2009.11.25

その九 サーンチーのストゥーパ浮彫彫刻に釘付け!

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サーンチーには紀元前3世紀、アショカ王が基礎を築き、その後数百年をかけて完成した仏教遺跡が残っており、初期の仏教彫刻を見ることができる。

★第1ストゥーパ・北門(上の画像)
★西門(上から2番目)
★西門南柱の大猿本生(下から2番目)
★北門南柱の浮彫(下)

3つあるストゥーパ(仏塔)のうち紀元前1世紀に造られた第1ストゥーパが最も大きい(直径36.6m、高さ16.5m)。東洋美術の本に載っている図版やTVの映像をみて、いつかこの仏舎利の前に立とうと思っていたから、その夢が叶って感慨深い。石づくりのドームはなかに入れるものと想像していたが、これはなく周囲につくられている上と下の道を時計回りにぐるっと回るのみ。

目を楽しませてくれるのは東西南北4つの塔門と欄楯(石の囲いのこと)に彫られている浮彫彫刻。門柱や横梁には誕生、成道、初説法、涅槃といったブッダの生涯における重要な出来事(仏伝)やブッダの前生物語(本生譚)が日常的な風景のなかに生き生きと表現されている。

とくに興味深くみたのが本生譚。ブッダが生まれる前、動物や鳥に化身して無数の善行をなしたため、この世で悟りを開くことができ、仏教をこの国に普及させることができたという。その善行のひとつが自己犠牲。西門にはブッダが猿の王であったときの物語が描かれている。この話はアジャンタの17窟にもあったので、釘付けになってみた。

画面の中央から斜め右下にかけて川が流れており、上のほうで大きな猿が川をまたぐように体を水平にしている。この猿が橋になっているのである。どうして?あるとき、国王夫妻が上流から美味しいマンゴが流れてくるのを見つけた。で、川をさかのぼって行ってみると猿の群れがマンゴを貪り食べていた。

これは許せないと軍隊が猿に矢を射り、追いつめる。それをみて猿の王は猿たちを逃がすために自分が楯となり橋になるのである。インドにも弁慶の最後の場面と同じ話があった。これぞ美しき自己犠牲!

ブッダの入滅後、およそ500年間、仏像がつくられることはなかった。ここに彫られた仏伝図にはブッダの姿はなく、聖なる木、菩提樹とか法輪がブッダを暗示している。北門の浮彫には猿が菩提樹に蜂蜜を捧げている。

インドの紙幣にも使われている4頭の獅子が南門に彫られていた。、これがアショカ王のシンボルであることはここに来て知った。また、これはインドの国旗にも国章として使われている。海外旅行をするといろんな情報が入ってくる。

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2009.11.24

その八 ビンベトカの洞窟に1万年前の壁画が残っていた!

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このツアーはムンバイのあとは北上しながら世界遺産を訪ねていく。どこも名所観光は2~3時間で終了し、あとは長い時間を列車とバスのなかですごし、次の目的地に到着する。

ホテルを出発する時間はとても早い。サーンチー仏教遺跡群がメインとなる日、ボハールのホテルを出発したのは6時。モーニングコールが5時、荷物出しと朝食は5時半だからあわただしい。

サーンチーへ行く前に、まずボハールの南西45kmにあるビンベトカの丘へむかった。ここの洞窟に1万年前に描かれたという壁画を見るためである。現地に早く着きすぎて、ガイドさんの顔がみえない。そのうち到着するだろうと、途中までこの世界遺産を管理している人から説明してもらった。

★ビンベトカの洞窟の様子(上の画像)
★象と馬の壁画(真ん中)
★狩りの場面が描いた壁画(下)

ここは古代は海岸線に近い場所だったとみられており、岩が浸食された洞窟の内部には植物染料で描かれた壁画が沢山残っている。1957~58年に発見され、発掘調査は1975年まで続いた。壁画の色によって、その絵が描かれた年代がわかるという。白色は1万年前、赤は5000年前、黄色と緑は4500年前。植物染料には木を削るとでてくるミルクが混ぜられているため粘着性があり、色が落ちなくなっている。

