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2005.09.30

松岡美術館の古伊万里展

92今週のTV番組、“開運!なんでも鑑定団スペシャル”には興奮した。鑑定品に5億の値がついたのである。番組はじまって以来の最高額だそうだ。

その品は初期柿右衛門様式の壷。持ち主は日本人や日本にある美術館ではなく、ドイツに住む、かつてヘッセン州を治めていた一族の末裔、モーリス・ヘッセンさん。

いくつもある城や邸宅には日本から輸出された柿右衛門の壷がいくつも
展示してある。ヘッセンさんの依頼で日本から鑑定士の中島誠之助らが出向き、一つ々
値段をつけていたが、その金額がまた凄い。この一対で1億の価値があるとか。。
日本でつく金額と桁がひとつ違っている。大広間に中島誠之助の顔がひきつる
ほどの名品が飾られており、めったに無い名品ということで日本の観客の前での
鑑定となった。

この壷のプライスに5億が表示されると、会場は興奮のるつぼと化した。海外に
渡った柿右衛門の磁器の凄さを思い知らされた感じである。5億の壷に釘付け
になったが、もうひとつ興味深い柿右衛門があった。17世紀後半に作られた“色絵
花鳥文六角壷”が一対あり、これが1億の価値があるという。これと同じものが今、
松岡美術館で開催中の“古伊万里展”に展示されている。ただ、右の“色絵花鳥文六角壷”はペアでなく一つしかない。だから、値段としては半分の5000万円より少し下がるだろう。でも、相当な値段である。

この六角壷は別の展覧会で過去一度みたことがあるが、皆、ヨーロッパからの里帰り。乳白色の白地に余白を生かし、文様化された花鳥と花卉が六面に交互に描き分けられている。この品がよく、柔らかい感じの磁器をヨーロッパの王様や貴族が財力の限りをつくして集めた。そして、日本に注文して作らせた。柿右衛門の最高傑作が欧州にあるというのは残念だが、日本の磁器は世界ブランドなのだから仕方が無い。幸い、日本にも資産家が手に入れた里帰り品がいくつかあるので、鑑賞する機会はある。

松岡美術館の古伊万里展には柿右衛門様式の名品がいくつも出ているが、一番
目を奪われたのは古九谷様式の鉢。以前、出光美術館にある古九谷に感動したが、ここのもいいのが揃っている。文様としては、はじめてみる無花果や舟と東屋などが刺激的。黄色&緑をMyカラーにしているので、いい古九谷様式の鉢に出会うと嬉しくなる。

さほど期待してなかった松岡コレクションがこんなに凄いとは。いい陶磁器をみる
楽しみがひとつ増えた。因みに、10/8から東博ではじまる“伊万里、京焼展”にこ
こから“色絵唐人物図大壷”(柿右衛門様式)と“色絵百花人物文鉢”(古九谷様式)
の2点が出品されるとのこと。なお、展示は12/24まで。

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2005.09.29

祝阪神タイガース セリーグ優勝

177阪神タイガースが甲子園で巨人を5対1で破り、2年ぶり5度目のリーグ優勝を果たした。

2年前の涙の優勝シーンと違い、選手、岡田監督に涙は無く、みんな心から優勝を楽しんでいた。チームが強くなると、同じ優勝をしても、喜び方が一味違ってくる。3、4年前とはエライ変りよう。

今年の優勝は、03年のときのように早くからマジックがつき、星野監督のもと、
楽々と優勝街道を突っ走ったのと違い、2位中日の追い上げがきつく、0.5
ゲーム差まで迫られ、ハラハラドキドキの戦いを勝ち抜いての栄冠であった。
岡田監督がインタビューで言ってたように、中日に肉薄されてあとちょっとで
首位を明け渡すところをきわどく勝ち、また3ゲーム差に戻したのが大きかった。

後から振り返ってみると、中日の頑張りもあそこまでで、懸念された通り、投手
陣が踏ん張れず、頼みの川上までバテてしまった。逆に阪神は金本、今岡らが
相変わらず勝負強いバッテイングでチームを引っ張り、勝ち続け、マジックを着実に
減らしていった。

岡田監督は監督になって2年目でチームをリーグチャンピオンに導いた。昨年の経験
を活かし、投打の戦力をきっちり整え、質の高い投手スタッフを軸に強いチームに
纏め上げた。TVに映る監督は表情をあまり表にださず、冷静に選手の状態やゲーム
の展開をみて、いい采配をしていたように思う。監督としての能力は高いのではな
かろうか。選手の起用方法では、2年目の鳥谷をショート、2番で固定して使い、藤本
を2塁にまわしたのがあたった。鳥谷もよく監督の期待に応え、派手な活躍ではな
いが、いいところで打っていた。

前半戦は広島からやってきて1塁を守ったシーツの打撃が光っていた。打撃の軸は
なんと言っても金本と今岡。この二人が年間を通して、打って欲しいところでホームラン
やヒットを打った。今岡の勝負強さは凄いの一言。この選手は読みが素晴らしいのだと
思う。金本は広島から阪神に移って本当に良かった。これで2回も優勝を味わった。
強靭な体力でここぞというときに放つライナー性のホームランは他の選手が真似できな
いオンリーワンの芸。ソフトバンクの松中とともに、いまや日本のプロ野球の4番で
一番頼りになるバッターである。

投手では37歳下柳の投球術が安定し、勝ち星を重ねた。それと中継ぎ、押さえ
のJFKトリオが立派な働きをした。凄い投手に変身した藤川、ウィリアムスもよく投げ、
久保田も最後を何度も締めくくった。野球は投手力のいいチームがやはり強い。
阪神はこの高い投手力と赤星らの機動力を使った得点力でペナントを握った。
選手、監督の頑張りに拍手、拍手。

右の絵は京都の南禅寺にある狩野探幽が描いた“竹林に虎図襖”(右隻)。

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2005.09.28

永青文庫の近代日本画展

176目白の椿山荘の近くに、熊本の細川家が所蔵する美術品を展示する永青文庫がある。

昨年、財団創立55年を記念した名宝展で、絵画、彫刻、工芸の素晴らしいコレクションを見せてもらった。中でも、螺鈿鞍の最高傑作と言われる“時雨螺鈿鞍”(国宝、鎌倉時代)の見事な細工に感激した。

そして、ここは元首相の細川護煕氏のおじいさん、16代細川護立(もりたつ)
が集めた近代日本画の名画が揃っていることでも有名。特に菱田春草、小林古径
では代表作中の代表作がある。春草の“落葉”、“黒き猫”(共に重文)、古径
の“髪”(重文)、“鶴と七面鳥”、“孔雀”。落葉、黒き猫は昨年あった琳派展、古径
の作品は先の大回顧展に出品され、多くの愛好家を楽しませてくれた。

そんな質の高い作品を所蔵する永青い文庫では、昨日から護立と親交のあった
横山大観、鏑木清方、今村紫紅、中村岳陵ら巨匠たちの作品を公開している。
60点あまりが、展示室の関係で前期(9/27~10/23)、後期(10/25~
11/13)に分けて展示される。今回もきっといい絵にめぐり会えると期待に胸をふ
くらませて、館に足を運んだが、予想通りの名品が出ていた。

