるのは大変嬉しい。ここは遺跡の地図でみると一番左端にあり、他の建物からポツンと離れているのでコースの時間効率はあまりよくない。が、ポンペイの壁画のなかでは最も保存状態がいいので、多くの観光客が足を運ぶ。

食堂の正面、左右の壁にある縦3m、横17mの壁画は紀元前一世紀半ばの作で、当時このあたりに流行し、後にイタリア全土に広まったディオニュソス信仰にかかわる秘密の儀式の様子が描かれている。ディオニュソスはバッカスと呼ばれ、酒の神。“ディオニュソスの秘儀”は女性の信者を中心とした集団陶酔。日ごろのストレスやもやもやを解消するため、ディオニュソスの神を讃え、酒を飲み、過激に踊り狂い、獣を八つ裂きにしたりする。憑きから覚めるとまた、何もなかったかのように普通の女にもどる。ローマ政府はディオニュソス崇拝は宗教上の秩序を乱すものとして、禁止していたが、ローマの目がとどきにくい南イタリアを中心にディオニュソス信仰は定着していた。

“ディオニュソスの秘儀”の壁画は向かって左側の入信希望者の登場からはじまり、入信までの過程を結婚になぞらえて10の場面で表現している。右は黒い羽根をもつ神(左)が案内役の女性のひざに体を半分出してうつぶせている入信者(真ん中)をむちでたたいてるところ。美術本にでているのがこのサディスティックな場面。背景は“ポンペイの赤”。人間の血が流れているような鮮やかな赤である。ルネサンスよりはるか以前なのに、人物が彫刻のように立体的に描かれているのにびっくりした。

この場面の左のほうには、アリアドネと結婚したディオニュソスやリラを奏でる従者のシレノスなどが描かれている。この壁画でみた“ポンペイの赤”は長く記憶に残りそうな強烈な色であった。

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2006.05.14

アッシジのジョット壁画

376アッシジにはルネサンスの幕開けをつげるジョットの有名な壁画があるので、シエナからこの町に向かうバスのなかでは徐々にテンションがあがってきた。

添乗員のKさんは自分でも絵を描いたりして、絵心がある方で、聖フランシスコ大聖堂の内部に描かれている多くの壁画のなかから、主要なものとその場所を示した小画像つきのミニ教会平面図を作ってくれていた。ここはガイドさんによる説明無しで、いきなり観ることになったので、これが大変役立った。

聖フランシスコ大聖堂はアッシジの町はずれにあり、斜面を利用して上下二つの聖堂から構成されている。聖堂の建設は、清貧を重んじ、自然の恵みを喜び、自然と共に生き、神の愛の世界を実現しようとした聖フランシスコを讃え、聖人の死後(1225年)まもなく、はじまった。聖堂の内部は13世紀後半から14世紀前半にかけて、一連の壁画によって装飾されたが、1295年、28歳のときアッシジを訪れたジョットは上堂の身廊に“聖フランシスコの生涯28場面”を描いた。

聖フランシスコの物語は“精薄者から尊敬を受ける”ところからはじまり“湧き水の奇跡”までが右側に、右の“小鳥の説教”から最後の“改心した異端者の釈放”までが左側に描かれている。ジョットの絵が中世の硬い殻を破ったといわれるのは背景に出てくる建物や登場する人物の動き、表情が実際の観察にもとずいて現実的、写実的に表現されているから。

例えば、10番目の“アレッツオの町から悪魔を追い出す”では、建物の描き方はまさに写実そのもので、遠近法を取り入れ、立体感を出している。中世の平面的で装飾的な画面からすると革新的な表現方法である。右の“小鳥に説教する”は聖フランシスコ伝では最も有名な場面を絵画化したもの。聖フランシスコが一番愛したものは自然の恵みであり、自然との対話といわれる。聖人が小鳥たちを集め、神の恵みについて説教すると、小鳥たちもそれを理解し、喜びに羽を広げ、聖人の服をついばんだという。

右の大きな木と聖人の後ろにある木とは対角線をなし、奥行き感をつくっている。手前でまっすぐ前を向き聖人の話を聞いてる鳥たちの姿がほほえましく、木のまわりを飛ぶ3羽の白い鳥の喜びが伝わってくるようである。ほのぼのとした雰囲気があり、木があり、小鳥が沢山出てくるこの絵画空間をみていると、日本画に通じるものを感じる。ふと、日本画家の小林古径や前田青邨がこの壁画をみて感動し、油絵に対するコンプレックスが消え、日本画に自信をもったという話を思い出した。

フィレンツェ、アッシジにあるジョットの壁画は見終わったので、残るは14世紀のはじめ、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂に描かれた“キリストの生涯”。この絵の期待値は“聖フランシスコ伝”より高い。次回のイタリアはパドヴァが入ったツアーを選択することを今から決めている。

