2022.09.27

美術で‘最高の瞬間’! ベルギーのデルヴォーとアンソール

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  デルヴォーの‘ピグマリオン’(1939年 ベルギー王立美)

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  デルヴォーの‘行列’(1963年 ポール・デルヴォー財団)

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  デルヴォーの‘スピッツナー博物館’(1943年 ベルギー王立美)

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  アンソールの‘絵を描く骸骨’(1896年)

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  アンソールの‘仮面と死神’(1897年 リェージュ市近美)

運がいいことに2度訪問することができたベルギー王立美で大きな収穫だっ
たのが‘反逆天使の転落’など4点も所蔵しているブリューゲル。数からいう
とウィーン美術史美の12点に次ぐ多さなので、それこそ有頂天になってみ
た。そして、近代絵画の自慢がベルギーが世界に誇るシュルレアリスト、
マグリットとデルヴォー(1897~1994)。マグリットは今は美術館
の敷地内に別館として誕生したマグリット美で展示されているが、デルヴォ
ーは元の専用展示室でシュール好きの美術ファンを待っている。

‘ピグマリオン’は大げさにいうと衝撃的な作品。ギリシャ神話で知っている
ピグマリオンは自分が彫り上げた少女像に恋した王。この願いを女神アプロ
ディテが叶えてやり、彫像に命が吹きこまれるという夢みたいな話。ところ
が、この絵はどこか違う。そう、デルヴォーは登場人物を性転換させて描き、
裸婦が大理石の男性像に命を与えようとしている。こういう逆転の発想は
デルヴォーの真骨頂。200%KOされた。

‘行列’は横幅が2.4mもある大作。遠近法で描かれた真ん中の道をデルヴォ
ーの代名詞みたいなマネキンのような裸婦たちはこちらにどんどん近づいて
くる。色白で目の大きな顔立ちはみんな同じなので、夢幻的な世界に紛れ込
んだ感じ。この動感描写を加速させているのは左で斜めに進んでくる同じく
見慣れたモチーフとなっている列車。

‘スピッツナー博物館’にでてくる骸骨をみると、ボスやブリューゲルのDNA
はしっかりベルギーのデルヴォーやアンソール(1860~1949)に
受け継がれているなと思う。イメージギャップの大きさからくる戸惑いはこ
の絵の横に飾られていた裸婦が一人もいなくて骸骨だけが登場する‘キリスト
の磔刑’によってさらに増幅された。だから、アンソールの‘絵を描く骸骨’や
‘仮面と死神’とも底のほうでつながっているように映る。

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2022.09.26

美術で‘最高の瞬間’! コクトーとブローネル

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  コクトーの‘横顔’(1962年)

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  コクトーの‘恋人たち’(1961年)

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  コクトーの‘眠る女’(1953年)

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  ブローネルの‘アレクサンドリアのヘロン’(1939年 ポンピドーセンター)

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  ブローネルの‘法悦’(1947年 ポンピドーセンター)

数多くみてきた展覧会のなかには一度きりの遭遇だったのに、その絵が強く
記憶されている画家がいる。フランスのジャン・コクトー(1889~
1963)の回顧展をみたのは17年前の2005年。足を運んだのは日本
橋三越。今はデパートで展覧会をみる機会はぐんと減ったが、当時は関心を
掻き立てる作品がよく登場した。コクトーは純粋な画家ではなく、詩を書い
たり映画もつくる、いわば総合芸術家。8歳年上のピカソを心から尊敬し、
画家としての腕もあげていった。

ピカソのキュビスムの影響をうけたことがすぐわかるのが‘横顔’。絵の前で思
わず立ち止まった。唇と顎のところの柔らかい線が強調された表現がとても
いい。スムーズな線とギザギザ線を使って顔のフォルムをつくり、それを右
から黒、黄色、緑の色面が並ぶ色彩構成によって浮かび上がらせる。‘恋人た
ち’は二人の真剣なまなざしに吸いこまれそう。これに少し手を加えれば、
とてもインパクトのある夏の海辺のポスターができあがる。