これらの絵は、パトロンの護立が家で鑑賞するために注文して描かれたのものな
ので、絵としては比較的小ぶり。前期で目を楽しませてくれたのは鏑木清方と
中村岳陵の作品。鏑木のは通期で4点展示される。どれも素晴らしい出来栄え。
特に、小襖に描かれた“海辺”にでてくる3人の娘が愛らしくて、魅了される。
鏑木清方の描く女性はもう特別の存在。

これに劣らずはっとさせられたのが中村岳陵の右の“麻耶夫人”。官能的とさえ
感じる美人画である。これまでの岳陵のイメージがこの作品で変った。これは、大阪
四天王寺の壁画に描かれた絵の一部をとってきた小さな絵。壁画にはお釈迦様
の一代記が描かれており、最初の場面にある釈迦の誕生を見守る麻耶夫人(母親)
らしい。背景の緑、耳・首飾りの黄色が鮮やかなのと切れ長の目に惹きつけられる。
ちょっと女優の岩下志麻の顔に似ている。

噂には聞いていたが、四天王寺の壁画がこんなに魅力的なら、是非とも見たくなった。
そして、前から願ってる中村岳陵の回顧展をどこかの美術館で開催してくれれば
嬉しいのだが。横浜美術館で“砂浜”(拙ブログ8/7)を見てから急にこの画家が近く
なった。回顧展がそう遠くない時期にあることを念じておこう。

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2005.09.27

青木繁・海の幸展

469_2東京駅八重洲口の近くにあるブリジストン美術館で、今、特別展示されてる青木繁の“海の幸”をみてきた。

特別展示はこの絵が制作されて100年が経つのを記念してのもので、所有する久留米の石橋美術館とブリジストン美から他の代表作と合わせて20点が出ている。

03年、東近美が主催した回顧展ではじめて“海の幸”にお目にかかったが、
時間の関係で、じっくりと観ることが出来ず、消化不良の感を持ち続けてきたので、
この展示を楽しみにしていた。絵はやはりある程度、時間をかけてみるものだ
というのがよくわかった。前回、気がつかなかったことがいくつかあった。
この絵は薄塗りで描かれており、下描きの黒い線がみえる。このため、これで完成
した絵なの?と思ってしまう。あまり見かけない横長の絵で、天地一杯に、捕った
魚を担ぎ、左の方向に行進する裸の漁師たちが描かれている。

よくみると絵の焦点は、志村けんのバカ殿のように顔を白化粧したのではと思わせ
る真ん中の男(青木繁)と、そのすぐ後ろの列でこちらをみている顔立ちの整った女
(恋人の福田たね)、そして2人の間にある大きなサメにある。特に女の視線に
力がある。ここがこの絵の一番の見所ではなかろうか。青木繁はこれを仕上げた
1904年から2年後に、もとの男性を西洋の女性を思わせるたねに描き直している。

これに比べれば、一番前で辛そうに獲物を背負って行進している2人は後ろの
8人の赤みがかった肌色とは違い、下描きにちょっと着色した薄い茶色がのってるだけ
である。また、最後尾からの3人は色があり、逞しくは感じられるものの、体の線や
顔ははっきりと描かれてない。漁師にとってはアドレナリンが沢山出そうな大漁の
場面を、あえて全員を写実的に描かず、濃淡をつけている。このほうが遠い古代世界
の原始的なエネルギーをより強く表してるような気がする。

他の作品では古事記から題材をとった名作、“大穴牟知命”(おおなむちのみこと)、
“わだつみのいろこの宮”(拙ブログ7/19)が印象に残る。展示されてる作品は
少ないが、見終わって、こんなにいい気分になれる展覧会はなかなか無い。ブリジス
トン美術館に感謝。展示は10/10まで。

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2005.09.26

李禹煥展

174昨年、東近美であった琳派展に毛色の変わった現代絵画がでていた。それは李禹煥(リ・ウファン)が描いた“線より”。

白地の背景から頭の先が左右に曲がった幼虫をイメージする青い線が垂直に浮かび上がっていた。生理的にはあまり好きになれない形であったが、強く印象に残っている。

これと同じ名前の絵をその後、ここの平常展でみた。先がとんがった縦の青い
線が下の方に何本も描かれていたが、このほうが美的にはすっきりしている。
り・ウファンという韓国人アーティストの作品を見たのはこの二つしかなく、
作家の経歴を書き物で読んだこともないのに、現在、横浜美術館で開催中の
李禹煥展には出かけてみようと思った。動機はサブタイトルの“余白の芸術展”に
惹かれたのと、この作家は大物の匂いがしたから。

事前に想定した絵画のイメージは“線より”の色の違ったヴァリエーションとか別の
タイプのものだが、全然違っていた。作品は21点しかない。平成3年から今年にかけ
て制作されたものだから、リ・ウファンの最新作といってよい。“線より”は1977、
1980年に描かれているので四半世紀前のもの。右の“照応”は03年の作品。
3つに区切られた白地に、筆跡が残る灰色の植木鉢のような形をしたものが3つ
描かれているだけである。筆の方向は真ん中が垂直、左右の2つは水平
になっている。

21ある作品のうち、平成3、4年の作品はフォルムが鋲とか「」になっているが、他の
は鉢の数と筆の運び方に違いがあるだけで基本的には同じ絵。余白はたっぷりある。
“線より”では筆に岩絵具を含ませて線を引いているので、これらの灰色も岩絵具
で彩色したのかもしれない。リ・ウファンは現在69歳。こんな年寄りだったの?
50代後半のアーティストと思っていた。

歳を重ねるにつれ、画風が枯れてきて、対象の造形はよりシンプルになり、余白を
一杯とるようになったのだろうか。作者という主体と対象の対立をなくすという難しい
テーマに取り組み、余白の絵画を創造してきたリ・ウファンという画家は70歳近くに
なり、さらに独自の画風を突き進んでいる。大きな芸術家であることは間違い無い。

絵の他に自然石と鉄板を組み合わせた彫刻が美術館の前の広場と中の展示スペース
にある。自然(石)と産業(鉄板)の関係を表現している。各作品における石と鉄板の
位置関係から何を読みとるかは見る人の感性の問題。現代アートの場合、数ではなく、
一つ々の作品の意味を根源的にとらえることが大事だが、素人にはこれがなかな
か難しい。なお、展示は12/23まで。

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2005.09.25

ユトリロ展

173ユトリロという画家は小さいときから美術の本で知ってるが、これまで日本で開かれた展覧会に出くわさなかった。有名な画家なのに意外といえば意外。

作品そのものもさほど見てない。ポンピドーにある代表作、“コタン小路”、“ラパン・アジル”や大原、ひろしま、国立西洋美術館に飾られてる作品くらいしか記憶に無い。だから、ユトリロの絵、イコール、白を基調としたモンマルトルの家並というイメージができあがって、この画家の作品に限ってはヴァリエーションが極めて少ない。

こんなユトリロ観を広げてくれそうな回顧展が日本橋高島屋で開かれるというので
開幕を楽しみにしていた。今年はユトリロの没後50年で、節目の年に内外の美術館や
個人蔵の作品が初期から晩年まで80点あまり集まっている。日本にあるので注目を
惹くのは八木コレクションの7点。いい絵なので知る人ぞ知る有名なコレクターなの
だろうが、ユトリロに縁がないため、コレクター話は全くわからない。

