2018.08.16

美術館に乾杯! パリ ピカソ美 その三

Img_0003     ミロの‘スペインの踊り子の肖像’(1921年)

Img_0002     ミロの‘自画像’(1919年)


Img     アンリ・ルソーの‘女の肖像’(1895年)

Img_0001     セザンヌの‘レスタックの海’(1883~86年)

1991年パリへ行ったときは今とはちがい個人旅行。美術館めぐりがメインの目的で名所観光はあくまでもオマケ。全部で13の美術館をまわった。だから、この年がわが家にとって美術旅行の元年だった。ピカソ美もそのなかに入っている。

ピカソの名がついている美術館なので作品はオールピカソと思いきや、ほかの画家の作品も所蔵している。でも、このときはこうした絵をみたという実感がない。鑑賞エネルギーは当然だがすべてピカソに向かっていたから‘見れど見えず’状態だったのか、それとも常時展示してないのか、よくわからない。

ピカソ(1881~1973)よりひとまわり若いミロ(1893~1983)の‘スペインの踊り子の肖像’は2002年世田谷美で開催されたミロ展でお目にかかったが、‘自画像’のほうはまだ縁がない。2点とも顔の描写や衣服の陰影のつけ方などは全体を一旦分解して再構成するキュビスムの匂いがする。

未だに謎なのがアンリ・ルソー(1844~1910)の絵。手元にある美術本ではピカソ財団が所蔵する4点がルーヴル美に寄託?寄贈?されていることになっている。その絵は‘女の肖像’、‘平和のしるしに共和国に敬意を表して訪れた列国の代表者たち’、‘自画像’、‘ジョセフィーヌ・ルソー’。

ところが、ルーヴルへ足を運ぶときはこの4点を必見リストに入れているのにこれまで一度も遭遇したことがない。だから、美術本が古くて今はピカソ美で展示しているのかな、と勝手に思ってしまう。それを確認する意味でも新装なったピカソ美に行かなくてと思っている。

セザンヌ(1839~1906)に影響を受けたピカソは‘レスタックの海’をもっていたのかもしれない。この絵も現地でみた記憶はないので、もう一度出かけたときは展示されていることを念じておきたい。

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2018.08.15

美術館に乾杯! パリ ピカソ美 その二

Img_0002     ‘ドラ・マールの肖像’(1937年)

Img_0001     ‘読書’(1932年)

Img     ‘闘牛士の死’(1933年)

Img_0003     ‘磔刑’(1930年)

ピカソ(1881~1973)は作風をどんどん変えていく。これは天才に共通する特徴。絵を描く技術が高いところにあるものの強みで描きたいテーマやモチーフが変わればそれに合わせて全体のスタイルもガラッと変える。そのため、多視点からモチーフをとらえ画面を構成するキュビスムという革命的な画法だけでピカソをみているとピカソの全体像が見えなくなる。

‘ゲルニカ’が描かれた年にピカソはハッとするほど明るい女性の肖像も仕上げている。‘ドラ・マールの肖像’、顔が二つあるのはキュビスム流だが、緑の髪や目、黄色の顔はマティスのフォーヴィスムと同じ。ギターとかマンドリンを描いた作品のように角々し直線だけが印象に残る抽象度の強いキュビスムとはちがい、この肖像画は人物表現がやわらかく直線の硬さを曲線がつつみこんでいる。お気に入りの一枚。

そして画面全体が円や曲線で支配されているのが‘読書’、両手がくにゃっと曲がり顔と乳房はお椀のような造形、丸い顔をじっとみていると岡本太郎の彫刻‘太陽の塔’がダブってくる。おそらく岡本太郎はピカソの絵を知っていたのだろう。

ピカソは闘牛が大好き、だから闘牛がいろいろ変奏して登場する。‘闘牛士の死’では闘牛の勝利に終わった。馬が長い首を大きく後ろにまげていななく姿は闘牛士の死の悲劇を物語っている。もう一点怖い牛をイメージさせる絵がある。この絵の2年後に制作されたエッチングの‘ミノタウロマキア’、ギリシャ神話にでてくる牛頭人身の怪物ミノタウロスはまさに闘牛そのもの。そして‘ゲルニカ’にもこの姿で登場する。

