2019.07.19

大盛況の‘松方コレクション展’!

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  モネの‘睡蓮、柳の反映’(1916年) 6月NHKスペシャルより

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   ミレーの‘春(ダフニスとクロエ)’(1865年)

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    ミレイの‘あひるの子’(1889年)

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   ムンクの‘雪の中の労働者たち’(1910年)

上野の西洋美で行われている‘松方コレクション展’(6/11~9/23)を
みてきた。期待の絵は先月のNHKスペシャルでとりあげていたモネ
(1840~1926)の‘睡蓮、柳の反映’。チラシに2016年ルーヴ
ルで発見された幻の睡蓮が1年かけて修復され公開されるとあったので
関心をよせていたが、NHKはその修復をずっと追っかけていた。大変な
修復だったことが番組でわかったので目に力が入る。

上半分が欠けているが全体の大きさはオランジュリー美にある連作‘睡蓮’
(縦2m、横4m)と同じなので、連作のなかぶ入っていてもおかしくな
かった作品という話はすぐ納得する。展示室に入る前のコーナーで上半
分をデジタル推定復元した画像が大きく映しだされていた。AIにディー
プラーニングさせて描いたこの睡蓮をみているとたしかにオランジュリー
にいるような気になってくる。西洋美開館60周年を記念する展覧会に
相応しい大PJをみごとにやりとげた。拍手!

今回はこの絵1点買いなのでほかはさらっとみてひきあげた。これまで
西洋美に何度も通ったのでどの絵の前で足がとまるかはだいたい決まって
いる。大作で目を惹くのがミレー(1814~1875)の‘春(ダフニス
とクロエ)’とムンク(1829~1890)の‘雪の中の労働者たち’。
そして、ラファエロ前派のミレイ(1829~1896)の‘あひるの子
ども’はお気に入りの一枚。その横のロセッティの‘愛の杯’も見逃せない。

また、セガンティー二の‘羊の毛刈り’もいい感じ。初見で魅了されたドー
ビニーの‘ヴィレールヴィルの海岸、日没’は三井住友銀行の所蔵、ここに
も松方コレクションのひとつがおさまっていた。ドキッとしたのがスーチ
ンの赤い服を着たボーイが目に焼きつく‘ページボーイ’、現在ポンピドー
にあるこの絵もコレクションだったとは。

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2019.07.18

美術館に乾杯! オルセー美 その二十六

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   ギマールの‘喫煙室の腰掛’(1897年)

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    マッキントッシュの‘椅子’(1897年)

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   ガレの‘蜻蛉文脚付戸棚’(1904年)

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  シャルパンチエ&ビゴの‘食堂内装装飾’(1901年)

フランスのアールヌー・ヴォーが目に飛び込んでくる街はひとつは
ガレ(1846~1904)やドーム兄弟が斬新なガラス工芸をうみだした
ナンシー、そしてもうひとつは建築家ギマール(1867~1942)が
活躍したパリ。じつはナンシーにはまだ縁がない。パリから高速バスを利用
すれば1時間半くらいで到着するようなのでいつか訪ねてみたい。

ギマールが1900年のパリ万博に間に合わせるために1899年から大急
ぎでつくったアール・ヌーヴォーのデザインで装飾した地下鉄出入口、現在
88ヶ所あるそうだがまだ一つしかみていない。パリの街をあちこち動いて
また出くわすのを楽しみにしているが、同時にギマールの出世作である‘カス
テル・べランジェ’の門やベランダに施された植物を連想させるような曲線的
な装飾にもお目にかかりたい。オルセーに飾られている‘喫煙室の腰掛’も心
をふわふわさせる傑作。非対称でゆがみのある造形なのにどこか落ち着くの
は全体のバランスがうまくとれているから。並の美意識ではつくれない。

スコットランドで新しい建築や家具で名を知られたマッキントッシュ
(1868~1928)のイメージはなんといってもこの‘ハイバックチェア’
で固まっている。椅子単体だってアートという思いがあるので背もたれもぐっ
と高くなる。でもそれが違和感がなく存在しているところがマッキントッシュ
の才能。

