2017.03.29

美術館に乾杯! コートールド美 その七

Img_0001_2     ゴーギャンの‘テ・レリオア(夢)’(1897年)

Img_0002_2     ゴーギャンの‘ネヴァーモア’(1897年)

Img_2     ゴッホの‘耳に包帯をした自画像’(1889年)

Img_0003_2     シスレーの‘ルーヴシエンヌの雪’(1874年)

ある画家の画集に載った有名な作品を複数以上美術館が所蔵しているとすると、その美術館はその画家とのつながりで記憶されることになる。ゴーギャン(1848~1903)が思い浮かぶ美術館をざっとあげてみると、オルセー、コートールド、エルミタージュ、プーシキン、メトロポリタン、ワシントンナショナルギャラリー。

コートールドにある傑作は‘テ・レリオア(夢)’と‘ネヴァーモア’、この存在感のあるタヒチの女を描いた作品は1997年日本橋高島屋で開催されたコートールド美展に出品されたし、2010年ロンドンのテートモダンで行われた大ゴーギャン展にも揃って飾られ、その強い磁力によって多くの美術ファンの視線を釘づけにしていた。また、図録の表紙に使われたのは‘ネヴァーモア’。

コートールの2点に加えてエジンバラのスコットランド国立美には有名な‘説教のあとの幻影’と昨年日本にやって来た‘タヒチの3人’がある。イギリスはまさにゴーギャンの宝庫。

ゴッホ(1853~1890)の‘耳に包帯をした自画像’も高島屋にやってきたが、ゴッホのいい絵がオルセーやアムスのゴッホ美、オッテルローのクレラー=ミュラー美以外の美術館から出品されるのは本当に限られた機会なので、この包帯姿のゴッホを息を呑んでみていた。‘この包帯の下は耳がちょん切れているのか!’そんな目でゴッホと向かいあった。

コートールドには印象派は一通り揃っており、シスレー(1839~1899)もある。モネは雪の光景を比較的多く描いたが、シスレーも‘ルーヴシエンヌの雪’を見事にとらえた。シスレーというと‘青い空と白い雲’の画家という思い込みがあるが、こんなしっとりした雪の情景も描いていた。

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2017.03.28

美術館に乾杯! コートールド美 その六

Img     セザンヌの‘カード遊びをする男たち’(1892~95年)

Img_0001     セザンヌの‘石膏のキューピッド像のある静物’(1894年)

Img_0002     セザンヌの‘サント・ヴィクトワール山’(1887年)

Img_0004     セザンヌの‘アヌシー湖’(1896年)

先般、‘スラブ叙事詩’を目玉とするミュシャ展や草間彌生展が行われている国立新美へ出かけたとき、嬉しい展覧会チラシが目に入った。2018年の2月からここで‘至上の印象派展 ビュールレ・コレクション’(2/14~5/7)が開催されるようで、以前やって来たことのあるルノワールの‘イレーヌ嬢の肖像’が掲載されている。

印象派の本によくでてくるチューリッヒにあるビュールレ・コレクション、2014年秋に国立新美は‘チューリヒ美展’を行い多くの美術ファンを楽しませてくれたが、そのときの情報だとチューリヒ美は2017年に新館が完成し、
ビュールレ・コレクション財団との統合も進みことがわかった。

となると、来年やってくるビュールレ・コレクションの作品は統合により生まれた大美術館からの出品ということになる。チラシにはルノワールとモネの睡蓮の2点しか載ってないが、ほかにどんな絵が登場するのだろうか。期待したいのがセザンヌ(1839~1906)の‘赤いチョッキの少年’、これはお宝すぎて無理?果たして。

2015年12月にフィラデルフィア美を再訪した際、2013年に見逃した‘大水浴図’をようやくみることができたので、ひとまずセザンヌは済マークをつけることにした。といっても追っかけをやめるというのではなく、次のターゲットは時間をかけてつぶしていこうという作戦。その狙い目トップ2点が‘赤いチョッキの少年’とモスクワのプーシキン美にあるピエロを描いた‘マルディ・グラ’。