象と馬がよく残っている絵は1万年前のもの。こういう古代の壁画をみるのははじめてだから、興奮しながらみた。狩の場面には虎、鹿、イノシシがみえる。ほかには牛の群れや人々のグループダンスの様子を描いたものなどがある。モティーフの描き方は平板だが、強い生命力やスピード感が十分感じられる。ここは情報がなく期待もしていなかったが、満足度は高く貴重な体験だった。

サーンチーのことは明日取り上げるが、ストゥーパ見学のあとに待っていたバスによるカジュラホまでの長時間移動について少し。

昼食後、Bさんから受けた説明ではホテルまでの所要時間は10時間。以前、トルコを旅行したとき7時間というのがあったが、これを上回る。カジュラホまでの距離を考えたら、どうしてそんなにかかるのか?だった。理由は20分もバスに乗っていればすぐわかる。道路が悪いので思うようにスピードが出せないのである。

このことはガイドブックに書いてあったし、旅行会社からも座席の揺れがひどいからクッションなどの対策を事前に案内されていた。で、隣の方はエアクッションを購入していた。だんだんその悪い道路事情が正体をあらわした。われわれは最後尾の席だったから、天井に頭をぶつけるのではないかと思われるほどの大きな揺れに見舞われた。まるで水の流れの速い河をゴムボートで河下りしているよう。

道路はアスファルト舗装されているが、古くなったところの穴ぼこがちゃんと補修されてないので、大きなおしりジャンプが断続的に起きるのである。これでも大変なのに、農村部へ入ると、アスファルト舗装ではなく土のままの路を走るので、バスの上下左右のガタガタはもっとひどくなる。

バスは途中トイレ休憩で2度停車したが、いわゆる‘青空トイレ’。インドの大地にちょっとエクスキューズ。ビールを飲んだ人がイレギュラーに‘ちょっと止めて!’も勿論OK。カジュラホには予定より2時間早く到着した。これは運がよかった。でも、8時間のバスの旅はさすがに疲れた。

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2009.11.23

3回目の高橋誠一郎浮世絵コレクション名品展!

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今日まで三井記念美で行われていた‘高橋誠一郎浮世絵コレクション名品展’(後期
11/3~11/23)を楽しんだ。後期にもいい絵がいくつも展示されているから、1点々に心が躍る。

お目当ての春信は9点。いずれも摺りの状態がとてもいい。とにかく日本にある春信はこの高橋コレクションが一番。とくに魅了されたのが季節柄‘萩’(上の画像)と‘風俗四季哥仙 仲秋’。‘萩’の草地の緑が目にしみる。また、‘双六のけんか’の仰向けにひっくり返った男の子につかみかかろうとしてとめられている真ん中の子の強そうなこと。何が気に入らなかったのだろうか?

今回の歌麿は9点。会期中全部で27点みせてもらった。初見が多くあったから大満足。こういういい歌麿をみると、もっと歌麿ワールドに浸りたくなる。楽しい気分にさせてくれたのは真ん中の‘俗二云ばくれん’と‘’高名美人六家撰 辰己路考。一度みたことのある‘ばくれん’は色の状態がダメだったから、画集に乗っているこの高橋コレクションとの対面を心待ちにしていた。

元気印の若い女が左手にゆでた蟹をもち、ギアマン製のグラスで酒をぐっと飲んでいる。その生気あふれる姿に思わず見とれてしまう。歌麿の次のターゲットのことを少し。来年開館30周年を迎える太田記念美は1月これを記念して館蔵品の特別展を開催する。そこに追っかけ作品‘北国五色墨 てっぽう’が展示されるのではないかと密に期待している。果たして?