ガレの戸棚がとてもユニーク。羽をのばした蜻蛉を脚に変身させるのはシュル
レアリスムのバブルイメージの発想。これは参った!そして、秘密の邸宅に
紛れ込んだ気分になるのが彫刻家のシャルパンチエ(1856~1906)と
陶芸家のビゴ(1862~1927)がつくった‘食堂内装装飾’。壁のまわり
や天井にしなやかに曲がってのびる木の枝に目を見張らされる。これも自然の
植物を連想させるアール・ヌーヴォー様式のひとつの形。

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2019.07.17

美術館に乾杯! オルセー美 その二十五

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    ガレの‘彫刻・手’(1904年)

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   ガレの‘蓋付壺・たまり水’(1890年)

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  ドーム兄弟の‘テーブルランプ・睡蓮’(1904年)

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   ラリックの‘飾りピン・芥子’(1897年)

ガラス工芸でフランスのアール・ヌーヴォーをリードしたエミール・ガレ
(1846~1904)のいい作品をもっている日本人コレクターはかな
りいる。これはガレが浮世絵などのジャポニスムに影響を受けわれわれ日本
人の琴線に響く花鳥をモチーフにしたものが多いことも大きく関係している。
ガレにのめりこむきっかけになったのが諏訪湖のほとりにある北澤美の訪問。
傑作‘花器・フランスの薔薇’と出会ったときの感激は今でも忘れられない。

そして、ガレの魅力に深くとりつかれることになった回顧展が2005年
江戸東博で開催された。ここにパリではみてないオルセー蔵の‘彫刻・手’や
‘蓋付壺・たまり水’が登場した。ほかにもエルミタージュやデュッセルドル
フ美、デンマーク王室コレクションの名品がずらっと並びその豪華なライン
ナップにテンションが上がりっぱなしだった。‘フランスの薔薇’とともに最
も魅了された‘手’は夜明りが少ししかともってない部屋でみたら、本物そっ
くりの指に飛び上がるほどドキッとするにちがいない。小さい頃お化け屋敷
で味わった怖さのイメージが重なって感情が乱れた。

ドーム兄弟(兄1853~1909、弟1864~1930)のガラス作品
にも魅了され続けている。北澤美やポーラ美でみた木々などを風景画風にし
た絵柄の細長い花器がとくに気に入っている。‘テーブルランプ・睡蓮’は
運良く世田谷美であったオルセー美展で遭遇した。とても洒落たデザインが
心を和ませる。

ガレ同様好きな人が多いルネ・ラリック(1860~1945)は箱根の
ラリック美とパリの装飾美でジュエリーなどを楽しんだ。いつかポルトガル
の首都リスボンを再訪問しグルベンキアン美にある傑作宝飾品の数々と対面
することを夢見ている。‘飾りピン・芥子’は日本に2度やって来たが、
1897年のサロンで国家買い上げとなった出世作。繊細でかつ華やかな
デザインが胸を打つ。

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2019.07.16

美術館に乾杯! オルセー美 その二十四

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   ブールデルの‘弓を引くヘラクレス’(1909年)

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    クローデルの‘熟年’(1913年)

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    ドガの‘14歳の踊り子’(1881年)

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   ゴーギャンの‘オヴィリ(野生)’(1894年)

近代以降につくられた彫刻で知っている作品の数が多いのはやはり
ロダン(1840~1917)。パリのロダン美へ足を運んだから美術本
にでている多くの作品を楽しんだ。では次が誰かとなるとすぐにはでてこ
ない。しかし、昨年オスロでヴィーゲラン(1869~1943)の見事
な彫刻をどどっとみたのでトップツーは決まった。

この二人以外で名前がぽんぽんと浮かぶのはブールデル(1861~
1929)、昨日とりあげたマイヨール(1861~1944)、クロー
デル(1864~1943)あたりまで。でも残念なことにこれまでみた
ものが少ない。そのため、‘弓を引くヘラクレス’はブールデルと深く結び
ついている。ヘラクレスが弓で狙っているのは怪鳥、岩に足を踏ん張り弓
を力強く引く姿は目を見張らせる。小さな顔は古代ギリシャの彫像風な
ためギリシャ神話の世界に誘われる。

