2008.05.09

その七 プッサン展

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メトロポリタンでの鑑賞時間が予定より2時間延びた理由の一つはまったく想定外の“プッサン展”と遭遇したから。パリのグラン・パレで見た“クールベ展”はここへ巡回中であることは知っていたが、ルーヴルで重点鑑賞画家にしていたプッサン(1594~1665)の回顧展を楽しめるとは夢にも思わなかった。

パリ、ロンドンでかなりの数のプッサン作品と対面し、ググッとこの画家にのめりこんでいたから、わくわくしながら企画展示屋へむかった。会期は2/12~5/11で、油彩44点、素描50点の94点が出品されている。会場の入り口のところにルーヴルでみる予定だった“自画像”があったので、質の高い作品が集まっていることを直感した。はたして、ルーヴル、ロンドンナショナルギャラリー、プラドなどブランド美術館からやってきた名画が沢山あった。

上はメトロポリタンの所蔵で必見リストの二重丸作品、“日の出を探し求める盲目のオリオン”。ギシシャ神話はライフワークにしているので、この絵に描かれた巨人オリオンと対面するのを楽しみにしていた。“これがあのオリオンか!”という感じ。見上げるような巨人である。肩にのっかっているのは道案内人のケダリオン。オリオンの足元に立っているのはウルカヌス。

一体オリオンはどこへ行こうとしているのか?見えない目を治すため、これから太陽の光を浴びにオケアノスの果てまでいくのである。両端の大きな木の間にみえるむくむく雲に肘をついてオリオンを眺めているのは月の女神ディアナ。この神話的風景画には寓意的な内容が表現されており、月の女神ディアナは雨を降らせる自然の力を表すものとして描き込まれている。

真ん中は最晩年に描かれた“四季”のひとつ“夏(ルツとボアズ)”。ルーヴルには“秋(約束の地の葡萄)”と“冬(大洪水)”しか展示してなかったので、残念な思いをしていたが、この“夏”と“春(地上の楽園)”は嬉しいことにここまで追っかけて来てくれた。

“夏”に描かれているのは旧約聖書にでてくるルツの物語。夏の刈り入れ作業のなか、畑の持ち主ボアズがひざまずいているルツを褒めている場面である。夫を亡くしたルツは貧しい生活にもよく耐えを姑につくしたから、姑の親族で裕福だったボアズはルツに対し親切にし、やがて妻にしてしまう。

プッサンの風景画は水平と垂直をうまく調和させた幾何学的構図に特徴がある。作業をしている人たちを水平に並べ、列をなすように配置しているから、視線がだんだんと空間の奥へむかっていく。そして、遠景に描かれた山や宮殿風の建物の上にはどの絵でも量感のある雲がたちこめており、明るい青の空は雲間からみえるといった感じ。

下の絵は“フォキオンの遺骨を拾う寡婦”(リバプール、ウォーカーアートギャラリー)。これは初期の英雄風景画の傑作である。フォキオンは古代アテナイ民主制最末期の軍人、弁論家。衆愚政治に反対の立場をとったが、ソクラテス同様民衆に誤解され、最後は毒をあおいだ。

この絵で目を奪われるのは構図。あまりにすばらしいので言葉を失った。左右の木の間に斜行する小道が描かれているため、遠景の神殿と三角形のフォルムをした山まで視線はなめらかに導かれていく。ロンドン、パリ(拙ブログ3/31)、ワシントン、そしてNYでプッサンの作品を73点もみることができた。こんな嬉しいことはない。ミューズに感謝々。

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2008.05.08

その六 NYでフェルメール三昧

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フェルメール(1632~1675)の絵が飾ってある部屋で面白い光景に出くわした。日本の若い女性モデルが絵の前でポーズをとり写真撮影をしているのである。いずれ何かの雑誌に載るのだろうが、あらためてフェルメール人気の高さを見せつけられた感じ。

ここにある5点は大きさでいうと、ワシントン・ナショナルギャラリーの4点(拙ブログ4/13)と同じような小さな絵が3点、上の“窓辺で水差しを持つ女”、“リュートを調弦する女”、“少女”。そして、真ん中の“眠る女”はこれらの倍くらいの大きさ。下の“信仰の寓意”はフェルメールの風俗画では例外的に大きく、“絵画芸術”(ウィーン美術史美術館)とあまりかわらない。

今回の絵は好きな順に並べてあるが、“水差しを持つ女”に対する熱い気持ちは“眠る女”の3倍くらいある。この絵は18年前はじめてここを訪れ帰りがけに購入した図録(英文)の表紙に使われているから、図版を見た回数はフェルメール作品のなかでは最愛の“青いターバンの少女”(07/10/6)とともに一番多い。