美人画では華やかな衣装の文様が目にとびこんでくる渓斎英泉作、‘浮世美人見立三曲’に惹き込まれた。こういう3枚続のいい絵はなかなかお目にかかれない。流石という感じ。

風景画でじっくり見たのは歌川国貞の‘二見浦曙の図’と広重の‘本朝名所 相州江ノ島岩屋之図’(下)と‘阿波鳴門之風景’。

‘江ノ島岩屋’で目が釘付けになるのは浜辺に打ち寄せる大きな波。巨大なお化け波みたいで道を歩く人を上から呑み込みそうな気配。この大胆にデフォルメされた波頭を挟んで立っている松の枝がこれまた極端に折れ曲がっている。遠景にみえる帆掛け船は穏やかに航行しているのに、波打ち際はまことに荒々しい。

今年の浮世絵鑑賞は終わりに近づいているが、最後に楽しみな展覧会が一つ待ち受けている。それは渋谷のたばこと塩の博物館で21日からはじまった‘平木浮世絵コレクション展’(前期11/21~12/13、後期12/15~1/11)。近々でかけるつもり。

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その七 好きな(?)カレーに美味しい紅茶!

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インド料理といえばカレー。ホテルやレストランでの昼食、夕食には具やスパイシーさの違ういろんなタイプのカレーがでてくる。実はこのカレーがダメなのである。

カレーが食べられないというのではなく、我が家の食卓にのぼるカレーはおいしくいただいている。でも、回数は年に5,6回しかない。カレーをあまり食べないのはもともと香辛料系の料理が苦手だから。

★カレーとナン(上の画像)
★タンドリーチキン(下)

カレーが好きな人はインド旅行中は楽しくてしょうがないかもしれない。ところが、日本のカレーは食べられるが、インド式のスパイスのきいたカレーはダメとなると、メニューのなかには食べれるものがないのではと気が重くなる。出発する前から旅行中の食事には100%期待しておらず、食欲の減退は‘美欲’(My造語)で補うと覚悟を決めていた。

ホテルでの食事はバイキング方式。ずらっと並ぶ各種カレー料理にはまったく手をつけず、食べられそうなトマトスープとかクリームシチュー系のものを何度もおかわりをする。そして、焼きたてのナンをいくつも食べる。これは日本のお餅のようなもちもちした食感でお気に入り。結局、予想していたことではあるが、前回インドを訪れたときと同じ食べ方を繰り返すことになった。

ホテルによってはナンのほかに前菜として豆でつくったせんべいバーバルがでることもあった。ビールのつまみにちょうどいい。ビールは減量計画があるので毎日は飲まないことにしていたが、アジャンタ石窟をみたあとの昼食で飲んだ地元のビールがよく冷えていて最高にうまかった。

肉料理は牛肉も豚肉もなく、チキンとマトンのみ。ヨーグルトや色々な香辛料をつけて、タンドリーと呼ばれる円筒形の粘土製窯で焼き上げられたタンドリーチキンをはじめて食べた。ガイドブックに書いてある通り、香ばしさがあり、とても美味しい。隣の方は鶏嫌いで普段はNGなのに、珍しくこれはOKと食べていた。

フルーツはバナナ、マンゴー、ハイナップルが定番、これにスイカがあったりなかったり、オレンジはない。朝食のとき興味深かったのがトーストの焼き方。ここでは食パンがぐるっと回転して下に落ちてくる。

食後の飲み物は大方の人が紅茶をオーダーする。紅茶好きだから、熱いミルクティーを飲むと幸せな気分になる。一日目のデリー観光のとき立ち寄った紅茶専門店で買い込んだダージリンティーを日本に帰ってから、毎日飲んでいる。そして、お土産をわたすときは‘ミルクも熱ったかくしておくといいよ’と言い添えている。

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2009.11.22

その六 待望のアジャンタ石窟壁画・蓮華手菩薩と対面!