このようにセザンヌのみたい絵はミューズのお陰で大方目に入った。セザンヌとのつきあいのはじまりがオルセーとコートールドの所蔵品。だから、‘カード遊びをする男たち’、‘石膏のキューピッド像のある静物’、‘サント・ヴィクトワール山’、‘アヌシー湖’はどれも目に焼きついている。

2010年にコートールへ来たとき‘カード遊び’をテーマにしたミニセザンヌ展が開かれていた。なんという幸運!5点ある‘カード遊びをする男たち’のうちバーンズコレクションを除く4点が結集していたので楽しくてたまらなかった。

また、風景画の‘アヌシー湖’は思い入れのある作品。若いころジュネーブに住んでいたが、フランスにあるこの湖はジュネーブからそう遠くないところにあるので一度クルマで出かけた。その記憶はだいぶ薄れているが、この絵をみるとこんな風な景色だったなとかすかに思い出す。

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2017.03.27

美術館に乾杯! コートールド美 その五

Img_0001     ドガの‘舞台の二人の踊り子’(1874年)

Img_0002     ロートレックの‘ボックス席の夕食’(1899年)

Img     スーラの‘化粧する若い女’(1886~90年)

Img_0003     スーラの‘クールブヴォアの朝’(1887年)

バレエの舞台が好きだったドガ(1834~1917)には踊り子をピンポイントで描いたものと本番の前の稽古にのぞんでいる踊り子たちをいろんな姿でみせるものがある。前者の代表作がオルセーにある‘エトワール’とコートールドが所蔵する‘舞台の二人の踊り子’。

‘エトワール’が手を大きくのばした踊り子を上のほうから眺めるような格好でとらえたのに対し、‘舞台の二人の踊り子’は足のつま先立ちとㇵの字をつくる足をみせるバレエらしい姿。本物のバレエの舞台は数回したみたことがないが、目に焼きつくのはなんといってもつま先立ち。だから、好みはコートールドのほう。

ロートレック(1864~1901)の‘ボックス席の夕食’は真っ赤な口紅を塗ったモデルの天真爛漫な微笑みが強く心に残る作品。ロートレックはモンマルトルで働く娼婦たちに可愛がられたからモデルを手配するのに苦労しなかった。この女も‘おちびちゃん、いいわよ、あの旦那も一緒に描くのかい、でもあの人の面が割れるように描いちゃダメよ。今後の商売に影響するからね’とかなんとか軽口をたたきながらポーズをとったにちがいない。

点描画家のスーラを1点でも多くみたいと願っているので、どの美術館にどの絵があるというのはおおよそ頭に入っている。ここは画集に必ず登場する‘化粧する若い女’と‘クールブヴォアの朝’を揃えている。日本には同じ展覧会ではないが、どちらもやって来た。

‘化粧する若い女’でおもしろいのは右手にもっているパフのあたりを中心にして後ろの部屋の壁に渦巻が白く描かれていること。この曲線に呼応するように、女性のスカートにも巻貝のような丸い輪ができている。そのため象徴主義の作品にみられる神秘的な雰囲気が感じられる。

一方、風景画のほうは音が消えたような静謐な世界。人物、木々、工場の煙突、ヨットのマストはみんな真っすぐな垂直線で整然と並んでいる。確かに、何も考えずに川岸に立ち遠くをみると目の前の光景がこういうふうに見えることがある。水平線や垂直線でつくられた構図は絵画の表現に深い意味をもたせるのに大きな役割をはたしていることがこういう絵をみるとよくわかる。

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2017.03.26

新横綱 稀勢の里 奇跡の逆転優勝!

Img   優勝決定戦で照ノ富士を小手投げで下した稀勢の里

Img_0002   新横綱の優勝は22年ぶりの快挙!

