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2005.01.22

クリムト

230鎌倉の鶴岡八幡宮に初詣に行ったとき、老舗の古本屋でネーベハイというクリムト研究家が書いた“クリムト”(美術公論社 85年10月)という本をみつけた。

訳者のあとがきによると、本書はクリムトの基本文献になっているという。著者の父がウィーンで画廊を経営していた関係でこの人も8歳のとき、クリムトに会っている。本の中にはクリムトの語ったことなどが随所に書かれており、クリムトがどんな人だったかがよくわかる。クリムトがぐっと身近になった。

クリムトは野生的で、頑丈な体をしていたらしい。口数は少ないほうだったが、
若い芸術家の信頼は厚かったという。28歳年下のシーレやココシュカにも経済
的な支援をしている。読む前に、クリムトの装飾的な画風に関連して日本の琳派
のことがふれられているかなと思ったが、ジャポニズムや日本美術の装飾的、
工芸的な特徴の記述はなかった。

この本で一番興味深かったのがブリュッセルのストクレ邸にあるモザイクシリーズ
(1911年)。ベルギーの実業家アドルフ・ストクレから依頼されたものだ。建築を
ホフマンが担当し、食堂のモザイクをクリムトが手がけている。右はそのひとつ
“期待”。いつか見てみたい綺麗なモザイクだ。金属、エナメル、色ガラスが金に
糸目をつけず使われている。光琳の紅白梅図にでてくる模様をおもわせる渦巻き、
三角形で様式化された女性の姿、黄金色でうめつくされた画面、女性の衣装に
みられる洗練された赤や緑、青の横線などは観るものを飽きさせない。

クリムトは1903年2度、イタリアのラヴェンナを訪れている。ここの教会でみた
黄金に輝くモザイクが彼の創作活動に決定的な影響を与えることになった。一緒
に行った仲間のレンツは“クリムトは真に衝撃をうけた。彼はそれを言わなかった
が、傍目にも歴然としていた”と語っている。クリムトの心を捉えたのはプリミティ
ブなビザンティン様式であった。

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コメント

クリムトの作品って結構、戦火で消失したりしていますよね。残念なことです。
とりわけ傑作の「医学」「法学」「哲学」のシリーズがシルフ的には大好きです。

習作が一部残っているので、コンピュータを使って復元出来ないものですかね。(笑)
原画は失いましたが、画家の魂は残ると思うのですが…。カラーで模写した人っていなかったのかなぁ。

投稿: シルフ | 2005.01.23 02:22

to シルフさん
ウィーン大学大講堂のために描かれた、医学、法学、哲学がナチの親衛隊
の放火によって1945年、消失したのは本当に惜しいことですね。
現在、残っている医学のための習作、部分カラー写真から実物を想像するだけ
ですが、タイムスリップして観たかったです。

この本を読んでクリムトと周辺の画家との関連が色々わかりました。
同世代である象徴派のクノップフとかホードラーの絵からも刺激を受けてますね。
シルフさんもお好きなのではと思うクノップフが描く女性にちょっと似てます。
象徴派の流れのなかにクリムトもいるような気がします。そして、極めて写実的で
ゾクッとする女性の顔と黄金の装飾的な画面をミックスしてクリムト独自の
官能的な感じを出したのではないでしょうか。

投稿: いづつや | 2005.01.23 16:18

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