そして、驚愕する絵が現れた。コクトーが64歳のときに描いた‘眠る女’。
彫刻的に描かれた立体的な女性の上半身がまるでマティスの切り紙絵のような
調子で抽象画な色模様で埋め合わされている。しかも、首と顔の半分は背景
と同じ黒。黒は夜のイメージだから、まさに眠る女というタイトルにピッタリ
合っているが、身体に黒はなかなか使えない。この色彩感覚がコクトーのスゴ
いところ。

コクトーの画風とどこか重なるのがルーマニア出身のシュルレアリスト、ヴィ
クトル・ブローネル(1903~1966)。女性の髪がハート形になって
いる‘アレクサンドリアのヘロン’は恋人の髪や腕の伸び方と響き合っている。
‘法悦’は南米の古代文明にでてくる壁画表現を思わせるが、ペタッとした平板
なフォルムがコクトーとよく似ている。

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2022.09.25

美術で‘最高の瞬間’! ミロ美術館

Img_20220925222501    ‘少女の肖像’(1919年)

Img_0001_20220925222501   ‘空間の炎と裸婦’(1932年)

Img_0002_20220925222501   ‘太陽の前の人物’(1968年)

Img_0004_20220925222501   ‘空色の黄金’(1967年)

Img_0003_20220925222501   

‘アーモンド・ブロッサム・ゲームをする恋人たち’(1976年)

モネやルノワールらの印象派以降の近代絵画で最初に覚えた画家はピカソ、マテ
ィス、シャガール、モディリアーニ、ミロ、ダリ、モンドリアン。今では大好き
なシュルレアリズム絵画のマグリットや抽象画のカンディンスキーに大接近する
のは本格的に絵画を観賞するようになってからのこと。だから、シュルレアリス
トというとミロ(1893~1983)とダリしか関心がなかった。それは単純
な理由で二人の回顧展がデパートのなどでよく開催されていて、作品を見る機会
が多かったことが関係している。

ミロの絵が楽しいのはシュールだがわかりにくさのため深刻になることがなく、
気軽にみれるから。表現されたモチーフは明快な色彩を使ってシンプルで漫画チ
ックにデフォルメされている。そのため、わからないなりに想像が膨らむ。そん
な作品がどっと集まった回顧展が2002年、世田谷美で行われたときがミロで
‘最高の瞬間’!だったが、その前にも大きな感動をあじわう瞬間があった。
その場所は1990年、スぺインのバルセロナを訪問したときに足を運んだミロ
美術館。ホテルから地下鉄で近くまで行き、傾斜のある階段を昇るとバルセロナ
五輪の会場となったモンジュイックの丘の一角に建つ美術館がみえてきた。ここ
に来るのが長年の夢だったので浮き浮き気分だった。

1階と2階に展示室があり、ぐっとくるミロがここにもあそこにもという感じで
飾られている。いきなりガツーンとやられたのが‘少女の肖像’。小品だが、正面を向く目の大きな女の子の凛々しさが心を打つ。サイズ的には同じくらいの‘室内の炎と裸婦’は赤の色面が炎だろうが、ユーモラスなのが寝ている裸婦の姿。口を大きく開けているのでどこか赤塚不二夫の漫画のキャラクターを連想する。

2階に展示されているものは大作が多く、だんだん感動がMAXになってきた。
存在感を強く感じる‘太陽の前の人物’。赤い太陽が力強い黒の線で描かれた人物の頭のなかにすっぽり入っている。‘空色の黄金’は配色がなかなかいい。黄色の背景に青の空が浮き上がり、そのまわりに*印や黒丸で表現された星が煌いている。これほど黄色が明るいと黒の重さが消えていく。‘アーモンド・ブロッサム・ゲームをする恋人たち’はパリのデファンス(新凱旋門)にパブリックアートとして設置されている彫刻のマケット(予備習作)。ポリエステルに絵具で着彩されている人物彫刻はたしかにゲームを楽しむ恋人のようにみえる。