小さい頃から大相撲をみているが、今日の新横綱稀勢の里の逆転優勝は長く記憶に残る感動の一番だった。13日に日馬富士との一戦で左肩から腕のあたりを痛めた稀勢の里が昨日強行出場したものの力がでず鶴竜に破れ、誰がみても千秋楽の照ノ富士戦もダメだと思われた。

ところが、相撲はとってみないとわからない。1敗でトップにたつ照ノ富士を稀勢の里は奇襲の立ち会いのあと動き回りなんと突き落としで仕留めた。照ノ富士はどうも左膝がまた痛み出したようでそのため足の運びがスムーズにいかない。だから、稀勢の里の右からのつきにあっさり転がった。これで優勝は決定戦にもちこまれた。

稀勢の里は今場所は一番々冷静に考えてとっていた。無理な体勢で寄り立てず有利な形にしてから勝負をつける相撲を12日まで続けていた。横綱になってプレッシャーから解放され、自分の強さはどういう形になると一番発揮できるかを頭の中で終始考えられるようになったのは大きな進歩。

決定戦の最後の仕切りをみるとどうやって勝つかをイメージしているような顔つきだった。立ち会いで照ノ富士に刺し込まれたが土俵際粘りながら強い右の腕力をいかした渾身の小手投げ、これが決まり奇跡の逆転優勝を呼び込んだ。呆然とする照ノ富士、勝利の女神は2回も稀勢の里に微笑んだ。

連続優勝した稀勢の里はこれからどんどん人気が出てくる。ケガの状態が心配だが、これほどの負傷にも強い精神力で土俵にあがるのだからもう横綱の心をもっている。並みの力士ではこんなことはできない。治療に専念し早く元の体にもどし、さらに強い横綱になってもらいたい。

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2017.03.25

美術館に乾杯! コートールド美 その四

Img    マネの‘フォリー=ベルジェールのバー’(1881~1882年)

Img_0001     ルノワールの‘桟敷席’(1874年)

Img_0003     モネの‘アンティーブ’(1888年)

Img_0002    ピサロの‘ロードシップ・レイン駅、ダリッジ’(1871年)

絵を鑑賞するとき抽象画を除いてキャンバスに何が描かれているかはだいたいわかる。ところが、ときどきその理解が説明書きによって覆されることがある。マネ(1832~1883)が最晩年に描いた‘フォリー=ベルジェールのバー’はそんな絵のひとつ。

視線は中央にどんと描かれた給仕女にまずいく。そのあと後ろでお客と話し込んでいる別の女へと関心が移る。楕円形のようなカウンターがあって後ろのカウンターの向こうには椅子席がありそこに大勢に人が座っいる。これがしばらくみたあとにいだくこの絵の場面。

でも、これが大外れ!給仕の女のすぐ後ろには鏡があってそこに女の後ろ姿が映っているのである。そして、椅子に座っているようにみえる人たちはカウンターのこちら側にいるお客たち。絵の解説にはそう書いてあるが、女と鏡像の位置関係がなんとも不自然。だって、女の前には帽子をかぶった男はいないのだから。

この絵をみてマネの才能はスゴイなと思った。普通の画家はこんなトリッキーな絵は描かない。キュビスムと同じようにここには複数の視点が同居しており、想像をふくらませると見る者は移動すると立体的な画面が回転しているようにみえる。

ルノワール(1841~1919)の‘桟敷席’は大のお気に入りにでMy好きなルノワールのベスト5に入れている。若いころのルノワールはマネのように黒の使い方はとても上手い。コートールドのコレクションのお宝中のお宝がマネの絵とこのルノワール、もう最高!