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2006.05.13

シエナのカンポ広場

607_1今回の旅行中、はじめて訪ねる町のなかで期待していたのがシエナ。シエナが大変いい町だということはジュネーブにいたころ、友人から聞かされていたが、なかなか縁がなかった。

朝出発に際し、添乗員のKさんから“今日、行く町は中心部へたどりつくまで坂道が続き、サン・ジミニャーノ、シエナ、アッシジの順番できつくなる”と聞かされていた。シエナは人気の観光地で、丘の下の駐車場は沢山のバスでいっぱい。ここから町の中心にあるカンポ広場までは坂道を20分くらい歩く。

進むにつれて丘の傾斜にそって建てられた赤煉瓦の建物や褐色の瓦屋根が見えてくる。洒落た店が並ぶところに入ると人通りも混雑さを増し、人気の町特有の活気に満ちている。大勢の観光客が行き交う通りから横に出ている石段を下ると目の前にカンポ広場が現れる。

おもわず“ワー、広い!”。世界一美しい広場と呼ばれるのはまさにあたっている。お気に入りのブリュージュやブリュッセルの広場が長方形であるのに対し、右のカンポ広場は市庁舎を背景にしたステージのようになっている。その形が面白い。白い石の線で長細い9つの扇形に区切られており、上からみると貝殻のように見える。しかも、市庁舎にむかって緩やかに傾斜しているのである。市庁舎の左に建つのがマンジャの塔。14世紀中頃完成し、下が赤煉瓦、上は白い石で装飾されている。高さは102mある。

これほど劇場的で開放感あふれる広場は見たことがない。皆が絶賛するのがよくわかった。ヨーロッパの広場でベスト1はこれまでブリュージュのマルクト広場だったが、ここのカンポ広場も加えなければいけない。

この広場で毎年7、8月に行われるパリオと呼ばれる伝統競馬は最近では時々、日本でもTVで報道されるようになった。17ある地区の対抗競馬で、はだか馬に乗ったプロのジョッキーはこの広場を3周して速さを競う。角のところで曲がりきれず、馬から激しく振り落とされるところが目に焼きついている。そして、一着になった馬の所属する地区の喜びようといったらない。これで地区(コントラーザ)の人たちは一層結束するそうだ。一度、この熱狂的なレースを直に見てみたいものである。

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2006.05.12

塔の町、サン・ジミニャーノ

374地図というのは普段、あまり見ないが、旅行期間中は観光する町の位置関係を頭に入れようと、ガイドブックについてる小地図をバスの中やホテルにいるとき頻繁に眺める。そうしてるうちにイタリアの町の所在地がだんだんわかってくる。

フィレンツェの次に行ったサン・ジミニャーノはまだすっと言えない町。フィレンツェから西南40km弱のところにある。昨年7月にあった衛星放送の番組“イタリア縦断1200km”でこの町が紹介されていた。中世、トスカーナ平野の小高い丘の上に発展した町で、塔が沢山ある。

城壁の入り口、サン・ジョバンニ門から入って、町の中心部に進むにつれて、塔が見えてくる。13~14世紀に建てられた塔で現在残っているのは14本。その昔は72本の塔が林立していたらしい。貴族たちが富と権力を象徴するものとして、塔を競って建てたという。一番高いのが市庁舎の塔、グロッサの塔で54mある。

1311年に塔が完成したとき、当時の行政長官がこれ以上高い塔を禁じる法律をつくったため、金と力のある有力貴族でも私的な館の塔をお上の塔より高くするわけにはいかなくなった。そのかわり、双子の塔(サルヴィッチの塔)を建て、2本あわせると一番高いと胸を張った者もいる。いつの時代にも負けず嫌いがいるもので、自分流の尺度を使って主張するところが面白い。TV中継ではグロッサの塔の頂上からトスカーナの素晴らしい風景を映していた。

自由時間はドゥーモに入り(有料)、内部の壁画などを見た。これが予想以上のいい宗教画だった。まず、ボッティチェリと同時期、フィレンツェで活躍したギルランダイオのフレスコ画が何点もあるのにびっくりした。入り口に“受胎告知”が、内部の礼拝堂には“聖フィーナの生涯”があった。また、メディチ家の壁画を黄金を多用し装飾的に描いたあのゴッツォリの“セバスティアーノの殉教”が正面にどんと飾ってある。

そして、左右の壁にある14世紀ころ制作された“旧約聖書物語”と“キリストの生涯”が見ごたえがある。聖書の話は本で読むより絵画化された情報のほうが分かりやすい。最後に急いで見た“最後の審判”(14世紀末)も印象深い。“怠惰”、“貧欲”、“大食漢”、“姦通”の罪を犯した者が鬼たちに責められる場面の怖さと残虐性は日本の地獄絵と変らない。この西洋版地獄絵を見れたのは大収穫であった。

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2006.05.11

フィレンツェ風ステーキ

373イタリア旅行が楽しいのは“花も団子も”あるから。フィレンツェでの“花”はボッテイチェリやラファエロの絵画、ミケランジェロの彫刻などルネサンス美術、そして“団子”は名物料理のステーキとキャンティワイン。