宗教画の定番の題材として古典画ではお馴染みなのが磔刑図、これがピカソの手にかかるとスペインの後輩ミロのシュルレアリスム絵画のようにちょっと漫画チックな絵になる。ピカソはダリよりミロのシュールさが気になったのかもしれない。

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2018.08.14

美術館に乾杯! パリ ピカソ美 その一

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Img_0002     ‘自画像’(1901年)

Img_0003     ‘肘掛け椅子に座るオルガ’(1917年)

Img_0004     ‘水浴の女たち’(1918年)

Img_0001     ‘海辺を駆ける2人の女’(1922年)

バルセロナにあるピカソ美はずいぶん前に出かけたため美術館のイメージがほとんど消えているのに対し、1991年に訪問したパリのピカソ美については建物の輪郭が薄くは残っている。この美術館は2008年に改修工事をし装いを一新したそうだから、次に行ったときははじめての美術館のように映るかもしれない。

ピカソ(1881~1973)は古典絵画のダ・ヴィンチ同様別格扱いの画家なので、日本でも繰り返し回顧展が開催される。2004年には東京都美、そして2008年には国立新美&サントリー美でいずれもパリのピカソ美のコレクションによる特別展が開かれた。2008年のときは2館で200点以上出品されるなどかつてない規模のピカソ展となった。

こうした度重なる展覧会によりピカソ美にある主要な絵画や彫刻はほとんどやって来た感じがする。だから、現地では一度しか足を運んでないのにこの美術館との距離感はないといっていいほど。多くの作品を見ることができたので心にとまった絵を選ぶのに時間はかからない。

キュビスムのピカソとは違う作品で最も魅了されているのはやはり‘青の時代’に描かれた‘自画像’、はじめてみたときは20歳のピカソにはとても思えなかった。この風貌はどうみても30歳はこえている。頬がこけているのは当時困窮していたためだろう。この絵は勿論Myピカソベスト5に登録している。

‘肘掛け椅子の座るオルガ’も魅了される一枚。画家は愛する人を描くときは特別熱が入る。ピカソも例外ではない。ロシア人のオルガは野人ピカソにとっては敷居の高い女性であり彼女への愛情は長く続かなかったがとてもいい肖像画を残した。

‘水浴の女たち’をみているとある絵が目の前をよぎる。それはNYのグッゲンハイムにあるアンリ・ルソーの‘ラグビーをする人々’。顔を上にむけ体をくねらせてる女や寝そべっている女の姿がラグビーに興じる男たちの動きにとてもよく似ている。ピカソはルソーを敬愛していたからちゃっかり真似たにちがいない。

人体のダイナミックな動きに惹きこまれるのが‘海辺を駆ける2人の女、この動的表現は広大な海を背にして生じてくる感情の高まりであり、彫刻を思わせるような極端に太い手足を動かすことであふれる生命力を表現している。

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2018.08.13

美術館に乾杯! ニース シャガール美

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Img_0004    閑静な住宅街の一角にあるシャガール美

Img_0001     ‘楽園を追われたアダムとイヴ’(1961年)

Img     ‘アブラハムと3人の天使’(1960~66年)

Img_0002     ‘十戒の石板を授かるモーゼ’(1960~66年)

Img_0003     ‘雅歌Ⅰ’(1960年)

若い頃、南仏コート・ダジュールの中心地ニースや映画祭で有名なカンヌを旅行したのは一生の思い出。心が晴れやかになる穏やかな地中海の光景をみて毎年来たいと思ったが、人生そううまくはいかず再訪の機会がめぐって来ない。

バルセロナからジュネーブに帰るときニースで一泊した。入江に沿って続く散歩道ゆっくり進み目の前に広がる青い海を目に焼きつけたあと、山側に15分くらい登ったところにあるシャガール美をめざした。閑静な住宅街の一角にあるこの美術館は正式名は‘国立マルク・シャガール聖書の言葉美術館’といい1973年に開館した。

