2018.06.18

美術館に乾杯!イザベラ・スチュワート・ガードナー美 その一

Img ボストン美の近くにあるイザベラ・スチュワート・ガードナー美(拡大で)

Img_0001     サージェントの‘ガードナー夫人の肖像’(1887~88年)

Img_0003_2      ガードナー美の中庭

Img_0002     ティツイアーノの‘エウロペの略奪’(1559~1562年)

Img_0004    ボッティチェリの‘聖母子と天使’(1470年)

邸宅美術館というとロンドンでは質の高いコレクションで知られているコートールドやウォレスコレクション、そしてパリではモネの作品を集めたマルモッタンなどが思い起こされるが、アメリカにも収集家が暮らしていた邸を美術館にして公開しているところがいくつもある。

そのなかで別格扱いされているのがボストンにあるイザベラ・スチュワート・ガードナー美(1903年創立)、はじめて訪問したのは25年前なので、ボストン美のすぐ近くにあることはわかっているがどういう風に行ったかはまったく覚えていない。

入館して驚いたのは建物がヨーロッパの貴族の館そのものだったこと。中庭や回廊がつくられておりアメリカにいることを忘れるほど邸全体は完璧にヨーロッパ調。これを建てたイザベラ・スチュワート・ガードナー夫人が真似たのはヴェネツィアの建築様式。ヴェネツィアの邸宅のようにするため夫人はイタリアへ出かけ古い石造りの窓枠やバルコニー、敷石などを買いあさったという。根っからのヴェネツィア好き。

この美術館を訪問したころは美術の世界の入り口をぬけて少し進んだほどで、知っている西洋絵画の巨匠も限られておりティツィアーノとティントレットがまだはっきり区別できてなかった。だから、この美術館でもっとも有名なティツィアーノ(1485~1576)の‘エウロパの略奪’に遭遇したことはエポック的な鑑賞になった。

この傑作がどういう経緯でガードナー夫人のものとなったかは美術本によりインプットされているので、とにかく隅から隅までじっくりみた。後にルーベンスの模写にも出会うことになるが、この2つの絵によってこのギリシャ神話にでてくるエウロペの略奪の話が‘ヨーロッパ’の語源だということを知り知識の森がちょっぴり広くなった。これも絵画の力。

ここには古典絵画のいい絵がまだある。ボッティチェリ(1445~1510)の画集に必ず載っている‘聖母子と天使’。ボストンに来た1993年の10年くらい前、フィレンツェのウフィッツイ美でボッティチェリの‘ヴィーナスの誕生’や‘春’と対面したときの感動が蘇った。ボストンにこんないいボッティチェリがあるのだからガードナー夫人は本当にスゴイ目利き。

夫人はサージェント(1856~1925)に肖像を描かせたが8回NGを出し、9回目の作品でようやく満足したという。たしかに穏やかで美しい表情をしている。

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2018.06.17

心に響くターナーの海洋画!

Img  ターナーの‘風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様’(1802年)

Img_0003  ‘ソマーヒル、トンブリッジ’(1811年 スコットランド国立美)

Img_0001     ‘キルカーン城、クラチャン・ベン山ー真昼’(1801年)

Img_0002     ‘風景 タンバリンを持つ女’(1845年 栃木県美))

現在、新宿の損保ジャパン日本興和美では‘ターナー 風景の詩’(4/24~7/1)が行われている。4月池大雅展をみるため京都へいったときは別の美術館でこの展覧会をやっていたが、いずれ損保ジャパンに巡回することがわかっていたのでパスして帰って来た。

出動は遅くなったが、5月にTV東京の‘美の巨人たち’がターナー(1775~1851)の‘難破船’とりあげてくれ、番組の最後でこの回顧展を案内していたので、その情報分だけ関心の度合いは増大した。といっても昨年の京都行きで手に入れたチラシで気になっていたのは‘風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様’(サウサンプトン・シテイ・アートギャラリー)1点のみというのが正直なところ。

番組で紹介された‘難破船’が描かれたのが1805年だから、この‘漁師たち’はその3年前の作品。8年前テートブリテンで‘難破船’に出会ったとき、海面の波の迫力ある描写に目が釘づけになった。海洋画で心を奪われている画家はターナー、アメリカのホーマー(1836~1910)の2人、そして浜辺に打ち寄せる波をリアルに描いたクールベ(1819~1877)にも魅せられている。