フィレンツェがイタリアの町のなかで一番好きなのはフィレンツェ風ステーキが食べられるからかもしれない。昔、ジュネーブに住んでいた頃、フィレンツェに3日滞在したことがあるが、初日ぶらっと入ったレストランで食べたフィレンツェ風ステーキがあまりに美味しかったので翌日もその店に出かけ、またこれを注文したことがある。

左のビステッカ・アッラ・フィオレンティーナというTボーンステーキの味付けは塩と胡椒だけ。ソースなどは添えない。このシンプルな味付けが肉の旨味を引き出している。魚でいえばアジの塩焼きの美味しさに似ている。ツアーでいくと食べやすいように骨から肉を外して、切り分けてくれる。テーブルにいる4,5人分がどっと盛られ、ボリュームがあるので、女性は“全部食べられるかしら?”と思うにちがいない。

外側は焦げ目がついていて、ウエルダンにみえるが中はレア。女性陣は全部は食べきれないので、いきおい相対的に少ない男性たちが頑張って食べることになる。肉に弾力があり、噛み締めると肉汁の甘みがじわっと口のなかに広がる感じがなんともたまらない。日頃は体重が増えることをすごく気にしてるのに、美味しい肉の前では蟹を食べるときのように夢中になっている。食意地が張ってる性分はやはり隠せない。

肉料理となると飲み物は赤ワイン。で、知ってる人も飲んだことがない人もイタリアワインの代名詞のような“キャンティ・クラシコ”に皆手を上げる。注文をとってる店員にワイン通の方が“何年もの?”と尋ねると、“えーと、03年です”。するとなんでも知ってる添乗員Kさんが“03年のキャンティ・クラシコは美味しいですよ。この年は夏が暑かったから”とフォローする。因みに、キャンティはフィレンツェのすぐ近くにある町の名前で、“キャンティ・クラシコ”はワイン造りを行ってきた地区一帯のことを指している。

ヨーロッパを旅行することが多いのでワインは昼とか夜の食事時によく飲むが、舌はワイン通にはほど遠く、銘柄のことは全然知らない。値段が高い銘柄はコクがあり、まろやかな口当たりのする上物だろうが、ヨーロッパではイタリアに限らず、どの国でもワインを飲む習慣があるので、普通の値段、4ユーロとかのワインでも結構美味しい。キャンティ・クラシコと名物ステーキでこの日のディナーは一段と盛り上がった。

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2006.05.08

パルミジャニーノのマニエリスム

462ウフィツィのようなルネサンス絵画を中心に教科書に必ず載っている名画が沢山ある有名な美術館を訪問したからといって、展示されてる絵画のすべてに通じているわけではない。

前回見たときは関心の薄かった作品だが、その後の海外の美術館などでの鑑賞体験がきっかけとなり注目するようになった絵もある。

ここは2度目の訪問だった1999年のとき、時間をかけてじっくりみて、おおよそ展示されている作品群を頭に入れたので、今回は1999年以降目覚めた画家の絵や見逃した作品を丁寧にみることにした。

そのひとつがマニエリスムの絵。ここはマニエリスム絵画の宝庫。中にはちょっと精神を病んでいるのではないかと思われる絵もあるが、プラス評価ができる名画もちゃんとある。昔からマニエリスムの評価はなかなか定まらない。何度みても、これはいいやという絵もある。例えば、サルトやポントルモの描く人物は目の周りに黒い隈があり、体が異様に長く、そして特徴である捻ったS字ポーズも無理やりとってる感じ。こうした絵を見ているとこちらまで精神が不安定になってくる。

同じマニエリスム様式の画家、ブロンツィーノ(1503~1572)については、最近はマイナスイメージが少なくなり、逆に魅力を感じるようになった。で、“トリプーナ”と呼ばれる八角形の部屋に飾られてる肖像画の数々を熱心にみた。中でも惹きつけられるのが赤の衣装と端正な顔が印象的な“ルクレツィア・パンチアティキの肖像”と子供の肩に右手におき、豪華なスペイン風紋様の衣装を着たコジモ一世の妃を描いた“エレオノーラと息子ジョヴァンニの肖像”。

ブロンツィーノよりもっと関心の高い画家がパルミジャニーノ(1504~1540)。03年、ウィーン美術史美術館を訪れた際、たまたま見た“パルミジャニーノ回顧展”でその画技の高さに驚愕し、すっかりこの画家の作品にはまった。ウフィツィにはいい絵が2点あり、右は代表作の一つ、“長い首の聖母”。首も長いがそれ以上に手が異常に長い。顔は卵型が特徴。髪の毛一本々のウエーブや衣装の襞の滑らかな質感が見事に表現されている。