訪ねたのはオープンして10年経ったとき、だからすごく新しい美術館という感じがした。1階だけのこじんまりとした展示空間なので1時間もあれば十分楽しめる。ここに飾られているメインの作品は旧約聖書を題材にして描かれた17点の連作。いずれも天地左右2mもある大作、大きな作品がこれだけ多くあると身も心もシャガール一色に染まる。

10年くらい前まではちょくちょく開催されていたシャガール展を欠かさずみていたが、感激の大きさでいうとニースで味わった満足度のほうがいつも上回っていた。だから、ときどき図録をみてあの大作で感じた色彩の強い力を思い出している。

シャガール(1887~1985)がニースにほど近いヴァンスに移り住んだのは1950年、62歳のとき。その4年後からこの連作の制作がはじまり1967年まで続く。お気に入りなのが‘楽園を追われたアダムとイヴ’、‘アブラハムと3人の天使’、‘十戒の石板を授かるモーゼ’、‘雅歌Ⅰ’。

キリスト教徒ではないが、旧約聖書の話やキリストの物語について多少なりとも知っているのは絵画や彫刻とのつきあいが長いから。宗教画を見続けているお蔭でモーゼやキリストのハイライトの事件はしっかりイメージできるようになった。ポンピドーとこの美術館にあるシャガールの作品もそれに一役買ってくれている。

もしこの美術館で将来修復工事があるとしたら、日本の美術館が動けばシャガールの連作が日本でみれる可能性がでてくる。そんな夢のようなことがおこるだろうか。

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2018.08.12

美術館に乾杯! トレドのエル・グレコ

Img     マドリードの南70㎞に位置するトレド

Img_0002     ‘聖衣剥奪’(1577~79年 トレド大聖堂)

Img_0001     ‘オルガス伯爵の埋葬’(1586~88年 サント・トメ聖堂)

Img_0004     ‘無原罪の御宿り’(1607~13年 サンタ・クルス美)

Img_0003  ‘コバルービアスの肖像’(1580~1600年 エル・グレコ美)

世の中にはスペインを愛する人がたくさんいる。昔一緒に仕事をした同僚にも会社を辞めてスペインに語学留学した女性がいる。そういう筋金入りのスペイン派ではないが、これまで運よく6回訪問する機会があったからお酒が入るとスペイン話も長くなる。

1983年はじめてのスペインはクルマで出かけたバルセロナだったが、同じ年マドリードも訪問した。そのころは絵画への関心は普通の観光客と同じレベル。でも、パリのルーブルと同じでプラドへの期待値は高かった。だから、美術の本に載っているベラスケスやゴヤの名画の前ではわけもなく感動した。これがあの‘ラス・メニーナス’、‘裸のマハ・着衣のマハ’か!

もうひとり印象に残っているスペインの画家(生まれはギリシャだが)はエル・グレコ(1541~1614)、しかしこの画家については観光バスツアーに参加して足をのばしたトレドの聖堂にサプライズの絵が待ち受けていた。1時間もすれば到着するトレドの街は細い道が迷路にようにのびているので、ガイドさんの後をしっかりついて行かないとお目当てのトレド大聖堂やサント・トメ聖堂にたどり着けない。

この2つの聖堂にグレコの最高傑作がある。キリストの着ている赤の衣服がどーんと目に飛び込んでくる‘聖衣剥奪’、大聖堂自体も一見に値するすごい聖堂で外観も内部も見どころは多いが、聖具室を飾るこのグレコの祭壇画の放つ磁力の強さは半端ではない。

そして、サント・トメ聖堂へ移動すると再度すごい絵と対面する。荘厳な空気につつまれた‘オルガス伯爵の埋葬’、グレコの描く宗教画はとても純粋でそして深い。画面を上下で天国と現世に分け、地上界ではトレドの守護聖人がオルガス伯爵を葬る奇跡が描かれている。晩年のラファエロがこれをみたら裸足で逃げるかもしれない。