ホーマーは海が大きく揺れ動く光景をもっと近くからとらえているのに対し、ターナーは焦点をあてている船を軸にしてまわりの大きな船も入れ俯瞰的に描いているので船が波に翻弄される場面に強いハラハラドキドキ感がある。27~30歳にかけてターナーが手がけた海洋画の傑作を2点もみれたのは幸運だった。

この絵に満足したのでほかの絵はさらっとみた。そのなかで足がとまったのがチラシに載っている‘ソマーヒル、トンブリッジ’と虹のかかった‘lキルカーン城、クラチャン・ベン山ー真昼’。そして、日本の美術館が所蔵しているものではトップクラスの‘風景 タンバリンを持つ女’もながくみていた。この絵は一度と栃木県美へ遠征したとき平常展に飾ってあったし、5年前の東京都美のターナー展にも出品された。

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2018.06.16

コペンハーゲンの美術館を想起させるフランス絵画!

Img     ゴーギャンの‘マタモエ 孔雀のいる風景’(1892年)

Img_0001     ドランの‘港に浮かぶヨット’(1905年)

Img_0003     クールベの‘山の小屋’(1874年)

Img_0002     ロランの‘エウロペの掠奪’(1655年)

ロシアのエルミタージュ美(サンクトペテルブルク)とプーシキン美(モスクワ)は美術の本によくでてくる超一級の美術館。19年前に運よくエルミタージュを訪問できたが、プーシキンはまだ足を踏み入れていない。

コペンハーゲンとオスロでお目当ての美術館をまわってきたばかりだが、次の計画がアバウトにできていて、順番は①プーシキンと二度目のエルミタージュ ②スイスの美術館 ③LAとサンフランシスコの美術館となっている。海外の美術館めぐりはまだまだ続く。

プライオリティの高いプーシキンだが、今回を含めるとそのすばらしいコレクションを3回楽しませてもらった。お陰で関心の高い印象派、ポスト印象派については画集に載っている作品がかなり目に入った。でも、いい絵はもっとあることはわかっている。それらが4回目、5回目に登場するかもしれないが、歳を考えるとそうのんびり待ってもおれない。

エルミタージュ同様、プーシキンで充実しているのがゴーギャン(1848~1903)、コペンハーゲンのニュー・カールスベア美でゴーギャンを満喫したので‘マタモエ 孔雀のいる風景’をみているとコペンハーゲンのデジャブがおこっていると錯覚する。本当にいい絵。2羽の孔雀がとてもやさしい感じで南国の楽園を思わせる安定感のある構図と調和のとれた色使いが心をとらえて離さない。

色彩の輝きに目を奪われるのがドラン(1880~1954)の‘港に浮かぶヨット’、コペンハーゲンの国立美でドランのいい女性の肖像に会ったばかりなのに日本ではフォーヴィスムを体で感じさせる風景画に遭遇した。マティスとドランに‘フォーヴィスム、いいだろう、参ったか’とドヤ顔で言われているよう。

小品だがクールベ(1819~1877)の‘山の小屋’に魅了された。クールベは北欧の美術館で念願の作品を2点リカバリーできたので今頭のなかにどーんといる画家、その感動のリレーが東京都美にも続いているのだからたまらない。これって‘セレンディピティ’(思わぬ幸運に偶然出会う能力)の証?!

ギリシャ神話や聖書を題材にして港や川の広大な風景を描き人気の画家になったクロード・ロラン(1604~1682)は2013年横浜美にも登場したが、‘エウロペの掠奪’はそれを上回る傑作、日本でこんないいロランは滅多にみれない。

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2018.06.15

待望の‘プーシキン美展’!

Img_0001    モネの‘草上の昼食’(1866年)

Img_0003     モネの‘白い睡蓮’(1899年)

Img_0002     セザンヌの‘サント=ヴィクトワール山’(1905年)

Img     アンリ・ルソーの‘馬を襲うジャガー’(1910年)

先週、上野へでかけ東京都美で開催されている‘プーシキン美展ー旅する風景画’(4/14~7/8)をみてきた。ここ数年、西洋絵画の鑑賞は国立新美と東京都美、そして西洋美の3館が中心になっている。今年は春のビュールレコレクション展(国立新美)とともに期待値が高かったのがこのプーシキン美展。待望の絵が登場するのでわくわくしながら入館した。