盛期ルネサンスが求めた均衡や自然らしさだけでなく、パルミジャニーノの絵にみられる自然を超える洗練された表現や高い芸術的な技巧にも心が揺すぶられる。パルミジャニーノが描くマニエリスムの絵が今、人気が高いということは、時代がこうしした人体を自然な比例とはちがって極端に長くしたり、色彩は鮮やかだけどどこか冷たい感じのする絵を求めているのかもしれない。そんなことを考えながらこの絵を眺めていた。

拙ブログは5/9,10はお休みいたします。

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2006.05.07

ウフィツィ美術館のボッティチェリ

371イタリアの町で一番好きなのがフィレンツェ。毎年でも行きたいくらいだ。

あまり大きな町ではないので教会や美術館をまわるのがすごく楽。地図を見ながら少し歩くとめざす教会にたどり着く。

観光のハイライトはドゥーモ、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼があるところとミケランジェロの“ダビデ”(コピー)が立っているシニョーリア広場。買い物に忙しい人はこの2つを結ぶ通りと平行
に走るトルナヴォーニ通りに直行するかもしれない。ここにはプラダ、グッチ、フェラ
ガモなど名だたるブランド品の最新作が飾られている。商品の色彩やデザインは
ハイレベルで、ディスプレイの仕方が実に上手い。

ルネサンス美術が存分に楽しめるフィレンツェで誰がお目当てかというと、絵画では
ボッテイチェリとラファエロ、彫刻ではミケランジェロ。ダ・ヴィンチもフィレンツェで制作
していたので、名画があるが数は少ない。ダ・ヴィンチに較べればボッテイチェリと
ラファエロは質、数ともに申し分ない。最高傑作が揃っている。そして、ミケランジェロ
も“ダビデ”などの傑作がアカデミア美術館やサン・ロレンツォ聖堂にある。

普通のツアーの場合、ラファエロの作品が沢山あるピッティ宮・パラティーナ美術館は
見学コースに入ってないので、ルネサンス美術の素晴らしさはウフィツィ美術館で
出会うボッティチェリの作品で堪能することが多い。ウフィツィ美術館での最大の楽しみ
はこのボッティチェリの絵といっても過言ではない。代表作の大半がこの美術館の3部
屋に収まっている。

ボッティチェリが活躍したのはちょうどフィレンツェがメディチ家のロレンツォ豪華公治下、
一番繁栄していた1470~90年。聖母子、宗教画、神話画のなかでとびっきりの
傑作はボッテイチェリが絶頂期にあった1480年代前半に制作された。右の“ヴィー
ナスの誕生”は1485年ころ、もう一つの傑作“春”は1482年ころの作。“ヴィーナス
の誕生”は西洋絵画の中では好きな絵ベスト5に入る絵である。

この絵をはじめて見たのが大変いい時期だった。1982年の春、この絵は1年がかり
の洗浄、修復により、長年の汚れが無くなり、輝かしい色彩と透明感に満ちた新鮮さを
取り戻した。その1年後の1983年にお目にかかったので、ピカピカの名画を天にも
昇るような気持ちでみた。絵画を見たときの興奮度はこのときが最も大きかったような
気がする。これぞルネサンスの美という感じ。

今回、3回目の対面となったが、やはりちょっとずつ汚れがついてるのか、絵肌の鮮明
さは1983年のときとくらべると落ちている。でも絵の魅力は変らない。優雅な線で輪郭
された天上のヴィーナスの少しメランコリックですっきりした顔と美しい裸体にしばしうっ
とり。ヴィーナスが神話に出てくる崇高な姿ではなく、ヨーロッパの町を歩けば出くわす
ような現代的な女性に見えるところがこの絵の一番の魅力である。

左の愛の風ゼフュロスが花の神フローラと抱き合って、まき散らす薔薇の花(ヴィーナス
の愛の象徴)と海の波の描き方が15世紀の絵とは思えないほど現代感覚で装飾的
なのに驚ろく。また、ヴィーナスの長い金髪や右でホーラ(時のニンフ)が広げる精緻な
模様の入ったマントがゼフュロスの吹く風で流れるようなフォルムになってるため、画面
全体にリズミカルな印象を与えている。

“ヴィーナスの誕生”に久しぶりに会えて、満ち足りた気分になった。ルネサンス美術の
殿堂、ウフィツィ美術館に感謝。

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2006.05.06

ピサの斜塔

370ピサの斜塔を最初にみたのは1983年。このころはまだ、南に約5.5度傾いた塔の中に入れ、297ある階段を登って頂上まで行けた。上に登るにつれまっすぐに立ってないなという感じが強くなったのをかすかに体が覚えている。

安全上の問題から、1990年から公開は中止になり、地盤に600トンの鉛を入れるなど10年におよぶ修復工事が行われた。今は傾斜の進行がとまり、中にも
入れる。実際、多くはないが頂上から下を眺めている観光客がいる。事前に予約を
とった人らしい。現在は完全予約制になってるとのこと。われわれのツアーは登ら
なかったが、周りの観光客をみても大聖堂や洗礼堂を見学するだけで、斜塔のなか
にぞろぞろ入っていく風でもなかった。これがたまたまの現象なのかよくわからない。