ユトリロの人生はおおよそ頭に入っている。母親のシュバンヌ・バラドンはルノワール
やロートレックのモデルをつとめた伝説の女性。恋多き母親の私生児として生まれ
たユトリロは母親からほったらかしにされ、小さいころから寂しく孤独な生活を送らざる
をえなかった。これを癒すため15歳のときから酒に溺れ、17歳でもうアルコール
中毒になっていたという。本当の父親のことなど知る由もなかったろうが、母親自身
が特定できないのだからなんとも哀れ。ルノワールの血も混じってるのではと勝手
に想像している。

1908~1914年頃に描かれた“白の時代”の作品に孤独なユトリロの精神状態が
一番出ている。ユトリロの白は、家の壁の漆喰で遊んでた小さい頃の記憶の表れ。
よく通った酒場を描いた右の“ラパン・アジル”(1912)でも漆喰のマチエールをだす
ため白の表現を色々工夫している。ユトリロはこのラパン・アジルを350枚も描い
たという。ポンピドーにも同じ構図のものがある。酒場の中はシャンソンが歌われ騒々
しかっただろうが、ドアを閉じたお店と周りの小路はユトリロの心情を反映してか
ひっそりとしている。

これが色彩の時代(1915~1935)では一転して、“ムーランの大聖堂”や“ヴェル
ブリーの郵便局”のように輪郭線がすっきりし、空の青や屋根の赤が輝くような作品
に変ってくる。アル中のユトリロはどこへいったのか?とちょっと戸惑うほどである。
これがまたすごく魅力的な絵だから驚く。売れっ子画家になって母親や義理の父親
に管理されて、描かされたのだろうか。

ユトリロの絵を色々見れて、満足感一杯の展覧会であった。会期は10/10まで。

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2005.09.24

イサム・ノグチ展

172東京都現代美術館には過去2回行ったことがあるが、地下鉄を降りてから随分歩くのでアクセスの悪い美術館というイメージが強い。

今回は歩くのを少なくしようと半蔵門線の清澄白河駅で下車してみた。案内どおり9分で美術館についた。それでも、日本画専門館の山種美術館同様、アクセスの悪さはぬぐえない。

しかし、ここで開かれる企画展はそんなわずらわしさを吹き飛ばしてくれる素晴
らしい作品をもってくることがよくある。8年前にあった“ポンピドー・コレクション展”
は満足度200%だったし、昨年の“ピカソ展”も充実していた。今回は期待の
イサム・ノグチ展”。

これまで、イサム・ノグチの作品をみたのはごくわずかしかないので、若いころ
から晩年までの46点をみれるのは貴重な機会。理想をいえばこの倍くらい見たか
ったが。。イサム・ノグチのことは、8月中旬ころ放映されたTV番組、“美の巨人
たち”と新日曜美術館で大略知る程度なので(拙ブログ8/14)、今回の作品は
どれも刺激的だった。

知ってる作家との連想でいえば、まず最初の黄金の彫刻はブランクーシを思い出す。
パリに留学していたとき、イサム・ノグチはブランクーシの彫刻に触発されたようだ。
象牙色の作品“母と子”は2月、葉山の神奈川県立近代美術館でみたハンス・ア
ルプの柔らかさと似ている。真ん中あたりのコーナーにあった薄いブロンズ板の
パーツを組み合わせてつくった“グレゴリー”やおりがみのように薄板を切ったり
曲げたりした“中国袖”をみてると、アレキサンダー・カルダーの金属片や針金で
できたモビール作品が頭をよぎる。

一番見たかったのが広い展示空間に展示されてる右の大きな石の彫刻“エナジー・
ヴォイド”。黒光りする花崗岩の四角い輪は何か魂が宿ってる感じで、無言の存在感
がある。四国香川県の牟礼にあるイサム・ノグチ庭園美術館にある門外不出の
代表作が出品された。有難い展示である。彫刻家というのは年をとるにつれてスケ
ールの大きな作品を制作しようという衝動が内から湧き上がるのか、この“エナジー・
ヴォイド”はいいだこの頭に似た花崗岩の作品“オリジン”や“この場所”と比べると
かなりデカイ。イサム・ノグチが大きな野外彫刻をまだほかにつくってるのなら是非
みてみたい。

会場前の広場には、17年の歳月をかけて今年7月に完成した札幌のモエレ沼公園に
ある2つの遊具“オクテトラ”、“プレイ・スカルプチュア”が置いてある。多くの入場者
をモエレ沼公園にも誘うという憎い演出。イサム・ノグチは日本人だなと思わせる
作品が入り口入ってすぐのところに出てくる。竹と和紙でつくられた大きなぼんぼり、
“2mのあかり”。イサム・ノグチの芸術をたっぷり楽しめる展覧会であった。
なお、展示は11/27まで。

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2005.09.16

レオナルド・ダ・ヴィンチ展

171六本木ヒルズにある森アーツセンターギャラリーではじまった“レオナルド・ダ・ヴィンチ展”をのぞいてきた。この展示の主役は絵画ではなく、ダヴィンチが晩年に書いた直筆の研究ノート、“レスター手稿”。

これを現在持ってるのがあのマイケルソフト社のビルゲイツ。この種の展覧会は国立科学博物館のようなところが相応しいと思うが、官僚体質が抜けきらない国立の博物館などでは小回りがきかず、
マーケティングの上手な民間の森アーツセンターが、昨今のダヴィンチコード人気
を多分に意識して、所有者のビルゲイツと交渉したのだろう。

このノートは一年に一度、一カ国だけしか公開されず、日本で公開されるのは
はじめて。万能の天才、ダヴィンチの手稿はこれまで収録したルネサンスビデオで
みたことがあるので、手稿そのものに大感激ということは無い。が、照明を落とした
部屋に展示されてる18枚、全72頁の本物を前にすると、科学にたいする並外れた
頭脳で解き明かした宇宙や自然の謎が、このように図入りで書き留められたの
かとちょっと神妙になる。

右は“第14紙葉表”の一部。水流の変化を決める物体を水の中に置き、それら
障害物による現象を説明している。このノートの全翻訳はまだ無く、一部がなされた
のみ(図録に掲載)だそうだ。これから日本でも作業が進むのだろうか。だが、研究
者でも手強い仕事に違いない。本物は暗くてよく見えないところがあるので、他の
手稿とともに画像がインプットされてるパソコン(出口の所に6台位ある)を操作し
て、じっくり見たほうがいいかもしれない。画面には馴染みの解剖図や人物の
デッサンなど(ウィンザー紙葉)がでてくるので、ダヴィンチの写実的なデッサンを
楽しむ事が出来る。

ルネサンス大好き人間としては見逃せない展覧会であった。展示は11/13まで。
明日から、拙ブログは1週間お休みします。

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2005.09.15

酒井抱一の四季花鳥図巻

315東京国立博物館の平常展の展示が9/13から一部変わったので、上野に足を運んだ。よく平常展を鑑賞するので、毎回420円を払うより3000円のパスポート券を購入したほうが得かなと思い始めている。

平常展の作品はHPで定点チェックしてるのだが、1ヶ月、2ヶ月が過ぎるのが速く、ぼやっとしてると名画を見落とすことがある。今回、その気配があったが、ラッキーにもタイミングよくいい絵に会えた。

注目しているコーナーは2階の水墨画、屏風と襖絵、書画の展開、浮世絵、
そして1階の近代日本画。書画のところに名品が並んでいる。俵屋宗達の“鴛鴦
図”。墨のにじみを利用したたらし込みで描かれた岩の上にいる一羽の鴛鴦が
味わい深い。円山応挙作の虎図もなかなか魅力的。黄色の毛が実に丁寧に
描かれている。