この2点に遭遇してグレコがぐっと近くなり一生忘れられない絵になった。そして5年前、トレドにあるもうひとつの傑作が日本にやって来た。‘無原罪の御宿り’。飛び上がるほど嬉しかった。東京都美のグレコ展にはエル・グレコ美(グレコが住んでいた家)が所蔵するとてもいい‘ディエゴ・デ・コバルービアスの肖像’も出品されていたのでもうトレドは行かなくてもいいかなと思った。

次のスペイン旅行は北のルートをまわることにしているが、マドリードは起点になるので3度目のトレドも計画している。そのときは残っているグレコを全部みるつもり。

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2018.08.11

美術館に乾杯! バルセロナ ガウディ作品

Img_0001       ‘サグラダ・ファミリア聖堂(外観)’(2026年に完成?)

Img_0002     ‘サグラダ・ファミリア聖堂(内部)’

Img_0003     ‘グエル公園 ドラゴン’(1900~14年)

Img       ‘ミラ邸’(1906~12年)

Img_0005     ‘パトリョ邸 バルコニー’(1904~07年)

1983年、バルセロナを訪れたとき最初に向かったのが‘サグラダ・ファミリア聖堂’、当時はまだ観光客が現在のように大勢いるという感じではなく作業現場の雰囲気はゆっくりモード。だから完成までにあと100年くらいかかという話に即納得した。

ところが、ガウディ(1852~1926)が人生の大半を費やしたこの大聖堂の建築は現在資金が豊富になり作業にかかわる人の数も増え進捗のペースが上がってきている。この勢いでいくと目標にしている没後100年にあたる2026年の完成が達成できるかもしれない。

2年前中に入ったときは中はもう全部できていて残すは外観のみだった。今現在、‘栄光のファサード’や170mの‘イエスのシンボリオ’はどこまでできたのだろうか、サグラダファミリア聖堂とのつきあいは長いので日本から熱い思いでみている。完成したら出かけるつもり。

サグラダ・ファミリアは観光客が大幅に増えているためだいぶ前から予約制になっているが、バルセロナの北、グラシア地区の市内を見下ろす小高い丘にあるグエル公園も2年前は予約がいるようになっていた。そのため以前なら必ず行程に入っていたこの公園はパスになりほかの観光スポットをまわった。

2つとも予約で縛られると確かに時間のやりくりはきつくなるが、お客さんの要望にも答えたい。旅行会社も頭が痛いだろう。はじめてのバルセロナなら人気のドラゴンがいるグエル公園は絶対外せない。このドラドンを背にした写真はバルセロナの楽しい思い出。旅行会社はどんな知恵を絞っているのだろうか。

ほかのガウディ作品については団体ツアーの場合、市内の中心部にある‘ミラ邸’と‘パトリョ邸’を見るようになっている。ただし、パトリョ邸はバスの中からがほとんど。一方、‘ミラ邸’は近くにバスを止めて邸宅の写真が撮れるように時間をとってくれることもある。だが、これも今は観光客が増えているからバスのなかからというケースが多くなっているような気もする。2年前はそうだった。

ガウディの建築物の次のターゲットをあげてみると、
★‘グエル別邸’
★‘グエル邸’
★‘コロニア・グエル地下聖堂’
★‘ミラ邸の屋上’
★‘ビアンス邸’

はたしてミューズは微笑んでくれるだろうか。

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2018.08.10

美術館に乾杯! バルセロナ ピカソ美

Img      中世の街並みが残るゴシック地区にあるピカソ美

Img_0004     ‘科学と慈愛’(1897年)

Img_0001     ‘待ち合わせ’(1901年)

Img_0002     ‘質素な食事’(1904年)

Img_0003     ‘ラス・メニーナス、ベラスケスによる’(1957年)

バルセロナへはじめて行ったのは1983年、当時住んでいたスイスのジュネーブからクルマで出かけた。何時間かかったかは忘れたがとにかく無事到着した。訪問した観光スポットはガウディがつくったサグラダファミリア聖堂、グエル公園、そしてゴシック地区にあるピカソ美。

ピカソ(1881~1973)がバルセロナへ家族とともにやって来たのは14歳のとき。その2年後に描いたのが‘科学と慈愛’、この絵をみたらピカソの絵を描く才能がとびぬけて高かったことがよくわかる。16歳でこれほどリアルな人物表現ができるのだから参ってしまう。