ピサの斜塔は本来大聖堂に付属する“鐘楼”として建築された。1173年に着工
して、円筒形(8層)で、高さ55mの塔が完成したのは1350年。地盤がやわらかか
ったため、3層まで工事が進んだ頃から塔は傾きだしたようだ。で、4層以降は塔
の角度を逆の方向に修正したため、全体が“逆くの字”のようにみえる。斜塔は近く
で単独の建築物として眺めるよりは、入り口のところから、一番手前にある洗礼堂、
真ん中の大聖堂と一緒に見るほうがより存在感が増して見られる。それは塔の傾き
具合がまっすぐに立ってる大聖堂と較べられるから。ここからの景色はなかなかいい
ので、思わず写真をとりたくなる。

現地に住む日本人ガイドさんの案内は洗礼堂からはじまる。ガイドさんはその衣装が
個性的(上から下まで青一色)だけでなく、説明も超ユニーク。しゃべりが漫談風で
迫力いっぱいなので、よくわかる。ちょっと余所見して、別のところを眺めていたら、
“そこのオッサン、私の話が聞けんのか”と怒られそうな雰囲気である。で、演技でも
相づちを入れ、笑わせ所ではきっちりアハハと笑わないといけない。けっして義理
笑いではなく、実際面白い話が続く。観光というのはガイドさんやお土産屋の販売員
のエンターテイメントトークも含まれているのである。

ドーム型の洗礼堂の一番の驚きは音響効果。音を出すとエコーがかかる。また、
1260年にニコラ・ピサーノが制作した手彫りの大理石の説教台が見事。中央部の
支柱には獅子が、周りの支柱には動物や小鬼の姿が彫られている。大聖堂はなかに
入る時間がなかったので、正面ファサードの洗練されたモザイクをカメラにおさめた。40
分くらいの自由時間を楽しみ、最後にまた不思議な斜塔を見て、ピサを後にした。

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2006.05.05

ヴェローナのロミオとジュリエット

369ヴェローナはヴェネツィアとミラノの中間、ややヴェネツィア寄りのところにある。

ヴェローナという町の名前は知らなくても、シェークスピアの小説“ロミオとジュリエット”の舞台となったところというと、“あの悲劇の恋の町か”と興味が涌いてくるにちがいない。また、オペラ好きの人なら、夏、ローマ時代の円形劇場の遺跡、アレーナで行われる野外オペラをすぐ想い浮かべるだろう。

このツアーは名所観光をバスで移動しながら沢山訪れるので、一つの町であそこ
もここも観るというわけにはいかない。ここで訪れるのはジュリエットの家として
公開されているキャプレット家の屋敷とアレーナ。右はキャプレット家の中庭で、
ジュリエットの像の前が記念写真のスポット。写真は一枚では終わらない。上の
バルコニーからはジュリエットに扮するモデルさんが時折姿をみせ、ポーズをとって
くれる。ギャラはどのくらい貰うのかな?どうでもいいことを考えながらシャッター
を押す。“ジュリエットの右の胸にさわると幸せになれる!”というので、像の右の
胸は異様に光っている。

シェークスピアの“ロミオとジュリエット”は劇場で演じられるだけでなく、これをテーマ
にした音楽がつくられ、映画も何度となく製作された。音楽ではプロコフィエフの
“バレー組曲・ロミオとジュリエット”、チャイコフスキーの“幻想的序曲々”、ベルリ
オーズの“劇的交響曲々”が有名。このなかで気に入ってるのがプロコフィエフ。第2
組曲のモンタギュー家とキャプレット家を聴いてると両家の憎しみの感情がぴりぴり
伝わってきて、緊迫した場面に誘われる。また、グノーが作曲したオペラ“ロミオと
ジュリエット”もよく聴く。Myオペラビデオコレクションにあるのはロベルト・アラーニャが
ロミオを演じたロンドンのロイヤルオペラハウス(1994)の上演。

映画ではなんといってもオリビア・ハッセーがジュリエットをやったのが最高。全編に
流れる曲が素晴らしく、純愛映画といえばすぐこの“ロミオとジュリエット”を思い出す。
で、オリビアの相手役の男優はなんという名前だった?