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今回のインド世界遺産めぐりで最もみたかったのはアジャンタ石窟寺院。アウランガバードからバスで2時間くらいのところにある。

30の仏教窟はワーグラー河の流れる狭い渓谷にそって馬蹄形に曲がった岩山の断崖につくられている。その時期は紀元前1世紀~紀元後1世紀(前期窟)と5世紀中頃~7世紀(後期窟)だが、石窟は1819年、虎狩りにやって来たイギリス人ジョン・スミスによって偶然発見されるまでは1千年間もジャングルに埋もれていた。

観光バスは石窟のすぐ近くまでは行けず、すこし離れた駐車場で待機。シャトルバスに乗り換え、5分でつく。ここからは段差のある石段道を登って第1窟まで行く。ここでも籠サービス(往復500ルピー、約1000円)がある。前日のエローラ観光で太ももの筋肉痛に見舞われた隣の方は真っ先に手をあげ、4人の担ぎ手にアシストされ軽快に進んでいく。キツイ歩きということはないが、気温は30℃を超えているから、少しは体力を消耗する。

★ワーグラー河に面したアジャンタ石窟群(上の画像)
★第1窟の内部(上から2番目)
★第1窟の壁画・蓮華手菩薩(下から2番目)
★第2窟の壁画・ブランコに乗っているナーガ姫(下)

2時間半の観光で中に入ったのは後期窟の1、2、16、17、19、26窟と前期窟の10窟。見学はいきなりお目当ての壁画がある1窟からはじまった。BS2生中継のビデオを目に焼き付けているので、現地ガイドさんの話を聞かず、‘蓮華手菩薩’を夢中になってみた。石窟内はどこも壁画の保護のため常設灯が無く、写真はフラッシュがダメで、ビデオ撮影もNG。

このヴィハーラ窟(僧院)の天井は写真のように低い。中央の奥に石づくりのブッダが鎮座しており、手前の壁には左に‘蓮華手菩薩’(白い菩薩ともいわれる)、右に‘金剛手菩薩’(黒い菩薩)が描かれている。‘蓮華手’の顔は眉がつながり、鼻筋を高くみせるため白のハイライトを入れている。視線を釘付けにするのが青い蓮華を持つやわらかい右手と腰のくびれ。彫刻でも絵画でも人体をこのように生身っぽく、官能的に表現するのは人々に宗教を親しみやすいものにするため。あとのカジュラホの寺院でどどっと出てくる。

この1窟について重要な情報がある。バスが駐車しているところに現在、白のドームが建設されている。ここに‘蓮華手菩薩’の精巧なレプリカを置き、5年後には1窟の中は見れなくなるという。壁画の損傷が今以上にひどくならないための措置だから致し方ない。こういう話はここへきてはじめて知ったが、いいタイミングでこの最高傑作がみれたものである。暢気にかまえていたら、悔いを残すところだった。ミューズのお導きに違いない。

天井や周りの壁に描かれているのはブッダの生涯をつづった仏伝とブッダの前生の化身を物語る本生の話。風俗画の形をとって精緻に表現されている本生の絵には惹きつけられるのがいくつもある。例えば、2窟ではナーガ姫がブランコに乗っていたり、17窟に描かれた鬼退治の‘シンハラ物語’では、酔っ払った女がリアルな姿で登場する。

幸運にも仏教美術の根源ともいうべきアジャンタ石窟の壁画を沢山見ることができた。嬉しくてたまらない。

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2009.11.21

その五 仏教窟のストゥーパ、ブッダの坐像に感激!

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エローラ石窟寺院群はデカン高原西部の商業都市、アウランガバードからバスで1時間くらいのところにある。エローラ観光のベース地になっているアウランガバードへ着くのにムンバイのチャントラパティ・シヴァージー・ターミナス駅からでている高速列車‘シャダプティー特急’で6時間かかった。ムンバイからは350kmなのにこのくらいかかるのである。