心に強く響くのが右手で窓枠を、左手で水差しの把っ手をつかんだ動きのあるポーズと女性の清楚なイメージを掻き立てる白いかぶりもの。女性の立つ位置、テーブル、後ろの壁に掛けられた地図の配置はよく考えられており、そのフェルメールならではの巧みな構成には心底魅せられる。窓から部屋の中に入ってくる朝の明るい日差しは、部屋全体をやわらかくつつみこみ、静謐な静物画をみているよう。こうしたオランダの家庭の素朴で静かな情景をみていると本当に心が落ち着く。

真ん中の“眠る女”は頬杖をついて居眠りをしている女性の姿がすごく目に焼きつく。これはフェルメールが描いた最初の風俗画。光がさしこむ窓はないが、静かな雰囲気はこれ以降の作品とまったく同じ。カラヴァッジョやラ・トゥールが描いた“女占い師”、“いかさま師”のような風俗画は見る者がすっと絵の中に入っていけ、描かれた人物を笑ったり、あるいはその行為に眉をひそめたりすることが多い。

だが、フェルメールの描く風俗画にはざわざわした喧騒とかユーモラスなところが消え、ほのかな光に照らし出された室内で女たちが眠っていたり、牛乳を注いでいたり、手紙を読んだり、楽器を演奏したりするところが描かれている。フェルメールの絵は前のめりになってみるものではなく、心を鎮めていつもよりは一歩さがってみるくらいがちょうどいいかもしれない。

下の“信仰の寓意”のなかにはいろいろな寓意的表現が散りばめられている。画面の手前、石の下敷きになって床に血を流している蛇を見て瞬間的に思い浮かべたのはカラヴァッジョが描いた“蛇の聖母”(ボルゲーゼ美術館)。胴体の曲がり具合がよく似ている。女性がとっている地球儀の上に足をのせ、胸に手を当てるポーズは“信仰”を表しているが、この女性の顔がどうも苦手。

苦手と言えば“少女”も何度みてもダメ。少女というよりはお婆さんの顔。この絵と“リュートを調弦する女”の前ではいつも、普通の人の何倍ものスピードで年をとるというあのアメリカの少年が襲われた難病を連想するので、あまりながく見ないことにしている。

フリックコレクションにあるフェルメールもすばらしいのでいずれ紹介するつもり。NYは本当にフェルメールが楽しめる街である。I LOVE NY!

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2008.05.07

その五 カラヴァッジョ  ラ・トゥール  レンブラント

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日本では今、伊藤若冲が大ブレイクしているが、欧米ではカラヴァッジョ、フェルメール、ラ・トゥールが高い人気を誇っている。3人の現存する作品はあまり多くないから、愛好家にとっては作品を所蔵している美術館は聖地みたいなもの。

ヨーロッパとアメリカにあるブランド美術館をこの3画家の作品で評価してみると、メトロポリタンとルーヴルには高い点数がつく。メトロポリタンはカラヴァッジョ2点、ラ・トゥール2点、フェルメール5点。ルーヴルはカラヴァッジョ3点、ラ・トゥール7点、フェルメール2点。

これに対し、ロンドンのナショナルギャラリーはカラヴァッジョを3点、フェルメールを2点もっているが、ラ・トゥールはない。また、ワシントンのナショナルギャラリーにはフェルメール4点、ラ・トゥール1点あるが、カラヴァッジョはなし。ボストン、シカゴは3人に関してはまったく所蔵してない。

前回ここを訪問したときはカラヴァッジョ(1571~1610)には目覚めてなかったから、上の“合奏”や隣に飾ってある“リュート弾き”はまったく記憶が無い。だが、このたびは再接近してみた。“合奏”ではリュートを弾いている色白の少年の顔がピンク色に染まっているのが強く印象に残る。葡萄や楽器、楽譜の写実的な描写に釘付けになるが、リュートを弾いている少年と右にいる二人がくっつきすぎてる感じ。3つの頭の並び具合がどうも窮屈。真ん中でこちらをみているのはカラヴァッジョ自身。

リュートを弾く若い歌手を描いた絵はエルミタージュ美術館にもあるが、先に描かれたエルミタージュのほうがかなりいい。カラヴァッジョの24歳のころ制作した風俗画のなかでお気に入りはエルミタージュの“リュート弾き”、ロンドンナショナルギャラリーにある“トカゲに噛まれた少年”、そしてテキサス・フォートワース、キンベル美術館が所蔵する“いかさま師”。次のターゲットは画集でみてもすごく魅了される“いかさま師”。なんとしてもこの絵を見てみたい!