モネ(1840~1926)の‘アンティーブ’は前景に斜めに傾く木が大きく描かれた大胆な構図から浮世絵の影響をイメージする人が多くいるにちがいない。通常の西洋画の学校では風景画にこんな目障りな木を中心にもってくることは教えない。だから、印象派は伝統的な絵画を打つ破ることから出発している。われわれ日本人は広重のこういう絵に慣れているのですっと入っていけるが、当時は違和感がありすぎ落ち着かない絵だったことだろう。

ピサロ(1830~1903)で一番好きなのが‘ロードシップ・レイン駅、ダリッジ’。手間にある歩道橋からみた列車の光景だが、画面中央、正面向きの列車がこちらに近づいてくるスピード感が量感のある煙の流れる様によって力強く伝わってくる感じがよくでており、臨場感にあふれている。

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2017.03.24

美術館に乾杯! コートールド美 その三

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Img    ゴヤの‘ドン・フランシスコ・デ・サーヴェドラ’(1798年)

Img_0002  ゲインズバラの‘ゲインズバラ夫人マーガレットの肖像’(1778年)

Img_0003     ターナーの‘難破後の夜明け’(1841年)

ロンドンはパリやNY同様、観光で出かけても楽しい大都市だが、美術が好きだとその楽しみは3倍重ね。2010年に訪問したときは観光バスツアーを1日パスして全部で9つも美術館を回った。はじめてでかけたコートールドはナショナルギャラリーからはそう遠くはなく1キロちょっとのところにある。地下鉄利用ならテンプル駅で下車。

日本橋高島屋で公開されたコートールドコレクションには古典絵画や18世紀のころの作品は含まれておらず有名な印象派やゴッホ、ゴーギャンが中心だった。そのため、ゴヤ(1746~1851)の肖像画に出くわすとここがプラドの分館のように錯覚してしまう。

この人物はカルロス4世時代に財務大臣を務めたドン・フランシスコ・デ・サーヴェドラでゴヤを支援していた自由進歩派の法務大臣ホベリャーノスの友人、そのためゴヤは気合を入れて描いたにちがいない。ベラスケスもゴヤも本当に肖像画の名手。こんなにいい作品がさらっと飾ってあるのだからすごい。

ゲインズバラ(1727~1788)の肖像画はナショナルギャラリーではずらっと並びメトロポリタンやワシントンの国立新でもお目にかかるが、正直言って前のめりになってはみていない。だが、コートールドにある夫人のマーガレットを描いたものは素直にいいなと思う。見慣れた全身像ではなく上半身だけが大きく描かれているので、夫人の品の良さがそのまま伝わって来る。ゲインズバラは身内だから脚色せず素のままを描いたのかもしれない。

ターナー(1775~1851)の‘難破後の夜明け’は‘吠える犬’とも呼ばれている。犬が登場する作品はよく目にするが空にむかって吠えている姿はみたことがない。船が難破したあとの情景を思うとこの場に居合わせたら犬の泣き声が耳にズキン々と入ってくることだろう。

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2017.03.23

美術館に乾杯! コートールド美 その二

Img_0002    クラーナハの‘アダムとイヴ’(1526年)

Img_0003     ブリューゲルの‘エジプトへの逃避途上の風景’(1563年)

Img     ルーベンスの‘月明りの風景’(1635~1640年)

Img_0001     ルーベンスの‘ヤン・ブリューゲルの家族’(1613年)

先週の土曜日(25日)から六本木の森アーツセンターギャラリーではじまった‘大エルミタージュ美展’(~6/18)へ出かけるかどうかで今迷っている。未見の作品がひとつ気になるが、チラシに載っているものの半分はすでにみている。1枚の絵のために足を運ぶべきか、まだふんぎれない。

そのみたくなる絵はクラーナハ(1472~1553)の‘林檎の下の聖母子’、昨年西洋美で回顧展があり以前とくらべクラーナハの魅力の感じ方が変わってきたせいで、この聖母のモデルが気になってしょうがない。しばらく心は揺れ動きそう。

コートールドコレクションにもクラーナハの‘アダムとイヴ’がある。楽園には蛇もいればライオンも鹿もいるが、野生の動物園のように描くのは主流派とは異なるスタイル。たくさんの動物や鳥たちに囲まれたアダムは林檎を食べることがNGであるという意識が薄れてしまう。もっと自然に生きたい。もう食べるのは止められない。
高価なキャビアは簡単に手をだすことはないが、林檎を食べるという小さな欲望は誰だってコントロールできない。それが原罪になるのだからキリスト教は息苦しい。