4点出品されたモネ(1840~1926)は26歳のときに描かれた‘草上の昼食’が展覧会の目玉、白樺の森のなかで12人の男女が昼食を楽しんでいる。こういうピクニックはいまでも楽しい。視線が集まるのはやはりワインや食べ物が置かれている真ん中。ほかとくらべ明るさが際立ち白が輝いている。モネの作品をみるときいつもこの白の使い方に注目。右下で長い足をのばしてくつろうでいる男性のシャツの白さにも目を見張らされる。

太鼓橋と水面の睡蓮を描いた‘白い睡蓮’をみるのは‘草上の昼食’同様2度目のこと。ところが、この睡蓮がこれほど光り輝いているという印象がまったく消えていた。前々回のプーシキン美展の図録をときどきみていたのに本物のすばらしさを忘れていた。名画は何度もみるものだとつくづく思う。

今回一番のお目当てはセザンヌ(1839~1906)の‘サント=ヴィクトワール山’とアンリ・ルソー(1844~1910)の‘馬を襲うジャガー’、モネ、セザンヌ、ルソーはほぼ同世代の画家だが、3人のめざした絵は大きく違う。同じ時代に生きても絵画表現には個性がでる。これがアートの奥深いところ。

セザンヌが晩年に描いた故郷のサント=ヴィクトワール山はフィラデルフィア美にある2点と同じく色彩が複雑に絡み合う密度の濃い絵、山や家々の形はまだ残るものの画面のイメージは抽象絵画の世界へと入りこんでいる。これでサント=ヴィクトワール山の連作は済みマークがつけられる。ミューズに感謝!

さて、チラシにどんと使われているルソーの‘馬を襲うジャガー’、ぱっとみるとジャガーは馬のどこを噛みついているのかわからない。逆に馬がジャガーの首あたりをくわえているようにみえる。ルソーが亡くなる年に仕上げられた一連のジャングル画で残りは3点。次のターゲットはスイスのバーゼル美にある‘豹に襲われる黒人’にしているが、運にめぐまれれば3年後くらいに遭遇するかもしれない。

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2018.06.14

ストックホルム(2)

Img     旧市街の大広場にあるノーベル博物館

Img_0002   歴代受賞者のパネル 大村智博士(左)、ディラック(右)

Img_0003     アインシュタインのブース

Img_0001   山中伸弥博士のサインがしてあるカフェの椅子

Img_0004    お土産にもってこいのメダルチョコ

旧市街をざっと散策したあとガイドさんが最後に連れて行ってくれたのが大広場。その正面にあるのが2001年ノーベル賞100周年を記念して開館したノーベル博物館。11時にオープンし、普通は100スウェーデンクローネ(1600円)を払うのだが、ガイドさんがお得な案内をしてくれた。ミュージアムショップでお土産を買うと係員に言うと無料にしてくれるという。

多くの日本人観光客が買い求めるお土産とは何か、それは旅の話のネタにはもってこいのメダルチョコ! これをゲットするために扉が開くとミュージアムショップに急いだ。10個入りが130SEKr(2000円)、これがどんどん売れていく。わが家は2箱買った。ガイドさんの話ではある日本人受賞者は3万個(600万円)購入されたそうだ。

館内にはアルフレッド・ノーベル(1833~1896)関連のものと歴代のノーベル賞受賞者の業績や関連資料などが展示されている。また、授賞式や晩餐会の様子を撮ったパネル写真もあり晩餐会でふるまわれた食事に使われた食器(本物)なども陳列されている。

天井から垂れ下がった受賞者を紹介する肖像写真のパネルが機械仕掛けでぐるっとまわっており、じっとみていると小柴昌俊博士(2002年 物理学賞)、大村智博士(2015年 医学生理学賞)が登場してきた。どうやって受賞者をセレクトしているのかわからないが、どうもショップでお金をたくさん使ってくれる日本人の心をくすぐるため日本人受賞者が頻繁にまわってくるようにセットされているのかもしれない。

今は宇宙論の虜になっているのでイギリスの天才物理学者ディラック(1933年 物理学賞)がでてきたり、アインシュタイン(1921年 物理学賞)のブースをみつけるとだんだん大きくなりつつあるサイエンスマインドに火がつく。しばらく科学者物語に没頭しようと思っている。