ピカソ美でどれくらいの数をみたか記憶がなくなったが、印象が強かったものは画集をみると感動がよみがえってくる。ピカソが20歳のときの作品‘待ち合わせ’も‘科学と慈愛’同様、収穫の一枚。ピカソはこの年、女性がこのモデルのようにテーブルにひじをつきその手を肩にもっていったり、あるいは顎をさわる姿を何点も描いている。

この絵のあと幸運なことに‘アブサント好きの女’(エルミタージュ)、‘アルルカンと女友達’(プーシキン)、‘シニヨン髷の女’(フォッグ美)などに遭遇した。パリのピカソ美にある‘自画像’を含め‘青の時代’に描かれた作品に魅了され続けている。

ピカソは1900年にパリへ出かけたあとモンマルトルに居を構える1904年まではパリとバルセロナを行ったり来たりしている。心にじんとくるエッチングの‘質素な食事’は青の時代の最後の作品。

第二次世界大戦後に取り組んだ美術史上の名作シリーズのなかで最もたくさん描かれたのがベラスケスの‘ラス・メニーナス’、スペインの大先輩だから力が入り1957年に58点も仕上げた。ここには5点くらいあった。その一枚が最後の絵。マルガリータ王女単独で描いたものも2点ある。

ピカソ美を訪問してから35年経った。もう一度行ってみたい。

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2018.08.09

美術館に乾杯! バルセロナ ミロ美 その二

Img_0005      ミロ美の外観

Img_0002     ‘少女の肖像’(1919年)

Img_0006    ‘財団のタペストリー’(1972年)

Img     ‘アーモンド・ブロッサム・ゲームをする恋人たち’(1976年)

Img_0001          ‘人’(1967年)

ミロ美術館がオープンしたのは1976年、ミロ(1893~1983)が83歳のときだった。建物を設計したのは友人のセルト。白を基調にした外観はカタルーニャの明るくて自由な雰囲気をイメージさせ、ミロの魅力を伝えるのにふさわしい展示空間になっている。

ミロは若い頃男女の肖像画を何点も描いている。ここにある‘少女の肖像’は小品だが大変魅了された。何年か前、幼い姉妹が登場し妹の意地っぱりぶりをおもしろく演出したCMが流れていたが、この少女の金髪のおかっぱ頭をすぐ連想した。

1972年ミロ財団のためにつくられたのが大きなタペストリー。黄色、赤、青、緑、黒を使って織られたデザインは一度みると忘れないほどの磁力を放っている。抽象的な造形はサイズがうーんと大きくなると一段とパワーがでてくる。

1階から2階への吹き抜け部分に展示されているのが‘アーモンド・ブロッサム・ゲームをする恋人たち’というタイトルがついたボリューム感のあるオブジェ。ここではミロのアトリエを再現しており、これはパリのデファンスに設置されているオブジェのマケット(予備習作)。ポリエステルに油絵の具で色が着けられている。

ミロ美では建物のまわり、中庭、屋上の展示スペースにおもしろい形をした彫刻やオブジェがいろいろ飾ってある。例えば、鳥や犬、そして人間をモチーフにしたものなど。1967年につくられた‘人’は鉄の棒で人間の骨格と頭を表現したユーモラスなオブジェ。

こうした作品をみるとミロは歳をいくつも重ねても子どものころの感性をもっていたことがよくわかる。ものに感動することや夢みることが創作の源、ミロの創作パワーは本当にスゴイ!