この物語のなかで感心するところは、親がおしつける男と結婚したくないジュリエット
がローランス神父からもらった薬を飲んで一日仮死状態になる場面。葬式がすんで、
皆が引き上げたころ薬の効き目がとけて、ジュリエットは蘇生する。さあ、これで愛
するロミオと一緒になって新天地に行こうと思っていたら、目の前には本物の毒をあ
おって死んでるロミオがいる。ジュリエットは天国から地獄に突き落とされたような
心境だろう。

ジュリエットにすれば“神父さん、仮死状態になるといういいアイデアに乗ったのにさ、
ロミオへの連絡はどうなっているのよ、あなたが、準備万端整えてくれてたのではな
かったの?どんな手違いがあったのさ。こうなりゃ、あの世で好きな人と結ばれるしか
ないわ、さようなら”と言いたくなる。

神父のいいアイデアで、愛し合うロミオとジュリエットは幸せをつかめる可能性があった
のに、この世には人間の力ではどうにもならない大きな力(=運命)があった。悲劇の
原因は運命ということだろうか。

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2006.05.04

ヴェネツィアのティントレット

368ヴェネツィアは今回で4度目の訪問となるので、大運河の位置関係や町の賑わいにだいぶ慣れてきた。

多くの観光客が集まる町の中心、サンマルコ広場、その隣のドゥカーレ宮殿のあたりを歩いていると心が浮き浮きしてくる。宮殿前では水上バスが行き交い、ゴンドラに乗り込む人がひっきりなしだ。

ここの観光の定番はドゥカーレ宮をまず見学して、次が金色のモザイクがまばゆい
東方のかおりのするサンマルコ寺院への入場。あとはヴェネツィアン・グラスの店に
寄り、親方から製品つくりを見せてもらい、お土産の算段となる。販売員の漫談調の
達者な日本語にのせられて財布の紐もゆるみがち。ツアーの最初で気が大きくなっ
ているので、ついついグラスの鮮やかな赤に魅せられて、“これ買おうか”という
ことになる。ヴェネツィアを満喫するならゴンドラ遊覧が一番。が、これまでなぜか縁
がなく、今回はじめてゴンドラに乗った。運良くアコーデイオン弾きと歌手が乗る真
ん中の舟にあたったので、大変楽しい運河めぐりとなった。

現地人ガイドさんが日本語で説明しながら、じっくり回ってくれるのがドゥカーレ宮殿。
ここのハイライトは欧州で一番古い20連発式銃(1620年代)などが展示してある
武器庫、大会議の間、そして牢獄と溜め息橋と呼ばれる運河を渡る通路。宮殿内の
謁見の間、元老院の間、大会議の間にある天井や壁面に描かれた油彩画はヴェネツ
ィア派のティントレット、ヴェロネーゼらの手によるもので、右の大会議の間の正面に
あるのはティントレットの“天国”。世界最大のカンバス画である。この絵はティントレッ
トが60代後半に制作したため、ほとんどは工房の弟子たちが仕上げたと言われて
いる。すこし暗い色調なので、細部はとらえきれないが、ここには2千人くらい描き込
まれているという。壮大な天国絵である。

ヴェネツィアに住み続けて多くの絵を描いたティントレット(1518~1594)の傑作が
あるのはアカデミア美術館と内部が67点にもおよぶ大作で覆いつくされているサン・
ロッコ大信徒会。アカデミア美術館には拙ブログ05/8/6で取り上げた出世作“奴隷を
救う聖マルコ”や“聖マルコの遺体の運搬”など鮮やかな色とハットする構図が魅力
の名画が何点もある。

1999年のとき、ティントレットの絵で一番圧倒されたのが46歳のころから23年かけ
て完成させたサン・ロッコ大信徒会にある連作。なかでもキリスト処刑の場面を描いた
横が12mもある大作、“磔刑”の前では、その劇的な雰囲気、見事な群像表現に言葉
を失った。ほかでは奥行きのある神秘的な空間や体が捻じ曲がったり、空中を浮遊
するようなポーズにより、絵のなかに引きずりこまれそうになる“キリストの昇天”や“岩
から水を湧き出させるモーセ”などをいまでも鮮明に記憶している。これほど感動する
鑑賞体験はそうない。次のヴェネツィアはちょっと先になるかもしれないが、もう一度こ
れらの絵をみたいと思っている。

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2006.05.03

アンブロジアーナ絵画館のカラヴァッジョ

367ミラノでの自由時間の大半をブレラ美術館にあてたあと、次に向かったのが集合場所のドゥオーモの近くにあるアンブロジアーナ絵画館。

ここのお目当てはカラヴァッジョの静物画、“果物籠”。51点くらいあるカラヴァッジョ(1571~1610)の作品の多くはローマの教会やボルゲーゼ美術館、バルベリーニ宮国立絵画館にあるが、生地のミラノにはブレラとアンブロジアーナに2点ある。

右の“果物籠”は是非とも観たかった作品。この絵はカラヴァッジョの代表作のひと
つであるとともに、宗教画や肖像画が重きをなしていたそれまでのイタリア絵画のなか
で、最初の独立した静物画として重要な意味をもっている。カラヴァッジョが制作した
静物画はこの“果物籠”(1596)1点しかないが、この絵の前に描かれた世俗画の
“バッカス”(1593~4、ウフィツィ美)、“果物籠をもつ少年”(1593~4、ボルゲー
ゼ美)や宗教画の“エマオの晩餐”(1601、ロンドンナショナルギャラリー)などにも
同じ籠を描いている。