ここにあるラ・トゥール(1593~1652)2点は全作品のなかでも上位にはいる傑作。真ん中の“ふたつの炎のあるマグダラのマリア”と“女占い師”。“女占い師”は前回見たのをどういうわけかよく覚えていて、再会を楽しみにしていたのだが、残念なことに展示されてなかった。人気の高い作品だから引っ張りだこなのだろう。

“マグダラのマリア”に描かれているろうそくは鏡に映っているので二本あるようにみえる。ルーヴルのマリア(拙ブログ3/30)やワシントンナショナルギャラリーのマリア(4/13)が手で頬づえをついているの対し、こちらは両手を組んで髑髏の上においている。ろうそくの横にある真珠の見事な質感描写とろうそくの光に照らされ闇の中に浮かび上がるマリアの美しい横顔と上半身を息を呑んでみた。

ロサンゼルスへはまだ行ったことがないのだが、カウンティ・ミュージアムには“ゆれる炎のあるマグダラのマリア”があるから、いつかこれも目の中にいれようと思う。

大きな美術館はどこもレンブラント(1606~1669)の質の高い名作をいくつももっており、ここには35点ある。必見リストに下の“ホメロスの胸像を眺めるアリストテレス”、“フローラの姿のヘンドリッキェ”、“自画像(53歳)”、“沐浴のパテシバ”など8点をコポーしていたが、その倍の15点みることができた。

二重丸をつけていたのが“アリストテレス”。期待通り、迫力満点の肖像画だった。右の肩からかけている金鎖はアレクサンドロス大王の家庭教師だったアリストテレスが大王から貰ったもの。ゴールド、青、シルバーで描写されたこの鎖の質感と豪奢な衣服の袖に目を奪われる。肖像画の名手、レンブラントに惚れ直した。

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2008.05.06

MIHO MUSEUMの与謝蕪村展

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名神高速の栗東ICと名阪国道の壬生野ICをむすぶ線のちょうど中間位のところにあるMIHO MUSEUN(新名神高速の信楽ICからは10分くらい)を訪問した。高名な日本美術史家、辻氏が館長をつとめるこの美術館の所蔵品が展覧会によく出品されるので、いつか行ってみようと思っていたが、待ち望んでいた与謝蕪村の大回顧展(3/15~
6/8)がここで開催されるという情報がひょんなことから入ってきた。となるともう出かけるしかない。

この展覧会は3月の中旬に開幕したのだが、お目当ては長年待っている代表作“夜色楼台図”(やしょくろうだいず、個人蔵)だから、これが展示される期間(4/29~5/6)にあわせてクルマを走らせた。作品は会期を6期に分けて147点が展示される。4期
(4/29~5/11)は56点。国宝の“十宜帖”(拙ブログ05/6/19)をまた見たかったが1期(3/15~3/30)だけの展示だった。辻館長が企画される蕪村展だけあって、代表作はほとんど集まっている。もう完璧という感じ。流石、辻館長である。

展覧会開催のきっかけになったのは館長が蕪村の未知の傑作、銀地の“山水図屏風”(会期中展示)と遭遇したからだという。確かにわれわれがすぐ思い浮かべる蕪村のイメージとはちがう絵である。新しい蕪村作品の登場に辻館長はいたく衝撃をうけこれが回顧展の開催につながったというわけである。これは見てのお楽しみ!

上の絵は京博蔵の“奥の細道図巻”(重文)。“奥の細道図”は10種類描かれ、大部分が巻物。これは現存する4点のひとつ。上が“旅立ち”で下は“那須野行”の場面。これまで逸翁美術館の図巻と山形美術館が所蔵する屏風形式のものを見たことがある。

真ん中は“夜色楼台図”。これは“横物三部作”といわれているもののひとつで蕪村、晩年の作品。町に降る雪を描いた絵で心に最も響くのは東山魁夷の“年暮る”(05/12/11)とこの絵だったが、やっと見ることができた。墨のたらしこみの技法が使われた夜空が山々や家の屋根に積もった雪の白をより一層輝かせている。夜の雪の情感がしみじみと伝わってくる期待通りの傑作だった。

愛知県美にある“富嶽列松図”(06/4/8)と一緒にみれたら最高だったが、これともうひとつの“峨嵋霧頂図巻”は5期以降の展示となっている。こういう揃い物は京博方式で全部見せてもらいたいのだが、“峨嵋霧頂図巻“の鑑賞はこれでだいぶ遠のいた。また、“夜色楼台図”同様、ずっと追っかけている北村美術館蔵の“鳶・鴉図”も会期が合わなかった。すごく残念だが、幸いなことに“鳶図”と構図がよく似ている下の“寒樹老鳶図”があったので思いの丈は半分叶えられた感じ。

狙いの作品のほかでは、京博にある“野馬図屏風”で味わった感動が再現された“寒林野原馬図”(重文、文化庁)と大きな画面に鳴子と稲積と五羽の鴉しか描かれてない“晩秋飛鴉図屏風”に足がとまった。蕪村の絵がほぼ終了したので、次のターゲットは池大雅。京博が来年あたり大回顧展をやってくれるたらご機嫌なのだが。