ここには嬉しいことにブリューゲル(1525~1569)が2点もある、‘エジプトへの逃避途上の風景’と灰色のグリザイユで描かれた‘キリストと姦淫の女’、ともに小さな絵だがブリューゲルと会っていると思うとじっとみてしまう。

バロックの巨匠、ルーベンス(1577~1640)が晩年ブリューゲルの風景画の影響を受け、とても心を打つ山々の情景や農民たちの生活を描いている。‘月明りの風景’はお気に入りの一枚。とくに魅了されるのが点々と輝く星々、西洋画で星の絵はほとんどお目ににかからないが、今国立新美に飾れているミュシャの‘スラブ叙事詩’でではの最初に描かれた‘原故郷のスラブ民族’に美しい星々がでてくる。コートールドでも思い出が蘇った。

ルーベンスは花の画家と呼ばれたぶブリューゲルの息子ヤン(1568~1625)とうまがあったようで、二人は共作している。だから、ヤンの家族を描いたこの肖像画もとてもいい感じ。ブリューゲル親子とコラボしたルーベンスのことを知れば知るほど、ルーベンスが描いた風景画を追っかけたくなる。

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2017.03.22

美術館に乾杯! コートールド美 その一

Img    コートールド美の外観

Img_0001    ボッティチェッリの‘コンヴェルテイーテ祭壇画’(1494年)

Img_0002     マセイスの‘聖母子と天使たち’(1509年)

Img_0003     パルミジャニーノの‘聖母子’(1528年)

日本では印象派やポスト印象派の展覧会が頻繁に開かれるから、まめに足を運べば海外にある質の高い印象派コレクションを相当数見ることができる。そのなかで忘れられないのが2つある。フィラデルフィアのバーンズコレクション(1994年 西洋美)とロンドンのコートールドコレクション(1997年 日本橋高島屋)。

ともにここにもあそこにも名画があるという感じだった。マネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャンらの有名な絵がごそっとやって来たコートールド美の展覧会はどういうわけか日本橋高島屋で数年間のうちに2回も開催された。だから、ロンドンにもう行く必要なしかと思われた。そんなこともあり、2010年にようやくコートールド美の訪問が実現した。

この美術館はいわゆる邸宅美術館で展示の部屋数が多くない。でも、飾られている作品は一級品ぞろい。数は少ないが古典絵画もある。最も魅せられるのはボッティチェッリ(1445~1510)の‘コンヴェルティーテ祭壇画’、誰もが目が点になりそうなのが左にいるマグダラのマリアの姿。

髪の毛が伸びて伸びてなんと体全体を覆っている。この髪ファッション、意外にいける。コンヴェルティーテは‘悔悛せし者たち’という意味、娼婦だったマグダラのマリアは悔悛し髪がこれほど長くなるまで修行を重ねたのだからエライ!

マグダラのマリアの足元をみるとまたハットする。小人のように描かれたトビアスと大天使ラファエル、絵画作品をたくさんみてきたが、こういうガリバーと小人たちの場面に遭遇したのはこの絵とプラハ国立美でみたアンリ・ルソーの‘私自身 肖像=風景’のみ。

髪つながりでいうとマセイス(1466~1530)の‘聖母子と天使たち’の聖母マリアの髪もかなり長い。この絵で癒されるのは後ろでリュートを奏でる子どもとイエスにむかってカーネーションを差し出している天使。このまま大人をやっていけそうなつるっとした表情がなんともいい。

パルミジャニーノ(1503~1540)が描くマニエリスム調の聖母子は一風変わっている。聖母は正面向きではなく膝を立てて横向き、背景に古典的な建物をおくところも変わっている。この舞台づくりがイエスの死についていろいろなことを想像させる。

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2017.03.21

モーツァルトの♪♪‘フルートとハープのための協奏曲’!