今回のお目当ては酒井抱一が描いた右の“四季花鳥図巻(巻下)”。この絵をみる
のは3度目。巻上には春夏、巻下には秋冬の花鳥を描いている。横に5mくらい
ある。上質の絵具を使っているのか色が鮮やか。花や鳥などは写実をベースに
して装飾的、人工的に再構成し、江戸琳派らしい瀟洒な装飾美の世界をつくって
いる。

右のは冒頭の部分。地上に這う鈴虫の隣にいる鳥はありきたりのポーズをとっ
てない。片足を上げ、頭を後ろに向けているので動きを感じる。そして、どうしても萩の
後にある銀泥による大きな月に目がいく。このあとの場面には啄木鳥や紅葉した蔦、
木の枝に積もった白い雪などが描かれている。特に最後の雪に感動する。
ススキや木の枝にこんもり積もった雪が素晴らしい。歌川広重の雪とは違った洒落た
雪景色である。なお、このコーナーにある作品の展示は10/23まで。

浮世絵のところに喜多川歌麿のいい絵がある。最近、歌麿の名品にめぐり会えて
るが、3枚続の大作、“江ノ島岩屋の釣遊び”も感動の一枚。前景に女性を大き
く描き、中景、遠景になるにつれ人物は小さくなる。遠くの人物は水墨画のように
細かい線だけでそれと分かるように上手に処理している。さらに凝ってるのは、
女性と女性の間のスペースに向こうで舟に乗って釣をする場面が描き込まれて
いる。他の絵師も美人画と風景画を一緒にした絵を描いてるが、背景の遠近感が
浅い。歌麿の凄さがだんだん分かってきた。

ここの所蔵品は質、量とも一級なので、平常展でも来る度に新たな発見や感動が
ある。これはもう止められなくなった。

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2005.09.14

俵屋宗達の関屋澪標図屏風

169東京の静嘉堂文庫に俵屋宗達が描いた源氏物語絵、“関屋澪標図屏風”(国宝)がある。2年前、長年の思いがやっと叶えられ、お目にかかることが出来た。見てて心地がよくなる期待通りの傑作であった。

9/12付の朝日新聞に、この屏風の制作年代が特定されたという記事が載っていた。醍醐寺の僧が記録した日記の寛永8年(1631年)9月13日の記述に、“源氏物語を題材にして描かれた屏風
一双が納品され、判金1枚が渡された。その出来栄えに満足した”とあったという。
この資料を兵庫県立歴史博物館の学芸員が見つけたらしい。数ある宗達の作品で
描かれた年代がわかっているのは少ないため、この発見は画期的なことと研究者は
語っている。

俵屋宗達は出自も生没年もわかってない。平安王朝のルネサンスを唱えた書家で
陶芸家の本阿弥光悦については、生まれた年も死んだ年もわかってるのに、
宗達の情報は皆無。正統派の絵師ではなく、町衆の立場で自由に創作したので記録
が無いのだろうか。年代が特定できることをあげると。

   1602年ー“平家納経・願文見返し、鹿図”を制作
   1621年ー養源院の杉戸絵、“唐獅子図”、“白象図”および襖絵を制作
   1622年頃ー俵屋の扇が京都で人気を博す
   1630年ーこのときすでに法橋の位に
   1631年ー“関屋澪標図屏風”を制作
   1642年ー後継者宗雪、すでに法橋、このころまでに宗達死去

“関屋澪標図屏風”は六曲一双の屏風で、左隻が右の“澪標(みおつくし)”、右隻が
“関屋”となっている。修復がなされたのか、保存状態は非常にいい。“澪標”では、
金地の背景に松の緑が映え、両端に意匠化された太鼓橋と舟を配し、銀泥?(黒)の
水流と金泥と墨で引かれた波の線で動きをつくっている。陸地の牛車には源氏が、
海上の舟には明石の上がいるはずだが、ふたりとも姿を見せず、存在を示すのみ。

牛車の周りにいる待者の顔立ちや衣装などは、過去の物語絵に出てくる人物の
形態をすこしアレンジして使っている。宗達の工房には男女の姿や牛などの形が型に
してストックされていたようだ。雅で装飾性豊かな“関屋澪標図屏風”は“風神雷神図
屏風”とともに宗達の最高傑作である。静嘉堂文庫での展示はこの先いつごろに
なるのだろうか。また、会えるのを楽しみにしている。

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2005.09.13

加守田章二展

168東京ステーションギャラリーで開催中の加守田章二展を見てきた。陶芸家、加守田章二の作品はまだ馴染みがなく、これまで2回しかお目にかかってない。

東京国立近代美術館・工芸館の平常展で時たま見る程度だったのだが、5月益子を訪れたとき、陶芸館で浜田庄司の大皿の隣に凄く印象に残る加守田章二の作品があり、以後この陶芸家の名前と作品を強く意識するようになった。

チラシを読むと、加守田章二は1983年、50歳を前に白血病のため夭折し、多くの
ファンに惜しまれたという。当時、加守田章二に縁がなかったので、陶芸界にお
けるショックの大きさを窺い知ることができないが、今回、その幅広い作品群、意表
をつく抽象文などをみて、陶芸界にとって今でも大きな損失のように思われた。

初期の陶器では須恵器風の大きな灰釉大鉢がいい。また、縄文時代の土器
を彷彿させる表面が曲線文で凹凸のある皿や壷にも惹きつけられる。岩手県の
遠野市で制作されたもので、手びねりで紐状に細く伸ばした粘土を輪積みにして成形
している。根気のいるシンドイ作業なのではなかろうか。全部で10点あるが、曲線
のうねり具合や歪みが器体の形で変わり、一つ々が個性的な作品に仕上がっている。

右は色の組み合わせと紋様が気に入った“彩色壷”。この黒、緑、白が組み合わ
さった波状文は一度見たら忘れられないくらいインパクトがある。アクセントになってい
る色面の境界線の上にある丸い小さな穴も面白い。最後のコーナーには、大柄な
四角や菱形文を深い青や緑、黒、朱で彩色した明るい作品が並んでいる。その中
に尾形乾山が制作したモダンなデザインの“色絵紅葉文壷”が重なって見える
壷があった。

加守田章二の言葉にいいのがある。“自分の外に無限の宇宙を見るように、自分
の中にも無限の宇宙がある”。心になかでは新しいデザインや陶器の形が次から
次へと湧き出てきたのだろう。鬼才と呼ばれるのがよくわかった。なお、展示は
10/23まで。

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2005.09.12

奥田小由女の人形

167高島屋で開かれている奥田元宋展で思いもかけぬビッグなオマケがあった。会場には元宋の名画とともに美しい人形が12体飾られている。

最初、これが誰の作品か分からなかった。隣の方は“奥田元宋は人形も作っていたの?”と質問してくる。徐々に状況を理解した。これらは元宋の奥さん、小由女(さゆめ)さん(現在67歳)が制作したもの。生前の元宋に寄り添う夫人の姿は収録ビデオで見たことあるが、有名な
人形作家とはつゆ知らなかった。

どの人形も顔がうっとりするくらい綺麗。そして彩色が柔らかく、衣装の花紋様が
エレガント。最初は木彫りの人形を作っていたが、ひび割れなどで傷んでくるので、
木彫りと同じ効果がでる素材を色々研究し、今は樹脂と胡紛というカキの殻の
粉を膠でといたものを使っているという。