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その四 グレコ  ベラスケス  ゴヤ

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メトロポリタンはルーヴル同様大きな美術館なので、一回の訪問ではとても作品の全貌はつかめない。普通のツアーでは鑑賞時間は1時間とか1時間半程度。これだと、狙いを定めないで“ぐるっとまわってみようか”という気分でスタートすると、“まだこれだけしか見てないのにもう一時間経ってる。集合時間時間まであと30分しかない!”とあせりまくり状態にきわめて高い確率でおちいる。だから、ここを訪問するときはルーヴルでとったような綿密な作戦が必要。

あれもこれも欲張ってみるよりは自分の見たい絵や彫刻、遺跡品をかなり絞りこんで鑑賞したほうが高い満足がえられる。例えば、絵画だとヨーロッパの古典絵画と印象派だけをみて、20世紀美術はMoMAやグッゲンハイムにまかせてパスするとか。また、エジプト、ギリシャ・ローマ美術は大英博物館、ルーヴルのほうが質、数は上だから、有名なものだけピンポイントでみるとか。

今回はまだじっくりみてないアフリカ美術コレクションに時間を使うことも考えたが、これを我慢してお目当ての絵画だけに集中した。そして、重点鑑賞画家にしていたのはグレコ、ゴヤ、レンブラント、カラヴァッジョ、ラ・トゥール、フェルメール、ドガ、サージェント。

昨年プラド美術館やトレドで久しぶりにグレコ、ベラスケス、ゴヤの傑作と対面し、スペイン絵画への親密度がぐっと増した。さらに今回のアメリカツアーではシカゴ、ワシントンナショナルギャラリーとここメトロで画集に載っている有名な絵が見れたからスペイン絵画は一気に済みマークがついた。とくに昔から大好きなグレコとゴヤがすごく充実していたので、満ち足りた気分になっている。

プラド以外でグレコ(1541~1614)のコレクションで評価が高いのは一度訪問したことのあるブダペスト美術館とメトロポリタン。上は再会を心待ちにしていた“トレド風景”。何度見ても絵のなかにぐぐっと惹きこまれる。深い緑で描かれた起伏のある川と丘、そして不気味な青い空がすごく印象的。2日前とりあげたブリューゲルの風景画のように画面左手の遠景には坂道を橋のほうへ歩いている人たちが小さく描かれている。中国の万里の長城をイメージさせる城郭と大聖堂のむこうには宮廷がおかれていたアルカサルがみえる。

このほかにも最晩年の作品“黙示録第五の封印”、“自画像”、衣装の朱色と白の対比が鮮やかな“枢機卿ベルナルド・デ・サンドーバル”など目を見張らされる傑作が目白押し。また、1階のレーマンコレクションの部屋には同じ題名の作品のなかではベストといわれる“十字架を担うキリスト”とこれまたすばらしい肖像画“聖ヒエロニムス”がある。よくこれほど質の高いグレコの絵を集まったものである。ビジネスの成功により巨万の富を手に入れたアメリカ人コレクターの眼力に敬服するしかない。

真ん中のベラスケス(1599~1660)の“フアン・デ・パレーハ”は前回見たという確かな記憶がないので、二重丸の絵。このツアーではベラスケスの肖像画が大当たり。ボストンにあった“詩人ルイス・デ・ゴンゴラ”(拙ブログ4/20)に魅了されたが、これはそれ以上に惹きこまれる。モデルはあまり腕のよくない助手。口ひげをたくわえたふてぶてしい赤銅色の顔にすごいインパクトがある。これまでベラスケスの肖像画というと王女マルガリータばかりに目がいきすぎていたから、この傑作に出会ったのは大収穫。

下の絵はゴヤ(1746~1828)の“マヌエール・オソーリオ・マンリケ・デ・スーニガの肖像”。15年前、この絵を見たときは大感激した。あの“裸のマハ”や“わが子を喰らうサトゥルヌス”を描いたゴヤがこんな愛らしい子供の絵を描いていたとは!子供は色が白いから赤の衣装がほんとうに映える!前回、純真無垢なこの男の子ばかりに目が集中し気がつかなかったが、隣にいる3匹の猫がやけに不気味。やはりゴヤは並みの画家ではない。

ほかにもいい絵がある。マネを感動させた“バルコニーのマハたち”、肖像画の傑作“セバスティアン・マルティネス”、そしてレーマンギャラリーに飾ってある“アルタミラ伯爵夫人と娘”。なかでも前回見逃した“アルタミラ伯爵夫人と娘”に200%感動した。プラドでゴヤと再会して以来、頭のなかはゴヤの絵でいっぱい。今回、念願だった“ポンテーホス女侯爵”(4/14)とこの伯爵夫人に対面でき、これ以上の幸せはない!