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2022.09.24

美術で‘最高の瞬間’! エッシャーの不思議世界

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   ‘昼と夜’(1938年)

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   ‘爬虫類’(1943年)

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   ‘滝’(1961年)

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   ‘上昇と下降’(1960年)

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   ‘版画画廊’(1956年)

オランダの版画家 エッシャー(1898~1972)の名前は2006年、
Bunkamuraで回顧展をみるまでまったく知らなかった。チラシを手にとった
ときおもしろい絵が載っていたので興味が沸き渋谷に足を運んだ。ミロやダ
リやマグリットたちが世に広めていったシュルレアリズム絵画のなかによく
でてくるのがダブルイメージ。でも、この手法は特別驚くべきことでもなく
、空に浮かぶ雲をながめてその形が鳥の羽根にみえたり、月の写真をみて
兎のシルエットにロマンを膨らませることもある。

‘昼と夜’はダブルイメージが時間の経過とともに現れてくるところがおもし
ろい。さらに芸が細かく下の畑から生まれてきた鳥の群れは黒と白の集団に
分かれて左右に飛んでいく。左は昼間で右は夜。‘爬虫類’もじっくりみると
ギョッとする。スケッチ帖のなかからトカゲが飛び出してきて本の上をのっ
しのっしと歩き、また紙のなかに戻っていく。子どもは大はしゃぎするだ
ろうが、この無限ループはかなり不気味。

建物の構造についての専門知識が少ないので正確にはとらえられないが、
どうもこの建物はおかしいことに気づくのが‘滝’と‘上昇と下降’。上の左の塔
から落ちてくる滝の水はそのままみれるが、不思議なのが落下した水が2つ
の塔の間の水路を通って上がっていき滝が落ちた場所に到達し、再び滝とな
って落ちること。これ動きはトカゲの進行と一緒で無限に続いていく。滝ば
かりみていると違和感は感じないが、水が低いところから高いところに流れ
ていくのはおかしい?ことがわかる。
‘上昇と下降’もじっくりみると変てこ。同じ階段を移動しているのに上がる
人たちはずっと上がり続けていて、反対向きの人たちはずっと下り続けてい
るようにみえる。へんな立体でこの無限階段はつくられている。

‘版画画廊’はくにゃっと歪んだ立体空間に頭が変になりそう。左端の男が進
んでいる画廊の通路に上に港町の建物が段階的に建ち並んでいる。こんなに
空間が曲がっているのはアインシュタインの相対性理論に影響されている。
エッシャーは息子への手紙のなかで‘どうしてこんなことになるのか?きっと
アインシュタインのいう、宇宙は丸いということとそんなにかけ離れていな
いということだろう’と書いている。

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2022.09.23

ドビュッシーに乾杯!

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   クロード・ドビュッシー(1862~1918)

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  コローの‘朝、ニンフの踊り’(1850年 オルセー美)

つい最近までYou Tubeでアクセス数の多い‘クラシック名曲全集(作業用)’
(2時間)をいい気分で聴いていたが、今はパソコンがある書斎から離れリ
ビングでTVから流れてくるクラシックのCDを聴きながらMy図録づくりに精
を出している。こういう軽作業をしているときはベートーヴェンの‘5番’と
かマーラーの‘1番’のような魂を揺すぶるような名曲よりは、軽やかで耳に
馴染んだ美しい旋律が心をほぐしてくれる名曲が何曲もはいっているオムニ
バスCDのほうが作業はよく進む。

何度も聴いているのがこれまでモーツァルト、チャイコフスキーにくらべる
と耳に慣れた曲が少なかったドビュッシー(1862~1918)。ブック
オフで手に入れた中古CDは‘交響詩「海」「夜想曲」「牧神の午後への前奏
曲」’とピアノ曲を集めた‘ロイヤル・フィルハーモニック・コレクション18’。
以前ビデオしたクラシックを楽しんでいたときよく聴いていたのは‘牧神の
午後への前奏曲’くらいなもので、ほかの交響詩やピアノ曲は断片的に耳に入
れていただけ。