右の“海への誘い”という作品のユニークな形に目を奪われた。珊瑚が二人の人魚
に変ったのだろうか。足を上に伸ばしてる人魚は左手で魚と戯れている。これをみ
ていてルネ・ラリックのガラス作品を連想した。元宋の“奥入瀬 春”が展示し
てあるコーナーに、最新作の大きな人形、“月の別れ”がある。千手観音のよう
な6本の手が蓮の花びらを持ち、着物の裾を上げている。元宋が亡くなった日
の夜は満月で、元宋の体も魂も月に導かれ、迎えられていったのだという思いが
実感され、この作品を作ったのだという。存在感のある造形から作者の気持ちが
そのまま伝わってくる。

出口のところには、元宋が描いた桜と山の絵の屏風のまえに、小由女の制作した
古代中国の母娘の人形がある。典雅な雰囲気に溢れた優品。展示されてる
人形のほとんどが来年4月にオープンする奥田元宋・小由女美術館(広島県三次市)
の所蔵。また、奥田小由女は県立広島病院や広島県女性総合センターのために
人形をつくっている。もっと早く、小由女のことを知っていたら長く住んでいた広島で
作品にめぐり会えたかもしれない。惜しいことをした。これからは、展示の機会
を見逃さないようにしようと思う。

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2005.09.11

奥田元宋展

16603年、90歳で亡くなった日本画家、奥田元宋の回顧展が今、日本橋高島屋で開かれている。

仕事で広島に住んだお陰で、奥田元宋の絵にめぐり会えた。まとまった形で作品をみたのは1997年、広島県立美術館であった“奥田元宋展”が最初。奥田元宋は広島県吉舎(きさ)町の出身なので、広島県美に代表作の“待月”、“秋巒真如”(しゅうらんしんにょ)などの名画がある。

画家には生まれながらにして身についた色があると言われる。東山魁夷の場合
は青であるが、奥田元宋の持ち色は赤。奥田は60歳を超えて自分の色、赤を発見
する。この赤一色で塗り込められた絵が奥田元宋の最大の魅力。心打たれたの
は“霧雨”(1971)、“奥入瀬 秋”(1983)、“紅嶺”(1987)、右の“彩渓淙々”
(1994)。自然の雄大さや厳しさ、やさしさをとらえた画家の心象風景が見事に
表現されている。

“霧雨、紅嶺”では遠景の大自然が荘重かつ幽玄的に描かれてるのに対して、“彩渓
淙々”は秋の景色を近くで感じることのできる作品。赤や黄色に染まった木の葉が目
沁み、河を下る水の音が聞こえてくるよう。“奥入瀬 秋”も同じ調子の絵。対になっ
てる“奥入瀬 春”も心がなごむ。奥入瀬の渓流をまだ見てないのに、この絵でイメー
ジが出来上がっている。

奥田元宋は1993年、84歳の時、銀閣寺の弄清亭(ろうせいてい)の襖絵を完成
させている。いつか見たいと願っている“流水無限”という作品が今回出品され
ている“奥入瀬 春”によく似ている。この絵を見ていた隣の女性が連れの人に、
“銀閣寺の絵のほうがこれより素晴らしい。流れる水の音がもっと聞こえてくる
わよ”と話していた。小耳にはさむとなんとしても見たいと思うようになる。

奥田元宋が生まれた吉舎町のすぐ上のほうに三次市(みよし)があり、ここに今、
奥田元宋・小由女(さゆめ)美術館が建てられている。開館は来年4月。機会
があれば訪ねてみたい。なお、この展覧会は9/19まで。そのあと、次の美術館に
巡回する。9/28~10/11(横浜高島屋)、06/1/18~31(なんば高島屋)、
2/23~3/6(京都高島屋)。

余談だが、日本橋高島屋8階の入り口のところに市川団十郎や日本画家、
片岡球子らから届けられた花が沢山飾られていた。奥田元宋という画家の大きさ
の一端を垣間見た思い。

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2005.09.10

エルミタージュのマチス

165世界美術館紀行で紹介されたエルミタージュ美術館の後編を見た。今回はロシア人コレクター、セルゲイ・シチューキン(1854~1936)が集めたマチスの作品にスポットを当てていた。

エルミタージュを訪れる前、NHKで昔、放送された美術館シリーズのエルミタージュのビデオを回し、事前に必見の名画をチェックしておいた。それでマチスのコレクションは世界有数であることを知った。現在、ここにはマチスの作品が
60点あるという。その37点がシチューキンが所蔵してたもの。

マチスの絵は近代絵画の2つの部屋に飾られている。右の“ダンス”、“音楽”、
“赤い部屋”、“家族の肖像”、“会話”、“画家の妻の肖像”、“立っている緑衣の
モロッコ人”、“アラブの喫茶店”。。。色彩の魔術師と言われたマチスの傑作が
ずらっとある。これは圧巻。平面的な画面に赤、青、緑、黄色が輝いている。

一番感動したのが“ダンス”。これを見る前、同名の絵をMoMAでみた。
MoMAのほうが先に描かれ(1909)、その後、エルミタージュのが制作されて
いる(1910)。5体の裸体が踊る構図は同じだが、一人々の表現、色の組み
合わせは断然、後の方がいい。エルミタージュのは裸体が赤になっている。

使われてる色はたったの3色。空の青、丘の緑、人物の赤。この鮮明な色調に
魅了される。5人が赤で描かれることによって、ダンスが激しく、躍動感に溢れて
るように見える。肌色の人間をなぜ赤にするのか?この絵を見てると、逆に
赤でなくては絵が成り立たないとさえ感じてくる。マチスがはじめた色彩革命
の虜になっている。絵に力があるというのはこんな作品のことを指すのだろう。

マチスに関しては、エルミタージュのマチスが最初のエポックだとすると、2番目
のそれは昨年あったマチス展(西洋国立美)。そして、今年また、日本にマチス
のいい絵がやってくる。それは、10/22から東京都美術館ではじまる“プーシ
キン美術館展”に出品される“金魚”。シチューキンコレクションはエルミタージュ
とプーシキンに分けられ、この絵はプーシキンに飾られている。“金魚”が見ら
れるなんて夢のよう。開幕が待ち遠しい。

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2005.09.09

マイルス・デイビス

8988/16の拙ブログでジャズのことを書いた後、無性にジャズが聴きたくなり、銀座の山野楽器で買ったマイルス・デイビスとウエザー・リポートのCDを今、クルマのなかでガンガン聴いている。

いずれも20代のころ、一度は聴いた作品。もっとも当時はLPレコードだったが。コレクターの趣味が無いので昔、手に入れたジャズのレコードは聴かなくなったら、みんな処分してしまい、替わりにクラシックとオペラのビデオテープが一杯になった。

再入手したのはマイルスの“ビッチェズ・ブリュー”(1969)、“マイルス・アッ
ト・フィルモア”(1970)、“アガルタ”(1975)、ウェザー・リポートの“ザ・ベスト”
(1973~1980)。右のは“ビッチェズ・ブリュー”のカバー。マイルスの
ジャズは50年代はパスし、もっぱら電子サウンドを導入した作品に夢中になった。
その頂点を飾る傑作が“ビッチェズ・ブリュー”。新宿のジャズクラブ、ピットインで
エコーをきかせたトランペットが鳴り響く 、この新着レコードを聴いたときの衝
撃をいまでも鮮明に覚えている。ジャズの枠を超えたまさにフリーミュージック
という印象だった。