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2008.05.05

その三 ティツィアーノ  ルーベンス  ヴェロネーゼ

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ワシントン・ナショナル・ギャラリーにはティツイアーノ(1485~1576)の肖像画の名作が揃っていたが、メトロポリタンでは見慣れた題材と対面した。上の“ウェヌスとアドニス”と“ウェヌスとリュート奏者”。上の絵はプラドにある原画のレプリカで、西洋美の“ウルビーノのヴィーナス展”にもこれとはちがうアドニスが赤い狩猟帽を被った別ヴァージョン(バルベリーニ宮美蔵)が展示されている。

“ウェヌスとリュート奏者”も同じ構図で描かれた作品6点のうちの一つ。作品の質としては、2年前東京都美にやってきたプラド蔵の“ウェヌスとオルガン奏者”が最もいいが、これをベンチマークにするとメトロにあるのは80点くらいの出来栄えで、現在、西洋美に出品されているウフィツィ蔵のものとほぼ同じレベルの絵。

真ん中はルーベンス(1577~1640)がティツィアーノの作品の80年くらい後に描いた“ウェヌスとアドニス”。ティツイアーノとルーベンスの作品を見較べてみると、ティツィアーノのほうが強く印象に残る。それはウェヌスの姿が真に迫っているから。若き愛人アドニスが狩に出かけようとするのを後ろ姿のウェヌスは体をひねらせアドニスの体にしがみつき必死に引き留めている。

なぜ、“行かないで!”とウェヌスは止めるのか?美少年のアドニスは向こう見ずな性質で、獅子、熊、猪といった危険な獲物を追いたがるので、ウェヌスは心配でたまらないのである。案の定、アドニスは手負いの猪の牙にかかって死んでしまう。

この絵の中には二人のほかに2匹の犬とクピドが描かれている。左のほうにいるクピドはウェヌスとアドニスを恋におちいらせた張本人。ぴゅーと放った矢が偶然ウェヌスにあたってしまったから大変。傷を受けたウェヌスはたちまち美しい狩人アドニスにメロメロ。プラドにある原画ではクピドは眠っているが、この絵ではクピドは二人のやりとりをじっとながめている。

ルーベンスの絵で面白いのはこの可愛いクピドがアドニスの足を引っ張っているところ。“ウェヌスお姉さんの愛の力ではアドニスお兄ちゃんの血気を止められないのなら、ここは僕が体を張るしかないな!”クピドちゃんは健気だね!ティツィアーノの絵と較べるとアドニスに動感がないが、ルーベンスは体を斜めにして説得するウェヌスにクピドを加え二人の引き留めようとする気持ちがどんなに大きいかをこの三角形の構図で表現したかったのかもしれない。

クピドは下のヴェロネーゼ(1528~1588)の“ウェヌスとマルス”でも愛の手助けをしている。恋多き女神ウェヌスのここでの相手は軍神マルス。眩しいくらい白い肌をしたウェヌスは当世風の貴族的な衣装をしたマルスの肩に手をかけ、下でクピドが二人の足を紐で結び付けているのを見ている。

指と指を結ぶのはすぐ愛をイメージできるが、足を結ぶというのはちょっと違和感がある。でも、クピドの気持ちはよくわかる。こういう絵ははじめてみたが、ヴェロネーゼはなかなか茶目っ気がある。ロンドン、パリ、ワシントン、ボストン、NYをまわったなかで、“カナの婚礼”(2/26)、ロンドンのナショナルギャラリーでみた“愛の寓意”、フリックコレクションにある“美徳と悪徳”、“智と力”にも魅了されたが、この絵が一番グッときた。

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2008.05.04

暁斎 Kyosaiー近代へ架ける橋

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京博で行われている河鍋暁斎の大回顧展(4/8~5/11)を見てきた。会期は昨年あった狩野永徳展同様、一ヶ月と大変短い。作品の数は135点。この中には下絵が13点あるから、本画は120点ちょっと。質、数ともに文句のつけようの無い10年とか20年に一度クラスのすばらしい回顧展である。

会期は短いがその分、会期中作品の展示替えがまったくない。“風俗鳥獣画帳”、“地獄極楽めぐり図”(静嘉堂文庫)など4点は前後期で作品が替わるが、これはシリーズもので数が多いため。京博はこの展示方法を狩野永徳展からはじめたが、二重丸で評価したい。大規模な日本美術の展覧会では嫌になるくらい展示期間を細かく分け、作品の展示替えをするので、全部見ようとすると割高な料金を何度も払わなければならない。