館内にはカフェがあり晩餐会でだされたアイスクリームが食べられる。そして、カフェの入口のところにiPS細胞の発見で受賞した山中伸弥博士(2012年 医学生理学賞)のサインが入った椅子が飾ってある。これをみると日本人として誇らしい気分になる。


これで北欧旅行記は終わりです。壮大なフィヨルドの風景やムンク、ゴーギャン、マティス、クールベたちの名画を皆さんと共有できたことを心から喜んでいます。

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2018.06.13

北欧は楽し! ストックホルム(1)

Img_0003     オスロと同じくらいの緯度にあるストックホルム(拡大で)

Img        レンガ造りの市庁舎は定番の観光スポット            

Img_0005       王宮

Img_0001    狭い路地が特徴の旧市街

Img_0002    願いが叶う?!‘座る像’

北欧の旅の最終日はスウェーデンの首都ストックホルム。ストックホルムには前日オスロからの高速列車で入ったが、始発の遅れなどのため到着は1時間遅れホテルに着いたのは夜の12時。そして、当日の市内観光は2時間半そこそこ、あっというまのストックホルム滞在だった。

現地在住のベテラン日本人ガイドさんの話がなかなかおもしろかった。スウェーデンでは5週間の有給休暇をとるが法律で決まっているらしい。‘大企業とはちがい自分たちは中小企業だから有給休暇なんて少ししかとれない’なんてことをもうずっと言っている日本の労働環境ではあと100年経ってもこんな制度はできないだろう。

とくに興味深かったのは高校生が卒業したとき、何人かが集まってトラックに乗り込み盛大に街をパレードをするという話。18歳は成人ということで皆、親離れする。だから、高校を卒業するというのは大人への仲間入りという意味で特別な区切りとなる。トラックを借りて数多くのグループが思い思いにデコレーションして通りを走りまわる。人々はそれを微笑ましくながめ祝福する。この国で定着しているそのイベントをみてみたかった。

多くの観光客が集まっていたのが市庁舎、ここは12月10日のノーベル賞授賞式後の公式晩餐会が開かれるところ。これから先日本人科学者が受賞したときはメデイアに流れる晩餐会の様子がよりイメージしやすくなる。
人口75万人のストックホルムは14の島からできているが、この市庁舎があるのは2番目に大きい島。建物の前にはリッダー湾が広がり絶好の撮影ポイントになっている。中国人が大勢いた。

スウェーデンは海外からの流入などのため人口が増え続け2018年現在1000万人に達している。ちなみにデンマークは573万人、ノルウエーは539万人、そしてフィンランドは556万人。北欧4か国の人口はみな同じくらいと思っていたが、スウェーデン人はほかの国の倍近くいた。

大勢の人が集まる旧市街では王宮をみてそのあと狭い路地を通りながら洒落たレストランやお土産屋などが並んでいるところを散策した。途中、ガイドさんが案内してくれたのが観光客の気配がないところ。小さな像がありコインがいっぱい投げ込まれている。この座った小像の頭をさわると願いが叶うらしい。また、ここへ来れることをお願いした。

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2018.06.12

オスロ国立美(5)

Img     ピカソの‘カフェの貧しい男女’(1903年)

Img_0001     ノルデの‘夜のバーで’(1911年)

Img_0002     ハンマースホイの‘コインコレクター’(1904年)

Img_0003     ワイエスの‘アルバートの息子’(1959年)

ピカソ(1881~1973)は多作の画家なので、ブランド美術館に展示されているお馴染みの名画のほかにもはじめて訪れる美術館でも思わず足がとまる絵がひょいと姿を現す。青の時代に描かれた‘カフェの貧しい男女’もそんな一枚。

この絵が描かれた1903年はピカソは22歳でパリとバルセロナを行ったり来たりしていた。画面を青一色で塗りあげるようになったのは2年前に起きた仲の良かった友人カサジェマスの自殺がきっかけだった。この事件にショックを受けたピカソは貧者など社会の底辺にいる弱者たちに目をむけ感傷的に描くようになった。

ムンクとの関連性が強いのはドイツ表現主義、そのためエミール・ノルデ(1867~1956)やキルヒナー(1880~1938)を見つけると敏感に反応する。青や黄色、赤の激しい原色と荒々しい筆致が印象深いノルデの‘夜のバーで’に強く惹かれた。