あらためて聴いてみると、体が熱くなってくる。ジャズをテーマがあり、そしてアドリブ、
またテーマ、そしてアドリブというものだと思ってるひとには、マイルスと周りの
ミュージシャンが演奏する音楽はジャズという範疇からかけ離れているかもしれない。
マイルスは時代の空気を感じとるのに敏感で、若いソプラノサックス、エレクトリック
ギター、キーボード、ベース奏者、パーカッションニストらと、自由な演奏に溢れた
新しいジャズをつくりあげた。

“ビッチェズ・ブリュー”、“アット・フィルモア”、“アガルタ”の3枚で、マイルスは
トランペットを時に激しく、アップテンポに、さらに美しいバラードのように柔らかく吹き
まくる。R&Bのビート、アフロリズム、ロック、ファンクが上手くミックスした凄い
演奏だ。最近、マーラーの大爆発する交響曲を聴いてなかったので、マイルスの
シャープで迫力のあるトランペットにすごく感動した。

クラシック音楽にモーツァルト、ベートーベン、マーラーの定番の名曲があるように、
今、じっくり、マイルスの音楽を聴いてみると、これはジャズのクラシックではないか
と思う。音量が大きいこのジャズはさすがに隣の方がいる家のなかでは聴けない
ので、近くの本屋へ行くとか、ガソリンの給油のため走らせるクルマのなかで
至福の時を過ごしている。

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2005.09.08

プロ野球セリーグの優勝争い

163プロ野球セリーグの優勝争いが熾烈になってきた。残り試合は首位の阪神タイガースが20、2位中日ドラゴンズが24。まさに、ペナントレースは4コーナーを曲がったところ。

昨日の阪神、中日の直接対決は、延長11回阪神が4対3で勝ち、中日とのゲーム差をまた3に戻した。優勝を争ってるだけあって、両チームの選手とも目の色が変っている。ホームのクロスプレーでヒートアップするのはある程度止むを
えない。それだけ、監督、コーチ、選手皆必死で戦っているのだから。

こういう時期、きっちり投打の戦力を入念にチェックし、総合力を落とさず、チーム
全体で勝つという気持ちを強く持ち続けることが大事。首位に立つタイガースのほう
が有利には違いない。3ゲームというのは追いかける側からすると、近いようで
微妙に遠い。直接対決の3連戦で3連勝すれば、追いつく距離ではあるが、戦力
にそう差は無いので、3連勝というのはなかなか大変。

落合監督だってそんな甘いことは考えてなく、2勝1敗でちょっとずつ差を詰める
つもりだろう。中日の場合、試合数が4つ多いのがプラスなのか、マイナスなのか分か
らない。が、このチームは勝ちだすと連勝する勢いがあるので、試合数が多いのは
プラスということもある。いずれにせよ、現時点ではどっちが勝つか分からない。

タイガースで心配なのはエースの井川がしゃきっとしないこと。2番目の勝ち星を
あげてるが、負け数が多いので、全幅の信頼がおけない。先発ではベテランの下柳
が頑張っている。これからは安藤がどれだけいいピッチングをするかが鍵になるよ
うな気がする。藤川、ウイリアムス、久保田の押さえ陣はまだまだ頑張るのではな
いかと思う。打撃では金本、今岡の中心選手がいいところで打つのがタイガース
の強み。得点力が今以上にあがることはないので、いまの赤星、鳥谷の機動力を活か
した攻撃に徹するほうがいいのでは。

一方、ドラゴンズについては、昨年優勝しているので、選手たちは手ごたえを感じてる
ような気がする。打線の破壊力は阪神より上。ウッズ、福富、アレックスには一発が
あり、1、2番の荒木、井端にはタイガース同様足がある。このコンビは昨年からも
う2年近くやってるので安定感がある。問題は投手力。川上はエースとして頑張っ
ているが、終盤スタミナが切れることがある。最後まで勝ち続けることができるか。
押さえの岩瀬が万全なので、先発がどれだけゲームをつくれるかが勝負のポイント
だろう。虎よ龍の戦い。最後まで目が離せない。

右の絵は俵屋宗達が描いた“龍虎図”(部分)。出光美術館で今、開催中の“琳派と
京焼展”にでている。顔が丸くて、あまり怖くない虎に魅せられる。

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2005.09.07

西洋、東洋における風景の見方

162一週間くらい前のYAHOO NEWSに興味深い記事が載っていた。米国ミシガン大学が、風景の見方で欧米人と日本人、中国人とで何か違いがあるかと調査をしたところ、欧米人は対象物を疑視するが、東洋人は背景を含めて全体を見渡しているということがわかった。

この大学の研究チームは同大の欧州系米国人と中国人留学生の大学院生計50人に対し、動物や飛行機など一個の対象物がある画像を約3秒ずつ見せ、目の動きや画像から得た情報量を分析した。

その結果が面白い。中国人留学生は背景に目を止めた回数が多く、ゆっくりと全体
を見渡す目の動きをしていたという。これに対し、米国人学生は対象を疑視する
傾向があり、対象物を見つめていた平均時間が中国人留学生よりも約0.1秒長
かった。米国人と日本人を比べてみても、日本人の方が背景情報を約60%も多く
認知していたということが明らかになった。

研究チームはこの違いを生活習慣や文化に根ざした認知行動の違いと説明しており、
“アジア人の方が複雑にものを見ていることになる”とコメントしている。さらに、こうした
違いは、周囲のことをあまり気にしない欧米人と、調和を重んじるアジア人の行動
傾向とも一致することから、“灌漑や農作業を組織的に行う稲作など、歴史と文化と
深い関係があり、両者の違いの始まりは2000年以上前にまで遡るはず”と推定
している。

この記事と、西洋画で風景画がだいぶ遅れて描かれるようになったのと関係がある
かもしれない。欧米人の眼細胞はイエスや人間や目の前を動く動物を見ることに使わ
れ、背景や遠い風景のことは眼中になかったのだろう。絵画という創作活動でも神
と神が創造した人間、生き物があくまで中心であった。

一方、中国の水墨画はその対極の考えで描かれている。大自然の気をとらえようと、
霞がかった空、峻厳な岩山などの雄大な景観を画面一杯に表現し、文士はど
こにいるのかわからないくらいに小さく描かれている。雪舟がはじめた日本風の水墨
風景画には中国ほど運気は漂ってないが、自然の中に人間を包み込むように描く
点では変わりない。

ミシガン大学の調査に使われた絵がどんなものだったか、全く情報がないので、右の
ような風景画を考えてみた。近代日本画の巨匠、川端龍子が描いた“潮騒”という名画
である。欧米人は白いカモメばかりに目がいくのだろうか?我々なら岩に砕ける
波しぶきにも目が止まり、海の深い青、白いカモメというふうに全体をみていくのだが。
この話はとても刺激的。

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2005.09.06

エルミタージュ美術館

161先週の世界美術館紀行にエルミタージュ美術館が登場した。今週も続編がある。ロシアのサンクトペテルブルグにあるこの美術館を訪問することができたのは何事にも替えられない貴重な体験。

世界のトップクラスの美術館として名高いルーブル、プラド、メトロポリタンも立派だが、右のエルミタージュ美術館の豪華な建物にはかなわない。こんな華やかで品のある宮殿のなかにある美術品、絵画がまた凄い。