会期を2~3ヶ月とり、作品を沢山展示する展覧会がもちろんあってもいいが、永徳とか暁斎といった日本美術史のなかで重要な位置を占める作家の場合、展示替え無しで国内外の美術館から集めてきた名品が一発で見られるのは大変有難い。京博は画家の発掘もそうだが展示のやり方にもイノベーション精神にあふれている。他の美術館でも京博方式の展覧会が増えることを期待したい。

さて、河鍋暁斎の大回顧展はどれくらい面白いか。目の前にある作品は期待値を大きく上回っている。暁斎は04年12月、東京ステーションギャラリーであった“国芳・暁斎展”で一ラウンドこなしているから、手元にある画集に載っている作品をながめて狙いの絵を代表作中の代表作“大和美人図屏風”(下の画像)と“地獄極楽めぐり図”に定めていた。

この2点がみれればもう元はとれるという考えだから、それほど作品にのめりこむことはないと思っていたが、会場を進むにつれてだんだんテンションがあがってきた。つくづく残念なのが“これはいいな!”と惹きこまれた作品は大英博物館など海外からやってきたものが多いこと。大英博物館の“閻魔”、“幽霊図”、“鳥獣戯画”、イスラエル・ゴールドマンコレクションの“大仏と助六”、“猿図”など。

上は“鳥獣戯画”シリーズのなかで“蛙と猿の的射ち”とともに足をとめニコニコ顔でみていた“蛙のヘビ退治”。“国芳・暁斎展”のときにも“鼠の猫退治”(拙ブログ04/12/14)と一緒に同名の戯画(河鍋暁斎記念美蔵)が展示してあったが、こちらのほうが断然いい。二つの棒に頭と胴体をくくりつけられたヘビの上で蛙が逆立ちをしたり、曲芸やブランコ遊びに興じている。今までいじめられてた弱者は強者をこれくらいやっつけられれば痛快だろう。こういう絵を思いつく暁斎の想像力はとてつもなくすごい。

静嘉堂文庫の“地獄極楽めぐり図”(前期11図、4/27で終了)は狙いの作品だったが、それほど感激しなかった。また、惜しいことに見たかった“極楽行汽車”は後期(4/29~5/11)の展示だった。お目当ての美人画のほかで惹かれたのは碁打ちを楽しんでいる鬼たちを岩の陰から見ている鐘馗を描いた“鬼碁打図”、曽我蕭白の画風をイメージさせる“白鷲と猿”、“浮世絵大津之連中図屏風”、プライスコレクションにも同じような絵がでていた底抜けに楽しい“吉原遊宴図”。

真ん中は再会した大きな“新富座妖怪引幕”。これは仮名垣魯文が開場して2年目の新富座に贈った引幕で、人気役者達を妖怪に仕立てている。暁斎は酒を飲みながら4時間で描きあげたという。大目玉のろくろ首で“暫”の出で立ちが団十郎で、般若のような顔をした“化猫”が菊五郎。とにかく迫力のある絵である。

最後の部屋で一際輝いているのが下の“大和美人図屏風”。これは右隻のほう。誰がみても頭がデカイと思うはずだが、不思議なことにそれが全然気にならない。白い顔と赤い地に文様が精緻に描かれた衣装はうっとりするほど美しい。弟子のコンドルに贈ったこのすばらしい美人画を見れた喜びを今かみ締めている。

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その二 ヤン・ファン・エイク  クラナハ  ブリューゲル

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メトロポリタンにある古典絵画で一番のサプライズが上のヤン・ファン・エイク作“磔刑、最後の審判の二連画”。豊かな色彩と目が点になるくらい精緻な描写に息を呑んで見た。ワシントン・ナショナル・ギャラリーで魅了された“受胎告知”(拙ブログ4/10)に漂う厳粛さとは異なり、ここには重いモチーフが描かれている。とくに右の“最後の審判”に度肝をぬかれた。

目にとびこんでくるのが縦長の画面中央で足を大股開きにし、腰をかがめるようにしてこちらを見ている骸骨。両足の下には地獄に落ちた罪人が数えきれないくらい沢山描かれている。逆さ吊りにされ、顔を苦痛でゆがめている者、悪魔や怪獣に襲われ悲鳴をあげている者。地獄絵ならではのおぞましい光景なのであまり長くは見てられない。

骸骨の上にいる大天使ミカエルの背中からでている羽根は“受胎告知”のように鮮やかなレインボーカラー。その姿がなかなかカッコいいので思わず見蕩れてしまった。そして、ミカエルの右側の海辺の描写にもびっくり仰天。遠くまで打ち寄せる波が実に細かく描かれている。海がでてくる最後の審判の絵ははじめて見た。ヤン・ファン・エイクのこんなすごい絵があるのだから、流石、MET!