コペンハーゲン国立美で北欧絵画の部屋を進んでいたとき、ひとつの部屋がデンマークの画家、ハンマースホイ(1864~1916)に充てられていた。作品の数は20点くらい。知らない画家ではない。2008年、西洋美でこの画家の回顧展があったが、そのときはパスした。理由はこちらに背をむけた女性は好みでないから。そのため、写真を撮るか迷ったが結局一枚もシャッターを押さなかった。

オスロにも‘コインコレクター’があった。これは正面向きの男性がいる室内画だからコレクションに加えることにした。こういう静かで女性的な絵は一枚あれば十分という感じ。多くがワンパターンなので何枚もみると飽きてしまうというのは正直なところ。

想定外の収穫はワイエス(1917~2009)の‘アルバートの息子’、これは嬉しい作品。2年前、マドリードのティッセン・ボルネミッサ美でワイエス展に遭遇し心が揺すぶられたが、こんなところにもワイエスがあったとは。
ますます、のめりこんでいく。

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2018.06.11

オスロ国立美(4)

Img_0003     クールベの‘恐怖におののく男’(1845年)

Img_0002     コローの‘テルミの小滝’(1826年)

Img     モネの‘ノルウェーのコルサ―ス山’(1895年)

Img_0001    オラツィオ・ジェンティレスキの‘ユディットと待女’(1608年)

クールベ(1819~1877)の‘恐怖におののく男’(未完 1843~45年)はコペンハーゲンでみた‘窓辺にいる3人のイギリスの少女’同様、グランパレの回顧展のとき展示替えでみれなかった作品。リカバリーがうまくいくかちょっと緊張した。展示の場所を聞くと、‘どこかへ貸し出されるためもう包装されてここにはない!’そ、そんな、ガッカリしたが気を取り直して印象派のところへ急いだ。

ところが、そのあと部屋を進んでいたら、なんとこの絵が現れた。‘ここにあるじゃない!不確かな情報は流さないでよ’という感じ。監視員もローテーションするので勘違いしたのだろう。この男のパニックった表情を図版で何回もみてきたが、ようやく本物と対面した。今回クールベの追っかけは2戦2勝、機嫌はすこぶるいい。

コロー(1796~1875)は日本で立派な回顧展に遭遇したので、画家との距離がぐっと縮まった。そのため、海外の美術館をまわるときは見逃さないようにしている。小品の‘テルミの小滝’は思わず足がとまった。コローの風景画には湖や川がよくでてくるが、多くは静謐そのもので水面はとても滑らか。そのイメージがあるため、この激しい水流には200%圧倒された。

4点あるモネ(1840~1926)では手持ちの画集に載っている‘雨のエトルタ’(1886年)もいいが、前日ノルウェーの雪や氷河が残る山々を目に焼きつけたので‘コルサ―ス山’のほうに体が寄っていく。モネは1895年1月末、義理の息子ジャック・オシュデがいるノルウェーに旅だち100日間滞在した。

このコルサース山はオスロから45㎞離れたビュルネガードの宿屋で描いたもの。ノルウェー滞在中に20数点の作品を仕上げたがその半分の13点がコルサ―ス山。モネは日本の浮世絵が好きだったので富士山のように描いている。

ノルウェーにはフランスびいきのエリートたちがおり、オスロ国立美は1890年に‘雨のエトルタ’を購入し、フランスの国外でははじめてモネの絵を買った公共機関となった。こういう話を聞くとここにフランス絵画の傑作が多くあることが腹にすとんと落ちる。

最後になった古典画のなかに想定外の絵があった。カラヴァッジェスキのオラツィオ・ジェンティレスキ(1563~1639)の‘ユディットと待女’、ユディットが敵将ホロフェルネスの首を刎ねるというショッキングなモチーフは多くの画家たちによって描かれてきたが、最も魅了されるのが娘のアルテミジア・ジェンティレスキ(1593~1652)が描いたぞくっとするほど怖い絵。同じ画題を父親のオラツイオも描いていたとは!大きな収穫だった。

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2018.06.10

オスロ国立美(3)

Img     マネの‘1867年のパリ万国博覧会’(1867年)

Img_0001     ルノワールの‘水浴するブロンド娘’(1885年)

Img_0002     ドガの‘婦人と犬’(1875~80年)

Img_0004     セザンヌの‘テーブルの上のミルク差しと果物’(1890年)

