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2006.03.07

仙厓の老人六歌仙画賛

324出光美術館に行くとよく仙厓(せんがい)の戯画に出会う。今、開催中の“風俗画にみる日本の暮らし展”(4/23まで)にも5点でている。

この展覧会では絵に描かれた人々の暮らしが“日々の営み”、“労働”、“病・老いと死”、“歌舞伎・遊び”の切り口でグルーピングされる。仙厓の絵が展示されてるのは“病・老いと死”のコーナー。

中でも目を惹くのが右の“老人六歌仙画賛”と“頭骨画賛”。仙厓独自のユニーク
な人物表現に100%魅せられてるわけではない。逆に顔の形や横に伸びた髪など
は変な描き方だなと思う方が多い。そんななかで、この2点は頭から消えない。
“頭骨画賛”にはドキッとする。薄い墨でさらさらと描かれた髑髏の目と鼻から草が出
ている。これとは対照的に“老人六歌仙画賛”は肩の力が抜て、安らぎを覚える絵。

真ん中で杖をついてる老人の笑顔がすばらしい。天真爛漫ともいえる超ピュアな笑い。
背中が曲がるくらいの歳になったとき、こんな楽しげな笑いをつくれるかどうか自信
がない。その隣にいる眼鏡をかけた男の表情もほほえましい。この絵を見ていて、
ふと目の前を先般見たクレーの“おませな天使”がよぎった。2つの絵には相通じる
優しさがある。

これは老人の集まりを在原業平など平安時代の六歌仙に見立てた絵で、人物の上
に仙厓のつくった歌がある。これがまさに核心をついている。
 しわがよる ほくろが出来る 
 腰が曲がる 頭がはげる ひげ白くなる 
 手は震え 足はよろつく 
 歯は抜ける 耳は聞こえず 
 目はうとくなる 
 身に添うは 頭巾襟巻 
 杖 眼鏡 たんぽ(湯たんぽ) 
 おんじゃく(カイロ) しゅびん(尿瓶) 孫の手
 聞きたがる 死にともながる 
 淋しがる 心がひがむ 欲深くなる 
 くどくなる 気短かになる 
 愚痴になる  
 出しゃばりたがる 
 世話焼きたがる 
 またしても 同じ話に 子を誉める 
 達者自慢に
 人は嫌がる 

仙厓(1750~1837)は江戸後期に活躍した臨済宗の禅僧。葛飾北斎(1760
~1849)とだいたい同じ時代を生きている。生まれは美濃の国だが、諸国行脚の
末、40歳で博多の古刹、聖福寺の住職になる。出光美術館に仙厓の絵が多く
あるのは出光の創業者、出光佐三が福岡県の出身ということも関係している。
仙厓が書画を描くのは62歳で法席を退いて以降のことで、禅の境地をわかりやす
く説き示したそのユーモアに富んだ戯画は人々に広く愛された。日本画で笑いに
これほど力のある絵はほかにみたことがない。

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コメント

 言いも言ったり、仙厓坊主。
 「老人六歌仙画賛」は、おそらくは、老境に入った仙厓が、自己批判、自己卑下、或いは、自戒の意を込めて述べたものでしょうが、その鋭い矛先は、一つ二つの例外を除いて、二百年後の社会に生きる私にも、容赦無く向かって来るように思われます。
 身に覚えの無い一つ二つの例外とは、 「腰が曲がる」と「身に添うは 頭巾」くらいのものでしょうか。
 仙厓老人恐ろしや。

 「しわがよる ほくろが出来る 腰曲がる 頭がはげる ひげ白くなる」
 「手は震え 足はよろつく 歯は抜ける 耳は聞こえず」 
 「身に添ふは 頭巾襟巻 杖眼鏡 たんぽおんじゃく しゅびん孫の手」
 「聞きたがる 死にともながる 淋しがる 心がひがむ 欲深くなる」
 「くどくなる 気短かになる 愚痴になる 出しゃばりたがる 世話焼きたがる」 
 「またしても 同じ話に 子を誉める 達者自慢に 人は嫌がる」
 と、それぞれの句切りが、「五・七・五・七・七」の和歌形式を成していますが、この当時流行していた「道歌(導歌)」の逆手を取った、「反面道歌」といった内容でしょうか。

投稿: daigofox | 2006.03.08 15:49

to daigofoxさん
出光以外で仙厓の絵を見た記憶がありません。老人のいい所でもあり、
逆に人に嫌がられる行動をあますところなく詠んでますね。人のふるまいは
今も昔も変りありませんね。円空が彫った“笑う観音様”と仙厓の笑ってる
人物画に会えたことを幸せに感じてます。

投稿: いづつや | 2006.03.08 18:21

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