“果物籠”は館自慢の絵とみえて、図録の表紙に使われている。ぱっとみると16世紀
末の作品にはとても見えない。近代の静物画そのものである。完璧な写実描写が
籠いっぱいに盛られたリンゴや赤や白のブドウの存在感を恐ろしいまでに醸し出して
いる。01年、岡崎美術館で開催された“カラヴァッジョ展”に出品されていた“果物籠
をもつ少年”の艶のある果物にびっくりしたが、静物画として描かれた果物のリアルな
質感に再度200%痺れた。

美術史家の若桑みどり女史によると、宗教画に意味があるように、この絵にもある寓意
がこめられているという。西洋文化のなかでは、果物は古くから人間における五感の
快楽の一つ、つまり“味覚”の寓意。五つの感覚は精神から人間をそらさせ堕落させる
ものと考えられており、果物は甘さゆえに虫が食いやすく、また腐りやすいので、甘味
だがつかのまの快楽の寓意ともなった。カラヴァッジョの“果物籠”でリンゴのところどこ
ろに虫の食った穴があるのは退廃のはじまりを意味しているらしい。また、画面左の
光の当たってるほうには、みずみずしいブドウの葉が描かれているが、右側の葉は枯
れはじめているのは退廃しやすい快楽の寓意がこめられているという。この説はなか
なか興味深い。

あまり時間がなく、ここには長居できなかったけれど、ダ・ヴィンチの“楽士の肖像”と
ラファエロの大きな“アテネの学堂”の原寸大下絵(原画はヴァチィカン宮殿)を大急ぎ
で観た。もう一つ期待してたボッテイチェッリの“天蓋の聖母”は残念ながら修復かなに
かで展示されてなかった。自由時間がもう少しあれば、スフォルツェスコ城内の美術館
にあるミケランジェロの未完の彫刻、“ロンダニーニのピエタ”をみれたのだが、これは
次回の楽しみにとっておくことにした。

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2006.05.02

ブレラ美術館のマンテーニャ

366ダ・ヴィンチの“最後の晩餐”を観るツアー5組の予約が連続的な時間にならず、1組だけが午前中の4組と大きく離れた午後5時30分からとなったため、最初の日程が変更され、昼食後は自由行動となった。

これが成田を出発まえの案内でわかったときは飛び上がるほど嬉しかった。それは念願のブレラ美術館に行けるから。当日は最後の5組だったので、集合時間までの2時間半を使ってすばやく美術
館を回ることにした。

ブレラ美術館はゴシック様式の大寺院、ドゥオーモからそう遠くないところにあり、
歩いても行ける距離だが、少しでも時間を無駄にしたくないので、既に“最後の晩餐”
を観られてた姉妹の方、隣の方とタクシーに乗り込んだ。2階の展示室に入ると、
1994年ごろ買った“ラミューズ・世界の美術館、ブレラ美術館”(講談社)に載って
いる絵をチェックしながら精力的に観てまわった。

この美術館で一番見たかったのがマンテーニャが描いた右の“死せるキリスト”。
入ってすぐの5番の部屋に飾ってあった。この絵を画集ではじめてみたときの衝撃度
はマグニチュード7クラス。まず、どきっとするのが画面に対して垂直に置かれたキリ
ストの遺体。短縮遠近法で描かれたその衝撃的な構図の絵が目の前にある。迫真
的なキリスト臨終の場面に声がでない。

遺体の手足に残る釘痕が痛々しく、左上に描かれた年老いた母マリアの悲痛な顔
がキリストの悲劇を際立たせている。死せるキリストの体は骨格や筋肉が実にリアル
で、緑がかった灰色の肢体は彫塑的に表現されている。これはマンテーニャが解剖
学に精通していたことや彫刻家ドナテッロの制作した写実的で躍動感溢れる作品
から影響を受けてたことの表れ。

マンテーニャ以外の絵で関心が高かったのが、ピエロ・デラ・フランチェスカの“聖母
子”とカラヴァッジョの“エマオの晩餐”。この二人の画家の人気が最近とみに高まって
いることは関連本や欧州で開催されている展覧会などで知ってはいるが、それを裏付
けるかのような光景に出くわした。イタリアはこの時期、子供の修学旅行の季節らしく、
名所旧跡のほか美術館で先生に引率された中高校生たちをよくみかけた。

ブレラ美術館でも鑑賞の真っ最中。ピエロの“聖母子”のある部屋にはラファエロの有名
な絵、“マリアの結婚”が展示してあるのだが、先生が最初に解説していたのは“聖母
子”のほうだった。われわれの感覚だとまず、ラファエロのほうが先だとおもうのだが、
現実は逆だった。明るい色彩とふっくらとした女性の顔が特徴のピエロ・デラ・フランチェ
スカの代表作に会えたのは望外の喜びである。

