美術館に乾杯! 国立西洋美術館 その四
モローの‘牢獄のサロメ’(1876年)
ゴーギャンの‘海辺に立つブルターニュの少女たち’(1889年)
回顧展に遭遇したことでその画家に対する評価がぐんと上がることがある。
そのエポック的な体験となったのが2008年、西洋美で開催されたコロー
(1796~1875)、2013年のカイユボット(ア―ティゾン美)、
2016年のメアリー・カサット(横浜美)。コローについては名前は知
ってはいたがのめりこむほど魅せられてはいなかった。でも、それは作品
に接した回数が少なかったからだと回顧展をみてわかった。
展覧会の目玉となった‘モルトフォンテーヌの想い出’やダ・ヴィンチのモナ
リザを彷彿とさせる‘真珠の女’(ともにルーヴル蔵)をパリではみた覚えが
なく、東京で感心しているのだからまったくズレた絵画鑑賞をしていたこ
とになる。人物入りの風景画‘ナポリの浜の想い出’もなかなかいい。
2年前、汐留美術館で回顧展が開かれたモロー(1826~1898)。
日本の美術館では大原、ア―ティゾン、横浜にもあり、西洋美が所蔵して
いるのはモローの代名詞ともなっているサロメ。この‘牢獄のサロメ’はヨハ
ネ斬首のヴァリエーションの1枚、左奥でヨハネの首が斬り落とされようと
している。
セガンティーニ(1858~1899)の‘羊の剪毛’やムンクの大きな絵‘雪
の中の労働者たち’にお目にかかれるのは嬉しいかぎり。大原にある‘アルプ
スの真昼’でセガンティーニの名前がインプットされ、とても気になる画家
になった。夢はスイスのサンモリッツにあるセガンティ-二美にでかけ‘生’、
‘自然’、‘死’の‘アルプス三部作’をみること。果たして、実現するだろうか。
ムンクは一足先にオスロで‘叫び’に対面し、長年の思いの丈を叶えた。この
ため労働者を描いた絵にも敏感に反応する。
西洋美が主催した印象派・ポスト印象派展で忘れられないのは1988年
にあった‘ジャポニスム展’、1994年の‘バーンズコレクション展’、そして
2009年の‘ゴーギャン展’。趣味はなんでも長く続けているとときどき信
じられないような出来事にぶちあたる。ゴーギャン(1848~1903)
の代表作、‘我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか’
(ボストン美)が日本でみれるのだから天にも昇る気持ち。‘海辺に立つブル
ターニュの少女たち’もしっかり主役をひきたてていた。
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