真ん中はクラナハ(1472~1553)の“パリスの審判”。クラナハはこの主題を繰り返し描いており、現在、国立西洋美術館で開催中の“ウルビーノのヴィーナス”(3/4~
5/18)にもウフィツィ所蔵のものが出品されている。ギリシャ神話では、ヘラ、アテナ、アフロディテの三女神のなかから天界の美人No.1を決める大役を仰せつかったパリスは羊飼い、そして神々の使者としてパリスに審判を仰ぐ役目のヘルメスはたくましい若者のはず。

ところが、この絵ではパリスは騎士、ヘルメスは老人の姿で描かれている。クラナハはこの場面を神話の世界ではなく、当時の服装で再現しているのである。これは日本の浮世絵師、鈴木春信が得意とした見立絵と同じ発想。いかめしく硬いイメージの強い男に対し、三女神はルーベンスの裸婦像と較べれば健康度はぐっと下がり、なまめかしくてエロティック。

見事パリスの心を捉えたのは誰か?それは真ん中で左上のまるまる太った息子のキューピットのほうを指差しているアフロディテ。パリスにとって、ご褒美にもらうすればアフロディテが約束してくれた美女ヘレネが一番うれしい。美の女神はそのことをよく知っている。でも、パリスにとっていいことはトロイの国にとっては最悪。で、あのトロイ戦争が起こってしまう。

下は再会を楽しみにしていたブリューゲル(1525~1569)の“穀物の収穫”。ブリューゲルはボスとともに大好きな画家。この絵はゴッホの“イエローパワー”を彷彿とさせる黄金色の小麦に魅せられる。画面のなかにはきつい刈り入れの仕事をしているところと木陰で休息をとるところが対照的に描かれている。

視線が集まるのが大の字になって眠りこけている男。よほど疲れているのだろう。ブリューゲルの風景画の魅力は巧みな構図と中景、遠景をていねいに描き込む広々とした空間描写。小麦畑の向こうにみえる緑の草地や木々のところに目をやると子供が二人いた。ルーベンスはブリューゲルの風景画をこよなく愛していたという。ほんとうに心の安まる名作である。

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2008.05.03

メトロポリタン美術館 その一 ジョット  サセッタ  ジョヴァンニ・ディ・パオロ

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本日からNYのメトロポリタン美術館です。また、しばらくお付き合いください。

ニューヨーカーに“MET”(メット)の愛称で親しまれているメトロポリタン美を訪問するのは3度目。前回は15年前だから、しっかり覚えている展示空間は1階のエジプト美術、“デンドゥールの神殿”ぐらいなもので、印象派など目に焼きついている作品についても何処でみたかは見事なくらい忘れている。

館内は広く、1階と2階にエジプト、ギリシャ・ローマ、イスラム、アジア、アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、20世紀美術、中世、武器・甲冑、楽器、コスチュームなど16の展示エリアがある。今回はルーヴル同様、絵画に絞って効率的に回ることを事前にシミュレーションしていたが、実際は目がまわるくらい沢山の部屋があり、また、工事のため封鎖中の部屋があったりするから、途中で一体どこをどう動いているのか頭がこんがらがってくることがしばしば。

絵画だけに限定し、必見リストにある名画を中心に見る作戦だったが、それでも見終わるのに5時間かかった。ツアーの行程ではここの鑑賞時間は3時間。予定ではこのあとの自由行動はグッゲンハイム、フリックコレクションの流れだったが、ここで2時間使ってしまったので、一度行ったことのあるグッゲンハイムはパスせざるをえなくなった。あらためて、メトロポリタンが超ビッグな美術館であることを思い知らされた。疲れはしたが、すごく充実した鑑賞体験だったので、これから感動の名画を目一杯紹介しようと思う。

ここの展示の仕方は少し変則的なところがある。というのも、コレクターの寄贈品のなかでも、一部のコレクターの場合、例えばロバート・レーマン・コレクションやリンスキー・コレクションなどは専用のギャラリーで展示されているから、2階のヨーロッパ絵画のコーナーでルネサンス、バロック、印象派などを見てもう済んだとのんびりしていると、1階中央奥にあるレーマン・コレクションのグレコ、ゴヤ、アングル、ルノワールのとびっきりの名画を見落とすことになる。これから訪問される方はこのことをくれぐれもお忘れなく!