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2018.08.08

美術館に乾杯! バルセロナ ミロ美 その一

Img    モンジュイックの丘にあるミロ美(拡大で)

Img_0003     ‘空間の炎と裸婦’(1932年)

Img_0002     ‘朝の星’(1940年)

Img_0001     ‘太陽の前の人物’(1968年)

Img_0006         ‘女と鳥Ⅰ’(1969年)

バルセロナ観光の一番の目玉はガウディの建てたサグラダ・ファミリア、団体ツアーで行く場合はまずこの人気の聖堂へ出かけ、あとはガウデイのほかの建物、ミラ邸やパトリョ邸やグエル公園などをまわる。そのため、ここにあるピカソ美やミロ美は自由時間が組み込まれたツアー(ほとんどみないが)に参加した美術好きの人しか縁がないかもしれない。

バルセロナオリンピックで使われたスタジアムのあるモンジュイックの丘をめざしたのは今から28年前の1990年。大好きなミロ(1893~1983)の美術館を訪問するためである。ホテルからどう行ったか忘れたが、丘の下から石段をふうふういいながら登ったことはよく覚えている。

ミロ美はミロ自身の寄贈により開館した美術館。作品は絵画だけでなくオブジェ、タペストリー、陶器、版画、ポスター、スケッチなど多岐にわたり、1万点のコレクションのなかからセレクションされたものが1階と2階の明るい部屋に飾られている。

絵画は初期の素朴な感じの絵はなくシュルレアリスムの精神が全開したユーモラスで力強い表現がここでもあそこでも強く主張している。そして、色彩の変化にもヴァリエーションがあり生き生きした明るい色彩が目を楽しませてくれる一方、晩年の作品では日本の墨に影響され黒が画面の多くを占めるようになる。

‘空間の炎と裸婦’は女性をモチーフにした11点のうちの1点。口を大きくあけて横たわる裸婦の姿はどこかとぼけている。赤塚不二夫のギャグ漫画をすぐ連想する。大きな収穫だったのが1940年に描かれた星座シリーズの‘朝の星’、全部で23点あるこのシリーズ、まだ5点しかお目にかかれてないがコンプリートを夢見ている。

ミロが75歳ごろ仕上げた‘太陽の前の人物’と黒が豊富な‘女と鳥Ⅰ’も忘れられない作品。この歳になってもミロの創造するエネルギーはこんこんと湧き出てくる感じ。日本ヘは1966年と壁画を制作した大阪万博の1970年の2度やって来た。このとき日本の書の墨からインスピレーションを受けた。

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2018.08.07

美術館に乾杯! 国立ソフィア王妃芸術センター その五

Img     チリーダの‘風の櫛Ⅰ’(1952年)

Img_0001     タピエスの‘絵画’(1955年)

Img_0002     マザウェルの‘トーテム像’(1958年)

Img_0003    ロスコの‘無題(オレンジ、桃色、黄色)’(1950年)

スペインを旅行するときバルセロナからスタートすると、次に向かう街はバレンシアと決まっている。ここでのお楽しみはスペイン料理の定番、パエリャ。ガイドブックにはほかにも地元出身の抽象彫刻家のフリオ・ゴンザレスの作品が展示されている現代美術館が紹介されている。

スペインの彫刻家はもう一人知っている。バスク地方のサン・セバスチャンに生まれたエドゥアルド・チリーダ(1924~2002)、2002年に縁があり鎌倉の神奈川県近美で行われた回顧展に出品された鉄やテラコッタ、大理石を使った抽象的な立体作品に目を奪われた。

チリーダはスペインだけでなくヨーロッパ各地に野外彫刻作品を設置している。図録に載っている巨大なオブジェはいつか見たいと思わせるものばかり。ソフィアにある‘風の櫛Ⅰ’は25年の歳月を費やした代表作の最初の作品。そして1977年、生まれ故郷の海岸に完成作ができあがった。

作風がフランスのデュビュッフェと似ているアントニ・タピエス(1923~2012)はバルセロナの出身。ポンピドーでお目にかかったのが最初の出会いだったが、過去の絵画の概念とはまったくちがったもので正直どうみればいいのか戸惑った。‘絵画’は建設がはじまったばかりの建築物の現場に紛れ込んだ感じで、まだなんの処理もされてない壁のむき出しの状態をみているよう。

アメリカのア―ティストについてはビッグネームがすべてが揃っているわけではないが、マザウェル(1915~1991)がスペインをはじめて訪れたとき内乱の悲劇に思いをはせ描いた‘トーテム像’とロスコ(1902~1970)のお馴染みの大きな色面の縁がぼやけた作品に足がとまった。

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