そのため、この2枚のCDを聴きこめば聴くほどドビュッシーの魅力にとりつ
かれてきた。もともとこの作曲家への関心は高かった。それは印象派絵画と
の関連や浮世絵の影響、そしてロダンとの愛が破局し悲痛にくれていた彫刻
家カミーユ・クローデルを精神的に支えた話がインプットされていたから。
さらに、‘牧神’を聴いているといつもコロー(1796~1875)の描いた
‘朝、ニンフの踊り’が目に浮かんでくるほど、ドビュッシーの作曲した革新的
な印象派音楽がフランス絵画とコラボしていたことも関係している。

今、わが家はドビュッシーに200%嵌っている。‘海’やピアノ曲の‘アラベス
ク第一番’、‘月の光’、‘亜麻色の髪の乙女’といったどこかあいまいで幻想的な
まどろみの世界を感じさせるような曲想と旋律にアルファー波がでまくって
いる。そして、‘映像 第一集’や‘前奏曲集 第一集’を奏でるピアノを聴いてい
ると絵画なら抽象絵画の世界に誘われるような気分。確かに印象派の画家たち
のように新しい音楽を生み出した感じがする。

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2022.09.22

美術で‘最高の瞬間’! 偉大な画家 ゴーギャン

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  ‘果実を持つ女’(1893年 エルミタージュ美)

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  ‘説教のあとの幻影’(1888年 スコットランド国立美)

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  ‘昼寝’(1891~92年 メトロポリタン美)

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 ‘彼女の名はヴァイマルテといった’(1892年 プーシキン美 )

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  ‘若い婦人の肖像’(1896年 国立オードロップゴー美)

美術品を鑑賞することが日常生活のなかで食事をとるのとおなじくらい欠か
せないものになると、絵でも彫刻でも名品が掲載されている美術本をなるべ
く豊富にもっておきたくなる。専門家の蔵書とはちがい、分厚くなくて適正
な価格のものを選んで購入している。そして、10年くらい前から複数ある
図録を集約したMy図録の制作に多くの時間をさいてきた。ゴーギャン
(1848~1903)については、美術本はTASCHENなど3冊、My図録
は2009年(東近美)と2010年(ロンドン テートモダン)に開催さ
れた回顧展の図録をベースにしてほかの図録を解体して作品の図版をペタペ
タ貼りつけ情報満載のゴーギャン本に仕上げた。

こういう過去の鑑賞体験のつまったものができると、目に焼きついている絵
はそれをみた海外の美術館(国内は記憶が薄くなっているが)と感激の度合
いが鮮明に蘇ってくる。たとえば、‘果実を持つ女’は念願のエルミタージュ美
で‘最高の瞬間’を体験させてもらった大傑作。ここにはタヒチ時代のゴーギャ
ンが15点所蔵されているが、手前にどーんと大きく描かれたタヒチの女を
言葉を失ってみていた。それ以来Myゴーギャンのベストワンを維持し続けて
いる。

2010年、テートモダンであった大ゴーギャン展のとき、期待で頭のなか
が大きく膨らんでいたのが‘説教のあとの幻影’。美術本には北斎の浮世絵が影
響をしている話が必ずのっているから、以前から本物をみたくてしょうがな
かった。でも、この絵があるのはエジンバラの国立スコットランド美。普通
の海外旅行ではまず行けない。だから、この回顧展が嬉しくてたまらなかっ
た。‘果物を持つ女’も出品されていたので喜び二段重ねになった。

ゴーギャンの絵には色彩の強さに驚かされることがよくある。メトロポリタン
で2008年にお目にかかった‘昼寝’は対角線構図で描かれているむこう向き
の女の前でうつ伏せになっている女が着ている衣裳の赤が強烈だった。この赤
をまわりの紫や緑や黄色が引き立てている感じ。同じように色彩の力に吸い
こまれたのがプーシキン美から国内の美術館の特別展に出品された‘彼女の名は
ヴァイルマティといった’。目に飛び込んでくる青と青紫に心を奪われた。
ゴーギャンがよく使う紫はこの絵で開眼した。