オスロ国立美で‘ムンクの部屋’に次いで多くの人が集まっているのが印象派が飾ってあるところ。ここに美術本に載っている作品がいくつも登場した。必見リストで二重丸をつけていたのが部屋の真ん中にあったマネ(1832~1883)の‘1867年のパリ万国国博覧会’。

マネには魅力的な肖像画が数多くあるが、これを同じくらい惹かれるのが近代化するパリの街並みや人々の生活を活写した風俗画。ドガもよくとりあげた競馬場、華々しい社交場、カフェやバー、、、ここに描かれているのは2回目の万国で沸くパリの街の一角、馬に乗った人や話し込む女性たちの輪、くつろぐ兵士、活気づく街の様子が手にとるようにわかる。

コペンハーゲンのニュー・カールスベア美では残念なことに収穫といえるほどのルノワール(1841~1919)に遭遇しなかったが、オスロにやって来たらルノワールらしい女性画が現れた。手元の画集にも紹介されている‘水浴するブロンド娘’、大きな絵ではないがブロンドの髪や肌の色使いに吸い込まれる。

2点あったドガ(1834~1917)は踊り子と小品の‘婦人と犬’、じつはこの後ろ姿の婦人をみるのは2度目。30年前の1988年に西洋美で大規模な‘ジャポニスム展’があり、構図のとり方に浮世絵の影響が明らかにみられる‘婦人と犬’も出品された。小さな絵でも婦人の肩ごしに犬をとらえるという発想が当時の人にとって斬新だったにちがいない。

再会した絵がもう一枚ある。セザンヌ(1839~1906)のすばらしい静物画‘テーブルの上のミルク差しと果物’。これが日本の美術館で公開されたのは1999年に横浜美で行われたセザンヌ展。かれこれ20年ぶりの対面。目に飛び込んでくるのは白が輝いているミルク差し。そして、傾ているようなのにさほど不安定な感じがしないテーブルにバランスよく置いてある果物。

水平と垂直の直線によって整然とつくられたテーブルに丸い形のミルク差しとリンゴやレモンなどがきわめて穏やかにおさまっている。だから、ずっとみていたくなる。やはり、セザンヌの静物画は最高。

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2018.06.09

オスロ国立美(2)

Img     ムンクの‘病める子ども’(1885~86年)

Img_0002     ‘思春期’(1894~95年)

Img_0001     ‘作家ハンス・イエ―ガーの肖像’(1889年)

Img_0003     ‘月光’(1895年)

ムンク(1863~1944)の出世作となったのが‘病める子ども’、画集でこの絵をみるたびに心が締めつけられていたが、本物の前ではもっと辛い感じがした。病床が出てくる作品ですぐ思い浮かぶのはあの天才ピカソが16歳のとき描いた‘科学と慈愛’とムンクのこの絵。

病院はできることなら行きたくない場所だから、こういう光景をみると切なくなる。死が迫っている少女の顔は異様に白くなっており、それをまともにみていられない付添人のうなだれた首が病魔に襲われた患者にいだく深い悲しみを物語っている。

ムンクは小さいときから体が弱かったことや母親が早く亡くなり一歳上の姉ソフィーエも15歳で天国にめされたため、不安に悩まされ死の恐怖が頭からずっと消えなかった。このことがムンクの画風が感情を画面に強くだす表現主義のスタイルに変っていくことに影響している。

大人の体に成長していく少女の心の動揺を絵のモチーフにすることはほかの画家では思いつかない。でも、自分がいつも不安につきまとわれているから少女の心を敏感に読みとることができる。少女の後ろに描かれた大きな黒い影が彼女の内面を反映している。目に焼きついているこの絵を長いことみていた。

大きな収穫のひとつが‘作家ハンス・イェーガーの肖像’、この絵はムンクを特集した美術番組でみて以来とても気になっていた作品。女性の肖像に較べ男性のものへの思い入れは下がるが、この作家の圧倒的な存在感には魅了される。いかにも一癖ありそうな表情をしたイェーガーは前衛的な精神をもったグループのリーダーでムンクは尊敬していた。

ムンクの風景画には満月と海面の反射がよくでてくる。‘月光’でも青い海に白の影が印象的に描かれている。これは永遠の命を表し、月の反射の形は古代エジプトの文字アンク、♀にヒントを得ている。つくづくいいアイデアをもちこんだなと思う。

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