また、カラヴァッジョの人気も相当なもの。傑作“エマオの晩餐”の前では多くの人が
熱心に見ていた。同じテーマで描かれたロンドンナショナルギャラリーにある作品は
画面からキリストの手がこちらにむかってくるように描かれている(突出効果)のに対し、
この絵で身振りは小さく、色調も暗い。左からあたる光と影の表現が巧みで、静謐な
印象を与えている。深い感動を覚える作品である。

ここには近現代絵画を展示するコーナーもあり、セガンティーニの澄んだアルプスの
空気が心地よい“春の牧場”や未来派、ボッチョーニの“上昇する都市”や“アーケード
での喧嘩”などにも魅せられた。憧れのブレラは満足度200%の美術館であった。

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2006.05.01

ダ・ヴィンチの最後の晩餐

365大好きなイタリアを訪問し、ルネサンスやバロック美術を楽しんだので、名所観光を含めしばらくはイタリアの話しが続きます。よろしかったらお付き合い下さい。

イタリアを旅行するのは1999年以来。参加したのは10日間の普通のツアー。訪れたのはミラノーヴェネツィアーヴェローナーピサーフィレンツェーサン・ジミニャーノーシエナーアッシジーポンペイーナポリーカプリ島ーローマ。このうちはじ
めて行くところはヴェローナ、サン・ジミニャーノ、シエナ、アッシジ、カプリ島。

このツアーを申し込んだ一番の理由はカプリ島にある“青の洞窟”が入っていたから。
何年か前、ほかのツアーで一緒になった人から、“青の洞窟”の素晴らしさを聞か
され、是非その青をこの目で実感したくなった。何回行っても天候が悪く、中へ入れな
かったという人もいれば、一発で見れたという人もいる。4月の下旬、“青の洞窟”に
入れる確率について事前に情報は集めなかったが、勝手に100%見れるものとして
参加した。その結末はいずれ。

最初の観光地はミラノ。お目当てはサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の修道院の
壁に描かれているダ・ヴィンチの“最後の晩餐”。この教会の前に立つのは23年ぶり。
残念ながら正面は修復工事のためカバーがかけられてたため、まったく見えない。
だから、以前のイメージを手繰り寄せることができない。まあ、どこをどう入って“最後
の晩餐”にたどりついたかの記憶がまったく飛んでいるから、この絵は実質はじめて
見るようなもの。

長い年月をかけて女性の修復家が丹念に汚れを取りのぞいたり、後世の人が描く加
えた部分を消して、ダ・ヴィンチが絵を完成させた1498年のころの状態に戻してくれ
た。もちろん顔料の剥落部分は取り戻しようがないので、色の鮮やかさに感激する
ことはないが、ところどころに残っている青や赤の輝きを頼りに、頭の中でコンピュー
ターに作成されたCG画面を思い出し、当時の画面状態を想像した。

テンペラ技法で描かれたこの絵の色でひきつけられるのは、イエスや12使徒の何人
かが着ている衣装の青。青の色調は微妙に異なっている。それはふたつの青が重ね
塗りされているから。まず、空色の顔料、アズライトを細かく砕いたのを使って彩色し、
その上から粒子の粗いラピスラズリーを塗り重ね、色調の深みをだしている。だが、裏
切り者のユダ(真ん中のイエスから左へ3番目の男)の衣装にはラピスラズリーが使
われていないので、その青は深みのない単調な空色。衣装の青よりもっと魅せられる
のは背景の窓の部分。窓の向こうの遠景にみえる空のうすい青が実に美しい。

“最後の晩餐”が名画中の名画として多くの人をひきつけるのはイエスが“汝らのひ
とり、我を売らん”と言ったときに見せた12使徒の顔の表情と身振り、手振りであろう。
呆然自失、驚愕、悲しみなど人間の内面に潜むあらゆる感情をこれほどリアルに
表現した画家はダ・ヴィンチのほかにはいない。絵の具の剥落した部分があるので、
使徒各人の表情を完全に把握するのは難しいが、それでも揺れ動く感情を充分に
認識することはできる。すごい絵である。

現在、この“最後の晩餐”は見るためには事前に予約が要る。これは旅行会社が
手配してくれる。絵がある部屋(もとは食堂)に一度に入れる人数は25名。鑑賞時間
は15分だけ。なかではガイドの説明は全く無いので、大変静か。また、部屋に外気
がはいらないように途中の通路でのドア開閉が2回くらいある。

我々のツアーは5組に分けられ予約してたのだが、8:15と8:30の2組が予想外
の交通渋滞に巻き込まれ、その時間に間に合わず、鑑賞できなくなった。が、そこは
ベテランの男性添乗員Kさん。懸命のリカバリーショットで15人の予約券を別の時間帯
でなんと確保した。添乗員人脈をいろいろあたったらしい。流石である。終わりよけれ
ば。。。とかで、まずはミラノでいいスタートをきった。

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