超一級の宝飾品、工芸、室内装飾、そして、絵画はダヴィンチをはじめとする古典
絵画から近代のマチス、カンディンスキーまで揃っている。ここの作品を実際鑑賞
すると、こんな凄い美術館があったのかと驚嘆する。絵画の質はルーブルと遜色な
いのではなかろうか。後知恵だが、ルーブルをみたら、メトロポリタンやプラドより
先にエルミタージュに行くべきだった。

1999年に訪れたのだが、エルミタージュ美術館が西側に大々的にオープンになっ
たのは1991年のソ連崩壊の後だから、一般の人が気楽にエルミタージュに
行けるようになってまだ10年ちょっとしか経ってない。1991年以前は見たくとも、
行けなかったのが現実だった。だから、館の中では隣の方と共に、こうした美術環境の
なかにいる幸せをかみしめていた。

古典絵画では、ブランド画家の名画のオンパレード。ダヴィンチの“ベヌアのマドンナ”
と“リッタのマドンナ”、ジョルジョーネの“ユーディット”、ティティアーノの“ダナエ”と
“悔悛するマグダラのマリア”、ラファエロの“コレスタビレのマドンナ”。バロック
以降の傑作はカラヴァッジョの“リュートを弾く少年”、ルーベンスの“ペルセウスと
アンドロメダ”、ヴァンダイクの“自画像”、そしてレンブラントの“ダナエ”、“女神
フローラに変装した妻”、“放蕩息子の帰還”。また、ここにはミケランジェロの彫刻、
“うずくまる少年”がある。イタリア以外にある彫刻はブリュージュとここの2点しかない。

中でも一番惹かれたのはカラヴァッジョの“リュートを弾く少年”、ティティアーノの“悔
悛するマグダラのマリア”、レンブラントの“ダナエ”。昔、ミュンヘンでカラヴァッジョの
怖い首の絵をみて、カラヴァッジョの絵は観る者をかなり緊張させるというイメージ
が強かったのだが、この絵の中性的な少年は穏やかにリュートを奏でている。
2,3枚ある同じ画題の作品ではこの絵が頭抜けていい。

ここのレンブラントのコレクションは圧巻。アムステルダム国立美術館に数、質で
ひけをとらない。お陰でレンブラントがだいぶ近くなった。館内には5時間くらいいて、
じっくり見た。でも、またいつか訪れてみたい。

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2005.09.05

棟方板画美術館

160鎌倉にある棟方板画美術館を再度訪れた。小さな美術館ではあるが、棟方志功の専門館として棟方の代表作を所蔵している。

年に4回の展示で、展示期間は長い。今の“飛神の柵”は3/26から9/25まで。2月、訪れたときは“東海道棟方板画”が飾ってあった(拙ブログ2/28)。

今回は墨一色の板画と彩色板画合わせて20点くらいでている。なかには過去に
あった棟方志功展でみた馴染みの作品もあった。白黒板画でベートーベンの交響曲
第9番に因んだ“歓喜頌”というのがある。裸体の人間が間隔をあけず、びっちり描
いてある。じっくり数えると9人いた。また、宇宙の4神を飛翔する天人像に表した
“宇宙頌”にも心がなごむ。

棟方志功の色彩板画をみると、いつもその色彩感覚に驚かされる。強く印象に
残る色は朱というか赤。“谷崎歌々板画柵”は谷崎潤一郎が詠んだ24の和歌をも
とに棟方が板画したもの。これまで4回くらい見たが、一つ一つに味がある。
和歌の文字や絵を余白をとらず、細かく密に描いてるが、色の使い方が上手いのか、
ビジーという感じがしない。和歌がイメージする風景や人間の感情が伝わってくる。

はじめてみた作品で気に入ったのが右の“飛神(とびかみ)の柵”。棟方志功
65歳の時の板画。これは神の使徒である神馬と姫君が艱難辛苦の後共に天高く
舞い上がって神になり、さらに蚕に変身して人間に幸福をもたらすという巫女(いたこ)
の祭文を絵にしたもの。巫女たちは桑の木で作った男女一対の素朴な偶像を両手
にもって舞い、豊穣を祈るという。東北地方の民間信仰がもとになっている。

背景の赤が印象的。下の男と上の女の体には縄文土器や土偶にみられるぜんまい
のような装飾的な曲線紋様が彫られている。素朴ではあるが、あのねぶた祭りの
明るさも感じられる面白い絵である。ここにはまだお目にかかってない板画がある。
まめに通うことにしよう。

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2005.09.04

出光美術館の琳派と京焼展

159琳派の作品が展示されるというのを見聞きするとそわそわしてくる。出光美術館の“琳派と京焼展”では、すぐ野々村仁清の茶壷や尾形乾山の陶器がまた出てくるだろうなと想像しながら、ひとりでに足が帝国劇場の隣に向かう。

今回のテーマは京の雅と都のひとびと。あまり広くない会場は京焼、宗達、光琳のコーナーに分けられている。

雅な京をあらわすものとして洛中洛外図、祇園祭礼図、阿国歌舞伎図の大きな
屏風がある。画質がちょっと悪いが、当時の京都の建物、風俗、人々の楽しみが窺が
える。俵屋宗達の作品は既に鑑賞済みのものが多かった。お気に入りは“伊勢
物語 武蔵野図色紙”と飼い猫のようなユーモラスな虎が描かれている墨絵の
“龍虎図”。この虎は有名な長澤芦雪の“虎図”同様、愛嬌がある。

“四季花鳥図屏風”などとともに仁清の色絵陶器の名品がある。いつも感動する
“色絵芥子文茶壷”のほか、びっくりするほどモダンな意匠の“色絵扇面散文茶碗”
に魅せられる。また、小品ではあるが、鶏などを造形した香合にも目がとまる。
はじめてみる尾形光琳の作品がいくつかあった。特に惹きつけられたのが“芙蓉
図屏風”。金地に芙蓉の葉の緑が映えている。流石、光琳ならではの構成と色使い。

“蹴鞠布袋図”の前に立つと思わず、ニヤニヤしてしまう。小林太市郎によると、これ
は光琳の自画像。何を喜んでいるかというと、お金をしこたま儲けたから。膨らん
だ袋に小判がどっさり詰まっている。天才芸術学者、小林は面白い絵解きをする。

光琳の弟、乾山のいい色絵角皿があった。“色絵定家詠十二ヶ月歌絵角皿”は、
定家が月毎に詠んだ花と鳥を見込みに描いた揃い物で、右のは12月の皿。早梅の
下に鴛鴦(おしどり)がいる。前にもこの角皿をみたが、いつも気持ちがよくなる。
それまで陶器の絵というのは装飾にすぎなかったが、乾山は絵や書を角皿に持ち
込んだ。絵のテキストは定家の歌や漢画。光琳と違い、乾山は教養人で平安以来の
伝統的な文学や剛健な漢画、書をたしなんだと言われる。乾山の作品は奥が深い。
満足度150% 尚、この展覧会は10/30まで。

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2005.09.03

千葉市美術館の浮世絵展

158千葉市美術館で今日からはじまった“写楽・歌麿と黄金期の浮世絵展”をみてきた。今回は館所蔵の展示なので料金は200円しかとらない。作品は約100点。

ここが浮世絵の名品を持ってることは承知しているが、本物にお目にかかるのははじめて。MOAの場合、目玉は春信と歌麿であったが、この展覧会の見所はチラシに大きく載っている写楽の役者絵と歌麿の美人画。