カミーユ・クローデルの‘熟年’はカミーユとロダンの愛の関係を知ってみる
とつい過剰に感情移入してしまう。この彫刻はリアルすぎる。老婆(ロダ
ンの妻)に寄り添われた男(ロダン)に振り切られる女(カミーユ)。
芸術家の愛の物語で一番生々しいのはピカソとこのロダン。

彫刻もてがけたドガ(1834~1917)は‘14歳の踊り子’がピカ一に
すばらしい。作品の前に立つと本物の少女と向き合っているような錯覚を
おぼえる。バレリーナの足首はとにかく柔らかい。バレエみたのはエル
ミタージュ美の舞台一回だけ。最近はチャイコフスキーを聴いていないの
でバレエとの縁が薄くなっている。

ゴーギャン(1848~1903)の彫刻作品は昨年コペンハーゲンの
ニューカールスベア美でいくつかみた。予想以上のゴーギャンだったのは
ミューズのお陰、北欧まででかけた甲斐があった。オルセーにある‘オヴィ
リ’はタヒチの世界の色が強くあまり長く見ていると夢でうなされそう。

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2019.07.15

美術館に乾杯! オルセー美 その二十三

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     彫刻が飾ってある中央通路

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    カルポーの‘ダンス’(1869年)

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    フレミエの‘聖ミカエル’(1897年)

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    ダル―の‘鍛冶職人’(1879~89年)

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   マイヨールの‘地中海’(1905年)

オルセーには絵画だけでなく、彫刻、装飾・工芸、写真も飾られている。
時間的に余裕があればそうした作品もみれるのだが、鑑賞の対象はどうして
も絵画中心になってしまう。そのため、たしかに見たという実感があるのは
造形的にインパクトのあるいくつかの彫刻作品とガレのガラス作品などに限
られる。

カルポー(1827~1875)の‘ダンス’をよく覚えているのはお目当て
の絵画をみたあと中央通路のところで休憩していたとき目に入ったから。
とくに印象深いのが女性たちが満面の笑みを浮かべているところ。こんなに
喜びの感情表現が強く目に訴える彫刻はほかに見たことがない。

人気の観光地モンサンミッシェルは2008年訪問した。名物のオムレツは
あまり美味しくなかった以外は楽しい思い出。ガイドの説明でよく頭に入っ
ているのが聖堂の鐘楼の上に突き出るようにして立つ聖ミカエル像の話。
これは1897年彫刻家フレミエによって製作されたものでオルセーにはそ
の銅製のレプリカがある。じつにカッコいいミカエル像!

誰がつくったのか知らなくてもすごく目に焼きつく彫刻がダル―(1838
~1902)の‘鍛冶職人’。逞しい肉体をした職人の前かがみになった姿が忘
れられない。この彫刻とすぐむすびつく絵がある。絵画部門に展示してある
コルモン(1845~1924)の超大作‘カイン’。2つは力強い写実主義で
つながっている。

マイヨール(1861~1944)の作品をいつかどっとみたいと願ってい
るがまだその機会に恵まれない。これまでマイヨールを何点みただろうか、
両手にいってないような気がする。記憶に残っているのはプラハの近代美
だけ。ところでパリにマイヨ―ル美がある?そのため、オルセーでみた‘地中
海’の柔らかい裸婦像は貴重な体験だった。

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2019.07.14

美術館に乾杯! オルセー美 その二十二

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   ドニの‘木々のなかの行列’(1893年)

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   ドニの‘マレーヌ姫のメヌエット’(1891年)

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    ヴァロットンの‘ボール’(1899年)

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   ヴァロットンの‘化粧台の前のミシア’(1898年)

画家とかかわり方はあることをきっかけにぐっと強まることがときどきある。
絵画に関心をもちはじめたころは画集で知っている有名な画家たちの作品を
軸にして鑑賞を広げていく。そのため、知名度の低い画家の絵については軽
くみるかパスをすることが多くなる。オルセーでも最初の頃はナビ派の
モーリス・ドニ(1870~1943)やフェリックス・ヴァロットン
(1865~1925)の印象はとっても薄かった。