デンマークの国立オードロップゴー美の自慢のコレクションは一度日本で披露
された。そこでゴーギャンの意外な絵と遭遇した。とても美しい女性がモデル
になっている‘若い婦人の肖像’。ええー、ゴーギャンがこんな美形の女性を描
いていたの?!ときどきうっとりしながらながめている。図録をばらしたので
この絵をどこの美術館でみたか思い出せない。

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2022.09.21

美術で‘最高の瞬間’! モネ とっておきの‘積みわら’ ‘睡蓮’

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  ‘夕日の積みわら’(1890~91年 ボストン美)

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  ‘陽のあたる積みわら’(1890~91年 チューリヒ美)

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  ‘睡蓮(Ⅰ)’(1905年 ボストン美)

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  ‘睡蓮’(1914~17年 アサヒビール株式会社)

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  ‘睡蓮の池’(1917~19年 マルモッタン美)

数多く存在する画家のなかでとくに相性のいい画家は何人かいる。印象派の
モネ(1840~1926)もそのひとり。モネが好きになって良かったな
思うのは日本人の印象派好みを反映して西洋美をはじめとして国内でもいい
絵画をいくつもみれること。さらに、日本ではゴッホ同様、海外のブランド
美術館が所蔵するモネがたびたびやって来て美術ファンの目を楽しませてく
れる。これまでの体験からいうとそのなかにはとびっきりの名画は含まれて
いる。

モネが1890年からはじめた‘積みわら’の連作では、ボストン美にある
‘夕陽の積みわら’は日本で運よく2度みることができた。この積みわらをみた
ときの感動は今でも忘れられない。まさに燃え立つような絵画。激しく冴え
る橙色や赤、そして跳びはねるような黄色によって陽光に輝く積みわらが
どアップで描かれている。

2010年パリのグランパレで開催された大モネ展に出品された‘陽のあたる
積みわら’もモネで‘最高の瞬間’!だった。チューリヒ美にあるこの絵との出会
いを長年待っていたが、ようやく実現した。抽象絵画のカンディンスキーが
この積みわらに魅了されたことを知っているので、感激した。ボストンのあ
るものと感じが似ている。光の移ろいを細かく観察し色彩の力強い表現力で
存在感のある積みわらにみせている。これこそが印象派の真髄。

モネの代名詞ともなっている睡蓮の絵はこれまでたくさんみてきた。オラン
ジュリー美にある大作は横に置くとして、そのなかで最も惹かれているのが
ボストンにある‘睡蓮(Ⅰ)’とアサヒビールがもっている‘睡蓮’。ボストン美は
モネを34点所蔵しているが、美術館の図録に載せているのはこの睡蓮と
‘日本娘’。日本でも2度お目にかかった。大山崎の美術館にある‘睡蓮’は国内
の多くの美術館がもっている同じタイプの睡蓮のなかでは一番気に入ってい
る。そして、モルモッタン美蔵の‘睡蓮の池’は黄色が目に焼きつく異色の睡蓮。
これはパリでみて大変魅了されたが、日本の展覧会にも出品された。フランス
語版(英語版は無し)の美術館図録の表紙を飾っている名画がやって来たの
だから、モネファンにはたまらないプレゼントになった。

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2022.09.20

美術で‘最高の瞬間’! 圧が強すぎる女性像

Img_0001_20220920224801   ロセッティの‘プロセルピナ’(1874年 テートブリテン)

Img_20220920224801   レンピッカの‘緑の服の女’(1930年 ポンピドーセンター)

Img_0003_20220920224801  クリムトの‘アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ’(1907年 ノイエギャラリー)

Img_0002_20220920224901   ルブランの‘自画像’(1800年 エルミタージュ美)