列車のなかは日本の新幹線に乗っている感じで、悪くない。停車駅に止まるたびに、食べ物売りやチャイ(紅茶)屋(皆男性)がどっと車両のなかに入ってくる。列車が走っているときはちゃんとした服装をした車内サービス係がチャイを売りにくるのだが、止まる駅では現地人に営業を認めているのである。その連中に上半身裸の子供が数人まぎれこみ、車内清掃を買ってでて物乞いをする。これには参った!しばらく見ていると客にたたかれて追い出されてしまった。

予定より30分早くアウランガバードにつくと、ホテルでの遅い夕食に気がはやる。現地添乗員のBさんは手際よくポーターとの値段交渉を終え、参加者に‘バスのところまで自分のトランクを運んでくれるポーターについていって下さい’と声をかける。ポーターの怪力ぶりに目が点になった。なんと頭の上に2つ、両肩に2つ。この格好で階段を登っていくのである。

エローラにある仏教窟は7世紀~8世紀前半、ジャイナ教窟は8世紀以降に造られた。
★仏教窟10窟の正面(上の画像)
★10窟内のストゥーパとブッダの坐像(上から2番目)
★仏教窟12窟のブッダ像(下から2番目)
★ジャイナ教窟32窟のヤクシュとヤクシャニ(下)

10窟の正面は綺麗に装飾され、中央の三つ葉のような窓の上にはアプサラ(天女)が左右に彫られ、美しいポーズで空を飛んでいる。ここはチャイチィア窟(礼拝堂)で中には高さ8mのストゥーパ(仏舎利塔)があり、その前にブッダ(4.5m)が腰をかけている。

馬蹄形にくりぬかれた天井には半円状のリブが連なっており、下のストゥーパやブッダをやわらかくつつみこんでいる感じ。静かな空間のなか、Bさんがストゥーパの後ろで大きな声をだすと、その音がエコーをきかせて美しく鳴り響いた。ブッダの心と一体になったような気がした。

12窟はヴィハーラ窟(僧院)なので正面は装飾性がない。3階建になっており、修行僧が眠るために掘られた部屋には石のベッドや枕がある。印象深かったのが3階にある7つのブッダ像。瞑想する顔をじっとながめていた。

仏教と同じころに誕生したジャイナ教はなじみがない。最後に行った32窟は本殿の前に象がいたりして、ミニカイラーサ寺院風。造り方も同じで岩山から掘り出されてできあがった。まつってある開祖、マハーヴィーラの像はブッダ像とよく似ている。

ヤクシュはスッポンポンだが、これが実に自然。隣の方はアグラからデリーへ向かうバスの窓から、歩道にじっと立っている素っ裸のジャイナ教の修行僧をみたという。この国ではこういう僧には公然猥褻罪は適用されない。女性の像はヒンドゥー教のものと同じく豊かな乳房が特徴。入り口のところにあった‘マンゴの木の下で獅子に乗っている女神像’に強く魅せられた。

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2009.11.20

皇室の名宝展2期 その二 正倉院宝物にうっとり!

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正倉院の宝物が恒例の奈良博の‘正倉院展’ではなくて、東博で開催される特別展でみられるのはとても有難い。正倉院展はまだ1度しか体験してないが、ここで毎年お宝中のお宝がでるわけではない。今回出ているもののなかには誰の目にもトップランクのお宝とわかるものがいくつもあるのだから、二重の喜びである。

絵画を見た後目指したのが上の‘螺鈿紫檀阮咸’(らでんしたんのげんかん)。阮咸は琵琶と同類の楽器で、これは背面。チラシでこれを目にして以来、見たくてしょうがなかった。視線が集まるのが飾り紐をくわえている二羽の鸚鵡。ヤコウガイの輝きを腰をかがめたりして楽しむとともに、瑇瑁(たいまい、べっこうのこと)の赤や琥珀の艶やかな色をうっとり眺めていた。

螺鈿の名品がもうふたつある。真ん中の‘平螺鈿背円鏡’と下の‘紺玉帯’を収納する‘螺鈿箱’。‘平螺鈿’は背円いっぱいに散りばめられたヤコウガイに目がくらくらする。これほど多くのヤコウガイの小片が集められた螺鈿は見たことがない。まったくすばらしい!光にあたって輝くうすピンクや緑を体全身で感じようとかがんで下から見上げてみた。