写楽については、1995年、東武美術館の“大写楽展”で代表作をほとんど見せ
てもらったので、それ以後は求めるという美術鑑賞に一番必要な姿勢が失せ、写楽
へのテンションは下がり気味。ここでは悪役の“三代目大谷鬼次の江戸兵衛”など
5点でていた。江戸兵衛のイモリの足のような手にぎょっとする。展示替えがあり
9/27からは別の2点が加わる。

お目当ての歌麿はいい絵がずらっと並んでいる。点数はMOAより多い。版画が10点、
狂歌絵本が12点、肉筆画が2点。歌麿らしい艶っぽい美人画に満足。欲を言えば、
MOAにあったようなうっとりする一枚が欲しかった。一番の収穫は狂歌絵本の
“潮干のつと”に会えたこと。狂歌絵本では“画本虫撰”、“潮干のつと”、“百千
鳥狂歌歌合”の三部作が有名。“画本虫撰”は昨年、太田記念館で見た。ここの
美術館も所蔵している。

“潮干のつと”は貝にちなんだ狂歌に歌麿が絵をつけたもの。タイトルは“潮干狩り
の土産”という意味。1見開きに6首あり、それに対応する貝の絵を6種ずつ描い
ている。貝は全部で36種。歌の部分を紙で覆うと貝図鑑になる。あし貝、蛤、
あやこ貝などが実にリアルで、つい手を出したくなる。歌麿の美人画は天下一品だが、
虫や鳥、貝の絵もすばらしい。巻頭には右の潮干狩り、巻末には二枚貝を合わせ
て遊ぶ貝合が夫々描かれている。この潮干狩りはほんとうにいい絵。遠くをこん
なに小さく描く風景画をみたことない。そのため広々とした空間になっている。

太田記念館でも歌麿の美人画プラス風景画に感動した(拙ブログ2/8)。喜多川歌麿
という絵師の絵心と高い技にただただ感服するばかり。尚、展示は10/16まで。

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2005.09.02

MOAの浮世絵版画名作展

157今年は浮世絵の名品を見る機会が多い。普通の愛好家にとって、浮世絵をふんだんに観れる美術館は限られている。

お気に入りは東博の日本美術ギャラりー、浮世絵コーナーと専門館の太田記念美術館。東博の浮世絵平常展に2年くらい通うとかなり目が肥えてくる。ここは浮世絵の画集に載ってる代表作に出会える格好の場所である。太田記念館は前半、開館25周年記念展で歌川広重の名所江戸百景など館自慢の浮世絵を沢山展示してくれた。

他には千葉市美術館と熱海のMOAにいい作品が集まっている。その期待の
MOAで所蔵浮世絵の名作展がはじまったので、早速クルマを走らせた。
今回は鈴木春信、喜多川歌麿、葛飾北斎、歌川広重を中心に90点あまりでて
いる。太田記念館や日本橋三越のお陰で広重、北斎の傑作を堪能したので、
鑑賞のエネルギーは春信と歌麿にシフト。

他の絵師で目立ったのは菱川師宣の“大江山物語十二枚揃”と鳥居清長の美人画。
とくに、清長の三枚組の“見立牛若丸浄瑠璃姫”に感動した。いままでみた清長
の美人画では最上位に入る傑作である。十人の女性が着ている衣装のピンクがま
ばゆい。これほどインパクトのあるピンクは見たことがない。

かねがね、MOAには鈴木春信のいい絵があると睨んでいたが、目の前にある6点
をみてそれを確信した。なかでも、右の“源重之(三十六歌仙のうち)”に魅せ
られた。多色刷りの錦絵の魅力を引き出す能力が春信にはある。それは天性の
色彩感覚。二人の娘は生活の匂いがあまり感じられないが、岩を指している少女
の着物の緑と、笠を被ってる娘の衣装の赤の対比が実に巧み。そして、動きをつ
くってる風になびく振袖や裾と波のうねりに目がいく。波は版木に絵具をつけず、
紙を押し付けて、盛り上げる“きめ出し”という特殊な技法で表現している。

喜多川歌麿もいい美人画が揃っている。“婦女人相十品文読美人”、“お藤とお
きた”、“行水”などに心うたれた。こんなに気持ちのいい歌麿をみるのは久しぶり。
狙い通り、春信と歌麿の名品に会えた。MOAの浮世絵コレクションに感謝。
尚、この展覧会は9/11まで。

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2005.09.01

映画「ショコラ」

156昨日のBS2で放映された映画“ショコラ”をみた。この映画は01年のアカデミー賞の5部門にノミネートされた作品として、よく覚えている。いつか見てみたいと思っていたので、BSに登場することを1ヶ月前に知り、楽しみにしていた。

最近、映画を見ないので、ここにでている主演女優や監督の名前は全く知らない。よく覚えているのは耳に心地よいラテンぽいテーマソング。チョコレートショップの話しがどうしてアカデミー賞に取り
上げられるほどのものなのか事前の関心は高い。

観ての感想はというと。。もう久しぶりに秀作を見たという感じ。実にうまく出来
ている。最後はハッピーエンドで終わるのだが、不思議と納得できる終わり方
になっている。四旬節の節食の時期に、見慣れぬ母娘がとあるフランスの村にやっ
てきて、チョコレートショップを開店する。お店の名前はマヤ。

母親ヴィアンヌは薬剤師であった父親が中央アメリカに仕事で行ったとき、恋して
結婚した現地の女性との間にできた子供。古代マヤ人は未精製のココアを聖なる儀
式に使い、カカオ(チョコレート)は欲望を解き放つ力が、また運命を啓示する力が
あると信じていた。このココアを飲んだ父親は、現地の女性チザをフランスに連れて
帰る。だが、長老はチザのことを“さすらい人、北風とともに村から村へと移動して、
古代の薬(カカオ)を売り歩く、決して定住しない、だから妻には相応しくない”と警告
する。はたして、父親がある日目をさますとチザとヴィアンヌは消えていた。

チョコレートが欲望を開放するというのがキーフレーズ。勤勉で自制的な人がまともで、
教会に出てこなかったり、懺悔をしないような人間は変人扱いされる。こんな欲望
を自虐的に押さえ、日々をすごしている人たちが新たに出来たチョコレート店にやって
きて、美味しそうなチョコレートを口にする。店主のヴィアンヌには客の好みが分かる
という特別の能力がある。商売人にはうってつけの資質を持ち合わせている。だから、
少しずつ客が増えていく。夫のドメステイック・バイオレンスにおびえるジョセフィーニ、
娘と断絶して絵の上手い孫坊やにも会わせてもらえない老女アルマンド、未亡人
を好きになる老人。。

チョコレートのとりこになった人たちは古い因習から開放され、生き生きとしてくる。
最後には、厳しい戒律に縛られていた村長までチョコレートを食べ、村の雰囲気が明る
く開放的になっていく。いつも説教の原稿を村長にチェックされていた若い神父が
自分の言葉でする説教が冴えている。“人間の価値とは、何かを禁じることでは
決まらない。何を否定し、拒み、排除するかでもありません。むしろ、何を受け入れ
るかで決まるのでは?何を創造し、誰を歓迎するかで。。。” 

村に北風が吹きだすが、ヴィアンヌはこれまでのように別の土地に行こうとせず、
川辺で知り合ったジプシーの男と結ばれ、娘のアヌークとともにこの村にとどまる。
長く記憶に残りそうないい映画をみた。収録したビデオは早速My映画ビデオコレク
ションに登録。

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