Img_0004_20220920224901   アングルの‘ド・ブロイ公爵夫人’(1851~53年 メトロポリタン美)

絵画と長くつきあっているのは心をときめかせる女性像と会えるからといっ
ても過言ではない。これまで女性を描いた名画の数々に接してきたが、その
感じ方はいろいろある。ラファエロのようにやさしい聖母子に出会い心が
和むことがある一方、女性の全身から放たれる圧の強さでその美しさや個性
にたじたじになる作品にもたびたび出くわす。

ロンドンのテートブリテンに展示されているロセッティ(1828~
1882)の‘プロセルピナ’は圧をもっとも強く感じる女性像かもしれない。
妖艶な女性をみているというのではなくとても美しい女性が目の前にいると
いう感じだが、あまりに美の圧力がありすぎて軽々しく近づけない。最近、
GYAOで配信されていたイギリスのTV映画‘警部モース’でも絵やクラシック
音楽が大好きなモースの部屋にこの絵が飾ってあった。

アール・デコの女性像の代表作といえるのがレンピッカ(1898~
1980)の‘緑の服の女’。緑の衣装がとても似合うこの若い女性は猛禽のよ
うなイメージでロセッティが描いたモデル以上に強烈な圧に押され放っしに
なる。まさに‘肉食女子’! 2010年Bunkamuraで行われた‘レンピッカ展’で
お目にかかり強い衝撃を受けた。

クリムト(1862~1918)の傑作‘アデーレ・ブロッホ=バウアーの
肖像Ⅰ’は上の2点に較べると心のザワザワ感は弱いが、それでも画面いっぱ
いの黄金の装飾にうもれるアデーレは黄金パワーの効果により全身から圧が
でているのはまちがいない。この黄金を取り払ったとしたら、もっと楽に
彼女と対面できるだろう。

普通の写実的に描かれた肖像画でもその美貌に相当な圧を感じるものがある。エルミタージュ美で遭遇したルブラン(1755~1842)の‘自画像’は女優の沢口靖子を即連想した。こんな綺麗な人はなかなかめぐり会えない。メトロポリタンに飾ってあるアングル(1780~1867)の‘ド・ブロイ公爵夫人’も同様に後ずさりするほど気品のある夫人だった。アングルはこの絵がもっとも気に入っている。

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2022.09.19

美術で‘最高の瞬間’! 名画になった街の風景

Img_0003_20220919224401   ユトリロの‘コタン小路’(1910~11年 ポンピドーセンター)

Img_0002_20220919224501   佐伯祐三の‘ガス灯と広告’(1927年 東近美)

Img_20220919224501  藤田嗣治の‘ノートルダム大聖堂’(1950年 ポンピドーセンター)

Img_0001_20220919224501   カイユボットの‘ヨーロッパ橋’(1876年 スイス プテイ・パレ美)

Img_0005_20220919224501   ホッパーの‘ドラッグストア’(1927年 ボストン美)

絵をみることが大きな楽しみになってくると、宗教画にしろ肖像画にしろ風
景画にしろ誰もが知っている名画となんとしても対面しようと思う。近代に
描かれた西洋絵画の風景画ではどれをターゲットにするか、振り返ってみる
と頭の中はユトリロ(1883~1955)の‘コタン小路’で占められていた。
念願が叶ったのは絵を所蔵しているパリのポンピドーセンターではなく東京
都現美。1997年に行われた‘ポンピドー・コレクション展’に出品されたの
に運よく遭遇したのである。美術の本に載っている‘白の時代’のユトリロの
傑作を気持ちを鎮めてじっくり鑑賞した。静かなモンマルトルにはこんな傾
斜の急な階段が確かにあったから、絵に対する思い入れは強くなる。