ヤコウガイの白に浮き上がるのが目の覚める深紅の琥珀。文様は花びらだけのようにみえるが、よくみると上と真ん中あたりに二羽の鳥が、中央近くに獅子、そして一番下のところに犀はおり、いずれも左右対称に配置されている。また、文様と文様の間の黒地に散らされた青や緑のトルコ石の点々が心に響く。

正倉院に極上の螺鈿細工があることは手元にある週刊朝日の‘皇室の名宝’(99年)で承知していたが、本物を見ると心が蕩けそうになる。‘螺鈿紫檀’と‘平螺鈿’を目のなかにおさめたから、次の追っかけは‘螺鈿紫檀五弦琵琶’(北倉)と‘瑇瑁螺鈿八角箱’(中倉)。正倉院展の時期には出品作を定点チェックしようと思う。

‘紺玉帯’はデザインがあまりに現代的なので、思わず‘自分のベルトと取り替えてくれない?’と言いたくなった。目を惹くのが四角形や蒲鉾形のラピスラズリの飾り。出来た当時は青色がそれはそれは輝いていたことだろう。

足をとめてじっくりみたのは他にもある。入場してすぐの混雑が半端じゃあないところにあった‘人物埴輪 女子頭部’。これは10年前にも出ていたから馴染み深い。ペルシャ風の水瓶、‘漆胡瓶’はガチョウの嘴みたいな注ぎ口に目をとられて、胴の文様を見るのがついつい疎かになってしまった。

前期は2回みたので、もう1回出かけるかもしれない。どの時間帯に出動するか思案中。

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その四 驚愕のエローラ石窟群・カイラーサ寺院!

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インド美術ですぐ思いつくのは高校生のとき世界史で習った‘タージ・マハル’とアジャンタ石窟寺院に描かれた‘蓮華手菩薩’。が、エローラ石窟群にあるヒンドゥー教のカイラーサ寺院のことは7年前まではまったく知らなかった。

幸いにも02年、NHKのBS2で生中継された‘インド心の大地、エローラ・アジャンタ石窟寺院’を見たお陰で、この驚異の巨大石窟寺院の前に立つことができた。念願が叶って今は満ち足りた気分である。

玄武岩の大地、デカン高原のなだらかな斜面を掘り起こしてつくられた石窟寺院は南北2kmにわたって34窟ある。おもしろいことにここには多宗教国家インドの特徴がでており、ヒンドゥー教(17窟)、仏教(12窟)、ジャイナ教(5窟)が横に並んでいる。

2時間の観光で窟のなかに入ったのは仏教窟の第10窟、12窟、カイラーサ寺院の16窟、ジャイナ教の32窟。お目当てのカイラーサ寺院に胸が高まる。

★カイラーサ寺院・本殿、拝殿(上の画像)
★本殿の最後尾(上から2番目)
★後方からみた前殿と石柱(下から2番目)
★拝殿の壁面を飾るレリーフ‘マーラーヤナの物語’(下)

旅行へ出かける前、ビデオ収録したBS2の番組でこの寺院の鑑賞をシミュレーションしていた。映像でみるとものすごく巨大な寺院のイメージだったが、これはイメージが膨らみすぎていた。

シヴァ神をまつったこの寺院は幅35m、奥行60mの広さで、本殿の高さは32mある。2番目の写真でわかるように、最後尾で垂直の岩肌と象たちが支える山の形をした本殿を見あげるとその巨大さに圧倒される。

これは石を積み上げてつくったのではなく、岩山を真上から下に堀っていき、寺院の形に掘り残したのである。100年近くの歳月をかけて、何千、何万の職人がひと掘り、ひと削りに祈りをこめてこの巨大な寺院をつくりあげた。