Img_0001    ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)

昨年の12月からYou Tubuでクラシックの名曲を聴いている時間が多くなった。聴いているのはもっぱら30分以内で終了する協奏曲やソロ曲。前回はバイオリン協奏曲の話をしたが、チャイコフスキーとブルッフの2曲とともに楽しんでいるのがモーツァルトの♪♪‘フルートとハープのための協奏曲’。

モーツァルト(1756~1791)が22歳のとき作曲したこの協奏曲はパリに滞在中、外交官の公爵から依頼されたもの。クラシックにはいろんなタイプの音楽があるが、このフルートとハープのテンポのいい響き合いは‘元気のでるクラシック’の典型ともいえるもの。はじめて聴いて200%心を奪われて以来、魅了され続けている。

もし南海の孤島に住むことになり持っていけるクラシックのCDが10枚だとすると、どの曲にするか。モーツァルトはこの‘フルートとハープのための協奏曲’と‘交響曲第41番ジュピター’がすぐ決まる。それほどフルートとハープの美しい音色はわが人生を支えてくれている。

クラシックの通ではないのでよく知らないが日本の演奏者でフルートとハープの名手が誰だろう?世界中をみわたしてフルートの第一人者はフランスのエマニュエル・パユが今も君臨している!?そしてハープの現役の名演奏家は?

生の演奏を聴く機会が今はほとんどないが、フルートとハープの掛け合いは一度聴いてみたい。そのためクラシックの情報を少しずつ集めることにした。

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2017.03.20

美女に救われた‘シャセリオー展’!

Img     ‘カバリュス嬢の肖像’(1848年 カンベール美)

Img_0001  ‘泉のそばで眠るニンフ’(1850年 フランス国立造形芸術センター)

Img_0002     ‘アポロンとダフネ’(1848年 ルーヴル美)

Img_0003     シャヴァンヌの‘海辺の娘たち’(1879年 オルセー美)

美術館めぐりの最後に入館したのは西洋美、現在ここで‘シャセリオー展’(2/28~5/28)が開かれている。シャセリオー(1819~1856)の作品をどこの美術館でみたか、すぐいえるのはルーヴルとオルセーしかない。ほかの美術館でこの画家をみたという記憶はない。だから、2つの美術館でみたオリエンタリスム的な匂いのする女性の肖像を描いた画家というのがシャセリオーのイメージ。

とくべつ前のめりになる画家ではないが、チラシに大きく載っている‘カバリュス嬢の肖像’がどうも気になるのでパスというわけにはいかない。はたして、この美形の女性の絵が群を抜いてよかった。のぼせるような目で彼女をみていたら、もし今人気のモデルの奈々緒ちゃんにこういう衣装を着せたら瓜二つの感じになるかもしれないと思った。

いつものように男性の肖像への食いつきは悪く、どんどん進んでいたら、もう一点ぐっとくるのが現れた。‘泉のそばで眠るニンフ’、これはもうけものの作品。これで2点は確保した。でもじつをいうとこれでおわりだった.。印象に残る作品が少なく、期待していたルーヴル、オルセーの作品は1点もでてこなかった。だから、評価はよくないのだが、この2点に大変魅せられたので大甘で‘まあーいいか’とした。


期待していたルーヴルの作品はなんといっても‘エステルの化粧’と‘2人の姉妹’、チラシには載ってないが回顧展なのだから館内では会えるだろう、とふんでいた。ところが、かすりもしない。やって来たのは感じるものが少ない神話画の‘アポロンとダフネ’。でも、またいうが2点いい女性画に出会ったから他は忘れようと心を鎮める。

この展覧会ではシャセリオー以外にも、ドラクロア、モロー、シャヴァンヌがでている。そのなかでシャヴァンヌ(1824~1898)の‘海辺の娘たち’の前に長くいた。これに加えてルーヴルから件の2点のうちどちらかでもあったら評価はぐんと上がったのに。残念!とびっきりの美女、カバリュス嬢に救われた回顧展だった。

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