それが変わったのは2014年、ポスト印象派、新印象派、そしてナビ派に
スポットを当てて構成されたオルセー美展に遭遇したときから。また、ドニ
もヴァロットンも回顧展を一度経験したことが大きく影響し二人の魅力に
開眼することになった。はじめから食わず嫌いになる画家は少ないので、
画家との密着度はやはり作品をたくさんみることによって深まっていく。

ドニの‘木々のなかの行列’は背の高い緑の木々のインパクトが強烈。手前に
太い幹の木をおきその先にひと回り細い木をならべやや傾けたりカーブをつ
くり天にむかってスーっとのびるように描いている。このうす緑の木がこれ
だけ印象的なのは森のむこうにみえる青空が白い雲で独占されこちらを明る
くしているから。そのなかを淡いピンクの衣装をまとっ女性たちは進んで
いる。ペタッとした平板な絵だが、ここには動きがありその爽快な色使いも
心を揺すぶる。

2011年新宿の損保ジャパン美にドニが妻のマルトや子どもたちを描いた
肖像画がたくさん展示された。これでドニの人物画にいっぺんに参った。
ドニはまさに現代のラファエロだった!ピアノの前にいるマルトをモデルに
した‘マレーヌ姫のメヌエット’はマネやルノワールとはひと味違い優しさや
温かさが感じられるすばらしい肖像画。

スイスのローザンヌに生まれたヴァロットンはオルセー以外の美術館ではほ
とんどお目にかからない。だから、オルセーにある少ない作品がこの画家
のイメージ。強い日差しがつくる子どもや木々の影が強く印象に残る‘ボール’
はヴァロットンとのかかわり方は深くないのにどこか気になる絵だった。

そんな少しだけのつながりだったヴァロットンが2014年三菱一号館美で
大暴れした。ええー、ヴァロットンってこんないい画家だったのか!という
感じ。このヴァロットン展は前年の秋パリのグラン・パレでスタートし31
万人が押し寄せたという。‘ボール’同様、‘化粧台の前のミシア’でも明るい光
が目に焼きつく。

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2019.07.13

美術館に乾杯! オルセー美 その二十一

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   ボナールの‘クロッケーをする人々’(1892年)

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   ボナールの‘格子縞のブラウス’(1892年)

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   ヴュイヤールの‘読書する人’(1890年)

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   ヴュイヤール‘赤い傘(右)、会話(左)’(1894年)

オルセーへ出かけて平たい絵画が特徴のナビ派の作品をじっくりみるように
なるのは2度目とか3度目以降の訪問からというのが正直なところ。
ボナール(1867~1947)は昨年国立新美でオルセーの所蔵品がどど
っと展示された回顧展があり、2014年に開催された展覧会では、ヴュイ
ヤール(1868~1940)、ドニ(1870~1943)、ヴァロッ
トン(1865~1925)らの作品がたくさん登場した。だから、日本で
もナビ派の知名度が上がってきたかもしれない。

ボナールは画風をいろいろ変えたが、ナビ派の立ち上げ時は‘クロッケーをす
る人々’や‘格子縞のブラウス’にみられるように奥行きも立体感のまったくな
い平板な絵をどやっとばかりに主張していた。切り絵のようにあらかじめ色
のついた形を画面にペタペタ貼っていくと出来上がりという感じ。こういう
絵なら小学生も得意。でも、子どもたちは装飾的に人物を表現することや目
を惹く赤や緑を使い画面に強いインパクト与えることまでは頭がまわらない。

ヴュイヤール(1868~1940)はボナールと同じ時代を生きた画家。
‘読書する人’とか‘緑色の帽子の女’はまるでフォーヴィスムのマティスの人物
画のよう。顔や頭はもちろん衣服まで心に浮かんだ色が自由に塗られている
。マティスとの違いは色彩のパワーが弱いため画面全体が象徴的でふわっと
していること。そのため、色彩の組み合わせがユニークな割にはそれが強く
刻まれない。

一方、大きな縦長パネルの連作‘赤い傘’、‘会話’は見ごたえのある作品。これ
は5点あるうちの2点、背景の野原や木々の森がうみだす穏やかな雰囲気が
じつに心地よく、画面の真ん中にいる女性たちが垣根を背にしてのんびりと
休んだり会話を楽しんでいる様子がとてもいい。そして、地面に模様となっ
てのびる日差し。これだけ強い光だと日傘がないと長くは外にいれない。