内部をくりぬかれた本殿や拝殿も壁面の彫刻も入り口のところにいる象も17mの石柱もみなもとはひとつの大きな岩山だったのである。ラーシュトラクータ朝のクリシュナ1世(在位757~783年)の治世下に大半が完成したと考えられている。

壮大な寺院建造プロジェクトだったことに思いを馳せ、隣の方と‘凄いネ、凄いネ!’を連発しながら見てまわった。寺院の名前のカイラーサはヒマラヤ山脈の西側に位置する聖山のことで、シヴァ神はこの山を棲家にしていた。

時間がたっふりあるわけではないから、本殿や回廊、塔に施されている見事な彫刻やレリーフはガイドさんがピックアップして説明してくれるものを見るので精一杯だが、事前のビデオ鑑賞が役に立った。

現地ライブで紹介されたもので関心の高かった‘踊るシヴァ神’とか‘カイラーサを揺るがす魔神ラーヴァナ像’とか飛ぶ姿が動感豊かに表現されている‘アプサラ(天女)’、ガンガー女神ら‘三河神像’、‘マーラーヤナの物語’などを双眼鏡をのぞいたりして得心がゆくまでみることができた。

本当に凄いものをみた。この寺院は一生の思い出になる。

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2009.11.19

皇室の名宝展2期 その一 絵師草子にやっと会えた!

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東博で開催中の‘皇室の名宝展2期 正倉院宝物と書・絵巻の名品’(11/12~11/29)を心ゆくまで楽しんだ。1期に続いて絵画、工芸、書の名品がずらっと展示されているから、腹の底から嬉しくなる。こういう名品はこの先10年はお目にかかれないので、目に力をいれてみた。

目だけではなく、足にもぐっと力を入れてないと、列をなす大勢の人々に作品の前からはじき出されそうになる。平日の10時に入館したのに、館内は人、人でごった返している。古墳時代の銅鐸や鏡が展示してある最初の部屋は混み具合がすごいので、すぐ見る順番を変えて、絵画が展示されている第二会場へむかった。

そこにありました、あしました!お目当ての上の‘絵師草子’(鎌倉時代ー南北朝時代、14世紀)が。これは10年前、展示替えで見る機会がなく、06年にあった‘大絵巻展’(京博)のときは一番みたい上の場面ではなかった。やっと、思いの丈が叶えられた。この貧乏絵師が陽気に踊る姿が実にいいし、女たちもうれしくてたまらないといった様子。おもしろいことに手前の横から描かれた女の子の顔は‘小野道風像’の顔とよく似ている。

‘春日権現験記絵巻’(真ん中、鎌倉時代・1309年)を見るのは3度目。最初の出会いは16年前にあった‘やまと絵展’(東博)、次が10年前の名宝展。この10年ではたしか一度も展覧会に出品されていないと記憶している。これは日本画では別格扱いの絵。今回の場面で熱心に見たのは大工職人の場面。職人たちは縦に並んで墨をはじいて板に線をつけたり、ノミで削ったり、かんなをかけている。

とくに目が点になるのがくるっと曲がったかんなの小さな削りかす。リアリティのある表現に感心する。上部では休憩中の男たちが一杯やって顔を赤らめており、その左には乞食がお椀をもって物乞いをしている。これをみれたのは大きな収穫。ほかの場面で足がとまったのは最後の山々に雪が積もっているところ。雪の質感描写が見事!

下の‘蒙古襲来絵詞’(鎌倉時代、13世紀)の馬の腹からしたたりおちる赤い血は強烈なインパクトをもっている。すごい絵である。この絵と再会できた幸せを噛み締めながら見ていた。

初見の絵で魅了されたのは狩野探幽の‘井手玉川・大井川図屏風’。これは前回見逃したので、注目していた絵。左隻に描かれた紅葉の下をいかだが斜めに下ってゆく構成にとても惹かれる。そして、目を楽しませてくれたのが最後に飾ってあった狩野永岳の舞楽の絵‘散手・貴徳図衝立’。そのシャープな色調にぐっと惹き込まれたので、‘絵師草子’同様、大きな○をすぐつけた。

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その三 心を揺すぶるエレファンタ島石窟寺院のシヴァ神像!