東近美の通常展示でよくお目にかかった佐伯祐三(1898~1928)の
‘ガス灯と広告’にもパリの街の匂いを感じる。パリ市内全域の道路や地下鉄網
や有名な建物がうまく関連付けられてインプットされてないので、描かれた
場所がにわかにイメージできないというもどかしさはある。だから、早くパリ
ぶらぶら歩きを実現しようという気にはなっている。そうすれば、2年前の
回顧展(東京都美)で出会い大変魅了された藤田嗣治(1886~1968)
の‘フルール河岸 ノートルダム大聖堂’が描かれた場所にもたどり着けるかも
しれない。

2008年シカゴ美でお目にかかった代表作の‘雨のヨーロッパ広場’によって
開眼したカイユボット(1848~1894)のはもう一点鑑賞欲を刺激す
る風景画があった。その‘ヨーロッパ橋’がなんと所蔵するスイスのプティ・
パレ美から2013年の回顧展(ア―ティゾン美)にやって来た。橋を渡る
男女がいて、橋の欄干から向こうをみている男がいる。見慣れた光景なのに
カイユボットにかかるとこんな思わず足がとまる絵になった。絵画の楽しさ
を感じずにはいられない。

静謐な‘コタン小路’のアメリカの都市版がホッパー(1882~1967)
の‘ドラッグストア’。7年前NYを夜歩いたことがあるが、その時感じた人気
のない街の一角と雰囲気が似ている。2015年、ボストン美を訪問し再会
した。

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2022.09.18

美術で‘最高の瞬間’! 極上の花の絵

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 ゴッホの‘ひまわり’(1888年 ナショナルギャラリー)

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  ルドンの‘長首の壺の草花’(1912年 オルセー美)

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  キスリングの‘花’(1950年 大谷コレクション)

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  マネの‘カーネーションとクレマティス’(1882年 オルセー美)

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  シーレの‘様式化された花’(1908年 レオポルト美)

西洋絵画で花の絵というとすぐ思い浮かぶのがゴッホ(1853~1890)
の代名詞ともなっている‘ひまわり’。新宿のSONPO美に3点あるその‘ひまわ
り’のひとつが飾られているので、日本人にとってはもっとも馴染みのあるゴ
ッホの名画となっている。2020年、ロンドンのナショナルギャラリーが
所蔵する最初に描かれた‘ひまわり’が披露された。久しぶりの対面だったが、
またまた強力な‘イエローパワー’に圧倒された。

日本画だと花鳥風月が伝統的なモチーフなので四季折々の花の絵は見慣れて
いるが、海外の美術館にでかけて花だけがどんと描かれた作品はそうはお目
にかからない。そのため、出来映えがいいと深く感動し長く記憶される。
ルドン(1840~1916)のパステル画‘長首の壺の草花’に魅了され続け
ている。黒のルドンばかりインプットされていたので、こんな明るく美しい
花の絵に出会い天地がひっくり返るほど驚いた。そして、高揚感は一気に上
がった。ルドン、やるじゃないか!という感じ。

エコール・ド・パリ派のキスリング(1891~1953)は花の絵を何点
も描けているが、以前鎌倉大谷美(現在は無い)で遭遇した‘花’が忘れられな
い。花瓶の大きさの3倍くらいの画面が赤や黄色の花々で埋め尽くされてい
る。みた瞬間、ここの空間が花が醸し出す華やかでゴージャスな雰囲気につ
つまれた。正確な情報に接してないが、この絵はまだ大谷コレクションとし
て所有されているのだろうか?

マネ(1832~1883)の‘ガラス花瓶の中のカーネーションとクレマテ
ィス’はとても洒落た感じのする花の絵。描かれたのはマネの最晩年。水の
表現がとても上手い。ゴッホの‘ひまわり’に刺激をうけて描いたシーレ
(1890~1918)の‘装飾的背景におかれた様式化された花’は一見する
と抽象画的な作品に映る。視線を惹きつける紫で表現されたフォルムの接合
がインパクトとなって上にのびる橙色の花を際立たせている。
来年1月から東京都美ではじまる‘エゴン・シーレ展’(1/26~4/9)にこの
絵はまた出品されるかもしれない。

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