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2019.07.12

美術館に乾杯! オルセー美 その二十

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    スーラの‘サーカス’(1891年)

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  スーラの‘ポール=アン=ベッサン、満潮時の外港’(1888年)

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   シニャックの‘マルセイユ港の入り口’(1911年)

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    レイセルベルへの‘舵をとる男’(1892年)

美術本に載っている画家の代表作をみるためにどういう段取りで美術館を訪
ねるか。とりあえず団体ツアーに参加して自由行動のオプションを使って
美術館にたどり着く。こういう選択をして上手くいく画家とそれでは半分も
みれない画家とにわかれる。点描画で画壇に新風をまきおこしたスーラ
(1859~1891)は団体ツアーに参加でもOKのケース。

作品の数が少ないスーラは幸運を味方につけてブランド美をまわると極上の
点描画が楽しめる。最高傑作はオルセーではなくてシカゴ美にある。
あの有名な‘グランド・ジャット島の日曜日の午後’。この絵は遺言により門外
不出となっているので出かけて行かないと一生みれない。2008年、運よ
くシカゴ美も入館するツアーをみつけ長年の夢が叶った。なにか大仕事をし
たような気分だった。

オルセーにある‘サーカス’はスーラの作品としては例外的にとても賑やかな絵。
人物の漫画チックな描写や動きのある構図はロートレックの踊り子や男優と
似ている。これとペアになる享楽的な絵がある。ゴッホをごそっともっている
オランダのクレラー=ミュラーに展示されている‘シャユ踊り’。

キラキラした光が体で感じられるのに音が聞こえてこない海景画は魅力いっ
ぱい。全点制覇を狙っている。一番多くもっているのはNYのMoMA、‘グラヴ
リーヌの夕暮れの運河’など4点ある。オルセーの‘ポール=アン=ベッサン、
満潮時の外港’もぐっと惹きつけられる。額縁まで点描にしてしまうのだから
点描へのこだわりは半端でない。

32歳で亡くなったスーラのあとをついで点描画に精を出したシニャック
(1863~1935)は10年間地中海の港町サン=トロペで過ごし、海景
画を数多く描いた。スーラとは対照的にシニャックは‘動’の風景画、‘マルセ
イユ港の入り口’はピンクや青のモザイクのような点々はまばゆいくらいに輝
いている。

レイセルベルへ(1862~1926)の‘舵をとる男’に200%参っている。
この浮世絵の描き方を吸収したダイナミックな構図が目に焼きついている。
いろいろな画家が思い浮かぶ。遠くの帆船はジェリコーの‘メデューズ号の筏’
をイメージするし、大きくうねる波濤は荒々しい海の絵を得意としたアメリカ
のホーマーがダブってくる。


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2019.07.11

美術館に乾杯! オルセー美 その十九

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   ベルナールの‘愛の森のマドレーヌ’(1888年)

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  ベルナールの‘日傘をもつブルターニュの女たち’(1892年)

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    セリュジエの‘護符’(1888年)

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   ラコンブの‘紫の波’(1896年)

世界の美術館をめぐり旅が一通り終わったら、次の夢は画家がでかけた土地
をみてみること。例えば、モネがよく描いたノルマンディの海岸にある奇岩
で有名なエトルタとか。また、ゴーギャン(1848~1903)がタヒチ
へ移住する前に滞在していたブルターニュ地方のポン=タヴァンなんかにも
関心がある。

人気の観光地、モン・サン=ミシェルは2008年に行った。ポン=タヴァ
ンはここからさらに西へ向かい大西洋につきでた駱駝の頭のようなところに
ある。ゴーギャンはここで20歳年下のベルナール(1868~1941)ら
と総合主義という新しい絵画のスタイルを生み出す。オルセーではこのポン
=タヴァン派を楽しむことができる。