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インド最大の都市ムンバイでの市内観光はイギリスの植民地時代に建てられたゴシック様式のチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(2004年、世界遺産に登録)の前で写真を撮るだけで、メインはムンバイ湾から10kmのところにあるエレファント島の石窟寺院。フェリーはインド門からでており、1時間くらいで着く。

★インド門&タージ・マハル・ホテル(上の画像)
★石窟寺院の3面のシヴァ像(真ん中)
★シヴァの神話場面、‘ガンジス河の降下’(下)

前回ここへ来たときもエレファント島ヘは出かけたから、インド門(1911年)はなつかしく思い出された。でも、背景にあるムンバイのランドマークになっている超高級ホテル、タージ・マハルのことはまったく忘れていた。だから、旧館(向かって左)の豪華絢爛な造りを見て、ここが昨年11月26日、同時多発テロが起きた現場のひとつだったことをあらためて認識する始末。現在も一部は封鎖されたまま。それにしても、前回どうして写真を撮らなかったのだろう?

ムンバイの今の気温は33℃くらい、デリーより4℃ほど高い。服装は当然、半袖。夏を2回体験しているみたいなもの。フェリーのなかでは風が吹いているからそれほど暑さを感じないが、エレファンタ島に着いてからは汗が吹き出してくる。石窟は高いところにあるため、そこまでは石段を登る。楽な傾斜でもないから、籠のサービスを頼む女性も何人かいる。

この石窟はヒンドゥー教で最も信仰されているシヴァ神に捧げられた。これをつくったのは当時この地を支配していたカラチュリ朝のクリシュナラージャ1世(在位550~75年頃)。幅40mの列柱つきの広間に大きな3つの顔をもつシヴァ神像のほか‘ガンジス河の降下’など8つのシヴァの神話場面が浮彫で表現されている。

見所の一番はなんといっても3面のシヴァ像。中央の瞼をとじて瞑想する静寂な顔つきが心をとらえてはなさない。向かって左側の顔は忿怒の表情をしており、口ひげはよじれ、眉はつりあがっている。シヴァ神は破壊力でも知られ、時間(カーラ)、死(ヤマ)、暗黒(アンダカ)などさまざまな悪の力と戦うときは暴風雨のような凶暴な側面をみせる。これに対し、右の厚い唇を持った顔は美しい神妃パールヴァティーの幸せな表情をあらわしている。

‘ガンジス河の降下’の話はこう。ヒンドゥー教の神話によると、ガンジス河は天界を流れていた。伝説上の王バギラータの祖先が天国に入るためにはかれらの遺骨をガンジス河の水で清めなければならない。王はこれを発願して苦行すると、この祈りが天に届き、ガンジス河はもし誰かが強力な河の流れを受け止めることができたなら、地上に降りてくることにOKサインをだす。そこで王はシヴァ神に頼んだ。謹厳なバギラータに心を動かされたシヴァ神は頭で流れの強い河を受け止めた。河は千年もの間シヴァ神の髪のなかでさまよったあげくに、やっと細い川になって流れ出した。そして、バギラータの祖先は救われた。

レリーフには中央のシヴァ神の足元にバギラータが跪き、河の衝撃を頭髭で受け止めることを懇願している場面が描かれている。シヴァ神のもつれた髪の上で3つの頭をもつガンガー女神の姿で表されているのが3本の支流が合流するガンジス河。シヴァ神の右にいるのは最愛の妃パールヴァティーだが、ほかの女性を助けたので嫉妬し、ちょっと離れている。

シヴァ神にしてみれば‘バギラータのためにしたことなのだから、そんなに拗ねないでよ!’と言いたいところだろう。だが、シヴァはその後、ガンガー女神を第2妃にしているから、パールヴァティーの女心は一人勝手なものでもない。

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