今回リカバリーしたい作品をリストアップするのに役立ったのが04年にBS2で放送された特集“メトロポリタン美術館”。この番組を収録したビデオを出発前によくみて狙いの作品を事前に目になかに入れておいた。また、リストの中には購入した図録(英文、15年前は日本語版がなかった)、画集から得た情報もたっぷり入れてある。

ここにはダ・ヴィンチの絵はないが、ルネサンス絵画の質、数はワシントン・ナショナル・ギャラリーと同じくらい充実している。ジョット(1267~1337)はワシントンにはウフィツィ美術館にいるような気分になる名作“聖母子”があるが、ここの自慢は上の“三賢王の礼拝”。これはジョットが画家としての名声を確たるものにしていた53歳のころの作品で、他の三賢王の構成と違い、一番年上の博士は跪いて幼子キリストを手で持ち上げている。

真ん中と下は二重丸をつけていた作品。ともにシエナ派の画家で真ん中がサセッタ
(1392~1450)の“東方三博士の旅”。キリスト降誕のおり、東方から星に導かれてやってきた三博士の旅の情景が描かれている。惹きつけられるのが人や鳥の動感描写と奥行きを感じさせる構図。馬に乗って山道を下る一行の様子がとても印象的で、左の山の頂上付近にいる二羽の鳥や空を飛翔する鳥にも見入ってしまう。

下はジャヴァンニ・ディ・パオロ(1417~1482)が描いた“天地創造と楽園追放”(レーマンギャラリー)。右のほうに描かれている天使がアダムとイヴを楽園から追放する場面はすっと頭の中に入るが、一体何を表現しているのか?となるのが左の横向きで空を飛んでいる神とその下の鮮やかな赤や黄色、青、紫の輪がいくつもある円。こんな構成はこれまで見たことがない。

これは世界の成り立ちを教えるもの。このころはまだ天動説が信じられていて、円は惑星を表しており、赤の円は太陽。小さな絵だが、一生の思い出になりそう。

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2008.04.24

その五 オスカー・ココシュカ  バーン=ジョーンズ  ジョン・マーチン

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1992年、講談社から発行された週間美術本“世界の美術館 ラ ミューズ”
(当時500円、全50冊)はコンパクトに美術館自慢の名画を紹介したすばらしい本で、今でも時々眺めている。“No9 ボストン美術館”ははじめてここを訪問するときには購入していたが、なにぶん印象派ばかりに心が向かっていたから、この本に載っている名作を何点も見落としてしまった。だから、今回はそのリカバリーに懸命。

が、近代絵画の部屋が工事でクローズされていたから、当時見たのだろうが見たという記憶がないピカソの“サビーニの女たちの掠奪”や再会を楽しみにしていたオキーフのクローズアップされた花の絵“白バラとヒエン草”とは残念ながら対面できなかった。首尾よくリカバリーできて喜んでいるのが上のオスカー・ココシュカ(1886~1980)の
“愛しあう二人”と真ん中のバーン=ジョーンズ(1833~1898)の“希望”。

これまで、ココシュカの絵を見た経験はきわめて少ない。1987年、池袋にあったセゾン美術館(現在はない)で“ウィーン世紀末展”というクリムトやシーレの代表作が沢山出品された感激の展覧会があったとき、ココシュカの絵も肖像画や版画など10点ちょっとあった。このときはいい絵をみたという印象がなく、何年か前訪れたウィーンのベルヴェデーレ美術館でも、どういうわけか館の図録に載っている静物画や母親の肖像画とは対面できずじまい。

で、ココシュカのイメージに直結しているのは東近美の常設展示で頻繁にお目にかかる“アルマ・マーラーの肖像”。この絵ではアルマの激情的な性格がよくでているが、全裸で抱き合う“愛しあう二人”はココシュカとアルマの表情が虚ろ。この表現主義特有の強い色彩をみるといつも、バブル時代一世を風靡したジュリアナトーキョーで若い女性たちが七色のスポットライトを浴びて享楽的に踊るシーンが頭をよぎる。この絵を見たからには2年後に描かれた代表作“風の嵐”(バーゼル美術館)ともなんとか対面したい。いつものようにミューズにお願いすることにした。

バーン=ジョーンズ(1833~1898)が亡くなる2年前に描いた真ん中の“希望”は二重丸をつけていた作品だから、大変感激した。足を鎖でつながれた女性の右手に白い花をもち、左手を高く上にあげるポーズがそのまま題名の“希望”を表している感じ。アメリカの美術館ではハーバード大のフォッグ美術館がバーン=ジョーンズの作品を沢山もっているが、シカゴやワシントンにはなく、ボストンとメトロポリタンに1点ずつあるだけだから、目に力を入れてみた。

下はイギリスの画家、ジョン・マーチン(1789~1854)が描いた壮大な作品“エジプトの七番目の災難”。ロンドンのテート・ブリテンにあった“神の怒りの日”などで少しは目が慣れているとはいえ、旧約聖書やミルトンの文学的な主題を題材にとり、崇高の美を表現した大作の前では言葉がでない。こういう嵐や火山の噴火など圧倒されたり、恐さを感じる自然現象には普段縁がないから、ロマン主義的に表現された自然の崇高さに強く惹き込まれる。

これでボストン美術館は終了。残るはNYのメトロポリタン、フリックコレクション。

なお、拙ブログは4/25~5/2お休みします。

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