そのなかで印象深いのはベルナールの‘愛の森のマドレーヌ’。森の中で真横
になって座っているのは画家の妹で頭と足の横にはいくらも隙間がないほど
画面ぎりぎりに描かれている。これほどぎりぎりに描かなくてもと思う一方
で、仮にもうすこし余裕があったらかえってインパクトが弱まるかもしれな
いと想像したりする。一見すると平坦な描写だが木々の垂直の線と人物の横
の線が上手い具合に融合しており奥行きは十分に感じられる。ゴーギャンの
絵もこんな描き方が多い。

‘日傘をもつブルターニュの女たち’は手前に座っている女だけをみると平板さ
が極端に目立つが、目が慣れたところでその後ろの光景をじっとみていると
だんだん画面がふくらみを持ってくる。不思議な絵である。小学校低学年の
子どもならすぐコピーできそう。

ゴーギャンとベルナールに刺激を受けたセリュジエ(1864~1927)
の‘護符(タリスマン)、愛の森を流れるアヴェン川’はとても小さな作品
(縦27cm、横21cm)。そのため、ぼやっとしていると見逃す。でも、
抽象絵画を連想させる自由な色使いが強い磁力を発しているので思わず足が
とまるかもしれない。カンディンスキーがこの絵をみたら裸足で逃げるの
ではないか。

ラコンブ(1868~1916)の‘紫の波’は2014年の展覧会にやって
来た。紫はゴーギャンが多用した色だが、ラコンブは大胆にも波全体を紫で
表現している。紫によって波の曲線は装飾性が強くなり幻想的な雰囲気が醸
し出される。紫にはいつも心が痺れるので長くみていた。

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2019.07.10

美術館に乾杯! オルセー美 その十八

Img_20190710221301    ゴーギャンの‘タヒチの女たち’(1891年)

 

Img_0004_20190710221301    ゴーギャンの‘悦び(アレアレア)’(1892年)

 

Img_0003_20190710221301   ゴーギャンの‘黄色いキリストのある自画像’(1891年)

 

Img_0001_20190710221301     ゴーギャンの‘白い馬’(1898年)

 

ゴッホ同様ゴーギャン(1848~1903)についても美術本に載ってい
る作品は全部見ようと追っかけ気分は維持したままでいるが、所蔵する美術
館が普通の団体ツアーだと行けないところが多いので見たい絵画がまだ10
点くらい残っている。昨年わが家は北欧に出かけデンマークのコペンハー
ゲンにあるニュー・カールスベア美で待望の‘花をもつ女’と対面することが
できた。だから、コンプリートにはまだまだ時間はかかるがまた一歩前進し
たという充実感がある。

ゴーギャンにのめりこむきっかけになったのはやはりオルセーで名画の数々
と出会ったこと。それまで画集をみてゴーギャンのイメージがつくられてい
たのが‘タヒチの女たち’。この絵からゴーギャン物語がはじまった。画面い
っぱいに描かれた二人の女の存在感がとにかくすごい。正面向きと横向き、
こういう構成を発想するのがゴーギャンが天才たる所以。これだけ接近でき
ればタヒチの世界がビンビンに感じられる。

‘悦び(アレアレア)’は人物や犬の描写は平板的なのに配置の仕方と装飾的
な色彩により空間の奥行き感をつくっているため、視線を左右前後に動かし
て楽しむことができる。そして、白の衣装を着た女の仏像を連想させる座り
方が親近感を抱かせる。後ろではマオリの偶像の前で踊っている人たちがみ
える。

ゴーギャンの自画像のなかでは威圧的な目つきがみるものをたじろがせる
‘黄色いキリストのある自画像’。この自信満々の態度にゴッホは相当プレッ
シャーを感じていたにちがいない。‘フィンセントよ、俺はキリストだって
黄色に描くのさ、そんなキリストはいないと言われたって俺にはこの黄色が
キリストの受難をもっともよく表していると思えるからだ。絵は見たまま
を描くのではなく想像して描くものだ’。ゴーギャンは湧き上がる想像に刺激
されて描く画家だった。

‘白い馬’にはドイツのマルクが描く生き生きした馬と似た雰囲気がある。
3頭夫々が違う描き方で手前で首を下に曲げる白い馬からはじまり、その後
ろの赤い馬は体がすこし傾き疾走中。そして右奥の横向きの馬はゆっくり
進んでいる。弧を描くように並べる表現がとても上手い。

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